2021年07月31日

風立ちぬ(堀辰雄)の聖地

 堀辰雄文学記念館は、軽井沢ではなく、信濃追分にあります。どうして信濃追分にあるかというと、そこで文学活動をしたからで、追分の油屋で缶詰になって執筆活動をし、最終的に信濃追分に住んだからです。これを疑問に思っていいる御客さんから質問がありました。

「どうして軽井沢でなかったのでしょうか?」
「・・・」
「親子のようなつきあいをしていた室生犀星は、軽井沢で文学活動をしてたのに」
「・・・」
「堀辰雄だって、最初は軽井沢で活動してましたよね」
「・・・」
「そもそも堀辰雄の作品じたいが、軽井沢を舞台としていますよね」

 堀辰雄と室生犀星は、実の親子のように深い親交がありました。きっかけは、大正12年。当時18歳だった堀辰雄に、中学時代の校長先生から室生犀星を紹介されたことから始まります。このとき室生犀星は34歳でした。室生犀星は、前の年に息子を失くしたこともあり、堀辰雄に父親のように接しました。堀辰雄は室生犀星とともに軽井沢を訪れます。そして室生犀星から芥川龍之介を紹介されます。そして翌年の夏には室生犀星と芥川龍之介のいる軽井沢を訪れ、みんなでドライブなどして楽しい時間を過ごしています。芥川龍之介は堀辰雄を弟のように可愛がりました。

 そして昭和2年に堀辰雄は『ルウベンスの偽画』を発表。2年前の夏に3か月間軽井沢に滞在した体験をもとに小説にしています。ヒロインはそのとき一緒に過ごしていた芥川龍之介の恋人の娘・片山総子がモデルです。しかし、その直後に兄のように慕っていた芥川龍之介が自殺。堀辰雄はショックを受けました。その体験をもとに翌年、『聖家族』を出版します。これが小説家・堀辰雄の出世作となりますが、あまりにもリアルだったので、登場人物のモデルであり、芥川の恋人であった片山廣子とその娘・総子から罵倒され、
「堀辰雄との噂のせいで縁談がことごとくダメになる」
「堀はひどい人間だ」
と訴え、文芸春秋社に押しかけたり、母・廣子も
「ゴシップを言いふらさないでほしい」
と文学関係者のもとをまわったりしています。堀辰雄は沈黙を守って耐えましたが、体を壊し、それから以降は、軽井沢へ療養に訪れるようになりました。



 そして昭和8年の6月から9月にかけて、堀辰雄は軽井沢の「つるや旅館」に滞在。そのときに『風立ちぬ』のヒロイン・節子のモデルとなった矢野綾子と出会います。矢野綾子は、結核の療養のために軽井沢に滞在していましたが、なかなか回復しませんでした。堀辰雄と矢野綾子は、一緒にサナトリウム入所しますが、綾子は回復せず24歳の若さで亡くなります。

 その後、堀辰雄は「風立ちぬ」を書き始めます。信濃追分の「旅館・油屋」で作品を書き上げます。どうして信濃追分の「旅館・油屋」だったのか? どうして軽井沢の「旅館・つるや」でなかったのか?

 確かに、このへんのことは、地元民しか知り得ないかもしれませんね。それも地元の宿屋しか、分かりえないかもしれない。ようするに軽井沢の「旅館・つるや」から追い出されたんです。昔の由緒ある旅館は、文人を何ヶ月も泊めて、宿代を催促しなかった。宣伝代わりに何か文章を書いてもらって、その原稿料がはいるまで催促しなかった。だから堀辰雄は、初期の頃は、軽井沢や旅館つるやを舞台とした小説を書いていた。

 でも軽井沢と言うところは、夏になるとガンガン御客さんの予約が入る。最初は、いい部屋に泊まっていた堀辰雄も、だんだん悪い部屋荷なり、大部屋にうつされ、そこも追い出されて布団部屋に。だけど、最後には布団部屋さえも追い出される。



 上のYouTube動画でわかるとおり「軽井沢旅館・つるや」では、さかんに堀辰雄で宣伝しているけれど、当時の「つるや」は、それほど堀辰雄にやさしくなかった。堀辰雄は、旅館を追い出されてしまうのである。

 で、夏でも満室にならない信濃追分の旅館・油屋にやってきた。そして、堀辰雄は、信濃追分を舞台に執筆する。「風立ちぬ」も信濃追分が舞台じゃ無いけれど、信濃追分の旅館・油屋で執筆している。

 信濃追分の旅館・油屋の御主人は、商売根性まるだしの軽井沢の旅館と違って、江戸時代の素封家の気質が残っていたから、宿代を催促しない。なので堀辰雄は、宿代を払うためにヒーヒー言いながら文章を書かない。自分の書きたいものしか書かない。そういう背景のもとに「風立ちぬ」は完成したわけです。

 ちなみに信濃追分の旅館・油屋で、加藤多恵と出会ってます。「風立ちぬ」のヒロインである矢野綾子は亡くなる前に、自分の父に「辰っちゃんは本当にいい人だから、どうか奥さんを見つけてあげてね」と言い残してました。その遺言どおり矢野綾子の父は堀辰雄と加藤多恵の仲をとりもったわけです。そして、堀辰雄と加藤多恵は、室生犀星夫妻の媒酌によって結婚式を挙げました。

 第二次世界大戦の最中である1944年、堀夫妻も疎開の必要を感じて信濃追分に家を見つけたのですが、引っ越しの準備をしているときに辰雄は血を吐いてしまい、1953年5月28日、堀辰雄は信濃追分の自宅で亡くなりました。6月3日には東京・増上寺で告別式が執り行われ、川端康成が葬儀委員長を務めました。また、妻の多恵は「堀多恵子」という筆名で辰雄に関する随筆を多く残しています。





 ジブリの宮崎アニメの『風立ちぬ』は、堀辰雄の『風立ちぬ』のオマージュです。ここでもやってしまってるのか宮崎アニメよという感じです。堀辰雄は、19歳で結核患者になっています。結核は、当時は死の病気。だから『風立ちぬ』の体験が入っています。女子を泣かす文学の先輩としては、室生犀星もこれにあたりますが、室生犀星の場合は、不幸な生い立ちにおけるリアルさがありますけれど、堀辰雄の文学は、少々ロマンチックというか、ライトノベルや携帯小説ぽいところがあります。両方ともライトノベルぽいので、似ていると言えば似てるのですが、微妙に違っています。両者を比較して読んでみると面白いですね。もちろん読みやすいのは、堀辰雄ですけれど、室生犀星もかなり読みやすい。

 ちなみに『風立ちぬ』は、主人公のヒロインが結核で死ぬ話なのですが、昔は結核になると、死を宣告されるような重い病気でした。しかし、軽井沢に療養に来ると、不思議と結核が治るケースが多かったのです。そのために全国の結核患者が、次々と軽井沢にやってきました。そして色々なドラマが生まれたりしたのですが、それを小説にしたのが堀辰雄です。

 今では、どうして軽井沢に来ると病気が治るのかが、医学的に証明されつつあります。森の中に三日間滞在すると、体内のnk細胞が増加して、体の免疫機能が増えるのです。そのために、人によっては、自分の持ってる免疫力で病気を退治したりしました。おまけに軽井沢には、カラマツという針葉樹林がたくさんあります。針葉樹林は、広葉樹林よりも免疫力を増すと言われているらしい。


つづく。

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