私は佐渡島 出身なのでイルカは特に珍しくはない。 佐渡島から新潟市につながる航路を 佐渡汽船で何回か乗ると、時々 イルカの大群に出会うことがある。 最初は一匹で出現する。それを見た瞬間、
「あれ?気のせいかな?」
「目の錯覚かな?」
と思うのだが、そのうち二匹くらいが海面から顔を出す。すると誰かが
「イルカだ!」
と叫び出す。その頃になると、イルカたちは、大群で現れて佐渡汽船をぐるりと囲んでいたりする。
佐渡汽船の速度は速い。その速い船を追い越すようにイルカたちは泳いでいくのだ。その泳ぎ方は魚の泳ぎとは違っている。魚雷のような感じで進んでいく。そしてピタッと止まって佐渡汽船を見上げたりする。
こういう光景は、佐渡汽船では、決して珍しくは無い情景である。それを何度か体験している私にとってイルカショーは、あまり興味のもてるものではないが、群馬県民にとっては、すごく楽しいショーになるのだと思う。
しかし誤解してはいけないが、日本海のイルカたちは、イルカショーのように跳んだりはねたりしない。イルカショーのようなイルカの姿は見たことがない。私の知ってる天然イルカのイメージは、魚雷のように進む姿と、100匹以上の大群で佐渡汽船を取り囲むイルカの群れたちである。
跳ぶというならトビウオだろう。
トビウオなら本当に跳ぶ。
佐渡汽船の甲板から何度も見たが、本当に跳ぶ。
いや、飛んでいる。
10メートルといったみみっちい距離では無い。
100メートルくらい飛ぶ。
へたしたら200メートルくらい飛んでしまうかもしれない。
しかもカモメなんかよりも滅茶苦茶はやい。
そのうえ佐渡汽船の舷側のそばをスーっと追い越して飛んでいく。
ものすごい速度で飛んでいくのだ。
まあ、そんなことは、どうでもいい。佐渡島民にとって、そういう光景は少しも珍しくないので、島民たちは船の甲板にあがらない。船が出航したら100円で借りてきた毛布にくるまって睡眠をとる人が大半だ。
しかし、私が小学校に入る前。つまり昭和40年頃の佐渡汽船では、そういうワケにはいかなかった。当時はカーフェリーではなかった。コンテナ船だった。そして船そのものが小さかったために、佐渡汽船に乗る乗客たちは、船室からあふれて甲板で縮こまって乗っていた。もちろん甲板に備え付け椅子にも座れない。だから持参した
ゴザを甲板に敷いて我慢した。
船室は、船室で地獄だった。あちこちにゲロを吐くためのアルマイトの桶が置いてあって、みんなゲーゲー吐いていた。その臭いが室内に充満して、つられてゲロを吐く人たちが続出した。それを嫌う人たちは甲板にゴザを敷いて我慢するのだが、甲板でも吐く人が続出する。吐く時は海に吐いた。そのせいか船の舷側には魚たちがけっこういたし、トビウオも飛んでいた。イルカたちも見かけたが、なんの感想もわかなかったことを覚えている。
当時の佐渡汽船は小さい船(コンテナ船)が多く、よく揺れた。
当時の庶民は、二等の切符を買い、二等船室に入るのだが、これがくせもので、当時の船のディーゼルエンジンの振動が凄くて、床がマッサージ機のように揺れていた。それを避けようと船の先頭にいくと、波の衝撃に震度4くらいの地震が続く客室だった。だから、御客さんは、みんなゲーゲー吐いたのだ。そして密閉された客室に、あの香りが充満する。だったら多少の海水を浴びても甲板でよい・・・ということになる。
そんな佐渡−新潟間を、幼少の頃の私は、母に連れられて何度も往復した。新潟には、母の親戚が大勢いたからだ。だからトビウオも、イルカも、カモメも、ブリ・マグロの大群も少しも珍しくなかった。
ちなみに昭和40年代の佐渡島の北側では、船のことを『トントン』と言った。焼き玉エンジンで動く漁師船ばかりで、トントントン・・・と動いたからだ。しかし昭和40年頃の佐渡汽船ときたら全く違っていた。だから佐渡汽船の船のことを島民は、『トントン』とは言わず、佐渡汽船とよんでいた。佐渡汽船と『トントン』は別物であったのだ。
ちなみに佐渡の南では、船のことを『トントン』とは言わなかった。『たらい船』といっていた。しかし、現在の佐渡では『たらい船』を『ハンギリ』というらしい。昔から『たらい船』のことを『ハンギリ』と言っていたと観光協会が強弁しているが、これはかぎりなく怪しい。そんな話は聞いたことが無い。私は、眉唾だと思っている。
『たらい船』こそは、佐渡小木地方独特の船だと思う。あれこそは、佐渡のオリジナルだろう。で、よくYouTubeなんかに『たらい船』の動画がアップされているが、あれは観光用の姿であって、実際に使われている『たらい船』は、ちょっと違ったりする。
本物のの『たらい船』には大きな竹竿を5本くらい尻尾に付けて船を安定させてある。で、小型のエンジンがついていたりするのだ。と言っても漁をする時は、エンジンは使わない。あくまでも手こぎで移動する。自宅から漁場に移動する長距離移動の時だけ、エンジンを使うのである。で、どうして『たらい』なのかというと、岩に潜んでいるサザエ・アワビ・タコを大量に捕るには、タライこそが最適だからだ。特にタコは金になるので、昔はタコ捕りの名人がいたら、求婚が殺到したという。
最後に誤解のないように言っておくが、現在の佐渡汽船の船は、カーフェリーであるために豪華客船のように静かで揺れない。だから快適な船旅ができることだけは言っておく。
つづく
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