おまけに運動会の方は、新型コロナウイルスに対する配慮から、午前中に終了するプログラムになっていて、そのために私たは息子の競技を見れなくなってしまった。御客さんのチェックアウトは、10時なのに対して、運動会の競技は11時すぎに終わってしまうからです。つまり、夫婦で息子の競技はみられず、私だけがビデオ撮影するしかなかった。で、運動会が終わると、大急ぎで帰って御客さんを迎える準備。そして、その翌日には北アルプスに登るために出発しなければならない。大忙しである。
土曜日の運動会のおかげで月曜日は、振替休日となっている。つまり、日曜日・月曜日と連休なので、北アルプスに一泊できる。で、どこにしようかと悩んだあげく、雷鳥で有名な燕岳に登ることにし、もともと帝国ホテルグループであったスーパー山小屋である『燕山荘』に泊まることにしました。
(卵をあたためている雷鳥。燕山荘付近には、雷鳥がたくさんいる。しかし噴飯ものはダックスフンドを連れてきた登山客がいたことだ。雷鳥で有名な燕岳に猟犬連れてくるのは止めて欲しい。それをキャーキャー喜ぶ女性諸君も、よく考えて欲しい。ものすごく罪深いことだと。燕山荘も登山道入り口に『犬は禁止』と書いた方がよいと思います)
北アルプスの山小屋には、二大グループがあって、槍ヶ岳肩の小屋のグループと燕山荘グループ(燕山荘、大天荘、ヒュッテ大槍、有明荘、合戦小屋)の二つが覇を競い合っていますが、去年は槍ヶ岳肩の小屋で、酷い接客に嫌な思いをしたので、今年は最高峰レベルの山小屋と名高い『燕山荘』に泊まってみようと思ったわけです。
10月3日(日)。なんだかんだで御客様のチェックアウトが、10時をすぎてしまっていたために、北軽井沢を出発したのが10時30分。登山口に車が到着したのが13時。なんだかんだで登り始めたのが13時20分でした。
(登山口・中房温泉)
ここから燕山荘までの標準的なコースタイムは、4時間10分。コースタイムどうりに登れば、17時30分に燕山荘に到着できます。ただし、このコースは、北アルプス3大急登の一つで、すごい登坂の連続が続きます。なので、途中に多くの休憩所が作ってあり、第一ベンチから、第十ベンチまで十ヶ所の休憩のためのベンチがあり、ザックを下ろさずに休憩できます。さすが、燕山荘グループが整備しているだけのことはあり、登山道には、いろんな工夫がされていました。私自身、子供が生まれるまでは、北軽井沢の登山道をいくつか整備していたので、その苦労は痛いほどわかります。
(北アルプスで、もっとも急な登りで有名なコース。けれど、この日は、5組の小学生連れの家族と、4組の幼児連れと出会っている。息子が3歳の頃は、幼児連れの家族は皆無だっただけに、時代も変わったなあと感心する。ちなみに、ここでもベビーキャリアは見かけなかった。幼児は、しっかり自分の足で歩いている。)
(ベンチがたくさんあるので、休憩がてらに地図を確認したりできます。読図訓練の一コマです。子供に読図を教えるのには、とても良いコースだと思います)
15時55分。合戦小屋に到着。合戦小屋は、燕山荘グループが経営する小屋で、いわゆる山小屋レストランで、夏はスイカを食べさせてくれることで有名です。普通、山小屋でスイカなんか食べることはできないのですが、登山口から合戦小屋まで荷物運搬用リフトが繋がっているので、スイカが食べられるわけです。また、このリフトのおかげで、燕山荘は通年営業ができます。そして、ヘリコプターを使わずに大量のゴミ類を下界に下ろせるわけです。
そのおかげで、燕岳付近は、自然がよく保護されていて、雷鳥の天国になっています。もし、少しでもゴミで汚されていたら、それをエサにキツネ・カラスなどが、あがってきて、アッというまに雷鳥は全滅してしまいます。それを燕山荘スタッフたちは、防いできたわけです。なので、警戒心の無い雷鳥の雛たちは、燕山荘の庭先にヨチヨチと歩きながら遊びにきたりします。これは、世界的でも日本アルプスだけにしかみられないことで、非常に珍しいことで、世界中の鳥類学者たちが驚愕しています。かって雷鳥のような存在の鳥は、世界中にいっぱいあったのですが、全てヨーロッパ人が虐殺してしまったからです。つまり雷鳥の存在は、日本人の良心そのものである・・・ということらしい。
(雷鳥の雛が無警戒にやってくるところは燕山荘くらいのものでしょう。こういう別天地に猟犬をつれてくることは、本当に謹んでもらいたい。)
ところが、今から数十年前に雷鳥に危機が訪れます。原因は、この合戦小屋で出していたスイカにあります。御客さんが食べ残したスイカの皮の臭いにクマたちが合戦小屋に集まってきて、その周辺から動かなくなってしまった。すくに対策するのですが、一度スイカの味を学習してしまったクマはテコでも動かない。どんなに威嚇しても動かない。もう射殺しかないということになって、それも嫌だと思って、無い知恵を振り絞って考えだしたのが『お仕置き放獣』です。クマを捕獲してお仕置きして、二度と近寄らせないようにした。これが『お仕置き放獣』のはしりです。
で、この『お仕置き放獣』には賛否両論がある。宮崎学氏は、反対論者である。ヒグマの会なども、そういう考え方に近いかもしれない。40年前の知床岬のルシャの漁師たちは、ひたすら『追い払い』に徹していた。道路にクマがいたら車で追い払ったが、草原にいる限り無視していた。お互いテリトリーをはっきり分けていた。これができたのは、ある程度、交通インフラと機械力があったからだろう。合戦小屋と燕山荘には通用しないスタイルかもしれない。
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