「雪人形。人形というからには、女の子なんだろうな」
とは思いましたが、姉妹のいなく、小学校5年生であった私には、どうやって女の子の雪人形を造って良いか分からず、まずは男の子の雪人形を造り始めました。
とはいうものの、どうやって造ってよいか分からなかった私は、まず雪だるまを造り、そこから雪を削るようにして造形を行いましたが、さっぱりうまくいきません。その方法で雪人形を造るのは、とても難しく、とても人形の形にはなってくれません。
手作業では無理と悟った私は、塩や水を用意し、ショベルや出刃包丁やゴム手袋などの本格的な道具を用意して、苦心惨憺のうえ、3日がかりで、やっと等身大の雪人形を作り上げた時は、思わず
「やった!」
の歓声をあげたものです。そして、その後も雪人形造りは続け、雪人形は全部で3つ作り上げました。等身大のものを1つと、それよりも小さいものを2つです。そして、おじいさんの
「雪人形を作ると、雪ん子がでる。だから雪人形を作ってはいかん」
という言葉を思い出しつつ、
「これで雪ん子が出てきたらどうしようかなあ〜」
とワクワクしていました。
もちろん、そんな言い伝えは迷信だと分かっていましたが、私は、そんな迷信に反抗することで何か快感を覚えていたのかもしれません。
「雪人形を造ってしまったのか・・・・」
ふりかえると白菜を山のようにかかえていた通りがかりの御婦人でした。
50歳くらいの方でしょうか?
御婦人は、白菜の束を降ろして雪人形のそばにやってきて、
手と手を合わせて拝礼し、
「この雪人形は、坊が造ったのか?」
「うん」
「ならば大切にせねばな。時々、見に来るんだぞ」
「どうして?」
「人形は大事にせんと」
「?」
つづく
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雪人形の様子をたびたび見に行かないと(または、見に行くことで)何が起こるのか?
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