2021年07月06日

鬼押出し園開園70周年に行ってきました【6】カレーパンうどん!

 しばらく難しい話が続いたので、今回は楽しい話をします。
 鬼押出し園については、今日で最終回です。

 最初に気になった画像をアップします。
 これです。

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 小さなレールを二つ溶接にしておもりにしているわけですが、サイズ的にみて軽便鉄道のレールみたいです。定規を持ってなかったので、正確に計測できてなかったのですが、もし軽便鉄道のレールだとしたら草軽鉄道のレールを切断して、溶接して作った重りではないでしょうか? だとしたら、こいつは貴重なものだと思いますが、いかがでしょうか?

 次の画像は岩窟ホール。

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 この岩窟ホールを見学に多くの建築家が訪れています。これを設計したのは、池原義郎(1928年 - 2017)という日本を代表する建築家で、早稲田大学名誉教授でもあり、その岩窟ホールは、入り口・バス停・岩窟ホールと、自然の景観を壊さないように訪れる人の視線が変化するように作られています。

 地元民なら気づいた人も多いと思いますが、バス停からスロープを上がって入り口に入る瞬間までに、鬼押出し園と浅間山の雄大な姿に感動すると思いますが、これは池原義郎氏の綿密な設計によって作られたスロープならではです。池原氏は御客さんの視線というものに徹底的にこだわって設計する人で、岩窟ホールに入っても360度、どこに視線を移しても絶景が楽しめるという緻密な作りをみもせています。

 この岩窟ホールで食事をしたわけですが、メニューをみてびっくり!

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 か、カレーパンうどん?

 なんじゃ? それ?
 食べてみたい。
 でも、どうしようかな?

 好奇心と三分ほど葛藤した結果、ぶなんなスタミナ丼を注文してしまった。

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 ちなみに嫁さんは、カレーパンを注文。

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 食堂には、御客さんらしき人影は無く、ジオガイトの人たちと、さきほどまで大法要をやってた寛永寺のお坊さんたちだけが食事をしていました。ちなみにお坊さんたちは、カレーパンを食べていました。嫁さんも「カレーパン美味しい!」と言ってたので、しまった!カレーパンうどんを注文すればよかった!と残念がりましたが、スタミナ丼も美味しかったので、それはそれでよしとします。

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 次に鬼押出し園にくるのは、いつになるかわかりませんが、また来てみたいと思いましたね。その時には、このブログに、『西武鉄道VS東急鉄道』の血みどろの戦いと、それによっておこされた『鬼押出し園VS浅間園』の戦いについて述べるとしましょうかね? これが凄く面白い話なんですが、堤康次郎VS五島慶太の話は、また後日ということで。強盗慶太、ピストル堤と異名をとる二人の池袋・渋谷戦争の話。『鬼押出し園VS浅間園』『草軽バスVS西武バス』は、いつか映画化してもらいたいものですよ。

 事実は小説より奇なり。
 半沢直樹より絶対に面白くなると思うんだけれど・・・。


つづく。

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2021年07月05日

鬼押出し園開園70周年に行ってきました【5】

  大坂志郎という人を知っているだろうか?

 若い人には馴染みのない名前かもしれません。けれど昭和時代にお茶の間でテレビにかじりついていた世代にとっては、 大坂志郎さんは、森繁久弥さん・竹脇無我さん・石橋哲也さんらと、よく共演し、ホームドラマで日常的に見かける俳優さんでした。ホームドラマといえば、大坂志郎さんでした。

 「大岡越前」の村上源次郎。
 「だいこんの花」の相馬京太郎。
 「パパと呼ばないで」の井上精太郎。
 「雑居時代」の栗山信。
 「玉ねぎ横丁の花嫁さん」の源太郎。
 「どてかぼちゃ」の猪股。
 「おひかえあそばせ」の池西猪太郎。
 「おふくろさん」の八兵衛。
 「七色とんがらし」のヤス。

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 この大坂志郎さんは秋田県能代市に生まれます。と言っても本人には、秋田県能代市の記憶があったかどうか? 幼い頃(昭和2年・当時6歳)に母親と、年子の妹さんと上京しているからです。

 お母さんの名前は神成志保さん。秋田県の北にある鷹巣町の素封家に生まれ、19歳で能代の大きな米問屋に嫁ぎ、二人の子供を産みますが、夫は放蕩息子で女遊びで家をかえりみない日々。舅と姑がほぼ同時期に亡くなったことを契機に、「東京見物に行く」と着の身着のまま二人の幼子を連れ、東京に出てきます。そして保険の外交員などをしながら、幼子二人を女手ひとつで育て上げ、苦労に苦労を重ねて、新宿に居酒屋「秋田」を開店しました。

 家(裕福な米問屋)を捨て東京で暮らすという母の一大決心を七歳の志郎は、毎朝新聞配達をして家計を支え、母志保子、妹の澪(みお)とともに、親子三人肩を寄せ合って暮らしました。志郎は(旧制)中学受験に合格していたにもかかわらず、学費がないために就職を決意。

 その後に経済的余裕のできた母が学校に通わせようとしても、妹の学校を優先すべしと、絶対に耳を貸そうとしません。あの俳優大坂志郎はこうした境遇から脱出して、天下の名優になったのです。名監督・小津安二郎に罵倒され不遇な時期もありましたが、誰に対しても心優しく、家族思いの彼をほっておく人は無く、やがてテレビドラマの名脇役として大成します。

 それはともかく「妹の学校を優先すべし」と言われて明治大学女子部法学科を卒業した妹の澪(みお)さんは、人形劇団プーク美術部で創作活動を開始。人形作家としてデビューし、陶芸やステンドグラスなどの工芸作品、また人形写真芝居の脚本、本の装丁などの創作活動を行い、陶芸では陶壁など大規模な作品も手がけ、昭和40年代には香川県内海町立星城小学校(S41)、高松市・ホテル川六(S43)、福島県立大原総合病院(S47)、など公共建築物の陶壁などを製作。日展に9回入選するなど工芸の道を歩み、その後陶芸やステンドグラス作家としても数々の作品を発表しています。

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(居酒屋「秋田」・東京における郷土料理屋のはしりだった)

 ちなみにお母さんの神成志保さんは、昭和53年まで居酒屋「秋田」を経営し、店には太宰治、井上靖、木下恵介、中野重治、伊藤整、高見順、梅崎春生、坂口安吾、亀井勝一郎、浅見淵、丸山定夫、藤原釜足、千田是也、清水将夫、川島雄三、中平康、小杉勇、金子信雄、フランキー堺、西河克己、阿木翁助、田中澄江、有吉佐和子、田村泰次郎、丹羽文雄、清川虹子、安井昌二、花柳章太郎、山田五十鈴、桂小金治、井伏鱒二、三好達治などなど、文士・画家・編集者・演劇人・映画人・学者らが出入りする居酒屋となり、神成志保さんは、その世界で知らぬ者はいなかったと言います。

 ちなみに神成志保さんは、非常に神仏に対して信心深い人でした。その彼女が昭和42年8月に鬼押出し園に観光に来たとき、その風景と歴史に感銘をうけ、さらに鬼押出し園の観音堂に参拝したときに心を動かされました。しかも夢枕に観世音菩薩が出現して、
「この霊地に観音菩薩を建立しなさい」
との仰せをうけ、鬼押出し園に炎観音を建立することを思い立ったわけです。

 ここで妹の澪(みお)さんが大活躍します。大坂志郎さんが、「妹の学校を優先すべし」と母親に強く言い聞かせ、妹を進学させたことに対して、澪(みお)さんなりの恩返しができたわけです。澪(みお)さんは、発憤し、三ヶ年にもわたって母の志保さんと一緒に製作し、鬼押出し園の奥の院に炎観世音菩薩像を作り上げました。

 そして昭和47年10月に鬼押出し園に炎観世音菩薩が登場します。
 すると翌年から、パタッと浅間山の噴火が無くなってしまった。
 200年近く噴火を続け、東京まで火山灰を降らせ続けた浅間山の噴火が、バッタリと無くなったのです。

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 鬼押出し園の奥の院いくと、炎観世音菩薩がありますが、この観音様には、こういういわれがあるわけですが、このことを知ってる地元民は誰もいません。奥の院の掲示板には、いわれが書かれてありますが、そこに澪子とありますが、これは「澪(みお)」ではないでしょうか?



つづく。

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2021年07月04日

鬼押出し園開園70周年に行ってきました【4】

 寛永寺は天台宗です。1625年に徳川幕府の安泰を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野に、天海大僧正によって建立されました。後には第四代将軍・コ川家綱公の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。


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 ちなみに寛永寺のトップは、天海でしたが、天海が没した後は、弟子の公海が引き継ぎ、その後を継いだのは、後水尾天皇第3皇子の守澄法親王です。法親王は日光山主を兼ね、その後に比叡山の天台座主を兼ねることになりました。以後、幕末の北白川宮能久親王に至るまで、皇子または天皇の子供が寛永寺の貫主を務めています。そしてトップ(貫主)は「輪王寺宮」と尊称され、水戸・尾張・紀州の徳川御三家と並ぶ格式と絶大な宗教的権威をもっていました。


これは余談になりますが、幕末最後の寛永寺トップは、北白川宮能久親王ですが、北白川宮能久親王は、北軽井沢開拓の祖であり、北軽井沢の大恩人です。彼は、明治15年に、現在の浅間牧場を含む広大な牧場開発に着手し、荒地を農場に変え、北軽井沢の発展の基礎を築きあげました。北軽井沢の牧宮神社はこの北白川親王を祭った神社です。


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 北白川宮は、陸軍軍人として多大な功績のあった方で、日清戦争の時に台湾に出兵し、現地で病気にかかり薨去されました。その武勲を讃え、現地台北には宮を祭った台湾神社(台湾神宮)、終焉の地には台南神社が創建されました。敗戦後、台湾にあったこれらの神社はすべて廃社となりました。当時の氏子総代と神官が協議の上、北軽井沢の地に御霊をお迎えし、北白川宮の遺徳を永く偲ぼうとしたものです。

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 話をもどします。
 なぜ鬼押出し園に寛永寺の別院があるのか?
 という疑問に答えたいと思います。


 天明三年(1783年)の浅間山噴火によって総計1100名以上の犠牲者がでましたが、特に鎌原村の被害が大きかったわけですが、鎌原にあった延命寺の観音堂に集会で集まっていた92名の人たちだけが生き残っていました。(92名が慌てて避難したという説もあるが、鎌原村から浅間山は見えないので、観音堂で集会があったために偶然にも集会に集まった人が生き残ったという説が、最近では有力になりつつある)

 観音堂で生き残った村人たちの代表が、延命寺の総本山たる上野寛永寺のトップである輪王寺宮公延法親王(つまり皇室&寛永寺トップ)に哀訴し、輪王寺の宮様より住居のお世話を頂きました。そして輪王寺宮公延法親王は、現地を視察され犠牲になられた方々への追悼法会を営まれ、被災者への救援・復興の手助けを行いました。

 このような宮様(つまり皇室&寛永寺トップ)の行いは、当時としては異例中の異例であり、村人の心に刻まれ、これが『浅間山噴火大和讃』などを通じて語り継がれています。つまり嬬恋村は、寛永寺の宮様にたすけられたわけで、明治になってからは、最後の寛永寺のトップであった北白川宮に浅間牧場の開発でお世話になっている。嬬恋村も北軽井沢も、寛永寺に足を向けて寝られないのです。

 そのうえ天明噴火罹災170回忌にあたる昭和28年には、再び鎌原村の要請によって、時の寛永寺門主が訪れ、法要を営みました。そして昭和33年に、堤康次郎の尽力もあって、噴火罹災者の慰霊と自然災害犠牲者の供養を目的とした、浅間山観音堂が鬼押出し園にも寛永寺の別院として、創建されています。まさに寛永寺さまさまです。



(浅間山噴火大和讃・寛永寺門主の法要を語っている)


 そもそも鬼押出し園は、天明の噴火以前には、「柳井」とか「仏の岩屋」と言われており、磨崖仏があった可能性もあります。地名から修験者の修行の地であった可能性も否定できず、その痕跡は溶岩で埋まってしまっていますが、何らかのパワースポットであったと思われます。そこに浅間山観音堂を祭って15年後に、日常的に火を噴いていた浅間山の噴火が収まったのも偶然ではないでしょう。

 ところで、何年も前から
【 寛永寺僧侶と歩く鬼押出し園 】
と言う無料企画が、鬼押出し園で行われています。寛永寺の僧侶が鬼押出し園の見どころや、寛永寺との関わり等の解説を交えながら一緒に園内を散策しつつ、観音堂へ参拝するというツアーです。詳しくは、
 寛永寺教化部 03-3821-4440
 鬼押出し園 0279-86-4141
に問い合わせてみてください。


つづく。

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2021年07月03日

鬼押出し園開園70周年に行ってきました【3】

 堤康次郎がどうして鬼押出し園を開発する気になったかと言うと、これにはこんなエピソードがあります。堤康次郎は、千ヶ滝の別荘地を開発した時に温泉が湧いてるのを発見しました。今でも千ヶ滝のあるせせらぎの道に、自噴している温泉があり、その温水が川に流れているわけですが、その川のほとりに温泉をみつけたわけです。


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(千ヶ滝には温泉が自噴している。温泉に手を入れている息子)


 堤康次郎は、これを利用して千ヶ滝温泉を作ったわけですが、源泉が37度と低かったためにボイラーで沸かして共同浴場にせざるをえなく、なんとか高温の温泉を手に入れたいと思っていたら、浅間山のむこうがわに草津街道の北に万座温泉という温泉があるらしいと聞いて、その万座の湯を千ヶ滝にパイプラインで引こうとしました。

 そんなの無理だと止めますが、堤康次郎は言い出したら聞かない性分で、そくざに万座に向かって出発します。昔は、千ヶ滝から峰の茶屋まで真っ直ぐに草津街道が通っていて、峰の茶屋は山小屋でもありました。外国人宣教師たちは、ここから浅間山登山をしたわけですが、その登山者の数は、ピーク時に15万人もいたといいます。もちろんガイド・ポーター(荷物運び)も大勢いて、外国人宣教師たちを案内していましたから、千ヶ滝から峰の茶屋までの道路は、かなり整備されていました。

 余談ですが、夏の軽井沢に外国人宣教師たちが集結したのには理由があります。原因は大日本憲法発布にあります。憲法発布によって信教の自由が保障されたのはよかったのですが、第1回衆議院選挙で自由民権運動を展開した人達が作った立憲自由党などの野党が大勝してしまったために、キリスト教へ攻撃的になってしまった。

 明治政府は、近代的西洋文明を模倣した革新派だったのですが、野党勢力(自由民権派)は国粋的国家主義を主張していました。当時の一般民衆は、排他的であったわけです。明治政府は外国を気にしていたけれど、自由民権運動の野党は排他的だったし、国粋主義的だった。そのために、この時期に外国から派遣された宣教師達は窮地に陥った。

 欧化政策の時に上流階級の令嬢たちが競って入学した東洋英和女学校は明治22年に225名の在校生がいたのに、その3年後には70名まで減ってしまっていました。地方にあったキリスト教の系統の英語学校も、次々と廃校となりました。こんな風潮の時代に夏になると軽井沢に来る外国人が増えてきた。宣教師マイラ・ビージーは、明治26年の夏に
「アメリカ人が堂々と通りを歩いてると、若い日本人から、蔑視される風潮が強くなってることを感じる」
と嘆いている。だから
「軽井沢はリトリートに不可欠のところです」
と言っていた。

 リトリートという言葉は、『一時退却』を意味します。
 次への飛躍のためにしばらく避難するという意味です。

 彼らは野党勢力(自由民権派)の国粋的な主張を恐れて軽井沢に避難してきた。日本全国から宣教師たちが夏の軽井沢に避難してきて、集結して臨時総会を開き、1年間に起こった色々な問題を討議し各地の活動報告を聞き翌年の方針を決めていました。軽井沢は、宣教師たちにとっての単なる避暑地ではなく、日本布教の作戦会議の場となっていた。だから宣教師が軽井沢に集中したわけです。自由民権派の国粋的な思想が、今の軽井沢を作ったという一面もあったわけです。

 その結果、軽井沢が国際的に有名になり、夏になると東アジア各国から宣教師が集まり、教派を超えて布教活動や現地情報などを交換する大きな会議が頻繁に開催されました。それを嫌がった宣教師の一部は、軽井沢を捨てて野反湖に移転したりします。その一人であるW.R.マクウィリアムズは 「糊のきいたシャツを着て、形式張ったお茶会や、1週間に7回もの会議に出席することから逃れるために、浅間山に登る必要がなくなる。野尻湖へ行こう。野尻湖では眉をしかめられることなしに一夏を水着で過ごすことができる」と述べています。

 つまり宣教師たちは、軽井沢の教会雑事を避けるために夏の間に、浅間山登山にはしりました。宣教師による登山ブームが訪れたのです。彼らは峰の茶屋を経由して浅間山に登りました。





 もちろん日本人ガイドと一緒にです。
 ガイド料金は、明治40年頃で75銭ですから、かなりの高給です。
 ぼったくっていました。
 そのうえ宣教師たちに土地を売るときも、10倍もぼったくっています。
 日本人には1坪5厘で売ったけれど、
 宣教師たちには1坪5銭で売ってますから10倍もふっかけています。

 もちろん堤康次郎にも千ヶ滝を1坪5銭で売ってますから
 10倍も高く買わされているのは、堤康次郎も同じです。
 堤康次郎もぼったくられている。


 話がそれました。
 話をもどします。

 堤康次郎が、万座温泉からパイプラインを引こうとして、万座温泉に偵察にでかけようとして、峰の茶屋まで行った話の続きを述べます。千ヶ滝から峰の茶屋までは、道がしっかりしていました。しかし、峰の茶屋から先は、火星か?と思えるほどの荒涼たる地形で、明治の初め頃は、狼が群れをなして獣(鹿など)を襲わんとする荒野でした。


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 いまでこそ皆無ですが、昔は浅間山麓に鹿が大量に生息し、その鹿を狼が襲ったりして、多くの獣骨が散らばっていたと言います。万座温泉は、はるか彼方に見えます。あまりに遠いためにパイプラインは諦めた堤康次郎ですが、その途中にあった鬼押出しの風景に圧倒されます。

 鬼押出しの土地を観光地として開発し、千ヶ滝別荘地・軽井沢の御客さんを鬼押出しに観光させれば儲かる。さらに時前の観光バスを走ららけばもっと儲かると考えた堤康次郎は、鬼押出しの80万坪の払い下げを前橋営林署に申し出ました。この時後藤新平の助力を得て天然記念物の保護という名目で許可を得たと言います。ちなみに堤康次郎は、万座の温泉も非常に気に入って鬼押しハイウェイが完成した後に万座までの有料道路の開発も行います。

 話は変わりますが千ヶ滝の別荘開発を行うときに堤康次郎は、デパートというかパルコの元祖のようなものを考え出しています。彼はテナント料を無料にして業者を集め、食料品・文房具屋・本屋など、別荘客が不便に感じないような、いわゆるパルコのようなものを作りました。これが千ヶ滝にあった西武デパートの原型となっています。

 これが大成功となり、この成功方法で箱根で膨大な利益をあげますが、その箱根の利益は軽井沢に投資されていきます。箱根の利益を軽井沢に投資続けたのが堤康次郎です。軽井沢と嬬恋村にしてみたら大恩人になるわけですが、軽井沢も嬬恋村も必ずしも堤康次郎に好意的だったとはいえません。自然開発による環境破壊の元凶のように言われた時期もあります。

 ただし、結果として堤康次郎によって軽井沢の景観が守られるという逆説がおきています。西武による大規模開発により千ヶ滝や南軽井沢一帯の開発がいわゆる虫食い状態にならずにすみ、計画的なデザインによる管理によって、別荘地リゾート地としての価値を高める結果となっています。つまり大規模開発が現在の軽井沢の景観保護には役立っています。

 これは雨宮敬次郎・野沢源治郎による大規模開発にもいえることです。虫食いの別荘地にならずにすみ、変な雑居ビルが建つことも無く、パチンコや風俗産業がはいることもなく、今の軽井沢の価値が高まったのは、堤康次郎の文化人村構想による整然とした開発計画によってもたらされたとも言えます。


つづく。

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2021年07月02日

鬼押出し園開園70周年に行ってきました【2】




 最初に軽井沢を開発したのは雨宮敬二郎です。彼の死後には、野沢源次郎が軽井沢を開発しました。 この二人の開発の後にやってきたのが 堤康次郎です。彼が目をつけたのは中軽井沢の千ヶ滝の辺りです。永井柳太郎の示唆を受けて軽井沢に足を運び星野温泉の背後にある広大な原野に目をつけました。当時28歳だった堤氏は、沓掛村の村長に千ヶ滝文化村計画を訴えて80万ヘクタールに渡る原野山林を一坪五銭で買い、千ヶ滝遊園株式会社を設立し、労働者を大量に採用して山林を倒して道路を敷設し新しい別荘地を造成しました。

 切り倒された赤松カラマツの丸太は現地工場で製材し、山荘を40ほど建築。そして発電所を設置し、道路をつくり、本社と製材工場のそばに直営旅館を開業し、社員住宅・下請け工務店・日用雑貨店・肉屋などを招致しています。

 土地付き500円別荘は宣伝の効果があって完売し、文学者・政治家・文化人が相次いで入居し、次々と新しい別荘が建てられました。そして児童遊園地・野球場・共同浴場も開設し、木造3階建てのホテルを建設し、別荘地域を巡回する高原バス(現在の西武バス)を運行しました。

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 しかも添乗員には女性の車掌を採用。しかも、パリのモデルが着るような制服に革のブーツをはかせて車掌をさせたからたまりません。これが大きな話題となってマスコミにとさりあげられ、軽井沢より千ヶ滝という人も現れました。

 堤康次郎という人は、賛否両論のある人で、彼を批判する人は多いのですが、彼と懇意にしていた地元のマスコミ人で、彼の悪口を言う人が少ないことをみると、堤康次郎という男は、マスコミの威力を認識していて、よく世話をやいたたようです。彼がよく口にしていたことは、

「私は軽井沢のあがりを持って行ったことはない。全国各地であげた収益は、みんな軽井沢に投資してきた」

ということばです。これは、おそらく事実でしょう。というのも、千ヶ滝の開発が一段落つくと、嬬恋村の鬼押出し園と、鬼押しハイウエイの造成に乗り出したからです。

 鬼押出し園は、当時は溶岩の不毛地帯でした。月面のクレーターのように累々たる溶岩に覆われた場所で、一滴の水にもない荒涼たる岩場でした。それを買い取ろうとしたわけですが、まわりの人間は、社長は気が狂ったのではないかと疑いました。群馬県前橋市の担当官もあんな不毛な土地を払い下げ何にご利用ご利用されるのですかと首をかしげました。堤康次郎は

「私は天然記念物として保護していくつもりでございます」

と返答し、役人たちは国有地払い下げの申請を認め、一坪あたり5銭で80万坪という広大な面積を払い下げました。

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 そして道路工事をはじめたわけですが、これが難渋します。なにしろ当時の鬼押出し園には、水が無い。飲み水が無いと工事もすすまない。当時の鬼押出し園には植物が全くなかったらしく、火星か何かの風景のようだったと言います。地球防衛軍とかいう。映画化されたSF小説でも火星人がやってきて、地球侵略の拠点としたのが鬼押出し園でした。鬼押出し園なら戦車どころか軍隊も行軍できない難所でした。おまけに当時は、浅間山が活発に噴火していたので、1日で一面の草木が枯れてしまうほどの状況でした。

 そんななかで堤康次郎自ら現場の指揮をとって、掘削にかかれと号令を発し、鬼押出し溶岩に向かって延々たる道路工事を開始しました。ダンプもショベルカーもなかったので掘削作業は容易ではありませんでした。なんとか完成させても堤康次郎は納得しなかった。砂利道があまりに揺れるので、

「馬鹿もの、これは道路じゃないぞ。これは河原というものだ」

と道路をさらに改良し、やっとのことで有料道路が完成させ、鬼押出し園を世界三大奇勝地とうたい文句を入れて宣伝を開始。当時、あちこちにあった溶岩樹形に、丁寧な立て札を置いて前橋営林署と約束した通り天然記念物の保存を忘れませんでした。こうして鬼押出しという巨大な景観が新しい観光資源となったわけです。

 堤康次郎は、その有料道路を万座にまで延長します。嬬恋村の人間は、彼に足を向けて寝れないはずなのですが、嬬恋村は必ずしも西武グループに対して温かかったとはいえなかったようです。


つづく。

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2021年07月01日

鬼押出し園開園70周年に行ってきました【1】

鬼押出し園開園70周年に行ってきました。
ちなみに入園料は無料です。

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 これは、上野の寛永寺の門です。鬼押出し園は、寛永寺の末寺であり、御朱印帳も上野の寛永寺全てを回っても1つ欠けます。最後の一つが、この鬼押出し園になります。ここに来ないと寛永寺全てを制覇できません。ちなみに70周年を記念して寛永寺の大僧正がきており大法要を行ってました。

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 ちなみにこの門には、彰義隊戦争の時の刀傷があります。
 わかりますか?

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 鬼押出し園には、大量の石灯籠がありますが、全てに葵のご紋があります。

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 この葵のご紋は、何十という種類のデザインがあって、各将軍によってデザインが違っています。デザインによって、何代将軍の時に作られたかわかるわけです。

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 ちょうど大法要をやってました。声明が始まっていて、美しい音色が鬼押出し園に響いてました。声明というのは日本最古の音楽で、これがもとになって日本の伝統音楽が発展していきます。

 仏教が伝来されるとき、インドから仏教声楽ももたらされました。仏典を基にした歌詞や、梵語の音韻を活かした朗々とした音声で歌われるのが声明です。江戸火消しの木遣りなんかは、あきらかに声明の影響を受けていますよね。


声明の動画(天台声明)



木遣りの動画



 ジオパークガイドさんは、この声明・法要には興味が無かったようで、解説はなかったのですが、私が声明を楽しんでいると、鬼押出し園スタッフさんが、いろいろと解説してくださいました。今日は、70年ぶりに秘仏が公開される日で、下の写真が秘仏です。

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 偶然にも、すごいものに出会ったわけですが、観光客は皆無に近かった。
 残念ですね。これだけのイベントだったのに。
 もっと宣伝してよかったのにと・・・思いましたね。
 嬬恋村民も、全く見かけなかったけれど、もっと鬼押出し園に興味をもってもよくはないですか?

 というわけで、明日から鬼押出し園についての特集を、このブログにアップします。


つづく。

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2021年06月30日

浅間酒造観光センターの酒ガチャ

浅間酒造観光センターの酒ガチャを見に行ってきました。
これが浅間酒造観光センターです。

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VRで、酒造見学が出来ます。

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きわめつけは、日本で唯一の酒ガチャ!

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1回400円で2600円の大吟醸が当たる!

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ハイリスクハイリターン。
1000円で1万1000円の酒が当たる!

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ローリスク・ミドルリターン!
ヨーグルト酒が当たります!


つづく。

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2021年06月29日

pizzeria KURATTORIA150(浅間酒造観光センター)

 何かと評判迷いリーズナブルなピザ屋さんです。嬬恋村民・長野原町民御用達の店で、この地域の住人に言わせれば、軽井沢のピザーラよりも、東御市のアトリエドフロマージュより安くて美味しいと評判の店です。場所は、浅間酒造観光センターの3階にあるオシャレな店で、ここのピザは絶品。そのうえマルゲリータ1000円、クアトロフォルマッジ1380円と安く、トマトスパゲティ850円、生ハムのせジェノベーゼスパゲティ850円、ハンバーグのチーズカレードリア1100円。

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 Instagramばえするメニューも多く、冬限定の「いちごのドルチェピッツァ」は迫力満点で美味しい!
 ドリンクバーが250円なのも嬉しいですね。


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 とりあえず、今回は、マルゲリータとチョコバナナを注文。
 マルゲリータは、定番の美味しさ。
 チーズが違うというか、濃厚でいてクドくない味。

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 圧巻は、チョコバナナピザ。
 ピザというより、クレープを食べてるかんじ。

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 息子もペロリと食べてしまう。
 いつか、冬限定の「いちごのドルチェピッツァ」を食べてみたい。



長野原町長野原1392-10
浅間酒造観光センター3F
電話0279-82-2045
11:00〜15:00(イートイン)

つづく。

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2021年06月27日

吾妻渓谷のハイキングコースが面白い!

 台風19号でしばらくの間、通行禁止だった吾妻渓谷のハイキングコースが、今年の4月1日に解禁されたと聞いて、いつかいってみたいなあと思っていたんですが、大型遊具二つの組み立てが終わったのと、息子の漢字検定8級も終わったので、6月も終わりになりましたが行ってきました。一言で言うと、ものすごく整備されている。ダムが出来る前の吾妻渓谷のハイキングコースを何度も歩いた人間としては、驚愕のコースになっています。ただ残念なことは、小蓬莱(見晴台)から先にはいけません。

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 私たちがたどったコースは、十二沢パーキングから小蓬莱(見晴台)へのコース。
 下の写真が小蓬莱(見晴台)。息子の後ろにダムが写っています。

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 そこから戻って、鹿飛の吊り橋をわたって対岸へ!

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 そしてダムの目の前に到着。
 八ッ場ダムの迫力は凄い。

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 吾妻渓谷の迫力も凄い。

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 大蓬莱も美しかった。

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 鹿飛橋(しかとびはし)は昔の姿そのままでした。昔はライダーさんたちが、かっとび橋と言って、ここでバイクに乗ってる姿のかっこうで記念撮影したものです。

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 ちなみに昔、ダムの近くに熊の茶屋という広場がありましたが、いまでも残っていました。この熊の茶屋に、熊を飼っている茶屋があって、それの見学目当てに観光バスが何台も駐まっていた時代があったそうです。大勢の観光客が熊とあそんでいたらしい。信じられない話ですが本当です。

 ちなみに十五年前、うちの宿の近間にイノシシ牧場というイノシシステーキを食べさせてくれるところがあって、そこでも熊を飼ってました。そこに行くと子グマが放し飼いで庭先で遊んでました。放し飼いといっても首輪に鎖が繋がってて、古タイヤを引きずっての放し飼いですけれどね。これも信じられない話ですが本当の話です。



つづく。

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2021年06月26日

また一つ、大型遊具が増えました!

 昨日、注文していたボルダリング壁がとどきました。こういう時に限って御客さんが大勢泊まる日だったので、てんてこ舞い。大急ぎで荷物を開封し、木材の防腐処理をして、つまりクレオトップを塗りまくって、乾かしているうちに、食材を買いに行きます。そして組み立て。いやはや疲れたのなんの。


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雨の中、荷物が到着!

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荷をほどいて防腐処理!
4度塗りして1斗缶をまるごと消費

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防腐処理を怠ると、とんでもないことになる。

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そして組み立て。

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完成。組み立ては2個つくるのに5時間もかかってしまった。

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もちろん息子は大はしゃぎ。
なんとか今日の御客様に間に合ってよかった。


つづく。

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2021年06月24日

2週間後にワクチンの接種がきまりました

 村の保健課から、新型コロナウイルスのワクチン接種の通達がきました。私は、2週間後にワクチンの接種がきまりました。実は、もっと遅いのかと思ってました。というのも、観光業者は、希望すれば優先的にワクチン接種できたのですが、あえて希望しなかったからです。さいわいうちの宿は、御客さんが少ないので、感染のリスクも少ないですから、もっとヤバそうな混み合う宿屋さんがワクチン接種すべきだと思ってパスしたんですよね。けれど、ふたをあけてみれば、2週間後にワクチン接種が決まっていたので驚いています。



 ちなみに隣町の長野原町では、もうすでに町民のほとんどが接種を終わっていると聞いてます。嬬恋村が、これからなのに長野原町の手腕には驚かされます。

 そういえば、自治体によって、ずいぶん接種スピードが違うみたいですね。どうして違っているのでしょうか? どうして早期にワクチン接種が終わっている自治体と、そうでない自治体があるのでしょうか? 不思議ですね。役場の腕の差なんですかね? それとも町長・村長の政治力の差なんですかね?

 あと、群馬県の新規感染者は、2週間ぐらい前から激減し、ほぼゼロに近い数値で終息しつつありますが、これはワクチンのおかげなんですかね? 全国レベルでみたら、まだまだ終息とはいえないし、昨日一日で1775人の新規感染者がでています。ちなみに、すでに注射が終わっている65歳以上のペンション仲間の話では、半日くらい痛かったという人と、全く痛くなかったという人が、半々だったみたいです。






 ちなみにインドの一部とインドネシアでは、ワクチンでは無く、イベルメクチンを予防薬として週に一回飲むことで感染を防ぐ方針らしいですが、これは面白いことになってきましたね。今年の冬に第6派がくるでしょうが、その時に、ワクチンとイベルメクチンの、どちらが予防の効果が上なのかがはっきりしますから。まさに地球規模の壮大な実験です。私もできたらワクチンでは無く、イベルメクチンで予防する治験に参加したいくらいです。




 気になるのは、子供に対するワクチンの可否です。whoは否定的です。一年以上が経ち日本においては20才以下の死亡者は0人。それを考えると必要性は低いという意見もあります。罹患リスクがほとんどない20歳以下の若年者に、ワクチンを接種する意味はないですから。






つづく。

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2021年06月22日

個人商店が、廃業していく理由

 北軽井沢に引っ越してきたから今年で21年目になります。その21年間の間に北軽井沢も嬬恋村も随分変わってしまいました。一言で言うと店がなくなった。レストランもなくなったし、小売商店もなくなってしまった。潰れてしまったスーパーまである。もちろん生き残っているスーパーもありますが、20年以上前の盛況はありません。みんな軽井沢まで買いに行くからです。

 20年ぐらい前は、地元のスーパーに行くと、ペンションや旅館のオーナー達が大勢いました。そしてお客さんの入り具合とか、景気の話とか、天候の話で盛り上がったものですが、今ではそういう光景は見当たりません。 スーパーだけではありません。小さな店とか、 レストランがどんどん潰れて行きました。最初は、車社会になったために地元で買わなくなったのが原因なのかなと思ったんですが、廃業してしまう人たちに聞いてみたらどうやら違うらしい。

「遠くに大きなスーパーができても、それほど影響はなかったよ」
「じゃあ何が一番痛かったんですか?」
「コンビニだね」

 遠くに大店舗ができてもそれほど影響はなかったといいます。商売が出来なくなったのは、 24時間営業している便利なコンビニが、あちこちにできてからだそうです。それから売り上げがバタッとなくなったらしい。 コンビニができると、小さな商店は、とどめを刺されるらしい。

 かといって、 コンビニが儲かっているとはとても思えません。先週の日曜日に息子の漢字検定試験のために前橋まで連れて行ったわけですが、その途中に潰れたコンビニが何件もあるのを目撃しています。その時のルートは、二度上峠から高崎を経由して前橋行くルートだったんですが、 元コンビニの姿をした建物が何件もありました。

 帰りには、別のルートを通って、つまり渋川から中之条を通って嬬恋村まで帰ってきたわけですが、そのルートにも 元セブンイレブンだと思われる店の姿をした廃墟をたくさん見てきました。昔、私が利用したことのあるコンビニも、今ではシャッターが下りて廃墟になっています。コンビニができると、その近所の小さなお店が廃業に追い込まれるわけですが、廃業に追い込んだはずのコンビニも、何年かすると廃業してしまっている。この現実を見ると、どうなっているんだろうと思ってしまいます。

 話は変わります。スーパーの話です。私は10年ぐらい前から軽井沢のスーパーツルヤで仕入れをしているんですが、以前は地元のスーパーで仕入れをしていました。どうして、高い交通費を出して軽井沢に行くようになったかと言うと、品揃えに問題が出てしまったからです。

 宿屋というのは、一旦メニューが定着すると、大きく変えません。例えば、ある種のステーキソースを使うことにした場合、 そのステーキソースに合わせたメニューで、構成されてこれが何年にもわたって使われ続けます。つまり買うもの(仕入れる品)が固定されて決まってしまうわけです。だからその日の気分で仕入れ先を変えるということは無い。一旦仕入れる店が決まると、その店をずっと使い続けることになります。変更することは、定番のメニューが変わらない限りありえない。


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 うちの宿のレシピノート
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 材料を変えたり、オーブンを新品にするだけでレシピが変わってくる。
 メニュー開発は、面倒くさいのである。



 ところがある日突然、使い続けていたステーキソースが入荷しないということになると、宿屋にとっては大問題となる。また一からメニューを開発しなければならない。めんどくさいなあと思ってしまう。 それが何回も続いてしまうと、もうこの店では買いたくないなと思ってしまう。価格ではない。品揃えなんです。欲しい物が買えないことが致命傷なんですよ。 昨日まで使っていたものが、今日から取り扱わなくなるということに、定番メニューで乗り切っているペンションとかレストランは大きなダメージを受けてしまう。仕方ないので、買えないものはネット通販で買うわけですが、不便だな店を変えようかなと思ってしまう。

 で、店を変えるわけですが、店を変えるにあたって、一番問題にするのは、商品がコロコロ変わらないかどうかということが重要になってきます。で、結局は、安定した軽井沢の巨大チェーングループのスーパーを選ぶようになるわけですが、そういう人間は私だけでなくて、何人もいるらしくて 軽井沢のスーパーで嬬恋のペンションなかまとよく出会います。


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 仕入れ先が変わる度にレシピは変わってしまう。
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 もちろんオーブンが壊れて、買い換えたときもレシピは変わる。
 ガスレンジの性能が変わってもレシピは変わる。
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 なので、そういう面倒くさいことはできるだけ避けたいと考えている。



 20年前は北軽井沢や嬬恋のスーパーで世間話していたのに、今では軽井沢のスーパーで世間話をするようになっている。ちなみにうちのような小さな宿でも年間に200万円ぶんの食材費を仕入れるわけですから、もし嬬恋村のペンション二十軒が、一斉に軽井沢に行ってしまうとなると、4000万の売り上げが吹き飛ぶことになります。これは由々しき問題だと思うのですがどうでしょうか?

 床屋さんについても、似たような話があります。私は床屋だけは、情報収集のためもあって、どんなに高くても地元の床屋さんに髪を切りに行っていたんですが、人手不足のせいか、今日のためか、人手が減っていて、昔ならすぐに髪を切ってくれたのに1時間も2時間も待たされるようになってしまいました。

 暇な時ならいいんですが、夏の忙しい時は待ってられないので、軽井沢に仕入れに行ったついでにバッサリとバリカンで切ってもらうようにしているうちに、地元の床屋さんに行きづらくなってしまいました。床屋さんも、理容室のようにネットなんかで予約制度を入れるとかしないと、今後は生きづらくなるかもしれません 。



つづく。

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2021年06月17日

軽井沢・大日向開拓地の幼稚園に通っていた天皇陛下(令和天皇)

 息子が生まれてから小学校に入るまで、毎日のように親子で小浅間山に登っていたのは、浩宮様(令和天皇)が、5歳で小浅間山に登って登山にはまってしまい、6歳で浅間山に登ったことを知っていたからです。浩宮様(令和天皇)が5歳なら、我が家は0歳じゃ・・・と、息子をおぶって小浅間山にのぼり続けました。時には、マイナス10の冬の小浅間山に登ったこともあります。

 それはともかくとして、当時5歳の浩宮様(令和天皇)と、平成天皇が、小浅間山を登ったルートは、小浅間山の東峰ですが、直登せずにぐるりと右の方に回っています。そして途中の岩場で休憩し、記念撮影をしています。私も、よく使うコースです。

 翌年、浩宮様(令和天皇)が小学校1年生になった時、小浅間山登山口から浅間山に登っています。その時の写真が、毎小ニュース
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https://mainichi.jp/maisho/articles/20190501/kei/00s/00s/010000c より借用)
にありますが、お父さん(平成天皇)の前を元気に歩いています。私は、このルートをよく知ってるだけに、すごい体力だなあと思います。さらに凄いと思ったのは、昭和天皇。浅間山でも富士山でもガンガン登っている。皇室の人たちは、運動神経がよいのでしょうか?

 まあ、そんなことは、どうでも良いとして、どうして、皇室が御用邸のない軽井沢と関係あるかと言いますと、理由があります。戦争中に昭和天皇の奥さんが、極秘に軽井沢に疎開していたからです。で、どうして軽井沢だったかというと、当時の軽井沢は、外国人の疎開地だったので、爆弾が落ちてくる可能性が低かったことと、軽井沢には皇室関係の物件が無かったので、米軍から狙われにくかったというのもあります。とにかく昭和天皇の奥さんが軽井沢に疎開してて、その奥さんから軽井沢のすばらしさを聞いて、昭和21年の秋から冬にかけて滞在し、雪の浅間山の登ったのが昭和天皇です。

 そのルート場に大日向開墾地があった。千ヶ滝の奥地にある開墾場で、満州からの引き上げ者たちが開墾していたらしい。粗末な掘っ立て小屋にボロボロの服をまとって農作業していた。小さな子供たちは、うろうろしないように犬のようなロープで繋がれていて、そのロープが樹にくくりつけられていたという。子供たちの全身には蟻たちが張り付いていて目に余るじょうたいだったらしい。それはともかくとして、昭和天皇は、この開拓民たちと何か会話されたらしい。で、毎年、軽井沢の大日向の近くに滞在するようになったらしい。



 開拓民の家族は、子供が亡くなったり、片親だったりで、まるで鎌原観音堂の生き残りのような状態巣でした。彼らは冬はマイナス20℃にもなるこの地で一生懸命働いた。その現状に心を痛めたカトリックの神父さんたちは、旧軽井沢にある聖パウロ教会のコンラッド神父を派遣し、開拓団と一緒に入植して親たちが働いている間子供たちを引き取り、食事を食べさせ、勉強を教え面倒を見ました。

 終戦当時の物のない中でカトリックの組織をあげて食料や文房具などなど、を集め一緒に苦労をともにし生活しました。バチカンは、世界でもっとも早く満州国を承認した数少ない国でもありましたから、満州移民に理解があったのもと思います。それもあってカトリックの神父たちは、当時の日本人たちに同情的だったのかもしれません。

 それはともかく年老いた大日向の人々はみんなコンラッド神父が親代わりだったらしい。その神父が建てた教会が「聖ヨゼフ教会」で、始めた託児所が聖ヨゼフ保育園。その聖ヨゼフ保育園に、令和天皇・秋篠宮殿下と妹さんが、夏の間に入園して開拓民の子供たちと一緒に過ごされました。だから令和天皇・秋篠宮殿下たちは、大日向村のことはよく知っているはずです。ファミリー対象の小さな宿屋をやってる身分としては、聖ヨゼフ保育園のコンラッド神父の爪の垢を煎じて飲みたい気分です。


つづく。

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2021年06月16日

昔、峰の茶屋は山小屋で、そのそばの浅間山は山スキーのメッカだった

 先週の日曜日に、御利用ガイドにつかう画像撮影のために久しぶりに軽井沢へ出かけ、レストランなどの調査にでかけ、軽井沢のレストランを調べていたら、多くの名店が無くなっていたのに驚きました。例えば芦屋亭・清水・山水・福幸といった店が無くなっていました。おまけに旧軽井沢がシャッター街になりつつあった。稼ぎ時の日曜日だというのにシャッターが閉まっている店が、かなりの数があったのです。もちろん有料駐車場もガラガラ。おまけに貸店舗・借家の看板が目立っていました。嬬恋村や北軽井沢だも厳しいものですが、それでも軽井沢に比べたらマシなのかもしれません。

 それなのに巨大資本が入ってきている。旧軽井沢のショーハウスあたりに、どう考えても景観にマッチしてない建物が、じゃんじゃん入ってきている。そして、旧軽井沢の風景が、少しずつ変化して行っている。それに対して北軽井沢も嬬恋村も、変化がゆっくりしてますね。太陽光パネルは別として、へんな巨大資本ははいってこない。

 まあ、そんなことは、どうでもいいとして、今日も峰の茶屋から小浅間山に登ってきました。峰の茶屋は、今でこそレストランですが、昔は山小屋でした。昔は峰の茶屋に一泊して浅間山に登ったと言います。それどころか嶺の茶屋から浅間山方面は、山スキーのメッカでした。小浅間山ではなく、浅間山でスキーを滑っていたのです。

 ちなみに令和天皇が5歳の頃に小浅間山に平成天皇と一緒に登っています。その体験が、よほど楽しかったのか嬉しかったのか、6歳では浅間山に登っています。そして登山好きになって全国の山を登山するようになりました。で、そのつど登山道が整備されていった。私のような登山好きな者にとっては、たいへん助かっています。令和天皇のおかげで全国の登山道が立派になっていったわけですから。もちろん小浅間山の登山道も、他の登山道よりも立派になっています。

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 息子が生まれたとき、
「浩宮様が5歳なら、うちの息子は1歳だ!」
と思って、私は1歳の息子を背負って、毎日のように小浅間山にのぼりました。でも息子が自力で登れるようになったのは、2歳6ヶ月くらいにならないとダメでしたね。

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 あと関係ないですが、昭和天皇は凄い人です。昭和21年の秋というか冬に、お忍びで雪の浅間山に登っています。終戦直後の混乱期ですから、浩宮様のときのように登山道を整備してません。ほぼ藪道を、猛スピードで上っています。ゴアテックスも、ダウンジャケットも、ろくな登山靴も無かった時代にです。その時に開拓民に出会って、親しげに会話したらしく、それがきっかけになって、それ以降に行われた巡幸の行事で、庶民と積極的に接するようになったようです。

 そして昭和24年に皇太子(平成天皇)が、軽井沢にやってきます。家庭教師のエリザベス・ヴァイニング女史の別荘があったからです。そこで生まれて初めて、侍従から自由になった皇太子(平成天皇)は、大喜びだったらしく、軽井沢は皇太子(平成天皇)にとっての青春の一ページになり、それ以降、皇室は、軽井沢好きになってしまったようです。




つづく。

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2021年06月15日

嬬恋村・北軽井沢・長野原町・軽井沢の外食事情を調べてみたら

 うちの宿の客室に置いてある御利用ガイドの情報が古くなったので、5年ぶりに新しい御利用ガイドを作ったのですが、それが200ページに膨れあがってしまい、2冊に分けたことは、以前に、このブログで述べました。この1週間、御利用ガイド製作で、ろくに眠ってなかったのですが、御利用ガイド完成も近づいて、最近、ようやく睡眠がとれるようになりました。

 まあ、そんなことは、どうでもいいとして、新しい御利用ガイドを作ってて気が付いたのですが、うちの宿近辺のレストランやカフェの情報を調べていくうちに、それぞれの地域で、大きく特徴が別れることに気が付きました。

 まず、嬬恋村と北軽井沢のレストランやカフェは、一部の例外をのぞいて、オシャレな店が多いですね。観光客が喜びそうな店が多く、洗練されています。もちろん例外もありますけど、値段も高くなくて、量は少ないけれど洗練された料理をだしてくれるところが多い。そうでない場合でも、なにかに拘りのある店が多い。

 それだけに群馬ぽくない。
 軽井沢ぽいのです。
 もちろん例外もあります。

 その逆に、長野原町のレストランは、安くて、早くて、美味くて、ボリューミーな昭和な大衆食堂が多いですね。つまり群馬ぽいです。群馬県民は、量が少ないと不満ですから。そして少々古くてもダサくても文句を言いません。そういう店は、吾妻線ぞいに集中してました。かない亭・ぽぷら・きっちん赤煙突・野いちごなんかそうですね。みんな安くてボリューミー。で、昭和ぽい。同じ長野原町でも、北軽井沢と吾妻線ぞいでは、まるっきり違っているのに気が付きました。


(かない亭)




 こういう店は、北軽井沢や嬬恋村には無いです。
 みんなオシャレで、量の少ない女子会向けの店ばかり。
 唯一、ちかいのが鎌原釣り堀? 太甲かなあ?

 いや、いや、ちがうなあ。
 鎌原釣り堀と太甲もオシャレだよなあ。
 ブログにアップしたくなる店だし。
 現に、このブログで紹介しているし・・・。
 これらを、かない亭・ぽぷら・野いちごと一緒にしたら可愛そうだ。

 でも、今のトレンドは、Instagram映えや、YouTube映えが流行りだから、むしろ令和は「かない亭」「ぽぷら」「野いちご」あたりなのかもしれない。このブログでは、オシャレなカフェ風の店を紹介し続けてきたけれど、これからは「かない亭」「ぽぷら」「野いちご」の話題性たっぷりな、超特大大盛りネタの方が、喜ばれるのかもしれない・・・と考えてしまった。

 ちなみに軽井沢のレストランですが、ここは店が多すぎる。そして料金が高すぎる。子連れが入りにくすぎる。そして量が少なすぎる。駐車場がなさ過ぎる。と言うわけで、どうしても中軽井沢とか、アウトレットとか、南軽井沢の18号パイパスの店しか選択肢がなくなってくる。そう考えると、嬬恋村・北軽井沢も捨てたものではないし、吾妻線沿いの長野原町のレストランを御客様に紹介するのも悪くない気がしてきました。


つづく。

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2021年06月03日

室生犀星記念館

 ふるさとは遠きにありて思ふもの
 そして悲しくうたふもの
 よしや
 うらぶれて異土の乞食となるとても
 帰るところにあるまじや
 ひとり都のゆふぐれに
 ふるさとおもひ涙ぐむ

 この詩を知らぬ人はいないでしょう。作者は室生犀星。彼は、金沢出身の三文豪(泉鏡花、徳田秋声、室生犀星)として有名です。特に室生犀星は、詩人としても小説家としても大成した希有な存在で、大正九年に中央公論で発表された小説の処女作「幼年時代」には、全国の読者が涙しました。二作目の「性に眼覚める頃」も大反響。三作目「或る少女の死まで」も多くの読者の心をゆさぶりました。


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 三作に共通しているのは、自伝的私小説であるということです。実名で書かれてある。フィクションも入っていますが、当時の読者は、そうは思いませんでした。あまりにもリアルすぎてフィクションとして読めませんでした。それほど生々しかった。特に処女作「幼年時代」には、室生犀星みずからの不幸な生い立ちもあって、多くの読者の心をゆさぶりました。嫁に行く血の繋がらない姉との淡い恋心にもにた心の交流に読者は涙しました。もちろんフィクションも入っている。姉は嫁に行ったのではなく義母によって娼婦に叩き売られていたと言われています。しかし、当時の読者は「幼年時代」を読みながら、それに感づいていた可能性が高い。そういう話が、そのへんにゴロゴロ転がっていたから。

 それはともかくとして室生犀星は、女性に対する「恋心」がテーマになっています。それも「生みの母」だったり「姉」だったり「少女」だったり。もちろん性的な意味での異性への恋心の描写も作品にかかれてはありますが、母恋しの思いが室生犀星の生涯のテーマとなって、どの作品の中にも一本の筋となってながれていました。それが
「ふるさとは遠きにありて思ふもの」
という詩になって、多くの読者の心をわしづかみにしていました。

 室生犀星は、小畠弥左衛門吉種の子として生まれ、生まれてまもなく赤井ハツという文盲の女性にもらわれているということになっています。明治時代は、私生児をもらうかわりに持参金をうけとって、その金で暮らしている人も少なくありませんでした。酷いのになりますと、持参金をうけとって、そのまま私生児を栄養失調か何かで殺してしまう親もいました。医者も見て見ぬりをしてました。

 しかし室生犀星の育ての親である赤井ハツは、四人の私生児を育て、育てた娘を高額な持参金と引き替えに嫁にやって(娼婦として叩き売って?)儲けたりした。その結果、血の繋がらない優しい姉と別れなければならなくなり、幼年時代の室生犀星は、この養母に怒りをもっていました。そして、どこの誰かも知らない生みの母親に恋い焦がれていました。このような複雑な家庭環境を不幸な家庭環境を実名で小説に書いて発表し、それを読んだ全国の読者が涙した。当時の日本は、まだまだ貧しかったので、室生犀星の人生が人ごとには思えない時代だったのかもしれません。


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 犀星が初めて軽井沢を訪れたのは大正9年。軽井沢の自然に魅了され、つるや旅館を常宿として、芥川龍之介・萩原朔太郎・松村みね子らと交友を深めました。昭和6年7月には、軽井沢に別荘を建て毎年のように軽井沢で夏を過ごしました。昭和19年から昭和24年9月までは、疎開生活を送っています。

 室生犀星は、軽井沢を舞台にした作品も数多く残しています。『杏(あんず)っ子』『聖処女』『木洩日』などが、代表作ですが、映画化・テレビドラマ化された『杏っ子』は、ほぼ自伝です。もちろん読者も、それは承知の上で読んでいる。 おまけに新聞連載小説なので、たいへん読みやすい。『杏っ子』のストーリーは、私生児として生まれた平山平四郎という作家が、一人娘の杏子を育てるというストーリー。杏子のモデルは、室生犀星の娘さんである室生朝子さんです。室生朝子さんも、小説家・随筆家として活躍された方で、軽井沢に縁のある方で、軽井沢高原文庫の理事をされていました。なので『杏っ子』は軽井沢が舞台です。室生犀星と室生朝子の人生が書かれています。

 主人公(室生犀星)は、不幸な生い立ちもあって、あたたかな家庭への憧憬が強く、家族思いで、特に杏子に対しては甘い。ドイツ製のピアノを買い与え外国の犬も飼った。作品の中には、親友の芥川龍之介が登場したりする。菊池寛も登場する。そして、彼らの日常が見えてきて、芥川龍之介と菊池寛のキャラクターが分かったりする。そして室生犀星の家族の日常が、しみじみと伝わってきます。それが激変するのが、後半部分。杏子が結婚してからのシーン。杏子は、小説家志望の夫のもとで苦労するわけですが、それを室生犀星は・・・・。


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 軽井沢を舞台にしている『聖処女』は、昭和十年九月から十一月までの三月間、朝日新聞紙上に連載したもので、室生犀星が全盛期だったころの作品です。そのせいか室生犀星にしては珍しく躍動的な作品で、乗りに乗って書かれてある感じがします。犀星作品のなかでも、異質さが際立っていて、室生犀星にとって唯一の冒険小説。それだけに面白い作風となっている。

 ストーリーは、キリスト教孤児院という逆境に育った少女が脱出し、美貌と才気を武器に悪役たる男たちにを翻弄させ、女友達を救い、自分を虐待したすべてに復讐するという痛快な小説です。同じ時期に吉川英治の『宮本武蔵』が朝日新聞に連載されていて、大ブームでしたが、室生犀星の『聖処女』も、それに負けてなかった。

 他に随筆として軽井沢を舞台にした者の中に「碓氷山上之月」「信濃追分の記」などが有名です。これら名作を執筆したであろう別荘は、現在も「室生犀星記念館」として残され無料で公開されています。自らつくりあげたといわれる庭は苔が生し、旧居の落ち着きある佇まいと見事に調和しています。


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◆室生犀星記念館
 室生犀星はこの別荘を昭和6年に建て、昭和19年から昭和24年9月までは、疎開生活に使った他は、亡くなる昭和36年までの夏は軽井沢の別荘で過ごした。この家では、堀辰雄、津村信夫、立原道造、川端康成、志賀直哉ら多くの作家と交流がありました。この家は、当時の軽井沢中で出た建築廃材を集め杉皮などの自然素材を使って建てられています。机や椅子は、当時のまま。ここで室生犀星は原稿を書いていた。苔むす二話が美しい。


 営業時間 9:00〜17:00
 7月25日〜11月4日
 軽井沢町大字軽井沢979-3


つづく。

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2021年06月02日

旧近衛文麿別荘(市村記念館)

 市村記念館は、近衛文麿公、市村今朝蔵が別荘として利用したものですが、平成9年、長倉の雨宮御殿の中に移築され、市村家より町に寄付されました。

 近衛文麿は、泥沼の日中戦争をはじめた張本人です。陸軍が不拡大を叫び、戦場の現場でも必死に現地停戦協定を結ぼうとしており、派兵もできるかぎり我慢し、陸軍の中枢部にいた石原莞爾が、蒋介石あてに陸軍が戦争中止の電報までを送っているのに、近衛文麿は議会に臨時軍事特別会計法案を出して、ガンガン戦争を煽っていた。日中戦争をしたがっていたのは陸軍ではなかった。戦争を欲していたのは、近衛文麿であり、広田弘毅であり、海軍でした。それに対して陸軍の石原莞爾は、戦線の拡大をせぬように努力したが、近衛文麿と戦線拡大派によって失脚することになります。

 その後、兵力を増強した陸軍は、南京を攻略して勝利した。本当なら、戦争は、ここで終わるはずだった。陸軍参謀次長の多田駿は、ドイツ仲介による和平工作を展開していた。その和平案に、蒋介石側は驚いた。講和条件の寛大さに驚いて受託の方向で話し合っていた。和平は目の前だった。国民政府外交部亜州司長の高宗武の証言によれば、

「もし日本側の条件が本当にこれだけのものであるとすれば、中日両民族はいったい何のために戦争をしているのか」

と言ったほど、蒋介石側の会議の空気は受諾的であった。彼らは、もっと過酷な要求を覚悟していたから、拍子抜けしていた。蒋介石軍は、本気で「日本が中国を侵略しようとしている」と思い込んでいた。だから驚いた。逆に言うと日本政府は、もっと早く「侵略の意図は無い」というメッセージを送るべきだった。それほど両国は、お互いに誤解し合っていた。いつの時代でも戦争は、誤解が誤解を生んで始まってしまう。ようやくその誤解が解けようとしていたのである。


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 つまり、トラウトマン和平工作によって、和平の一歩手前までいっていたのである。
 それを潰したのが、海軍と政府。
 つまり米内光政・近衛文麿・広田弘毅。
 近衛文麿は「国民政府を対手とせず」と声明を出すのである。

 交渉というものは粘り強く話し合うべきなのだ。実際に日露戦争の時に小村寿太郎が、それを行って和平を勝ち取っている。だから外務大臣の広田弘毅は、それをやるべきであって「国民政府を対手とせず」では話にならない。職務放棄もいいところである。それを一番分かっていたのは、陸軍だった。日露戦争を研究し尽くしていた陸軍は、交渉無しでは勝利できないことを一番よく知っていた。だからこそ杉山陸軍大臣は最後まで「どうして裏口(交渉のドア)を閉じてしまうんだ?」と不平不満だったが、誰も聞き入れてくれなかった。こうして米内光政・近衛文麿・広田弘毅が、陸軍を恫喝して押し切ってしまったのである。

 蒋介石の顧問を務めていたオーストラリア人のW・H・ドナルドは、一九四五年一月、『ニューヨク・タイムズ』のインタビューで、日本は一九三八年から一九四一年にかけて十二の和平提案を行っており、日本が提示した条件は中国側にとって有利なものだったと語った。そして、その多くの和平工作は日本陸軍が主導して行われていたという。和平を真剣に摸索していたのは、ほかならぬ日本陸軍であったのに、その陸軍の理性たる人たちを失脚させて、陸軍をガチガチの強硬派に育てたのは、近衛文麿だったりします。

 で、日独伊三国同盟を結んだのも近衛文麿(二次内閣)だし、
 仏印進駐を強行してアメリカを怒らせたのも近衛文麿(三次内閣)。
 仏印進駐は対米英戦争を引き起こすと予告して、
 進駐に強く反対した松岡外相をクビにするために総辞職して三次内閣まで作ったのが近衛文麿。
 近衛文麿が組閣するごとに最悪の舵取りをしている。

 その結果、アメリカから石油を止められて近衛文麿は、内閣を投げ出します。これが近衛文麿の無責任なところ。それの尻ぬぐいをさせられたのが東条英機。彼は、はそれまでの強硬姿勢を改め「和平だっ、和平だっ、聖慮は和平にあらせられるぞっ」と叫び、中国からの徹兵を段階的に行う譲歩案をひねり出すが、アメリカの解答はハルノート(最後通牒)だった。ルーズベルト大統領は、日本との戦争を決意していた。つまり東条英機に打てる手は無かった。全てが遅かった。戦争犯罪人がいるとしたら近衛文麿である。東条英機ではない。近衛文麿こそが日本の癌だったのだ。


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 まあ、そんなことはどうでもいいとして、ちょっと前までは、この市村記念館は、「市村記念館」だった。「近衛文麿別荘」とは、言ってなかったのですが、最近は「近衛文麿別荘」と軽井沢町は表記するようになりました。これに私は、少しばかり残念に思っています。「市村記念館」で良いではないですか。

 では、どうして昔は「市村記念館」だったかと言いますと、市村今朝蔵という人が、近衛文麿総理大臣から買って、ながいこと使っていた建物を町に寄付したから『市村記念館』なんです。市村さんの寄付だから、市村記念館なんですよ。で、市村今朝蔵って誰?ということになりますが、雨宮敬次郎の甥っ子(正確には妻の甥)なのです。

 雨宮敬次郎は、明治時代に一代で財閥を築いた人物で、多くの鉄道会社を経営しました。甲武鉄道(中央本線)、川越鉄道(西武国分寺線)、北海道炭礦鉄道、大師電気鉄道(京急大師線)、豆相人車鉄道、江ノ島電鉄など。軽便鉄道の規格を政府に認めさせて、全国に軽便鉄道ブームをおこしたのも雨宮敬次郎です。製鉄所や鉄道製作会社まで作っています。そんな彼が、
「貯金のすすめ」
を言いだし、自ら実行しました。彼の「貯金」とは、植林のことです。日本中の荒れ地に植林し、将来の子孫のために樹を育てる。その樹は、雨宮敬次郎が生きている間は現金化させることはないけれど、子孫たちへのプレゼントになる。つまり「貯金」であると。で、その候補地として、御殿場と軽井沢を選んでいた。両方とも日本一の荒れ地である。


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 最終的に軽井沢を選んだのは、東海道線より信越線の方が完成が速かったからで、もし東海道線が先に完成していたら、御殿場の自衛隊演習場は無くて、そのあたりは、軽井沢のように繁栄していたのかもしれない。でも、そういう歴史にはならず、雨宮敬次郎は軽井沢の広大な土地を買い取って、そこにカラマツの植林を行いました。カラマツは、鉄道の枕木として需要の多い樹でした。

 アレキサンダー・クロフト・ショーが「軽井沢の恩父」などと言われてますが、馬鹿言ってるんじゃ無いよ。雨宮敬次郎を忘れていませんか?と言いたいですね。雨宮敬次郎こそは、私財をなげうって軽井沢に尽くしてきた人間であり、軽井沢に多くの人を入植させた人間なのです。軽井沢を避暑地として紹介しただけの宣教師ショーとは格が、スケールが違います。

 アレキサンダー・クロフト・ショーが、軽井沢に訪れたとき、軽井沢は原野であり樹木が一切なかった。その原野に植林事業を始めました。当時、原野と言えば御殿場か軽井沢だった。どちらかで植林事業をやるつもりだった。結局軽井沢になったのは、東海道線よりも信越線の方が早く開通したからです。もし東海道線の方が早く開通していたら、今でも軽井沢は原野のままで、御殿場が大森林地帯になっていたかもしれない。

 もちろん原野から始める植林事業なので、雨宮敬次郎が生きている間に利益を上げることはありません。でもそれでいいと思った。彼は、子孫のための貯金だと言って、ただひたすらにカラマツの植林に励みました。しかもカラマツというのがすごい 。カラマツは、若いうちは何の役にも立たないけれど、樹齢何百年も経つと高値がつく。松ヤニが多くて油まみれのカラマツは、腐りにくく特に線路の枕木にうってつけだった。 大量のカラマツがあれば、日本全国に線路が引ける。雨宮敬次郎は、物流こそが人々を幸せにするという信念を持っていたので、カラマツの植林事業は、 将来はきっと日本の役に立つと信じました。彼こそは、 植福の達人だと言えましょう。 雨宮敬次郎は言います。

「日本人は未だに貯蓄心が足りない。金があればすぐ使ってしまう。私は一文もない時分から貯蓄というものに重きを置いていたが、今は開墾地への貯蓄の金をかけている。貯蓄をどういう方法でするかと言うと木を植える。金の貯蓄ではなく木の貯蓄をやっている。生前のための貯蓄ではなく、死後のために貯蓄をやっているのだ」

 こうして軽井沢に大量の落葉松林ができたのですが、残念ながら鉄道の時代は終わっています。しかし、雨宮敬次郎の苦労は無駄に終わっていません。この大量の落葉松林が、新型コロナウイルスが、世界中に蔓延する危機的状況下において、軽井沢の救世主になる可能性が出てきたからです。落葉松林が、住民の免疫力を上げている可能性があるからです。

 雨宮敬次郎は、農民の軽井沢入植も行っています。
 雨宮新田という地名が軽井沢にあるくらいです。

「私はその時分肺結核で血を吐いていたから、とても長くは生きられないと考えていた。“せめてこの地に自分の墓場を残しておきたい”という精神で開墾を始めた。決して金を儲けて栄華をしたいという考えからではなかった」。

 軽井沢の広大な土地にアメリカ式の大農園を計画。ワイン醸造を夢見ますが、気候風土・土壌が合わずにことごとく失敗。そこで開拓民の入植による耕作地造成事業を開始。自宅・馬1頭・農具を用意し、それを無償で貸す代わりに開墾することを委ねます。苦労に苦労を重ねて40戸ほどが定着。雨宮新田(現在の国道18号線「南軽井沢信号」付近)が形成されました。軽井沢の大恩人ですね。雨宮敬次郎はこんなことを言ってます。

「四十戸の人間を入植させることは木を植え付けるよりも難しかった。人間の植え付けは容易にできるものではない(略)。不毛の原野に住もうとする者は何かの欠点を持った人間である。少しでも財産をこしらえると、もうそんなところには辛抱できず、すぐ 帰る気になるから、それを居着かせるためには、酒を飲むものがあれば酒を飲まし、病人があれば薬を与えるなど我が子同様にしなければ、ついて来れない。それだから家内が行くと皆がお母さんのように思ってすっかりなついている。この状態であの村ができたのだった」

 雨宮敬次郎の奥さんが献身的に農民たちを支え、水害の時は婿らを引き連れて水の中を歩み、被害者を慰問しました。奥さんは明治36年に亡くなりますが、雨宮敬次郎は自宅(雨宮御殿)の裏庭に妻の銅像を建てます。上野公園の瓜生岩の銅像に続く、日本では2番目の女性の銅像でした。その数年後に雨宮敬次郎も死去。妻の銅像の隣に雨宮敬次郎の銅像がたてられました。


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 市村記念館が建っているあたりの持ち主が、雨宮敬二郎の自宅でした。つまり、市村記念館のある、この広大な土地は元々雨宮敬次郎のもので、軽井沢でプランテーションを行なう中で開発し、最終的に町に寄贈されたものだったのですね。そこに市村さんが寄贈した市村記念館を移築してできたのが、『市村記念館』なのです。

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(雨宮敬次郎の自宅)

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(雨宮敬次郎の自宅)

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(雨宮敬次郎宅の庭)


 市村記念館。記念館の建物は、大正時代に洋風住宅建築会社「あめりか屋」によって建てられたもので、大正15年に近衛文麿が軽井沢第1号別荘として野沢源次郎から購入し、昭和7年に政治学者として近衛と親交があった市村今朝蔵が購入したのち、昭和8年に南原に移築されました。

 平成9年に現在の場所、雨宮池の東端に移築復元され、旧姓市村信江、令子姉妹が中心となり、母・きよじの逝去後、この地に移築して寄贈、歴史資料をちりばめた市村記念館としてオープンされたものです。南原の別荘地としての開発に尽力した市村今朝蔵とその夫人で名誉町民となった市村きよじの資料をはじめ、雨宮敬次郎、近衛文麿の資料が展示されています。ところで、移築に際し、建材の新調は無かったのだそうで、補修すべき個所を除いて、そのままなのだそうです。つまり築80年の貴重な建物。ですから、1階の居間に、近衛首相の残したゴルフ靴の跡がわずかながらも残っています。

 ところで近衛文麿とは、どんな人だったのか? 面白い逸話があります。「彼を理解できる奴はいない。近衛文麿は、自分が天皇より偉いと思っているんだから」と戦前に言った人がいます。天皇陛下(もちろん昭和天皇)の前で足を組んで気さくに話しかけることのできた人間は、戦前・戦後を通じて近衛文麿くらいだったと言う話です。それだけ高貴な血筋の人だったのでしょうね。


◆旧近衛文麿別荘(市村記念館)

 軽井沢町大字長倉2112−21
 0267−46−6103旧近衛文麿別荘(市村記念館)
 9時〜17時(入館は16時30分まで)

休館日
・月曜日(祝日の場合は開館)
・7月15日〜10月31日は無休
・11月16日から翌年3月31日まで冬期休館


雨宮敬次郎については、以前に、このブログに書いてます。
https://kaze3.seesaa.net/article/475353820.html
(例のウイルスで・・・ その3 小市民の親が行う植福)




つづく。

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2021年05月31日

「軽井沢歴史民俗資料館」を紹介

雨天の時に行きたい「600円の共通チケットで軽井沢文化施設の6館めぐり」
まず最初に「軽井沢歴史民俗資料館」を紹介したいと思います。

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 軽井沢歴史民俗資料館は、昭和38年9月に、元大蔵大臣勝田主計氏の別荘を町が買い取り、旧中山道追分宿資料・古文書・茂沢南石堂遺跡出土品・各種民俗資料などを収蔵・展示する「軽井沢町資料館」として開設されました。その後、資料の追加や展示会を経て、昭和55年(1980年)に博物館法に準拠した施設として現行の施設として開館しました。

 特に街道マニアは、入って損は無いです。注目すべきは旧軽井沢の写真で、明治時代の寂れた旧軽井沢の写真や、大正・昭和時代の外国ぽい旧軽井沢の写真もあります。ここにくれば、軽井沢の基本知識が頭にはいります。だから6館共通券で、一番最初に入るべき施設なのかもしれませんね。もちろん軽井沢の郷土資料も販売していますし、学芸員さんもおられて、いろいろ質問もできるかと思います。時々、文化講座も開催していますから、それにあわせて見学してもよいかと思います。また歴史体験講座もやっています。

 第1展示室が「道の文化史と軽井沢」
 第2展示室が「別荘と文化活動」
 第3展示室が「高冷地のくらしと民具」

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 主な展示品は、「道の文化史と軽井沢」のコーナーでは、茂沢南石堂遺跡(縄文時代中後期)や入山峠祭祀遺跡の出土品に加え、軽井沢3宿(軽井沢宿、沓掛宿、追分宿)に関連する、参勤交代の諸大名の通行日記帳や、皇女和宮下向の記録などの古文書約5600点、街道を往来した馬具、碓氷峠のアプト式レールなどが展示されています。

 街道の宿場町で義務化された伝馬(てんま)についても解説されています。

 伝馬(てんま)というのは、幕府の公用をこなすために宿駅で馬を乗り継ぐ馬のことをいい、公用の書状や荷物を宿場ごとに人馬を交替して運びました。これを伝馬制といいます。つまり、各宿場では、伝馬朱印状を持つ公用の書状や荷物を次の宿場まで届けるために必要な人馬を用意しておかなければなりませんでした。こうした人馬を負担するのは宿場の役目でしたが、その代わりに、宿場の人々は屋敷地に課税される年貢が免除されたり、旅人の宿泊や荷物を運んで収入を得ることができるという特典がありました。

 ちなみに、この地域(北軽井沢・嬬恋村付近)の方言では、公的ボランティアのことを「おてんま」と言いますが、伝馬(てんま)が語源であることは間違いないでしょう。伝馬(てんま)に「お」をつけて「おてんま」と言うわけですが、御上への無料奉仕を地域の人たちが「御伝馬」と言った名残だと思います。

 観光客が違法に散らかした道路ゴミを定期的に拾って掃除するのは、われわれ観光協会の人間です。その構成員は、ペンションオーナーだったり、ホテルの社員だったり、私のようなユースホステルのオーナーが、ボランティアに出かけて道路清掃するのですが、その時に「何月何日に『おてんま』があるので出てください」と言われて作業に出て行くわけです。そして道路清掃したり、公園を整備したり、花壇に花を植えたりします。あれはみんな観光関係者のボランティアでなりたっています。江戸時代からの伝統です。

 ちなみに嬬恋村役場と浅間高原観光協会は、長野原町役場と北軽井沢観光協会とともに、軽井沢の道路まで掃除しにいきます。他人の領土、他県の道路まで掃除に行きます。つふうなら町村という行政が関与する行事で、他県の道路掃除をするという事は、ありえないのですが、この地域では普通にありえます。他県の道路がゴミだらけだと、そこを通って嬬恋村と長野原町に来る観光の御客様の印象が悪くなるからです。だから軽井沢観光協会と共同で、軽井沢町の道路を掃除したりする。これが『おてんま』です。江戸時代から続いている伝統というわけです。


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 「別荘と文化活動」のコーナーでは、明治時代の別荘の模型や、軽井沢の文学地図が展示されており、当時の貴重な写真が見られます。軽井沢を世界に紹介したアレクサンダー・クロフト・ショーに関する資料もあります。戦前の軽井沢における外国人の人口は、2000人。当時の軽井沢総人口が、8000人くらいですから、人口の2割から3割が外国人という珍しい地域でした。なので外国人相手に商売する人たちも多く、八百屋はジャムを作り、飯屋はパンを焼くようになり、下駄屋は靴屋に転向したりしました。というわけで軽井沢ジャムの老舗『沢屋』さんは、もともと八百屋さんです。旧軽井沢の居酒屋の『なべやつるきち』は、古くからの豆腐屋で、激安の豆腐懐石を食べさせてくれます。もちろん手作り豆腐の創作料理がてんこもりです。


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 「高冷地のくらしと民具」のコーナーでは荻原豊次が発明した保温折衷苗代や、天然氷を作るための民具などが展示されています。
「保温折衷苗代たなに?」
「荻原豊次って誰よ?」
という人に解説すると、荻原豊次氏は、昭和17年に保温折衷苗代と呼ばれる革命的な技術を完成して当時の稲作に一大革命を起こした人です。

 当時は軽井沢だけでなく東北地方などの寒冷地では特に苗の発育が悪く米の収穫量が大きく左右されていたのですが、荻原豊次氏が、長い歳月をかけて生み出した保温折衷苗代によって、劇的に改善され、東北の少年少女の身売りが激減したりしました。NHK朝ドラ『おしん』のような少女の苦労が大きく減った。荻原豊次氏は寒冷地農民の恩人で、保温折衷苗代は農民を救った革命的技術といえます。これを見るだけでも、この「軽井沢歴史民俗資料館」に来た価値があります。

 荻原豊次氏は、昭和6年の冷温で被害を受けた。しかし、近所の農家は被害が少なかった。理由は早く田植えをした結果だった。早く田植えをするためには、早く種を播かなければならない。春の遅い高冷地では、早く播くと、腐敗病にかかったり、ころび苗になったりして、害をしばしば受ける。
 昭和9年の春、たまたま野菜の苗を作っている温床の管理をしているうちに、藁囲いに付いていた籾が落ちて発芽した5,6本の稲の苗があった。試しにその苗を本田に植えてみたのである。その年には、冷温が襲ってきた。他の稲は冷温やいもち病の被害を受けた。しかし、野菜の温苗床からとって植えた稲だけは、平年作のできであった。過去3年間、早く種を播くには、どういう方法を採ったらよいかと頭の中から離れなかった問題が解決した。
 しかし、油紙障子で保温すればよいことはわかっても、どう稲の苗代に使ってよいかという問題に直面した。そこで県の試験場で研究に従事していた岡村勝政氏と共同研究をはじめる。生産者と研究者の共同作業である。両者の努力は相補いつつ、ついに昭和17年、油紙保温折衷苗代の完成する。昭和6年から11年目の年のことであった。

 油紙保温折衷苗代は、油紙で苗代を覆うものである。水田に苗床をつくり、芽出し種子を床面にすり込む。焼籾殻を厚めにかぶせ、その上を油紙で被覆し、周囲を泥でおさえる。播種直後は通気をよくするため、溝だけに潅水するが、苗が伸びたら床面まで水位を上げる。2週間ほどして、苗が紙を持ち上げるようになったら油紙を除く。 のちに、保温折衷苗代と名づけられた育苗法である。
 戦後になると、油紙の代わりにビニールやポリエチレンが用いられ始めた。ビニールだと、平均して5度は苗代内部の温度を高めることができる。その結果、今までより1か月も早く播種、田植えができるようになった。この保温折衷苗代は、早期栽培を可能とする基幹技術なったのである。

 実は、この軽井沢の民具に関して重要な話が、たくさんあるわけですが、それについては、次の市村記念館(旧近衛文麿別荘)の解説でお話しします。実は、歩いて2分くらいのところに、図書館や市村記念館(旧近衛文麿別荘)があったりします。そして雨宮敬二郎・市村きよじの墓があります。無料駐車場もあります。無料駐車場から離山への登山道があって、離山に登ることが出来ます。

 けしからんのは、市村記念館を旧近衛文麿別荘と読んでることですね。市村記念館でしょう! 陸軍が猛反対しているのに日中戦争を煽った極悪人の近衛文麿の名前をつけてどうするんだ?と言いたい。それより軽井沢の恩人である雨宮敬二郎・市村きよじ御夫婦を讃えて、あえて私は『市村記念館(旧近衛文麿別荘)』と呼びたいと思います。

 また、軽井沢歴史民俗資料館では、故吉沢三朗氏のコレクションによる中国陶磁器も展示しており、入口脇の館庭には中軽井沢の山荘あとから移築された杉浦翠子の歌碑があります。また、ここでは、文化講座・体験講座が時々ひらかれています。


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◆歴史民俗資料館

軽井沢町大字長倉2112−101
0267−42−6334
9時〜17時(入館は16時30分まで)
月曜日休館(祝日の場合は開館)
7月15日〜10月31日は無休
11月16日から翌年3月31日まで冬期休館




つづく。

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2021年05月30日

6月のおすすめ登山は?

6月のおすすめ登山は?


 今週は平日にお客さんが多くて、 週末のお客さんがゼロでした。こういうことは6月中にはよくあることで、6月はどうしても観光客よりも業者さんの宿泊が多いのです。太陽光の工事だったり、大規模施設のメンテナンスだったり、夏に向けて開業準備を進めているホテルになどに営業するお客さんだったりします。あと多いのが別荘を購入しようとしてるお客さん。そういう人たちには微力ながら私の知りうる限りの地元の情報を伝えたりしています。あの土地は湿地だとか、あの土地は除雪が大変だとか、 あの土地は管理費が高いとか、そういう情報は、私のような宿に泊まって細かいことを聞くのは一番早道ですから。

 それから多いのが、退職されて第二の人生を送っている中高年の登山客。彼らは週末ではなくて平日に泊まりにきます。平日なら貸切状態だったりするので新型コロナウイルスを恐れずにすみますから。で、「6月に山に登るとすると、どんな山がいいですかね?」と質問をいただきますが、 今回はそれについて述べたいと思います。

 実は6月の登山は、超オススメだったりします。
 花が咲くからです。

 6月下旬なら湯の丸山がが一番でしょう。山全体がレンゲツツジで真っ赤になるからです。
 同じ時期の根古岳もいいかもしれません。
 根古岳の麓はレンゲツツジでいっぱいですから。


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 烏帽子岳も素晴らしいところです。
 山全体が真っ赤というわけにはいきませんけれど、いろんな種類の高山植物が花を咲かせています。
 時期によってはドウダンツツジの花たちが、咲き乱れそれが登山道一面に散ることによって花だらけの登山道になったりします。


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 6月上旬なら、 水ノ塔山から駕篭ノ登山への縦走ルートが素晴らしいです。
 稜線上にシャクナゲが満開で咲いている可能性があります。
  水ノ塔山に限って言えば、登山口から頂上に向かうルートが、高山植物でいっぱいです。


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 高峰山もいいですね。
 シャクナゲが満開ですから。
 ここなら四歳児でも登れるコースです。


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 もちろん黒斑山とか蛇骨岳のルートも高山植物で賑わう季節となります。ご存知の通りあさま山は活火山ですから、 火山から出る酸性物質が土壌を酸性にします。そのために普通の雑草は育ちにくいのですが、高山植物の大半を占めるツツジ科の花たちにとっては最高の土壌となっていますから、それが見事な花畑に開花していくわけです。


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 もっと言うと浅間園とか鬼押出し園も高山植物の花を見ることができると思います。
 6月上旬の荒船山もいいですね。
 クリンソウの大群落を楽しめます。
 クリンソウの大群落なんて、世界広といえどもここぐらいじゃないですか?
 野反湖シラネアオイは、今(5月末)がピークかなあ?
 

 6月下旬なら浅間山もいいです。
 白山イチゲなど、いろんな種類の花がみられます。
 芳ヶ平のワタスゲも6月下旬ですが、雪の量で時期が移動しますので、要注意です。


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 ここからは通向けの話になりますが、実は桟敷山小桟敷山の間に素晴らしいシャクナゲ畑があります。昔はこの地域に、ツキノワグマの巣があったために、近寄りたい場所ではではなかったのですが、最近は地元の人達が 、せんべい平の雑草を伐採してくれるので、ツキノワグマたちの姿を見ることはなくなりました。なので安心して入ることができます。

 ただ気をつけなければいけないことは、昔登山道だったところで、現在は廃道となっている道が大量にあることです。嬬恋村には廃道となった登山道が大量にあって、ちょっと山に詳しいぐらいの人だったらそれを利用して山に行けたりしますから、そういうところに迷い込んで入らないようにしてください。


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 山が苦手な方は、軽井沢町追分にある「千ヶ滝湯川用水温水路」を散策するのもいいと思います。御影用水温水路とも呼ばれていて、軽井沢を水源とする川の水温を温める温水路のことで、幅広い部分があります。浅間山の雪解け水のために水温が低く稲作に適さないので、用水をゆっくりを流して太陽熱などで暖めるために全長934メートル、幅20メートル、深さ20センチメートルの浅いプールのような水路にしました。景観的にも素晴らしいところで、外国の風景の中にいる錯覚さえします。

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 あと軽井沢レイクガーデンのバラ園も素晴らしいところです。敷地面積1万坪(33,000u)のレイクガーデンには、イングリッシュローズ、フレンチローズを中心に約400種類のバラと宿根草約300種類を植栽しています。湖のほとりの小道を散策していると、バラのアーチや ガーデンが次々に現れて華やかな姿を見せてくれます。関東にあるバラ園のトップシーズンは5月中旬から下旬ですが、標高が高くて涼しい軽井沢レイクガーデンでは6月から7月にかけてがバラのトップシーズンです。バラは種類が多く、枝ぶりや樹形がよくわかり、バラそのもの美しさを楽しむことができます。

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イングリッシュローズを中心とした160種、600株のバラが植えられているイングリッシュローズガーデンがあります。ラビリンスローズガーデンは、宿根草とバラを組み合わせたボーダーガーデンです。フレンチローズガーデンもあります。

軽井沢レイクガーデン
軽井沢町レイクニュータウン
0267-48-1608
4/20〜11/4
営業時間
6/16〜7/1 8:00〜17:00
水曜日は閉園1時間前にクローズ。
http://www.karuizawa-lakegarden.jp/
カーナビに入力するときは「レイクニュータウン」もしくは電話番号「0267-48-1611」で設定

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 駆け足で広く浅く解説してみましたが、他にも色々あります。
 新型コロナウイルスの感染を避けるには、野外で楽しむのが一番です。



つづく。

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2021年05月28日

雨天におすすめ・600円で軽井沢文化施設の6館めぐり

以前、雨が降った時に箱物に入るといいと言う説明をしたことがあります。ハコモノというのは、資料館・博物館・ショッピング・温泉といった箱です。幸いなことに、軽井沢・北軽井沢・草津周辺には、箱ものがウジャウジャあります。その時に、私の独断と偏見による雨天時の子連れ家族が楽しめるベスト7を紹介しました。

7位・600円で軽井沢文化施設の6館めぐり
6位・軽井沢ガラス工房でガラス体験
5位・美土里の洞で陶芸体験(北軽井沢ブルーベリーYGHから徒歩1分)
4位・軽井沢絵本の森美術館・エルツおもちゃ博物館
3位・佐久市子ども未来館
2位・草津熱帯圏
1位・軽井沢おもちゃ王国

今回はそれらの中から『600円で軽井沢文化施設の6館めぐり』について解説したいと思います。600円で軽井沢文化施設の6館めぐりとは、

軽井沢型絵染美術館
歴史民俗資料館
市村記念館(旧近衛文麿別荘)
追分宿郷土館
堀辰雄文学記念館
室生犀星記念館(無料公開)
重要文化財・旧三笠ホテル(休館中)

の7つのことですが、重要文化財・旧三笠ホテルは、耐震補強を含む大規模保存修理工事を行うため、令和元年12月28日より長期休館中です。開館は、令和6年3月からの予定。ですから実質6館なのですが、室生犀星記念館は、無料公開になってますから、料金がかかるのは、

軽井沢型絵染美術館
歴史民俗資料館
市村記念館(旧近衛文麿別荘)
追分宿郷土館
堀辰雄文学記念館

の5館となります、この5館全館へ入館した場合、大人1000円、小中高生500円ですが、共通券だと大人600円、小中高生300円になります。ただし、軽井沢型絵染美術館の開館期間は7/1から11/3までです。このチケットの凄いところは、購入日より1ヶ月間有効で、全て回ると軽井沢の文化と歴史をマスターできることです。しかもたったの600円と安い。

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◆歴史民俗資料館

軽井沢町大字長倉2112−101
0267−42−6334
9時〜17時(入館は16時30分まで)
月曜日休館(祝日の場合は開館)
7月15日〜10月31日は無休
11月16日から翌年3月31日まで冬期休館

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◆旧近衛文麿別荘(市村記念館)

軽井沢町大字長倉2112−21
0267−46−6103旧近衛文麿別荘(市村記念館)
9時〜17時(入館は16時30分まで)
休館日
・月曜日(祝日の場合は開館)
・7月15日〜10月31日は無休
・11月16日から翌年3月31日まで冬期休館

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◆軽井沢型絵染美術館

軽井沢町大字軽井沢1178−1233
0267−42−6064
9時〜17時(7月1日から11月3日)
期間中は無休

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◆室生犀星記念館

営業時間
9:00〜17:00
7月25日〜11月4日
軽井沢町大字軽井沢979-3

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◆堀辰雄文学記念館

軽井沢町大字追分662
0267−45−2050
9時〜17時(入館は16時30分まで)
休館日
・水曜日(水曜日が祝日の場合は開館)
・年末年始(12/28〜1/4)
・7月15日〜10月31日は無休

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◆追分宿郷土館

軽井沢町大字追分1155−8
0267−45−1466
9時〜17時(入館は16時30分まで)

休館日
・水曜日(水曜日が祝日の場合は開館)
・年末年始(12月28日〜1月4日)
・7月15日〜10月31日は無休

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 以上ですが、後日、一軒一軒の詳しい解説を書きたいと思います。



つづく。

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2021年05月27日

山で虫にさされない方法

 前回6月になるとダニが発生する、そういう記事をこのブログで書きましたが、心配性なお客様から大丈夫ですかね?というご質問をいただきました。 ちょっと不安を煽りすぎたかなーと反省しています。私は年間に300回ぐらい登山してますけれど、ここ20年間でダニに喰われたことは一度もありません。それはダニに対する知識があったと言うことではなくて、普通の登山道だったらダニにやられることはめったにないからです。

 やられるのは犬です。飼い犬を連れて登山道を登ると場所によってはダニにやられてしまいます。その場所とは、笹地です。熊笹とか、ススキ・シャクナゲのあるところにダニはいます。具体的に言うと、浅間隠山の頂上付近・鼻曲山のルート上・しゃくなげ園・鷹繋山・万座温泉の山田峠。この5箇所に共通しているのは、笹藪が発達してることです。こういうところに犬を連れて行くとダニにやられてしまいます。人間は基本的に大丈夫です。ヤブ漕ぎさえしなければ、恐れることはありません。


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(こういう場所が危険なのだが、衣類に虫除け剤をスプレーしてたので、一度も息子は刺されたことはない)


 心配な人は、洗濯用洗剤「アリエール」にダニよけプラスというのがありますので、それを使って洗濯した衣類を着て登山するといいと思います。この洗剤でベッドマットや毛布を洗うと家ダニが激減してハウスダストが大幅に減ったので、我が家では、全て衣類をこの洗剤で洗っています。この洗剤がマダニに効くかどうかはわかりませんが、少なくとも家ダニには効果があります。

 虫除けスプレーでも構いません。かなり効果があります。私は25年以上前に1ヶ月間にわたって知床山脈の中でヤブコギばかりしていましたけれど、一度もダニにやられることはありませんでした。虫除けスプレーと焚き火のおかげです。これだけで無敵でした。ダニどころかヤブ蚊とも縁がなかったです。知床の山奥は、湿地帯なので蚊が雨雲のように大量発生する場所なんですが、まったく寄り付かなかったですね。

 虫除けスプレーの成分は、どれもこれもがディートになっています。アメリカ陸軍がジャングルで戦う兵士のために開発したもので、それだけに効果は絶大です。他の成分のものと比較しても凄く効果があります。ただし、ディートの濃度によって、効果の違いが出てきます。濃度の高いものを買って、それを衣類に噴霧すると良いと思います。 アース製薬のサラテクト リッチリッチ30 200mlが最強です。これを衣類に噴霧する。タオルに噴霧して首に巻く。足下に噴霧する。それだけでダニも蚊もヤマビルも寄せ付けません。詳しくは下記サイトを参考にしてください。

https://yamahack.com/235

 もし、皮膚にスプレーしたいのであれば、虫除けキンチョールがいいです。安全性の高いイカリジンが成分なので、子供の肌にも使えます。ハッカ系のスプレーもききます。筋肉痛を防ぐメントール系の湿布薬も虫をよせつけません。首が痛くなって首筋にサロンパス(湿布薬)を貼ったとき、全く虫が寄りつきませんでした。左足の関節にバンテリン(湿布薬)を塗ったら、そこだけ虫が寄りつかなかったこともあります。


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 問題は犬ですが、対策はあります。動物病院でダニよけ剤を処方してもらうだけで大丈夫です。ダニが発生するのは6月なので、5月にダニよけ剤を飼い犬に飲ませれば、食われることはありません。少なくともうちの犬は大丈夫でした。 ダニよけ剤を飲ませる前は、山に行けば必ずダニにやられていましたが、飲ませた途端に、一度もダニにやられることはなくなりました。毎回登山の後にブラッシングしてるのですが、ダニを見つけることは一度もありません。とはいうものの、犬連れで登山する場合は、やはり熊笹のある所は避けたいものです。鼻曲山は、かなりの確率で熊が出るので、犬を連れて行きたくなる気持ちは分かりますが、 私なら連れて行きません。

 ちなみに私の登山歴40年の経験だと北軽井沢付近の山は、他の地域に比べてダニは少ないと思います。山ヒルも見かけません。火山が原因かもしれませんし、そのせいで動物が少ないためかもしれません。鹿・猿がいないのも大きな理由でしょう。ただし、6月から7月は地域にかぎらず発生するので、注意した方がよいかもしれません。とはいうものの草むら、河川敷などにくらべたら登山道の方が安全なので、あまり気にすることはないと思います。

でも、小さなお子さんが、笹藪に入ろうとしたら
止めるようにするべきですけれど。


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追記

 ヤマヒルも、虫除けスプレー(ディート)がききますので、ある程度は対策がたてられますが、乾燥した晴天の日に登ることですね。万が一ヤマビルに喰われたら塩をかけるか、手持ちのエアーサロンパスみたいなものを噴霧するといいです。もちろん防虫剤(ディート)があれば瞬殺です。20年くらい前から群馬・新潟はヤマヒルが爆増していますが、火山帯である浅間高原では見かけたことはありません。けれど四万温泉などでは問題になっています。軽井沢・妙義山ではみかけませんでしたが、今後は要注意ですね。


つづく。

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2021年05月25日

笹地と飼い犬

 北軽井沢もだいぶ暖かくなってきました。まだストーブは使っていますけれど、日中に関しては暖房なしで生活できるようになってきています。今日も小浅間山に登ってきましたけれど、登山中は汗びっしょりになります。登山客もだいぶ減ってきたようです。世間がコロナと騒いでいるので、自粛する人が増えたのでしょうか ?

 そういう私も、近頃は登山以外の外出をするのは、めっきり減ってきました。お客さんがいないから仕入れがないというのもありますが、外出に対し、なんとなく億劫になってしまっている自分がいます。で、 今日は1日家に閉じこもっていようかなと思っていると、愛犬がワンワンと吠えだします。そうなるとやれやれと、犬の散歩のために浅間牧場とか小浅間山に登る羽目になります。


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 話は変わりますが、先週の日曜日に湯の丸山に登ったんですが、登る途中に、 観光関係者が、盛んに笹藪を旗のようなもので、叩いていました。ダニ取りが始まったようです。ダニは、6月に入ると笹の葉や、シャクナゲの葉っぱの裏に大量に隠れるようになります。登山客たちがダニの被害に会わないように、ダニ退治をするわけですが、その活動が始まっていました。 それを見た私は思わず
「ダニは出てますか?」
と聞いたわけです。

「今のところ、まだ大丈夫だね」
「やっぱり6月ですか」
「6月だね」
「6月が一番出ますからね」
「まあ出ると言っても、よほどのことがなければ人間が食われることはないんだけれどね」
「この辺の笹は低いですから、せいぜいズボンの上に落ちるくらいですもんね」
「問題は、犬を連れて登山する人たちだよ」
「犬はやられますよね。うちも犬を飼ってるんですが、この時期は小浅間山とか浅間牧場しか行けません。こんなところに連れて来たら、とんでもないことになってしまう」
「最近は、それを知らない人が多くて困ってるんだよね」

 でも、ダニならまだいい。赤いツツガムシだと手に負えない。だけど6月の登山道の岩場でよく見かけます。まあ神経質になることはないですけれどね。犬を飼ってる人は、用心すべきですが・・・・。最低でも、ダニよけ剤を犬に飲ませるべきですね。けっこう効き目がありますから。それと山から帰ったら早めに風呂に入り、必ず着てるものを洗濯するべきですね。で、アリエールのダニよけ洗剤で洗濯すれば、もっといいです。


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つづく。

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2021年05月24日

我が家の庭で行った空手教室

 今日は家の庭を使って空手教室を開いてもらいました。新型コロナウイルスのせいで、クラブ活動を始め、あらゆる習い事が中止に追い込まれているので、空手教室を再開してもらえるのは非常にありがたい。息子も大喜びしていたらしくて、すごく大きな声で叫んでいました。空手教室が終わった後は、学校の友人たちと一緒に庭で遊んでいたようです。その嬉しそうな遊び声に心が癒やされました。うちの庭には、トランポリンや滑り台やシーソーなどの遊具があったので、それが子供たちの遊び心に火をつけたようです。


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 昭和時代は、近所中の子供たちが、友人の家の庭とか、空き地に集まって、こんなふうにワイワイやっていましたが、そんな昔のことを思い出しました。嬬恋村には、遊具のある公園が少ないので、うちの庭で嬬恋村の子供たちが遊んでくれてよかったです。

 話は、変わりますが、この夏に遊具を増やす予定です。今度は、アスレチックの遊具を3つくらい増やして、大人も子供も遊べる遊具を庭に置こうかと思っています。ただし、遊具は丸太を使った自作になりますので、ぎっくり腰にならないといいんですがね。とりあえず材料は発注しました。届き次第、建築を始める予定ですが、庭が、どう変わるか楽しみです。



つづく。

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2021年05月22日

雨の日は、美土里の洞(みどりのほら)さんで、陶芸体験!

 うちの宿(北軽井沢ブルーベリーYGH)から徒歩1分のところにある美土里の洞(みどりのほら)さんで、陶芸体験が出来ます。雨の日に家族で陶芸体験もいいです。また暗い話をしてしまうので、申し訳ないのですが、事情があって絶対に感染できないお子さんがいて、人が多い軽井沢おもちゃ王国に遊びに行けなかった親子が、全員がチェックアウトした後に、うちの庭の遊具で一人ぽつんと遊んだ後に、美土里の洞(みどりのほら)さんで、陶芸体験をしてたりします。

 ここでは1回1組しか受け付けていないので、生存確率の少ないために自由になった絶対に感染できないお子さんも安心して体験できます。で、体験後には作品が残る。記憶とともにお子さんの作品が残る。その後、お子さんが、元気になったのかどうか私には知るよしも無いですが、親御さんの手元には、タイムカプセルとして、お子さんの作品が永遠に記憶に残り続けることになると思いたい。

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 ちなみに、ここの陶芸教室は、評判が良いことで有名で、ここの奥さんは、軽井沢最大の某ホテルグループに講師としてまぬかれているほどです。なので、ここの奥さんは忙しい人なので予約をしないと陶芸教室を受講できませんので、注意してください。制作ではエプロンが必須です。

 聞けば幼児の御客さんも多くて、毎年のようにやってきては、作って帰る人もいるみたいです。陶芸も楽しいけれど、奥さんの朗らかな会話も楽しいですから、毎年家族で陶芸体験に来たくなるのがわかります。

 あと陶芸体験をしたことがある人は、わかると思いますが、最後に感動がやってきます。良い意味で予想を裏切ってくれるからです。これは楽焼きや素焼きでは、味わえません。釉薬(ゆうやく)を使った陶芸を体験した者だけが知り得る感動です。ちょっと写真でみてみましょう。

 これが息子と嫁さんが土をこねくり回して作った作品です。

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 これが焼き上がると、こうなります。
 釉薬のマジック! 化学変化の世界!

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 作品は4ヶ月程度で焼き上がりが送られてきますが、素晴らしい作品になっていることが多く、焼き上がりの作品をみてさらに感動します。釉薬のマジックですね。釉薬にはいろいろな種類があって、無色の透明釉薬だったり、赤い鉄系の釉薬があったり、同じ鉄系でも青磁の釉薬があったり、古田織部の名からとられた銅系の釉薬があったり、コバルト系の釉薬。マンガン系の釉薬。ジルコン色釉といった多くの釉薬があり、使っている原料によって、化学変化をおこすのが陶芸の凄みであり面白いところです。

 ただ、単に土を捏ねくりまわして焼くだけではありません。そこには、陶芸という化学変化の世界があるわけです。もちろん、釉薬の選択だけで無く、焼き方とか、温度とか、冷やし方によっても化学変化はおこりえます。同じ釉薬を使っても、釜の使い方で大きく違ってきます。

 実は、私は色んなところで陶芸体験しているし、知り合いの陶芸家から作品を頂いて、宿で使ったりもしたんですが、結局、伊万里焼とかニッコー・ナルミのボーンチャイナの製品に戻ってしまいました。水圧の強い業務用食洗機に耐えられる陶芸作品など、そうそうあるものでなく、半年もたたないうちに欠けてしまうからです。へたしたら1ヶ月後に一部が欠けてしまうことが多い。

 だから陶芸家の作品は接客には使えない。そう思ってました。ましてや息子と嫁さんが作ったものなんか、水圧の強い業務用食洗機にいれたら1ヶ月ももたないだろうと思ってたんですが、6ヶ月たってもピンピンしている。すごく頑丈にできている。

 嫁さんと、息子の腕が良いわけが無いから、窯元の山口洋史氏の焼き方の腕が良かったとしか考えられない。もしくは、土に秘密があるのか? それとも指導してくれた奥さんの腕がよかったのか? 

 ここで気をつけなければならないのは、作品が届くのが遅いことです。焼きあがるまで時間がかかる。すぐにはできないことを覚悟してください。作品は、忘れた頃に届きます。うちは偶然にも、すぐに届いたのですが、普通は4ヶ月くらいかかるようです。作品を乾燥させたり、色が出ないと二度焼きしたりするらしい。だから忘れた頃に見違えるほど立派な作品となって届くと思って、辛抱強くまっててください。

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陶ギャラリー 美土里の洞(みどりのほら)
群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原1052-372

●営業時間●
  10時30分〜18時(夏期除き木曜定休)
●陶芸教室●
 午前の部▼10時半〜12時半
 午後の部▼14時〜16時 

●営業期間
 4月GW〜11月末頃まで

●定休日
 木曜日(夏季のみ無休)
 12月〜4月後半まで冬期休業
 
【一品体験教室】
  AM10:30〜PM4:00(要予約)
  ※教室の所用時間は個人差がありますが、
   最低1〜2時間を目安にご検討ください。
   ご予約・お問い合わせは、090-2932-8419まで。


つづく。

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2021年05月21日

雨の日は軽井沢ガラス工房!(軽井沢でガラス体験するべき理由)

 最近は雨ばっかり降っていますね。なので、小さなお子さん連れのお客様から雨の日でも子供が遊べるプログラムはないかと言う質問をたくさん頂いています。

 というわけで、今回はガラス工芸の体験について紹介したいと思います。軽井沢はガラス工芸の本場で、若い芸術家が大勢修行しており、毎日のようにガラス芸術の新作が生まれつつあります。体験プログラムを用意してくれる場所も、軽井沢ガラスギャラリーアームス・軽井沢ガラス工房と、二ヶ所あり、この二つは隣同士です。場所は国道18号の蕎麦『かぎもとや』 の近くにあります。

 今回は軽井沢ガラス工房にお邪魔しました。
 ガラス業界では超有名人である伊藤けんじさんの工房です。

 この店の凄いところは、四歳からガラス体験できることです。
 下の画像をみてください。
 四歳からできるメニューが書いてあります。
 黄色い丸で囲ってある体験がそれです。
 四歳では無理でも6歳から可能な吹きガラス体験もあります。

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 ところでガラス体験は、全国いろんな所で行っていますが、軽井沢ガラス工房選ぶ理由があります。全国の多くのガラス工房が、軽井沢ガラス工房主催者の伊藤けんじ氏の弟子だったりするからです。彼の作品がYouTubeにアップされているので、みてください。



 すごい作品ですよね。
 彼の略歴は、以下の通りです。
 美大の講師までしています。
 どうりで教えるのがうまいわけです。

1987 川崎市中原区にAYA GLASS STUDIOをオープン。
1988 個展以後、毎年各地にて多数開催。(銀座松屋・池袋東武・富山美術館・SUWAガラスの里現代ガラスミュージアム・清里北澤美術館等、計100回以上開催)
1990 ヤンググラス造形展/グランプリ受賞
1993 国際ガラス造形展/日本硝子製品工業会長賞
1994 国際ガラス造形展/IGS大賞受賞
1997 川崎市高津区にAYA GLASS STUDIOを移転。
安部賞(学術文化部門)受賞・(他、受賞7回)
能登島ガラス美術館・富山美術館・SUWAガラスの里ガラスミュージアム・黄金崎ガラスミュージアム・清里北澤美術館・スペイン国立ガラス美術館等にコレクション。
武蔵野美術大学・NHK教育テレヒ/ガラス工芸・東京ガラス工芸研究所等講師を経る。
ベトロアートグラス(アメリカ)講師
国立ガラスセンター(スペイン)講師
2007 長野県北佐久郡軽井沢町に軽井沢ガラス工房&ギャラリー設立


 これだけの人なので伊藤氏から本格的に教わるとなると、5万円くらいの授業料がかかりますが、軽井沢ガラス工房では、お弟子さんが教えてくれるシステムなので、吹きガラスなら3800円から作ることが可能です。


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 工房では、お弟子さんが、いっぱいいて、多くの若手作家が生まれ全国に旅立っているそうです。 まあ、そんなことはどうでもいいとして、この 軽井沢ガラス工房の評判は、なかなかいい。二十年も宿屋をやっていて、ここの悪評を聞いたことが無い。お弟子さんたちの入替があっただろうに、それでも悪評が流れてこない。で、インターネットで検索してみたら、やはり口コミがよい。なので、数あるガラス工房の中から、ここを選んで息子とでかけました。ちょうど新型コロナウイルスが猛威をふるいだした頃です。

 で、行ってみたら体験プログラムがいっぱいある。
 まず吹きガラス体験。
 小学一年生より出来るらしい。

 まず、当日の朝に予約します。雨天がわかっているなら、早めに予約が一番。予約すれば待ち時間なく体験を始められます。スタッフも大勢いて小さな子どもにも優しく分かりやすく教えてくれ、楽しい雰囲気の中で体験できます。そして想像以上に素敵なグラスが作れると評判ですが、スタッフの方の指導が的確なために初心者でも、ある程度のものが作れるようです。特に小さいお子様の思い出作りに良いと思います。

 お子さん、小学校低学年から高校生と幅が広い場合は、年齢層に応じたプログラムが組めますし、年齢に応じた指導をうけられます。そのせいか家族連れの御客様に絶大な支持をうけているようです。


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 これはもう時効だと思うので、昔のことをお話しします。もう何年も前に若い女性が泊まりに来たことがありました。そして私に軽井沢で作ったガラス製品を見せてくれたことがあったんです。「素晴らしい作品ですね」と私が言うと、そのお客様は「これは私が7歳の時に軽井沢で作った作品なんです」と言いました。

 彼女は、10年以上前に大好きだったお父さんとガラス工房でガラス体験をしたそうです。雨が降っていたので私に勧められてガラス体験をしたということでした。もちろん私はそんなこと覚えていません。大勢泊まっていたファミリーのお客さんの一人に、そういう受け答えをしたのでしょう。そう私の勧めにお父さんと、7歳の女の子が軽井沢ガラス工房に行ってガラス体験をしたわけです。その女性客は言いました。
「実は、父が去年、天国に旅立ちました」
「・・・・」
「しばらくの間、何もする気が起きなかったんですが、机の奥に隠れていたガラス細工を見つけてしまって、もう1回、あのガラス細工を行ってみたいと思ったんですよね」
「いいものができそうですか?」
「できるといいんですけれど」
「出来ると思いますよ」
「できますかね」
「できますとも」

 小さい頃に体験したガラス作りが、彼女の大切な思い出になっていた。単なるガラス体験が、懐かしい記憶をタイムカプセルにしてくれたんだと思います。そう考えると、遊園地で遊ぶよりも、こっちの体験の方が、彼女にとっては良かったのかな・・・とも思いました。親子で、芸術体験し、そして軽井沢おもちゃ王国などの遊園地で楽しい思い出をつくる。で、何周年後にガラス作品が、記憶のタイムカプセルの封印を解いてくれるかもしれない。これは、ガラス体験だけでなく、陶芸体験にも言えるかもしれませんね。


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(美土里の洞の陶芸体験/明日紹介します)



 話を戻します。
 吹きガラス体験は、以下の価格でやっているようです。

https://activityjapan.com/publish/feature/1660

色付オリジナルマイコップ、3300円 (約30分の作業時間)
色付オリジナル風鈴、   3300円 (風鈴キット付)
Snow & Star 吹きガラス体験、3800円
金箔グラス:5000円
銀箔グラス:4000円

 ちなみに、この軽井沢ガラス工房の吹きガラス体験は、作業の大半を自身でやるスタイルで、実際に自分で吹きガラスをする。他の観光地でやっている吹きガラス体験(大半をプロが手伝うスタイル)とは違っています。なので時間もかかり完成品も不格好になる。しかし、それが自分の作品であるわけで、芸術だというわけです。アーティストの伊藤けんじさんは言います。そしてガラスのおもしろさに目覚めガラス仲間になってくださいと。


 この工房では、もっと安い体験プログラムもあります。

◆ステンドグラス風フォトスタンド作り体験(1650円)
◆サンドブラスト体験(2530円)
◆ジェルキャンドル体験(1370円〜)
◆彫り絵アート体験(1650円)
(消費税などの関係で料金が変更される場合があります)


 ちなみにうちの息子は、キャンドルを制作しています。
 これは最も安いプログラムで、四歳から体験できます。

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【キャンドル体験】
 1個 1250〜1800円ぐらい。

 ガラスのオブジェをならべて、高温で解かした透明ロウソクを流し込み、たのしいキャンドルを作る体験です。10分もあればできる時短の体験です。ただ、ロウが冷めるのに45分くらいかかるので、1時間は、みといたほうがいいかもしれません。

1.まず、キャンドルに入れるものを選びます。けっこう迷います。
2.選んだらカップに入れる。この選択によって作品が決まる。
3.完成したら高温で解かした透明ロウソクを注いで完成。
4.45分くらいかけて冷やしたら完成!
5.あとはラッピングしてもらって持ち帰ります。

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 息子の満足度はかなり高かった様子。
 簡単なので小さいお子さんには、キャンドル体験の方が良いかもしれません。
 他にもいろんな体験が出来ます。


◆サンドブラスト体験  1個 2300円〜

 サンドブラスト機を使って、コップや器など、好きなガラスに好きな絵や文字を彫ることができます。マスキングされていない部分がつや消しの状態となり、透明な部分との対比が美しい器が完成します。とにかく絵を描くのが好きとか、その日に持って帰りたいとか、暑さが苦手、という方にお勧め。


◆彫り絵アート体験 1個 1500円〜

 手作りガラス器に絵を描きます。
 キャンドルホルダーや風鈴にもお勧めです。


◆風鈴つくり体験 
  1)吹きガラスでの風鈴作り 3300円
  2)サンドブラスト+風鈴キット 2800円
  3)彫り絵ガラス+風鈴キット 2000円


◆フォトフレーム作り体験 1個  1500円

 ステンドグラス風の写真立ての制作体験です。
 ガラス板以外はすべてシール状の素材ですので、手軽に制作できます。
 絵を描くのが苦手な方でも楽しくカラフルな作品が出来上がります。


軽井沢ガラス工房
〒389-0111 長野県北佐久郡軽井沢町長倉664-9
0267-48-0881
http://karuizawaglass.o.oo7.jp/

営業時間
10:00〜18:00(7月〜9月、GW 9:00〜19:00)
定休日 水・木曜日(7月〜9月、GWは無休)


 

つづく。

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2021年05月18日

軽井沢絵本の森美術館( ムーゼの森)

 今日も、あいかわらずの雨です。
 雨が降った時に入ってみたい箱物の4位。
 軽井沢絵本の森美術館について説明しようと思います。

 私が、北軽井沢ブルーベリーYGHの営業をはじめたころ、やたらと建築学科の学生さんが、うちの宿に泊まりに来ました。最初の頃は、どうして建築学科の学生さんが泊まりに来るんだ?と不思議に思ってて、学生さんに聞いてみたら、軽井沢と北軽井沢には、日本を代表する有名建築家・世界的な有名建築家の作品が大量にあるとのこと。

 北軽井沢の有名建築?
 そんなものあったのかなあ?

と思っていたら、鬼押出し園の岩窟ホールとか、嬬恋プリンスホテルが、それであるらしく、佐藤秀三という世界的な建築家が建設したものであるらしい。あのボロっちい鬼押出し園の岩窟ホールが、嬬恋プリンスホテルが、そんなに凄いものだとは知りませんでした。ちなみに佐藤秀三さんというのは、その作品が、国の重要文化財に指定されたりする凄い建築家であるらしい。

 まあ、そんなことはどうでもいいとして、うちに泊まった建築家の学生さんたちが、見学目的にしていたのは、鬼押出し園の岩窟ホールよりも、軽井沢絵本の森美術館でした。こっちの方が、彼らにとっては、魅力があったらしい。誰が設計したのか?名前を聞いたんですが、忘れてしまいました。ネットで検索しても出てこない。設計は類設計室が行ったということしかわかっていない。

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 まあ、建築家たちの中では有名らしいので、行ってみたら何か分かるかもしれないと思って行ってみたのが、2006年頃です。で、行ってみたら驚いた。たまげた。どうして建築科の学生さんたちが絶賛するわけです。すごい建物ですよ! と文章にしても仕方が無いので画像をアップしておきます。

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 どうですか?
 すごい建物ですよね。
 建築家たちの中で話題になるわけです。
 これだけの建物だと、一日中、読書してたくなりますよね。
 実際、私は一日中、読書にふけってました。
 図書館があったので。
 まあ、地元民の贅沢です。

 ちなみに、この美術館は、絵本を扱う日本初の美術館だったそうで、軽井沢らしい「自然と調和する絵本の美術館」を実現するため、莫大な時間を費やし試行錯誤を繰り返しながら設計を進めたものだったらしい。

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 まあ、そんなことは、どうでもいいとして、この美術館の蔵書がすごい。いろいろ置いてある。英米児童文学研究者である吉田新一氏の研究資料やピーターラビットに関する展示があります。敷地内には英国人ランドスケープ・デザイナー、ポール・スミザーが監修する軽井沢の原生植物を中心とした「ピクチャレスク・ガーデン」も広がります。

 なので、雨の日は、子供たちに勝手に絵本を読むように言って、大人たちも大人の読書をしてもいいかもしれません。作家の絵本原画、初版等の絵本資料を展示をみてもいいし、絵本文化を堪能してもいい。カフェ「ルーエ」で、軽食やケーキセットを食べながら読書してもいいかもしれない。


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 注目すべきは、無料の学習プログラムで、時間があったら是非、申し込んでみてください。

◆絵本の歴史探求(30分〜40分程度)
◆童話のひみつ?(30分〜40分程度)グリム童話とアンデルセン童話の違い。
◆知られざるグリム童話(30分〜40分程度)
◆知られざるアンデルセン童話(30分〜40分程度)
◆動物えほんの魅力(30分〜40分程度)

 ただ、念を押しておきますが、軽井沢おもちゃ王国のような幼児向けの施設ではありません。どちらかというと大人向けの施設です。知的嗜好の高い人向けの施設なので、遊園地を想像して、ここを尋ねたらガッカリします。その点を注意してください。お子さんが、絵本に興味のある人なら、建築に興味があるなら、この美術館にくる価値はありますが、遊園地嗜好だったらパスした方が無難です。むしろ、ガラス体験・陶芸体験をおすすめします。明日からは、ガラス体験・陶芸体験を解説したいと思います。


営業期間
3月〜11月 9:30〜17:00
12月・1月 10:00〜16:00
〒389-0111  長野県北佐久郡軽井沢町長倉182(塩沢)
0267-48-3340
info@museen.org



つづく。

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2021年05月17日

エルツおもちゃ博物館

 なんだか梅雨入りになってしまったような週間天気予報ですね。ますます雨の日の軽井沢について事前調査が必要になってきました。ところで以前、雨が降った時に箱物に入るといいと言う説明をしたことがあります。

 ハコモノというのは、資料館・博物館・ショッピング・温泉といった箱です。幸いなことに、軽井沢・北軽井沢・草津周辺には、箱ものがウジャウジャあります。私の独断と偏見による雨天時の子連れ家族が楽しめるベスト7を紹介しました。

7位・軽井沢教育委員会の7博物館めぐり
6位・軽井沢ガラス工房でガラス体験
5位・美土里の洞で陶芸体験(北軽井沢ブルーベリーYGHから徒歩1分)
4位・軽井沢絵本の森美術館・エルツおもちゃ博物館
3位・佐久市子ども未来館
2位・草津熱帯圏
1位・軽井沢おもちゃ王国

 1位の軽井沢おもちゃ王国と2位の草津熱帯圏。そして3位の佐久市子ども未来館については、以前、説明しましたね。今回は、4位の軽井沢絵本の森美術館・エルツおもちゃ博物館について説明しようと思います。

 今回は、エルツおもちゃ博物館について。

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(クルミわり人形)

 この施設は、 軽井沢おもちゃ王国と違って、 小さな子供の施設ではありません。どちらかと言うと大人が楽しむ施設なんですが、小学生ぐらいなら子供も十分楽しめます。もちろん幼児のお子さんでも楽しめますので、雨の日にはいいかもしれません。ただ誤解してはいけないのは、 エルツおもちゃ博物館は、あくまでも博物館なので、市販されてるおもちゃが並んでいてそれを自由に触って遊べるというわけではないということです。軽井沢絵本の森美術館にしても、ちっちゃなお子さんが絵本を読むための施設というわけでもありません。むしろ絵本に興味のある大人達が一番楽しめる施設です。

 で、エルツおもちゃの博物館って何だい? と思われる方が多いと思いますが、 ドイツ人にとってエルツのおもちゃは、魂みたいなもんです。 例えて言うならば、ひな祭りに使う七段飾りの雛人形とかを思い浮かべればいいかもしれません。古いものが大好きなドイツ人にとって、エルツのおもちゃは、彼らの魂だったりするんですよね。

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 え? なんでお前がそんなことを知ってるのかって? 実は私、 ユースホステルのプログラムで、エルツに行って、そこのユースホステルに宿泊して、エルツのおもちゃを制作するプログラムを体験しているんです。その時に、エルツの人たちからおもちゃ作りに関する情熱と歴史をしつこいくらい教えてもらったのです。

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(エルツの美しい風景)
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(エルツの美しい風景)
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(エルツの美しい風景)
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(エルツの美しい風景)
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(エルツの美しい風景)
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(エルツの民家の窓は、どこも玩具が置いてある)
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 私は、エルツのおもちゃを雛人形に例えましたけれど、 実際はそれ以上かもしれません。彼らはクリスマスでエルツの人形を飾ったりします。ご多分に漏れず、ドイツにおいても中国製品のバッタものと言うか安物が出回っていますが、それらを買う人たちは観光客が大半で、ドイツ人は決して手を出そうとはしません。日本人が、浅草の仲見世辺りで売っているインチキな着物を絶対に買わないのと一緒です。

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(これが、私がエルツで作った作品です)

 ところでエルツってどこだよ?と思っている人に説明すると、ドイツとチェコとの国境付近です。この地方には、古くから鉱山が栄えていて、1168年に銀鉱山。14世紀にすず鉱山で発展するのでが17世紀に衰退。困ったエルツの人たちは、森の木材を利用して木のおもちゃを作りました。これがエルツ地方の代表的な工芸品となりドイツ全土から買われたわけです。

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 1948年、第二次世界大戦後のドイツは、東西に別れ、西ドイツは豊かになる一方、東ドイツは、貧しくなる。東ドイツは、エルツ山地で作られたクリスマス雑貨を外貨獲得のため、西ドイツに向けて輸出します。移動の自由がなかった彼らは、各地の見本市に出かけていって、自分たちの作品を紹介するチャンスがありました。エルツの人たちは、こぞって職人の道に進みました。

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 エルツの玩具は、西ドイツやドイツ系アメリカ人に熱狂的に向かい入れられ、いつのまにかクリスマスには、エルツの玩具が欠かせなくなっていました。もちろん日本にもエルツの玩具に入ってきます。日本人は、クリスマスが大好きですからね。そのうえ雛人形・五月人形を飾る習慣がありましたから。そういうわけで、エルツのクリスマス雑貨は、子供が持って遊ぶおもちゃではありません。雛人形のようなインテリです。それを飾って眺めることによって、モノを大事にするという気持ちを育て、子供に対するしつけにもなりうるのです。

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 おもちゃだけではありません。
 パイプオルガンもです。
 ヨーロッパのパイプオルガンの多くがエルツ制だったりします。

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 エルツおもちゃ博物館・軽井沢では、旧東ドイツ・エルツ地方に伝わる木工おもちゃを蒐集・展示しています。300年以上の歴史を持つおもちゃは、職人たちによって生み出され、伝統工芸として高い評価を得ています。ドイツの森で生まれた文化を紹介しているのは、エルツおもちゃ博物館くらいですね。

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つづく。

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2021年05月14日

5月の北軽井沢は、暑いのか?寒いのか?

こんな質問がありました。
「5月の北軽井沢は、暑いですか? 寒いですか?」
これは、難しい質問です。


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 まず結論から言いますと、北軽井沢では、6月上旬までストーブが存在しています。だから夜中や早朝は、暖房が無いと生きていけません。ストーブやファンヒーターに去年の灯油が入っていると壊れると言いますが、北軽井沢では、そんなことを心配する必要がありません。6月にストーブやファンヒーターを片付けても、9月になると、また使うことになるからです。下手したらお盆すぎに出すことさえある。つまり、1年の大半、ストーブやファンヒーターのお世話になることになる。では、寒いのか?というと、これも微妙です。その日の天気・その年の気象状況にもよりますが、日中は真夏並みになることもあるからです。

「真夏並みですか?」

と驚くあなた。勘違いしないでください。北軽井沢の真夏は寒いですから。このへんの夏では、25度くらいの最高気温である場合が多いのです。なので、「真夏並み」というのは、20度から25度くらいのことであって、東京あたりの感覚と少しばかり違っています。

「え? 20度から25度くらい? じゃあ、やっぱり寒いんじゃないんですか?」

という貴方。それも、ちょっと違うんですよね。確かに東京では、20度から25度くらいの気温を暑いとはいいませんが、北軽井沢では違います。標高が高いために紫外線が強く、思った以上に暑いのです。特に小浅間山・シャクナゲ園・キャベツ畑などをハイキングする人は、注意した方が良いです。無茶苦茶暑いですから。これが本当に20度から25度くらいなの?というくらいに暑いのです。そして紫外線が強い。だから帽子と日焼止めクリームは必携です。


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 ただし、森の中は、20度から25度くらいでも涼しい。日光さえ遮るものがあったら、20度から25度くらいの涼しさを満喫できる。でもね、5月の北軽井沢は、まだ新緑が完璧ではないのです。木々に葉っぱが生えてなかったりする。だから、本来は涼しいはずの北軽井沢の森の中に、紫外線たっぷりの直射日光がはいってきて、涼しくなかったりする。森の中なのに、日光がガンガンはいってきたりする。そのうえ5月は、日没が遅い。毎日、少しずつ夏至が近づいてくるのが5月なのです。けれど、夕方になるとストーブが必要になったりする。これが北軽井沢の5月の気候です。

 なんとなくイメージできたでしょうか?
 5月の北軽井沢のイメージわきましたでしょうか?


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 さて、以下の話は蛇足になりますが、ハイキングを目的として北軽井沢に来られる人にとっては、この蛇足の方が重要な話になるかもしれませんから、よく聞いておいてください。5月の北軽井沢は、まだ寒いために、虫たちが活発に動いては無い。これが6月の山になると虫たちが大量発生します。小バエ・羽アリ・蓑虫・毛虫・蚊柱・登山道に出来る蜘蛛の巣・ダニなど。北軽井沢にかぎらず全国の山で大発生します。なので、虫嫌いな人は、6月ではなくて5月にハイキングするといいかもしれませんね。特に登山道を朝一番に登る人は、体に蜘蛛の巣を巻き付けて登ることになりますので、それが嫌な人は、朝8時以降に登るといいかもしれません。


つづく。

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2021年05月12日

雨天に子連れファミリーにおすすめな「佐久市子ども未来館」

 以前、雨が降った時に箱物に入るといいと言う説明をしたことがあります。

 ハコモノというのは、資料館・博物館・ショッピング・温泉といった箱です。幸いなことに、軽井沢・北軽井沢・草津周辺には、箱ものがウジャウジャあります。今回はそれらの中から佐久市子ども未来館について解説したいと思います。その時に、私の独断と偏見による雨天時の子連れ家族が楽しめるベスト7を紹介しました。

7位・軽井沢教育委員会の7博物館めぐり
6位・軽井沢ガラス工房でガラス体験
5位・美土里の洞で陶芸体験(北軽井沢ブルーベリーYGHから徒歩1分)
4位・軽井沢絵本の森美術館・エルツおもちゃ博物館
3位・佐久市子ども未来館
2位・草津熱帯圏
1位・軽井沢おもちゃ王国

 1位は軽井沢おもちゃ王国で、兄は草津熱帯圏です。そして3位が佐久市子ども未来館なんですが、「マネージャー、佐久市子ども未来館て、どういうところ何ですか?」という質問を受けました。そこで今回は、佐久市子ども未来館について少しばかり解説したいと思います。


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この施設は、入館する前の駐車場から楽しい遊びが始まっている。

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 私がこの施設を知ったのは、軽井沢の公園で3歳になったばかりの息子と一緒に遊んでいたら、そこの施設の職員さんらしき人が、チラシを配っていました。そのチラシを見て遊びに行ったわけですが、公園でチラシを配るぐらいだから大したところではないんだろうなぁと、勝手に思い込んでいたんですが、見学してみたら、鳥肌が立つほどのすごい施設だったので驚きました。

 旧ソ連(ロシア)の宇宙船が展示してあったり、月の重力を体験できる施設があったり、テレビで合成画面を作ってみたり、いわゆる体験型の施設でした。おまけにプラネタリウムがあって、子供が喜びそうな アニメのキャラクターが星を解説したりします。

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 写真を何枚か貼っておきますけれど、 これは息子が3歳の時に連れて行った写真です。3歳児でも十分に楽しめるのが佐久市子ども未来館です。こども未来館とはいうものの、 実は大人が見ても十分楽しめる施設です。しかもここ一箇所で1日楽しめる施設ではいます。

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 科学体験工房というのもあって、いろんなイベントをやっていて、プログラミングを教えてくれたり、熱気球を作ってみたり、キーホルダーを作ってみたり、宇宙服を作ってみたりで、子供たちが喜びそうなイベントがいっぱいあります。


1階は主に「地球」と「水・大気」をテーマとして構成された展示フロア。

 サクモ号コックピット・巨大恐竜・化石・地球ウォール・地震・鉱物展示・水の大循環・雲の動き・水の柱・MISASA・人工衛星おおすみ・宇宙船マーキュリー号などがあって、それぞれが楽しく学べるようになっています。

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2Fは「生命」「人間・人類」「天体・宇宙」をテーマとして構成された展示フロア。

昆虫のミニワークショップ・生物の多様性・ヒカリゴケ・佐久にすむ生きもの・ミミズ(分解者)・長野県にすむ生きもの・トレーニングエリア・体内めぐり・サクモ健康食堂・生きもののミニワークショップ・身近な宇宙飛行士・宇宙・宇宙人・アスリートに挑戦・太陽と月と地球・
天体・宇宙の中の地球・太陽系の惑星

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3Fは「宇宙開発」と「未来」をテーマとして構成された展示フロア。

月の重力でトレーニング
未来をつくる技術@
未来をつくる技術A
未来農園

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月面とおなじの無重力体験ができる。

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 ブルーバックでテレビ画面から消えたり、宇宙服を着て宇宙にいる映像を作ったり。


そして人気のプラネタリウムのプログラム!

(銀河鉄道の夜の星空解説)


(ポケモンの星空解説)


(しまじろうの星空解説)

投影スケジュール
http://kodomomiraikan.jp/publics/index/108/#page-content


 受付では、車イスやベビーカーの貸し出しを行っています。飲食スペースもあります。もちろん授乳室もあり、ベビーベッド完備。親子トイレが隣接しています。幼児コーナーもあり、未就学児がくつろげるスペースもあります。図書コーナーには、児童向け学習書がたくさん置いてあって、まるで図書館です。面白いのは、売店で、宇宙食をはじめ、宇宙・恐竜・科学・鉱物などのグッズを100種類以上販売しています。

 でも、一番面白いのは、佐久市子ども未来館館長(島崎直也)です。ピンクのモヒカン頭の人で、これが本当に館長?という感じです。

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 でも、ほんとに、このモヒカンの人が館長さんで、これでも佐久大学信州短期大学部福祉学科の非常勤講師ですから驚きます。ツイッターのフォロアが8万人。Facebookでも有名な人で、私もお友達に入れてもらってます。もちろんウィキペディアにも掲載されている有名人です。なので、雨天の時は、佐久まで足を伸ばしても面白いと思います。北軽井沢ブルーベリーYGHから車で50分です。

http://kodomomiraikan.jp/
〒385-0022 長野県佐久市岩村田1931-1 TEL:0267-67-2001 FAX:0267-67-273


つづく。

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posted by マネージャー at 23:58| Comment(0) | 総合観光案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年05月06日

5月中旬くらいから6月にかけて北軽井沢

 朝の10時頃にここあさま山に登ったんですが、あまりに暑いのでどうしたんだろうと温度計を見たら21°もありました。下界の人にとっては摂氏21度というのは、暑いと言うには低過ぎるかもしれませんが、北軽井沢で21°となると、夏のちょっと手前のような気温です。ふと見たら浅間山の雪もほとんど溶けてなくなっていました。これから初夏に入っていくのかもしれません。

ところで
「マネージャー、新型コロナが怖くて、ゴールデンウィークに北軽井沢に行けなかったので、5月中旬くらいから6月にかけて北軽井沢に遊びに行こうと思うんですが、どういうところを回ったらいいんでしょうかね?」
という質問がありました。素晴らしい質問です。


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 実は、ゴールデンウィーク以降の北軽井沢は、ぱったりとお客さんが来なくなる時期です。北軽井沢というのは面白いところで、ゴールデンウィークにどどっとお客さんが押し寄せて、 その後にぱったりと来なくなって、7月ぐらいになって、暑くなるとどどっと押し寄せてくる。だから5月中旬から6月というのは、 オフシーズンみたいになっている。

 なんですが、実は5月から6月にかけての北軽井沢が、一年で一番いい時期なんです。暑くもなく寒くもなく、それでいて浅間高原には花がいっぱい咲いている。 5月だったらシャクナゲの花。6月だったらレンゲツツジの花。もうちょっと標高をあげれば高山植物の花畑が満開状態になる。野鳥の動きも活発になって、ひなどりにエサをどんどん運んでいる。

  というわけで、5月なら「しゃくなげ園がいいですよ」と言いたいところなんですが、実は今年のシャクナゲは不作であることが分かっています。原因は、ゴールデンウィークに突然降ってきた雪のせいです。この雪ののためにシャクナゲの蕾がすべて枯れてしまいました。なので今年のしゃくなげ園はあまり期待ができなさそうです。つぼみだけは大量にあるんですけれど、それらが開花することはあまりなさそうです。

 ただし、高峯山や篭ノ登山あたりのシャクナゲは、よさそうです。
 小桟敷山のシャクナゲもいいですね。
 開花は、6月初旬頃です。

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 高山植物も例年以上によさげです。標高を少し上げて、湯の丸山とか 、角間山辺りに行けば、お花畑が大量に見られます。野反湖のシラネアオイもよさげですね。新型コロナによって、東京ディズニーランドなどのインドアのレジャーが危険視される中で、三密に程遠いアウトドアこそ、最もお勧めできるレジャーだと思います。特に軽井沢は、昔から天然の病院と言われていて結核などの重病を直すこことで有名ですから、どんどんハイキングをして免疫力を高めることが必要だと思います。


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 特にファイザーのワクチンを打つ予定のある人たちは、ワクチンに負けない体を今のうちに作っておくべきですね。 その度にはカラマツなどの松科の多い浅間山の自然の中から元気をもらって、ナチュラルキラー細胞を増やしていくといいと思います。


つづく。

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ラベル:シャクナゲ
posted by マネージャー at 23:16| Comment(3) | 総合観光案内 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする