2007年06月25日

三丁目の夕日的な貧乏生活5

三丁目の夕日的な貧乏生活5

 最初は、カップ麺で病気を治し
 次には、カップ麺で健康を損なった

 こういう人間は、世界ひろしといえども私ぐらいのものでしょう・・・・と言いたいところなのですが、不思議なことに、おなじ体験の持ち主は、わんさかいました。いやはや、どうして、みんな同じようなことを考えつき、そして同じような道をたどるのでしょうか?

 私も、その後、ずるずると、多くの諸先輩たちが歩いた道を歩くことになります。
 ズバリ!
 高賃金の肉体労働に走って、
 少なくとも、立派な食事をとることです。

 新聞配達・配膳・工事関係・高所作業などなど、いろいろな職種についたわけですが、学業との両立を考えて最終的に落ち着いたのは、魚河岸の仕事でした。なにしろ時給がよかった。1980年当時で1500円以上ももらえました。当時の平均時給が450円くらいでしたから、今の感覚だと3000円くらいの価値はあったろうと思います。ただし、物価そのものは、今と当時はかわりません。むしろ当時の方が物価は高かったと思います。吉野屋の牛丼は1杯400円でした。今の方がよほど安いですし、当時は百円ショップもなかったので、なにを買うにも高かった。それなの
に初任給は12万円くらいでしたから、当時の人たちは、いかに質素に生きていたことか・・・・。みなさんよく、平均時給が450円くらいで生活していたと思います。

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posted by マネージャー at 01:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 貧乏・貧乏旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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