で、 それらの歴史漫画は、私が子供の頃に読んだものとは全く違っています。では綺麗だし、全ページがカラーページだし、時代考証も正確そのものです。子供の読む本だからといって、 子供向けに作ってあるわけではありません。難しい漢字も大量に使われています。 しかも、そういう歴史漫画が、何百冊も軽井沢の図書館にあるのです。 いくら読んでも読みきれない位の歴史漫画が軽井沢の図書館にある。その他には、科学漫画もあります。社会科漫画もあります。 これほど漫画が置いてある図書館も珍しいかもしれません。
北軽井沢に引っ越してくる前には、埼玉県の春日部市に住んでいたんですが、春日部市立図書館には、 ほとんどマンガ本は置いてありませんでした。それ以前は、東京豊島区池袋に住んでいたんですが、 その図書館にも、 漫画はありませんでした。今はどうか分かりませんが、私が住んでいた30年前には一冊もなかった気がします。
ある日うちの嫁さんが、「どうして軽井沢の図書館には大量のマンガが置いてあるんだろう?」 と聞いてきましたので、「軽井沢町は、画家の田部井健次に救われた経緯があるので、(漫画を含めた)画の書籍に対して偏見が少ないのかもしれないね」と答えました。実は終戦直後にアメリカ軍が浅間山に米軍基地を作ろうとしたことがあり、それをやり込めたのが、千ヶ滝西区の別荘地に住む田部井健次(画家)さんで、彼の弁説によって、高圧的な米軍が、尻尾をまいて逃げたわけで、その当時の記録を読むと、胸がスカッとします。
当時日本には六百以上の米軍基地があり、各地で反対運動が展開されていましたが、成功した所はほとんどなく、その原因が日米安全保障条約の行政協定にあると田部井氏は見抜いてた。つまり当時は、米軍が日本の何処にでも「基地を作りたい」と言えば、「日本政府はそれに協力しなければならない」(行政協定第二条・第三条)と決められていた。これを解消して条約を結び治したのが岸総理(60年安保)で、それ以降は米軍も高慢な態度をとれなくなったのだが、それについては、おいといて、圧倒的な米軍&米国に対して、戦って勝てたのは、田部井健次の鋭い弁舌と、戦略眼にあった気がします。これについては、機会があったら、このブログで述べたいと思います。
話を戻します。
歴史の漫画についてです。
私が子供の頃に愛読した学研の「マンガ日本史全20巻」あたりと違って、今の歴史漫画は、相当レベルが高い内容になっていて、画力も凄いし、カラーだし、ガンダムの挿絵を描いてる人が、戦国武将の漫画を書いてたりするので、絵のレベルがケタ違いに素晴らしい。考証にいたっては大河ドラマなんかよりも数段レベルが高くなっているうえに、小学生におもねらずに、難しい漢字を次々と使っている。
イケメンの武将達が続々と現れては戦ったりするので、うちの嫁さんはそれが気に入っているらしい。 こういう本が複数の作家によって発表されているわけなので、いろんな作家の日本史漫画を読むことによって、知らない間に知識がどんどん頭の中に入っていきますから、歴女と言われている人たちが、つまり歴史マニアたちがどんどん生まれていく背景が分かるというものです。
つづく。
↓ブログ更新を読みたい方は投票を
人気blogランキング
【関連する記事】
- 息子が九歳になった
- スマホ(インターネット)という罠
- 豆のない節分
- 大学に行くために預金にはげむ息子
- 子供がサンタクロースに手紙を書かなくなってしまった
- 息子の実験
- おそるべきEテレ
- 息子の投資が危険信号
- 確実にオタク予備軍になっていく息子
- 教育スタイルが御客さんバレた瞬間
- サッカーボールを2回もパンクさせてしまった
- 息子は、嬬恋村ふれあい教室で、オニヤンマ作り
- 「自由研究」と「工作」
- 息子がオリンピックに熱中
- 息子からもらった誕生プレゼント
- 授業参観は、ことばの教室!
- 安物の文具を使ってはダメだったんだなあ
- 1週間の引きこもり生活を終えた息子
- 宿題のない春休みは、子供の天国
- 息子が作った自動販売機