2021年04月21日

渡部昇一物語【2】 マーフィーの法則

 そんな訳ですから、渡部教授は母親を崇拝していました。マザコンなんて言う生易しいものではなくて崇拝です。そういう人に嫁さんなんか来るわけがありません。大学の先生であったにもかかわらず、お見合いで断られまくったようです。後に結婚することになった奥さんとお見合いしたときには
「お見合いをしたのが三十回目だ。断った女性はみんな見る目がない」
と言い、奥さんにする女性のチェック項目表みたいなものを持っていて、英語ができる人とか何かいろいろな条件が書いてあったと言います。

 もちろん、のちに奥さんになった迪子さんはドン引きします。その項目に、すべて当てはまらなかったからです。なので、このお見合い話は破談したなと安心して、スキーをしに遊びに行きました。その結果、雪焼けしてゴーグルをしていたところだけ真っ白になっていたので、メガネ猿みたいな顔になっていたそうです。そんな時に、母親から「すぐ帰れ」という電報がスキー場に届きました。何のことだろうと帰ってみると、留守中にアポなしで渡部昇一がバラの花束を持ってやってきて、プロポーズしに行って留守だったらしい。

 それからイヤイヤながらスキー焼けのメガネ猿顔で何度かデートをしたらしいのですが、奥さんは「どうせチェック表に全て当てはまってないのでだいじょぶ」と安心していたそうです。しかし、渡部昇一は、その紙に書いてない最も重要なチェック表を隠していたんです。それは
「自分に正直であること」
「知的正直であること」
です。デート中に難しい話をしても、奥さんは、分からないことを分からないとはっきり言ったそうです。それが渡部昇一が一番気に入ったところだと私は推測しています。

 また奥さんは、できないこともできないと言う人でした。渡部昇一は、母親を崇拝していましたから、自分の母親のことを奥さんによく話したそうです。すると奥さんは必ず
「私には出来ない」
と言い切ったそうです。そういうところも奥さんに対して惚れたところだったようです。彼は「自分に正直であること」を一番の美徳に思っていたし、逆に言うといちばん嫌ったのが偽善だったと言います。その偽善嫌いが、後に、大勢の人たちを敵にまわしますが、それは別の機会にふれます。

 ところで奥さんになる迪子さんの方にもチェック表がありました。迪子さんは、小澤征爾さんと同級生で、桐朋学園大学のピアノ科の出身です。その彼女の隠していたチェック表とは、音楽に関して知ったかぶりをする奴とは結婚しないという事でした。

 知ったかぶりで音楽を話す人間が一番嫌いだったようです。
 逆に言うとその他の事は関心が無かったみたいです。

 ずいぶん低いハードルですが、考えようによったら高いハードルかもしれません。人間は相手に合わせて背伸びをするものです。ましてや好きな人がいたら、背伸びして相手に合わせるのが普通です。ましてや相手が音楽家なら、音楽の話の一つや二つは一夜漬けで勉強してウンチクを述べるのが一般的ではないでしょうか? しかし、自分に正直に生きる渡部昇一は、その一般的に常識をもとうとしなかった。

 迪子さんは、渡部昇一とデートをしている時に、音楽について尋ねてみると
「音楽は分からない」
と言いました。クラシックを聴いてもガチャガチャにしか聞こえないと正直に言いました。母親を崇拝していた彼には、母親のように生きるのを目標にしていたので、自分に嘘をつけなかったようです。

 普通なら音楽家とデートしているのですから、相手に合わせて聞きかじったことを言ってもよさそうなんですが、なにしろ知的バカ正直に生きる人です。わからないものは、はっきりとわからないと言い切ってしまった。

 逆に言うと、それが迪子さんの印象を良くしたようです。要するに二人とも、自分に正直であることを心がけている似た者どうしだった。


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 そして二人は、昭和三十五に結婚。昭和三十六年に、第一子が生まれます。ちなみに私も昭和三十六年生まれです。昭和三十六年生まれの人間が、小学校に入った頃に読む最初の漫画が『ドラえもん』です。ドラえもんは、私が小学校に入った昭和四十四年から、小学館の『小学一年生』から連載開始した漫画です。当時の小学生は、誰も彼もが小学館の学年誌である『小学一年生』を読んでいましたから、私はドラえもんとともに大きくなりました。私と同い年である渡部昇一の娘さんも同様です。

 それはともかく、渡部昇一は、娘さんが読んでいたドラえもんの魅力にはまってしまいます。当時ドラえもんは、のび太くんの代わりになんでもやってくれるので教育上よろしくないと、教育評論家から悪書扱いにされていました。それを奥さんがご主人に訴えると、渡部昇一は「ムシのいいことを考える事は、すごくいいことだ」と反論しました。ムシのいいことを考える人の方が絶対に良いことが起きるという信念があったからです。

 これは、尊敬する母親が早死にしたにらもかかわらず、かなりの放蕩者の父親が、長生きしたことからきているかもしれません。二人の差は、ムシが良いかどうかです。どんなに立派な人でもマイナスに考える人だと、寿命が短かかったりする。これは、どういうわけだろう?と思ったわけです。それを不思議に思ってた教授は、渡米中に「マーフィーの法則」という本に出会い、これだ!と感動します。そして、その法則を実践してみると何度も自分の願望が叶ってしまう。

 ムシのいいことをイメージして、
 自分の潜在意識を利用して夢を実現しています。

 これがものすごく効果があったみたいで、
 こんな良いものを紹介しない手はないと考えて、
 日本で初めて「マーフィーの法則」を大島淳一という名前で翻訳しました。
 ドラえもんの連載が始まる一年前のことです。


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 渡部昇一は、マーフィーの法則を使って、超大金持ちになっています。一冊百万円もする本をはじめとして、十万冊も買い集め、五億円の図書館まで自宅に作っているからたいしたものです。大学時代は、超貧乏学生でしたが、寅さんみたいにテキ屋をやって、学生のくせに実家に仕送りまでしました。

 これも無意識にマーフィーの法則を使ってやったことです。

 実はこの本も、私はかなり若い頃から読んでいます。小学生にも読める文章で書かれてあるからです。そこには「人間には潜在意識と言うものがあって、それを利用するとドラえもんのようなムシの良い願いが叶う」と書いてありました。

 私も、この理論を使って多くの若者たちを山に連れて行き、高所恐怖症の子を日本で最も難しいと言われている奥穂高から西穂高へ連れて行ったりしています。三歳になる息子に漢字を覚えさせ、八ヶ岳に登らせたり、四歳になった息子を槍ヶ岳に連れて行ったのもマーフィーの法則の応用です。その方法は、ごくシンプルなもので、潜在意識に対して暗示をかけるだけ。ただし、使い方を間違えると大変なことになります。
「君は、・・・ができる」
と潜在意識に話しかけると、潜在意識は「できない」と反応してしまうからです。だから「できつつある」と話しかけるわけです。


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 例えば、 三十メートルの岩場があったとします。この岩場を君は登れると、無理に暗示をかけると、潜在意識は「できない」と答えます。しかし三十メートルのうちの最初の一メートルなら登れると暗示をかけると、潜在意識は「登れる」と答えます。そして一メートル登った後に、もう一メートルも登れるかもしれないと暗示をかけます。すると思う一メートルも登れるのです。そしてだんだんムシのいいことを潜在意識に働きかけるます。つまり、 二メートル登れたんだから三メートルも登れるんじゃないかという感じです。

 これを使うと、驚くほどの効果があります。なので私もドラえもんをはじめとするムシのいい話が書いてある漫画をよく読みました。効果は抜群でした。なので息子にも、ムシのいいことが書いてある絵本を読み聞かせています。これも効果がでてきています。息子は本好きになり、毎日学校から帰ると本を読んでいます。我が家には、そういった本がすでに何百冊もあります。今後も増える一方でしょう。


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(ただし、あくまでも専門的な人間が、そばでサポートした場合にかぎります。一般の方は真似しないでください。私は40年以上の登山ガイド経験があり、多くの初心者をガイドした経験があるのでできています。うちの息子にしても、2歳の時から登山をはじめていますし、毎日小浅間山に連れて行ったので、3歳になる頃には一人で黒斑山に登れました。そういう素地があって、はじめて3歳で八ヶ岳・4歳で槍ヶ岳に自分の力だけで登れるようになっただけで、誰でも簡単に出来るというわけではありません。そのへんを誤解されると大事故につながりますので注意してください)


つづく。

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posted by マネージャー at 01:25| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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