2023年12月28日

母の思い出 その5

 私が三歳になった頃、母親が妊娠した。そして弟が生まれた。私は、母と別れて、父・祖母と暮らすことになった。母は、生後三ヶ月の弟を連れて、単身赴任で例の漁村に去って行ってしまった。三歳九ヶ月になった私は、厳格な父親と、口うるさい祖母と生活することになり、昼間は、子守では無く保育所の世話になることになった。環境がガラッと変わってしまったのである。

 不思議なことに父は、母と違って大げさな礼儀作法を強制せず、最低限のテーブルマナーしか要求しなかった。そのかわりに、それができなかったら殴られた。

 箸のもち方がダメだったり、食卓に肘をついてしまうと、遠慮無しに叩かれた。それが連日続いた。そのために父が動く度に条件反射でびくっとした。

 母は礼法に厳しかったが、暴力をふるったことが無かったので、この違いに戸惑った。当時の私は、なぜ父親に殴られたかよくわからず、よく分からなかったから何も理解せず、そのためにまた父に殴られた。

 父は「なぜ言うことをきかない」と怒ったが、それがどういう意味かもわからなかった。怒られる理由がわからないのだ。だから余計に怒られるという負のスパイラルに陥っていた。

 理由も分からずに、ただ父に殴られることが怖くて、毎日びくびくして生活していた。おまけに難聴であったために父親の言っていることの一割も聞き取れなかった。

 何も分からずに殴られて、何をして良いわからず、ひたすらビクビク・オドオドする毎日だった。ただ卑屈になっていった。当然のことながら最低限のテーブルマナーは身につかなかった。


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 母が、教えた難しくも大げさな礼法は、二歳くらいから覚えることができたのに、四歳の私に最低限のテーブルマナーは身につかなかったのは、皮肉である。

 教育のプロであった母と、そうでなかった父の教育力の差なのか? それとも先祖代々百姓の家系であった父と、貴族を先祖にもつ母の家系の違いなのか? あきらかに両者には、幼児に対する考え方が違っていた。教育スキルの違いがあった。

 母のしつけは、厳しかったが完璧を求めなかった。出来て無くても、行動しようとする意思があれば、褒められた。厳しくとも結果は求められてなかった。頑張ってさえいれば、それでよしという躾(しつけ)だった。

 それに対して父のしつけは、最低限を要求するものであったが、出来てなければ、容赦なく怒鳴られた殴られた。そのせいで私は、誰かが何気に手を上げると条件反射でビクッとなって頭をかかえるようになり、これが二十代後半まで抜けなかった。

 信じられないことだが、昭和三十年代に生まれ育った子供たちなら、大なり小なり、こういう躾(しつけ)を体験したように思う。ただ、私の父のやり方は、当時の常識から考えても少しばかり度が過ぎていた。しかし、それを小学校の先生に訴えても、先生からの回答は
「立派なお父さんだなあ」
と絶賛するという今から考えると、かなりトンチンカンな反応だった。度は過ぎていても当時の常識の範囲内だった。

 ところが母のように大げさな礼法の躾(しつけ)をしている家庭は、みたことがなかった。そういう意味で母の子育ては、みんなと違っていた。それゆえに私は母に反抗するようになる。
「みんなを見習いなさい」
と怒られて、みんなを見習った結果、知らず知らずのうちに母に反抗するようになっていったことは、これも皮肉な現象なのかもしれない。


 ここで多少脱線したい。

 高校時代に、とある城下町の近くの学校に進学した。そして御先祖様が武士(長岡藩士)であったという家の同級生と友人になり、その友人の家に遊びにいったことがある。

 友人の家の門塀には、戊辰戦争の時の銃弾の跡があったりした。そして、その家にお邪魔したときに、何か懐かしい感覚を感じてしまった。
 立ち振る舞いから、お茶の入れ方から、廊下の歩き方など、普通と違っていた。その時に記憶の底に隠れていた、私の幼少期のことを思い出してしまっていた。三歳の頃に母親に躾けられた大げさな挨拶のことである。


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 挨拶ひとつをとっても違っていた。まず襖をあけて、そして閉める。その後に畳に膝をついて仁義をきる。小さい頃に習った礼法そのものだった。襖を開けた瞬間に挨拶するのが一般的というか、大多数だと思うが、元士族の家では、襖を閉めてから挨拶していた。時代劇でよくみる挨拶と同じであるが、現代人は、こういう挨拶をしない。

 だから友人の家におじゃましてたら、私が昔、母親から習ったことを思い出してしまった。そして、その挨拶によって、大昔のことを思い出してしまい、条件反射のように私も昔教わった挨拶を返した。すると
「楽にしてください」
「メガネはとらなくていいですよ」
と返ってきたが、友人の御家族たちが、背筋がビシッとして正座しているのに
「ハイそうですか」
と楽に出来るわけもなく、それなりの対応をかえしていると、どういうわけか私は、その友人の御両親に気に入られて、御馳走されたうえに、お土産までもたされ
「また遊びにいらっしゃい」
と再三誘われた。

 友人も「親がおまえを気にいったらしく、また連れてこいと言ってるんだ。また遊びに来ないか」と何度か言われたが、二度と行かなかった。
 まっぴらゴメンだった。
 緊張で肩が凝るからだ。
 気にしなければ、どうってことが無いのだが、どうしても気になって億劫になってしまう。

 そういえば、こんな光景があった。その友人には、六歳くらいの弟君がいたのだが、その弟君が、なにか行儀の悪いことをしようとすると、その母君が
「あら?」
と、一言言うだけで、弟君は、もとのシャキっとした。注意するわけでもなく、殴られるわけでもないのに、六歳の子供が母親の
「あら?」
の言葉にシャキっとするなんて、当時の私には信じられなかったので、あとでこっそりと
「行儀が悪いと後で殴られるのか?」
聞いてみたが、その私の問い掛けに友人や、その弟君は、不思議そうにしていた。

 聞けば、生まれてこの方、親に怒鳴られたり殴られたことがないと信じがたいことを言う。機動戦士ガンダムのアムロじゃあるまいし、最初は信じなかった。しかし、それは本当だったことを後で知った。元士族の家庭で、親に殴られたことのあるという友人は、私の知る限りいなかった。
 郷土史家の先生に聞いてみたら、伝統ある士族の家庭では、子供を叱るこことは、あまりしない。
「じゃあ、どうやって教育するんだよ?」
と思うのだが、その謎は、未だにわかってない。どうやら世の中には、科学でわりきれないことが、いっぱいあるらしい。



つづく

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posted by マネージャー at 22:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 佐渡島 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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