2022年01月16日

スケート部の先輩・土屋良輔を応援!

 嬬恋村の嬬恋高校は、オリンピックのスピードスケートに5人の選手が輩出した名門校として全国的に有名です。その嬬恋から北京オリンピックに出る人がいます。土屋良輔さんです。凄いですね嬬恋村。そして嬬恋高校もすごい。うちの息子が入学するまでに少子化で無くなってなければいいけれど。偏差値は群馬県で一番低いけれど、嬬恋高校にはキラリと光るモノがありますよね。

 土屋良輔さんだって、嬬恋高校から専修大学にいってるし、観光協会仲間の息子さんも、嬬恋高校から東洋大学に行って、社会で大活躍している。私は、観光協会関係のことしか知りませんが、私の知り合いは、多くの息子さんたちが、越境入学で偏差値70以上の有名私立中学(私立高校)に入学していっています。それもトップ合格で、奨学金までもらって合格している。

 というか、合格はあたりまえで、いかに奨学金確保するか?というレベルの争いになっている。うちの観光協会の会長の息子さんが、まさにそれで、トップ合格しているのに「強制入寮」が嫌だからということで、別の私立中学に入っている。もちろん息子が在籍しているスケート部でも、先輩たちが次々と偏差値70以上の有名私立中学に入っている。スケート部で活躍した上でのことなので、ガリ勉で入学したわけではない。文武両道で心身を鍛えた上で入学している。

 そういえば子供三人と奥さんを前橋に住まわせて奥さんが週末だけ嬬恋村(干俣)のペンションで仕事しに帰ってくるというケースもありました。そのうちの一人は、長距離走で全国レベルの記録を残しているので、これもやはり文武両道。嬬恋村は、そういう教育熱心な地域なのですが、そういう中で、土屋良輔さんは嬬恋村に残り、嬬恋高校でスケートを頑張り、専修大学に進学しスケートの大会で次々と賞を総なめにし、そして北京オリンピックに出場する。すごいことだと思います。





 ちなみに、土屋良輔さんを応援するための寄付をスケート部に一口千円をつのってきました。もちろん応援させていただきますとも。息子の先輩として夢を見させてもらうわけですから、いくらでも応援させていただきますとも。ちなみに、息子の同級生のお母さんが、学校の先生で土屋良輔さんが教え子だったらしく、やはり応援したいと言っていたらしい。


https://news.yahoo.co.jp/articles/265d58c0d311c01daf39689a90cdc2db13848622


 そういえば、そのお母さんが、息子の通っている嬬恋村東部小学校のスケート部顧問の先生の先輩らしい。もちろんスケートつながりの先輩。で、別のお母さんが後輩らしい。もちろんスケートつながりの後輩。他の父兄も大半が元スケート選手で、スケートつながりで何らかの形で繋がっている。みんな、今は廃校になってしまった旧干俣小学校のメンバーたち。

(関係ないけれど、顧問の先生もやりにくいだろうなあ。小学校時代の幼なじみというか、同じ旧干俣小学校スケート部の先輩後輩が父兄だから・・・)

 嬬恋村のスケートが強いと言っても、嬬恋村全体が強いわけではなく、旧干俣小学校のメンバーたちが強いのであって、息子の通う東部小学校は、スケートなんかには見向きもしないのが現実。旧干俣小学校のメンバーたちが西部小学校で猛威を振るっているのが現実。

 東部小学校のスケート部の場合は、旧干俣小学校の卒業生が、嫁さんとなって東部小学校付近に引っ越してきて、娘や息子にスケートを教えているパターンが多い。

 旧干俣小学校の原住民親子と、干俣から移転引っ越しした親子の争いになっている。ようするに嬬恋村のスケートは、旧干俣小学校の残党同士が、切磋琢磨して腕をみがいて、記録を伸ばしているというのが現実らしい。

 そういった中で、全くスキーもスケートも無縁に生きてきた佐渡島出身の私と、ローラースケートしかやったことのない、日本一の猛暑で有名な館林出身のうちの嫁さんとの間にできた息子にスケートをやらせたのは、無知からきている。

 嬬恋村のことをよく知らなかった私は、嬬恋村では、誰もが3歳くらいからスケートをスイスイスベっていると勘違いしてしまい、体育の授業で惨めな思いをさせないために、スケート部に入部させてしまった。

 幼稚園の運動会ではビリしかとったことはなく、縄跳びは一回も跳べなかったために、虐められているという報告をうけていたので、走る練習をさせて、縄跳びも相当練習させた。その延長上で、スケート部にいれたわけだが、まさか、スケート部に入る子供の親が、元スケート選手だらけだったとは夢にも思わなかった。

 そもそも嬬恋村の子供たち全員がスケートができるわけではなかった。
 みんな滑れなかった。
 それを前もって知っていたらスケート部に入れなかったと思う。
 私は勘違いしていたのだ。





 嬬恋村の子供たちは、みんな昼休みになるとスケートで遊んでいると思っていたけれど、そんなわけはなかった。嬬恋村では、自転車に乗る感覚でスケートをスベっていると思っていたけれど、それは誤解だった。サンダルを履く感覚でスケート靴を履いていると思ったけれど、そんなはずはなかった。

 嬬恋村では、スケートでウーバーイーツをやっているイメージがあったけれど、冷静に考えてみたら、そんなわけなかった。冬はスキーで登校しているとか、一生餅のかわりに一歳でスケートデビューするイメージがあったけれど、よくよく考えたら、そんなわけがあるばずがない。干俣ならいざしらず、嬬恋村は、そういうところではない。

 でも、嬬恋村をよく知らないヨソ者がもつ嬬恋村のイメージは、だいたい、そういうところで合っているとおもう。だから私のような他の地域から引っ越してきた人間は、息子に恥をかかせないためにスキー教室にもやったし、スケート部に入部もさせた。当時の私は、勝手に思い込んでいた嬬恋村のイメージに振り回されていたんだと思う。嬬恋村の人間の9割は、キャベツとスケートでできあがっているという勝手な思い込みがあったんだと思う。

 しかし、そんなことはなかったw
 それを知っていたら息子にスケートなんかやらせてなかったと思う。

 ちなみに先週、スポーツ少年団主催の県大会があったらしく五位だったらしい。
 私は宿業の仕事があるので見に行けなかった。

 今日は、吾妻郡のスケート大会があった。今日の吾妻郡のスケート大会は、嬬恋村でやるので見に行けるかと思ったけれど、御客さんのチェックアウトが遅かったので、会場に到着した頃に大会が終わっていた。仕方が無いので、記録ボードで順位を確認したら息子は二位だった。私の勘違いで始めた息子のスケートも、少しは息子の役にたっているかもしれない。


つづく。

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posted by マネージャー at 14:46| Comment(0) | スケート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年12月11日

スケートのバッチテスト

 うちの息子はスケート部に入っているわけですが、今日は伊香保のスケートリンクでスピードスケートのバッチテストの大会があって、大会に参加してきたのですが、結果から言うと500 M は合格。1000 M では転んでしまって不合格。まあスケートですから転ぶこともあるでしょう。というか、気温が上がりすぎて氷が溶けてしまい、大勢の選手がステンコロリと転びまくったようです。そんななかで転ばずに合格した人もいたわけで、これは時の運というか、そういう意味も含めて実力なんでしょうね。でも500メートルで合格したから良しとしよう。次の軽井沢大会では、転ばないように1000 M を走り切って、なんとか合格するといいんですけれどね。

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 それはともかくとして、こういう時に宿屋という職業が足かせになります。スケートの大会というのは、ほとんどが土曜日か日曜日に行われますので、宿屋にとっては稼ぎどきなので参加させることが非常に難しい。正直言って入部した当初は、大会には参加させるつもりはなかったんですが、息子が元気にスケートで走ってる姿を見ると、どうしても親ばかが発動してしまう。今回は嫁さんが伊香保まで大会に付き添って、私は留守番して料理の仕込みをやっていました。もちろん土曜なので満室です。土曜日に二人で応援に行くことはできなかった。 次の大会も私は留守番だな。こりゃ。


つづく。

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2021年06月18日

息子に空手とスケートをやらせてみた結果

  今日、息子が所属している嬬恋村東部小学校スケート部の保護者会がありました。実は、この保護者会が行われることを数時間前まで知らなかった。日頃からお世話になっている保護者会長さんからのメールで知ったので慌ててしまった。こういう日にかぎって御客様が何人もはいっていたからです。


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 学校から帰ってきた息子に
「先生からスケート部のプリントをもらってなかったの?」
と聞いたら
「もらった」
と言う。
「いつもらったの?」
「うーん」
「とにかくプリントを持ってきて」
「うーん」

 結局、息子のやつは、スケート部のプリントを無くしてしまっていたらしい。

「無くしたのは仕方ない。でも、無くしたら無くしたで、お父さんに言わなきゃだめでしょう!」
「はい」
「もし大切なことが書いてあったら、スケートができなくなっちゃうんだよ」
「はい・・・・」

 こういうことはよくある。
 幼稚園の頃から何度もありました。
 そのたびに親たちは冷や汗をかきます。
 忘れ物も多いですし、紛失するものも多い。
 教室の床に鉛筆やら消しゴムも落としたら落としっぱなしです。

 2年生の時には、担任の先生が息子の落とし物を入れるための専用箱まで用意してくれていました。とんでもないことで、脳に欠陥があるのではないかと疑ったこともあります。そういうところが幼稚園の頃からあったので発達心理学の先生に相談して知能検査までしましたが、結果は、ギフテットクラスの高い知能指数が出てしまいました。しかし、この検査を私は信用してません。もし、本当に知能が高かったら、こんなに忘れ物するわけがありませんし、こんなにだらしないわけがない。

「このままでは、社会人として不適格な人間になってしまう」

と危惧した私は、忘れ物をするたびに車で20分もする学校に取りに行かせて、罰として、腕立てやスクワットをやらせたけれど直りません。御客様に挨拶もできませんので、それに対しても罰として、腕立てやスクワットをやらせたけれど直りません。挨拶が出来ない。

 状況が改善し始めたのは、2つの空手教室に通ってからでした。
 ひとつは軽井沢の風越体育館が主催している「空手と礼儀教室」。
 もう一つは、嬬恋スポカルの「空手教室」です。


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 親が、どんなに躾けようとしてもダメだった挨拶・礼儀が、2つの空手教室に通わせたら劇的に良くなった。集団教育の効果を目のあたりにした私は、親が行う教育の限界を知ってしまった。人間は、大勢の先輩がいるところに放り込まれると、自分の我が儘が押さえ込まれてしまうらしい。でも親だと甘えてしまって、どうしても我が儘になる。それを身をもって体験した私は、息子が小学校に入学したときに
「スケート部への入部案内」
のパンフレットを頂いたときに即座に息子を入部させようと決断しましたが、嫁さんは大反対。嫁さんは、息子にピアノを習わせたがっていました。その嫁さんも今ではスケート部に入れて良かったと思っています。社会性が身についたからです。

 普通の子供なら難なく手に入れられる社会性が、うちの息子には欠けていた。
 その欠けた部分を親が教育しようとしても、難しかった。
 私がどんなに厳しく育てても、なかなか社会性は身につかなかった。
 なのに集団の中で上下関係を体験すると劇的に変化した。
 特にうちの息子には効果があった。
 それが、たまたまスケートだったのかもしれないし、
 空手だったのかもしれないけれど、確かに効果があった。

 これは、サッカーでも、野球でも、剣道でも、何でも同じなのかもしれない。個人教育には限界がある。集団教育でないと身につかないものが確実に存在する。ろちろん、世の中には天才がゴロゴロいますから、集団教育が必要ない人だって、大勢いるかもしれませんが、うちの息子に限っては、集団教育が無かったら身につかないものが、確実にありました。

 ここで不思議なことに気が付きました。空手もスケートも個人競技です。野球やサッカーのような集団競技ではないし、チームプレーというものもない。空手もスケートも、自分自身と向き合うスポーツであって孤独な競技なんですよね。孤独な競技なのに、息子の社会性がアップする。ここが不思議なところです。野球やサッカーなら分かるんですが、空手・スケートといった個人競技が、どうして息子の社会性を伸ばすのかが不思議といえば不思議です。

 考えてみたら、陸上部だって、他の武道だって、何年か修行すれば社会性がアップすることを、誰もが個人的な体験で知ってますよね。例えば履歴書に、柔道初段とか、剣道二段とか書いてあれば、
「この人は、社会性があるんだろうな」
「少々のことならへこたれないんだろうな」
と予測して採用します。どんな武道でも有段者なら、ある程度の社会性があると見なしますし、あるていどは努力する人だと予測しますよね。だから黒帯を目指して頑張っている武道家たちが全国に何十万人もいます。


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 そういう意味で段位制度というのは便利な制度だと思います。スキーやスケートならバッチテストが、それにあたるでしょう。お茶や、お花や習字・算盤だって、その道を究めたら評価される。空手やスケートと一緒だと思いますが、いかがでしょうか?

 まあ、そんなことは、どうでもいいとして、うちの息子には何かが足りない。今でも足りない。ただ、空手教室とスケート部を行うことによって、足りないものが、少しずつ改善されつつある。残念ながら空手もスケートも、少しも上手くなっていませんが、足りない部分は、少しずつ改善しつつある。本当に少しずつなんですが、ミリ単位の進歩なんですが、いや、ミクロン単位の進歩なんですが、社会性が身についてきていることは確かです。我慢強くもなっている。

 マイナス10度の寒さの中で、2ヶ月もスケートの練習をして、たったの3秒しかタイムが縮まらないわけですから、そうとう我慢強くないとやっていけない。1秒縮めるために、どれだけ練習するか、どれだけ寒い思いをするか、どれだけマメを作るか、どれだけ擦り傷を作るかを考えたら、我慢大会もいいところです。

 しかし、スケート練習場に行くと、そんな環境下で頑張っている諸先輩がいっぱいいるわけで、まわりが黙々と練習をこなしている。それに影響されて自分も練習しなきゃという空気になるみたいで、その毎日の繰り返しが、我慢強さと、粘り強さを育てるようです。しかし、スケートのタイムはいっこうに縮まらない。

 やがて2月中旬となり、短いスケートシーズンが終わりをつげます。驚くのは、その後におこる「確変」です。シーズンが終わると、陸上の短距離と長距離が早くなる。スケートでは、ちっとも早くならなかったのに、陸上のスピードが速くなっている。恐ろしいほど早くなっている。特に長距離のスピードが速くなっているのですね。これがスケートの恐ろしい副作用です。

 これは息子が1年生の時に発見しました。スケートを始める前の6歳の息子は、200メートル走るのに70秒もかかっていた。それが、たったの2ヶ月スケートをやったら55秒で走れるようになっていた。たった2ヶ月で15秒も短くなっていた。2年生の時も同じで、足が速くなっていた。スケートのタイムは縮まらないけれど、200メートル走のタイムは縮まる。もちろんマラソンならもっとタイムが縮まっている。だけど不思議なことに50メートル走のタイムは縮まらない。ここが面白いところです。

 あと、苦手だった縄跳びもできるようになる。縄跳びとスケートに、どういう因果関係があるのかわかりませんが、10回も跳べなかった縄跳びを100回・200回・300回と跳べるようになってくる。不思議と言えば不思議です。もっと不思議なのが自転車。何も練習しなくても乗れるようになったのは、どういう理屈があるのだろうか? 一番驚いたのは片足立ち。10秒も立ってられなかったのが、5分くらい平気で立てるようになるのは何故か? 全く恐ろしい副作用です。

 もう一つの副作用は、風邪をひかなくなることですね。
 全くもって風邪をひかない。
 まあ、あれだけの我慢大会を毎日つづけるわけですから、風邪を引きようがないですね。

 話が大きくそれました。
 嬬恋村東部小学校スケート部の保護者会の話です。

 去年は、10人も新入部員が入部したわけですが、今年は何人の1年生が入部したのだろうかと、スケート部の保護者会の会議に出席したのですが、今年は、たったの2名だけでした。新型コロナウイルスで、今までスケート部の活動ができなかったのが、影響したのか、入部者が少なかったのは残念ですが、もともと嬬恋村東部小学校の子供たちは、スケートをやらない子供たちばかりなので、人数的には、そういうものなのかもしれません。願わくば、今年の冬こそ、新型コロナウイルスが終息してくれるとありがたい。



つづく。

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2021年02月19日

スケートの練習をさせたら足が速くなった話

 新型コロナウイルスによって緊急事態制限がのびたために相変わらず暇な毎日を送っています。宿屋としては、緊急事態宣言が伸びることで生活が苦しくなっていくわけですが、これはもう仕方がないと思っています。むしろ変に緩和して外国人がドッと入国するようなことは避けてもらいたい。Gotoキャンペーンは昨年の7月からスタートしていますが、入国緩和をするまでは、たったの130人しか感染例はありませんでした。それを考えてもらいたいものです。宿屋の方も今は我慢の時だと思います。

 あと群馬県と長野県では明暗がハッキリしてきました。長野県はここ数日間、感染者ゼロが続いています。それに対して群馬県では、福祉施設を中心にしてクラスター感染が起きています。これだけ大量の福祉施設がクラスター感染起こすことは、どう考えてもおかしいです。観光施設がゼロなのに、福祉施設が20箇所近いクラスター感染を起こしているのは、どういうことなんでしょうか?

 それはともかくとして、去年の12月から今年の2月の中旬まで、暇を持て余していた私は、息子のスピードスケートの練習にじっくりと付き合ってきました。そして先週の土日に大会があったわけですが、残念ながら目標とするバッジテストに合格していません。練習で3秒ぐらい足りなかったんですが、本番で奇跡でも起きないかなあと思ったんですが、そんなものが起きるわけなく、やはり2秒から3秒足りなかった。練習と同じタイムしか出ませんでした。実力通りの力を発揮しただけでした。


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 スケート練習はとりあえずこれでおしまいです。明日からはスキー三昧にになります。つまりうちの嫁さんが息子のスキーに付き合うことになります。スケート練習は私が毎日付き合っていたので、今度は交代というわけです。ただしスキーは、週末しか出来ません。そこで金曜日にだけ、陸上練習をさせることにしました。

 実は、12月から2月にいたる2ヶ月間、スケートの練習をさせることによって、息子の体に変化がありました。意外な副作用があったようです。短距離と長距離の陸上運動が速くなったのです。今までは200メートル走るのに55秒ぐらいかかっていたんですが、48秒ぐらいになった。800メートルだともっと早くなって3分半で走れるようになっている。全力疾走すれば、もっと早く走れる可能性もある。けれど50メートル走は、12秒で、0.1秒も縮まってない。どういう理屈か分かりませんが、50メートル走は今までどうりで、200メートル走と800メートル走が早くなった。特に800メートル走の方のタイムがいい。30秒ほど短くなっている。

 思い当たることがあるとしたら、スケートでバッチテスト合格を狙ったためかもしれません。バッチテストで合格するには、500メートルで1分10秒、1000メートルで2分28秒の記録を出さなければいけないんですが、これがどうやら苦しいらしい。息子に話を聞いてみると、坂道を自転車でこぎ続けるようなものらしい。特に1000メートルは、地獄のように苦しいらしいので、途中で腿に手を当てて足を押していました。

 私はスケート滑れないので、スケートというのは氷の上をスキーで滑走するようにスイスイ滑るもんだと思っていたんですが、どうやらそうではないらしくて、氷をひたすら押しまくるわけで、坂道を自転車でこいで登るようなものらしい。それを2か月間やらせたわけなので、太ももに筋肉がついたみたいで、800メートル走の足が速くなったようです。


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 で、それを息子に知らせたら喜んだのなんの。何しろうちの息子は、幼稚園時代はクラスで一番足が遅くて、みんなにバカにされていたらしくて、空手教室でみんなと一緒に走るのを非常に嫌がっていた。それが、ここ2ヶ月間の間に足が速くなったのに大喜びです。これだけ喜んでくれると、スケート練習に付き合った甲斐があったというものです。

 今後は、スキーの特訓になりますが、スキーで鍛えられる筋肉は、どこなんだろう? スキーをやることによって体の何が変わるのだろうか? スキーざんまいによって、どういう副作用があるのか? ちょっと楽しみです。


つづく。

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posted by マネージャー at 22:57| Comment(0) | スケート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月08日

閑古鳥だけれど親子の時間が増えて良かった!

 新型コロナによる非常事態宣言で、宿の方は閑古鳥が鳴いてる状態ですけれど、ひとつだけいいことがありました。息子といられる時間が、たっぷりと取れたことです。新型コロナによる閑古鳥は、去年の三月から始まっていますが、そのおかげでうちの嫁さんと息子はスキー三昧の日々を送りました。毎日のように親子でスキーを行っていました。

 もちろんお金がかかりますが、そこは世の中うまくできたもので、新型コロナでスキーを控えたお客さんが、Yahooオークション・メルカリなどでリフト券を投げ売りしていましたから、それをガンガン買い漁って、息子と嫁さんはスキー三昧の日々を過ごしたわけです。

 私はスキーができないので、恨めしそうに見ているだけ。

 ところが、嫁さんがスキー場で倒れてむち打ち症のような状態になってしまい、しばらくスキーをできなくなってしまった。当然のことながらネットで買い漁ったスキーリフト券が使えなくなったわけで、今度はそれを投げ売りすることになってしまった。人様の足元を見たのでバチが当たったよかもしれません。まあそれでも、買った時の値段で売れたようで、なんだかんだ言っても格安で親子スキーを楽しんだようです。

 もちろん収入が途絶えてしまっているので、お客さんに出すはずだった食材で、せっせとお弁当を作って、それを持って出かけています。うちの宿には冷凍庫がたくさんあるんですが、夏に買い漁ったトウモロコシやトマトなんかをスープにしたものを冷凍保存しているわけですが、それらの食材をお客さんに出せる見込みがなくなったので、それが自分たちの食事になってしまいます。おかげで冷凍庫がすっからかんにだって綺麗に空っぽになってしまうことによって、賞味期限をリセットすることができたことは本当に良かったです。


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 嫁さんがスキーで怪我をした後は、スノーシューで登山の毎日です。雪が溶けてからは普通のハイキングや登山をしました。何しろ二月末から六月初旬まで小学校が休みですから、息子と毎日、山に登っていました。もちろんお客さんもいませんので、遠慮なしに登山の日々です。こんなに親子で一緒にいられたのは、赤ちゃんの時以来だったので、非常に楽しかった。宿の経営は苦しかったけれど、楽しい毎日だった。

 そう考えているのは、私の家だけではなかったようで、軽井沢の離山とか、小浅間山で、大勢の親子とで合っていますが、みんな楽しそうでした。個人事業主は、こういう事態になって、一番苦しいはずなんですけれど、実は一番楽しそうだったと言ったら世間からバッシングを受けますかね?

 もちろん台所は火の車なんですが、こういう何もできない時にしかできないことができるわけで、それが登山だったわけです。体育館を使う運動はできない。プールに入ることもできない。スポーツジムも使えない。いわゆる施設を使う運動は全くできないわけですから、登山と陸上運動以外にやることがないわけです。

 読書しようにも図書館は開いてない。勉強させようにもチャレンジタッチなどのタブレットの教材に人が集中しすぎてインターネットに繋がらない。仕方がないので、問題集か何かを楽天ブックスで取り寄せてやらせたわけですが、何しろ時間がたっぷりあるので、あっという間に終わってしまう。どうしてこんなに早く終わってしまうんだろうと不思議に思ったんですが、よく考えてみたら通学時間がなかったからでした。


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 息子は、スクールバスを使う関係上、通学に往復二時間半も時間を取られています。学校に行く準備時間を考えたら三時間以上は取られているわけですが、これが全くなくなるわけですから時間が余るのも無理はない。あと学校で友達と遊ぶ時間もなくなってしまうので、その部分の時間も余ってしまう。あと近所の同級生と遊ぶ時間もなくなってしまった。新型コロナでよその家に遊びに行くことも憚られたからです。その時間も余ってしまった。つまり時間だけはたっぷりあったわけです。これを親子で有効に使えたのが大きかった。

 子供にしてみたら夏休みが二回あったようなものです。
 と言うか、学校に登校してなかった期間を考えてみたら、
 夏休みが四回あったようなものかもしれません。

 ただ、六月から学校が始まると、ものすごく忙しくなりました。夏休み縮小されて学校からの課題も今まで以上に増えた気がします。運動会も開会式とか、家庭訪問とか、PTAの諸々の作業とか、余計なことがなくなったので、親にとってはありがたかったと思います。

 そうそう、運動会をやってくれたことと、遠足をやってくれたことは、ありがたかった。子供達の楽しみを学校が中止しなかったことには、感謝してもしきれません。六年生のお子さん達も修学旅行に行けて良かった。それも東北地方と言う今までとは違った地域に修学旅行に行けて本当に良かった。


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 誤算だったの去年の十一月以降の感染拡大です。十一月に菅内閣が外国人の入国をフリーパスで認めるようになってしまったために感染大爆発して、それに伴い群馬県の非常事態レベルが四になってしまいクラブ活動ができなくなったことです。おまけに空手教室もキックボクシング教室も中止。冬は雪で陸上運動もできないし、かといって他にできるスポーツも無いのにスケート部も活動中止。

 うちの息子は、去年一年生だった時に小学校のスケート部に入って、それが本当に楽しかったようなので、今年から本格的にやりたいと言い出したために、高価なスケート靴とその付属品を買ったのですが、それが全部無駄になってしまった。

 群馬県の非常事態レベルが四になると、県立の高等学校のクラブ活動禁止になります。つまり嬬恋高校のスケートリンクは使用不可能になってしまう。それに伴って嬬恋村のスケート部の活動も中止になってしまったわけです。

 普通ならここであきらめるところなんでしょうが、ご存知の通り宿屋は閑古鳥で、毎日が暇でやることのない宿屋は、息子に接する時間だけは山のようにある。息子を軽井沢のスケートリンクに連れて行って自主練習させてあげることは、わけないことです。

 まあこんな親は、ウチくらいのもんだろうなーと思っていたら、とんでもなかった。軽井沢のスケートリンクに行ってみたら、親子でスケートの特訓をしているグループが、うじゃうじゃいる。みんな嬬恋村西部小学校と書いてあるワンピ(レース用スーツ)を着ている。その子供たちを親がマンツーマンで指導している。

 嬬恋村には、西部小学校と東部小学校の二つがあるのですが、西部小学校はスケートに熱心な小学校らしくて、息子が通っている東部小学校とは大違いな学校らしい。

 それにしても、こんな時間に親子でスケートリンクに来れる人間なんて、閑古鳥が鳴いている観光業者ぐらいしか考えられないのですが、全員見たことがない人たちばかり。つまり観光業者ではない。じゃあ一体どういう人たちなんだろう?と、不思議に思っていたんですが、偶然そこで知っている嬬恋村の学校の先生がいたので、聞いてみたら

「嬬恋村とは、そういうところなんです」
「西部小学校は、昔からスケート熱のあついところなんです」

ということらしい。親が国体の選手だったりするらしい。メダリストの黒岩彰選手によれば、スケート部と野球部で野球の試合をするとスケート部が勝ったりするらしい。つまり運動神経の良い子供たちは、みんなスケート部に入る風土の地域ということらしい。


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 それにしても、彼らは、いったい何の仕事をしてるんだろう? 昼間の四時頃から軽井沢で子供と一緒にスケートできる職業と言ったら、新型コロナウイルスで閑古鳥の鳴いてる宿屋くらいしか無いはずなんですけれど・・・・。農家の人たちなのか? 農家なら冬は仕事が無いから可能なのかな?

 恐ろしいのは、どうみても四歳児くらいの幼児にスピードスケート靴を履かせて滑らせている子供もいることで、スピードスケート靴というのは、他のスケート靴と違って立つのも難しいのに、どうやって立てるんだろう?と不思議でなりません。それ以前に、四歳児くらいの幼児が履ける靴のサイズがあることに驚きですし、靴だって安いわけでは無い。どうして、そういうものに金を出せるのか? 不思議で不思議でしょうが無い。

 息子が通う東部小学校との温度差が、あまりにも違いすぎるので、どうしてなんだろう?と疑問に思っているのですが、閑古鳥の鳴いてる宿屋のオヤジには、どうにも理解できない。

 ちなみに、今回の非常事態宣言によって、一月から二月まで、空手教室もキックボクシング教室も中止になってしまいました。もちろん雪で陸上運動もできないし、かといって他にできるスポーツも無く、たのみの綱のスケート部も活動中止。スノーシュー登山とスキーは、仕事と学校の関係で日曜日しかできないので、もうやれることは、軽井沢のリンクでスケートをさせるしかない状態です。

 で、毎日のように軽井沢に通っているわけですが、非常事態宣言によって、群馬県のスケートの大会すべてが廃止になってしまった。つまり目標が無くなってしまったのですが、バッチテストというものがあるらしいので、今年は、これが息子の目標になっています。おかげで息子の体力が落ちずにすみそうです。逆に私は、雪が解けて、スケートリンクの雪かきの趣味が無くなって、ちょっと淋しい日々を送っています。


つづく。

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posted by マネージャー at 05:07| Comment(0) | スケート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年01月30日

新型コロナで、宿屋と息子は暇人に

 小学2年生の息子が学校で身体測定を行ったらしくて、その結果を聞いてみたら身長が129センチメートルで、クラスで3番目に背が高いことがわかりました。3月26日生まれということを考慮して見たら かなり大きくなったと思います。入学時では、真ん中よりも小さいぐらいだったんですが、2年間のうちに少しずつ身長が伸びていったようです。

 不思議なことに息子は冬に身長が伸びます。春夏秋では暇さえあれば家族で登山をしているので、わりと息子の体を鍛えているんですが、そういう時期には身長が伸びなくて、冬になって雪が降って運動ができなくなってくると身長が伸びる。不思議な気がします。運動をやめると、身長が伸びるような理屈があるんでしょうかね?

 話は変わりますが、うちの息子は、もうすぐ小学校2年生が終わるわけですが、この一年間を振り返ってみると、 ものすごく濃密な親子関係でした。ご存知の通り、うちは宿屋なんですが、新型コロナウイルスによって、 閑古鳥になり、暇な上に、 学校が長期休校になり、親子一緒にいる時間が非常に長くなりました。

 四月から六月にかけては、お客さんがゼロだった。なので四六時中、親子で登山しまくっていました。年末年始から1ヶ月間も、暇すぎる状態ですが、この時期は、登山の時期では無い。息子の小学校も休校になったり、スケート部の活動も中止になって、息子も暇を持て余すのですが、やることがない。九九を入学前からマスターしているので宿題もあっという間に終わってしまうし、最近は、チャレンジタッチも5日くらいで1ヶ月分を終わらせている。

 客は来ないわ、息子の勉強も早く終わるはで、
 親子共々、ますます暇人になってしまった。
 そこで新しい目標を息子と一緒に親子で考えました。

 そして息子が出した結論が、漢字検定9級を合格することと、
 スピードスケートのバッジテストで E 級を合格することです。
 私は、それにつきあうことにした。


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 漢字検定9級は、過去問題集を合格間違いなしの満点を取るほどになったのですが、私のうっかりミスで、2月の試験締め切りに間に合わないことが発覚。仕方がないので、6月の受験で、一つ上の8級を取ることを目指すことになりました。漢字検定8級は、3年生の漢字全てが範囲なんですが、実はそれほど難しくはありません。8割の問題を正解すれば合格なので、小学校のテストよりも簡単といえば簡単です。

 テスト内容も、読み、止め跳ね、書き順が50パーセントで、書きが50パーセント。つまり漢字の半分はかけなくても良い。おまけに、テスト範囲はたったの200文字ですから、正直言って難しくはない。小学生の記憶力は、恐ろしいくらいありますから、200文字を8割の確率で正解することは意外に簡単です。全て書けなくてもいいからです。ただし、うちの息子は字が汚い。字が汚いためにせっかく正解してても、バツになる可能性が高い。そこが問題です。なので、きれいに書く練習をしているところです。


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 でもまあ漢字テストは、これから一生懸命勉強すれば何とかなるとして、問題は スピードスケートのバッジテストに合格するという目標に泡を喰っている。

 そもそもバッチテストが何であるかさっさぱり分からなかった私は、『バッチテスト』を『ばっちりテスト』と聞き間違えて、ようするに、ばっちり滑ればいいんだろう・・・・くらいに考えていたんですが、そんなわけはなく、よくよくネットで調べてみたら、最低のE級で、500メートルを70秒。1000メートルを2分28秒でゴールしなければならないらしい。で、息子のタイムを計ってみたら500メートルで95秒。1000メートルで3分半。絶望的な目標に向かって精進しなければならないことが分かってしまった。


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 で、毎日、少しずつ練習しているけれど、親の私がスケートを滑ったことが無いので、息子に教えられる訳でもなく、暇をもてあました私は、軽井沢のスケートリンクの雪かきをしたり、ゴミを拾ったりするしか、やることがなく、そんな毎日を続けていると、スケートで遊んでいる子供達が、スケート場の雪かきしている私をスケートリンクの掃除のおじさんと勘違いして、
「ここにゴミがあるよ」
とか
「こっちにも雪が残っているよ」
とか
「せっかくなら雪だるまにしようよ」
と言ってくる始末。

 私は温かいドカジャン(土方ジャンパー)の愛好者なので、完全に掃除の人と勘違いされているけれど、いちいち訂正するのも面倒なので、
「じゃあ雪を集めるから、雪だるまは君達が作りな」
と、誤解をとくでもなく、黙々と雪かきをしていました。

 そんな雪も、今ではガチガチに固まって、 氷のようになっているので、今では暇を持て余しています。

 息子にしてもスケート部が、活動してすぐに休部になってしまったので、先生から、ろくに教わって無いために、何をして良いか分からないらしく、とにかくデタラメに滑っているので、タイムが縮まるわけでもない。それでも息を切らして、ヘトヘトになっているところをみると、ほどよい運動にはなっているらしい。

 バッチリテストは、ともかくとして、スケート練習をすることによって、多少なりとも新型コロナウイルスに対する抵抗力(免疫力)がつくのならば、それはそれでおんのじかもしれません。

 けれど、新型コロナウイルスのせいで、全ての大会が中止になりつつあるので、そもそもテストを受けられるかどうかさえも、わからない。結局、漢字検定9級も、スピードスケートのE級も、試験そのものが無くなって、結局、6月に漢字検定8級を受けるしかないのかなあ? スケートは、長野まで遠征に行けば、バッチテストを受けられるらしいんですけれど、いくら客が来ない宿屋の暇人だとしても、そこまでするべきかどうか?と悩んでいます。


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 空手教室も、キックボクシング教室も、休止してしまったし、新型コロナウイルスでも影響が無い体力作りの競技はないものだろうか? 平日は、水泳教室にでも入れさせ、休日は冬山登山にでも行くかな? なんにしろ、新型コロナウイルスに負けない免疫力がつけば文句ないわけですから。



つづく。

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2020年12月25日

嬬恋村小学校のスケート部の活動停止

 感染拡大を伴って、群馬県のスケートの大会が 全て中止になってしまいました。息子も大変がっかりしています。でも、うちの息子は、小学校2年生なので、来年もあれば再来年もある。けれど、6年生にしてみたらたまったもんじゃないと思います。彼ら彼女らは、 小さい頃から一生懸命スケートをやってきて、今年が小学生最後のレースだっただけに本当にかわいそうでなりません。

 それにしても明後日の軽井沢の大会にエントリーしてて良かった。
 長野県は、群馬県に比べてスケートの大会に理解があった。
 群馬県は、安全を第一に活動中止。 
 当然のことながら、スケート部のクラブ活動も中止のままです。
 再開の目処も立っていません。
 嬬恋村では、まだ一人の感染者も出してないのですが、
 それでもクラブ活動を再開するのは難しい。


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 新型コロナウイルスは、群馬県の運動部の活動を破壊しつつあります。東京オリンピックは、どうなるのだろう?  仕方がないので 、当分の間は、近郊のスキー場でスキーの練習をするか、スノーシューで冬山登山をするかのどちらかになると思います。幸か不幸か、お客さんが激減しているので、息子にたっぷりと付き合うことができます。子供はすぐ大きくなってしまうので、親子で一緒に遊べる時期は、あと数年なので、これを機会に、親子で運動しまくりたいと思っています。


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つづく。

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posted by マネージャー at 20:34| Comment(0) | スケート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月13日

軽井沢・嬬恋のスケートリンクは11月末からオープン予定

 11月15日から2月28日までの間、狩猟が解禁となります。期間中、群馬県民を中心として県内外から多くのハンターが狩猟に入ってきます。実際、15日には多くのハンターのの予約が入っており猟銃の管理のこともあって、他のお客様の予約を受け付けていません。しばらくは、複数のハンターの皆さんが、当宿を利用することになりますので、一般のお客様のご予約をお断りすることもあるかと思います。

 逆に言うと、登山やハイキングを楽しみに山に入る方、また山林周辺で作業される方は、目立つ色の服装を身に着けるなど、狩猟事故防止に務めるようにお願いしたいと思います。普通の登山道であれば、事故が起きる可能性はほとんどありませんが、藪漕ぎなど、一般人が入らないようなところに入るのであれば、服装はもちろんのことラジオつけるなどして、事故防止に努めるようにしてください。


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  話分かりますが、第21回浅間高原雪合戦の大会中止が決定したようです。新型コロナウイルスの感染状況を鑑み、選手、関係者の健康と安全を最優先して中止したようです。残念ですがこれも仕方がないですね。

 今後も、このようなイベントは、中止になる可能性が高いので、ポスターの印刷とか、チラシの制作ができない状態です。我々浅間高原観光協会の間でも、来年度の『しゃくなげ園まつり』を行うかどうか微妙な状況なので、ポスターやチラシの印刷をすることはないと思われます。もちろん中止が決まってるわけではありませんが、中止のリスクはある以上、大規模な宣伝はできないし、大勢の皆さんはに告知できる状態にありません。コストのかからない嬬恋村役場や、嬬恋村観光協会のホームページで確認していただければと思います。

 そしてもう一つ、残念なお知らせがあります。

 軽井沢おもちゃ王国の冬季営業が中止になったことです。なので11月23日以降、当分の間休館が続いて、営業開始になるのは来年の4月以降になる見込みです。スキー場に関しては、今のところ通常営業が行われる見込みです。パンフレットも、少しずつ届いてきています。軽井沢のスケートリンク(有料)・嬬恋村のスケートリンク(無料)も、11月末からオープンする予定です。楽しみにしてください。


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つづく。

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2020年03月06日

2月14日に思うこと。その9 上級生とスケート勝負

 私は新潟県は佐渡島の生まれです。そして島の小学校を卒業していますが、そこにはスケートもスキー場もありませんでした。それどころか部活動そのものが、小学校にはなかった。せいぜい剣道や柔道の寒稽古をしたくらいです。これだって部活動ではない。その感覚で息子を小学校のスケート部に入れたのですが、それをペンション仲間・観光協会仲間に話すと、地元民は一様に驚きました。

「おいおい大丈夫かい?」
「・・・」
「スケート部は大変だぞ」
「どうして?」
「親のサポートが、半端ないから。それに金もかかるし」
「そうだね、スケート靴やレース用のウエア(ワンピース)が高いからね」
「そりゃ、スケート靴が高いのもそうだけれど、北海道に合宿に行ったり、韓国に合宿に行ったり、いくら金があっても足りなくなるから」
「はあ?」

 地元民いわく、スケートは、とんでもなく金がかかるという。まさかそんなことはないだろう・・・と、スケート部保護者の会議に出てみたら、息子の通う小学校では、部員が少なすぎて、そういう合宿は今年から廃止になっていたようでした。何十年も続いた夏季合宿が今年から廃止になってしまったとのこと。

 どうして?たかが小学校のスケート部ごときにお金がかかるのだろう?と不思議に思っていたのですが、十一月から始まった本格的な練習を見て「なるほどそういうことか」と理解しました。この地区のスケート部は、楽しく滑るという軟弱な部活動ではなく、全国大会を狙う。硬派な部活動だった。

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 十一月に入ると全国各地で毎週のようにスケートの大会がある。スケート部員たちは、それらの大会に武者修行として、どんどん出場する。交通費もかかれば、大会に勝つためのスケート靴にも金をかける。少しでも風の影響を受けないような高価なワンピースを用意する。もちろんレース前には、スケート靴のは歯を砥石(といし)で研がなければならない。みんな少しでもタイムを縮めようと親子で躍起になって頑張っている。で、親御さんも、若い頃はスケートの選手だったりする。選手でなくても、嬬恋村では子供の頃からスケートで遊んでいったし、そもそも体育の授業がスケートだったりする。

 この歳(59歳)までスケートとは全く無縁だった私は、そういうことを全く知らずに息子をスケート部に入れてしまった。で、後からいろいろ驚いてしまった。みんな十一月から二月まで、各地で行われるスケートの大会にどんどん出ていたけれど、息子は全く出てなかった。スケート大会は、たいてい日曜日に行われるけれど、日曜日は宿屋の稼ぎどきです。息子のためにスケートの大会に付き合うことなどとても無理だった。

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    レース用ワンピース


 しかし、吾妻郡の大会と、嬬恋村の大会だけは、なんとか出すことができた。会場が、車で五分の所にあったからです。もちろんお客さんが、ゆっくりチェックアウトしたら私が大会を見学することは難しい。しかし吾妻郡の大会では、たまたまお客様が早くチェックインしてくれたので、ギリギリ息子のレースに間に間に合いました。会場の中に息子を探すのは簡単でした。誰も彼もが、スケートレース専用のワンピースを着ていてほっそりとしている中で、うちの息子だけが、ぶかぶかに綿の入ったジャケットを着ていたからです。いかにも風の抵抗を受けそうな姿をしているのは、うちの息子だけなので一発で分かってしまう。で、レースがスタートすると、スタートダッシュが良かったのか、最初はトップでガンガン走っている。

 あれ?
 息子のやつはこんなに早かったか?

 というくらい速く走っていた。しかし後半になると、徐々に追いつかれて、同着でゴールしたように見えた。結局、0.1秒差で二位だった。悔しがっている息子の姿を見て、私はひたすら申し訳ないなーと思ってしまった。もうちょっと息子のために何かしてあげれば良かったと思った。息子をスケート部に入れた張本人のくせに、保護者として私は、かなり無責任だった。

 そもそも息子をスケート部に入れた理由が、尻餅をつかずに人並みに滑ればいいと言う低い志だったので、他の親御さんのように、各地の大会で武者修行させたり、立派な道具を揃えてあげてなかった。

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 スケートの練習も皆勤させてなかった。どちらかというと空手とキックボクシングを優先させていた。ただ、空手にもキックボクシングにも試合がなかったので、強さを測定できないので、息子にとってゴールが分かりにくかった。

 ところがスケートは、タイムを競うので、目標が見えやすい。それだけに0.1秒差でレースで勝てなかったことが悔しかったらしく、もっとスケートの練習をしたいと訴えてきた。次の週には、嬬恋村の大会がある。今度こそ勝ちたいと言ってきた。なので私は勝てるように手助けすることにしました。

 とはいうものの、親子でスケートの練習ができるのは前日の土曜日だけ。練習できるのは、たったの一日だけでした。が、何もやらないよりましなので、軽井沢のスケート場で少しでも風の影響を受けないように低姿勢で滑る特訓をさせました。スピードスケートについて何も知らない私には、それ以外のアドバイスができるわけもなく、私はひたすらストップウォッチでタイムを計り続けました。

 そしてレース当日。その日もお客様は早めのチェックアウトしてくれたので、なんとかレースに間に合いましたが、到着してみてびっくり。嬬恋村の大会では、一年生と二年生が一緒に競争することになっていた。しかも巨体の二年生たちと。並ぶと息子の頭が、相手の肩にとどくかどうかの圧倒的な体格差。

「相手が二年生じゃ勝つのは難しいなあ」

と思った私は、勝ち負けよりもタイムを縮めることにしようとアドバイス。レース直前には、ぶかぶかのダウンジャケット脱がせて、少しでも風圧の影響を受けないようにしました。結果は二位。さすがに二年生相手に一位はとれなかったけれど、前回よりも十秒近くもタイムが縮まっていた。

 これでいい。
 順位はともかく、先週の大会より十秒早くゴールしている。
 これは大きい。
 
 それにしても、もっと息子のスケートの面倒を見てあげればよかった。もう少し真剣にスケートと取り組んであげるべきだった。もっと大会に出してあげて、武者修行させてあげるんだった。ちなみにスケートシーズンは、二月で終わりです。三月となった今、息子は毎日のようにスキーに出かけています。例のウイルス騒ぎで小学校が閉鎖になってしまったので、この機会にスキーをマスターさせ、いずれスキーの大会に出してあげてもいいかな?と思っています。

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つづく。

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posted by マネージャー at 20:10| Comment(0) | スケート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月05日

2月14日に思うこと。その8 スケート部の練習風景

 三月二十六日生まれの息子は、早生まれにもかかわらず、人様より成長がゆっくりとしていました。幼稚園の先生から、ワンテンポ遅れる。みんなができることできない。忘れ物ばかりする。三月生まれという点を差し引いても、非常に成長が遅い。そう言われてきました。実際、親の目から見てもスローペースだし、小学校で宿題のプリントをよく忘れる。教科書も忘れたし、水筒も忘れる。上着もどこかに忘れてしまう。筆箱に入っている筆記用具も毎日のように全部なくなってしまう。とにかく物忘れがひどい。

 その上ことばもゆっくりしている。会話のテンポが非常に遅い。だから、一学年下の子供たちと遊ぶと丁度いい会話ペースになる。いや、一学年下の子供たちの方が、もっとベラベラとしゃべれます。下手したら、二学年したの子供たちと丁度いい会話のペースになります。小学一年生の息子が、年中組の幼稚園生と会話すると丁度いいぐらいになって見える。それを心配してか、小学校の担任の先生は、ことばの教室に入ることを家庭訪問の時に勧めてくれました。

 ことばの教室とは、言語障害のある子供向けの特別支援学級のことで、言語障害のある子供のサポートをしてくれる教室です。ことばの教室に出席する間は、学校の授業はお休みになります。 担任の先生は、それを心配していましたが、うちの息子は勉強に対する理解だけは早い。通信教育で有名なチャレンジ一年生の教材が届きますと、一日で全部終わらせてしまう。なので、赤ペン先生の添削の手紙に、
「今回もたけるくんが全国で一番です」
と添削の回答が、満点で返ってきます。夏休みの宿題も一日で終わらせてしまう。

 ただ、会話のテンポが遅い。作業のテンポが遅い。忘れ物が多い。身の回りのことができてない。テキパキと動けない。要するにどんくさいんです。

 で、思い出したのが、息子が生まれる時に神仏に祈ったことでした。 天は、健康をくださった。「あとは自分でどうにかしなさい!」ということではないか・・・と思うしかなかった。なので、小学校入学と同時に、ことばの教室をはじめとして、空手・キックボクシング・陸上・縄跳び・各種の球技・スキーを習わせました。

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 小学校入学すると、小学校にスケート部があると聞いて、そこにも入部させようとした。嫁さんは大反対。しかし私は、どんくさい息子が、体育の授業で悲しい思いをしないですむように、スケート部で鍛えてもらおうと思った。そして、ちょっとでも滑れるようになれれば、ラッキーだと思っていた。

 なので私は息子にスケート部に入りたいかどうか聞いてみました。すると「入りたい」と言う。顧問の先生が優しいから入りたいと言いう。それなら入れてしまえと、入部届を書くのだが、嫁さんは大反対。親の仕事が増えて大変だからです。

 毎日のように子供たちを車に乗せて、軽井沢のスケートセンターまで交代で送迎しなければいけない。五十キロもある凍結した山道を走らなければいけない。子供たちの急な病気や怪我(けが)に対処しなければいけない。つまり何人かが子供たちを見張ってないといけない。その上、何万円もするスケート靴を用意しなければいけない。スピードスケートのウェアも必要になってくる。おまけにスケート大会に参加する場合、場所取りやら何やらで、朝四時から出発する必要性も出てきたりする。

 ものすごく手間と金がかかる。
 だから半端な気持ちではスケート部には入れない。
 なので嫁さんは大反対!

 現に、そういう理由で、入部した後にすぐに退部する子供たちも多かった。親がそこまで手をかけることができないからです。そんなに大変なのに入部させる親がいるけれど、大抵の場合は、親がスケート選手だったケースが多い。普通なら気軽に入部させるわけにはいかない。

 しかしそれを押し切って私は入部させた。嫁さんがボイコットしても私が全部面倒を見るつもりで入部させた。現に、空手教室もキックボクシング教室も、ほとんど私が送迎している。なので最初のスケート部の会合には、嫁さんではなくて私が参加した。で、会議室に行ってみると父兄は五人から六人くらいしかいない。あまりにも人数が少ないので不思議に思っていると、一年生から六年生までのスケート部全員で九人しかいないという。九人と言っても三人は、入学したばかりの一年生で、上級生の兄弟姉妹が、すでにスケート部員だったりする。つまり、幼稚園時代から兄弟姉妹でスピードスケートの練習をしていた人たちばかりで、全くの素人は、我が家の息子だけだった。

 うちの息子は、幼稚園の年長さんの時に軽井沢のスケート教室に三回ほど通ったことはありますが、その時に 履いていたスケート靴はフィギュアスケートの靴でした。何を隠そう私はスケートを滑ったことがありません。なので、スケート靴というものはあるとしても、それは一種類しかないと思っていました。

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 要するにスケート靴というものは、フィギュアスケートの靴だと思っていた。ところが、嬬恋村でスケートとは、スピードスケートのことをさす。なのでスピードスケート用の靴を履かなければならない。それを聞いた私は面食らいました。聞いてみると、嬬恋村村民は、スケート靴といえばスピードスケート靴のことであり、逆にフィギュアスケート靴を一度も履いたことがない。

 慌てた私は、ヤフーオークションで中古のスピードスケート靴を買って息子に履かせてみたのですが、息子は全く滑れなかった。フィギュアスケートなら、かなり滑れる息子が、スピードスケート靴になると、氷の上に立つことさえできなかった。こうなるとお手上げで、 息子にスケートを教えるすべがない。スピードスケート教室なんてものはないし、私も嫁さんもスケートなんか全くできませんから、愕然(がくぜん)としました。こうなるとスケート部の部活動で一から教えてもらうしかない。ただし、息子は他にも習い事(空手・キックボクシング)をしているので、毎日部活に参加することはできない。

「ああ、これはスケート部の中で落ちこぼれるな」

と思ったのですが、まあいい。みんなよりも少しでも滑るチャンスがあれば、体育で恥をかかなくてすむ。第一、一年生の男子スケート部員は、息子一人なので、誰よりも練習するチャンスがある。だからそれでいい。当面は、クラスの平均値よりも、ちょっとだけ滑ればそれでいい。そう思っていると、古参の父兄たちがいろいろ脅かしてきます。

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 スケート部に入った子供たちは、あまりの寒さに、涙を流して「帰りたい」とか「学校に行きたくない」と駄々(だだ)をこねるというのです。そしてやめていくというのです。そういうパターンがスケート部の伝統らしい。けれど、うちの息子に限っては、そういう心配はなかった。運動神経がいいとは言えない子ですが、我慢する能力だけは人一倍ある。 そもそも、うちの息子は、健康だけが取り柄で、三歳のころから氷点下十°の冬山にガンガン登っている。なので寒さには強い。知能や運動といった天性の素質に恵まれてはないけれど、我慢強さと、粘り強さと、コツコツと努力をする資質だけはある。だからそれだけは心配していませんでした。

 ところでスケート部の話です。

 スケート部の活動する期間は、非常に短い。十一月半ばから二月の半ばの短期間。正味三ヶ月間だけです。後の期間は、陸上練習になります。この陸上練習が、火曜日と木曜日で、息子の習い事である空手とキックボクシングにバッティングしてしまいました。なのでスケート部に入ったと言っても、 陸上練習には一度も参加することはなく、幽霊部員のママでした。

 そして問題の台風十九号が嬬恋村を襲いました。村のスケートリンクは壊滅的な被害を受け、 十二月末まで使用することはできませんでした。仕方がないので、軽井沢まで子供たちを連れて出かけて行ってスケート練習をすることになりました。そして初めて、息子と一緒にスケート練習の部活動に参加したのですが、驚いたのなんの・・・・。

  まずスケートの練習風景ですが、四つの小学校が、合同で練習するシステムになっていました。嬬恋村東部小学校・嬬恋村西部小学校・北軽井沢小学校・大桑小学校。これら四つの学校が、一つのスケート部として活動している。

 四つの小学校から、一人ずつ顧問の先生が参加していて、初心者を教える先生・中級者を教える先生・上級者を教える先生・全国大会を目指すレベルの子供たち教える先生と、別れて指導しているのです。先生だけではありません。子供たちの父兄もボランティアの先生になって教えています。場合によっては、マンツーマンで教えるケースもある。うちの息子も、最初はマンツーマンで教わっていました。学校と地域が子供たちにスピードスケートを教えているという感じです。

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 ちなみに四つの小学校の中で、一番スケート部の人数が少なかったのが、息子の通っている東部小学校です。全員揃ってもたったの九人。そのうち何人かは、他に習い事をしているので、五人だったり四人だったりする。他の小学校は、三十人から四十人もいてスクールバスでスケートリンクまで通ってきていたりする。北軽井沢小学校に至っては、学校の校庭にスケートリンクがあって、学校の休み時間にスケートをして遊んでいるらしい。息子が通う学校と比較するとスピードスケートにかける情熱がまるで違っている。

 おまけに何万円もする「ワンピ」とかいうスケートウエアを着ていたりする。それを着るとタイムが短くなるらしいのですが、そもそもうちの息子にスケートをやらせた理由が、尻餅をつかずに人並みに滑ればいいと言う低い志だったので、 そんなものを着させる気はさらさらない。風の抵抗が大きいブカブカで羽毛が入っている登山用防寒着を着させていた。だからレースとなると圧倒的に不利だったと思う。

 スケート靴にしたって、ヤフーオークションで一番安いサビだらけのやつを買ったし、その靴のサビを落として履かせるつもりだった。けれど、 ご近所の父兄から、すごくいいものを貸してもらうことになってしまった。

 で、レース(大会)の度にスケート靴を砥石(といし)で研ぐ必要があったのですが、そういう知識もないので、一度も磨いたことはなかった。研がないとスピードが出なかったり、カーブ地点で転倒したりするらしいのですが、そもそもそういう知識がないので、研ぐという発想さえもなかった。要は、息子が楽しくスケートを滑ってくれれば、それでいいと思っていた。今思えば、恐ろしいほど無知だった。

 なのでスケート部のボランティアに参加してみると、他の父兄の皆さん ・顧問の先生たちと、私は、かなりずれていることに気がつきました。スケート部の練習は、楽しく滑るというより、全国大会で 優勝を目指している。毎週のように全国各地の大会に子供さんを連れて行って、大会を経験させている。そして記録を更新している。だから親御さんたちの苦労も並大抵のものではなかった。朝5時に出発というケースも多かったらしい。一方、私は嬬恋村で行う大会以外は出させなかった。御客様がいるので遠方の大会に息子を送迎することはできなかったし、するつもりもなかった。

 また、成績上位者は、県から予算が下りて、正月を返上して合宿に参加することになっていた。合宿と言っても、小学校のすぐそばにある旅館に泊まり混んで、村のスケートリンクで朝から晩まで滑る合宿です。その強化合宿に予算がついている。もちろん顧問の先生も、正月を返上して合宿に参加している。

「これ、本当に小学校の部活動なの?」

と私はつぶやいた。何から何まで目が点になるばかりだった。

 しかし、不思議なもので、そういう環境の中で息子が練習していると、息子のやつもどんどん早くなっていく。スピードスケートの魔力に取りつかれていく 。空手やキックボクシングを休んでも、スケート部に出て練習したいと言ってくる。それほど真面目に取り組むようになってきている。そういう雰囲気に染まってきているし、それを嫌がってる様子もなく、むしろ楽しんでいる。

「伝統の差だね」

と嫁さんはつぶやきました。最近できたばかりの習い事教室だと、有力な先輩がいないために、どうしても子供たちが、ざわついてしまう。いくら先生に力があっても限界があると嫁さんは言っている。けれど、何十年も続いてるクラブ活動には、有力な先輩や、OBがいてピリッとした空気というか伝統のようなものがあるという。うちの嫁さんは、高校時代に全国を狙うレベルの吹奏楽団にいたので、その辺が痛いほど分かると言っている。実際そうなのだと思う。

 さて、吾妻郡のスピードスケートの大会のことです。
 会場は嬬恋村です。
 息子も参加します。
 というか初参加です。
 息子にとって初めてのレースです。

 その日は日曜日だったので、私はお客さんの相手をしなければならないために、吾妻郡の大会の見学は難しかったのですが、たまたま、御客様全員が、早くからチェックアウトしてしまった。私は、大急ぎで息子が出るレースを見に行きました。私としては
「たとえビリでも、最後まであきらめずに滑ってくれれば、それでいい」
と思っていました。楽しく滑ってくれればいいと・・・・。


つづく。

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posted by マネージャー at 23:56| Comment(0) | スケート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月04日

2月14日に思うこと。その7 2月14日に万座温泉聚楽に宿泊

 宿業は、休日が一番いそがしい。つまり息子が休みの日に遊びにいけない。特に土曜日は絶対に出かけることができない。ただし抜け穴もある。金曜日です。小学校が週休二日制なので、 金曜日の放課後から出かけることが可能。もちろん土曜日の朝には、朝早くから帰らなければならない。金曜日の午後三時に息子を小学校に迎えに行って、そのまま近場の温泉ホテルに泊まる。または、嫁さんの実家に遊びに行って土曜日の朝に戻ってくる。 これなら宿屋の私も息子と一緒に旅行ができる。

 話は変わりますが、台風十九号の影響で、じゃらんや楽天で、復興割クーポンというもの発行されました。宿泊費の半額で泊まれるクーポンです。このクーポンは、それほど人気がなかったのか、何日すぎても売れ残っていたので、私たちが勉強のために使うことにしました。クーポンの期限は、二月二十八日(金)までです。で、二月二十八日に万座温泉聚楽にクーポンを使って予約したわけです。

 ところが後日、二月二十八日(金)に、息子が入ってるスケート部の食事会を行うことになった。ダブルブッキングになった。私は、 最初に決まっていた万座温泉宿泊を優先するつもりでしたが、嫁さんは、スケート部の食事会を優先したいと言う。あれほどスケート部に息子を入れることに反対していたくせに、スケート部の食事会&六年生のお別れ会に出たいと言う。

 観光協会の理事をやっている私としては、同業者の宿をキャンセルしたくない。しかし嫁さんは、スケート部の方を優先したいと言う。私にしたら、ありえないくらい非常識な発言をする。あまりに無茶苦茶な発言に私は激怒したのですが、とりあえず息子の意見を聞いてみたら、息子は万座温泉に泊まりたいと言う。けれどスケート部の部長(六年生)さんをとても尊敬しているという。あんな先輩になりたい とも言っている。

 仕方ないと思った私は、万座温泉のホテル聚楽に理由を言って、宿泊日程を二週間前の二月十四日(金曜日)のバレンタインデーに変更してもらえないかとお願いしました。この日しか、都合がつけかなかったからです。ホテル側は快く変更のお願いを聞いてくれました。バレンタインデーですから、価格設定も違っているはずなのに、快く OK してくれたホテル聚楽には感謝です。

 こうして二月十四日(金曜日)のバレンタインデーに、万座温泉聚楽に泊まったわけですが、私たちにはホテル聚楽に泊まるべく理由がありました 。何をかくそうホテル聚楽グループは、日本の温泉ホテル業のシステムをパターンを最初に作ったホテルだからです。夕食をバイキングにして、ダンスショーやマジックショーなどのイベントを取り入れて、
「遊びきれない温泉ホテル」
という・・・ホテルの中で娯楽が完結する昭和スタイルのホテルの先駆けを作ったのがホテル聚楽です。ホテル聚楽が最初であってその他のホテルは、その真似(まね)をしたと言っても過言ではありません。昭和の温泉ホテルのスタイルは、ホテル聚楽が開発したスタイル です。なので、この業界の人間ならホテル聚楽を知らない人はいないくらい有名です。

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 それともう一つ。ホテル聚楽グループを創設した社長は、県外に住む新潟県民なら知らない人はいません。私の出身地は新潟県なのですが、ホテル聚楽グループを作り上げた加藤清二郎は、長い間新潟県人会の代表を勤めており、三波春夫や小林幸子といった新潟県出身の歌手の後援者でもあります。

 新潟県人会は、ホテルオークラ・大成建設・帝国劇場などを率いる大倉財閥の創設者、大倉喜八郎(新潟県新発田市出身)が作った組織です。歴代の会長は、大倉財閥の関係者たちでしたが、昭和三十九年から昭和五五年までの間は、ホテル聚楽グループを作った加藤清二郎が会長として活躍していました。

 大正十三年、東京神田須田町に「須田町食堂」という洋食レストラン立ち上げた加藤清二郎は、戦前に一大外食チェーンを作った人で外食王と呼ばれたほどの有名人です。大正時代における日本の外食産業は屋台に毛の生えたような粗末なもので、みすぼらしい建物で食事を出しているところが多かったのですが、加藤清二郎は、あえてレストランを豪華な作りにし、当時としては、格安の値段で、カレー・シチュー・カツレツといった西洋料理を提供しました。

 豪華なレストランなのに、徹底した薄利多売で頑張った。そのために大人気となり、人々が押し寄せました。 そして、あれよあれよという間に八十九店舗という大外食チェーンを展開しました。 その上、大学・デパート・官公庁などの給食事業にも手を出しました。しかし、第二次世界大戦の米軍の B 29による無差別爆撃によって、日本は焼け野原になり、所有していたレストランの大半が消失してしまいました。戦後に残ったのは、たったの五軒だったといいます。

 昭和三十一年(1956)、水上温泉旅館湯原荘を買収して水上聚楽として開業。ホテル聚楽はここから始まりますが、本格的なスタートは、昭和三十七年(1962)に 飯坂温泉旅館角屋を買収してからです。飯坂ホテル聚楽・水上ホテル聚楽の二看板がそろってから本格的なリゾートホテルとしてスタート。

 食事のバイキング方式や、外国人ダンサーによるショーや、世界各地のマジックなどの興業をスタートさせました。これらは、全て聚楽が業界初ではじめたことです。上越線上野〜新潟間にて「列車食堂」開業。 また、上野駅の目の前(今は無き西郷会館)にレストラン聚楽第(じゅらくだい)をオープンさせ、旅のスタートから列車の中。そして終点まで聚楽づくめというラインまで作ってしまった。

 もちろんお金がたくさんかかります。その資金の大半は地方銀行から調達しなければならない。地方銀行(または地方に支店のある都市銀行)でないと金を貸してくれ無いからです。当然のことながら事業計画を銀行に提出するわけですが、 その事業計画は稼働率70%をもとにたてられていた。そうしないと資金が集まらない。

 しかし、そんな事業計画が通るわけがない。稼働率70%にするためには、週末どころか平日も満室にしなければいけない。けれど、そんなことは不可能です。不可能だから銀行はうんと言わなかった。しかし、聚楽グループは、その銀行にうんと言わしてしまった。そのからくりはこうです。

  昭和三十年から昭和五十年頃までは、日本には大型のディスカウントショップがありませんでした。カラーテレビにしても農機具にしても傘下の販売店に入って買わなければならなかった。東芝なら東芝の販売店。松下の販売店。そこでないと 買えなかった。で、それらの販売店が、激烈に競争していた。メーカー側は、それらの販売店に対して、マージンをつけた。例えばからテレビを一台売ると、 どこそこの温泉旅館に招待した。ホテル聚楽グループは、ここに目をつけた。それらの招待客を取り込めば平日が満室になる。問題はどうやって取り込むかですが、聚楽グループは、第二次世界大戦中のアメリカ軍を真似した。

 加藤清二郎は、米軍が B 29を使って行った無差別爆撃によって東京が焦土となり、自分の外食チェーンを壊滅させられたわけですが、その方法に感心していた。戦争に勝つには空爆が必要。地上軍の戦いだけでは勝てない。空からの支援がないと勝てない。だから徹底した空爆を行ってから地上軍を前進させなければ負ける。空爆が足りないと、いくら地上軍が頑張っても勝てない・・・と考えた。

 ホテルの営業にしても一緒ではないかと考えた。
 ホテル業にも空爆が必要であると・・・。
 ホテル業界において空爆とは、宣伝のことです。
 いくら営業が頑張っても知名度がなければ、お客さんは取れない。
 なので徹底した空爆。
 つまり宣伝を行う。
 それがあって初めて営業成績が上がるというわけです。

 若い人は知らないかもしれませんが、四十代以上の年代であれば、 ホテル聚楽の テレビコマーシャルを知らない人はいません。マリリンモンローのそっくりさんが
「聚楽よ」
とカメラ目線で叫んでいた テレビコマーシャルを何度聞かされたことか。


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  昭和時代の宣伝


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  平成・令和時代の宣伝


  当時、このCMに喜んだのは、大人たちよりも子供たちです。マリリンモンローのそっくりさんが、 下から吹き上げる風にスカートをひらひらさせて「聚楽よ」と色っぽくささやく姿を、子供たちが学校でものまねを良くしたことです。聚楽の CM は、まず子供たちから広まっていきました。農村から漁村そして山村。どんな僻地にも、聚楽の CM が届いていた。

 そんな田舎に聚楽グループの営業がくると、 漁業組合・農協・青年団・地元商工会などの反応がいい。営業取りやすいのです。また、農機具メーカー・家電メーカーなども、 田舎の販売店が行きたがってるらしいと聞いて「聚楽を使ってみるか」ということになる。 こうしてホテル聚楽グループの売り上げはどんどん上がっていくわけです。

 これが昭和時代に一世風靡(ふうび)したホテル聚楽グループの営業スタイルです。この聚楽スタイルは、草津・鬼怒川・伊豆など全国の温泉ホテルで真似され、昭和の温泉ホテルのスタンダードとなりました。

 前置きがずいぶん長くなりましたが、ここから本題に入ります。

 私の知る限り万座温泉のホテル聚楽は、いわゆるホテル聚楽グループと全く違うスタイルだと聞いていました。一体どんなスタイルなんだろう?という疑問は、ずっと昔から思っていました。万座温泉には、日進館という温泉ホテルがありますが、 こちらの方が、むしろホテル聚楽グループの営業スタイルに近いと聞いています。

 万座のホテル聚楽は、ネイチャーウォッチングをしていたり高山植物や野鳥の観察・スノーシューツアーを行ったり、ファミリーに優しい対応していると聞いています。ホテル聚楽グループと言うより、むしろうちの宿(北軽井沢ブルーベリーYGH)のスタイルに近い風の噂で聞いている。

 一体どんなスタイルなんだろう?

 たくさんの噂を聞いているうちに、実際に泊まってみたくなった。それで、色々あって、二月の十四日(金曜日)のバレンタインデーに家族で泊まってみました。そして実際に宿泊してみると、色々なことに驚かされました。

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 まず最初に驚いたのは、客室にタブレットが置いてあること。 wi-fi が繋がるというのは、どこのホテルでも当たり前のことですが、タブレットまで置いてある。それが無料で使えるというのは珍しいのではないでしょうか?

 客室は和室ですけれど、ベッドも置いてある。布団で寝ることもできるし、ベッドで寝ることもできる。浴衣も客室に置いてありますが、廊下にも予備の浴衣が置いてあります。サイズが合わなければ、廊下に置いてある予備の浴衣を自由に使えます。風呂場は、とてもいい眺めになっています。万座温泉で一番の展望でしょう。

 ありがたいことに、お風呂場にカメラを持って撮影できる時間帯があります。インスタやフェイスブックに画像アップしたい人たちは、その時間帯にカメラを持って見学に行くことができます。 この万座温泉ホテル聚楽では、外人によるダンスショーとか、マジックショーみたいなものはありません。その代わりに、温泉でゆっくりくつろげるような気配りが、色々とあります。

 この手の温泉ホテルにありがちな、 コインマッサージ機が、全て無料なことや、 湯上りにのんびりできるようなリクライニングチェアや血圧計や図書室もあります。星空観察のための星図形も置いてありました。日本酒の利き酒もやっているようです。

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 料理はバイキングでしたが、全体的に味が薄めで美味しかったです。四十歳以上の人間が喜ぶような味付けでした。お酒は千六百円で飲み放題だったので飲み放題にしたのですが、元が取れませんでした。大ジョッキ二杯飲んだら、もうフラフラになってしまった。五十九歳ともなると、めっきりアルコールに弱くなってくる。


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 なので、食後は、何度も何度も温泉に入りました。万座温泉は、世界で一番硫黄分 のおおい温泉でメタボに効くと言われていますが、その中でもホテル聚楽の源泉が一番硫黄分多いことで有名です。地上最強の温泉です。

 地元嬬恋村の人たちは、草津温泉よりも万座温泉をこよなく愛します。万座温泉に通って、病気を治したという人が数多くいるからです。名前を伏せておきますが、近郊のとあるユースホステルのオーナーが、 万座温泉に通いつめて癌を克服した と言ってました。その方は、 某大学の医学部の元教授だったと聞いています。 そういう実例を数多く耳にしてきたわけですから、私は温泉に入っては出て、温泉に入っては出ました。

 そのたびに睡魔が襲ってきます。
 これは万座温泉の特徴です。
 とても眠くなる。

 眠くなるたびに、マッサージ室で無料のマッサージを受け、目が冴えてきたら温泉に入りました。満天の星空のもとに、冬のダイヤモンドを眺め、シリウスとオリオンの移動を確かめながら、温泉に入っては出て入っては出るの繰り返しをしました。とても贅沢な一日でした。 おかげで硫黄の匂いが一週間ぐらい体から取れなかった。

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 けれど、すごくリフレッシュされた。
 体の調子がよくなった。
 やはり万座温泉はいい。
 温泉そのものがいい。
 こういう温泉には、外国人ダンサーによるショーや、世界各地のマジックなどの興業なんかいらないなあ・・・。
 酒もほどほどでいい。
 満天の星と、無料のマッサージ器があれば、それでいいや・・・・。
 



つづく。

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2020年02月27日

2月14日に思うこと。その6 スケート部に入った息子

 私は息子にスケート部に入りたいかどうか聞いてみました。すると「入りたい」と。スケート部の顧問の先生が、とても優しいから入りたいと言いう。そのときは、きっと優しい先生なんだろうなぁ・・・と思っていました。ところが優しいどころか、昭和のスポ根アニメを思わせるような厳しい先生だった。

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 この先生に限らず、うちの息子は、小学校の先生を優しいといいます。担任の先生も、すごく優しいと言い将来は小学校の先生になりたいと言い出しました。こんなことは初めてです。子供園の時は、先生になりたいとか、先生が優しいとか、そんなことは一度も話していません。けれど小学校に入った途端に、小学校の先生になりたいと言い出した。いったい、どんなに優しい先生なんだろう?と思い、空手教室などで一緒に練習している、二年生は三年生に話を聞いてみたら、真逆の反応が返ってきます。小学校で一番厳しい先生だというのです。それも一人や二人ではありません。多くの子供たちがそう言い放つのです。

 あれ?
 息子の言う話と全く逆だな?

で、思い出したわけです。息子が、顧問の先生がとても優しいからスケート部に入りたいと言う理由です。息子が優しいと思っている顧問の先生はとても厳しい方です。子供たちに厳しく接している。特に礼儀作法を徹底させている。スケートリンクに上がる時、リンクにお辞儀をさせているし、ふざけたことをしようものなら、すごい雷が落ちてくる。まるで巨人の星に出てくる星一徹のような厳しい先生なのです。その厳しさといったら空手教室よりもキックボクシング教室よりもはるかに厳しい。その厳しい先生を息子は誰よりも優しいと思っているのです。最初は、

 変だなぁ?

と思ったのですが、よくよく観察してみると、何ということはなかった。小学校の先生は、子供たち一人一人の個性に合わせて指導している。大人の一歩手前まで成長している六年生には厳しいけれど、スケートを始めたばかりの一年生に対しては、とても優しく接している。特にうちの息子は成長が遅れているので、なおさら優しく丁寧に接してくれている。それに対して息子は感動してる。スケートの先生が優しいと感じている。

 これは息子の担任の先生にしても一緒で、三月末生まれで成長が遅れ気味の息子に対して、とてもよく面倒を見てくれている。それを息子は微妙に感じ取っている。それで担任の先生が優しいと感動している。小学校の先生になりたいと言い始めている。で、息子が徐々に成長してきて、みんなに追いついてくると、担任の先生はそれなりに厳しくなったようで、
「先生が、前より厳しくなった」
と私に相談してくるようになりました。
「あーなるほど」
と思いましたね。先生は、子供の成長の度合いに合わせて指導しているんだと。すごくきめ細かく見てくれているんだなあと。

 こういう指導があると、親の教育がしやすい。うちの宿にはファミリーの御家族がいっぱい来ますが、小さい子には小さい子たちにもわかるように優しく指導してあげて、大きい子たちには、一緒に小さい子たちの手本になるように行動するようにする。そういうことが必要だということが、すでに小学校で体験しているわけですから、非常にありがたい。というか、小学校の教師が、一人一人の個性に合わせて、そこまで細かく見てくれているのか・・・と感動さえ覚えます。担任の先生にしても、スケート部の先生にしても、教育のプロはすごいですね。

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 まあそんなことはどうでもいいとして、スケート部の先生が、厳しく指導してくれるおかげで、スケート部の部長(六年生)の人徳が磨かれており、うちの息子は、あんな先輩になりたいと感銘を受けていています。

 小学校で一番大好きで、尊敬している人は、スケート部の部長さんだと言い切ります。あんな優しくて、すばらしい人はいないというのです。そのうえ将来は、ああいう先輩になりたいと、言い切っている。

 私が息子をスケート部に入れさせた理由は、体育の授業で息子に恥をかかせないためです。息子は成長が遅いので、運動の方もいまいちです。なので運動神経を必要とする、スキーやスケートを幼稚園時代からやらせていました。その延長でスケート部に入れたのですが、これには、うちの嫁さんも大反対。スケート部に入ると親の仕事が増えて大変だからです。

 毎日のように子供たちを車に乗せて、軽井沢のスケートセンターまで交代で送迎しなければいけない。五十キロもある凍結した山道を走らなければいけない。子供たちの急な病気や怪我(けが)に対処しなければいけない。つまり何人かが子供たちを見張ってないといけない。その上、何万円もするスケート靴を用意しなければいけない。スピードスケートのウェアも必要になってくる。おまけにスケート大会に参加する場合、場所取りやら何やらで、朝四時から出発する必要性も出てきたりする。

 ものすごく手間と金がかかる。
 だから半端な気持ちではスケート部には入れない。
 なので嫁さんは大反対!

 現に、そういう理由で、入部した後にすぐに退部する子供たちも多かった。親がそこまで手をかけることができないからです。そんなに大変なのに、入部させる親がいるわけですが、大抵の場合は、親がスケート選手だった例です。普通なら気軽に入部させるわけにはいかない。

 しかしそれを押し切って、私は入部させた。

 で、あんなにスケート部に入れるのを嫌がっていた嫁さんは、いざ息子がスケート部で少しずつ成長していくと、スケート部にはまってしまった。スケート部で親の行うボランティア作業は、私が全てやるつもりだったんですが、私が行ったのは、一回ぐらいで、あとは全部嫁さんがするようになっていた。

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 話は変わりますが、台風十九号の影響で、じゃらんや楽天で、復興割りクーポンというもの発行することになりました。これを使えば、宿泊費の半額で泊まれるクーポンです。このクーポンは、それほど人気がなかったのか、いつまでたっても売れ残っていたので、私たちが勉強のために使うことにしました。クーポンの期限は、二月二十八日(金)までです。で、二月二十八日に万座温泉聚楽に泊まることにしました。で、クーポンを使って予約したわけです。

 ところが、二月二十八日(金)に、スケート部の反省会という食事会を行うことになった。ダブルブッキングになったわけです。私は、最初に決まっていた万座温泉宿泊を優先するつもりでしたが、嫁さんは、スケート部の食事会を優先したいと言う。あれほどスケート部を嫌っていたくせに、スケート部の反省会(食事会・六年生のお別れ会)に出たいと言う。そこで大げんかになりました。

 観光協会の理事をやっている私としては、万座温泉の宿泊をキャンセルしたくない。そもそも、そっちの方が先なので、そっちを選ぶべきだと私は強硬に主張。しかし嫁さんの方は、スケート部の方を優先したいと言う。あれだけ嫌っていたのに、スケート部に思い入れが入っていました。というわけで夫婦の議論は、ずっと平行線だったので、息子の意見を参考にしようと、色々聞いてみたら、息子は万座温泉に泊まりたいと言う。けれどスケート部の部長(六年生)さんをとても尊敬しているという。あんな先輩になりたいとも言っている。

 仕方ないだと思った私は、万座温泉のホテル聚楽に、理由を言って、宿泊日程を二週間前の二月十四日(金曜日)のバレンタインデーに変更してもらえないかとお願いしました。ホテル側は快く変更のお願いを聞いてくれました。バレンタインデーですから、本当なら、お客さんがいっぱい来る日だろうし、価格設定も違っているはずなのに、快くOKしてくれたホテル側には感謝しかありません。

 心の中で「ありがとう」と思った私は、ホテル聚楽では、お酒などにをしこたま注文してお金落とすことにし、ホテルも、このブログで宣伝しようと決意しました。この時の宿泊については、後日、このブログにアップするとして、こうしてスケート部の食事会議参加できるようになったのです。その食事会は、本来なら明日、ホテルグリーンプラザで行うはずでした。


 ところが、コロナウイルス騒動で、イベント自粛のお達しがあった。
 息子は、尊敬する六年生の部長さんのお祝いができなくなったのを残念がっていました。


つづく。

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posted by マネージャー at 15:04| Comment(0) | スケート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月19日

2月14日に思うこと。その5 ヘルパーさんたち

 二十年前に宿屋、つまりユースホステルをオープンしてしばらく経った時に、ヘルパーをしたいと言う問い合わせがありました。ヘルパーというのは、介護ヘルパーのことではなくて、ユースホステル(宿屋)でボランティアをする人たちのことです。それをヘルパーと言っていました。何を隠そう私も、釧路牧場ユースホステルと言うユースホステルで、二年間・二シーズンに渡ってヘルパーをしたことがあります。もちろんボランティアですから、給料はありません。交通費みたいなものが少しばかり出るだけです。ただし、従業員ではありませんから、お客さんと 一緒にお茶を飲んだり、時には遊びに行ってかけたり、 ヘルパー同士で夜遅く酒を飲んだりして楽しんだりします。

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 ヘルパーの仕事は、かなりの重労働でしたが、それなりに楽しかった と思います。何しろ釧路牧場ユースホステルは、七十人ぶんのベッドがあります。そのベッドメイク や食事を三人のヘルパーでやっていました。想像を絶する重労働で四時間睡眠でしたが楽しかった。お客さんに観光案内をしたり、写真を撮ってあげたり、連泊するお客さんのベッドに手紙とチョコレートを置いたりして、ちょっとした親切をするだけで、えらく感謝されたことが楽しくて楽しくてたまらなかった。 そんな思い出が、蘇(よみがえ)ってきた。

「ヘルパーをしたいんですが」
「いいですよ」

というわけで、ヘルパーをしたいという人が現れますと、私はどんどん採用していきました。その結果、下手したらお客さんよりもヘルパーさんの方が人数が多いという状況にまでなってしまいました。当時のことを知るお客さんは、今でも懐かしそうに語ります。

「オープンしてから四〜五年は、ヘルパーばかりいったよね」
「今日は、宿泊者がおおいなあと思ったら、自分を除いて全員がヘルパーだったこともあったなあ」
「あの頃は、この宿に泊まると、平日でも十人ぐらいの若い人たちがいて、自分若い人たちに人気のある宿なんだなあと思っていたら、そのうちお客さんは四人しかいなくて、あとの六人はヘルパーだった」

 そうです。片っ端からヘルパーを採用していてしまったために、 お客さんよりもヘルパーの方が数が多いということが多くなった。もちろん赤字です。私は、ヘルパーさんに、お客さんと同じメニューを、お客さんと一緒に食べさせていましたので、 赤字も赤字。大赤字。

 その上、ヘルパーさんたちに、お客さんと一緒に遊んで来いとか、 お茶会でお客さんと楽しい会話してきなさいと言っていました。お茶会には、酒・ジュース・茶菓子を必ず出していましたし、人数が多ければ、餃子・お好み焼き・ピザ・にんにく揚げ・ローストビーフなんかも出していました。誕生日の人がいれば、ケーキを焼いたりもしていました。今思えば、我ながら本当によくやったと思います。 どうしてあんなことが十数年も続けることができたんだろう?と不思議に思います。

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 まあそんなことは、どうでもいいとして、ヘルパーさんの話です。うちの宿には、多くの若い人たちが、ヘルパーとして働いてくれました。昔は、ユースホステルの他に、ティンカーベルという名前のペンションも経営していましたので、そちらの方のヘルパーさんも含めれば、かなりの数が、私の宿で働いたことになります。ほとんどが若い人たちで、大学生・高校生・中学生がメインです。最高齢で言うと七十歳のヘルパーさんもいましたけれど、大半は若い人たち。社会人の方もいますが、二十代前半がほとんど。

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 面白いのは、ヘルパーになった人たちの大半が高学歴であり、頭の切れる人でした。旧帝国大学・有名私大・国立大学の出身の人たちが多かった。医学部に絞っても四人もいました。でなくとも有名進学高校の出身でした。いわゆる進学校で落ちこぼれたパターンであって、元IQ が高すぎた弊害の人たち。知能指数が高いために、中学校時代に勉強せずとも高成績だったために、努力するという癖を身につけることができなくて、高校に入って落ちこぼれたパターンです。

 そういう人たちは、学歴がないとは言っても、非常に頭が良い。何でもかんでもすぐ覚えてしまう。料理も接客もすぐにマスターして、一流どころになれる素質を見せてしまう。要するに器用なんです。大して努力をしなくても何でもそつなくできる。そういう人たちが世間に存在していた。

 で、中学校も卒業してないのに天文学者になった人や、ライターや絵本作家として成功した人もいる。工務店・エステ・飲食の経営者としてバリバリ活躍している人もいる。彼らは学歴がないと言っても、切れ者なので、それぞれの道で成功している。

 長い前置きになりました。
 ここから本題に入ります。

 息子が生まれる時に、中学生時代に宮本武蔵を読んで感動して以来、一度も神仏に乗ったことのない私が、生まれて初めて神仏に祈りました。どういうふうに神仏に祈ったかと言うと、
「健康な子供をください。勉強も運動もできなくていいです。健康でさえあれば何もいりません。勉強・運動は、親の私がやります。私がサポートします。だから五体満足で健康な子供が生まれてくることをお願いいたします」
と祈りました。

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 この願いはかないました。生まれた息子は健康そのものでした。病気らしい病気をすることがなく、インフルエンザにかかっても一晩寝ると治ってしまいました。私は息子が〇歳児の頃から背中に背負って一緒に山に登っています。-十度の冬山にも一緒に登っています。 そんな環境下でも寒いとも言わずにキッキャとはしゃぎながら一緒に登山をしていました。

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 神仏は、私の願いをかなえてくれました。完璧にかなえてくれましたので、勉強も運動もいまひとつでした。と言うか、成長が非常に遅かった。周りの同級生たちができることを息子ができないのです。一言で言うとどんくさい。不器用。

 それでも私は気にしてなかったのですが、子供園(幼稚園と保育園が合体したもの)の先生たちは、成長の遅さを指摘しました。年少組・年中組・年長組。どの学年の時の担任の先生も、成長が遅すぎると言います。そして、発達心理学の先生に見てもらうように言われます。それは渡りに船なので、専門の先生に診てもらったら
「問題なし」
と言われてしまいます。しかし、現場で息子を見ている幼稚園の先生にしてみれば、問題ありだと言います。息子は、三月二十六日生まれなので発達が遅れているのではないかと質問してみたのですが、それを加味しても遅れているという。三月末に生まれたにしても、遅れ過ぎているという判断なのです。

 そこで発達心理学の先生に知能検査をしてもらったわけですが、実際検査をしてみたら、 IQ は非常に高かった。うちの息子は、よく忘れ物をしますので、ワーキングメモリーが人より低いと予想していたんですが、知能検査でワーキングメモリは百二十以上。その他の数値も非常に高かった。

 あれ?

と思ったのは、 発達心理学の先生よりも私だった。 どうやら成長の遅さと、知能指数には関連性がなかった。他の人にできることが、息子にできない。そういうどんくささ、つまり人様よりワンテンポ遅れるところと、知能指数は関係なかった。これはどういうことなんだろうか?

 そこで思い出したのが、過去にうちの宿でボランティアをしていたヘルパーたちのことです。彼らの大半は高学歴なので知能指数は高かった。しかし、その中に、テキパキとやれる人たちと、どんくさい人たちがいた。器用な人たちと不器用な人たちがいました。

 もちろんコツコツと上達していく努力の人たちもいましたけれど、瞬時に理解して何でもこなせる天才肌の人たちもいました。そういう天才たちは、料理人になっても、学者になっても、経営者になっても、何になっても成功しそうな気がしたし、実際に成功している・・・。

 それらとは、真逆で息子のやつは成長が遅い。幼稚園の先生から、ワンテンポ遅れる。みんなができることできない。忘れ物ばかりする。三月生まれという点を差し引いても、非常に成長が遅い。そう言われてきました。実際、親の目から見てもスローペースだし、小学校で宿題のプリントをよく忘れる。教科書も忘れたし、水筒も忘れる。上着もどこかに忘れてしまう。筆箱に入っている筆記用具も毎日のように全部なくなってしまう。とにかく物忘れがひどい。

 その上ことばもゆっくりしている。会話のテンポが非常に遅い。だから、一学年下の子供たちと遊ぶと丁度いい会話ペースになる。いや、一学年下の子供たちの方が、もっとベラベラと喋れます。下手したら、二学年したの子供たちと丁度いい会話のペースになります。小学一年生の息子が、年中組の幼稚園生と会話すると丁度いいぐらいになって見える。それを心配してか、小学校の担任の先生は、ことばの教室に入ることを家庭訪問の時に勧めてくれました。

 ことばの教室とは、言語障害のある子供向けの特別支援学級のことで、言語障害のある子供のサポートをしてくれる教室です。ことばの教室に出席する間は、学校の授業はお休みになります。 担任の先生は、それを心配していましたが、うちの息子は勉強に対する理解だけは早い。通信教育で有名なチャレンジ一年生の教材が届きますと、一日で全部終わらせてしまう。なので、赤ペン先生の添削の手紙に、
「今回もたけるくんが全国で一番です」
と添削の回答が、満点で返ってきます。夏休みの宿題も一日で終わらせてしまいます。なので、勉強が遅れることだけは全く心配してません。

 ただ、会話のテンポが遅い。作業のテンポが遅い。忘れ物が多い。身の回りのことができてない。テキパキと動けない。要するにどんくさいんです。 どう見ても IQ が高いようには見えません。

 しかし、知能検査をすると非常に高い数値が出てくる。しかもその検査は、去年の今頃、インフルエンザで一週間寝込んでいた頃に受けている。体調的には決して万全ではあなかったし、本来なら六歳で受けるべき検査を、幼稚園の卒園式などの関係で五歳十ヶ月で受けている。試験結果は悪く出るべきところ、逆に高い数値が出ている。これはどういうことなんだろう?

 で、思い出したのが、息子が生まれる時に神仏に祈ったことでした。 天は、健康をくださった。「あとは自分でどうにかしなさい!」ということではないか・・・と思うしかなかった。なので、小学校入学と同時に、ことばの教室をはじめとして、空手・キックボクシング・陸上・縄跳び・各種の球技・スキーを習わせました。

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 小学校入学すると、小学校にスケート部があると聞いて、そこにも入部させました。嫁さんは嫌がって反対していましたが私が押し切った。どんくさい息子が、体育の授業で悲しい思いをしないですむように、スケート部で鍛えてもらおうと思った。そして、ちょつとでも滑れるようになれれば、ラッキーだと思っていた。



つづく。

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posted by マネージャー at 23:58| Comment(0) | スケート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月16日

2月14日に思うこと。その3 テレビを見ない子供の副作用?

 子育てをして分かってきたことは、子供は親の真似をするということです。これについては、このブログでも散々書いてきたので、いちいち書きませんが、子供は本当に親の真似をします。例外があるとしたら、次男次女以下の子供たち。次男三男あるいは次女三女の場合は、親に対してよりも長男長女の真似をする傾向があるかもしれない。けれど、一人っ子や長男長女の場合は、親を徹底的に真似してしまう。

 それで、気がついたことですが、私も嫁さんは、ほとんどテレビを見ない。と言うか、北軽井沢で宿屋 やっていると見ることができない。難視聴地域なので、そもそもテレビの電波が届かない。新聞も届かない。なので、 そういうものに縁がなかった。

 しかし、政府の補助によって無料で巨大なアンテナが設置されるようになり、数年前から電波が届くようになり、やっとテレビが見れるようになった。しかし、長年の間、テレビから遠ざかっていたために 、テレビを見ようと言う気が起こらない。もちろんテレビも映画も大好きです。だけど、あまり見る気が起きない。と言うか、宿屋をやっていると、午後3時から午後11時まで仕事づくめなので、テレビを見る暇がない。そんな生活を長年送ってきた上に、子供が生まれたわけですから、息子もそれに影響されて全くテレビを未来ライフスタイルを作ってしまった。そのため、息子にはテレビや映画に対する免疫がなかった。

 で、5歳の時にインフルエンザにかかって、一週間引きこもり生活を続けた時、散々見させられた 映画にはまってしまったわけです。そして、ドラえもんの漫画・ドラえもんの学習漫画をむさぼるように読むようになってしまった。 その上、宿の備品としておいてある1000冊近い絵本や児童書をまでも貪るように読むようになってしまった。

 実はこれも、親の真似です。私も嫁さんも、暇さえあれば本ばかり読んでいるタイプで、相当な読書家なので、それを真似している可能性が高い。実は我が家のトイレには、日曜大工で作った自家製の本棚があります。トイレは読書の場所でもあるし、 暇さえあれば読書をしています。それを息子が一歳の頃から真似していた。字も読めないのに 私が借りてきた本を逆さに持って本を読む真似をしていました。そのせいか、文字を覚えるのが本当に早かった。2歳になる前に、ひらがな・カタカナ・アルファベットをマスターし、3歳ぐらいには簡単な漢字も読めるようになっていました。

 で、4歳ぐらいからは、毎週のように家族で軽井沢図書館に行って本を何十冊も借りてきました。 軽井沢図書館には、1万冊以上の絵本があり、4歳でも図書カードを作れ、その上一回で十冊まで借りられる。 読書愛好家にとっては最高の環境だったために、息子の読書好きと、テレビに関する無関心は、さらに増大されました。

 と、ここまで書くと、何やらいいことずくめのように思えて行きますが、そんな単純なものではありません。副作用が出てくるのです。子供がテレビを見ないと、どうなるか? 人間関係に関してぎこちなくなる。 戦闘的でなくなってしまう。

 例えば、仮面ライダー・ゴレンジャー・ウルトラマン・プリキュアといったヒーローヒロインものを知らないわけですから、戦うということを知らない。これには参りました。どういうふうに参ったかと言うと、 息子のやつを空手教室やキックボクシングジムに連れて行っても、少しも上手くならないのです。何のために練習するのかさっぱり分からない。仕方がないので、 YouTube で 空手の試合なんかを見せるわけですが、今ひとつピンと来てないわけです。

 まあそれは、息子が運動音痴であるということが原因でなくもないんですが、それだけではない。それが証拠に、短距離や長距離を教えると、どんどん早くなっていく。最初は200 M 走るのに1分20秒もかかっていたのに、1ヶ月教えるだけで、50秒で走れるようになっている。幼稚園の頃の徒競走では、誰よりも遅かったのにマラソン大会を走っても上位を狙えるようになってきた。スキーをやらせてみても、ワンシーズンで4回ぐらい滑らせるだけで、結構滑れるようになっている 。自転車に至っては、たった5分で乗れるようになってしまった。小学校に入ってからスケート部に入部させて、スピードスケートをやらせたわけですが、なんだかんだで早く滑れるようになってきた。前にも書きましたが村の大会で1位、吾妻郡の大会でほぼ同着に近い2位でゴールしている。

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 息子にとって、陸上・スキー・スケート・自転車といった競技はわかりやすい。スピードを競うという競技はわかりやすいんです。その逆にわかりにくいのが、空手とキックボクシングです。試合があるわけでもなく、スピードを競うわけでもない。なので息子にとっては非常にわかりにくい。そのために上達しようという意欲が今一つ湧いてこない。 なにしろ仮面ライダーにもウルトラマンにも戦隊物にも全く縁のない人生だったので、強くなろうと言う発想がない。

 そういう状況下において、ドラえもんにはまってしまったために、
『強いやつ = ジャイアン = 悪いやつ 』
というイメージを持ってしまって、ますます空手に身が入らなくなってしまった。そして男らしいと言う世界から、どんどん遠ざかっていくのです 。

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 私はその逆でした。子供の頃、テレビをジャンジャンみていました。今思い出してみると、私がテレビ好きだった理由は、親がテレビばかり見ていたからです。昭和36年生まれの私の世代は、 親も子供も含めて、テレビばかり見る世代でした。家族で一緒にテレビを見ていた。ご飯を食べてる間、テレビがついていたし、茶の間にもテレビがついていた。家族みんなでテレビを見ていた。もちろん各家庭によって番組は違っていたけれど、みんなでテレビをみていた。

 なので私は、3歳ぐらいから鉄腕アトムをサンダーバードを親と一緒に見ていたし、ポパイというアメリカアニメから始まって、宇宙エース・流星仮面・ワンダースリーといったヒーローアニメや、ウルトラマン・マグマ大使・赤影といったヒーロー特撮ものを4歳くらいから親と一緒に夢中になってみていた。なので、保育園では、相撲チャンバラをはじめとして格闘技ぽい遊びを毎日していた。

 しかし、うちの息子には、それがないのです。
 ないために、 ちょっとおかしな感じになってきている。
 覇気がない。
 競争心がない。
 逆に言うと、誰とでも仲良くなる。
 極端に優しいところがある。
 泊まりに来たお客さんのお子さんに対して、 非常にサービスシーンがある。
 ありすぎて、困ったことをやらかしてしまう。



つづく。

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posted by マネージャー at 23:57| Comment(0) | スケート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月14日

2月14日に思うこと。その1 神仏は尊し神仏を頼まず。

 今から40年ほど前、私が中学校2年生になった頃、宮本武蔵という本に感銘を受けたことがありました。宮本武蔵は、神仏は尊し、されど神仏を頼まず。 そういう人なんです。なので、私はずっとそういう考えで生きてきました。神社仏閣に行って、お参りをすることはしますが、 それらを頼りにしたことはあまりありません。そんな私も、50過ぎて子供を授かった時だけは、神仏 に祈りました。

 ただし、分不相応なお祈りはしていません。冷水を30杯ほど浴び、息子の健康と五体満足で生まれてくることだけを祈りました。 勉強も運動もできなくていい。ただ健康でありさえすればそれだけでいい。勉強も運動も、全て親が面倒を見る。ただ健康に生まれてくれれば、それ以上は望まない。神仏にそのように誓ったのです。

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 おかげで、息子は健康そのものに生まれ育ちました。一歳の頃から-10°の冬山に一緒に登っても風邪一つ引きませんでした。インフルエンザにかかっても、ピンピンしていて 、薬を飲まずに一晩も寝れば平熱になってしまうほど健康に育ったのです。

 もちろん、その代償も 得ています。成長が遅く、人様よりも勉強や運動を苦手としています。しかし、それは神様にお願いする時に、約束したことですから、それは想定内です。健康でありさえすれば、運動も勉強もできなくていいと神様に誓っているわけですから、想定内も想定内。なので何の問題もありません。

 やはり神様というのは、存在しているのかもしれません。私は息子が生まれるまでは、神仏を真面目に信仰していませんでした。でも今は、神だか仏だかわかりませんが、 何者かわかりませんが、ありがたいものが、存在してるような気がしてなりません。天なのか、神仏なのか分かりませんが、私の願いを聞き入れて、息子に健康なからだをプレゼントしてくれたことは大いに感謝しています。その代わり、運動も勉強もできなくていいという交換条件も、しっかり聞き入れてくれました。

 でもそれはそれでいい。
 勉強の才能も運動の才能もいらない。
 そういうものは自分で身につけるものですから。
 むしろ、才能がなければ、 努力しなければいけない。
 努力すると言う生活習慣が着く。
 そっちの方がいい。

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 なので親としてできることは、徹底して行なってきました。3月26日生まれという非常に不利な時期に生まれたにも関わらず、道徳教育も、勉強も、運動も、なんとかみんなに追いつくようにサポートしてきました。幼稚園ではいつも徒競走でビリだった息子も、マラソン大会では上位に食い込めるようになり、 スピードスケートの大会では、村で1位。吾妻郡では0.1秒差で2位。スキーもそこそこ滑れるようになり、空手もキックボクシングもそれなりに 上達してきました。



つづく。

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2019年02月08日

軽井沢でスケートするなら風越公園の屋外スケート場

軽井沢でスケートするなら風越公園の屋外スケート場です。
なにしろでかい。
そして人がいない。
お客さんがいないので、滑り放題。
こんなに巨大なアイススケート場を、何度、独占貸し切り状態で滑ったろうか?

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値段も安くて800円。
設備もよくて、カーリングもできます。
隣に温水プールもあって、400円で入れます。

館内には自販機や電子レンジもあります。
ただし売店はないので、お弁当を買って持って行くとよいと思います。
休憩場所の館内は暖房が効いていて暖かいです。
2月11日が最終日なので、ぜひ御利用ください。

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【営業期間】
2018年11月17日(土)〜2019年2月11日(月・祝) 無休

【営業時間】 
平日:7:00〜20:00
土日祝:9:00〜18:00

【 料 金 】
◆滑走料 
大人:1回¥800
小中学生:1回¥400
◆貸スケート靴(フィギュア) 1足¥500

〒389-0113 長野県北佐久郡軽井沢町発地1154
電話: 0267-48-5555

つづく。

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posted by マネージャー at 16:25| Comment(0) | スケート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月31日

スキーとスケートを同時に教えると、上達が早い?

 スキーとスケートを同時に教えると、上達が早い?気がします。

 実は、五歳の息子を二回ほど、軽井沢のスケート教室に連れて行ったのですが、その結果、何が起きたかというと、教えても無いのにスキーが滑れるようになったんです。

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 原因は、スケート教室で、倒れることに対する恐怖心が無くなったからだと思われます。もちろん子供のスケート教室なので、うまく滑れる人など泣く、倒れてばかりのお子さんばかりです。それを見てた息子の奴は、
「倒れることなんかたいしたことない」
と思ったらしく、肝っ玉が据わってきたようで、ガンガン倒れては起きるようになり、アッとい間に、滑れるようになってしまいました。この間、たったの45分です。

 もちろん指導員の先生が凄かったのもあるんですが、それ以上に、自分以外も出来ない子供たちがいるというのも息子の自信に繋がったのかもしれません。息子は、3月26日生まれで、同級生に同じ3月生まれはなし。2月生まれもなし。1月生まれがたった1人。あと全員が、4月から11月という誕生日であるために、生まれながらにハンデがありました。幼稚園で、他の同級生ができることが、自分に出来ないというコンプレックスがあったみたいです。でも、こうやってスケート教室に参加させてみると、みんな同じように出来ないのに安心し、積極的に滑りに行って上達が早くなった気がします。最終的に約45分の練習で、400メートルトラックを一人で滑れるようになってしまいました。

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 そして、翌々日、湯ノ丸スキー場のスキー教室に連れて行ったわけですが、予約が無かったので断られてしまい、仕方が無いので、ほぼ素人の嫁さんが、ちょっと教えたら
「一人で滑る」
と言い出して、一人で滑るようになってしまいました。しかも、ろくに教えてないのに自己流で止まれるようになり。自己流でカーブもできるようになってしまったのには驚きです。おそらく「倒れる」ことに対する恐怖心が無くなってしまったんだと思います。スケート教室で倒れることの恐怖心をぬぐい去った結果、スキーで倒れることの恐怖心もなくなってしまったのでしょう。

 また、スケートでつちかったバランス感覚の保ち方が、スキーでも役に立ったのかもしれません。なのでスキーとスケートを同時に教えるというのは、よいやり方かもしれません。それにスポーツ教室に参加するのもいいですね。親が教えるより圧倒的に早く覚える。子供たちが大勢いる方が覚えが早いような気がします。



つづく。

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posted by マネージャー at 23:32| Comment(0) | スケート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月17日

軽井沢のスケート教室の凄さ! 5歳児が、あっと言う間に滑れるようになる?

軽井沢のスケート教室の凄さを思い知らされました。
たった1時間の教室で、5歳児が、あっと言う間に滑れるようになってきたからです。ちなみに息子は、ほぼ初体験。去年、四歳のときに一度だけスケート靴を履きましたが、ほとんど滑れずにリタイヤ。

で、今年は、軽井沢のスケート教室に参加しました。
参加費は1000円。
1時間では、無理だろうと思っていましたが、
先生の指導がうますぎて、ものの15分で、
カラーコーンにつかまりながら滑れるようになり、
30分後には、5メートルくらい。
1時間後に、10メートルくらいと距離を伸ばしていったのにびっくり。
指導者が優れていると、こんなにも違うものか?と驚いています。

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まず最初は、壁伝いに歩く練習。
ここからスタートです。

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次に、カラーコーンをつかんで滑る練習。
アッと言う間に滑れるように・・・・。
親は、目が点。
先生の指導のうまいこと、うまいこと。

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次に、コーンから1メートル離れて、コーンに向かって滑ります。


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その次に、コーンから5メートル離れて、コーンに向かって滑ります。

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最後に、コーンから10メートル離れて、コーンに向かって滑ります。
あと1時間もやれば、かなり滑れるような感じだったのですが、時間切れ。

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休憩しながらの練習だったので、練習時間は45分くらい。
親の私たちは、先生の指導力に脱帽。
やっぱり、専門家は凄いなあと。

なので、今年は、専門の先生のもとでスキーを勉強させることにしました。
その方が、親が教えるより絶対にうまくなると確信しました。


つづく。

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posted by マネージャー at 18:00| Comment(2) | スケート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月30日

風越公園屋外スケート場

風越公園屋外スケート場  

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 私は、冬山登山以外のウインタースポーツに全く興味の無い男で、若い頃は、冬は沖縄(それも八重山)ばかり行ってましたので、スキーはおろかスケートもやったことはありません。一生やらないつもりだったのですが、嬬恋村出身の息子が四歳になったので、やらないわけにはいかなくなり、息子と一緒に風越公園屋外スケート場に行くはめになりました。

 南軽井沢にある風越公園屋外スケート場は、大人は800円で一日中滑ることが出来ますので、息子をつれて出かけたのですが、初心者は、椅子を借りて滑るらしい。なにしろ屋外のスケート場なので、捕まるところがないんですよね。で、椅子を借りるわけですが、なかなかうまく滑れません。それは息子も同じようで、二人して悪戦苦闘。1人嫁さんだけは、スイスイと滑っていました。

 もちろん息子は、私より上達が早いです。スケート靴を履かせたら、普通にそれで立って歩いていたし、倒れても倒れても立ち上がれる。こっちは、倒れる恐怖と戦っているというのに。子供の運動神経には、舌をまきました。

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 ここにはカーリング場なんかもあって、有名選手が練習していたりします。冬季オリンピック選手の調整所として世界中からやってきていた時期もありました。外国の選手団に「軽井沢の人は、すごく親切」「最高のホスピタリティ」と評判が良く、それが口コミで世界中に広まっているらしく、東京オリンピックの調整所として検討している国々もあるとか。

〒389-0113 長野県北佐久郡軽井沢町発地1154
電話: 0267-48-5555
http://www.kazakoshi-park.jp/ice-arena/

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つづく。

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posted by マネージャー at 22:47| Comment(2) | スケート | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする