2021年06月16日

昔、峰の茶屋は山小屋で、そのそばの浅間山は山スキーのメッカだった

 先週の日曜日に、御利用ガイドにつかう画像撮影のために久しぶりに軽井沢へ出かけ、レストランなどの調査にでかけ、軽井沢のレストランを調べていたら、多くの名店が無くなっていたのに驚きました。例えば芦屋亭・清水・山水・福幸といった店が無くなっていました。おまけに旧軽井沢がシャッター街になりつつあった。稼ぎ時の日曜日だというのにシャッターが閉まっている店が、かなりの数があったのです。もちろん有料駐車場もガラガラ。おまけに貸店舗・借家の看板が目立っていました。嬬恋村や北軽井沢だも厳しいものですが、それでも軽井沢に比べたらマシなのかもしれません。

 それなのに巨大資本が入ってきている。旧軽井沢のショーハウスあたりに、どう考えても景観にマッチしてない建物が、じゃんじゃん入ってきている。そして、旧軽井沢の風景が、少しずつ変化して行っている。それに対して北軽井沢も嬬恋村も、変化がゆっくりしてますね。太陽光パネルは別として、へんな巨大資本ははいってこない。

 まあ、そんなことは、どうでもいいとして、今日も峰の茶屋から小浅間山に登ってきました。峰の茶屋は、今でこそレストランですが、昔は山小屋でした。昔は峰の茶屋に一泊して浅間山に登ったと言います。それどころか嶺の茶屋から浅間山方面は、山スキーのメッカでした。小浅間山ではなく、浅間山でスキーを滑っていたのです。

 ちなみに令和天皇が5歳の頃に小浅間山に平成天皇と一緒に登っています。その体験が、よほど楽しかったのか嬉しかったのか、6歳では浅間山に登っています。そして登山好きになって全国の山を登山するようになりました。で、そのつど登山道が整備されていった。私のような登山好きな者にとっては、たいへん助かっています。令和天皇のおかげで全国の登山道が立派になっていったわけですから。もちろん小浅間山の登山道も、他の登山道よりも立派になっています。

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 息子が生まれたとき、
「浩宮様が5歳なら、うちの息子は1歳だ!」
と思って、私は1歳の息子を背負って、毎日のように小浅間山にのぼりました。でも息子が自力で登れるようになったのは、2歳6ヶ月くらいにならないとダメでしたね。

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 あと関係ないですが、昭和天皇は凄い人です。昭和21年の秋というか冬に、お忍びで雪の浅間山に登っています。終戦直後の混乱期ですから、浩宮様のときのように登山道を整備してません。ほぼ藪道を、猛スピードで上っています。ゴアテックスも、ダウンジャケットも、ろくな登山靴も無かった時代にです。その時に開拓民に出会って、親しげに会話したらしく、それがきっかけになって、それ以降に行われた巡幸の行事で、庶民と積極的に接するようになったようです。

 そして昭和24年に皇太子(平成天皇)が、軽井沢にやってきます。家庭教師のエリザベス・ヴァイニング女史の別荘があったからです。そこで生まれて初めて、侍従から自由になった皇太子(平成天皇)は、大喜びだったらしく、軽井沢は皇太子(平成天皇)にとっての青春の一ページになり、それ以降、皇室は、軽井沢好きになってしまったようです。




つづく。

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posted by マネージャー at 23:37| Comment(0) | 総合観光案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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