そこでシルマンは、郊外に出て、子供たちと一緒に遊び、歌をうたい、あるいは郊外の散歩につれだし、ある時は、ドイツ語の授業、ある時は算数の授業を行いました。自然物の全てが教材であり、全てが教科書であり、全てが教室でした。こうやってシルマンは、窮屈な教室から野外へ子供たちをつれだしました。教室では得られない自然の歴史、地理を学びました。これをシルマンは、『移動学校(ワンデルンデ・シュール)』と呼びました。そして、この移動学校から、ユースホステル運動が誕生するのです。
1901年。シルマン、27歳。彼は、ルール地方の中心地ゲルゼンキルヒュンで教職につきました。シルマンは、公害の巣窟である都市にすむ子供たちに、ワンデルンデ・シュールを実行したいと願ったのです。そして、町からほんの2〜3キロ離れたウェストファリアンの丘まで子供たちを遠足につれていきました。幼ない子供たちの瞳は輝き、
「わあッ、魚だ」
「ほんと、生きた魚だよ!」
と単なる魚に感動しました。ルールの子供たちたちは、これまで生きた魚を見る機会さえ、めったになかったのです。これが明治36年のドイツのルール工業地帯の現状でした。
(アルテナ城)
1903年。シルマンは、アルテナの学校に転勤しました。アルテナは、樹木の豊かな清々しい町でした。しかし、このような緑に恵まれた環境に住みながら、町から一歩も踏み出したことのない子供が多かったことには驚かされました。どんなに緑の豊かな地方においても、産業革命と近代化の進んだドイツでは、子供たちが自然のフィールドで遊ぶということは起こりにくかったようです。
それは、今日の日本でも同じかもしれません。田舎に住んでいる日本の子供たちでも、自然のなかで遊ぶ子供たちは少なく、むしろ家から一歩も出ないでパソコンゲームばかりしている子供たちが多かったりします。つまり、当時のドイツも、現在の日本も同じようなものであるのかもしれません。
シルマンは、ドイツの田舎町で、ワンデルンデ・シュールを実施することにしました。
「こんもり繁ったぶな林で歌をうたう方が、教室に閉じこもったままの勉強より二倍もすばらしい。地理や自然の歴史の勉強は、こんなふうに田園地方を探索することで十分だった。それにまた、子供たちのよろこびようは大へんなものでした」
(シルマン談)
こうしてシルマンの移動学校(ワンデルンデ・シュール)は開始されましたが、一つ問題がありました。当時は、適当な宿泊施設が無かったのです。そのためシルマンは、宿泊所の確保に四苦八苦しました。あちこちに無料の宿泊施設の提供を求めて手紙を書きました。
「納屋でかまいませんから子供たちに貸してくれませんか?」
1909年の夏、シルマンは、アルテナを始点にライン川沿いにアーヘンの丘陵地帯を抜ける8泊徒歩旅行を計画しました。
第一日目、一行は納屋に泊りました。そこは、とても快適で、農家の主人の親切な心くばりで毛布までも用意され、プラムに新鮮なミルクまで出されたのでした。
第二日目。8月26日。一行は、風雨の激しい最中、ブレール・バリィにたどりつきまとた。そしてシルマンは、農家に納屋を利用させてくれるよう頼みましたが、その家の主人は、協力をことわりました。それでもどうにかこうにか、ワラを少しだけもらえないかとたのみ、わずかばかりのワラを携えながら、シルマンと子供たちは、村の学校をたずね、ようやく先生の奥さんの許可を得て、そこに泊ることができました。
嵐は、一晩中続きました。雷鳴、稲光、強風、豪雨、雲とそれはさながらこの世の最後を思わせるほどでした。もし、村の学校の奥さんに断られていたら、シルマンと子供たちはどうなっていたでしょうか? まさにシルマンの旅は『冒険』そのものでした。
「こんな事は繰り返されてはならない」
子供たちが眠っている間、シルマンの脳裏に稲妻が走りました。
そして天空にも稲妻が走っていました。
「そうだ、ドイツ国中の学校が、休暇中、宿舎(ホステル)として提供されれば、こんな危険な目にあわなくてすむ。学校を利用すれば、子供たちのために、安全で簡素で格安な『ユース・ホステル』を作れる! そうだ、ユースホステルを作ろう! ドイツ中の学校に呼びかけて、全国にユースホステルを作るんだ!」
1909年。アーヘンへの旅行第二日目の8月26日の夜。ブレール・バリィで宿泊所の欠乏に気付いたその日こそ、ユース・ホステル運動が誕生したのです。8月26日は、そんなシルマンを忍ぶ、シルマンデー(ユースホステルの日)として、ユースホステルの創始者リヒァルト・シルマンを
記念する日となっています。
つづく。
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