2011年05月31日

老人たちの話し 4

老人たちの話し 4

高校3年生の時(1979年11月)、あるテレビドラマを見ました。
私の人生が変わってしまったのは、そのテレビドラマからです。
そのテレビドラマには、素晴らしい曲が流れていました。
英語の曲でした。
日本語にすると、こんな歌詞です。


 大地に日は昇る。
 一日がやってきた。
 頭上には太陽が輝いている。

「けれど、その太陽は、
 どのくらい、そこにいるのだろうか?」

 地平線から日が昇る。
 大地は、日光を食べ尽くす。
 一瞬で食べ尽くす。
 そして太陽は西の方に沈んでいく。



作曲:Yukihide Takekawa
作詞:Yoko Narahashi

The land of the rising sun
Has come to see the day 
The sun is overhead
But how long will this sun stay

The sun rose over the horizon
And the land ate up its rays
It ate too much too fast
And it took on western ways

It's burning bright above
But it's burning up all the land
And the sun will set in time
And rise on a vast new land

The sun is setting on the West
The sun is rising on the East


YouTubeで、その曲を聞いてみてください。



ゴダイゴの曲でした。

「太陽は、いつまでも頭上に無い。
 いつか西に沈んでいく」

この歌詞の本質を一番わかっているのが老人たちかもしれません。
「少年老いやすく、学なりがたし」
とは、よく言ったものなのです。

 それはともかくとして、1979年11月に私は『男たちの旅路/車輪の一歩』というドラマをみました。まだ見たことがない人は、ぜひ見ていただきたいです。私の友人の多くは、私に無理矢理に見させられています。昔は、定期的に上映会をひらいていたからです。

 『男たちの旅路』とは、どんなドラマかと言いますと、過去を背負った特攻隊の生き残り(鶴田浩二)と、チャラチャラした若者(水谷豊)のぶつかり合いのドラマです。特攻隊の生き残り(鶴田浩二)は、戦争を知らない若者が大嫌い。逆に若者(水谷豊)は、特攻隊くずれの高圧的な男(鶴田浩二)に反発する。そういうドラマなのです。





 まあ、そんなことはいいとして、このドラマに感動した私は、上京してすぐに警備会社のアルバイトをはじめました。警備会社には、このドラマにでてくるような吉岡指令補(鶴田浩二)のような人間がいるのではないかと思ったからです。今にして思うと、我ながら、ずいぶん単細胞な頭だなあと思いますが、驚くべき事に、ドラマに出てくるような警備員に、吉岡指令補(鶴田浩二)のような警備員に会うことができました。

 当時、不況でしたから警備会社には、いろんな人たちがいました。会社の重役だった人までいました。40万円の失業保険をもらっていた人もいたんです。しかし、会社が倒産して働き口が無く、警備会社に入ってきた元大企業の重役さんなんかがいたりしました。大工さんとか、元特攻隊員の生き残りとか、いろんな人たちがいました。私は、そういう人たちから、敬礼の仕方や、答礼のしかたを習い、ビル警備のアルバイトをしました。深夜のビルを守る仕事です。

 当然のことながら夜は長いですから、世間話に花が咲きます。まだ世間知らずの18歳だった私は、年輩の警備員さんのお話が面白くて、いろいろな人生のお話を伺いました。もちろん私が、聞き役です。なにせ、私には語る人生が無い。しかし、諸先輩には、まぶしいくらいの人生経験がある。だから、話が面白くてたまらない。だから話を聞いてばかりいました。







 しだいに私は、みんなから可愛がられるようになり、
 居心地のよい職場になってきました。
 ここで一生を暮らすのもいいなと。

 しかし、ある日のこと。
 諸先輩一同が、ズラリとあらわれて私に、こう言いました。

「警備員をやめなさい」
「いい若い者がする仕事では無い」

 これには参った。私は、この警備会社に就職してもいいかなと思ってた矢先だったからです。しかし、私を可愛がってくれた諸先輩達は、真剣に私のことを心配してくれてるようなのです。

「お前は、何かやりたいことはないのか?」
「警備会社に入って、いろんな人生をみたいんです」
「どうして、そう思った?」
「『男たちの旅路』というドラマを見て感動したからです」
「あれは、ドラマだぞ。フィクションだ。作り話に感動してどうなる?」
「でも感動したんです」
「・・・・・」
「・・・・・」
「あのなあ、お前を感動させたのは、警備会社じゃない。山田太一という作家が、考え出した脚本だ」
「山田太一?」
「なんだ、そんなことも知らなかったのか? 日本で最も有名なシナリオライターだよ。この人が作った警備員の話が、大勢の視聴者を感動させたんであって、実際の警備会社は何一つ関わってないんだよ。お前は、警備会社に感動したんでは無くて、山田太一に感動したんだ」
「・・・・・・」
「お前には、将来がある。いい若いもんが、最初から警備員をめざしてはだめだ。もっと可能性にチャレンジしろ。真面目に学校に行って、たかみをめざせ。警備員になるのは会社が倒産してからかも事業に失敗してからで良い」

 特に倒産した製紙会社の元重役だった人が、熱弁をふるって私の警備会社就職に反対しました。私は、この人を尊敬していましたから、その忠告を聞き入れました。そして図書館に行き、山田太一氏の本(脚本)をかたっぱしから読破することにしました。で、読み始めたとたんに体内に電流が走りました。どのドラマも私が大好きだったドラマだったからです。





 当時はインターネットもパソコンもありません。そのうえ私は田舎に住んでましたから、テレビ局は民放が一局しかなかった。テレビを見るにしても、脚本家の名前なんか一々調べはしなかったから、山田太一なんて名前は知らなかった。にもかかわらず、私が好きだったテレビドラマの大半が山田太一さんの作品だった。私は自分でも知らないうちに山田太一ワールドを好んでいたのです。

 特に『高原へいらっしゃい』が好きだった。

 中学2年生の時に見て感動し、将来、自分もホテルマンになりたいと思っていました。中学校の時は、山田太一さんのドラマでホテルマンになりたいと思ったし、高校の時は、山田太一さんのドラマで警備員になりたいと思って上京しました。いまにしてみれば、えらい単細胞な話ですが、結果として私は、ユースホステルのマネージャーになっています。『男たちの旅路』の世界ではなく、『高原へいらっしゃい』の世界を選んだわけです。



つづく

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2011年05月30日

老人たちの話し 3

老人たちの話し 3

 先日、1年ぶりに友人が、北軽井沢ブルーベリーYGHに遊びに来てくれました。
 彼女は、ワーキングビザで1年間フランスに滞在していました。
 仕事は、ベビーシッターです。
 これは、その彼女との会話

「ベビーシッターか、いい制度だね。日本も、その制度を活用すれば良いのに」
「いや、フランスだってベビーシッターを雇える家は少ないです。フランスでも、お金持ちでないとベビーシッターなんか

、とてもじゃないけど雇えません」
「はあ? それ変だよ」
「?」
「言っちゃなんだけれど、俺は幼児の頃にベビーシッターの御世話になって育ったんだから」
「あ!」

 古いつきあいなので、彼女は私の幼少の頃を知っています。私がベビーシッター(村の老人たち)の御世話になって育ったことを知っていたので「あ!」と声をあげたのです。私は、今年で五十歳になりますが、私の世代の佐渡島の人間は、多かれ少なかれベビーシッターの御世話になっています。子供を近所どうしで預けあったりしているのです。そして、その時の話題が、ずーっと後になってでてくるのです。





 例えば、私の弟は、近所に預けると、ワンワン泣いて手におえなかった。
 だから、こっそり逃げるように去って行った。
 それが、数年後に茶の間の話題になる。

 私の場合は、逆に近所の人と馴染んでしまい、
 嫌がることが少なかった。
 それが、数年後に茶の間の話題になる。

 私も弟も、こんなぐあいにベビーシッターを体験している。
 しかし、当時の私のうちの家庭は、
 金持ちどころか貧乏人もいいところだった。

 いや日本中が貧乏だった。
 だからベビーシッターといっても、
 時給を払ったかどうかは知らない。
 払ってなかったかもしれない。
 払う代わりに、店の品物を買ったりしたのかもしれない。
 これは今じゃ考えられないことかもしれない。

 あと、ベビーシッターの多くは老人だった。
 それも、よく話しをする老人だった。
 しかし、体力は無かったと思う。
 みんな、杖をついていた。

 今じゃ、杖をついている老人なんか見たことが無いけれど、
 昔は、老人の大半は腰が曲がっていた。
 杖無しでは歩けなかった。

 子供の頃から田畑で働いていたから四十歳を過ぎた頃から腰が曲がってしまっていたのだ。で、農閑期に温泉に行っていた。春までに温泉で曲がった腰を元に戻さないと、身体が壊れてしまうのだ。そういう次第なので、六十過ぎの老人たちは、みんな腰が曲がっていた。だからベビーシッターできるような体力は無い。腕力で子供を押さえつけることなど不可能なのです。

 で、彼らは、どういう技を使って子守をしたかというと、話術で子供たちを惹きつけるしか無かった。昔話・民話なんかがそうで、いくらでも「話」をもっていました。とはいっても、無限に話があるわけでは無い。同じような話を何度もするようになる。しかし、これが飽きない。古典落語のように飽きない。

 話は、昔話だけでは無い。「ひとりごと」も言う。つまり自分の人生のお話し。実は、これが一番面白かった。昔話よりも面白い。なにせ語り手が興奮して語るので、その熱気が伝わってくる。もちろん幼児には意味は分からない。でも何度も聞いているので、全て暗記してしまう。だから今でも全部覚えている。というか忘れられないのだ。

 例えば、シベリアの秘境の話。家を建てたら夏になると泥の中に沈んでしまった話。河で魚を捕るときに、爆弾を使って魚を気絶させて手づかみで捕まえた話。青森市の話。青森の床屋で働いていたら「父危篤」の電報がきて、大急ぎで佐渡に帰ったら嘘電報だったうえに見合い相手が待っていた話。そんな話を毎日のように聞かされた。というか、意味も分からずに面白がって聞いていた。





 年老いたベビーシッターたちは、こういう話をしながら私の子守をしつつ、
 竹細工なんかを作っていました。

 ちなみに、その竹細工は、役場の人が老人たちに作らせていた。
 役場が老人たちに竹細工を作らせて、どこかで販売していた。
 生活に困った老人たちを助けるためです。

 その役場の人と、四十年後(2003年)に佐渡島のドンテン山の
 山小屋(ドンテン山荘)でバッタリあったりもした。
 もちろん私は覚えてないし、初対面もいいところだったけれど、
 相手は私を知っていた。
 その時には、佐渡の図書館の館長だった。
 しかし、昔は、老人に竹細工を作らせる役場の担当者だった。


http://www.ryotsu.sado.jp/donden/


 話は脱線するが、佐渡島のドンテン山の山小屋は、日本一人気のある山小屋で、泊まることさえ難しい山小屋だった。私は地元のコネで泊めてもらった。客室ではなく、ピカピカの天文観測室に泊めてもらった。ちょうど、土井君も一緒だったが、彼は、例によってアルコール中毒の悪い癖がでてしまい、酒を飲み過ぎた土井君は、ピカピカの天文観測室でゲロを吐いた。

 偉大だったのは、ペンション「歩゚風里」のオーナーの三苫さん。
 すかさず、自分の手で土井君のゲロを受け止めた。

「宿がゲロまみれにしては、翌日に泊まる御客さんに迷惑がかかる」

と咄嗟にとった宿主らしい行動だった。
「歩゚風里」のオーナーの三苫さんは、私たちの間で英雄になった。
逆に地に落ちたのが土井君の評判。
しかし土井君の悪い癖は、あいかわらず治ってない。


つづく

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2011年05月29日

老人たちの話し 2

老人たちの話し 2

 1970年(昭和45年)頃に母親と上京し東大病院で難聴の診察をうけました。
 私が小学2年生の時です。
 私は、この東大の大学病院の耳鼻科で嫌な体験をしました。





 東大病院は大きかった。
 患者も大勢いました。
 行列も凄かった。
 最初は、母親の付き添いで診察を受けましたが、検査は一人で受けさせられました。
 大勢が順番待ちで、部外者は列に並べなかったからです。

 で、一人で検査を受けるはめになりましたが、検査前に説明書を読まされました。
 しかし、読めない。
 難しい漢字が、いっぱい書いてあって読めない。
 せめてルビが振ってあれば、意味がつかめるのですが、それもないから読めない。
 小学2年生になったばかりの子供には

「高音」「低音」
「聴く」
「致します」
「御願いします」
「下さい」

という文字は強敵なのです。まだ習ってない。

http://www.jfecr.or.jp/kanji/sakuin.html

 例え文字を習っていても「致します」は読めない。
 読めたとしても意味を理解するのは難しい。
 どうして良いか、オロオロしているうちに、
 自分の番が来てしまった。
 そして病院の人が事務的に

「説明書は読みましたか?」

と怖い顔で聞いてくる。私は恐る恐る

「(読んだけれど)分かりませんでした」

と答えました。すると

「駄目じゃ無いの! 大勢の人が待ってるんだから無駄な時間をつかわせないで」

と、とりつくしまもなく

「きちんと読んでから来なさい」

と怒られて、もう一度、一番後に並ばせられました。

 もう反論というか、言い訳できる感じでは無かったです。
 私は列の最後でボーゼンとするしかなかった。
「きちんと読んでから来なさい」
と言われても、そもそも小学2年生に理解できる説明書でないわけですから、どうしようもない。

 しかし、そうこうしているうちに、また自分の番が近づいてくるんですが、分からないものは分からないですから、自分の番が近づいてくると、だんだん恐怖をおぼえてくる。幼かった自分は、怒られるのが嫌で、また最後尾にまわってしまった。で、超能力を使って説明書を解読しようとしていたのですが、解読できるわけが無い。どんな念力を使ったところで分からないものは分からない。





 これが大人なら隣の人に聞くなどの知恵が働くのですが、佐渡島の田舎から上京したばかりの小学2年生には無理な相談。だいたい昨日まで2階以上の建物を見たこともない子供なんです。エスカレーターも、エレベーターも、自動ドアも知らない土人として育った子供ですから、まわりにいる背広を着た東京の大人たちなんて、エイリアンぐらいにしか見えない。

 第一、私が困っていても、みんな無視している。
 こんな時、佐渡島の老人たちなら困っている子供がいたら
「どうしたの?」
 と聞いてくれるけれど、東京大学の病院に来ている大人たちは
 エイリアンみたいにムスッとしている。
 だから怖い。

 で、何時間も、もじもじしているうちに母親が
「遅いぞ、変だな」
と気がついて見に来ました。

 そして、母親の助けを借りて、ようやく説明書の意味を解読することができたんです。

 当時の東大病院は、一事が万事、こんな感じですから、いまだに私は東大医学部というものを信用していません。患者よりも、病院の都合を優先してできているという体験を小学2年生の時に刷り込まれてしまったからです。こういう病院が、正しい診療が出来るはずがないと、いまだに偏見をもっています。幼い頃に刷り込まれた体験は、この歳になっても残っている。


つづく

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2011年05月28日

老人たちの話し 1

老人たちの話し 1

 どうも昔から私は、老人に好かれる傾向がありました。
 で、それに思い当たることが無くも無かった。

 私は、子供の頃、親元を離れ佐渡島の僻地で年寄りに育てられていた。
 それも、たったの3年間。
 0歳から3歳の間だけだった。
 3歳になった時、その僻地を去ったわけですが、
 僻地で御世話になった年寄りたちとは、
 その後も十数年の交流がありました。
 みんな私の顔を見に遊びに来たからです。
 そして、別れ際に大粒の涙を流しながら、こう言うのです。

「お父さんと、お母さんの言うことを聞いて、行儀良くするんだよ。お父さんたちに心配かけちゃだめだよ。みんなに、ありがとうの気持ちを忘れてはだめだよ」





 幼少の頃、私は父親・祖母の顔を知りませんでした。
 母親と一緒に佐渡島の北片辺というところに住んでいたからです

 母親は、小学校の教師で、当時は僻地だった北片辺小学校で働いており、私はベビーシッターに育てられていたわけです。ベビーシッターと言っても村の年寄り連中のことです。北片辺の老人たちに預けられていたんですね。昔の日本には、こういうベビーシッター制度がどこにでもあったんですね。でないと、子供を置いて、山の畑や、海の漁には出られなかった。

 で、私は、北片辺の老人たちにいたく可愛がられたわけです。たった3年だけれど可愛がられた。そして、その後も十数年の交流が続いたんです。連休なんかになると、北片辺から老人たちが軽トラに乗ってやってきて、私を拉致するように北片辺に連れて行った。そして北片辺で一緒に遊んだのです。ですから私の老人好きは、幼児の頃に原点があった。





 ところが3歳になると状況が変わってきた。
 弟が生まれたのです。
 母と0歳の弟は、北片辺に行ってしまった。
 母とは、離ればなれになってしまった。

 私は、実家で、父と祖母と一緒に暮らすことになった。今まで見たことも無かった父・祖母と暮らすことになった。ところが、私は、この父・祖母と相性が良くなかったのです。あまり可愛がられた記憶が無い。殴られた記憶しか無い。父も祖母も厳格なタイプで、幼少の頃の私は、なつかなかったようです。

 私が生まれつきの難聴だったことも、親子関係を悪化させたようです。父親の言語を理解できないために、父親を激昂させてしまい、よく殴られたり、2階の物置に閉じ込められたりしたしました。で、どうなったかと言いますと、近所の老人たちと毎日あそぶようになった。私の両親や祖母は、私と遊んでくれる近所の老人たちのことを
「淋しい人たち」
と思っていたようですが、それは逆でした。淋しかったのは私の方で、私から老人たちに近づいていったんですね。そんなこととは知らない私の両親や祖母は、
「どうも近所には子供好きの老人が多いなあ」
と勘違いしていたようです。

 それにしても良い時代でした。4歳の幼児が、(つまり私のことですが)、近所の庭先で仕事している老人をボーッと見ていると、こっちへ来なさいと手招きしてくれて、いろいろ話し相手になったり、御菓子をくれたり、自宅の飼犬や飼猫を紹介してくれるのですから、今では考えられないことです。こうして私は、いろんな老人たちと知り合いになっていった。


siruber-08.jpg


 そして、しばらくたつと仲良くなった老人たちが私に「自分の人生」を語り始めました。と言っても4歳の私に本当の意味が分かるわけがない。戦争の事とか、騙されたこととか、駆け落ちしたこととか、息子が家出したこととか、4歳の幼児に意味が分かるわけがないんです。しかし、彼らは、同じ事を繰り返して何回も何回も言うんですね。それは厳密に言うと「ひとりごと」だったのかもしれません。しかし「ひとりごと」を何回も言うものだから、ボイスレコーダーのように4歳の幼児の脳みそに記憶されてしまった。

 今でもハッキリ思い出せる。恐ろしい話や楽しい話しでいっぱいだった。幼児の頃の私は、ものすごい無口だったから老人たちは、ついつい「ひとりごと」を言ってしまったのかもしれない。これは後日わかったことですが、老人の中には元731部隊の将校もいたけれど、彼も私に「ひとりごと」を言ってました。

 長い前置きになりましたが、ここからが本題です。
 
 私が10歳を越えた頃には、誰も私に「ひとりごと」を言わなくなった。私に知恵がついてきたら、みんな黙ってしまったんです。質問しても答えてくれない。例外的に答えてくれた人はいたけれど、7割の人は、とぼける。中には、本当にボケた人もいたかも知れないけれど、大半はボケたふりをしたんですね。ある時期からは、老人たちは、肝心なところで無口になってしまった。

 1970年(昭和45年)頃のことです。
 70年安保があった時代。
 この頃を境に、世の中が変わっていたんですね。

 そして、1970年(昭和45年)頃に、私は母親と上京し、
 東大病院で難聴の診察をうけているんです。
 その時に、安保闘争のあった東大安田講堂を見学しています。
 私が小学2年生の時です。
 私は、この東大の大学病院の耳鼻科で、ものすごい衝撃を受けることになります。


つづく

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2010年10月28日

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 13

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 13

 ユースホステル開業する前に聞かされていたことは、「ユースホステルをオープンすると、そのオープンを狙ってユースホステルのヘビーユーザーが、ドットおしかける」という事でしたが、そんな事は無かった。北軽井沢ブルーベリーYGHが、オープンした開所記念に泊まった御客様は、たった4名で、うちユースホステル会員は、たったの2名でした。しかも、その後2週間ちかく御客様はゼロ状態。

「このままでは、干上がってしまう」

 2001年1月の暖房費は、10万円。電気代は、8万円。何もしなくても、毎月30万くらいが消えて行ってしまう。おまけにインターネット代が3万円。当時は、北軽井沢にフレッツadslというものがなく、インターネットに莫大な費用がかかっていました。おまけに、引き継ぎが完璧でなかったために、水道管の凍結や、ボイラーの故障や、下水が凍結で流れなくなったりで、おおわらわ。

 で、車で40分もかかる大雪の真冬の軽井沢駅にいって客引きをしたのですね。最初は勇気がいりましたが、やってみると、これが案外うまくいきました。しかし、何回かやっていると、警察がやってきました。で、客引きをしてはならんと言ってきました。

 困った私は、カー用品店のイエローハットに行きました。イエローハットに行けば、鍵山さんの本がある。そこに何かヒントがあるはずだと。で、吹雪の中、御代田のイエローハットに行き、鍵山さんの本をかたっぱしから読み始めました。で、鍵山さんが過去に映画を作っていることに気がつきました。


イメージ-01.jpg


 北軽井沢ブルーベリーYGHには、たくさんのビデオが置いてあります。かれこれ2000本くらいになります。人気ビデオもあれば、誰も見ないビデオもある。その誰も見ないビデオの一つに、
『てんびんの詩』
という映画があります。鍵山さんが作った映画です。

 で、全くヒットせずに誰にも知られず埋もれてしまった映画です。
 映画マニアの私も知らなかった。
 それだけに幻の映画だった。


 軽井沢駅で客引きを禁止されたあと、御代田のイエローハットで鍵山さんの本を読んでいたら『てんびんの詩』という映画をイエローハットが制作したことがあると書いてあった。直感的に
「ここにヒントがある」
と思った私は、その作品を探しに車を走らせました。佐久・上田・軽井沢・小諸・御代田のレンタルビデオ屋さがしました。

 吹雪の中でした。
 家に帰らず、
 車の中で仮眠をとりながら、
 何十軒ものレンタルビデオ屋をまわり、
 なんと長野市内のレンタルビデオ屋で、ようやく見つけました。

 それも、レンタルではなく、中古落ちで、たったの33円で売られていました。もっと正確に言うと、3本で百円のコーナーに乱雑にやまずみされていました。それもエロビデオと一緒に。

 ちなみに『てんびんの詩』は、Yahoo!オークションで五千円もします。

http://auctions.search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%B3%E3%82%93%E3%81%AE%E8%A9%A9&auccat=&aq=-1&oq=&ei=UTF-8&tab_ex=commerce

 今でこそ、このビデオが見直され、高値が付いていますが、まだ鍵山さんが、今ほど有名でなかった2001年当時は、たったの33円でも売れてなかったのです(もっともビデオは33円だったけれど、探すためのガソリン代は1万円以上した)。しかし、これを見つけた私は、大喜びで北軽井沢ブルーベリーYGHにもどり、飯も食べずにビデオを見ました。ビデオの内容は、このようなものです。

 近江商人の家に生まれた主人公は、小学校を卒業すると、父から鍋蓋を売ってこいといわれます。それを売ることもできないようなら商家跡継ぎにはできないと。おまけに、丁稚小僧と同じ服装をさせられ、家族ではなく使用人と一緒に飯を食べるようにいわれ、弁当にいたっては、梅干ししか入ってない御飯しかない。

 そんな境遇に不服な主人公は、さっさと鍋蓋を売るために、店に出入りする者の家に行き、親の威光を使って売ろうとするが売れない。かげで父が手をまわし、修行の一環であることが知れ渡っているからです。ですから、もみ手で媚びたり、脅したり、嘘をついたり、いろんな小細工をするが売れない。そういう小細工では、いっさい売れないのです。

 だいたい鍋の蓋です。
 売れるわけがない。
 蓋のない鍋があるわけがないから、売れるわけがない。
 3ヶ月間。一つも売れない。

 しかし、ある事がきっかけで、何十個も売れるようになるのです。
 しかし、そのきっかけとは・・・・。


tenb.jpg


 『てんびんの詩』を見終わった私は、まさに鍵山さんらしいテーマだなと思いました。忘れかけていた商売の原点というものを改めて考えさせられました。売る者と買うものの心が通わなければ売れないと。人の道にはずれて商いはないと。見終わった後にボロボロと涙が落ちて止まらなかったです。

 そして、見終わった直後に予約の電話がかかってきました。死ぬほど、ほしかった予約ですが、当時の北軽井沢ブルーベリーYGHは、その御客様のニーズと合わなそうだったので、お断りし、別の宿を紹介し、いろいろな旅のアドバイスをしました。すると、その御客様が、別件で、別の日の予約をしてくれました。「お前の宿に興味をもったから泊まりたくなった」と言うのです。私は、御客様をお断りすることによって、御客様の予約を頂いたんですね。

 御客様が来ない。
 だから、必死になって御客様を集めようとし、
 宿にあわない御客様をとめたりする。
 媚びたり、嘘をついたり、小細工して御客様を泊めようとする。
 これは、『てんびんの詩』の鍋蓋売りの少年と一緒です。
 しかし、これでは鍋の蓋は売れません。

 私、北軽井沢ブルーベリーの経営を半年間、友人にまかせても全く収益が上がらなかった理由が分かった気がしました。友人がやっていた1年間、リピーターがゼロだった理由も分かった気がしました。私は、友人が宿主をやっているあいだ、旅行代理店を回ったり、チラシを配ったり、大金をかけて宣伝をしたり、集客のために走り回ってばかりいたわけですが、一度も実際に御客様と向き合ってなかったんですね。

 もっとも、当時の私は、埼玉県に住んでいたわけで、向き合いたくても向き合えなかったわけですが、それでは駄目だったわけです。そもそも友人に、宿の経営を任せたのが間違いであって、どんなに「俺にやらしてくれ」と言っても心を鬼にして断るべきだったのです。しかし、アマちゃんだった私は断り切れなかった。で、御客様と向き合わずに宣伝ばかりしていたのです。これでは、うまくいくはずがない。

 これが分かってから北軽井沢ブルーベリーYGHは、快進撃するようになりました。まず、リピーター1号が現れました。1年間、リピーターがゼロだったのに、たったの2週間でリピーターが現れ始めました。それもユースホステルの御客様ではなく、ペンションの御客様です。

 私は初年度に、250万円の宣伝費をかけました。今は、ほとんど宣伝費は使っていません。250万円の宣伝費をかけて、リピーターはゼロ。今は、ほとんど宣伝費は使っていませんが、7割の人がリピートしてくれます。これも全て『てんびんの詩』のおかげであり、鍵山さんがくれたヒントのおかげだと思っています。


 北軽井沢ブルーベリーYGHには、2000本のビデオがあります。
 人気ビデオもあれば、誰も見ないビデオもある。
 その誰も見ないビデオの一つに『てんびんの詩』があります。
 制作されたのは、1988年。
 バブルの頃の作品です。
 バブルの頃に、こんな作品を作った会社があったんですね。
 けれど全くヒットせず
 誰にも知られず埋もれてしまった映画でした。
 そのビデオは、北軽井沢ブルーベリーYGHのビデオコーナーでも
 人知れず埋もれていました。
 あまりに地味でボロボロのビデオだったために、
 いつだったか、嫁さんがゴミ出そうとしていたのを、慌てて救い出し、
 今は、私の本棚に置いてあります。

つづく

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2010年09月04日

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 12

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 12

 ユースホステル開業する前に聞かされていたことは、「ユースホステルをオープンすると、そのオープンを狙ってユースホステルのヘビーユーザーが、ドットおしかける」という事でしたが、そんな事は無かった。
 北軽井沢ブルーベリーYGHが、オープンした開所記念に泊まった御客様は、たった4名で、うちユースホステル会員は、たったの2名でした。

 しかも、その後2週間ちかく御客様はゼロ状態。

「このままでは、干上がってしまう」

 2001年1月の暖房費は、10万円。電気代は、8万円。何もしなくても、毎月30万くらいが消えて行ってしまう。おまけにインターネット代が3万円。当時は、北軽井沢にフレッツadslというものがなく、インターネットに莫大な費用がかかっていました。おまけに、引き継ぎが完璧でなかったために、水道管の凍結や、ボイラーの故障や、下水が凍結で流れなくなったりで、おおわらわ。

 業者を呼んで修理を頼んだのですが、腕の悪い職人さんだと、

「あきらめるしかないですね」
「え?」
「壁と床を壊しましょう」
「そ、そんな.....」

と言ってきます。

 あきらめの悪い私は、別の業者を呼びました。
 それも金にいとめをつけずに一番腕の良い人をたのみました。
 職人さん一人の時給は、2500円。
 高額な修理費用にはなりましたが、
 壁を壊さずなんとか修理をしてもらいました。

 と同時に、業者まかせにせずに一緒になって修理をしました。
 もちろん食事や茶を出して一緒に修理しながら修理方法を教わりました。
 次は、自分でやるために。

 こうやって冬期の施設メンテナンスを覚えていくと、すこし余裕が出てきます。
 やっと御客様の呼び込みにでられるようになってきます。
 ちなみに、ここまでくるのに2週間もかかりました。
 逆に言うと、2週間、ずーっと施設メンテナンスにかかりっきりだったのです。

 まず、嬬恋村観光協会に挨拶にいき、嬬恋村が広告雑誌じゃらんに掲載する無料宿泊券を提供することにしました。で、そのかわりに、嬬恋村の広報ビデオなどを借りまくってダビングしたり、御客様がいたら紹介してもらうようにしました。しかし、これは無駄でした。そもそも嬬恋村観光協会に、問い合わせ自体が少なかったらしい。でもまあ、これは最初から期待してなかったです。私が気合いを入れたのは、軽井沢駅での呼び込みです。

 車で40分もかかる大雪の真冬の軽井沢駅にいって客引きをしたのですね。最初は勇気がいりましたが、やってみると、これが案外うまくいきました。4人ぐらいのグループをみつけては、

「冬期割引セールのペンションに泊まらない? 1泊2食6500円。4名様の貸し切りペンション。しかも、白糸の滝や、鬼押し出し園まで無料で案内するよ」

と声をかけると、意外なことに直ぐに交渉成立しました。
たまに

「うーん」

と迷ってると、

「なら野鳥の森の案内もつけゃおう」
「ええ?」
「ついでに星野温泉も連れて行きましょうか?」
「本当ですか?」

となってしまう。

観光協会に行こうとする御客様を見つけては、
こういう営業で北軽井沢ブルーベリーYGHに連れて行ったのです。

 ただし、この方法だと、1日1件の御客様しかとれません。
 でも、もともと予約はゼロなので、
 1件はいれば大助かりなので問題有りません。

 他のペンションだと、御客様がいない冬は、
 どこかでバイトしているらしかったのですが、
 時給700円でバイトするより、駅で客引きする方が
 よほど金になります。なのに誰もやる者はいない。

「どうして、誰もしないのかなあ?」

と不思議に思っていたら、その理由がすぐにわかりました。
何回かやっていると、警察がやってきて、
駅で客引きをしてはならんと言ってきたからです。
な、なるほど..........orz

つづく

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2010年09月03日

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 11

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 11

 問題は経営危機に陥っているペンション・北軽井沢ブルーベリーのことです。北軽井沢ブルーベリーの再建をスタートさせる前に、ある問題点が出て来ました。その問題点というのは、ペンション経営をまかせていた友人が、ペンションにすっかり嫌気がさしてきているということでした。そして嫌気がさしている友人は、
『俺は北海道でやりたい』
と言うのです。北軽井沢には永住する気は無いというのです。

 まあ、仕方ないことですが、そうなると困った。
 北軽井沢ブルーベリーの再建計画が、
 白紙に戻ってしまったからです。
 すべての計画が一からやりなおしになりました。

 他の大勢の友人たちには、民宿『千葉荘』に行ってくれとたのんである。だから北軽井沢ブルーベリーへの応援は見込めない。嫁さんは、仕事はやめられないし、辞めたら唯一の安定収入が途絶えるし、おまけに友人が、富良野の転出するのは、2001年1月11日に決定しており、期限は刻々と迫ってきていました。再建計画を変更するのには時間は、あまりにもありませんでした。おまけに料理の練習も、家の引き継ぎも、引っ越しも、何もかもできてなく、準備は何一つできていません。

 そんな時に、日本ユースホステル協会から電話が入りました。
「施設をみせてほしい」
とのことでした。
「ああ、どうしよう? 何一つ準備はできてない」

 私の進退は、ここにきわまりました。

こういう場合、一番大切なことは、優先順位を見つけることです。再建計画を変更するのも、料理の練習も、家の引き継ぎも、引っ越しも、集客のための営業も全て後回しにして、日本ユースホステル協会の認可をとるべく、施設のリホームを行うことにしました。

 まず最初に手をつけたのが、外回りです。
 外装のリホームです。

 施設というものは、見た目が一番大切ですから、それを大胆に修繕することからはじめました。と言っても金はありませんから、全て自分の手で行いました。脚立・スライダーなどの足場と、塗装器具・ペンキなどを買ってきて、1週間がかりで、外装工事を行いました。さいわい、高所作業(とび職)の仕事をした経験があったので、外装工事はなんとかなりました。

 次に内装工事です。これは、それほど傷んでなかったので、ワックスを塗ったり、掃除や小さな工事でなんとかなりました。窓ガラスもサッシもピカピカにしました。で、日本ユースホステル協会の視察の方を待ったんですが、やってきたのが日本ユースホステル協会の小俣さんと、群馬県ユースホステル協会の河野さんでした。

 で、3日後、日本ユースホステル協会から電話がありました。

「北軽井沢ブルーベリーYGHのユースホステル契約が決まりました」

 嬉しかったですねえ。
 本当に嬉しかった。

 しかし、難問も待ち構えていました。日本ユースホステル協会から
「できるだけペンション客を入れないように」
という条件がついていたからです。

「えええええええええええええ? ペンション客を入れずして、どうやって集客しろというのか?」

 これは、契約解除となった北軽井沢ウインデーベルユースホステルが、ホステラー(つまりユースホステル会員)とペンション客の間にトラブルがおこったことが原因らしい。しかし、北軽井沢ブルーベリーの再建計画は、ペンション客の集客を中心に組み立ててあります。いまさらペンション客を入れるなと言われても、代わりにホステラーがくるわけではありません。

 事実、北軽井沢ブルーベリーYGHが、ユースホステルとしてオープンしても、しばらくの間、ホステラーは来てはくれませんでした。最初の3ヶ月間は、ペンションしかいなかったのです。ですから、ユースホステルに認可されたからと言って、ユースホステルの会員が泊まりに来てくれたわけではなかったのです。逆に全く泊まりに来てくれなかった。不思議なくらい、誰も来なかった。

 ユースホステル開業する前に聞かされていたことは、「ユースホステルをオープンすると、そのオープンを狙って会員が、ドットおしかける」という事でしたが、北軽井沢ブルーベリーYGHが、オープンした開所記念に泊まった御客様は、たった4名で、うち会員は、たったの2名でした。つまり半分がペンション客。そして、その後、2週間ちかく御客様はいませんでしたね。

 しかし、幸か不幸か、その2週間の間に、料理の練習や、雪道で自動車を走らせる練習ができたし、冬の観光地の調査もできました。ホームページの検索エンジン登録作業や、建物のリホームも同時進行で行えました。ただ、全く、御客様が来ないのには参ってしまった。

「このままでは、干上がってしまう」

 私は決心しました。
 最後の手段を使うことを!


つづく

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2010年07月31日

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 10

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 10

 問題は経営危機に陥っているペンション・北軽井沢ブルーベリーのことです。北軽井沢ブルーベリーの再建をスタートさせる前に、ある問題点が出て来ました。その問題点というのは、ペンション経営をまかせていた友人が、ペンションにすっかり嫌気がさしてきているということでした。そして嫌気がさしている友人は、
『俺は北海道でやりたい』
と言うのです。北軽井沢には永住する気は無いというのです。


movie2.jpg


 私は最初、その友人と北軽井沢ブルーベリーの再建をめざすつもりであり、ペンション業務全般を全て友人にまかせ、私は、営業と体験プログラムだけを行う予定だったのですが、友人の心は北軽井沢にはなく、北海道に向かっていました。全く自己資金の無かった三苫さんが、賃貸という手段で民宿『千葉荘』を開業できたためか、その友人も北海道で賃貸物件を探し始めていました。そして、摩周湖付近に民宿のめぼしい賃貸物件をみつけていたのです。


about11.jpg


 友人の夢は、あくまでも北海道で宿をやることであり、軽井沢周辺には興味がない、または、もう懲り懲りという感じに見えました。そのうえ宿に対する細かいこだわりが、ありました。あくまでも小さなユースホステルのような宿を目指しており、ペンションを憎んでいるような感じさえありました。よほどペンションと相性が悪かったのかもしれません。というか軽井沢と相性が悪かったのかもしれません。

 私は、こうなることを察して、私は会社を退職して日本ユースホステル協会のマネージャー養成講習会に出て、日本ユースホステル協会にユースホステル申請を出したわけですが、申請してすぐにユースホステルになるとはかぎりません。

 私が知っている長崎えびすユースホステルは、申請後1年も待たされていますから、北軽井沢ブルーベリーも1年くらい待たされるんだろうなあと、漠然と思っていたくらいです。ですから、私も、その友人も、もう1年くらいペンションを続けるつもりでいたのです。

 宿は赤字。
 軍資金は減る一方。
 給料はろくに払えない。
 おまけに、もう1年くらいペンション経営は続く見込み。


life2.jpg


 そんな状況の中で三苫さんが、ほとんど資金ゼロで民宿『千葉荘』を開業させ、なかば成功させつつあったのです。しかも、ペンション北軽井沢ブルーベリーと違って、営業成績はよい。黒字なのです。御客さまもいっぱいきているのにも驚きましたが、なによりもリピーターが多い。北軽井沢ブルーベリーのリピーターがゼロなのに、民宿『千葉荘』にはワンサカいる。施設もサービスも北軽井沢ブルーベリーの方が、圧倒的に良いのに、北軽井沢ブルーベリーは倒産寸前で、民宿『千葉荘』は前途洋々。

 で、インターネットで検索すると摩周湖に民宿の賃貸物件があった。しかも温泉付きで、温泉収入だけで1日に何万にもなるという。さぞかし友人の心は高鳴ったことでしょう。

「摩周湖に行ってきて良いですか?」
「分かった行ってこいよ。北軽井沢ブルーベリーは、俺一人で充分だから」
「まあ行ったところで、俺には賃貸物件を借りる金は無いですけれどね」
「金のことは心配するな。俺が何とかする。あいかわらず借金は減ってないけれど、100万くらいは手配する。北軽井沢ブルーベリーがあるのだから、それを担保に、みんなも貸してくれるだろうし」
「すいません」

 こうして友人は、摩周湖に向かい、賃貸物件を見学に行ったのです。ただし、物件は素晴らしかったのですが、賃貸契約には失敗してしまいました。資金の問題ではなく、貸す側に心変わりがおきたためです。でも、失敗したとは言え、広い北海道には、民宿の賃貸物件は、他にもたくさんあるにちがいなく、チャンスがあれば民宿『千葉荘』のように独立できるかもしれません。また民宿『千葉荘』の三苫さんは、女手一人による苦戦から人出を欲しています。2人で相談の結果、北軽井沢に永住する気がない友人は、民宿『千葉荘』を手伝いながら独立のチャンスをうかがう・・・・ということになりました。

 まあ、仕方ないことですが、そうなると困った。
 北軽井沢ブルーベリーの再建計画が、
 白紙に戻ってしまったからです。
 すべての計画が一からやりなおしになりました。


point2.jpg


 他の大勢の友人たちには、民宿『千葉荘』に行ってくれとたのんである。だから北軽井沢ブルーベリーへの応援は見込めない。嫁さんは、仕事はやめられないし、辞めたら唯一の安定収入が途絶えるし、おまけに友人が、富良野の転出するのは、2001年1月11日に決定しており、期限は刻々と迫ってきていました。再建計画を変更するのには時間は、あまりにもありませんでした。おまけに料理の練習も、家の引き継ぎも、引っ越しも、何もかもできてなく、準備は何一つできていません。

 そんな時に、日本ユースホステル協会から電話が入りました。
「施設をみせてほしい」
とのことでした。
「ああ、どうしよう? 何一つ準備はできてない」

 私の進退は、ここにきわまりました。

つづく

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2010年07月30日

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 9

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 9

 富良野の民宿『千葉荘』に到着した私は、三苫さんとじっくり話あいました。三苫さんのダンナさんは、まだ稚内の病院で働いていたので、三苫さんは一人だけで民宿『千葉荘』をきりもりしていました。そのためかゆとりが無かったのかもしれません。また御主人と離ればなれに生活しているためか、寂しかったのだろうと思います。そのうえ大家さんとのトラブルで、すっかり参っている様子でした。

00143861.jpg

 私は三苫さんと打ち合わせして、三苫さんの親戚ということにして、トラブっている大家さんに御挨拶することにしました。御挨拶し、大家さんと何とか仲良くなれるようにするのが私の使命です。で、手土産を持って、2人して大家さんの所に御挨拶にいきました。

 大家さんのご自宅は、民宿『千葉荘』の、すぐ後ろにありました。

 誤解は、すぐに解けました。
 簡単なことでした。

 南国育ちの三苫さんと、雪国育ちの大家さんの文化の違いからおきる誤解でした。それも最初は、小さな誤解だったのが、徐々に大きく誤解が拡大されたものでした。例えば、雪が降ると、大家さんはすぐに雪かきに出ます。雪国の人間なら、隣が雪かきをはじめたら一緒にはじめるのがルールです。でも九州育ちの三苫さんさんは、雪の美しさににうっとり見ほれてしまうのです。
「もっと降らないかなあ」
なんて言っている。こんな些細な文化の違いから誤解が生まれ、それが徐々に大きくなって無用なトラブルまで発展していくのですね。私は大家さんと話をしながら、誤解というものは、ほんとうに小さな小さなひび割れから生まれるんだなあと、あらためて思ったものです。

 また三苫さんは、御主人に対する不満も私に漏らしてきました。

「せっかく、ご馳走を作っても、新聞を読みながら食べるのよ、信じられない!」
「ひょっとしてダンナさん、酒飲み?」
「うん」
「やっぱりね」
「やっぱりって?」
「酒飲みは、ちびちび食べるんだよ。そういう文化なんだ」
「文化?」
「日本酒の飲み方を説明するとね、まず少しばかりの肴を食べ、そのうえで酒を口に含ませるんだよ。酒と肴はセットなんだ」
「・・・・・・」
「例えば、サザエのキモなんかを食べるよね? すると口の中が苦くなる。そこに辛口の酒を口に含ませると辛口なのに酒が甘くなる。その快感のために酒飲みという人種は、生きているんだよ。だから酒飲みに早食いはいないんだ。酒を美味しく飲むために、肴をチビチビ食べるのが酒飲みの食べ方なんだよ」
「でも、せっかく作った料理が冷めちゃうじゃない」
「うん、冷めちゃう」
「それって変でしょ?」
「変じゃない、変じゃない。フランス料理のフルコースだと思えばいいのさ。あれはワインがメインで、料理は肴みたいなものだろう? だから少量を1品づつだしていくよね。酒飲みのダンナさんも一緒。冷めないように、小出しに肴をだしてあげると喜ぶよ」
「私、フルコースは作れないし」
「別にフルコースを作らなくて良いのよ、煮干しを小皿に出してみたり、惣菜の残り物を小皿に入れて出してみたり、キューリを切って味噌と一緒に出してみたり、1分の手間ですむ簡単料理を小出しに出すだけでいいのよ。そう考えたら酒飲みの料理って、とても楽だと思わない?」
「えええええええええええええええ? そんなんでいいの?」
「いいの! いいの! 酒飲みには、それがありがたいのよ。酒飲みに新聞置いて冷めな
いうちに食べろと言っても無駄なのよ」
「ええええええええええええええええええ? そうだったの?」
「ま、これも、ちょっとした誤解だなあ」
「・・・・」
「ま、結婚というのは異文化を受け入れることだからね。いろんな誤解も生まれるさ」

 大家さんは、三苫さんのことをとても心配していました。女手一人で民宿をまわしていくことの辛さを知っていましたから「はやく稚内にいるダンナさんを呼んで来なよ」と助言してましたし、それは私も同感でした。富良野病院に紹介してあげるからとも言ってくれました。

 数日後の土曜日、三苫さんのダンナさんがやってきました。私は、ダンナさんに、はやく富良野で就職して2人で一緒に生活できるようになればいいのにねと言ったのですが、ダンナさんは渋い顔をしていました。富良野病院は言語療法士の雇用をもつ方針は無いというのです。

「富良野でダメなら旭川でどうだろう? ちょっと遠いけれど、旭川ならまちも大きいし、言語療法士の口があるんじゃないかな?」
「うーん」

 そして、翌日の日曜日。再びダンナさんは、稚内に帰っていきました。三苫さんは、泣きながらダンナさんのバスを追いかけて走っていました。その姿に、不覚にも私ももらい泣きをしてしまいました。この二人が再び一緒に生活できるのはいつのことだろうと思いました。

「三苫さん、ちょっとアドバイスがあるんだけれど」
「何?」
「寂しいだろう」
「うん」
「だったら御客さまを友だちにしちゃいな」
「・・・・」
「北軽井沢なら無理だけれど、富良野なら可能だよ。御客さまも宿主と友だちになりたがるのが北海道の旅人の特徴だからね」
「うん」
「場合によっては、御客さまをヘルパーにやとっちゃえ。もしくは近所と仲良くなって、宿に出入りさせて賑やかな宿にしちゃうんだ」
「うん」
「富良野は寒いだろ。駅からここまで歩いてくるのに死ぬほど寒かった。遠いし、寂しいし、道は暗いしね」
「すいません迎えに行かなくて」
「そういう意味じゃないんだよ。駅からここまで歩いてくるのに遠いし寒かったけれど、千葉荘に到着すると、千葉荘に灯りがついているんだよ」
「灯り?」
「うん、灯りがついていて、三苫さんと宿の御客さまが楽しそうに笑っている。それがとっても温かくて眩しいんだ。外の風景と真逆で感動的でさえあったな。俺は思ったね。こんな宿に泊まりたかったって。懐かしい風景だなって」
「・・・・」
「これも三苫さんの人徳だよ。御客さまと宿主が一緒になって癒し合っている。それが、とっても眩しいんだ。残念ながら今の北軽井沢ブルーベリーには、そういう風景は無い。でも民宿『千葉荘』には、ある。これを活かしていこうよ」
「・・・・」


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 東京に帰った私は、友人達に
「北軽井沢じゃなくて富良野に行ってくれ」
と言いました。

「北軽井沢は、だいじょうぶ。俺が行くから。それより富良野こそが心配だ。富良野の千葉荘を全力で応援してくれないか」

 みんな快く引き受けてくれました。そして大勢の人たちが富良野の民宿『千葉荘』に遊びに行ってくれました。御客さまとしてでなく、お手伝いとして、民宿『千葉荘』をささえてくれたのです。


 話は前後しますが、私が民宿『千葉荘』に行っている間に、フリー宿グループと、とほ宿グループの関係者とアポをとりました。北軽井沢ブルーベリーは、ユースホステルの認可がおりそうだったのですが、場合によっては、それをやめて、フリー宿グループと、とほ宿グループに加盟することも考えていたからです。

 まずフリー宿グループの人に、グループ参加を申し込んだのですが、電話で簡単にオーケーが出ました。ユースホステルでも民宿でもオーケーということだったので、北軽井沢ブルーベリーも、民宿『千葉荘』も、問題なく加盟できることになりました。

 しかし、とほ宿グループに加盟することは難しかった。まず御近所の加盟宿の了解をとらなければならないことと、加盟まで3年もかかることと、加盟宿の何軒かの推薦状が必要なことです。で、某加盟宿の宿主さんが、民宿『千葉荘』にやってきたのですが、残念ながら「千葉荘」を温かく迎えてくれるという雰囲気ではありませんでした。私とは名刺交換しても、千葉荘の名刺は受けとってもくれませんでした。
「あ、ダメだな」
と思いましたね。北軽井沢ブルーベリーは加盟を認可されたとしても、千葉荘は、親の敵のように思われていると。民宿『千葉荘』は、まだ開業して2ヶ月しかたってないのに、どうして、そう思われてしまったのかは、不思議と言うしかありませんが、これで北軽井沢ブルーベリーの進路が決まりました、『とほ宿』と『ユースホステル』のどちらを取ろうか迷っていたのですが、民宿『千葉荘』が加盟できないなら、『とほ宿』ではなく『ユースホステル』をとってしまおうと。


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 まあ、それは良いとして、問題は経営危機に陥っているペンション・北軽井沢ブルーベリーのことです。北軽井沢ブルーベリーの再建をスタートさせる前に、ある問題点が出て来ました。その問題点というのは、ペンション経営をまかせていた友人が、ペンションにすっかり嫌気がさしてきているということでした。そして嫌気がさしている友人は、
『俺は北海道でやりたい』
と言ってきたのです。

つづく

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posted by マネージャー at 02:25| Comment(3) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月29日

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 8

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 8

 今から二十数年前のことです。一人の親友が悪の道に入ってしまったことがありました。その親友は、私より一歳年上でしたが、いわゆる駄目人間であり、大学もギリギリの8年在籍したうえに三十歳をすぎても仕事をしていませんでした。今で言う引きこもりだったわけですが、二十年以上前には、そういう言葉はありませんでした。その男が私が勤めていた会社に部下としてはいってきた。三十歳になって、生まれて初めて仕事をするという彼に、私はネクタイの結び方から挨拶の仕方まで、手取り足取り教えてあげました。

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 いわゆる引きこもりであり、アニメオタクであり、マンガオタクであった彼の自宅の彼の部屋には、少女マンガが一万冊ほど山積みになっていました。レザーディスクのアニメも大量に持っていました。典型的な引きこもりだったわけですが、二十五年から三十年前の話しですから、いわゆる元祖ひきこもりといえるかもしれません。

 それだけに世間に疎く、年下の同僚に、よく虐められていました。私は見るに見かねて、彼を旅に誘ったり、山に連れて行ったりしました。すると1年くらいで人が変わったように健康的になり、ドモリは治り、普通の会話ができるようになり、体力もついてきて、妙義山をロッククライミングしたり、北アルプスを縦走したりするようになりました。おまけにユースホステルでヘルパーまでしました。

 そうなると女性たちにモテモテになってきます。三十歳まで母親以外の女性と口をきいたことの無かった彼は、大勢の旅仲間や、山仲間に囲まれるようになり、大勢の人々から慕われるようになりました。これは彼にとっては夢のような変化だったにちがいありません。そんな彼は、ある女性に恋をしました。四十歳ちかくになっての初恋でした。しかし、それは適わぬ初恋でした。失恋した彼は絶望のあまりに悪の道に走りました。私が止めても駄目だった。

 私は、全国の友人に相談しました。
 そして、みんなで、なんとか
 悪の道から彼を取り戻そうということになった。


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 で、その時に、凄い行動をとった人がいました。九州は福岡県の端っこから、飛行機に乗ってやってきた女性がいたのです。その人の名前は「三苫」と言いました。三苫さんは、私の友人とは、あまり面識が無かった。それどころか私とも、あまり面識が無かった。しかし、私が親友のことで困っていると聞いて飛行機でかけつけてくれた。頭が下がった。その心意気に。その行動に。私は、心の底から、その友情に感謝しました。私は、義理人情に弱いので、いつか借りを返したいと、ずーっと思っていました。


 そして、数年後、三苫さんは、稚内に住む旅仲間と結婚しました。
 旦那さんは、稚内の病院で言語療法士をやっていましたが、
 旦那さんの夢は、旅人民宿を開くことでした。

 三苫さんは、愛する旦那さんの夢をかなえるべく、
 北海道中をさがしまわって、富良野の不動産に売りに出している
 民宿の持ち主に、頼み込んで、賃貸させてもらうことにしました。

 その民宿は
『千葉荘』
と言いました。

 私が、ペンション・北軽井沢ブルーベリーを開業して数ヶ月たった頃でした。


00143861.jpg


 ところが、開業してまもなく、大家さんとトラブルになってしまったのです。そのうえ三苫さんは、極度のノイローゼになってしまいました。私は、私が苦しかった時に、九州から飛行機で三苫さんが、かけつけてくれたことを思い出しました。

 北軽井沢ブルーベリーの再建なんかやってる暇は無いと思った私は、すぐさま北海道の富良野に飛行機で飛んでいきました。もちろんノーマルチケットで千歳まで飛び、そこから電車に乗って富良野に向かいました。御客様と同じ交通手段を使って『千葉荘』に向かったのです。途中、『とほ宿』関係者や『フリー宿』関係者にも連絡をとり、アポをとりました。北海道ユースホステル協会にも連絡し、ユースホステルの申請についての打診をしてみました。

 富良野についたら直ぐに観光協会に向かいました。そして、千葉荘と富良野の情報をあつめまくりました。で、11月の富良野を一人でじっくり歩いてみました。『千葉荘』問題にかかる前に、富良野と千葉荘について少しでも知っておこうと思ったからです。そして富良野の人々の気質を知っておこうと思ったからです。

 で、あちこち歩いていると、身体が芯まで冷えてきました。11月の富良野は、雪も積もって路面は凍結しており、寒さが身にしみました。で、夜、真っ暗になって千葉荘に到着したのです。千葉荘は、古くてボロボロの民宿でしたが、そこには温かい灯が灯っていました。


つづく

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2010年07月26日

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 7

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 7

 さて、ユースホステルの認可が決まりそうになるとなると、やるべき事ができてきます。まず北軽井沢周辺の本格調査と、長野県・群馬県の道路状況の把握です。ユースホステルの最大の魅力は、体験プログラムにあります。その体験プログラムを実施するには、徹底した事前調査を行う必要があるのです。さいわい、北軽井沢ブルーベリーの経営は、友だちがやっています。食事作りも、ベットメイクも友だちがやる予定だし、それについては私は口出しをするつもりは無かったので、私は、体験プログラムと営業に全力を入ることにしました。

 で、本屋に行って観光ガイドブックを買いあさり、かたっぱしから名所旧跡を訪れて写真を撮りました。当時は、ホームページも発達して無く、デジカメなんて便利な物もなかったので、キャノンの一眼レフと三脚を持って毎日に三百枚以上の写真を撮影して現像に出しました。ガソリン代・フィルム代は、ものすごくかかりましたが、事前調査と記録写真は欠かせないものなので、体験プログラムを行うに当たってとても重要なことなのです。

 もちろん軽井沢のペンションにも宿泊しています。男一人でペンションに泊まると、かなり白い目で見られました。怪しまれましたし、宿のオーナーも、あきらかにドンビキしていました。この体験に
「しめた!」
と私は思いましたね。うまくすれば軽井沢を一人旅したい男性客を、うちが『独占』できると思ったからです。

 また、観光地を回ってみて、気さくに旅する男性に声をかけてみると軽井沢には意外に男性客も多いことに気がつきました。旧軽井沢銀座をブラブラするのではなく、静かな別荘地を散策する一人旅の男性客が案外多いのに気がついたのです。そういう御客さまは、お気に入りの喫茶店めぐりをしたあとに、信濃追分、佐久、御代田、小諸のビジネスホテルに泊まっているのです。軽井沢の半額の値段で泊まれるうえに、無料駐車状が完備しているからです。軽井沢の宿の中には、駐車状が有料のところもあるし狭いので、郊外のビジネスホテルに泊まる人も多かったのですね。この人たちに
「北軽井沢に泊まらないんですか?」
と、聞いたのですが、やはりペンションには抵抗があったみたいでした。

「前に泊まったことがあるんですが、まわりはカップルだらけで、いずらいんですよ」
「ユースホステルはどうですか?」
「この歳だと2段ベットはねえ」
「ペンションと同じようなユースホステルがあったら、どうですか? しかも個室でバス
トイレがあったとしたら」
「そりゃ、文句ないですけれど、そんなユースホステルは聞いたことがないです」

 ここで、また私は「しめた!」と思いましたね。
 これで新しい需要を掘り起こせると。

 広告費を限りなくゼロにして、体験プログラムで御客さまをよび、一人旅の男性客で御客さまをよぶ。これを集客の基本にするとして、問題はリピーターの確保です。友人に任せた半年間、ゼロだったのには何か原因があるはずでした。その原因を学んだばかりのマーケッティングでデーターをとって突きとめ、それを改善するのではなく、それを活かす方向性で、北軽井沢ブルーベリーを再建するプランをたてました。


HL006719.jpg


 ところが、その時、北は北海道の富良野で大事件がおきていました。
 賃貸の民宿をやっていた私の友人が、
 大家さんと揉めてトラブルをおこしていたのです。

 そのうえ、民宿をやっていた私の友人が
 極度のノイローゼになっていたのです。
「これはマズイぞ」
と、友人たちは焦りましたが、
みんな仕事がありますから誰も動けません。

 動けるのは、仕事をやめていた私だけだったのです。

 そういうわけですから、とりあえず北軽井沢ブルーベリーの再建は後回しにして、北海道の富良野に飛行機で飛んでいかなければならなくなりました。富良野の民宿『千葉荘』の再建と、友人のメンタルケアを、北軽井沢ブルーベリーよりも優先させなければならなくなったのです。

00143861.jpg

 とりあえずペンション・北軽井沢ブルーベリーの再建はあとにして、富良野民宿千葉荘の再建のために北海道に旅立っちました。2000年11月末のことでした。この頃の私は、自分の人生の中でも、最も忙しかった頃だったかもしれません。北軽井沢と富良野の2つを何とかしなければならなかったからです。


つづく

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2010年07月24日

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 6

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 6

 マネージャー(ペアレント)養成講習会に出席しろということは、一縷のチャンスがあるということです。しかし、マネージャー(ペアレント)養成講習会に出席してみたら驚くべき事に、鹿沢リゾートホテルの支配人が、いました。

 北軽井沢から2施設の宿主が、マネージャー(ペアレント)養成講習会に出席しているというのは、いったいどういうことなんだ? 私は、疑心暗鬼になりました。認可されるのは、北軽井沢ブルーベリーYGHか? 鹿沢リゾートホテルか? 施設の良さで有利な鹿沢リゾートホテルに軍配があがるかもしれない。と考えると、ますます、お先真っ暗になってきたような気がしてきました。

 さらに鹿沢リゾートホテルの支配人は、ホテルの図面を持ってきていました。それを得意満面に日本ユースホステル協会の皆さんに見せて、ユースホステル認可を迫ってきていたのです。そして日本ユースホステル協会のホステル委員会の方も、大いに乗り気で、鹿沢リゾートホテルのプレゼンを聞いていました。北軽井沢ブルーベリーのユースホステル認可は、絶体絶命のピンチに陥ったのです。

 しかし、そこに助け船を出してくれたのが、日本ユースホステル協会の真田さんでした。真田さんが私を日本ユースホステル協会のお偉いさんに紹介し、
「北軽井沢でユースホステルに申請を申し込んでいる、もう一人のマネージャーです」
と強力にいってくれたのです。

 この瞬間、私には真田さんが
『神』
に見えましたね。

(今でも私にとっては神ですけれどね)

61T51VK42HL.jpg

 ホステル委員の方も、小俣部長も私をジーッとみつめてきます。
 私の顔は青ざめていたにちがいありません。
 小俣部長が私に言いました。

「佐藤さんは、嬬恋村にユースホステルが2軒あっても異存はないですかね?」

 え?
 それって北軽井沢ブルーベリーYGHは、
 認可される予定ということ?

 さっきまで永遠の闇にいたとおもった私は、
 闇ではなく日食の最中にいたのかもしれない
 と思えてきました。

「異存ないです。何軒あっても異存はないです。隣に別のユースホステルがあっても、うちとしては何ら問題はありません。私自身が大勢の御客さまを呼んでくる自信がありますから」

 認可さえしてくれれば、御客さまをガンガン呼ぶことは私にはできるという自信は、全く根拠のないものではありませんでした。というのも某ユースホステルで2年間ヘルパーしていた時に、あることを集客を倍に増やしたことがあったからです。体験プログラムも、ツアーもやらず、ただの受付と食事提供の工夫だけで、御客さまを増やすことを過去に成功させていたので、自信と確信はありました。だから、嬬恋村にユースホステルが2軒あろうが10軒あろうが、何の問題もありませんでした。

 こうして、北軽井沢ブルーベリーYGHと、鹿沢リゾートホテルの2軒が認可される可能性がでてきました。ちなみに北軽井沢ウィンデーベルユースホステルは、御客さまとのトラブルによってユースホステル契約を解約されることになったということでした。

 その後、鹿沢リゾートホテルの支配人が私のところに近づいてきて、いろいろ話をしてきました。話をしているうちに、とても素晴らしい人であることに気がつきました。

「どうして嬬恋村に来たんですか?」
「素晴らしい村だったからです」
「だよね、そうだよね、素晴らしい村だよね」
「自然は素晴らしいし、水も野菜も美味しいし、言うこと無いです」
「それが分からない奴が多いんだよ」
「は?」
「妻も子供も、嬬恋村でホテルをやると言ったら大反対でねえ」

 鹿沢リゾートホテルの支配人は、市川さんと言いました。
 市川さんは、嬬恋村出身ですが、上京して苦労をかさねたうえで
 湘南(?)でスナックや飲食店を経営されたかたでした。

 でも、歳をとるうちに美しい嬬恋村の光景が忘れられなくなり、
 故郷の鹿沢にユーターンしてホテル経営をはじめたいと思いました。

 しかし、息子娘さんたちも、奥様も大反対。
 都会を離れたくないというのです。
 孤立無援の中で半ば強引に、嬬恋村にもどった市川さんは、
 しばらくのあいだ家族たちの中で針の筵だったようです。

「嬬恋村の良さを分かってくれるひとが、ここにいて良かった」

 私は市川さんと、すっかり意気投合して深夜まで酒を飲み交わしました。
 話題は、嬬恋村のことばかり。
 初対面でしたが嬬恋村を愛するということでは、
 同志であり、心の友でもありました。

 後日談になりますが、マネージャー(ペアレント)養成講習会が終わって、鹿沢リゾートホテルに遊びに行った事があります。そして市川さんと旧交ををあたためあいました。

「鹿沢リゾートホテルはユースホステルにしないんですか?」
「やめた」
「・・・・」
「北軽井沢ブルーベリーYGHさんが頑張っているからね」
「・・・・」
「これからは嬬恋村を愛する人に頑張ってもらいたい」

 鹿沢リゾートホテルのユースホステル化は、無くなってしまったようです。ちなみに鹿沢リゾートホテルは、ホテルと言ってもユースホステルみたいなところでした。何十人もの居候がいて、ユースホステルヘルパーみたいにボランティアで働いていました。昼間はスキー三昧。15時から朝10時まではホテルの仕事を手伝う代わりに、宿泊日とリフト代は無料にしてもらっていました。その雰囲気は、ユースホステルに似ていました。

つづく

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posted by マネージャー at 08:57| Comment(2) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月22日

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 5

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 5

 ペンションの方は、ともだちがやっているので、そのやりかたに口はだせません。だから私は、友だちのやりかたの魅力探しからはじめ、北軽井沢周辺の魅力探しをはじめたのです。今さら友だちに
「ああしろ」
「こうしろ」
と言っても聞く奴ではなかったのです。

 だから、そいつの欠点を長所にかえて、御客様に売り込むことからはじめなければなりません。そのための経理の勉強でありマーケッティングの勉強をしたのですね。だいたい欠点を指摘してもなおしてくれる保障はなかったし、そうなると、むしろ欠点を武器に使う方法を考えた方がよいと思ったからです。

 となると、不器用な友人に勤まる接客方法は、ユースホステルしかないと考えました。というのも彼は、今は無き四国の定福寺ユースホステルのヘビーユーザーであり、ヘルパーでもあったからです。で、定福寺ユースホステルは、大勢のスタッフがいて御客様も混じり合って一緒に遊ぶような宿でありました。だからプライバシーを重視するペンションの接客スタイルとは、相容れなかったのですね。

 しかし、ユースホステルへの申請は、日本ユースホステル協会に一度断られています。近くに北軽井沢ウィンディーベルユースホステルがあったからです。で、北軽井沢ウィンディーベルユースホステルに宿泊予約の電話してみました。宿泊して、北軽井沢ウィンディーベルユースホステルのマネージャーと仲良くなり、日本ユースホステル協会への認可をとりつけるために協力できないかと思ったからです。

 しかし、予約はできませんでした。
 なぜかユースホステルの会員としての予約を断られるのです。
 つまり泊まれない。

 しかたないので日本ユースホステル協会に電話することにしました。

「こうなったら押しの一手で日本ユースホステル協会に頼み込み認可を受けよう!」

と思った私は、ユースホステルの会員が、北軽井沢ウィンディーベルユースホステルに泊まれないことを理由に、北軽井沢ブルーベリーYGHをユースホステルとして認可してもらおうと日本ユースホステル協会に電話しました。もちろん断られるかもしれません。

 しかし、施設をペンションと兼業ではなくユースホステル専業にするという条件をもちだして、粘り強く認可をしてもらうように交渉してやろうと思ったのです。むろん、そのためのプレゼンの準備も整えています。

 で、おっかなびっくり日本ユースホステル協会に電話してみたら、電話に出たのが小俣さんでした。

「北軽井沢でペンションをやっている者です。ユースホステルの会員でもあります。実は、うちのペンションをユースホステルにしたいと思って電話しました」
「・・・・」
「もちろん近くに北軽井沢ウィンディーベルユースホステルがあることは知っています。知っていますが、北軽井沢ウィンディーベルユースホステルは、どういうわけかユースホステルの会員が泊まりにくくなっています。ペンション客しか泊まれません。そこで、うちの施設をホステラー専用のユースホステルとしたくて、日本ユースホステル協会に電話したしだいです。ペンション兼業ではありません。ユースホステル専用です」
「では、群馬県ユースホステル協会の河野さんに会ってください」
「群馬県ユースホステル協会・・・ですか?」
「そうです」

 けんもほろろに断られるかと思ったら、
 群馬県ユースホステル協会にいけという。

「これは、ひょっとしたら、ひょっとするかな」

と、思った私は、すぐさま群馬県ユースホステル協会にアポをとりました。そして3日後に面談をうけることになりましたが、すぐに会社に3日間の休暇をもらい、膨大な提出書類の準備とプレゼンの用意しました。

 まず自分の過去の履歴をまとめた20ページほどの冊子つくり、過去十年間の青少年活動の記録と、『風のたより』のバックナンバーや、ぶるる知床、震災マニュアルといった、莫大な過去の行動記録と、数十枚の写真(活動記録)に、ユースホステル認可後の経営戦略まで書類で用意し、プレゼンテーションの準備もぬかりなく用意しました。

 なにしろ面接は一発勝負ですから、
 念には念をいれました。

 すでに先行の北軽井沢ウィンディーベルユースホステルがあるわけなので、よほど魅力あるユースホステルを作ることを訴えていかなければ、北軽井沢ブルーベリーYGHが、ユースホステルに認可されることはないと思ったからです。面接当日は、2時間前に群馬県ユースホステル協会に到着し、充分に下見をし、何度もプレゼンテーションの予習復習を行いました。そうして河野さんの面接を受けたのです。

 その結果、手応えがありました。
 河野さんは、マネージャー(ペアレント)養成講習会に出席し
 マネージャーの免許をとるように言ってきたからです。

 認可の確約は得られませんでしたが、マネージャー(ペアレント)養成講習会に出席しろということは、一縷のチャンスがあるということです。2000年10月頃のことです。しかし、マネージャー(ペアレント)養成講習会に出席してみたら驚くべき事に、鹿沢リゾートホテルの支配人が、いました。

「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ?」

 北軽井沢から2施設の宿主が、
 マネージャー(ペアレント)養成講習会に
 出席しているというのは、
 いったいどういうことなんだ?

 私は、疑心暗鬼になりました。

 北軽井沢ブルーベリーYGHは、認可されないのだろうか?
 すでに北軽井沢ウィンディーベルユースホステルがある。
 だから同じ村に、2つも新しくユースホステルが認可されるはずがない。

 とすると、北軽井沢ブルーベリーYGHか、鹿沢リゾートホテルのどちらかということになる。そうなると、施設の良さで有利な鹿沢リゾートホテルに軍配があがるかもしれない。

「それに北軽井沢に二軒できるより、北軽井沢と鹿沢で棲み分けられた方が、ユースホステル協会としても良いのかもしれない」

 と考えると、ますます、お先真っ暗になってきたような気がしてきました。

 さらに鹿沢リゾートホテルの支配人は、ホテルの図面を持ってきていました。それを得意満面に日本ユースホステル協会の皆さんに見せて、ユースホステル認可を迫ってきていたのです。そして日本ユースホステル協会のホステル委員会の方も、大いに乗り気で、鹿沢リゾートホテルのプレゼンを聞いていました。北軽井沢ブルーベリーのユースホステル認可は、絶体絶命のピンチに陥ったのです。

つづく

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posted by マネージャー at 00:04| Comment(2) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月16日

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 4

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 4

「こうなったら赤字になろうが何しようが自由にさせてやろう」

と決意しました。そして落ちるところまで落ちてからペンションを再生させようと考えたのです。で、私は、仕事を辞める決心をしたのです。3年間会社で働いて返済する計画は中止し、私自身が本気になってペンション経営をすることにしたのです。

 と言っても、ペンション経営は、友人の自由にまかせました。倒産しようが何しようが、とりあえず友人の好き勝手にさせ、そのかわりに私は、会社を辞めたことを誰にも言わずに隠密に行動しました。

 だから、いきなり北軽井沢に乗り込んだのではありません。
 東京に潜伏し、ある作戦を実行したのです!
 そのある作戦とは、

1.税理士を雇って経理の勉強をする。
2.マーケッティングの勉強をする。
3.ペンションと宿泊施設の歴史を調べなおす
4.友人に「どんな宿にもう一度泊まりたいか」を聞き回る
5.たまに北軽井沢のペンションに訪れて、どんな様子か見てくる
6.そして北軽井沢周辺を徹底的に調べる

の6つです。

 と書くと、いつも「なにか遠回りしてるな」と言われるのですが、実は、これが近道なのですね。いや、近道であると信じています。というのも、これで劇的に集客が増えたからです。半年間、1名のリピーターもいなかったのが、2週間で御客様がリピートしたからです。

 まあ、それは置いといて、仮に、いきなり北軽井沢に行って、友人から経営権を奪って小細工しても失敗したと思います。うまくいくわけがない。むしろ外から客観的に眺めた方が、本質が見えてくるのですね。で、友人に好き勝手に仕事を続けさせたのです。それを私は外から眺めてみた。でも、ただ眺めるだけでは、何も分からないので、まず税理士を雇って経理の勉強をはじめました。それも簿記の歴史からです。複式簿記の本質がわかってくると、やるべきことが見えてくるからです。

 次にマーケッティングの勉強。最初は本で勉強しましたが、セミナーにも参加しました。そして実践もしてみました。例えば、今まで全く効果の無かったチラシに色々工夫&実験をしてみました。あと広告の宣伝文句にも、ちょっとした実験をしてみました。そしてデーターをとっていったのです。

 ペンションの歴史も調べなおし、ペンション客の嗜好も研究しました。あと友人に「どんな宿にもう一度泊まりたいか」を聞き回っていました。もちろん私がペンション経営していることは秘密のままにして質問しています。だから自分が体験した感動を素直に語って貰えましたのでありがたかった。

 で、たまに北軽井沢のペンションに顔をだしたのです。
 もちろん顔を出すだけ。
 口はだしません。
 そのかわりにジーッと自分の目でみせてもらった。

「ふむふむ、なるほど」
「へー、そうなのか!」

と感心しながらみせてもらったのです。

 最後のとどめが北軽井沢の調査です。
 北軽井沢の魅力探しです。

 ペンションの方は、ともだちがやっているので、そのやりかたに口はだせません。だから私は、友だちのやりかたの魅力探しからはじめ、北軽井沢周辺の魅力探しをはじめたのです。今さら友だちに
「ああしろ」
「こうしろ」
と言っても聞く奴ではなかったのです。

 だから、そいつの欠点を長所にかえて、御客様に売り込むことからはじめなければなりません。そのための経理の勉強でありマーケッティングの勉強をしたのですね。だいたい欠点を指摘してもなおしてくれる保障はなかったし、そうなると、むしろ欠点を武器に使う方法を考えた方がよいと思ったからです。

 あと北軽井沢の魅力にしたって、これが伝わらないと意味がありませんので、バンバン写真を撮りにいって、それをホームページで紹介していったのです。

つづく

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posted by マネージャー at 23:59| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月10日

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 2

北軽井沢ブルーベリーYGH10周年 2

 北軽井沢ブルーベリーYGHは、最初ペンションでした。中古ペンションを買い取ったからペンションからスタートしたのです。『風のたより』の友人たちに借金して、中古ペンションを買い取ったのです。お金を貸してくれた人の一人に、谷川岳ラズベリーYHの曽原マネージャーがいます。彼も100万貸してくれました。時々、ヘルパーで手伝ってくれるロシア家の2人も、200万貸してくれました。土井君や土屋君も、それぞれ何百万か貸してくれました。と書くと
 
「よく貸してくれる友人がいたものだな」

と思われる方が、大半かもしれません。

 しかし、これには訳があったのです。私だって最初から友だちに借金するつもりなんて毛頭なかったのです。それが、どういう訳か、大勢の人たちから金を借りることになってしまったのは、ある一人の友人の融資の話があったからです。もう時効なので全部ばやしてもよいと判断し、北軽井沢ブルーベリーYGHをはじめた経緯を述べたいと思います。

104-25-03.JPG

 私が友人から金を借りるきっかけを作ったのは、
 一人の高校教師が、私に
「金を貸す」
 と言って譲らなかったのが原因です。
 
 その人は障害者でした。そして、10年後に死ぬことを宣告され、その宣告から20年もたっていました。つまり、いつ死んでもおかしくなかった。そういう人に春が来た。婚約者が現れたのだった。彼は、必死になって金を貯めて、小さな家一軒を建てられるほどの貯金を蓄えたのだが、悲しいかな障害者。相手方の親御さんの反対に遭い、そうこうしているうちに愛も冷めてしまい、結局流れてしまった。私も間に立って復縁の工作をしたのだが無駄だった。
 
 彼は、やけくそのように私に対して
「お前に金を貸すから夢だった宿をやれ」
と言ってきた。

 しかし、借りるわけにはいかなかった。
 移植手術の費用を借りれるわけがない。
 しかし彼は強引だった。
 無理やり貸そうとした。
 どうみても自棄になってるように見えた。
 
 私は、仲間と相談して、自棄になってる彼を諫める方法を考えた。で、彼以外から金を借りることにした。必要な金は、2000万だったが、数百万あれば足りると嘘をつき、それを他の友人に借りてしまい、彼から借りずにすむように芝居をすることにした。で、友人たちで構成しているメーリングリストみたいなもので、借金の公募を行いました。
 
 すると、大勢の友人が融資を申し出て、
 たちまち二千万をはるかに越えてしまったのです。

 しかし、金を借りても返せなかったら意味がありません。いろいろと試算してみた結果、買ったばかりの中古ペンションを賃貸にだすと年間360万の家賃が入り、夫婦で一生懸命働いて毎月30万円の貯金をすると、さらに360万くらいの貯金がたまり、1年間で合計700万円の返済ができる。これなら3年くらいで全額返済できることがわかりましたので、友人から融資を受けることを決断できたのです。

 そういうわけで「お前に金を貸すから夢だった宿をやれ」と言ってきた障害のある友人からは1円も借りてません。自分のために移植手術に使って欲しかったので。しかし、彼は、移植手術はせずに、貯金を学費に使ってしまった。鍼灸の学校や指圧の学校に行ってしまった。いつ死ぬか分からぬ状態でありながら、あくまでも己の投資に資金を使ってしまった。そして、百名山にチャレンジし、マラソンにチャレンジし、庭いじりにチャレンジしている。そして北軽井沢ブルーベリーYGHの第1号の御客さまは、彼の紹介でお泊まりいただいた御客さまだったのです。

GF193_L.jpg

つづく。

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posted by マネージャー at 22:57| Comment(2) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月15日

コンピューターウイルスソフト+α+α

コンピューターウイルスソフト+α+α


>更新料0のウィルスセキュリティ0も持ってますが、
>昔は検出率が低くて使い物にならなかったんですが
>・・・ランキングを見る限りではまともになったみたいですね。

かなり検出率が高いですよ。
これは軽くて重宝しています。
欠点は、少しでも変な動きをすると隔離してしまうところです。

>そのかわりボットウィルスが増えてますね。

そうですね、それだけにたちが悪いともいえますね。
これはルーターを導入するなど、
2重3重の対策が必要になってきました。



>悩豚…昔 Win2kマシンに入れてたんやけど,劇重になったんで
>NOD32アンチウィルスに変えました。

ノートンは、ある程度のcpuのスペックがないと重いかも。
ウイルスバスターも、2007年まで重かったなあ。
最悪なのは、Vistaとの組あわせですね。


>Win2kマシンは,今は父が使てるんですがバージョンは4.0
>家にあるWinXPのは旧バージョンのままです。
>Macのほうは,無料のClamXavです。


2000は、名osでしたね。
xpも名作でした。
最悪なのは、Vista。

で、御客様にマイクロソフト社の方がいまして、
それを訴えたのですが、反論され逆に
Vistaを絶賛していました。

しかし、その後、すぐにウインドウズ7がでたので、
あの「Vista絶賛」は、なんだったのだろうか?

ちなみに群馬県のDellの出張サービスマンが、言っていたことには
群馬県の事業者でVistaを使っているところは、今のところゼロということでした。


つづく。

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posted by マネージャー at 13:18| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月14日

コンピューターウイルスソフト+α

>>Norton アンチウイルス
>家はこれですね。
>軽くはないのですが、それほど早くなくても最近の
>パソコンなら大丈夫だし。
>メモリ増やせば何とかなるし。


うちも、一昨年まで長いことノートンを使ってました。合計7年くらい使っていたかなあ。ノートンを使っていた理由は、その拡張性にありました。ノートンインターネットセキュリティの他に、システムワークスまでも採用して、パソコンの管理をやっていたんです。これでレジストリの不具合を直したり、ノートン・ゴーバックの機能を使って、パソコンの緊急事態を何度も救い出しました。特に、ノートン・ゴーバックの機能には、何度も御世話になりましたね。大事なデーターを何度も救出しましたから。

しかし、ノートンをやめた理由は、宿屋という環境による、特殊な使い方にあるんですよ。例えば、御客様から予約の電話がきて、パソコンを立ち上げるときに、立ち上がりの時間が遅いと、遠方から高い電話賃を払ってかけてきている御客様に迷惑がかかる。そのために、1秒でも早くたちあがるウイルスソフトが必携になります。で、一番早いソフトを導入する必要があるわけです。もちろん最新型のディスクトップパソコンに最高スペックを入れて、そのうえで常駐ソフトは、最低数におさえて、さらに私的使用は、別のパソコンを使います。仕事用パソコンは、仕事用にしか使いません。

そのうえ、仕事用パソコンも、4台あります。

1.予約管理用パソコン(超軽くしてあるパソコン)
2.ホームページ製作用パソコン(いろんなソフト満載)
3.ブログ用&インターネット検索用パソコン
4.メール受信専用ノートパソコン

で、それぞれに用途に合わせて違うコンピューターウイルスソフトを入れているんですよ。



>ただ検出力に不安があるので非常駐の
>BitDefenderアンチウィルスソフトをコマンドライン版
>にしてファイルなどを二重にチェックしています。

なるほど賢いですね。私もノートンだけの時代があって、ある時、急にパソコンの動作が遅くなったことがあったんです。で、ノートンシステムワークスを導入して、軽くすることに成功したのですが、今は、ノートンを全廃して、軽いソフト3つを多用しています。

これは、宿屋という特殊環境のなせる技だと思います。一般の人は、そこまで神経質にならなくてもよいでしょうね。ただ、仕事に使っている人は、いくら神経質になってもなりすぎにはならないですが。うちなんか野場合は、パソコンとホームページが生命線なので、これに金を惜しむことはないですよ。


つづく。

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posted by マネージャー at 19:47| Comment(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月01日

海外の話3

実は私、生まれつき色が黒いので、
夏の沖縄などに1ヶ月くらい滞在していると
黒人のように真っ黒になるのです。

20年前、1年ほど海外を放浪したときのことですが、
まず最初に東南アジアを回り真っ黒になったのです。
そのために誰も日本人だと思ってくれなかった(orz)。

ところが日本人であることが相手に伝わると
あからさまな敵意の視線から
相手の態度が豹変することが数知れずありました。
どうやら日本人は評判がいいらしい。

「じゃあ、私は何人に見えたのか?」

というと奴らは、■■人と言ってくる。
当時は、まだソ連が崩壊してなくて
社会主義諸国が存在していた時代ですから、
アジアの■■国からの出稼ぎ人が、東ヨーロッパにいっぱいいて、
それが深刻な人種問題になゆっていたんですね。

でも、社会主義国では、建前上は人種問題は無いことになっている。
スターリンだってロシア人ではなく、グルジア人だったし。
でも、やっぱり人種問題はあったのですよ。

けれど、日本人は評判が良かった。
外国に行く前は、日本のマスコミが言っている
「日本は世界から嫌われている」
を信じて恐る恐る出かけたのですが、
嫌われているどころか、逆にモテモテだった。

これはアメリカ人にも言えることで、
世界中で嫌われているはずのアメリカ人が、
やっぱりモテモテなのです。
まあ、例外もありますが、ホテルやレストランや店が、
アメリカ人と日本人を嫌っているという光景はあまり見たことがない。
と書くと

「商売なんだから当たり前だろう?」

と反論が出そうなのですが、そういう訳でもないのです。
日本人に見られなかった頃の私は、
金を持ってても泊めてももらえなかったり、
売ってももらえないことが実際にあったのです。

これには参った。
こうなるとパスポートをみせるしかなかった。


つづく

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2009年03月31日

海外の話2

実は私、生まれつき色が黒いので、
夏の沖縄などに1ヶ月くらい滞在していると
黒人のように真っ黒になるのです。

まあ、それは良いとして、20年前の話です。
1年ほど海外を放浪したときのことですが、
まず最初に東南アジアを回りました。
そこで真っ黒になったのですね。

そして、アラブ・アフリカ・ヨーロッパと回ったのですが
ますます真っ黒になったので、ヨーロッパに着いたころには
誰も日本人だと思ってくれなかった(orz)
のです。

まあ、それは、それで良いのですが、
手続きか何かでパスポートを見せるこちとになると
日本人であることが相手に伝わり
態度が豹変する
ことが数知れずありました。

どうやら日本人は評判がいいらしい。

日本人というだけで、
相手の態度がコロッと変わったのを何度もみましたから。
まあ、それは、それで別にいいんですが、
問題は、私が、黒すぎて、日本人に見えないことなんです。

いや、別に、どんな人種差別を受けたって気にはしませんよ。
こっちは海外旅行しているわけだし、
そうことは最初から想定内なんです。
でも、5分くらいで、相手の出方がコロリかわる毎日が続くと
変な違和感を感じてしまう。

「パスポートは水戸黄門の印籠かよ!」

と脱力してしまう。
あからさまな敵意の視線が、
どうぞ、どうぞと来られるとへこんでしまうのです。

特に喫茶店では、ウエイターが、
「・・・・、サー」
と敬語を使いながらも、怒っているような態度で
座ったばかりの席をどかされて、別の席に移動させられた後で
こっちが日本人だとわかると、急にニコニコされても
脱力してしまって話に乗れません。

しかし、そのうち自分の日焼けの色が褪せてくると、
そういう事件は、おこらなくなりました。
でも、なんか変な気分になったのです。

この何とも言えない変な
気持ちはいったい何であるのかと!



つづく

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Px-05.jpg
posted by マネージャー at 00:17| Comment(0) | TrackBack(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年03月30日

海外の話1

知っている人は、知ってるんですが、
私は昔、1年くらい海外を放浪したことがありました。
その結果、
「海外旅行は、もういいや」
という結論になったのですが、今年、ドイツに
取材旅行に行くことになってしまいました。

まあ、それはいいとして、実は、
1年くらい海外を放浪したときに
妙な違和感
を感じたのです。その妙な違和感とは、
人種
に関する問題からきた違和感です。


つづく

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posted by マネージャー at 00:39| Comment(0) | TrackBack(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月23日

こだわりのモノ2

あるドラマで女の子が男の子に
「肉じゃがとカレー、どっちが好き?」
と聞いて
「カレー」
と男の子が答えるシーンがありました。
この設問は、ダメですね。

 カレー好き ラーメン好きの人間は、彼女や嫁さんにカレーやラーメンを作ってもらいたいとは思わない。作って欲しいのは、肉じゃがの方であって、カレーは、こだわりの店で食べたいというのが本音です。

 そういう人種は、カレーやラーメンに平気で10万円くらいかけてしまいます。

「え? カレーやラーメンに10万円?」

と驚く方もおられるかと思いますが、これは交通費・宿泊費を含めての値段です。10万のカレーやラーメンがあるわけではありません。たかだか1000円程度の値段のカレーやラーメンのために、10万円の交通費・宿泊費をかけることは、じゅうぶんにありえる。そういう
こだわり
をもっている人間は
決して少数派
ではありません。

ケーキにこだわる。
シュークリームにこだわる。
日本酒にこだわる。
蕎麦にこだわる。
魚こだわる。
豆腐こだわる。
紅茶にこだわる。
郷土料理にこだわる。

これらのこだわりに平気で10万円くらいかけてしまう。
そういう人は、わんさかいる。
むしろ多数派といってもよい。

それに、そういうのは、アリなんですよ。
むしろこだわった方が人生楽しい。

例えば、10万円で京都に旅行に行ったとする。
その時に、もし、こだわりが無かったら、
その京都旅行は、単なる平凡な観光旅行で終わってしまう。
たいした思い出がなくなる。
ところがね、日本酒にこだわりがある人にとっては、
京都伏見の酒造は絶対に外せない聖地となる。
そして、利き酒体験は至高の喜びとなる。
そうです。

こだわりさえあれば、
単なる観光旅行は、
聖地巡礼の旅になりうる。


で、ここがポイントになるのですが、
こだわって無い場所に対する位置づけが大切になる。
こだわりが闘いの場所だとすれば、
非こだわりは安らぎの場所になる。

これは、
カレー(ラーメン)に対する肉じゃがのようなもので、
高級料理に対するお袋の味のようなもので、
味の上下よりも、
作り手の人がらを楽しみつつ、安らぎを求めたいわけです。

逆説的になりますが、
こだわりのある人間ほど
安らぎを求めたいんですね。

例えば日本酒にこだわりがある人は、高級ホテルや高級旅館なんかに泊まりたくない。むしろ小さい宿屋のセンベイ布団でいい。あとは、お茶漬けの一杯も食べさせてくれれば良いのです。

ラーメンにこだわりがある人も、高級ホテルなんかに泊まりたくない。むしろ食事提供のないユースホステルの方がいい。ラーメン好きな仲間を誘って、一緒にラーメンを食べに行ける会津の里ユースホステルのような良かったりします。

つづく

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posted by マネージャー at 10:27| Comment(2) | TrackBack(0) | テーマ別雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年02月19日

こだわりのモノ

あるテレビドラマで
女の子が男の子に
「肉じゃがとカレー、どっちが好き?」
と聞いて
「カレー」
と男の子が答えるシーンがありました。

 その後、ドラマがどのように展開したか、見てないので分かりませんが、この設問は、ダメですね。カレー好きにカレーを作ってはダメですよ。なぜならば、カレー好きの奴には、カレーに、こだわりがあるから。

 これはラーメン好きにも言えることですが、カレー好き ラーメン好きの人間は、彼女や嫁さんにカレーやラーメンを作ってもらいたいとは思わない。作って欲しいのは、肉じゃがの方であって、カレーは、こだわりの店で食べたいというのが本音です。それに、どうしても作る場合は、みずから制作するでしょう。

 何を隠そう、私は、カレー好きのラーメン好きです。だからカレーとラーメンは、それなりの店で食べます。絶対に不味いところでは食べません。どんなに遠くでも車を飛ばして食べに行く。

 そんな私に、土井君が、博多ラーメンセットや、旭川ラーメンセットを出張帰りにお土産に買ってきたりすると、つくづく土井君は、カレー好きラーメン好きの人間の気持ちが分かってないなあと思ってしまう。

カレー好きだから、カレーのお土産
ラーメン好きだから、ラーメンのお土産

というのは違うんですよね。と同時に、食べたいものと作ってもらいたいものも違う。人は、必ずしも美味しいモノだけを望んでいるわけではありません。味ではない、別のモノを望んでいるケースもある。

これは、ユースホステルの食事にも言えます。本当に美味しく食べてもらうには、コースにするのが一番良い。でも、御客様は必ずしも味だけを望んでない。

味も大切だが、ふれあいも大切にされる御客様も多いからです。
つまり、カレーより肉じゃがを望まれる御客様が多いのです。


つづく

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2008年12月12日

宿主という人種4

今日、群馬フラワーパークという、
ユースホステルの提携割引施設に行ってきました。

ユースホステル提携施設ですから、
ユースホステルの会員証を提示したら
割引があるはずなのに、割引にならなかった。
「聞いてない」
というのです。何故だろうと思って突っ込んでみると、
経営者が変わってしまっているとのこと。
そこで私は、

「提携施設の契約を解除するならするでかまわないので連絡をくれ。電話一本でいいから」

と言いました。ところが、相手は

「うちは、前の経営者とは違うので、契約そのものが成立してない」

というのです。私は

「またか!」

とため息をつきました。
「またか」
と言うのは、こういう事は何度もあったのですね。最近、よくあるのです。原因は指定者管理制度によって、県立施設や地方自治体の施設が、民間に移行するケースが増えているためです。

 まあ、それは良いとして、こういうトラブルが発生すると、自営業者と企業サラリーマンの差が、きっちり出てしまいます。どのように出かと言いますと、法律の知識の差が出てしまう。

「うちは、前の経営者とは違うので、契約そのものが成立してない」

と言ってきたサラリーマンの方は、法律にあまり詳しくないのです。こういう理屈は、本来なら通用しないのです。経営者が変わっても、前と同じ屋号(のれん)を使う場合は、前経営者と取引があった会社に、

経営者が変わった

という

告知の義務

があり、告知がなされてない場合は、契約違反と訴えられても勝てないのです。それをサラリーマン(あるいはバイト)の受付さんは、御存知なかった。それで、こんなトラブルが発生するのです。

 だから私が、北軽井沢ブルーベリーYGHを購入した時や、ペンションティンカーベルを売却した時には、新しい経営者として、挨拶の電話や葉書による通知を行いました。そうしないと、前オーナーの借金を背負うこともありえるからです。もちろん、系列店の富良野千葉荘でも、ホームページで告知しています。

 皆さんも、会社が店をたたむときや、経営交代の告知の葉書をもらったことがあるかと思いますが、あれは、単なる挨拶ではなく、法的措置なのです。こんなことは、自営業者なら誰でも知っていることです。

 でもサラリーマン社員さんたちは、商法を知らなくても、大丈夫です。大きな会社には総務という部署があり、顧問弁護士もいるので、法律問題は、そちらで処理するので問題ないでしょう(ただ、付け焼き刃で、知ったかぶりで、単なる受付が反論すると火傷しますが)。

 しかし、自営業者は、必死で商法を勉強している。
 総務も、顧問弁護士もいないので、自分で勉強するしかない。

 となると、どうしても、知識に差があるので
 現場でのやりとりで、温度差を感じてしまいます。

 今回も、それを感じてしまった。

 で、私がどうしたかと言うと、
 ここで揉めても何の得にもならないので
「まあ、いいや」
と簡単に引き下がりました。

近いうちに正式に、群馬フラワーパークの提携割引施設の
解除を行うことになるかもしれません。
とりあえず、ブログで非公式に

群馬フラワーパークは、
ユースホステルカードでは割引できない


ことだけは伝えておかないといけないと思い書き込みました。
ただ、悲しいかな日本ユースホステル協会のホームページや
ガイドブックから削除されるのは、
1〜2年先になるということです。
ご迷惑かけて申し訳ありません。


つづく

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2008年11月21日

宿主という人種3

宿主という人種3

知ってる人が、ペンションを廃業しました。
「これから、どうするの?」
と質問すると、こんな答えが返ってきました。

「年金生活で細々と暮らしていくよ」
「国民年金だけで?」
「まさか」
「じゃ、小規模企業共済?」
「それそれ」

自営業者の年金の給付は国民年金からのみとなります。40年間保険料を支払ったとしても、月額約6万6000円です。公的年金だけでは、老後の生活は厳しいと言わざるをえません。保険料を40年支払うことは困難なことです。20年しか払っていなければ2分の1しかもらえないことになります。

 つまり月額約3万3000円です。
 これも、将来保証されるかどうかわかりません。

 そこで小規模企業共済に入る人がおおいのですが、小規模企業共済とは、毎月の掛金は千円から七万円までの範囲内で自由に選べる年金のことで、会社の経費として認められる年金のことです。

 「小規模企業共済等掛金控除」として、課税対象の所得から掛け金の全額を引くことができます。その分だけ課税対象の所得が少なくなりますので、所得税/住民税が安くなります。

 例えば、毎月7万円の年金をかけるとします。年額で84万円の控除となります。儲けがあったとしても84万円の控除。これは大きいですね。

 そして10年間払い続けると840万円。
 20年なら1680万。

 これに金利がついて、廃業の時に退職金または年金としてもらえるわけです。確実にもらえるという意味では、国民年金より有利かもしれません。

 もし、ペンションを廃業したとしても、掛け金は、退職金として、そっくりそのまま帰ってきます。たとえば、5年間払い続けたとして5年でペンションが倒産したとしても、420万の退職金が入ってきますから、悪い話ではありません。

それを知らないサラリーマンたちは、
ペンションの倒産イコール無一文
だと思いがちなのですが、実はそうではありません。
自営業者たちは、倒産しても
必ずしも無一文になるわけではない
のです。

 このへんに自営業者たちのマジックがあるのです。


つづく

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2008年10月31日

宿主という人種2

かって旅人であった私は、
10年前に小さな宿のオーナーになりました。
その間、ほとんど旅をしてなかった。
あれほど旅好きだったのに
借金返済のために旅ができなかった。
年収10万円くらいじゃ、旅は夢のまた夢でした。

「年収10万円で、どうやって生活していくんだ?」

と思っている方は、経理を知らないでも生きていけるサラリーマンの方でしょう。個人事業主なら、減価償却費で食っているんだなと即座に理解できるはずです。まあ、それはともかくとして、私は、10年前に小さな宿のオーナーに、個人事業主になったわけです。

 個人事業主になるということ。

 それは全ての決断を自分自身で行うと言うことでした。会社なら経理部という部署があり、サラリーマンなら経理を知らないでも生きていけます。経理という煩雑な知識に労力をとらわれることなく、自分の専門部署で、専門的に戦うことができる。広報・総務・渉外・人事・営業といった他の部署もあって、知らないところでバックアップしてくれる。しかし、個人事業主になるということは、それら全てを自分で行うということでした。

 全部やらなければいけない。
 全部かじらなければいけない。
 当然のことながら、
 最初は全部わからないから、
 勉強が必要になります。
 一からやりなおしです。
 経理のことも、許認可のことも、法律のことも。

 もちろん、全部一人でやるから、最初は専門家の揃っている会社組織にかなうわけがありませんから、最初はマイナスからのスタートになります。それどころか一人でオールマイティーになるために、全て中途半端な存在になりやすくなる。理論的に言っても専門に集中できる会社組織にかなうわけがない。

 ただし、悪いことだけでもありません。


つづく

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2008年10月30日

宿主という人種1

宿主という人種は、確実に存在します。

いろいろな人々と出会い、
その内面にふれる。
いろいろな事件とかかわり、
その事件の本質にせまる。

しかし、
どんなに関わったとしても
それを、そんざいしなかったこととして
消してしまわなければならない。

それが宿主という職業であり、
これが宿主という人種でもあります。

それが時々嫌になって、ちょっと旅に出てきました。
北八ヶ岳散策と、清里のキープ協会を見学してきました。
やっぱり、旅はいい。
宿主も旅をしなければならないと思いましたね。

かって旅人であった時の私の夢は
小さな宿のオーナーになることでした。
その夢は、10年前にかない、
この10年間必死で宿業に打ち込んでいました。
夢をかなえた人間には、責任があるから。

しかし、本当の夢は、もっと遠いところにあると
旅を続けていると、気づかせてくれます。


つづく

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2008年07月19日

オープン8周年を迎えて6

オープン8周年を迎えて6

 北軽井沢ブルーベリーYGHは、オープンしても、ユースホステルの会員は泊まりにきてくれませんでした。どういうわけかユースホステルのヘビーユーザーたちは、オープンから5ヶ月間の間、見向きもしませんでした。

 逆にペンション客は、増えつつありました。こうなると、御客様のメインはペンション客になります。ペンションの御客様が、どんどんリピートしていくようになります。

 となると、ユースホステル会員になった方が安く泊まれるというので、ペンションの御客様が、ユースホステルの入会を希望してくるという逆転現象がおきました。その結果、北軽井沢ブルーベリーYGHは、ユースホステルの会員に入会した、ペンションユーザーが御客様の主力という、とっても不思議な状態となってしまいました。そのために初年度は、御客様の80パーセントが20歳台の若い女性という恐ろしい統計となってしまったのです。

(もちろん、今は、そういうことはありません)


つづく

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2008年07月18日

オープン8周年を迎えて5

オープン8周年を迎えて5

A君は、○○しなさいというし、
B君は、○○だけはしてだめという。

 両者の言い分が真逆であるということは、多々ありました。しかし、どっちも正解なのですね。A君とB君のアドバイスの違いには、背後の戦略の違いがある。A君の戦略なら、A君の回答が正しいし、B君の戦略なら、B君の回答が正しい。

 「戦略」とは、特定の目標達成のための理論のことです。そして、戦略の違いとは「特定の目標」の違いをさします。目標が違えば、それに至る方法論が違うのは、当たり前のことですが、その違いは、アドバイスしてくれる友人たちの過去の経験則によって、大きくちがってくる。営業経験者と経理経験者では、天地ほども発想が違ってきますし、利用者の立場と、経営者の立場でも発想が違ってきます。

 例えば、ある人は、徹底した経費節減のためのプランを教えてくれましたが、別の方は、それとは正反対の方法を教えてくれました。何でも値切って叩くべきだという人もいれば、「絶対に叩くな。むしろ値段は高くても良い。それよりも、お付き合いを重視して、業者から情報を得ることだ。情報にはコストをかけるべき」と言う人もいます。それぞれ正解なのですが、その正解は、それぞれの戦略に対して正解なのですね。

 つまり、どんなアドバイスであっても
「アドバイスに間違いは存在しない」
 ということです。

 間違えがあるとしたら「戦略の選択」に問題がある。つまり「特定の目標」の選定にミスしている可能性が高い。つまり何を目標にするかが、重要だということですね。それに気がついた私は、ブックオフのハシゴをして二百冊以上のビジネス書を買っていあさり、戦略の再検討をし、その戦略を達成するためのアドバイスを友人に求めてみたりもしました。すると、面白いことに、今度はA君もB君も、おおむね同じアドバイスになりました。両者の言い分が真逆であるということは、なくなりました。


 と、同時に友人が一年かかって、たった一人のリピーターさえ作れなかったペンションブルーベリーに、わずか二週間でリピーター1号が、やってきたのです。

 しかも、リピーターは、次から次へとやってきて、真冬なのにブルーベリーは満室を記録しました。もちろん、ユースホステル会員ではありません。ペンション客の方です。ユースホステルの会員は、あいかわらず誰も来ていません。


つづく


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2008年07月17日

オープン8周年を迎えて4

オープン8周年を迎えて4

 友人が多いことはすばらしいことです。だから友人だけは失いたくない。だからこそ経営が軌道にのるまでペンション経営のことは内密にしていました。友だち相手に営業はせず、友だちにアドバイスしてもらって手伝ってもらうという選択をとりました。では、どんなアドバイスがあったかといいますと、これが非常におもしろい。人によって、立場によって全く逆のアドバイスがあったからです。

A君は、■■しなさいというし、
B君は、■■だけはしてだめという。

 両者の言い分が真逆であるということは、多々ありました。じゃあ、どっちが正解なのかと言いますと、どっちも正解なのですね。つまり、どういう事かと言いますと、A君とB君のアドバイスの違いには、背後の戦略の違いがある。A君の戦略なら、A君の回答が正しいし、B君の戦略なら、B君の回答が正しい。

 ところが、アドバイスしてくれる友人たちは、自分のアドバイスが、自分の過去の経験からきている経験則(つまり戦略)から、自分のアドバイスが成立していることを認識してないので、時によっては、A君とB君が大激論となる場合もあります。しかし、よく聞いてみれば、両方とも正しいのですね。戦略が違うだけで。

 ここで「戦略」という言葉が出てきましたが、「戦略」というのは、特定の目標達成のための理論のことです。たとえば、集客を増やすという「特定の目標」があれば、それに到達するための理論が戦略です。そして、戦略の違いとは「特定の目標」の違いをさします。目標が違えば、それに至る方法論が違うのは、あたりまえといえば当たり前のことですが、その違いは、アドバイスしてくれる友人たちの過去の経験則によって、大きくちがってくる。

 営業経験者と経理経験者では、天地ほども発想が違ってきますし、利用者の立場と、経営者の立場でも発想が違ってきます。ユースホステルユーザーの立場と、ユースホステルユーザーの立場とペンションユーザーの立場でも発想は違ってきます。自営業経験者とサラリーマンも発想は違ってきます。二十歳の人間と五十歳の人間も発想は違ってきます。

 この違いが、とても面白かった。
 みんな、それぞれ別個の立場から戦略を練り、
 みんな、それぞれ別個の方程式を作ってくれました。

 あんまり面白かったので、みんなの過去(経験則)まで聞いてしまいました。すると、この過去(経験則)が、ほんとうに面白くて、一ヶ月に数万の電話代までかさむようになりました。御客様もいないのに、倒産寸前だというのに、よくもまあ莫大な電話代を使ったものです。われながら感心します。


つづく


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2008年07月10日

オープン8周年を迎えて3

オープン8周年を迎えて3

 ユースホステルがオープンするとヘビーユーザーが、どどーっと押し寄せるという噂は、北軽井沢ブルーベリーYGHに限って言えば、ありませんでした。それどころか、3ヶ月、閑古鳥が鳴き続けました。待てど暮らせどユースホステル会員はやってきませんでした。たまに泊りに来る御客様は、全て「じゃらん」で広告(1ヶ月10万円の広告費)をみた客様ばかり。もちろん広告費の元もとれていません。こうなると、ユースホステルで集客するのをあきらめざるえません。ペンション客を集めるしかないので、軽井沢駅まで客引きに行きました。

 実は、ペンションをオープンしたとき、友人には内緒にしました。義理や、ご祝儀で友人に泊まってもらうことだけは避けました。といっても、私は友人は多い方なので、全く内緒にすることはせず、ごく親しい仲間20名ほどには伝えてありました。もちろん、その人たちにも義理や、ご祝儀で友人に泊まってもらうことは避けました。泊りに来た場合は、手伝ってもらうことを条件で無料で泊めました。経営が苦しいときは、つい金が欲しくなるものですが、それを友にあてにしても解決になりませんから、一緒に考えてもらい、手伝ってもらいました。その結果、
深刻な経営危機から脱出できました。それは大勢の友人の知恵と友情のおかげでした。

 実は、アドバイスしてくれた友人たちは、自分がどんなアドバイスをしてくれたか忘れてしまっています。なにせ8年前のことですから。
 でも、私は覚えています。
 いろいろなヒントを。今、思えば、どれもこれも貴重なものばかりでしたね。結果論になりますが、これがよかったと、今では思っています。

 そういう貴重な意見に、どれだけ耳を傾けられるかが、この世界で成功できるかどうかの瀬戸際になると思います。しかし、一般的にいって自営業者というものはお山の大将が多いために、そういう意見には耳をかさない人が多いように思います。
 まあ、それはともかくとして、友だちが多いということは、とても素晴らしいことです。すごい武器になります。だからこそ、友だち相手に営業するよりも、友だちにアドバイスしてもらって手伝ってもらうという選択の方が良いのですね。


つづく


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