これは鎌原観音堂のある鎌原にしても同じなのですが、少し違っているのは、鎌原には泥流はきてない。発掘をした松島先生によると鎌原には乾いた土石雪崩がおしよせているそうで、そこが泥流ミュージアムの調査結果と違っている。これには松島先生も不思議におもっていたらしく、どの古文書にも「あちこちから水や湯が流れてきた」とあるのに鎌原を発掘する限り、そういう跡はみえなかったとおっしゃっていました。そのせいか、発掘物に鎌原と八ッ場に多少の違いがあります。
その違いのことはおいといて、まず共通点から。
当時の農民たちは、いがいに裕福だった。
その証拠が、続々とでてきている。
下の画像のように白磁なんかが大量にでてきている。
もちろん鎌原でも、これを上回る高級品がでてきてます。ビードロ鏡・伊万里焼など、八ッ場よりも豪華な出土品がでている。しかも発掘場所は、鎌原でも場末の場所であるにもかかわらず、かなり裕福で無いと所持できなかったビードロ鏡が出てきたことは、当時としては衝撃だったと言います。八ッ場は、そこまでいかないにしても、やはり裕福であったことにはまちがいない。
ただ、八ッ場が鎌原と違うところは、生活そのものがタイムカプセルとして保存されてきたところ。下の写真は、梅干しと、梅干しをつけた樽が発掘されたもの。この発掘によって当時の梅干しの製造過程と成分が解明されている。
通常であれば地中に埋まった有機物は分解されてしまいます。ふつう有機物は腐って残りません。ところが、この梅干しが残る桶が見つかった遺跡は湧き水が豊富な場所に位置しており、そのうえ厚い泥流が積もっていたので、200年以上たった今でも奇跡的に残っていました。
次の画像は茶釜。茶葉が入っている茶釜も八ッ場の奇跡です。
この発掘によって、当時の人たちは、お茶を袋に入れて沸かしていたということが、わかった。
次の画像は、鉄鍋。この鉄鍋は大きく割れており、それを銅にスズを混ぜた合金で溶接してありました。
これは割れた陶器をウルシで接着してありました。
当時の人たちは、鉄鍋でも陶器でも丁寧に修復して使っていました。
こういうことが発掘によってわかっています。
そして途中まで燃えていた香炉まで発掘されています。
あと火がついたまま埋まってしまったキセルも発掘されています。
人々が、あわてて逃げた様子が、やんば天明泥流ミュージアムの展示物でよくわかります。
ある屋敷では、多くの下駄が発掘されています。下駄には屋号が書いてあって、それぞれ違う屋号だったので、なんらかの集会が開かれている時に泥流が襲ってきたので、裸足で逃げた結果、下駄だけが埋まってしまったということが推測されます。下駄では逃げ切れないとおもったからこその裸足だったのでしょう。
つづく。
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