うちの息子は全くと言ってテレビを見ない。
そもそもテレビ自体が部屋にない。
息子はテレビではなくタブレットを使っている。
YouTubeばかり見ているのだ。
その結果昭和の子供と全く違う知識を身につけてしまっている。
昭和の子供なら絶対知らない知識を知っていたりする。
その逆に昭和の子供なら誰もが知っている知識が欠落していたりする。
例えば、うちの息子は小学校4年生ぐらいの時に重曹とクエン酸を使ってソーダ水を作り、それをカルピスに混ぜてカルピスソーダを作って飲んでいたりするが、昭和の子供だったら誰も思いつかなかったと思う。インターネットが発達した現代だからこそ、発想できる思い付きだと思う。小学校2年生の時は自動販売機を段ボール箱で作っていたりしたが、これだって昭和の子供なら絶対に不可能だったと思う。インターネットという武器があるからこそできた芸当である。小学3年では、10円玉に醤油をかけて還元の実験もしていたし、クリップモーターカーを造って遊んでいた。
こう考えると令和の子供たちは昭和の子供たちよりも、ずっと頭がいいのではないかと思うかもしれない。実際自分もそう思っていた。うちの息子はひょっとしたら天才などではないかと考えた時期もあったくらいだ。
しかしそんなことはない。
断じてない。
令和の子供と昭和の子供、
インプットする情報源が違っているだけであり、
昭和も令和も子供の頭脳には大差がないのである。
これは息子に歴史のテスト勉強を教えてる時に気がついてしまった。令和育ちの息子には歴史の知識が全くないのである。昭和時代の子供たちなら誰でも知っている歴史知識が全くないのだ。例えば水戸黄門を知らない。そのために5代将軍徳川綱吉のことを教えようと思ってもその前提の水戸黄門を知らなければ話にならない。
群馬県館林藩主から5代将軍になった徳川綱吉は生類憐れみの令で悪名が高い。それを諌めたのが水戸黄門であるが、大河ドラマでも時代劇でもそのシーンは物語のクライマックスとして昭和の子供なら誰でも知っている。けれどうちの息子は水戸黄門そのものを知らない。そもそもテレビを見ないのだから、水戸黄門どころか大河ドラマだって見たことがない。もちろん時代劇だって知らないし、銭形平次も、宮本武蔵も、鬼平犯科帳も、暴れん坊将軍も知らない。
時代劇を知らない子供たちが、歴史という学問に接触するとどうなるか?
これがものすごく困ることになるのだ。
歴史に詳しくなくても大河ドラマを親子で見た世代であれば、戦国時代の女性がみんなストレートなロングヘアであることは誰もが知っている。もちろん江戸時代の初期もだいたいストレートなロングヘアである。これが文化文政時代になると女性たちはみんな髪結いをする。つまりテレビ時代劇に出てくる髪型である。だから元禄時代の美人画で有名な菱川師宣の絵を答えよという問題が出れば、ストレートなロングヘアの美人画がそれであることは容易に想像がつくのだが、大河ドラマを見たことのない子供にしてみたらちんぷんかんぷんだろう。歌麿だったら髪結いの美人画。昭和の中学生なら絵を見たら一発でわかるのだが、テレビ時代劇も大河ドラマもみない息子には分からない。分かりようがないのだ。
うちの息子は、どの時代も女性は似たような髪型をしてると漠然と思っていたらしいが、昭和の子供たちにしてみたらそんなことはない。宮本武蔵のお通さんはストレートのロングヘアである。けれど捕物帳に出てくる女性は髪結いをしている。だから歌麿の絵はどれか?という問題が出たらテレビを見ていた昭和世代なら、髪結いか、ストレートなロングヘアかを見るだけですぐわかるのだ。
(江戸初期−菱川師宣の「見返り美人」・・・ロングヘア/宮本武蔵のお通さんなど)
(江戸後期−歌麿・・・髪結い/時代劇に出てくる髪型)
そもそも昭和時代の子供たちなら菱川師宣の「見返り美人」を知らない人がいるわけがない。昭和の子供たちの大半は切手を集めていたから、誰もが日本切手の最高峰である菱川師宣の「見返り美人」に憧れていたからだ。
考えてみたら平成時代になって誰一人として切手を集める人はいなくなってしまった。昭和の子供たちなら誰もが通った切手集めの趣味は、インターネットによって滅びてしまっているのだ。だから菱川師宣の「見返り美人」を知っている子供は令和時代には存在しない。もちろん尾形光琳を知ってる人もいないだろう。
令和の子供たちは尾形光琳という名前を歴史の授業で初めて知ってたまげるかもしれないが、昭和の子供たちにとってはなじみのある人であった。この人の描いた絵は、郵政省が発行した国宝シリーズなどの切手で何度も取り上げられている。おまけにこの国宝シリーズは高価格帯で取り引きされていた。大阪万博の記念切手も尾形光琳だったし、花シリーズ切手にも尾形光琳があった。今は滅びてしまった昭和時代の切手マニアにとっては尾形光琳はいわゆる「神的」な存在だったのだ。だから歴史の授業や美術の授業で尾形光琳や菱川師宣の絵が出てくるとみんなワクテカしたものだった。
昭和時代の中学生にとっては、アニメはまだ小学生とか幼児たちが見るものだったし、かと言って気軽に音楽が聞ける環境にもなかった。パソコンもなかったしインターネットもなかったので、理系の人間はラジオを自分たちで作っていたりしたし、世界中の短波放送を聞いてベリカードを集めていたりした。
文系の人間は切手を収集してそれを眺めてはその切手の背景を調べていたりした。切手なら安いので当時の中学生のお小遣いで買えたし、値上がりも期待できた。そうでなければテレビを見ていた。親と一緒に時代劇や大河ドラマを見ていたのだ。
昭和時代の中学生で宮本武蔵や、水戸黄門を知らない人などいないと断言できる。しかしうちの息子は知らない。水戸黄門どころか、大岡越前も知らなければ、マツケンサンバの暴れん坊将軍も知らない。鬼平犯科帳の長谷川平蔵も知らない。遠山の金さんも知らない。
これがどういうことに影響するかというと、水戸黄門を知らなければ、5代将軍徳川綱吉の時代を理解することが非常に難しくなってくる。大岡越前を知らなければ、6代将軍徳川吉宗が、どうして裁判の慣例体系を編纂することを命じたかも分かりにくいかもしれない。時代劇の大岡越前のクライマックスである天一坊事件を知ってるかどうかで6代将軍徳川吉宗の享保の改革に対する理解度が大きく違ってくるのは間違いない。
マツケンサンバで有名な「暴れん坊将軍」だってそうである。主人公である徳川吉宗が扮する新さんが、どうして町火消の人たちと仲がいいのか?昭和時代の子供たちはみんな不思議に思っていた。ところが歴史の授業で享保の改革を学んだ途端にみんな「そうだったのか」と納得したものだ。享保の改革で町火消の制度ができたからだ。
鬼平犯科帳の長谷川平蔵だってそうだ。長谷川平蔵と寛政の改革をやった松平定信とは、切っても切れない関係であることは鬼平犯科帳を見ていた昭和の子供たちの常識である。昭和の子供にとっては、寛政の改革はかなり身近なお話なのだ。長谷川平蔵が、人足寄場建設し、刑期を終えた罪人に職業訓練をさせて人を更生をはかったのは、あまりにも有名な話だからだ。
遠山の金さんもだってそうだ。遠山の金さんのライバルは、南町奉行である鳥居耀蔵。こいつが水野忠邦が行った天保の改革の推進者であり悪役である。こいつが「株仲間の廃止」実施し、おとり捜査で人を陥れては江戸市中から忌み嫌われ、天保の改革に批判的な遠山の金さん奉行をやめさせたのは、あまりにも有名な話。つまり遠山の金さんを見ていた昭和の子供たちは、歴史の授業で天保の改革のところに来ると目を輝かせて歴史の授業聞いていたものである。
そもそも昭和の歴史の先生は面白かった。授業中に時代劇の話に脱線することがよくあったのだが、当時の子供たちは、その脱線が大好物であったので、先生に対して脱線するように巧みに誘導したものだ。そして無駄知識を蓄えていった。
それから昭和の子供たちは学校の先生と仲が良かった。
これを息子に話すとなかなか信じてもらえない。
令和時代は学校の先生と生徒の間に明らかに壁が存在する。
しかし昭和時代はそうでもなかったのだ。
それが証拠に先生のうちによく遊びに行った。
うちの母親が小学校の教師だったので、その教え子もよく遊びに来た。
その話を10歳年下の嫁さんにしてみると
「私の時代はそうではなかった」
という。
同じ昭和時代を生きていても昭和47年生まれの嫁さんの時代は、生徒と教師の間に壁があった。と言うか生徒と教師の間に壁を作ったのか嫁さん達の時代であった。当時校内暴力が全国的にブームで、中学生が教師を殴って怪我させるということが普通にあったのが、第二次ベビーブーム世代の特徴である。それ以降教師と子供たちの間に壁ができたのではないかと私は思っている。
実は似たような話を10歳年上の先輩から聞いたことがある。第一次ベビーブーム世代は、中学校で校内暴力を行う代わりに、大学で大学紛争を行っていた。大学紛争が行われる前までは、教授と学生の間に壁は少なくて、学生たちが教授の自宅に遊びに行ったりしたらしい。これが大学紛争によって両者に大きな壁ができたことは、先輩方からよく聞いていた。
話を戻す。
昭和の子供たちは学校の先生と仲が良かった。
これを息子に話すとなかなか信じてもらえないので、今は滅びてしまった昔の学園ドラマを息子に見せたことがある。「青春ど真ん中」と「夕日ヶ丘の総理大臣」である。息子はケラケラ笑いながら楽しそうに見ていたが、やはりというか案の定というか、これらの学園ドラマをフィクションとして認識していた。
今の子供たちにしてみたら信じがたいことかもしれない。現に10歳年下の嫁さんの時代には、そういう時代風景は消えてなくなっているのであるから、信じがたいのも仕方ないのかもしれない。
しかし私の母親が小学校の教師だった。その教え子たちが毎週のように遊びに来ていた。うちの母親はそれを本当に嫌がっていたのだが、表面上は快く迎えるように演技していた。つまり嫌なものを嫌と言えない雰囲気が当時の時代背景にあったのだと思う。子供達が遊びに来たら本心は別にして温かく迎える態度は示していた。そして私に一緒に遊ぶように命令して、ちゃっかり自分はどこかに消えていった。
そんな母親が妊娠して入院したことがあった。盲腸で入院したこともあった。すると小学生の教え子たちが、遠い僻地からバスに乗って次々とお見舞いにやってきた。お見舞いの下は缶詰だった。当時はコンビニもなければ冷凍食品もなかったので、誰かが入院すると缶詰を持ってお見舞いにやってくるのである。そのせいで私は毎日のように缶詰を食べたのは良い思い出である。今と違って当時は、缶詰は高級品で決して安いものではなかった。
まあそんな話はどうでもいいとして何が言いたいかというと、昔は教師と子供たちの間にあまり壁がなかったために、ずる賢い子供たちが、たくみに教師を誘導し授業をコントロールすることができた。つまり先生に授業の脱線をさせて子供自ら授業を面白くさせる事が可能だったのだ。思えばいい時代だったのかもしれない。
インターネットがなかった頃の昭和の子供たちの情報源は、非常に限られていたので、それが可能だった。みんな同じ時代劇を見ていたから、ある程度共通の情報に接していたから、歴史の授業で脱線することによって勉強を面白くさせることが可能だった。それを考えると今の子供たちは、ちょっとかわいそうである。インターネットのせいで情報が多すぎて共通の知識がなさすぎる。そのために昭和の子供たちなら得られた情報を得られなくなっている。そのために歴史の勉強が昔より難しくなっている。つまりガリ勉しないと歴史の授業に追いつかないという不幸な時代が来ている気がする。
もちろんインターネットのおかげで歴史オタクは昔より多いかもしれない。詳しい人はとことん詳しくなるし、そうでない人は歴史がどんどん苦痛になって嫌いになっていく。それが令和時代の子供たちが受ける試練と言える。ある意味、かわいそうに思ってしまう。
つづく
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グラフを見て、この国の図3に当たる輸入(だか輸出)物は何か、の設問に、当時の私はマカオと答えてました(正解はカカオ)。
マカオ輸入笑
マカオが何で、カカオが何だかよく分からないまま、ただ覚えてたんだなーって、よく分かる。20代の時には、マカオに行ったし、カカオの実や木がどんなだか東南アジアで見てるからこの間違え方はホントにあり得ないって感じました。でも、10代の私にとっては、ただ教科書で読んだだけの語感が似てる単語だったんでしょうね。
私が見てたベトナムで育った子たちは、この間違いはないだろうなと思います。昭和の子たちのテレビと同じで、その土地に育つ共通経験があるから、こんな間違え方があったか!!くらいの衝撃になりそう。って思いました。