「僕はウソハチじいさんが嘘を話しているのを一度も聞いたことがないよ。あの人は嘘をつくような人ではないと思うけれど」
「だから始末におえないのさ」
「え?」
「あきらかな嘘つきは罪がないものなんだよ」
「どういうこと?」
「それは冗談みたいなものだからさ。大げさな表現や、大ボラというものは、聞く者が割り引いて聞くし、それは毎日嘘ばかりついている人にも言える。また大げさなことを言ってやがると割り引いて聞ける。怪しい呪い師の予言や、怪しい占い師の占いだって、外れても誰も嘘つきよばわりしないだろう?」
「うん」
「でもね、ウソハチじいさんは違う。真面目で滅多なことでは嘘をつかない。だから人はウソハチじいさんを信用してしまう。しかし、完全に信用しきってしまうと、とても大切な場面で裏切られてしまうんだよ。絶対に嘘をつかないと思った人に嘘をつかれてね」
「・・・・」
「だから、みんなは怒ってしまう。その結果、村八分になってしまう」
「・・・・」
「100回の嘘には罪はないけれど、大事な時の1回の嘘は大きな罪。嘘はつきどころが肝心ということかな」
「?」
小学校5年生であった当時の私には、この答えは理解の範囲を超えていました。ウソハチじいさんは嘘をつかない。これが私の感じた印象でした。それよりウソハチじいさんは、「何かを知っている」と思いました。他の大人たちの知らない何かを知っていると。それが何なのか分からないけれど、何か得体の知れない何かを知っていると。
じいさんは、よく山に登りました。ゴム長靴で雪山に、どんどん入っていきました。私は、その後を追いかけました。しかし頭の後ろに目があるのか、一度も後ろを振り向かないまま、私が尾行していることに気がつきました。そして声をかけてきました。私はじいさんと一緒にアケビ蔓を集め、それを背中に背負って帰りました。ウソハチじいさんは、思い出したように尋ねました。
「雪ん子は元気にしておるか?」
「うん」
「よかったな」
「でも、意地悪なんだ。いつも悪戯をしかけてくる」
「どんな?」
「机の中や長靴の中にゴミを入れられたり」
「どんな?」
「ドングリとか、枯葉とか」
「ハハハハ」
「笑い事じゃないよ」
「合図だよ」
「合図?」
「私にかまってくれという合図さ」
「?」
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