小学生時代を通じて 一度 息子は非常に運が良かったと思います。 まず第一に時代に恵まれたこと。それによって色々な体験ができたことです。 今回はその中の一つであるスポーツ教室について少しばかり話しておこうと思います。
うちのお客さんは90%以上が 小さなお子さん連れのお父さんお母さんです。私のブログを読まれる方も そういう方々が大半だと思いますので、 子供がスポーツ教室に通う意義というか、 スポーツ教室とは何であったかということを 私なりの視点から 解説してみたいと思います。というのも、近いうちに全国の小中学校から部活動が消えてしまうからです。
もちろん中学校の全国大会も無くなってしまう。つまり「エースをねらえ」みたいなアニメがもう作られなくなってしまう。「ウォーターボーイ」や「スイングガール」みたいな映画が作られなくなってしまうわけです。全国の小中学校から部活動が消えてしまうわけです。そうなると残るは民間がやってるスポーツクラブしか無い。では、民間のスポーツクラブ・スポーツ教室とは、いったいどういうものだろうか?ということになります。
あれは今から25年前の話です。
25年前に私は北軽井沢で宿屋を始めたわけですが、その時に不思議な現象が起きていました。 夏になると巨大なカメラバッグを持った、 どう見ても プロのカメラマンにしか見えない人たちがうちの宿に泊まりに来るのです。
最初は風景か何かを撮影しに来たのかな と思ったんですが、 どうもそうではないらしい。私もカメラ関係の仕事をしたことがあるので覚えがあるのですが、風景写真家というのは、ものすごい早朝に出かけたり、 雨が降ると一日中 部屋にじっとしていたりするんですが、彼らは規則正しい時間に出かけて 規則正しい時間に帰ってきた。 雨が降っても 台風になっても出発して、定時に帰ってくる。 何か変だなあと思っていたら、 スポーツ教室の専属カメラマンでした。
そうなんです。 スポーツ教室には専属カメラマンがいたりする。ここが小中学校の部活動と全く違うところです。 お子さんを幼稚園 または小学校に入学させると、学校側はカメラに関して非常に ナーバスになります。
うちの息子が幼稚園に入園した時、桜の花があまりにも綺麗だったのでその写真を撮っていたら、園長先生が真っ赤になって走ってきて怒鳴られたことがありました。勝手に子供たちの写真を撮るなというのです。私は桜の花を取っていたと言い返したら謝るどころか「紛らわしいことはするな」と怒鳴られて去って行きました。その時はずいぶん非常識な人たちだなぁと思ったんですが、幼稚園の先生にはそういう人たちが多少なりともいて、とにかく写真に対して神経質だったのです。
これが小学校になると、そこまで神経質ではありませんが、 やはり 似たようなところはあります。
例えば 修学旅行ではカメラの持ち込みが禁止されています。学校から供与されるカメラでしか撮影できません。撮影する場合は全員の集合写真しか許されていません。もちろんスマホの持ち込みも禁止されています。要するに 幼稚園も小学校も写真撮影に対して かなり神経質になっているということだけは知っておいて良いかと思います。
ここまで書くと 私が何を言いたいか分かりますよね。 そうです。子供たちの写真をとても重視しているスポーツ教室のことです。全てのスポーツ教室に専属カメラマンがいるわけではありませんが、 スポーツ教室に入ると子供たちが熱心に スポーツしている姿や、 遊んでいる姿の記録写真が大量に残ります。コーチが息子を撮影してラインで送ってくれたりするのです。
話は変わりますが、 うちの宿の近所にゴミを捨てに行くと、ゴミ捨て場のそばに大きなキャンプ場がありました。キャンプ場と言っても、テントの設営をする キャンプ場ではなくて、ほぼ豪華別荘に近いロッジが何軒も立ち並んでいる豪華なキャンプ場です。安っぽい キャンプ場ではありません。農園付きの豪華なキャンプ場です。なのに不思議なことに、お客さんが入ってる様子がないのです。 もちろん 夏には子供たちの団体さんがいっぱい入っていますが、 それだけです。 ファミリーも入ってなければ ライダーさんが入ってる様子もない。子供たちの団体さんしか入ってない キャンプ場が、 森の中の一等地にドカンとあるわけです。
「こんなんで儲かってるのかな?」
「どう考えても赤字だよな?」
と常々思っていたのですが、私の勘違いでした。 そのキャンプ場は、某少年スポーツクラブの子供たちの夏期合宿に使われる 施設だったのです。つまり私の宿に泊まってみた カメラマンというのは、このキャンプ場に泊まりに来る スポーツクラブの写真を撮りに来たカメラマンだったわけです。
最初は、高いお金を払って夏の合宿に専属カメラマンを雇って子供たちの写真をバシバシ取るなんて、一体どんな金持ち対象のスポーツクラブなんだろうと思ったわけですが、そうではなかった。そのスポーツクラブは金持ちの子供が対象ではなかった。
「 一体これはどういうことなんだろう?」
と当時の私は不思議がっていましたが、今なら分かります。 子供達が元気に遊んでる姿や、自然体験をしてる姿や、 飯ごうすいさんをしている姿の写真が大量に手に入るわけですから、親としては スポーツクラブ ほど ありがたいものはありません。 学校に通わせてるだけでは そういった写真は手に入らないのです。 しかも プロのカメラマンの撮る写真ですから、 その映像の素晴らしいこと 素晴らしいこと。
実はうちの宿に泊る プロのカメラマンさんにこっそり写真を見せてもらったのですが、 やはり プロが取るだけあって素晴らしい写真ばかりでした。 みんな いきいきとしてる。 しかも デジタルデータ なので、何枚でも取れちゃう。 初日に A 君の写真がちょっと足りないなぁと思ったら、2日目に A 君の写真をちょっと多めに撮ったりもできる。 b 君はなかなかな 笑わないなと思ったら B 君の笑顔なんとか見つけ出して写真に撮ったりする。繁盛しているスポーツ教室というのは、プロのカメラマンを雇って、そういうことをするわけです。だからスポーツクラブはFacebook や Instagram に子供たちの画像や動画が じゃんじゃんアップされています。 ここが商売を目的としていない幼稚園や小学校と大きく違うところです。
あと スポーツ教室に通う子供たちの 親御さんの多くが サービス業 だったりする。大金持ちの親が子供をスポーツクラブに入れているわけでは無い。むしろ逆で、貧乏ひまなしで子供にかまってやれない親御さんが、子供をスポーツクラブに入れている。
例えば 宿屋の息子だったり、スーパーやデパートに勤める人の娘だったり、親が床屋さんだったり、 飲食業だったりする。彼らは決して裕福ではないのですが、その裕福でない親御さんたちが子供たちを スポーツ教室に通わせたりする。 どうしてかというと 日曜 祝祭日に仕事を休めない。夏休みに休んで家族旅行に出かけられない人たちだからです。
「 家族でディズニーランドに行ってきた」
とか
「家族で海外旅行に行ってきた」
という体験を子供たちにしてあげられない人たちなんですね。
そういう親御さんにとっては、林間学校に連れて行ってくれたり夏の合宿に連れて行ってくれるスポーツ教室が、神様みたいに見えます。これって、サービス業をやっている人間にとっては、とてもありがたいものなのです。親の代わりに旅行に連れて行ってくれる。こんなにありがたいことは無い。それに、いくらスポーツ教室の月謝が高いと言っても、家族でディズニーランドに行くより滅茶苦茶安い。子供の成長と健康によいし、新しい友達ができる。世界が広がるのです。
(うちの息子は軽井沢スケートクラブで毎年1週間の夏期合宿をしたり、わざわざ新潟まで出かけて砂浜特訓をしたりしまた。ゴミ拾いや林業体験。長野テレビにでたり、マラソン大会、登山なんかを楽しみました。しかも中学3年生から小学1年生という幅広い子供たちとともにです)
もちろん、うちの息子もスポーツ教室に通っていました。 最初は小学校のスケート部に入ってたのですが、 途中からスポーツ教室に変えました。 変えたはいいのですが、 そのスポーツ教室は 隣県にあったので隣県の大会参加基準を満たしてなかったりしていたので、小学校の スケート部を完全にやめることはできませんでした。それについても後で語ってみようと思います。
ではスポーツ教室というのはどういう存在なのでしょうか?
うちの息子は、合計5つのスポーツ教室を体験しました。
それについて述べてみたいと思いますが、文章が長くなったので 続きは明日にします。
つづく
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