「クマは警戒心が強くて臆病だ」
という。それは本当だと思う。もちろん根拠がある。
私は何度もヒグマやツキノワグマと出会い頭にあっていますが、ほとんどの場合向こうの方から逃げていきました。で、逃げる時には天地が揺れます。地震のように大地が揺れる。しかしその逃げて行くクマが藪の中に入った途端に、大地が揺れなくなる。つまり動かずにずっとこちらを伺っている。すぐそばにいるのだ。姿を消したらピクリとも動かない。
距離からすれば20Mから30Mぐらいだと思う。すごい至近距離にいるわけだがピクリとも動かない。動かずにこちらをじーっと伺っているわけだが、藪の中に隠れているために、こちらからはその姿が見えない。仕方がないので、ゆっくりとその場から離れるわけだが、やはりやぶは動かない。クマは息を殺してじっとしている。非常に用心深いのだ。
こういうケースは、知床山脈の稜線上とか、普段人間が現れないところで起きるケースが大半である。漁師の番屋がある海岸沿いでは、ヒグマたちも、それほど用心深くはない。漁師たちが作業していても、車が走っていても、われ関せずで、四六時中、草ばかり食べている。しかし、そういう光景は1990年以降の話であって、それ以前では、知床半島の海岸にヒグマが出ることはなかった。海岸にヒグマが出るようになったのは1990年頃からである。
理由は単純明快で、ウトロにいた二人のハンター(密猟者)が、いなくなったからだ。一人は不慮の事故で死んでしまったし、もう一人は、引退して東京の方に去ってしまった。そのためにヒグマが海岸に出るようになったのである。ハンター達は、船で海岸に上陸しクマを仕留める。だからヒグマたちは絶対に海岸に出てこなかった。知能の高いヒグマは、人間をよく観察します。観察しまくって、何が安全であるか、何が安全でないかを見極める能力を持っている。人間が考えるより、彼らは非常に知能が高い。
私は仲間四人と、クマがエサを食べている草原にテントを張ろうとした。すると漁師たちは「その場所は危ないから、この車庫にテントを張りなさい」と親切にしてくれた。そして私たちの山行計画を聞いてきた。私は
「テッパンベツ川から知床岳に登り、そこから知床岬に縦走する予定です」
と答えました。すると漁師たちは
「テッパンベツ川にクマはいないから大丈夫だ」
と答えました。これは本当でした。彼らは無知を装いますが、実はいろんなことを知っています。彼らにヒグマの事を聞いても
「さあねえ」
「俺には分からねえなあ」
と惚けますが、そんなことありません。実にいろんなことを知っている。その逆が町の人達で、出発前にいろんなアドバイスをしてくれましたが、それらの情報には嘘も多かったし、いい加減なものがいっぱいあった。ところが漁師たちの
「テッパンベツ川にクマはいないから大丈夫だ」
は本当だった。
本当にヒグマはいなかった。
なぜそれが分かるかと言うと糞がないからである。
知床にはあちこちにヒグマたちの糞がある。
鹿のフンもあれば、鳥の糞もある。
どこもかしこも糞だらけである。
足の踏み場もないくらいの糞の山なのだ。
動物の糞を踏まなければ、大地を歩けないくらいの糞の山。
野生動物が糞をしても、寒さゆえに分解されないで残っているだめだと思われる。だから私たちが糞の上を歩くとそこに新しい道ができた。雪のトレースのように道が出来た。そのくらい糞が多かった。その中でもヒグマの糞は独特の匂いを保つ。私たちは、ヒグマの糞を見つけるたびに匂いを嗅いだ。特に新しい糞は、湯気がでていた。そういう場合は、ヒグマの臭いがした。人間の鼻は、大自然の中に1週間もいると、非常に嗅覚が敏感になる。これは私だけの話では無くて、20人の参加者全員が、1週間で野生動物の臭いをかぎ分けられるようになった。
それはともかく、湯気がでていたヒグマの糞の話にもどる。周りはハイマツだらけなので、ヒグマの奴も私たちの通る道を通っているらしい。というか、私たちがクマ道を通っていた。その証拠が、ホカホカの糞である。おまけにハイマツの新しい実がクマに囓られていた跡まであった。そんな藪漕ぎをやっていた私たちは、テッパンベツ川に行くと、クマの形跡が無かった。クマどころか鹿さえみかけなかった。
「テッパンベツ川にクマはいないから大丈夫だ」
という漁師たちの話は、嘘では無かった。彼らは非常に正確な知識をもっていた。ただ、外部の人間に簡単には教えてくれないだけだった。これは、1990年から1994年頃の話である。今は、どうなっているのかわからない。
当時は、スマホも携帯も無かった。あっても電波が届いてない。天気予報は、ラジオの気象通報を聞いて、自分で天気図を書いて、天気を予測した。昔は気象の知識が無いと山に登れなかった。だから山ではラジオが生命線だった。おまけに40sの荷物を背負っていた。水の浄化装置・ロープ・ハーネスから軽ボートまで背負っていた。で、いったん山に入ると、無駄になるのが金(マネー)だった。一番無意味なものになってしまった。で、ヒグマのいない沢筋を登っていくと、巨大な雪渓があり、ゆくてに巨大な滝が見えてきた。そして、シマフクロウの鳴き声が聞こえてきた。
今なら雪渓のおかげで楽に登っていける。3日たったら、楽には登れないだろう。行くなら今しか無いが、シマフクロウの声が気になる。知床岳をとるか、シマフクロウ観察をとるか悩んだが、知床岳をとってしまった。今だったらシマフクロウだろうけれど、当時の私は、知床山脈縦走の方に魅力があった。
で、ロープで体を縛ってビバークして、知床岳にのぼり、夢のような湿原を下っていくと、久しぶりにクマのウンチに出会った。鹿にも出会った。当時の自然関連の書籍には、標高600メートル以上のハイマツ帯には、鹿もクマもいないと書いてあったが、普通にワンサカいた。いたどころか、私たちは彼らに見張られていた。そんな気がした。彼らの姿は見えないのだが、彼らが近づくと、強烈な臭いがするからだ。鹿にいたっては、キャンキャンと鳴いて警戒音を出していた。大きな角があるのに、どうやってハイマツの中を鹿たちは歩いて行くのだろうか? 不思議でならなかったし、そもそも鹿が鳴くことさえ、今まで聞いたことがなかったので新鮮だった。動物たちは、そんな私たちを遠巻きに警戒していたようだった。姿こそは見せないが、臭いだけはしたからだ。
つづく。
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