2021年04月19日

渡部昇一物語【1】 知的生活の方法

『日本史から見た日本人:アイデンティティの日本史
 渡部昇一著
 産業能率短期大学出版部 1973年11月発行』

 この人の本を読んだのは、小学校六年生の時です。
 佐渡島の図書館で 一冊の新刊本に出会いました。


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 私はこの本に出会うことによって歴史好きになりました。この本には「日本人は正月に神社に、結婚式に教会に行き、お葬式にお寺に行く。こういう民族は珍しい」ということを書いてありました。今でこそ、当たり前の話ですが当時は誰も気がつきませんでした。なので当時の識者は「ユニーク」と渡部昇一のことを表現していました。

 私が中学校に入りますと渡部昇一は、面白い本を次々と出版していました。文科の時代・正義の時代・腐敗の時代といった本です。中学生にも非常にわかりやすい内容でした。江戸時代の三大改革を日本で始めて断罪したのも渡部昇一ですし、日本騎馬民族説を否定したのも彼です。今でこそ常識になっていますが、当時は誰もがそんなこと思っていませんでした。それゆえに斬新でした。

 十五歳の時、私は運命的な本に出会います。
 「知的生活の方法」です。
 この本を読むと感動で震えが止まらなくなった覚えがあります。
 そのくらい、この本が自分の人生を変えました。

 彼の主張する「知的正直」については特に目から鱗が落ちました。「わかったふりをしない」というのは私の人生に知的生活を送るうえで大きく影響を与えています。著者の恩師はよく、どんな有名な学者の意見でも「あれは何をいっているかわからぬ」と述べたといいます。これは、なかなかできないことです。

 あと「名作をあまりに若いときに読むのは危険」という見解には、大いに頷かされました。夏目漱石を、心の底からわかったと言えるには、それなりの人生経験が必要なのに、大抵の人は中学や高校の国語の授業で読まされて、何となくわかった気になっており、大人になってから再びそれらを手に取ろうとはしません。こうした状態こそが、知的発展の阻害をもたらしているというのです。

 夏目漱石を読んだとしても、本当に面白いと思って読んだかどうかが問題だと言います。本当に面白かったならいいのですけれど、皆が面白いというから、無理して面白がって読むのは自分に対して忠実でない。何故ならば、小中学生あたりでは夏目漱石は理解できないからです。それを理解できるというのなら、天才か「自分に対して忠実でない」かのどちらかです。そして、もし自分に嘘をついて夏目漱石が面白いと無理に思い込んでる場合は、一生夏目漱石を理解できないまま終わるといいます。

 知的生活に他人のモノサシはいりません。夏目漱石が面白いか面白くないかは、自分のモノサシで決めなければ、本物の知的生活はできません。だから渡部昇一は、
「知的正直になれ」
と言っています。本当に自分にとって面白いものを読みなさい。面白くないなら正直に面白くないと言いなさい。今は面白くなくとも将来は面白いと思える日がくる時もあるのですから、そうなる時期を待ちなさい。決して他人のモノサシを気にしてはいけない。それが知的正直であると言うのです。

 他人の評判や、テストの点や、世間の噂話や、会社の成績などを全く気にしない。そういうことは気にしないけれど、自分自身に対して正直であるかどうかは気にする。しかし社会のルールは遵守する。それが自分のモノサシで生きるということだと言うです。

 ただし、社会のルールは遵守し、他人を不愉快にしたり、エゴを押しつけたりはしない。けれど自分の内面には、自分自身のモノサシがあって微動だにしない。それが自分に対して忠実になれということであり知的正直に生きるということだといいます。


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 そんな渡部昇一ですから、存命中にはいろいろなことをやらかしています。世間には、この人は右翼の人だと思っている方がおられますが、誤解もいいところです。彼の甲殻類の研究を読めばわかりますが、右翼(国家社会主義者)を一番嫌っているが渡部昇一です。なので、右側からもバッシングされています。

 例えば、ロッキード事件で日本中が田中角栄をバッシングしている時代に、田中角栄裁判を「人権無視の暗黒裁判」として訴えたのも彼です。渡部教授の主張は、田中角栄の有罪無罪を言ってるのではなく、田中角栄側に反対尋問の権利が無かったことを問題にしていました。

 ところが当時の保守派の人たちの大半は、アンチ田中角栄なので、アンチ渡部教授です。新聞をはじめとする日本中のマスコミも渡部教授に批判的でした。現職の最高裁裁判官も、渡部教授の論理を批判して「一審判決の重みは大きい。田中角栄は服役するべきだ」と言いました。

 ところが、意外なところで渡部教授に応援団が現れました。
 共産党系の元裁判官や弁護士たちです。
 彼らは人権に敏感なので、反対尋問の権利が無かったことが
 いかに重大なことであるか、気がついてしまったわけです。

 渡部昇一は、「角(角栄)を縛る縄(法律)は、丸(左翼)も縛れるけれど、それでいいのか?」と言ってたわけですが、その言葉の意味を知った左翼陣営人は青ざめてしまったわけです。

 もちろん法曹界の人たちも、この意味に気がつきました。そして田中角栄の上告審の審理が、全く動かなくなってしまったのです。当時は「裁判所が田中角栄の死に待ちをしている」という噂が流れており、週刊誌・新聞・オピニオン雑誌などでも、そのことを取り上げるようになっていました。

 結局、平成五年十二月十六日の田中角栄の死により公訴棄却(審理の打ち切り)となっています。時は流れ、今では田中角栄は冤罪であったと言う人が多くなっています。少なくともあのロッキード裁判は無茶苦茶な暗黒裁判であったと批判する人が多くなっています。

 それはともかく、法律に関して全く素人だった渡部昇一が、角栄裁判を暗黒裁判と言い切った理由は、彼が自分に正直に生きたからです。だから
「どんな極悪人にも反対尋問の権利がある。その権利を奪う裁判は、とんでもないことではないか」
という疑問を最後まで捨てなかったからです。だから日本中を敵に回しても一歩も引かなかったんですね。

 ちなみに渡部教授にとっては田中角栄の有罪無罪は、興味がない。けれど、被告の反対尋問といった人権を奪って行う裁判には、納得できなかった。つまり、自分の内なる心の声に正直に耳をすませば、おかしいものはおかしい。どんなに偉い人が、どんなに立派な理屈をつけて、田中角栄の有罪を訴えても、反対尋問の権利を奪ってしまったという一点で、おかしいと思った。

 しかしそれを納得させてくれる人は、誰一人としていなかった。誰も彼を納得させてくれないんであれば、やはりおかしい。これが彼にとっての知的正直です。細かい法律の話や、政局の話なんかどうでもいい。どんな極悪人にもある反対尋問の権利はどうなってるんだ?という一点で納得できないと言ったのです。


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 ところで、渡部昇一が、知的正直にこだわるようになった理由は、彼の母親の影響だったと言われています。彼の母親は、文字の読めない人でした。いわゆる文盲です。学問はなかった。それに対して渡部昇一は、大学の教授になるぐらいですから、少なくとも母親よりも学問はあったはずなんですが、全くかなわなかったそうです。

 戦時中は、偉い人から聞きかじった「高度国家防衛論」を母親に話したことがあったそうです。すると母親は
「それは今よりも、軍人が威張る世の中にしろということかい? 馬鹿馬鹿しい」
と、相手にしなかったそうです。

 戦後になると、日本中にマルクス主義が蔓延し、渡部昇一も共産主義の理想を母親に話したそうです。すると彼の母親は
「どんなに立派な理屈をつけても、配給制度はダメ。配給する側が威張るだけだ。そんなことも偉い学者さんは知らないのか」
と言って相手にしなかった。つまり渡部昇一は文盲の母親に全く敵わなかった。

 彼の母親は、小学校もでてなく文字も読めませんでしたが、どんな偉い学者さんも物事の本質を見極める力を持っていた。そして学問をかじった自分よりも、よほど物事が見えた。

 それは難しい理屈を分かったふりしない。
 つまり知的正直に生きたから、
 偉い先生よりも本質が見えたのではないか
 と渡部昇一は考えたわけです。

 そういう母親のことを渡部昇一は、大変尊敬していました。そして意外なことに気がつきました。自分の母親が絶対に嘘をつかないということです。

 知的正直。

 つまり自分自身に正直でいるという事は、他人に対して嘘をつかないという事なんです。そして他人に対して嘘をつかないということは、人の悪口を言わないということとイコールなのです。悪口は、無責任な嘘と同じだからです。

 すると、こんな結果になります。

 近所の人たちがやってきては、
 渡部昇一の母親のところに来て、
 愚痴をこぼすようになるわけです。
 つまり悪口を言うわけです。
 人は、悪口を言わない人に愚痴をこぼしに来る。
 口の堅い人の所に愚痴を言いに来る。


 絶対に他人の悪口を言わない母親ですから口が堅い。
 だから近所の人たちにしてみれば、
 安心して他人の悪口が言えるわけです。



 これがどういう結果になるかというと、渡部家に村の情報が全部集まってくる。つまり渡部家が村の情報センターになるわけです。ちなみに渡部家は、化粧品店を経営していて主に母親が切り盛りしていましたから、これが売上に影響しないわけがありません。知的正直に生きるということは、そういうことでもあるわけです。


つづく。

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posted by マネージャー at 15:38| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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