2008年01月31日

白い雪原 11

白い雪原 11

 このお話も明日で最終回です。本当は、今日までの間に17回連載する予定でしたが、忙しくて12回で連載を終わるのは心残りですが、とにかく、あと2回で、エンドマークを書くこととします。

 放課後、私は雪人形の山に走りました。春の陽気に、雪は、どんどん溶けていました。雪人形も溶けて無くなっていました。私は、ウソハチじいさんの家に走りました。しかし留守でした。ウソハチじいさんは入院したとのこと。私は、病院に走りました。走りながら、すべてを振り返ってみると、ウソハチじいさんは、一度も嘘をついてないことに気がつきました。

「雪人形を作ってはいかん」
「雪人形を作ると、雪ん子がでるぞ」
「小さな女の子さ。そうさな坊主と同じくらいの年頃の女の子さ」
「アハハハハ、雪ん子は、転校なんかしない。安心しろ」
「いずれ雪ん子は、消えていく。雪のある間に、ちょっとばかり悪戯をして消えてしまう。それが雪ん子の正体さ」
「雪ん子は、転校生なんかじゃない」
「生身の人間が消えることはない。心配するな」
「消えるのは雪ん子だ。人間は消えたりしない」

 ウソハチじいさんの言葉は、全部、真実でした。だけど、その真実をそのままに人に話すからウソハチと呼ばれる。全て本当のことを話すからウソハチと呼ばれる。しかし、私は知っている。ウソハチじいさんは、一度だって嘘をついたことがない。裏表がない。感じたことを全部話してしまう。黙っていた方が良いことも話してしまう。しかも、大人も子供も区別せずに話してしまう。だからウソハチじいさんと呼ばれてしまう。
 けれど、本当に嘘をついているのは、ウソハチじいさんではなく、まわりの大人たちだ。大人たちは自分に嘘をついている。自分に嘘をついて、見えているはずの雪ん子に対して見えないふりをしているだけ。そんなことを考えながら私は、ウソハチじいさんが入院している病院に飛び込みました。じいさんは、病室に元気に寝ていました。

「しいさん、だいじょうぶ?」
「ああ」

 ウソハチじいさんは窓の外をみていました。
 太陽の日差しがまぶしかった。

「雪ん子が消えた」
「・・・・」
「雪人形と一緒に、雪と一緒に消えちゃった」
「そうか」
「どうすればいいんだろう? 雪ん子は、もう戻らないの?」
「溶けてしまった雪は元には戻らん」
「・・・・」
「でも、来年の冬になったら、また雪は降ってくるさ」
「じゃ、雪ん子は?」
「しそれまでのお別れ」
「雪ん子は、どこにいったの?」
「さあな。よくは分からんが山かもしれん」
「山?」

 日本では太古の昔から、人が亡くなると山に帰ると信じられてきました。ナウマン象の化石を発見したネリー・ナウマンは『万葉集』の死者を詠んだ歌の分析を通して、他界観について次のような見解を示しています。
 死者は「黄泉の国」、遥かな、再びそこから戻り来ることのない国。もともとは山にある死者の国に赴くと考えられていました。また、死者の墓は訪れられることはほとんどなく、墓のある場所は荒野や荒山であることが多く、墓そのものが他界でした。
 これに対し、掘一郎は『万葉集』の分析をもとに次のように述べます。
「当時の一般的観念として、人の死するにあたって死者の霊魂が高きにつくとした着想が著しい。万葉集を唯一の資料とする限りにおいて多くの霊魂が山岳に登り、鎮まり、しかして天上の世界に行き棲むとしたことは明らかである」

 『万葉集』の歌の分析をもとにした当時の人びとの他界観に関する解釈には、研究者による相違が認められます。しかし、山を一般的な意味での他界とする考えかたが存在したのです。そして、その考えかたをもとに修験道が発展したり、日本独特な仏教思想が生まれたりしました。たとえば、お盆になると仏壇に御先祖様が帰ってくるとか、コケシを造ることによって、間引かれた子供の霊を供養したりです。

 雪国の人間は、雪人形を造ることによって、山の精霊を呼んだりもしました。逆に、雪人形には山の精霊が宿ると忌み嫌い、ただひたすらに雪だるまを造るだけの地方も多かったことも確かです。人形には魂が宿るものですが、雪人形は、春になると消えて無くなります。それが悲しくて雪人形に宿った精霊たちが、雪ん子となって、創造主に色々な悪戯をしかけてくるからです。

 しかし、多くの創造主は、そんな雪ん子の伝説を迷信ときめつけ、雪ん子たちの悪戯を気のせいにしたり、何かの勘違いと納得してしまい、気がつかないままにしておきます。たとえ気がついたとしても、見ぬふりをしてしまう。

 ところが、ごくまれに、雪ん子の存在に気がついてしまう人もいる。ウソハチじいさんもその一人です。そういう人の多くは、友人が少なかったり、村八分にされていたりして、淋しさの中にいる人だったりします。そういう人は、すすんで雪人形を造り、雪ん子の到来を待つのです。

 雪ん子は、そんな孤独な人間たちの前に、小さな少女の姿になって現れます。そして、いろいろな悪戯をしかけてくるのです。井戸の中に大量の枯葉を入れてみたり、水道管を破裂させたり、屋根の雪を突然落としてみたりです。でも、どんな悪戯でも、何も起こらないことより楽しいものです。とくに淋しい雪国の冬ならなおさらです。

つづく

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posted by マネージャー at 23:55| Comment(0) | TrackBack(1) | 物語 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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