2022年06月19日

山菜とりの人が熊に襲われる理由【4】

 地元民が、業者が、観光客が、知らず知らずツキノワグマを餌付けしている事実を発見してしまった。道路に捨てられているゴミである。夜の8時頃に国道146号線を車で走っていたら大型犬くらいの野生動物がいた。

 子熊だった。

 北軽井沢に引っ越してきて20年になるが、はじめて国道146号線で子熊を目撃した。断っておくが、国道146号線にクマがでたという話は20年間、聞いたことがない。県道235号とか、別の道路なら何回か見かけたことがあるが、国道146号線でクマ。それも子熊をみたのは私が初めてでは無いだろうか?

 問題は、その子熊がコンビニ袋を咥えていたことだ。
「あちゃー、餌付けされている」
と、私は頭をかかえてしまった。ゴミが、どうして餌付けに繋がるのか?

 このへんのところが、理解しにくいと思うので、もうすこし掘り下げて解説します。空き缶やペットボトルのゴミには、何も入ってないことが多いと思います。だから、それがクマに対する餌付けという考えに結びつかない。しかし、多少でもクマを知っていたら、冷や汗が流れるほど恐ろしいことなのだ。

 ツキノワグマ・ヒグマという動物は、本当に不思議な生き物で、ふだんは山菜などの植物を食べていますが、どういうわけか、ある時期(5月下旬から7月)になると、一日中、林道・崖地・河原でウロウロするようになる。そして石をひっくり返しては、ひっくり返した石の裏をペロペロとなめている。まわりに好物の蕗やコゴミやマガリネのタケノコがあっても見向きもしないで、林道のわきにある石を裏返しては、それをペロペロなめている。浅間山山麓には、崖地も多いので、そういうところに出没しては、岩をひっくり返しては石をペロペロなめていたりする。

 そういう光景を浅間山北面(シラ禿げルート)の登山中に何度も私は、みたわけですが、ツキノワグマのやつは、私に気が付いて、こちらを振り向いても、逃げるでも無く、面倒くさそうにそっぽをみて、岩をほじくっている。「人間なんかにかまってられるか」という感じで、何かに熱中している。その何かというのは、蟻・蜂などの昆虫類だ。あの巨体から信じられないことなのだが、小さな小さなアリを一日中食べている。そんなもの食べたって腹の足しになるとは思えないけれど、それでも必死に食べている。それも子連れの母熊が食べている。








 三十年前の知床のルシャでもそうだったけれど、子熊が草原で遊び回っているのを放置して、林道でアリを食べて、番屋の漁師さんたちに怒られて車で追い回されている光景を私は見ている。あたり一面、ヒグマの大好物が茂っていたにもかかわらず、ちっぽけなアリばかり追いかけていた。

 知床の森の中で、クマと鉢合わせしたことがあったが、お互いに気まずそうにして、睨み合い、クマの方から逃げていった。その時、天地が揺れた。地震がおきていた感じだった。しかし、クマが藪の中に消えた瞬間も地震はおさまった。藪の中から、こっちを伺っているようだった。どうしてだろう?と不思議に思っていたが、謎は直ぐに溶けた。私たちが腰掛けていた倒木に、虫たちがたくさんいたのだ。クマは木登りをするのだが、クルミを食べたりする以外に、樹に這いつくばっている虫たちもよく食べる。だから例外なくクマは樹の登りが得意なのである。

 なぜ、それほどまでして、小さなアリを食べることに夢中になるのか? その理由は、よく分かってない。よく分かってないが、アリ・蜂が大好物なことは確かなのだ。

 こうなると、道路脇に捨てられた空き缶が問題となってくる。6月の浅間高原は、アリの大発生時期だからだ。何十年かに一度は、羽アリが大発生して別荘地を襲うことがあるくらいだ。ちょっと油断すると、どの家にもアリの大群が攻めてくる。だから6月になると家のまわりに忌諱剤(石灰の粉)をまくか、基礎のところに白チョークで線をかくのが普通である。そうやってアリを防がないと、どんどん侵入してくる。そのくらいアリが凄いところなのだ。

 そんな場所に缶コーヒーなどの空き缶を投げ捨てたらどうなるか? たちまちアリの大群がやってくる。もちろんクマたちもやってくるわけである。缶ビールも一緒である。というか、アリはビールが大好きなので缶ビールの缶が捨ててあったら、どんどんわいてくる。クマたちももれなく付いてくる。こうして人間たちに餌付けされていくのである。そして、人間界にクマたちが、どんどん接近していき、最悪、射殺されかねない。これはお互いにとって不幸なことです。


つづく。

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2022年06月17日

山菜とりの人が熊に襲われる理由【3】

 熊は藪漕ぎが好きでは無く、開けた平原や林道や登山道を好みます。だから山菜採りの人とかち合うことも多い。あと山菜とりで人が熊に襲われる場合、ほとんどが営林署の林道。林道は車が通らないので熊にとっては自分の庭みたいなもの。子熊と母熊が、林道をはさんで両側にいる場合、そこに人間がきたら危険もいいところ。子熊は二頭生まれるのが普通ですから、合計三頭が広範囲に散らばって山菜を食べている。そこに人間が入ることは非常に危険。





 それからツキノワグマの親子は、二年くらい一緒に行動します。ヒグマは三年。子離れが遅い。つまり二年目の子熊がいる可能性がある。
 見た目が巨大な熊でも、好奇心の高い子熊の可能性であるかもしれない。そうなると巨体の体の子熊が、興味本位で人間に近づいてくる可能性があり、それを見つけた母熊は、激怒して突進してくる。

 どうしてか?

 子熊が喰われると思っているからです。
 子熊の生存率は非常に低い。
 オス熊が殺しに来るからです。
 殺して食べてしまう。
 殺されては敵わないから必死になって防衛する。

 どうしてオスは、子熊を殺しに来るのか?

 オスのツキノワグマが子熊を殺す事例を世界で初めて学術的に確認したのは、熊関係で有名な栃木県の熊仙人こと横田さん。接骨院を経営している横田博さんです。それがNHKのテレビで放送されています。

 この横田さんは、それ以外にも数々の大発見をしています。
 例えば熊剥ぎと言われている行為が何であるかも横田さんの撮影によって原因が分かっています。

 熊剥ぎというのは、ツキノワグマが、カラ松の樹皮を剥いでしまう行為ですが、どうしてツキノワグマが樹皮を剥いでしまうのか長年わかりませんでした。ある研究者は、匂い付けのためではないかと言っていましたが、横田さんの撮影によってそれが違うことが証明されています。横田さんのカメラには、ツキノワグマがカラ松の樹皮を剥いで糖度の高い樹液をペロペロと親子熊が舐めているシーンがバッチリ映っていました。

 それから驚く話に、牛小屋の乳牛の隣に現れたツキノワグマ。なぜ牛小屋に現れたかというと、牛の飼料であるデントコーンを食べに来ていた。しかも頻繁に来ているせいか、牛は熊が来ても暴れなくなり、牛の隣で熊が堂々と寝ていることもあったという。

 しかも熊の足跡は三頭あった。けれど一緒に現れているのではなかった。まずオスがやって来て、牛のエサのコーンを食べる。その間、母親と子供の熊は林の中に潜み、オスがいなくなるのを待っている。オスが子熊を食べてしまうからだ。こういう驚くべき事実を横田さんは、次々と発見していった。

 こうして素人カメラマンの横田博さんが、接骨院をやりながら数々の大発見をしていった。28年間にわたってひたすらツキノワグマを追いかけた素人さんがプロの研究者も成し得なかったことを次々と発見し、学術論文に乗せるわけでもなし、ただひたすらにホームページで情報発信している姿は非常に健気な感じがします。これからも横田さんを個人的に応援していきたいと思っています。





 それはともかくとして、横田博さんが撮影していたツキノワグマの映像に興味深いものがありました。

 それはメスのツキノワグマが、二匹の子熊に授乳しているシーンなのですが、そのシーンが熊に見えなかった。
 人間にしか見えなかった。
 おっぱいを飲んでいる二匹の子熊に対して、そっとナデナデしていた。

 その姿は
「いい子、いい子、いい子だねえ」
と口ずさんでいるように見えた。

 人間のお母さんが、わが子を愛おしく抱きかかえているようにしか見えなかった。私も、いろんな動物の授乳シーンをみているけれど、子供を愛おしい目で見守りながら、そっとナデナデしている光景は、生まれて初めてみた。

 犬でも、鹿でも、猿でも、そっと我が子を手でナデナデしている姿は想像できないが、横田さんが撮影したツキノワグマの授乳シーンは、人間のように子熊に
「いい子だねえ」
とナデナデしていた。

 母熊の声が聞こえてくるようだった。
 私の目には人間の母親に見えてならなかった。
 それほど母性愛が圧倒的だった。
 人間の母親にしか見えなかった。

 猿では、こうはいかない。
 背中が曲がっている。
 しかし熊の背筋は直角にピンと伸びていて、人間と同じ姿勢をとることができる。
 二匹の子熊がおっぱいを飲んでいるのだが、母熊は、両手で抱え込んで、子熊に対してナデナデしつつ目をほそめていた。

 愛あふれるその行為に私は、
「熊は人間そのものだなあ」
と涙ぐみながら思ったわけだが、その思いは次のシーンで裏切られます。


 母熊が、あれほど子熊を大切に育てている親子熊のところに、オス熊が襲いかかってくる。
 子熊を食べるために襲いかかってくる。
 母熊は、必死になって抵抗する。
 命がけで戦うのだが、体格差はいかんともしがたい。
 それでも必死になって子熊を守ろうとする。

 しかしオス熊は、母熊と戦うというより、あくまでも子熊を殺そうと、その一点に全力集中する。
 母熊は、それをブロックせんと必死にもがくが、組み合って二匹とも崖に落ちていく。
 しかし、それはオス熊の作戦だった。母熊が崖を落ちた隙をついてオス熊がダッシュで戻って、子熊を殺してしまうのである。
 その瞬間、母熊は呆然と立ち尽くし、脱力してしまうのだ。

 その時の母熊の悲しそうな姿は涙無しにはみられない。
 きっと母熊は、このような体験を何度もしているに違いない。
 こういうことは、野生動物の間ではよくあることで、ライオンなどの猛獣も普通に子供を殺します。





 長い前置きになりましたが、ここで本題に入ります。
 山菜とりの人が熊に襲われる理由です。
 子熊の生存率が低い理由はすでに述べたとおりです。
 子熊がオス熊に食べられてしまうからです。

 そういう環境下で子育てをしている母熊がいて、そこに山菜採りの人間がノコノコやってきたらどうなるのか?
 母熊にしてみたら子熊のピンチを感じるに違いない。

 母熊は、つねに身構えている。
 子熊の命を守るために必死になっている。
 命がけで我が子を守っている。
 そこに不用意に人間が近づくとどうなるか?

 軽井沢でツキノワグマの保護管理に取り組むNPO法人ピッキオは、2021年9月23日にオスのツキノワグマが子熊を殺す事例を国際熊協会の学会誌「Ursus」に掲載しています。これはピッキオが、出産確認のために冬眠穴前に設置したセンサーカメラに子熊殺しの実際が写っていた。それについての報告ですが、撮影された映像は衝撃的なもので、四時間半にわたるものでした。

 2016年5月6日正午頃、メス熊(ミロク)とオス熊(アクオス)と二時間半にわたって壮絶な死闘を行いました。二時間半も母熊は子熊を守ろうと死にものぐるいで戦った。しかし、16時半頃にオス熊(アクオス)が、子熊をくわえて持ち去っていたことが映像として写っていた。
 戦い始めて4時間半もたっていた。4時間半も戦っても子熊を守れなかったメス熊(ミロク)の無念はいかに?

 子熊を殺されたメス熊(ミロク)は、満身創痍の傷だらけで、8日後の5月14日に冬眠穴から500メートルのところで死体で発見されています。この事例をみても、母熊にとって子育ては命がけであることが分かります。ツキノワグマに限りません。ヒグマにしても、ホッキョクグマにしてもオスの子熊殺しの事例は、数多く報告されています。

 熊に限らずライオンなどの猛獣も普通に子供を殺します。夫婦で協力して子育てするライオンでさえ、自分の遺伝子ではないライオンの子供を殺しまくる。縄張りに、流れ者のオスライオンがやってきて、縄張りのオスライオンが戦いに敗れて死ぬと、流れ者のオスライオンに子供のライオンたちは全て殺されてしまう。

 子供を殺してメスの発情を促し、自分の遺伝子を後世に残そうとする。だから夫を失った雌ライオンは、子供が殺される前に、わが子をつれて旅に出る。群れを離れてしまう。

 子供のライオンを狙うのは、流れ者のオスライオンだけで無い。チーター・ヒョウ・ハイエナ・リカオン・象などもすきあらば殺しに来る。子供を殺してライバルを減らそうとする。自然界には、そういう厳しい掟がある。

 そういう自然界の中で母熊は、ピリピリ生きている。命がけで子育てをしている。そういうピリピリしているところに呑気な人間たちがやってきたらどうなるか? 想像するだけでも恐ろしいと私は思ってしまう。

 一般的に母熊は、子熊を二頭産むので、二頭みかけたら、もう一頭、近くにいると思って間違いありません。その状態が一番危険な時です。母熊がどこかに隠れている可能性が高くて、子熊は無邪気にしている状態です。なので、二頭みかけたら人生最大のピンチだと思って、一刻もはやく立ち去るべきです。間違っても撮影しようとは思わない。子熊は二頭いるのが普通です。母熊を含めて合計三頭が広範囲に散らばって山菜を食べている。そこに人間が山菜採りに入るとどうなるか?

 これが登山客ならまだいい。登山客は、登山道をはみださないし藪の中をウロウロしない。だから母熊も、そっとやりすごすゆとりをもっている。しかし、山菜採りの人間は、そうではない。ウロウロしては子熊に近づいてくる。母熊のストレスはMAXになるに違いない。

 だから安易に春先に山菜採りに行かない方がいい。
 熊たちを刺戟しない方がいいのです。
 母熊が命がけで、子育てしているのですから。
 これは登山者にしても同じで、安易に登山道から離れない方がいいのです。




つづく。

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2022年06月16日

山菜とりの人が熊に襲われる理由【2】

 私は二十年以上前に知床の山中で四十回ちかくヒグマに出会っていますが、熊の習性は地域によってまったく違っていました。斜里町側と羅臼町側では全く違うし、同じ羅臼町でも一山越えると全くキャラクターが違っていた。相泊では鎖で繋いでいる犬が熊に食べられていた。

 しかし、そこから5時間ぐらい歩いていったところの漁師小屋では、犬を放し飼いにしているためか、熊は漁師小屋に近寄らない。その小屋は無人の時に熊が侵入し、ジュースだのお酒だのを食べていてニュースにもなっているにもかかわらず犬を恐れて近寄ってこない。しかも、その犬というのは、チワワに毛の生えたような豆柴犬の雑種。

 面白かったのは、ルシャというところの漁師たちと熊たちの関係。そこにはヒグマが大量にいて、熊たちが林道に入り込むと、漁師たちは車で追いたてる。熊は逃げる。といっても、林道から5メートルぐらい藪の中に入ったら、漁師たちは放置したままです。だから熊たちは、林道に入らないように、一日中、フキを食べています。こうして目と鼻の先で、共に生きているわけです。

 こういうことが可能なのは熊の知能が高いからです。知能が高いゆえに個体によって性格の差がありすぎる。つまり熊に対する対処方法というのは、これといった決め手がない。傘を開くと逃げる熊もいれば、逆に向かってくる熊もいます。火を恐れる熊もいれば、恐れない熊もいる。逆に言うと、その知能指数の高さを、学習能力の高さを利用して、熊に対処することもできるはずです。

 一般的に言って知能の高い動物は臆病。用心深い。だからこちらからサインを出して、相手に用心させれば、相手の方で勝手に消えてくれることが多い。もし出会ったら動かずに、じーっとにらみつける。場合によっては戦う事。絶対に死んだふりをしてはいけない。日本においては死んだふりをして助かった事例はない。たくぎん総研の報告では、鉈で戦ったケースが生還率が高いとある。臆病な動物ですから熊も驚いたのでしょう。





 話は変わりますが三歳以上の日本犬が、あれほど排他的で攻撃的なのは、私たちの祖先が熊に対して対処するために改良した結果だと私は推測しています。熊は臆病ですから、訓練した日本犬を放し飼いにしていれば、熊たちは嫌がって近づかないはずです。

 とは言うものの、今の日本の社会ではそういうことが不可能。そもそも熊は、犬より知能が高く学習能力も倍ぐらいある。訓練されてない犬と熊を競わせたら犬に勝ち目が無い。犬が熊に勝てるとすれば、人間によって訓練された犬しかないわけで、そうでない犬は無能もいいところ。

 ペットの犬を連れて散歩中に野生の熊に出会ったら絶望的です。訓練されてないペットの犬は、飼い主を死においやる可能性がある。ペットの犬は、吠えて熊を挑発したあとに、怖くなったら飼い主の後ろに逃げることが多い。熊は逃げるものを追いかける習性があるので、飼い主の方に突進してくることになり、命が危険にさらされる。訓練した猟犬は、吠えながら熊を飼い主のいるところから熊を遠ざけてくれるし、そのあとに飼い主に戻ってくる。

 そういえば去年の9月頃に小浅間山で二匹のイングリッシュセッターが迷っているのを発見した。連れて帰ろうとしたが、親子だったようで母親が攻撃してくるので連れて帰れなかった。仕方が無いので長野県と群馬県の保健所に連絡したわけだが、すでに失踪届はでており、飼い主さんと連絡が繋がって犬は無事に確保された。その時に保健所の職員が
「犬には帰巣本能がないのですか?」
と聞いてきた。
「ないです」
「ないんですか?」
「イングリッシュセッターは猟犬ですが、訓練をしないかぎり自力で家に帰ることはできません。どんどん迷子になって死を迎えるケースが多いと北軽井沢動物病院の院長さんも言ってます」
「そうなんですか?」

 毎日のように犬を保護している保健所の職員からして、このレベルなので仕方ないことですが、犬は人間に似ていて訓練・学習してないと馬鹿になります。あれほど嗅覚に優れていても、ちょっと離れただけで自宅に帰れなくなる。最初から放し飼いにしていれば、そういう事はないのですが、常に繋がれたままの犬は、野生の熊に太刀打ちできない。

 軽井沢では犬を飼う人が多いために、毎日のように迷い犬を探す情報がネットにでてきます。逃げ出した犬が帰れないで迷っている例がワンサカある。地域住民は、みんな軽井沢SOSという情報サイトに登録しているのですが、そこに毎日のように迷い犬を探している情報があがってきて、とんでもない所で発見されたりしている。

 一番酷いのになると、軽井沢の街中で迷子になった犬が、二週間後に浅間山の頂上でガリガリに痩せた状態で発見されていた。犬を飼っている登山客が驚いて保護したのだが、どうして飼い犬が標高2568メートルの浅間山の頂上にいたのか不思議でならない。距離を考えてもそんなところに迷い込む理由がない。これを考えても犬に帰巣本能が無いことがわかります。

 猟犬が必ず猟師のもとに戻ってくるのは、訓練されたからであって、犬という動物は訓練無しに何かができる動物では無い。人間と一緒で、学習することによって能力を発揮するタイプの動物です。そこが野生のオオカミと違うところ。

 だから熊と犬では、圧倒的に熊の方が頭がいい。逆に言うと人間が訓練してやれば驚くほどの才能をしめすわけだが、あくまでも訓練すればのことであり、普通のペットとして飼われた犬は、野生の熊に対して驚くほど無能で、しばし飼い主を窮地に陥れます。

 犬が大人になるのに一年ぐらいかかりますが、熊が大人になるのに四年もかかる。つまり学習期間が四倍ある。ヒグマの子供は、母熊と三年間も一緒に暮らす。三年間にわたる学習によって熊たちは大人へと成長する。犬の三倍の学習期間をもつわけで、そのうえ犬より二倍以上寿命が長い。つまり犬の倍の経験値をもつ。そのためにマタギたちは、非常に熊を恐れます。下手したら熊は人間よりも頭がいいとマタギたちは思っている。

 実際、熊を飼ってる人たちの話でも、熊は頭がいいと言っている。長野市に宮崎さんと言う人がいて、その人は全国あちこちの動物園から子熊を譲り受けて、最大で十匹という複数同時に熊を育てた人ですが、その人の話によれば、ツキノワグマは、首輪とワラ縄の紐を付けない限り自分の家の敷地から絶対出ようとしなかった。隣地との境界線をしっかり認識していた。だから他所の土地に無断で絶対に入らなかった。で、首輪とワラ縄の紐を持ってきて、お座りして散歩のおねだりをする。

 犬よりも猿よりも頭がいいけれど、宮沢さんが躾けたわけでは無い。相手が勝手に学習してしまったのだ。10匹同時に飼っているから、個別に躾けることなんかできない。一日に10分くらいしか相手してやれない。それでも10匹いるから100分も拘束される。動物王国のムツゴロウさんと違って宮沢さんは、ごく平凡なサラリーマンですから、熊の相手するのにも限界がある。

 にもかかわらず、よく訓練された犬のように無邪気で礼儀正しくなっているのは、ツキノワグマがそれだけ知能が高いからで、この知能の高さと学習能力によって、人間に対して臆病にもなるし、いくらでも凶暴になりえる。


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 油断ならないのは、熊も病気をするということ。知床の事例で記憶しているのですが、人間に突進してくる熊がいて、それを殺して解剖したら末期癌だった。つまり、余命短い熊で激痛に苦しんでいた。激痛ために冷静な判断ができなくなり、用心深さも吹っ飛んでしまって人々に突進してきた可能性がある。そういう事例もある。そういうことも頭の隅に置いておくといい。例外もありえるということが。

 ツキノワグマによる人身事故で一番有名なのは十和利山熊襲撃事件だと思います。これはどういう事件かと言うと、2016年(平成28年)5月20日から6月10日にかけて、秋田県鹿角市の十和利山山麓で発生した事件で、ツキノワグマが山菜採りに来ていた人を襲って四人が死亡、四人が重軽傷を負ったというもので、ツキノワグマにおける最悪の獣害事件で、非常に珍しいケースです。
 で、これと似たケースが、軽井沢でもおきています。やはり5月から6月にかけて山菜とりの人が軽井沢でツキノワグマに襲われています。どうして山菜採りの人が襲われるかというと、熊は、自閉症的に、確保した物や場所を保持しようとします。そこにライバルがやってくると、ライバルを排除する習性があります。

 長野県・秋田県の山菜採りの人は、趣味で自分が食べるために採ってるというより、業者さんのように大量に山菜を採る人たちで、そういう人たちが自分のテリトリーを荒らし回るわけですから、熊たちは怒って排除する。一般的に言って熊は、エサをみつけたら、そこから動かずに食べ続けます。山菜は、食べられる時期というか瞬間が短いですから、それを横取りしようとする奴が現れたら怒るのが当然です。

 また、この時期は、発情期のちょっと前に当たり、オス熊は、体力を蓄えなければなりません。人を襲って大惨事になるのは、このオスの方です。十和利山熊襲撃事件における四人の犠牲者のうち三人を襲ったとみられている熊もオス(84キロ)で、四歳だったといいます。

 あと熊は藪漕ぎが好きでは無く、開けた平原や林道や登山道を好みます。だから山菜採りの人とかち合うことも多い。

 私も鼻曲山で何度も熊に会ってますが、姿を見ることはあまりなく、藪の中にいるのを確認することが多い。私たちが登山道を歩くと、先に気がついた熊が藪に隠れているわけで、藪をミシミシ言わせて大きな黒いものが動いているのがみえたり、藪が動いているのがみえたりする。

 こういう時は、かならず匂いがします。で、私たちが去って行くと、熊も登山道にもどって、食事を再び始める。もし、私が、そこに留まって山菜を採っていたら襲われた可能性があります。


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 それから山菜とりで人が熊に襲われる場合、ほとんどが営林署の林道。営林署の林道は車が通らないので熊にとっては自分の庭みたいなものです。子熊と母熊が、林道をはさんで両側にいる場合、そこに人間がきたら危険もいいところ。

 子熊は二頭生まれるのが普通ですから、合計三頭が広範囲に散らばって山菜を食べている。そこに人間が入ることは非常に危険。

 それからツキノワグマの親子は、二年くらい一緒に行動します。ヒグマは三年。子離れが遅い。つまり二年目の子熊がいる可能性がある。
 見た目が巨大な熊でも、好奇心の高い子熊の可能性であるかもしれない。そうなると巨体の体の子熊が、興味本位で人間に近づいてくる可能性があり、それを見つけた母熊は、激怒して突進してくる。

 どうしてか?

 子熊が喰われると思っているからです。子熊の生存率は非常に低い。オス熊が殺しに来るからです。殺して食べてしまう。殺されては敵わないから必死になって防衛する。

 どうしてオスは、子熊を殺しに来るのか?
 長くなったので、続きは明日に。



つづく。

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2022年06月15日

山菜とりの人が熊に襲われる理由【1】

 私は、宿屋をやってる関係上、毎日のように北軽井沢から軽井沢まで買い出しに行きます。ガソリンが高いので、山道を30分も走って軽井沢まで買い出しに行きたくないのですが、息子が軽井沢で水泳やバスケなどで遊ぶこともあって、高いガソリン代には目をつむっています。というわけで、買い出しは、息子が学校が終わる16時から夜の20時頃に行っています。

 で、夜の20時頃に国道146号線を毎日のように走っているわけですが、どういうわけか? ここ最近、野生動物が目立つことに気が付きました。20年前には絶対に見かけることのなかったニホンザルの親子が、道路の真ん中にいて、とても危険なのです。しかも、そのサルたちは、わざと道の真ん中にいて、車を止めるようにする。危険なので、急ブレーキをかけて止まるのですが、止まるとサルたちが車に近づいてくる。

 あきらかに餌付けされて、
 学習してしまったサルたちだ。
 こういうことは、勘弁してもらいたい。
 絶対に止めてもらいたい。


 サルを餌付けしたら、それがもとで交通事故の大惨事になり、下手したら交通事故で、何人かの人命が失われることになるということが、想像できないのだろうか? 





 これは、ツキノワグマにも言えます。地元民が、業者が、観光客が、知らず知らずツキノワグマを餌付けしている事実を発見してしまった。道路に捨てられているゴミである。実は、軽井沢と嬬恋村と北軽井沢の観光協会の合同で、4月に国道146号のゴミ清掃を行った。

 その時、ものすごい違和感があった。ゴミが、道路から、森の奥深くまで広がっていることである。マナーの悪い観光客といえども、わざわざ森の奥深くまで捨てに行くことは無いし、そもそも危険で一般人が入ることなど不可能であるのだが、現実にゴミは、森の奥深くまで広がっている。

「風で飛ばされたんだよ」

という人もいたが、缶コーヒーの缶が風で100メートルも飛ばされるわけがない。しかも、その缶は古いモノではない。賞味期限前の日付が刻印されていたからだ。それがどうして、森の奥まで運ばれているのだろうか? その疑問が頭から抜けなかった。

 そして、ゴールデンウイークが過ぎ去って、5月の中旬頃に国道146号線を走ってみたら、またゴミが散乱していた。といっても、森の中にゴミは無い。道路のわきにゴミが散らばっている。ここまでは、毎年みられる風景で、個人的にゴミ清掃に行かなければと、なんとなく思いつつ、何日かすぎて、夜の8時頃に国道146号線を車で走っていたら大型犬くらいの野生動物がいた。

 子熊だった。

 北軽井沢に引っ越してきて20年になるが、はじめて国道146号線で子熊を目撃した。断っておくが、国道146号線にクマがでたという話は20年間、聞いたことがない。県道235号とか、別の道路なら何回か見かけたことがあるが、国道146号線でクマ。それも子熊をみたのは私が初めてでは無いだろうか?

 問題は、その子熊がコンビニ袋を咥えていたことだ。
「あちゃー、餌付けされている」
と、私は頭をかかえてしまった。とっさに車のクラクションを思いっきりならして、ライトをハイビームにした。子熊は逃げていった。これが5月中旬。そして、6月初旬にも、国道146号線で子熊をみかけた。ペットボトルを咥えていた。この瞬間、どうして道路脇では無く、森の奥深くにゴミが散乱していたかがわかったような気がした。





 前置きはこのくらいにして本題に入りたいが、
 文章が長くなったので続きは、明日にします。

 

つづく。

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2022年04月25日

今日、11時33分。小浅間山にクマの親子が・・

 今日、11時33分。小浅間山にクマの親子が・・山の南斜面にまったりしていました。登山者が多い状況だったので、危険喚起のために大声で奇声をあげてかえりましたが、しばらくの間は、小浅間山の登山を控えた方がよいかもしれません。親子熊という点で、非常に危険です。小浅間山から千ヶ滝に下る途中にクマの巣があったりするのですが、子熊を食い殺そうとするオス熊を避けて、小浅間山に逃げてきた可能性も否定できず、母熊は、かなりナーバスになってる可能性があります。

 もし登山道をはさんで、上下左右に親子熊が分かれていて、それを知らずに登山者が登山道を歩いてくると、襲われないともかぎりませんので、充分に注意してください。また、訓練されてない犬は、相手を威嚇して、そのうえで御主人の背後に逃げるので、かえって熊を呼びよせる可能性がありますので、注意してください。





 ちなみに浅間牧場・天丸山の先にも、熊の痕跡がみえます。浅間牧場の第2駐車場に向かう途中の林には、クマ剥ぎされた広葉樹林がよく見えます。かなり人里まで近づいていることがわかりますので、これも注意すべきですが、親子では無いので、まだ小浅間山よりましです。クマについての詳しい話は、後日、述べたいと思います。




つづく。

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2021年12月10日

クマについて【17】子熊を殺すオスのツキノワグマ

 軽井沢新聞を読んでいたら、ツキノワグマの記事が載っていたので珍しいなと思っていたら、その記事は正確ではない記事でした。どんな内容の記事かと言うと ツキノワグマの保護管理に取り組む NPO 法人ピッキオは10月15日オスのツキノワグマが子熊を殺す事例を世界で初めて学術的に確認したと発表したという記事です。


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 どこが正確ではないかと言うと、オスのツキノワグマが子熊を殺す事例を世界で初めて学術的に確認したのは、クマ関係で有名な栃木県の熊仙人こと横田さん。接骨院を経営している横田さんです。彼がもっと以前に子熊を殺すシーンをカメラで撮影して、それが NHKのテレビで放送されているからです。 おそらくピッキオの言っていることは、学術雑誌に世界で初めて発表されたということなのでしょう。世界で初めて確認したのは、栃木県の熊仙人・横田さんです。


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 この横田さんは、それ以外にも 数々の大発見をしています。例えばクマはぎと言われている行為が何であるかも横田さんの撮影によって原因が分かっています。 クマハギというのは、ツキノワグマが、カラ松の樹皮を剥いでしまう行為ですが、どうしてツキノワグマが樹皮を剥いでしまうのか長年わかりませんでした。ある研究者は、匂い付けのためではないかと言っていましたが、横田さんの撮影によってそれが違うことが 証明されています。横田さんのカメラには、ツキノワグマがカラ松の樹皮を剥いで 糖度の高い樹液をペロペロと親子熊が舐めているシーンがバッチリ映っていました。

 それから驚く話に、牛小屋の乳牛の隣に現れたツキノワグマ。なぜ牛小屋に現れたかというと、牛の飼料であるデントコーンを食べに来ていたという。頻繁に来ているせいか、牛はクマが来ても暴れなくなり、牛の隣でクマが堂々と寝ていることもあったという。また、クマは3頭一緒に現れているのではなかった。まずオスがやって来て、牛のエサのコーンを食べる。その間、母親と子どものクマは林の中に潜み、オスがいなくなるのを待っている。オスが子供を食べてしまうからだ。

https://forbesjapan.com/articles/detail/13956(参照)

 どうして素人カメラマンの横田さんが、接骨院を経営しながら数々の大発見をしたかと言うと、28年間にわたってツキノワグマを追いかけて撮影してきたからです。 こういう素人さんがプロの研究者も成し得なかったことを次々と発見していき、学術論文に乗せるわけでもなし、ただひたすらにホームページで情報発信している姿は非常に健気な感じがします。これからも横田さんを個人的に応援していきたいと思っています。





 それはともかくとして、子供を殺すのはツキノワグマだけではありません。ライオンなどの猛獣も普通に子供を殺します。それについては別の機会があったら語りたいと思います。



つづく。
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2021年12月09日

クマについて【16】クマ鈴

クマについて【16】クマ鈴

 嬬恋村では、小学生にクマ鈴の装着を義務化されていたんですが、最近になってようやくそれが廃止になりました。実はクマ鈴は非常に危険であることが分かっています。なので私としては、ほっとしているところです。犬を飼ってる人なら分かると思いますが、高音域の音声は、動物にとっては「ごめんなさい」の意味をあらわします。犬で言えば「きゃんきゃんきゃん」という鳴き声になり、参りましたという意味です。逆に低音域は「この野郎」という意味で犬で言えば「うーっ」という唸り声になります。

 この性質を利用してカリスマドッグトレーナーのシーザーは、問題のある犬に対して「シー!」と強く叫ぶとほとんどの犬は、降参するようにお座りをします。これは、我が家の犬でも言えることで、「シー!」と強く叫ぶとすぐに大人しくなりますが、女性が甲高い声で
「あら可愛いわね」
と言うと、この人間は、多少やんちゃしても甘やかしてくれる人間だと認定してしまい、言うことを聞かなくなります。そういう意味ではクマ鈴は高音域なので、適切な音声を出してくれるものではありません。

 また、食べ物の不法投棄によって人間が食料を持っていると学習していまったツキノワグマが、鈴の音に近寄ってくることもありますから危険です。鈴はクマが嫌がる音を出すわけじゃない。積極的に人間を襲うクマには逆効果です。出会い頭に遭遇してしまった場合は、高音域の音が原因で事故率が高くなる可能性もあります。





 2020年。上高地の小梨平キャンプ場でクマの集団に襲われたり、北アルプスの折立登山口近くのキャンプ場で、電気柵が張り巡らされたキャンプ場のまわりをツキノワグマが徘徊し、クーラーボックスを壊されたり、ザックを持ち去られ、キャンプ場利用禁止になったことがありました。この時、クマ鈴は全く効果が無かったばかりか、むしろツキノワグマを呼び寄せています。

 この他にもクマ鈴をしていてもクマに襲われる事故が頻発しています。鈴はクマ対策には効果がないという見方が一般的になりつつあります。そもそも危険動物に対して自ら音を発するのは、ハイリスクな行為です。

 では、どうして鈴の音が聞こえれば、逃げてくれるという都市伝説が生まれたのか? これは昔は、ツキノワグマをガンガン撃ち殺してきたからです。クマの知能は圧倒的に高いので、犬より頭がいいので、人間を恐ろしい動物だと認識していたのかもしれません。また、昔は林業が盛んであったために、その作業を見たクマたちは人間に怯えていたと、北海道の有名なマタギたちは証言しています。

 知床では、クマうちのマタギが船で接岸してから銃を打ったので、マタギが引退するまでは海岸線にクマが出ることはありませんでした。そうやって学習した結果、クマは人間を恐れるようになったわけです。しかしクマが学習しなくなったら、海岸線にワンサカ出てきます。学習しないクマたちにクマ鈴が効果があるかどうか分かるわけがない。

 そもそもクマは、決して耳が言い方ではありません。十匹のツキノワグマを同時に育てた宮崎さんの話によれば、自分に関わりのある音声には敏感なのですが、そうではない音には全く興味をしめさないそうです。クマ鈴の音が聞こえていても、興味をしめさない可能性がある。

 ちなみにクマは視力も悪い。それを利用して撃退する方法もあります。こちらを大きく見せることによって、クマを怯えさすことで撃退が可能なケースがあります。クマは四つ足で歩きますから、二本足の人間が大きく見える。大きく見えたらクマはビビります。

 ちなみにクマの得意は嗅覚。嗅覚を利用して、出会いをさける方法もあります。木酢・竹酢・蚊取り線香・ナフタリンなどです。30年前に私は知床山脈に一ヶ月間調査でこもっていたことがありましたが、焚き火をガンガン焚くことによって接近を防いでいました。これだって学習してない現代のクマに効果があるかどうか、疑問です。

 一番確実な撃退方法は、クマスプレーでしょう。ナタや登山用のストックも武器として使えるかもしれません。私個人は、クマがいるなと思ったら低音で大声を出します。そうでなかったら、耳をすましします。ヤブが動いてる音がしたら、そこにクマが歩いている証拠です。 特に鼻曲山や、17時以降の浅間隠山・浅間牧場では注意した方がいいかもしれません 。昔の草軽鉄道廃線跡にも普通に出てきます。軽井沢で言うと夕方以降に湯川のあたりによく出てきます 。





 話は変わりますが、このブログにクマのことについて書くようになってから、ちょっと不安になりました。私の持っているクマの知識は、30年ぐらい前の知識ですから、現在のクマに通用するのかどうか、自信がなかった。そこで変な知識をブログで発信してはまずいと思って、図書館に行って何冊かクマの本を読んだんですが、非常に驚いてしまった。30年前と現在ではクマに対する対処方法が全く変わっていたからです。

 30年前はどちらかと言うと、もともとクマが住んでいるところに人間がやってきたので、クマが出てきたら、人間は立ち入らないようにしましょうという人が多かった。あーなるほどそんなもんかなぁと最初は私も思ったんですが、その考えが180度変わってしまったのは、知床のルシャの漁師さんに出会ってからです。ルシャというところは、ヒグマが何十頭もぞろぞろといる場所なんですが、そこでうろうろしていると、漁師さん達がやってきた。

 親切な彼らは、テントを担いだ私たちが、知床山脈を縦走することを目的としてることを知ると、安全なところを教えてくれた上に、色々アドバイスしてくれたわけですが、その時にすごい光景を見ることになります。

 クマが一般道に入ってくると、車で追い払うのです。ガンガン車で追い払う。ただし草原にいる限り無視している。道路にクマがやってくるとガンガン追い払ってしまう。人間のいるところにクマが入っていたら情け容赦なく追い払っていました。当時の自然保護関係者が見たら激怒しそうな光景がそこにはありました。当時は、クマを追い払うなんてもってのほかだという空気が充満していた。ところが最近のクマに関する本を読んでみたら「追い払い」が、重要なテーマになっていた。この30年間で、随分時代も変わったものだなあと感心したものです。昔は、追い払いなんてもってのほか。ここは元々クマの土地なんだからと言われていたので。

つづく。

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2021年12月08日

クマについて【15】十匹のツキノワグマを同時に育てた人2

 続いて長野市の宮崎さんについての話します。
 宮崎さんは十匹のツキノワグマを同時に育てた人です。

 で、ツキノワグマの子熊を育ててみたら、子熊は環境によって個性が全く違ってくるということが解り、後天的な学習によって、いくらでも変化することを発見しました。その体験記録を本にし全国の書店にならびます。このツキノワグマ日記を主に読んだ人は、子供より大人たちだった。私のような動物好きの高校生や、当時の鉄砲猟師(ハンター)たちが、この本に驚愕し、夢中になり、実際にツキノワグマをペットとして飼う人たちもあらわれた。しかし、みんな短命で死んでしまう。

 なぜか?
 栄養が良すぎたからだった。


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 宮崎さんが世に出した「ツキノワグマ日記」は、テレビ放送されるムツゴロウのどうぶつ王国の大ブームにも影響されてベストセラーとなり、これを読む鉄砲猟師たちも多く、クマ撃ちを止める人たちもいて、ペットとしてツキノワグマを飼う人たちも少なからずいた。知能の高いツキノワグマを飼ってみると可愛くてたまらないらしく、ついつい餌をあげすぎてしまう。宮崎さんのツキノワグマも栄養が良すぎていた。10匹もいるので、他の方に比べたらマシだったけれど、それでも糖尿病になるツキノワグマがいた。当時、ツキノワグマには、まだわからないことが多かった。栄養価の高いエサを与えればいいというわけでもなかった。

 マタギたちは、熊は粗食でエサを食べないという。
 動物学者たちは、あの巨体を維持するために熊は大食漢だという。
 どっちが本当なのか?
 長い間、分からなかったのですが、宮崎さんの経験で熊は粗食であることがわかってきた。

 熊にかぎらずイノシシなども粗食。熊は小さなアリを一日中たべているし、イノシシは栄養価皆無のミミズなんかをたべている。それで、あの体型を維持しているのだが、六甲山のイノシシのように餌付けされてパンなんか食べさせられると、急激に巨大化して、糖尿病なんかになってしまう。人間がよかれと思ってやったことが逆に作用する。これはツキノワグマも一緒で、人間の感覚で栄養価の高いモノを与え続けると、糖尿病になってしまう。

 つまりマタギの言うことの方が正解だった。
 クマは粗食だった。
 これは覚えておいた方がいい。
 春にクマは野草の新芽を食べる。
 タケノコの先っちょを食べる。
 山菜を食べる。
 タンパク質の多いものを厳選して食べる。
 そうしないとあの体格を維持できないんだと思う。

 夏になると、野山に草が生い茂る。その草に目もくれずにアリを食べている。何時間も何時間も草原の石ころをひっくり返してアリをみつけては食べる。カロリーという面から考えたら、こういう食生活は非効率そのものなのだけれど、かならず理由があるはず。クマの体型をささえるうえで必用なタンパク質を採取するには、春先に出てくるタケノコの先っちょは絶対にかかせないし、夏のアリ・甲虫も欠かせないものだったのかもしれない。逆に言うとそれらを横取りする山菜採りの業者たちは、熊にしてみたら許せない存在。だから事故が起きてしまう。 山菜とりをする人は、それをよく考えた方がいい。


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 それからもう一つ。飼っているツキノワグマが十匹もいて、一匹のこぐまも生まれなかったのは、日光浴と関係あるらしいこともわかってきた。ツキノワグマもヒグマも日光浴が大好きなのですが、普通の民家でクマを飼った場合、どれだけ大きなゲージを作っても自然の中に生きてる熊に比べて日光浴が少なすぎる。そのために性器の発達が野生の熊に比べて未熟だったらしい。 これが登別のクマ牧場になると、日光浴がし放題なので、こぐまがどんどん生まれています。 けれど宮崎さんの所では、そこまで敷地が広くなかった。400坪の庭は、一般家庭では広いくらいですが、十匹の熊にとっては非常に狭かった。そのために日光浴が足りなかったらしい。

 それから驚いたことは、10円玉を飲み込んだツキノワグマが死んでしまったことです。ツキノワグマのうんちはかなりでかい。私も野生の熊のうんちを見ていますが、 相当な大きさです。だから10円玉の一枚や二枚飲み込んだところで、死ぬなんて普通なら考えられない。しかし実際飲んでしまったら10円玉が腸に詰まって死んでしまった。原因を調べるために解剖してみたら、10円玉が腸を塞いでいた。クマの腸は非常に細い。だから10円玉程度の小さなものでも詰まってしまって便が流れなくなる。それが原因で死んでしまっていた。

 ということは、もし熊の生息区域に十円玉が落ちていたら、 それを飲み込んだ熊は死んでしまうかもしれない。10円玉でなくても似たようなゴミが落ちていたらツキノワグマが死んでしまう可能性がある。 例えばジュースなど甘いものが付着したプラスチックのゴミが、 熊が生息している地域に散らばっていたら、ツキノワグマの命はないかもしれない。そう考えるとゴミの問題は非常にデリケートな問題になってしまう。キャンプ場を使う人たちは、その辺をよく考えて利用した方がいいと思う。

 
つづく。

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2021年12月04日

クマについて【14】十匹のツキノワグマを同時に育てた人

 こん回は、長野市の宮崎さんについて話します。十匹のツキノワグマを同時に育てた人です。クマを育てたといえば、ムツゴロウ王国の畑正憲さんの「どんべい」が有名ですが、あれは一匹だけでした。宮崎さんの場合は、ツキノワグマを10匹同時に育てて、その全てが往生したあと、2度とツキノワグマ育てなかった人です。


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 どうして同時に10匹育てたか?
 そして、どうして2度と育てなくなったのか?
 そして、もう一つ。
 10匹もいたツキノワグマから、なぜ1匹の子熊も生まれなかったのか?

 これらの謎は、あとで話すとして、この宮崎さんによって、ツキノワグマの謎がいくつも解明されています。1匹の飼育では分からなかったことが、10匹同時に飼育することで分かってきた。


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 宮崎さんは、長野電鉄に勤めるサラリーマンでしたが、子供の頃からの熊好きがこうじて10匹の子熊を同時に飼うことを決意する。そのために庭にリンゴの木を何本も植えて、それが大きくなるのを待ち、二人の子供が成長するのを待って、子供たちが動物好きになるったことを確信したうえで、ツキノワグマを飼うことを宣言。親戚・親兄弟・奥さんの反対を粘り強く説得して、全国の動物園に子熊を譲ってもらえないかと交渉しました。で、全国から子熊が、どんどんやってきた。

 で、ツキノワグマの子熊を育ててみたら、それぞれの個性が全く違う。恐ろしいほど違う。つまり生まれた環境によって全く違う個性になっていた。宮崎さんは、ぼやかして言って、はっきり言ってませんが、A動物園からきた子熊は、人なつっこくて甘えん坊で、賢い子熊ばかり。しかし、B動物園から来た子熊は凶暴だった。理由を調べたら、御客さんサービスのために食料を減らして冬眠を阻止したために凶暴になったとのこと。宮崎さんは、この凶暴な子熊に苦労します。





 まあ、そんなことは、どうでもいいとして、何が言いたいかというと子熊は環境によって個性が全く違ってくるということです。つまり後天的な学習によって、いくらでも変化するのが熊の本質。非常に学習能力が高いことを、10頭同時に飼うことによって宮崎さんは発見しました。そして、その体験記録を本にして、偕成社の少年少女ドキュメンタリーの18巻として全国の書店にならびます。私は、高校生の時に、その本を買って読んだわけです。

 偕成社といえば、「はらぺこあおむし」とか「ノンタン」で有名な児童向けの出版社ですが、50年前は、浜田廣介(ないた赤鬼)・いわさきちひろ(龍の目のなみだ)が有名で、私は幼児の頃に、母親に偕成社の絵本を買ってもらっています。うちの嫁さんが生まれた頃には、「カラスのパン屋さん(かこさとし)」なんががベストセラーになっています。

 また、偕成社は高学年向きの本を出していて、当時ベストセラーだった少年少女ドキュメンタリーには
「第1巻・月へいくアポロ宇宙船」
「第2巻・ニューギニアに人食い部落を求めて」
「第3巻・ゼロ戦と戦艦大和」
「第6巻・昭和基地の越冬生活と極点征服」
「第13巻・戦艦物語」
というものがあって、当時の子供たちは、これらの本に熱中しました。その中に宮崎さんの本(ツキノワグマ日記)があったのですが、このツキノワグマ日記を主に読んだ人は、子供より大人たちだった。私のような動物好きの高校生や、当時の鉄砲猟師(ハンター)たちが、この本に驚愕し、夢中になり、宮崎さんと懇意になり、実際にツキノワグマをペットとして飼う人たちもあらわれた。で、彼らはツキノワグマをペットとして可愛がった。しかし、そのツキノワグマは、みんな短命で死んでしまう。

 なぜか?
 栄養が良すぎたからです。

 マタギたちは、熊は粗食でエサを食べないという。
 動物学者たちは、あの巨体を維持するために熊は大食漢だという。
 どっちが本当なのか?
 長い間、分からなかったのですが、
 宮崎さんの10頭のツキノワグマの飼育で熊は本来粗食であるということがわかってきた。

 熊にかぎらずイノシシなども粗食。熊は小さなアリを一日中たべているし、イノシシは栄養価皆無のミミズなんかをたべている。それで、あの体型を維持しているのだが、六甲山のイノシシのように餌付けされてパンなんか食べさせられると、急激に巨大化して、糖尿病なんかになってしまう。人間がよかれと思ってやったことが逆に作用する。これはツキノワグマも一緒で、人間の感覚で栄養価の高いモノを与え続けると、糖尿病になってしまう。



つづく。

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2021年12月03日

クマについて【13】最も知能が高い動物

 ツキノワグマに会ってみたいというお客さんがいました。私は動物園に行ってくださいと言ったんですが、自然の中に生きているクマさんに会いたいという。以前にこのブログでヒグマとツキノワグマについて語ったことがありますが、それを読んで興味を持ったみたいですが、自分の命が欲しいようだったら出来るだけツキノワグマに遭遇しないようにしてくださいと申し上げました。

  野生のクマを必要以上を恐れることはありませんが、ツキノワグマをなめてはいけません。彼らのパワーは、恐るべきものです。証拠の写真をアップしておきます。ツキノワグマの爪の跡です。


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 こういう写真は、山の奥で撮ったものではありません。浅間牧場のほんの入り口付近に、いくらでも見つけられます。なので御客さんを浅間牧場に案内するときは、まず最初にこのツキノワグマのフィールドサインをみせてあげます。これをみると、さすがの御客さんもビックリします。ツキノワグマのパワーに震え上がります。知らなければ、なんでもない樹皮ですが、いったんツキノワグマのフィールドサインを知ってしまえば、この浅間牧場が、今までとは別の空間に見えてきます。


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 問題は、これだけのパワーがありながら、ツキノワグマは人間に対して非常に用心深いことです。彼らは、人間をよく観察していて、非常に用心深い。つまり知能が高い。クマの知能は、野生動物の中で最も知能が高くて学習能力がある。用心深いけれど、学習能力が高いために人間が、か弱い動物で、簡単に殺せると知ったら、その日から人間がエサにしか見えなくなってしまう。

 そういうツキノワグマに対して、安易に人間が下手な出会い方をしたら、ツキノワグマが、へんに学習してしまって、人間を襲う凶暴なクマに変質してしまう恐れがある。こうなったら地元の小学生・登山者たちが持っているクマ鈴の音は、ツキノワグマにとっては
「ごはんですよ!」
という合図にしか聞こえなくなってしまう。

 ちなみにヒグマにしてもツキノワグマにしても、犬なんかより、はるかに頭がいい。犬が大人になるのに1年ぐらいかかりますが、ヒグマが、大人になるのに三年もかかる。つまり学習期間が三倍ある。

 ヒグマの子供は、母クマと三年間も一緒に暮らします。三年間にわたる学習によってクマたちは大人へと成長します。犬の三倍の学習期間をもつわけで、そのうえ犬より2倍以上寿命が長い。つまり犬の倍の経験値をもつ。そのためにマタギたちは、 非常にクマを恐れます。下手したらクマは人間よりも 頭がいいとマタギたちは思っている。

  実際、クマを飼ってる人たちの話では、ものすごく頭がいいと言っている。長野市に宮崎さんと言う人がいて、その人は全国あちこちの動物園から子熊を譲り受けて、最大で十匹という複数同時にクマを育てた人ですが、その人の話によれば、ツキノワグマは、首輪と藁縄の紐を付けない限り自分の家の敷地から絶対出ようとしなかった。隣地との境界線をしっかり認識していた。だから他所の土地に無断で絶対に入らなかった。で、首輪と藁縄の紐を持ってきて、お座りして散歩のおねだりをする。


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 まるで頭の良いシエルティーのようなキャラですが、宮沢さんは、そのように躾けたわけでは無い。相手が勝手に学習してしまったのだ。10匹同時に飼っているから、個別に躾けることなんかできない。1日に10分くらいしか相手してやれない。それでも10匹いるから100分も拘束される。動物王国のムツゴロウさんと違って宮沢さんは、ごく平凡なサラリーマンですから、クマの相手するのにも限界がある。にもかかわらず、よく訓練された犬のように無邪気で礼儀正しくなっているのは、ツキノワグマがそれだけ知能が高いからで、この知能の高さと学習能力によって、人間に対して臆病にもなるし、いくらでも凶暴になりえます。だから安易にツキノワグマに会おうなんて思わない方がいい。


つづく。

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2021年11月18日

北軽井沢でダチョウが脱走?

  昨日は、愛郷群馬キャンペーンを利用してプレジデントリゾートに泊まってきました。その報告をブログにアップしようと思ったんですが、 自宅に帰ってみるとパトカーが近くに停まっていて、知らない人の車が家の駐車場に駐車していました。一体何があったんだろうと、不思議に思っていたら NHK の報道の人が取材しに行ってきて
「ダチョウが逃げたんですが何か情報はありませんか」
と言ってきた。



 実はうちの近所でダチョウを飼ってる人がいますが、そこのダチョウが逃げたのかもしれません。もしそれが本当だとすると、ダチョウのやつはかなり凶暴なので、北軽井沢に住んでいる人達は、ダチョウを見つけたとしても決して近寄らず、警察に連絡してください。 というわけでこれからダチョウを探しに行ってきます。



追伸
ネットでもニュースになってました
https://news.yahoo.co.jp/articles/adc6dd7e452e432e7f4082022b577fc85a0d780b
群馬でダチョウが脱走中 体長2.5メートル 雌1羽 民家から逃げ出し飼い主が通報
11/18(木) 6:07配信

 群馬県嬬恋村の民家で飼われていたダチョウが逃げたという連絡を受け、長野原署は17日、村内でパトカーを巡回させ、周辺住民らに注意を促した。同署によると、同日午後3時15分ごろ、体長約2.5メートルの雌1羽が民家から逃げ出した。飼い主から同5時すぎに通報があったという。パトカーからマイクを通じ、ダチョウを見つけても不用意に近づかないことや、発見した際には同署に通報するよう呼び掛けた。同9時半現在、ダチョウは見つかっていない。18日は明け方から注意喚起を含めてパトカーを巡回させるという。



追伸2

ダチョウは、自分で飼い主の元に戻ったらしいです。

探しに出かけたら、ダチョウは、自分で飼い主の元に戻ったらしいと聞きました。とりあえず続報を待ちます。ちなみに私の知っている人のダチョウではなかった。ということは、うちの近所でダチョウを飼っている人が2人いることになる。



追伸3
報告です。どうやら、うちの庭あたりで発見されて、買い主を呼んで確保されたようです。どうりでマスコミが、訪ねてくると思ったwwwww 一昨日の車の故障で行ったナイトハイクといい、最近、ハプニングが多すぎて笑ってしまいます。NHKのニュースでペンションで発見されたとあるから、うちのことだよね?
https://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20211118/1000072733.html


つづく。
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2021年10月22日

クマについて【12】看板とツキノワグマ

 今回は嬬恋村の群馬坂のツキノワグマの話をします。群馬坂というのは、嬬恋村のシャクナゲ園があるところです 。ここに展望台があるわけですが、その展望台には階段があってその階段に木製の手すりがありました。現在は金属製の手すりになっています。観光協会の仕事でシャクナゲ園を整備している時に、事務局長から
「いつもこの手すりが、熊に壊されるんだよね。佐藤さん、どうしたらいいと思う?」
と相談されました。

「忌諱剤を塗ればいいんじゃないかな? 楽天で簡単に買えるし、予算がないんだったら竹酢なんかでもいいと思いますよ」
「はあ、なるほど・・・」

 しかし忌諱剤を塗られることはなく、翌年は金属の手すりになっていました。


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 前置きはこの位として、 山の中の登山用の案内看板が、かじられていることがあります。特に倉渕村の方の山の看板がツキノワグマにかじられていますが、これには理由があります。ヒグマもツキノワグマもペンキの匂いが大好きなんです。だから新しい看板は必ずかじられます。

 特に防腐剤入りのステインが塗ってあるとかじられます。 クレオトップ・クレオソートなんかは絶対にダメです。道路工事 でコールタールを新しくすると、そこにもヒグマやツキノワグマがやってきます。 この辺を分かってないと、嬬恋村シャクナゲ園の展望台の手すりのように毎年ツキノワグマにかじられるはめになるわけです。良かれと思って塗ってしまった防腐剤入りの塗料(ステイン)のためにツキノワグマを呼び寄せてしまい、手すりをかじられてしまうわけです。もちろんヒグマやツキノワグマが嫌いなにおいがあります。それについては、ここでは説明しません。話が長くなるし難しくなるので・・・。


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  ところで、ヒグマやツキノワグマについて専門家から聞くなどして調べようとするばあい、気をつけなければならないことがあります。クマの専門家というのは、出身母体によって大きく意見が分かれるからです。 例えば農業被害を防ぐための研究者としてのクマの専門家というものがいます。この人たちはどちらかと言うと、人間側の立場でクマを研究します。どうやって熊の害を減らすかとか、どうやって農家への被害を減らすかという研究です。

 それとは反対の立場の研究者もいます。動物学としてヒグマやツキノワグマを研究する人たちです。いわゆる動物学者ですね。この人たちは、できるだけヒグマやツキノワグマを原生的な自然に置いておきたいと思ってる人達です。そしてヒグマ・キノワグマの絶滅を何とかして防ぎたいと思ってる人達です。

 前者の研究者の多くは、北海道の人たちが多くて、後者の研究者は、西日本に多かったと思います。

 1990年から2000年にわたって、私は日本中の山の中に入り、ヒグマやツキノワグマたちといろいろあったりした人間ですが、私の立場は後者(クマの絶滅を防ぎたい)です。後者の研究者にとても大きなシンパシーを感じていました。

 ところが実際にヒグマに対して役に立った智恵は、前者の研究者(クマの害を減らすための研究者) のご意見でした。自分としては敵だと思ってた人たちの報告書が一番役に立った。逆にシンパシーを感じていた人たちの意見はあまり役に立たなかった。というかダメダメだったし、酷いモノだったので、ガッカリした記憶があります。思わず「正気か?」と叫びたくなるような酷いモノでした。皮肉なものです。





 と言っても、これは30年前の話です。今では、そういうことはないと思います。30年前は、後者の人たちの研究は、未熟であって、それに対して前者の研究者たちの研究は歴史があるだけに進んでいた可能性があります。だから今はどうなっているか分かりません。おそらく前者の研究者と、校舎の研究者の垣根というものはなくなっているように思います。 というのも、ここ20年で、熊に関する書籍が大量に増えてきていて、昔に比べて情報が圧倒的多くなってきている。 だからかなり研究が進んでいるような気がしますが、本当のところはよくわかりません。

 私の方も息子が生まれてから、ヒグマやツキノワグマに対する興味が薄れてしまいました。今はクマよりも、人間の子供の成長に興味を持っています。ただ、長年にわたって溜め込んだ野生動物に関する知識が、育児にものすごく役に立っています。子供の成長を面白がってみることができるし、なにより近くで観察し放題なのがいい!


(2歳児の息子・6年前・破風岳)



つづく。

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2021年10月21日

クマについて【11】嬬恋村のツキノワグマ

 前回は北軽井沢のツキノワグマについてお話ししましたが、今回は嬬恋村のツキノワグマについてお話したいと思います。実は、嬬恋村の北側には、とても多くのツキノワグマが住んでいます。具体的に言うと、万座方面・小串鉱山方面・四阿山方面です。こちらのツキノワグマは、北軽井沢のツキノワグマよりも精悍な感じがします。動きも俊敏で、道路を時速60kmで走って逃げたりします。これに比べて、浅間牧場に出没する北軽井沢のツキノワグマはのんびりした感じで、体も大きくユッサユッサと動きますし、全体にもっさりしています。栄養も良さげです。

 軽井沢にはカラマツがたくさんありますけれど、そのカラマツの大半は、街中にあるものが多くて、山にはミズナラの木がたくさんありますし、湯川ぞいにはクルミの木も大量にあります。白糸の滝周辺の森では山菜がたくさん取れますし、浅間牧場と言う日向ぼっこに最適な場所でありながら人間が全く来ないと言うクマにとっては、夢のような場所もあります。

 それに対して万座方面・小串鉱山方面・四阿山方面のツキノワグマは、広大な四阿山・白根山の山麓を持っていますし、ツキノワグマが活動するための広いフィールドがあります。軽井沢に比べると、ツキノワグマが活動できる広大な面積があるわけで、それだけにそこに生活しているツキノワグマの数は多いと思われます。

 実際、春先の早朝の万座温泉を散策すると、ツキノワグマの足跡や食痕を見つけることが簡単にできます。残雪が消えかかった万座温泉では根曲がり竹のタケノコが大量に出てきますから、それを目当てにツキノワグマが食べに来るからです。根曲がり竹のタケノコは、私たちが生で食べても美味しいくらいですからツキノワグマにとってすごいご馳走になっています。

 彼らは冬眠から目覚めると、最初の頃は標高の低い干又・バラギ湖あたりの山菜を食べますが、それがなくなった頃には、標高を上げて、残雪が消えかかった嬬恋牧場辺りの山菜を食べます。それも食べきると万座の方に移動するわけです。最終的には、白根山とか志賀高原の方まで移動して山菜を食べつくすと、今度は別の植物を食べたりするようです。

 昭和52年に(ノンたんシリーズで有名な)偕成社から、少年少女ドキュメンタリーの一冊として発表された『ツキノワグマ日記―はみだし熊10頭の里親となって』の宮崎正義さんも、この万座温泉に通ってツキノワグマを観察した口です。彼はその後、鉄道会社で働きながらコツコツとお金を貯めて10頭のツキノワグマを飼うことになるわけですが、その彼が定点観察に明け暮れたのが万座温泉です。万座温泉豊国館のご主人が色々協力したようです。

 私は高校生の時に『ツキノワグマ日記』を佐渡島で読んだわけですが、宮崎正義さんが、私の父親と同じぐらいの年齢で、その息子さんも私と同学年であることに親近感を覚えたわけですが、一番驚いたことは、その本に掲載されている写真です。私と同じ学年の息子さん(当時12歳)が、クマに藁で作った縄をつけて近所を散歩してる写真です。驚いたのなんの。今なら考えられないことです。もし、北軽井沢で藁で作った縄で大きな熊を連れて散歩していたらみんな腰を抜かすに違いありません。ましてや長野市郊外の話ですから、なおさらです。

 話を戻します。

 今はもうやっていませんが、うちの宿では毎週のように宿泊者を中心に登山ツアーをやっていました。毎週行っていれば、ツキノワグマに出会うこともあります。そういう場合、ほとんどが『クマ出没注意』の看板のあるところです。バラギ湖の近くとか、本白根山のロープウェイのそばとかです。今回は、熊に出会った時の写真をアップしてみます。


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 これは、息子が生まれた年のツアーです。
 今は入山禁止になっている本白根山のツアーです。
 本白根山には、クマ・蛇・カモシカが多いので有名です。

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 高山植物も多い。
 特にコマクサが凄くて、日本一咲いている。

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 こういう看板があったら注意です。
 必ず出てきますから。

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 はい、出てきました。

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 写真だと分かりにくいですが、かなり高いところに登っています。
 この時に参加したファミリーの御客様は、カモシカ・高山植物・ツキノワグマに出会えたので、かなりラッキーでしたね。




つづく。

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2021年10月15日

クマについて【10】北軽井沢のツキノワグマ

 ペンションを開業すべく北軽井沢に引っ越してはたのは、21年前です。最初の年は、御客さんがいなかったので、嬬恋村のあちこちの山に登りました。で、気に入ったのが桟敷山林道。21年前の桟敷山林道は、できたばかりで、カラマツの背も低く、開けていました。高山植物も多くて、道路際にラズベリーがわんさかなっていました。今とは、ずいぶん違っていたのです。

 で、藪の中に入ってみたら使われてない廃道になった道路がいくつもあった。その道路は、休暇村の方まで繋がっていて、途中に水道局の施設があったりしたし、廃墟っぽいコテージなんかもあった。昭和40年代のものとも思える缶ジュースの空き缶が捨ててあったりもした。それらの空き缶は、今の空き缶と飲み方が違っているので、ある世代以上の人には、とても懐かしいものだった。それを
「懐かしいなあ」
と拾い上げてみたら、空き缶にクマの歯形があった。
「このあたりは、クマの生息地なのか!」
と気が付いた私は、クマのフィールドサインを探し歩いたら、簡単に見つかった。ウンチはもちろんのこと、爪痕から昼寝あとまで簡単に見つかった。

 ヒグマもツキノワグマも日向ぼっこが大好きです。ひまさえあれば太陽を浴びる。だからクマの昼寝あとは、三頭分から四頭分の面積になっている。10畳くらいの広い面積が昼寝あとになっている。場所によっては、昼寝場所が大きく移動したりする。太陽の移動とともに木陰が移動するので、日光を浴びるためにクマが移動するからです。
「そうだ! せんべい平に行ってみよう」
せんべい平は、クマにとって理想的な昼寝場所だからだ。

 で、行ってみたら、やはりクマの巣があった。昼寝場所があった。私は宿が閑古鳥なのをいいことに定点観察することにした。とりあえず1週間分の食料を確保して、かなり遠くから双眼鏡で覗いていたのだが、苦労してツキノワグマを発見して写真を撮ったがろくに写ってなかった。当時は、デジカメの性能も良くなく、私は、EOSでフィルム撮影したわけだが、現像してみたら黒い点しか写ってなかった。

 ただ、桟敷山のあたりにクマが活動してるのだけは分かったので、注意するようになった。すると今まで見えてなかったモノが見えるようになる。いたるところにクマの痕跡があるのがわかってくるから不思議である。そうなると何度もクマを見かけるようになる。ただし、現在のせんべい平には、クマはいない。大規模な笹の伐採を行っているためか、ここ数年は痕跡を見かけることは無い。





 次にクマを見かけたのは、鼻曲山である。鼻曲山周辺には、数頭のツキノワグマがいる。私は何度も出会っているが、ここには複数のクマがいる。鼻曲山の登山ツアーに御客さんを連れて行くと、20メートルも離れたところの藪が、ガサゴソと動くことがある。ふつう人間が歩いていたらツキノワグマは、じっと息を殺して動かないが、このように藪が動く場合は、若い子熊の可能性が高い。こういう場合は、私が低音の奇声を発ながら御客さんを誘導するが、低音の奇声を発すると、子熊の奴もじっとして藪がガサゴソ動かなくなる。

 犬でも何でもそうなのだが、低音の奇声は威嚇音を意味する。犬なら「ウーッ」という唸り声がが、これにあたります。逆に高音は負けましたという意味になる。犬なら「キャンキャンキャン」という高音が、これにあたります。だから私は、山に入る時は低音の奇声をあげます。そうすれば、ツキノワグマの奴は、勝手に避けてくれる。逆に高音はどうだろう? ツキノワグマを呼び寄せないだろうか?というのが最新研究で言われていることです。つまりクマ鈴は、高音なんですよね。やたらとクマ鈴を鳴らすのは拙くないか?とも言われるようになっています。

 話がそれました。
 鼻曲山のことです。

 鼻曲山から浅間牧場に至る一帯は、ツキノワグマの密集地帯です。このあたりには、ものすごくツキノワグマが多い。12年ぐらい前のことになりますが、草軽鉄道の路線跡地を調査したことがあったんですが、その時にクマの巣をいくつも発見してしまった。一つは工事用プレハブの廃墟で、そこからクマの臭いがやたらとしていた。かなりの遠くから臭いがプンプンしていた。もちろん糞のあったし、足跡も見つけた。さらに線路際を前進すると放棄別荘地があって、そのうちの一軒の縁の下にクマの巣があった。やはり、すごい臭いだった。こいつはヤバいなあと思った私は、日没前に車に戻って、車で宿まで帰るのだが、帰る途中の17時ちょうどに巨大なツキノワグマに出会う。しかも5回も同じ時間に出会っている。

 17時ぴったりに、白糸の滝方面から伸びてきている登山道から、ノッシノッシと出てきて、道路をよこぎり、浅間牧場に入っていく。その巨体は、ヒグマと同じくらいのサイズで、とてもツキノワグマの体とは思えなかった。そのうえ不思議なことに臭いはまったくしてないので、さっきの工事用プレハブの廃墟のクマとは違うようだ。軽井沢から来たクマのようで、エサがいいのか、すごく太っていた。

 面白いことに、このツキノワグマは、気が向くと浅間牧場の中にどんどん入り込んで、牧場を縦断し、観光客のいるところまでやってきた。当然のことながら警察がやってきて、浅間牧場を封鎖してしまった。で、そのうちいなくなってしまった。浅間牧場側は、これに対して、素晴らしい対策をとっていたので感心した。空の一斗缶と、それを叩く棒をあちこちに配置したのである。クマが現れたら空の一斗缶を棒で叩けばいいのだ。その時に出る音は低音なので、クマにとっては嫌な音になるはずだ。少なくとも高音のクマ鈴よりましである。

 ちなみに鼻曲山で私はツキノワグマに突進されたことがある。一般論を言うと、クマが人間を襲う時は、突進してこない。襲うつもりならゆっくり低姿勢でやってくる。立ち上がったり、突進する場合は、襲うつもりがない場合が多いので、こっちが逃げない限り、相手から逃げていく。だから怖がる必要はなく、じっとしているのが一番なのだが、知識で、それを知っていても、行動にうつすのはたいへんで、やはりドキドキします。

 こういう体験をしたのは、私だけでなく、うちの御客さんに3人くらいいて、やはり突進してきたツキノワグマは、斜め横にそれて逃げていったと言っていました。こういうケースは、鼻曲山でしか聞きません。なので鼻曲山周辺にはツキノワグマが多いのかもしれません。
 
 あとツキノワグマは、浅間牧場が大好きですね。たいしてエサもないのに、よく浅間牧場に入ってくる。一般的に言って、クマは日向ぼっこが大好きなので、浅間牧場が好きなのかもしれません。だから浅間牧場に良く入ってきます。そういえばキツネも浅間牧場が好きですね。逆にタヌキは草原を好まない。藪の中を好みます。クマは、藪より草原が大好き。これは、ヒグマも同じで、危険さえ無ければ草原でフキばかり食べている。

 だから小串鉱山や志賀高原あたりにもツキノワグマが多い。あのへんを17時頃に車を走らせていると、バッタリとツキノワグマに出会います。その時のツキノワグマときたら、猛スピード逃げますね。クマの走る速度が、60qだというのは本当だと思います。



つづく。

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クマについて【9】動物学者とマタギ

 1990年頃から1996年頃の話です。地理的に近いせいか北大のワンゲル部と知床半島でよく出会いました。彼らはどういうわけか、 知床山脈を縦走するようなことはなく、羅臼から知床岬に向かって海岸沿いばかりを歩いていました。 東大をはじめとする他の大学は、知床山脈を縦走するくらいの気概を持っているのに、彼らはどうして海岸コースばかり歩くんだろうと不思議に思っていたんですが、よくよく聞いてみたら、彼らも知床山脈を縦走していた。ただし縦走したのは夏ではなくて、冬から春先です。つまり雪のある時に縦走している。

 普通、雪山と言ったら、夏山よりも厳しいのですが、知床山脈に限って言えば、そうではない。
 はっきり言って、知床の雪山は楽に縦走できる。
 ハイマツの上に雪があれば、あっという間にハイマツ帯を通過できる。
 そういうことを知っていたので、北大のワンゲル部の連中は、夏は海岸伝いで知床岬にいく。
 地獄のハイマツ漕ぎは絶対にしなかったわけです。

 私は、彼らに
「雪山を縦走する時に、困ったことはなかったの?」
と聞いたら
「テントを張って、調理していたら雪の中から、冬眠から目覚めたヒグマが出てきたことがありました」
「ええええええええええええ? それでどうしたわけ?」
「テントを撤収して、遠くに逃げましたよ」
 実は、こういう話をよく聞きます。雪の上にテントを張ってガサゴソしていると、雪の中から熊が出てくる話は、腐るほど聞いてきました。1990年代の北海道の雪山にテントを張るワンゲルの間では珍しくないエピソードだったわけです。





 長い前置きはこれくらいにして本題に入ります。

 1990年頃、ヒグマについて調べているうちに、動物学者の言うことと、マタギの言うことに違いがあることに気づき、だんだん気になりだしてきました。また、中国地方の動物学者の言うことと、北海道地方の動物学者の言うことも違っていることが気になってきました。例えば北海道の動物学者は、マタギの伝聞を重視していました。 それに対して西日本の動物学者たちは、そういうものを無視していました。マタギの伝聞にしても、北海道のマタギと東北のマタギでは、微妙に違っているし、北海道のマタギにしても、アイヌの猟師とシャモの猟師では、ヒグマに対する考えが微妙に違っています。

 まあそんなことはどうでもいいとして、面白かったのは、冬眠から目覚めたヒグマの話です。 冬眠から目覚めた熊は、長いこと餌を食べてなかったために体が弱っていると動物学者なんかが言うわけですが、北海道のマタギの人の話だと、 まるで逆です。冬眠から目覚めた熊ほど元気なクマはないと言います。

 どのぐらい元気かと言うと、親子で雪の上に滑り台を作って滑って遊ぶと言う。餌も食べずに遊んでばかりいるという。こぐまも遊ぶけれど、母親も遊ぶ。と言うか母親が率先して遊んで見せて、子熊を遊ばせるようにする。

 我々の常識からすると、冬眠中餌を食べてないわけだから、そんな元気があるわけがないと思ってしまうんですが、そうではないという。むしろ元気に遊んで、 遊んで遊んで遊びまくらないと胃腸が動かないんだという。一週間ぐらい遊んでないと、食事が食べられるようにはならないんだと。

 にわかには信じられない話なんですが、年から年中ヒグマを追いかけているマタギは、そう証言しています。母グマが、こぐまのために滑り台を作るというのも凄い話ですが、自分も滑り台で遊ぶと言うから驚きます。そのくらい、クマというのは、子供に対して愛情深いし、知能も高いというのです。だからこそ命がけで仕留めなければいけないと彼らは思っている。





 クマは、止め足(足跡による追跡を攪乱する為にバックして足跡の着かない場所にジャンプする行動。追跡者からはある地点から突然足跡が無くなってしまったように錯覚する)を使うし、三匹いても一匹しかいないように足跡を重ねたりすると言う。すごいのになるとバックする。止め足でなくてバック。

 手負い熊が使う技で、バックして人間を待ち伏せする。知床半島で唯一、クマに人間が殺された例が、このバックによる攻撃で、手負い熊と猟師の知恵比べでヒグマの方が勝っている。ヒグマというのは、そのくらい知能が高い。つまり警戒心が高い。もちろん後天的に学習して、マタギを撹乱する術を身につけているとは思いますけれど、マタギならではの証言です。だからクマに対すする対処方法を一般化はできないと言われている。個性の差が大きすぎて、対処法則が成立しにくいと言われている。

 もともとヒグマは、アイヌの人たちは「キムンカムイ(里の神様)」と言っていた。つまり里で暮らす動物で山奥にいたわけではない。里山で人間たちのそばで生きていたという。そして人間をじーっと観察している。それが証拠に発信器をつけると、かなり人間の近くにいることがわかるけれど、ジーッと動かない。こっちからは見えないけれど、数メートルのところにいて、じーっと動かない。人間が去って行くのを辛抱強く待っていることが分かっている。

 つまり、もともと臆病な動物だという。それが証拠に水場に出てくる方向が、いつも同じで踏んだ足跡も同じ。人間が、その上を歩いてみると音がしない。つまりクマは、それだけ警戒して同じ処だけを踏んでいる。それだけ用心深い。

 それを私は事前に知っていたのでヒグマに出会っていても慌てることはなかった。彼らが逃げると天地が揺れたが、茂みに入ると、天地の揺れがピタリと収まる。つまり、近距離でじーっとしてて、人間が立ち去るのを待っているわけだ。

 にもかかわらず、人間が茂みにはいってしまうと大変なことになる。
 山菜採りの人たちが、クマにやられてしまうのは、
 こういうことでおきる事故なのです。


 クマは、かなり近距離にいて、人間が去るのを待っているのに、どんどん近づいてくるから襲われるのだ。こういうことをマタギの人たちは、長年の経験から実によく知っている。動物学者よりよく知っている。

 で、知床半島からマタギがいなくなってしまったら、急に海岸沿いにヒグマが現れ始めた。1990年ころからヒグマが、どんどん出てくるようになってきたわけです。で、現在の知床ですが、どうなってるか分からない。マタギがいなくなって何十年もたっているので、ヒグマの性格もずいぶん変わっているだろうし、私が、このブログに書いていることも、今では通用しなくなっていると思う。なにしろクマは、後天的に学習する知能の高い動物ですから。

 次からは、北軽井沢のツキノワグマの話をします。


つづく。

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2021年10月13日

クマについて【8】クマを飼う方法

 皆さんは動物園に行ったことはありますか? ありますよね。動物園に行くとクマのコーナーがあります。ヒグマ、ツキノワグマ、ホッキョクグマといろんなクマたちがいますけれど、それらを収容しているところは必ずコンクリートでできています。そして巨大な壁で囲われていて、上から下に俯瞰するようになっています。世界中の動物園、どの動物園に行っても同じような構造になっています。どうしてそのような構造になっているか考えたことがあるでしょうか? これについてはNHKの「チコちゃんは知っている」で、一度やってもらいたいものです。





 答えはとてもシンプルです。クマだったは、穴掘りの名人だからです。もう一つ言うとロッククライミングの名人でもあります。だから垂直の壁で覆われています。昭和33年にできた登別のクマ牧場では、最初の頃は、牧場の中に木がたくさんありました。サファリパークのように、自然の中で生きている姿をお客さん達に見せたいと思ったからです。

 ところがクマ達の食欲は旺盛で、笹でもなんでも春先に芽が出る前に土をほじくり返して食べてしまう。きちんと餌をあげているにも関わらず土を掘って食べてしまうから3年ぐらいで全ての植物が全滅してしまった。もちろん樹木も全て枯れてしまう。理由は冬眠前に樹木の皮を食べてしまうからです。餌があるにも関わらず食べてしまう。これには理由があって、冬眠前のクマは肛門に蓋をする必要がある。そのためには発酵しない食べ物がどうしても必要になってしまう。

 発酵しない植物で肛門に蓋をしなければ冬眠ができないために樹木の皮を剥いで食べたりする。昭和30年頃にはそういうことがわかっていなかったために、あっという間に樹木は枯れてしまった。そういったわけで世界中のどこの動物園に行ってもクマを飼育しているところには植物がありません。みんなコンクリートで囲われている。そうしないと、どんどん穴を掘って逃げ出してしまうからです。

 登別のクマ牧場ではこんな実験をやりました。クマ牧場の中に電気柵を作ってその中にクマの大好物のりんごを入れてみた。ヒグマたちはりんごを食べようとして電気柵に引っかかって感電してバタッと倒れてしまう。そうなるとクマ達は穴を掘ります。穴を掘ってりんごを食べてしまう。そこでコンクリートで穴を掘れないようにした。そしてりんごおいて実験をしてみたら、ヒグマたちはポールを押し倒してりんごを食べてしまう。りんごを守るには絶壁のような壁を作らないと駄目だということがわかった。

 ちなみに今から10年ぐらい前に、家の宿の近所(北軽井沢)にイノシシ牧場というのがあって、そこでツキノワグマを飼っていたんですが、そこでもコンクリートの地面におりをつけて飼っていた。コンクリートの地面でないと穴を掘って逃げ出すわけです。面白いことにそこでは子クマを放し飼いで飼っていました。放し飼いと言っても首輪が付いていて、首輪から大きなタイヤに鎖でつないであったわけですが、こぐまといえども力は強いわけで、タイヤをズルズル引きずり回して庭先で遊んでいました。それはもう可愛い可愛いものでした。こいつは凄いなあと感動した私は、お客さんに宣伝しまくったわけですが、いつのまにかイノシシ牧場は消えて無くなっていました。残念なことです。消えてなくなるとわかっていたら、毎日のようにそこに通って、ツキノワグマの生態を観察したのですか、油断してました。非常に惜しいことをしてしまったと今でも後悔しています。

 話を戻します。

 登別のクマ牧場のことを見ても、クマたちは片っ端から植物を食べてしまうわけですが、唯一食べないものがありました。トマトです。なんかの拍子に牧場の中にトマトの種が落ちてしまって、40センチくらいまでトマトの茎が伸びていることがあった。ところがどのクマもそれは食べないでいた。それどころかそれを避けて通る。それから長ネギピーマン玉ねぎなど匂いの強いものも食べるのを避ける。というわけでクマはトマトを食べないのではないかと仮説を立ててみたわけです。

 で、トマトの実をクマに与えてみたら、むしゃむしゃと食べてしまった。トマトの茎は避けるくせに、トマトの実は食べてしまうんです。ということは、何かの警戒心で食べなかっただけで、こいつは食べられると分かったら、トマトの茎でも食べるようになってしまうかもしれない。

 ところで、登別のクマ牧場に行ったことが、ある人は分かると思いますが、あそこに行くとクマ達が密集して生活しています。狭いところにぎゅうぎゅうづめにヒグマたちが住んでいる。これを不思議に思った人はいないでしょうか? クマというのは縄張りを持つ動物だと言われていました。野生のクマを観察するとクマというのは孤立性が高い。集団生活をしないわけです。そんな動物を集団飼育すると喧嘩するのではないかと思われていた。だからクマ牧場を設計するときに、一匹あたり何ヘクタールの土地が必要なのかと色々計算をされていたわけですが、いざクマ牧場をスタートしてみたら、どんなに密集になっても餌さえあれば全く喧嘩をしないことが分かった。逆に言うと餌が足りなければ餌を取り合って喧嘩をする可能性が高い。そうなるとクマも知能が高いので脱走を試みるかもしれない。

 このことは、非常に重大な示唆を与えてくれます。もし山のどんぐりが不作だった場合や、クマが増えすぎた場合は、山から下りてくる可能性がある。危険を冒してでも畑の中に入ってくる可能性がある。その場合電気柵があっても無駄だということだ。本当に飢えているクマならば穴を掘って畑の中に入ってしまうからだ。幸か不幸か北軽井沢には、どんぐりがたくさんある。家の近所を散歩するだけでも道端はどんぐりだらけだし、別荘地の森の中もどんぐりだらけで、朝散歩すると、どんぐりが別荘の屋根に落ちる音がポンポンと聞こえます。これをツキノワグマが食べない理由がない。逆に言うと、夜夜中にこっそり行ってきてクマ達が別荘の森でどんぐりを食べていても不思議はありません。


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 ただし、そういう事例がほとんどないのは、別荘の住人達が、犬が好きだからだと思う。例えばたぬきがやってきただけで、犬がワンワン吠える。そうするとあちこちの別荘をから連鎖的に犬の吠え声が聞こえてくる。野生動物にしてみたら、全く嫌な感じなのかもしれない。しかし、そういう犬たちをものともしない連中もいる。クマではなくイノシシ等です。彼らは犬なんか屁とも思ってない。




つづく。

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posted by マネージャー at 06:25| Comment(0) | 自然−動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月11日

クマについて【7】ナタとノコギリ

 1992年頃の話です。知床山脈を縦走しようと思って、いろいろ資料を調べてみたんですが全くない。知床半島で何度も北大のワンゲル部と出会って、彼らともいろいろ話をし、一緒のユースホステルに宿泊してますが、地理的に近い北大のワンゲル部は、あまりよく知床を知らない。地理的に近いためか知床探検のためのデータを持ってない。当時の北大のワンゲル部はレベルが高くはなかった。

 困っていると、アウトドアライターの人の紹介によって、アウトドアという雑誌の編集長を紹介してもらい、そこで資料を頂いた。その資料というのは、 東京大学のワンゲルの資料だった。非常に貴重なものでした。他にもいろんな大学のワンゲルから資料を頂いたのですが、 東京大学のワンゲルの資料が一番正確で良く出来ていた。

 そして1996年に実際に縦走してみると、その資料が東大ワンゲル部の性格をみせていた。どういうことかと言うと、稜線を正確に突進しようとしている。もちろん稜線上には、 ダケカンバやハイマツ帯が邪魔しています。ハイマツ帯と言っても、北アルプスのハイマツ帯とは全く違うもので、 お化けのような巨大なハイマツ帯。それが入り組んでいて進路を阻みます。ゴムのように私達の全身をブロックする。腕や足をゴム(ハイマツ)で引っ張られいる感じです。

 普通ならば絶対に前進できないのですが、そこは伝統のあるワンゲル部ということで、少しずつノコギリでハイマツを伐採している。伐採しなければ前進できないから彼らのパーティーは、ノコギリを持っている。で、邪魔なハイマツは、その都度ノコギリで切断している。その切断の後が、登山道のテープの代わりになっている。道しるべになっているわけです。それが地図に【マル切】と書かれてあって、標識がわりになっている。非常に科学的な手段と物量と伝統の積み重ねで縦走を行っている。

 となると、知床山脈縦走するには、ノコギリが必要になってくる。
 ここで問題にぶち当たります。

 ノコギリというのは、ハイマツの枝を切断する以外に使い道がありません。 もし途中で熊に出会った場合、ノコギリでは戦えない。ナタでなくてはいけない。でもナタでは、ハイマツは切断できない。そうなると我々に取れる手段としては、ハイマツ帯を直進するのではなく、遠回りになったとしても迂回するしかない。





  前置きはこのぐらいにして本題に入ります。

 当時知床山脈に入ると、いくつもの大学のパーティーがいました 。
 それらのパーティーは知床沼にテントを張っています。
 理由は、そこが最後の水場だからです。
 そして夜の8時頃に各テントで一斉に気象通報を聞きます。

 今と違って当時はスマホもなければ携帯もありませんので、夜の8時に放送される気象通報の情報によって自分で天気図を書きます。その天気予測によって、知床を縦走するかどうか決めるわけですが、面白いことに各大学ごとに天気図が違っている。つまり予報が違ってきている。

 まあそんなことはどうでもいいとして、各大学のパーティーは、お互い作った天気図と天気予報を交換するわけです。そして色々検討した結果、天候悪化のために知床縦走はできないとみんな断念してしまった。今ならスマホであっという間に分かってしまう天気予報も、当時はこのような原始的な方法でやっていた。ちなみに携帯がない時代ですから、みんなアマチュア無線の免許を取っています。万が一の時は、アマチュア無線で救援を呼ぶしかない。

 そんなことどうでもいいとして、彼らは全員ノコギリを持っていた。ハイマツ帯を縦走するわけだから、当然といえば当然なのだろうが、当時の私は首をかしげていた。熊が出てきたらどうするんだろうと。 ノコギリでは戦えないではないかと。もちろんみんな熊スプレーは持っていたけれど、犬飼さんや、門崎さんや、姉崎さんのヒグマに関する報告書を読む限り、ナタを持っていかないと言う選択肢はなかった。

 当時の統計(たくぎん総研)によれば、ヒグマに襲われた場合、ナタでの反撃が有効だとされていたからだ。その報告に批判的な動物学者も多かったのだが、私は、その統計を信じた。というのも、ある専門家が、とんでもない資料(死んだふりをしたら助かるというカナダの資料)をわたしてきたからだ。それは、たくぎん総研の統計とは真逆だった。私は迷うこと無く、犬飼さんや、門崎さんや、姉崎さんの方を信じた。

 結局、ノコギリは必要なかった。
 むしろノコギリなってない方が良かった。
 なまじノコギリを持っていると、ハイマツ帯を直進したくなる。
 しかし実際は遠回りになる。
 ハイマツ帯を迂回した方が圧倒的に早い。
 一見遠回りに見えてもそっちの方が早いのだ。
 そうなると稜線上を縦走したとは言えなくなるかもしれないが・・・・。

 結局、他の大学のパーティー等は、気象通報から自ら導き出した結論によって縦走を断念したので、ノコギリだろうがナタだろうが関係なかった。縦走のために出発したのは私達だけだったからだ。

 で、やはりナタで良かった。
 安心感がまるで違っていた。

 それ以前に、ハイマツ帯を上手に迂回することで、自然に対するダメージを最小限にできたし、体力も奪われずにすんだ。それが成功の原因だったし、自然を征服しようとしなかったことが結果としてよかった。藪漕ぎというのは、体力戦ではない。頭脳戦なのだ。

 それと「臭い」との戦いである。不思議なことに3週間も原生林をウロウロしていると、嗅覚がするどくなってくる。クマ・鹿の臭いに敏感になる。ハイマツの臭い、山風・海風の臭いまで敏感になり、嗅覚がすぐれてくる。そうなると、気象通報とか、NHKラジオの天気予報などに惑わされない直感(霊感)のようなものが働いて、やることなすこと全て正解を導き出してしまう。神がかってくる。そうなると今度は逆に怖くなってしまって慎重になってしまう。それがいいあんばいに働きますから不思議といえば不思議です。



つづく。

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2021年10月10日

クマについて【6】情報量

 江戸時代の寺子屋の教科書が、やたらと難しいことに驚いたことがあります。これは明治期の小学校の教科書でも同じでした。これが、大正・昭和・戦後と時代が下るうちに徐々に簡単になっていきます。では、令和時代の子供たちが、江戸時代の子供たちより学力が劣っているのかというと、とても大きな疑問が出てくる。『庭訓往来』などの江戸時代の寺子屋の教科書は、確かに難しいのだけれど、当時の子供たちが覚えるべき情報の総量は、現代に比べて圧倒的に少ない。なにしろ江戸時代には、パソコンもテレビもマンガも無い。活字が圧倒的に少ない。『庭訓往来』くらいしかないから、それを何度も読み返すしか無い。あとは、浄瑠璃・歌舞伎・落語・俳諧といったものくらいなので、現代に比べて圧倒的に情報量が少ない。少ないからこそ、それらに対して鋭敏に反応し、恐ろしいほどの才能を発揮したりする。

 これは、飼い犬にも言えるかもしれない。

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 うちの宿では、シエルティー(コロ)の犬を飼っているのだが、一度でも可愛がってくれた御客様を忘れない。リピーターさんの車が駐車場に入ってくるだけで嬉しそうに吠える。逆に、初めての御客様には見向きもしない。過去に散歩に連れてってもらった御客さんは、ずっと憶えていて、嬉しそうにワンワン吠える。
「散歩に連れてって!」
と尻尾を振っている。散歩に連れて行ってくれた御客様の臭いを何年も覚えていて、数年ぶりに再会する御客様に対して、大喜びでワンワン吠えて『遊んでよ』とお強請りする。御客様は
「利口な犬(コロ)だなあ」
と感心するのだが、これは誤解である。

 コロのやつは、年から年中、散歩のことばかり考えている。ペットだからエサには困ってないが、散歩と一緒に遊んでくれることに関しては飢えている。四六時中、散歩のことばかり考えているから、「この人は散歩に連れて行ってくれる人だ!」という情報は、絶対に忘れはしない。なにしろ1年中、そればかり考えて生きているからだ。

 うちのコロにとって、宿に泊まりに来る御客様は、散歩してくれるかもしれない御客様なので、その人たちの臭いは、データーベースとして、しっかり記憶されてしまう。コロが、頭が良いかどうかは別にして、年中、散歩しか考えてなかったら、コロの脳は、その一点に集中して、恐ろしいほどの能力をみせるかもしれない。


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 これは、野生のクマにも言えるかもしれない。野生のクマにとっての最大の関心事は食糧問題だ。あれだけの巨体を植物によって維持するには、四六時中食べていなければならない。そのために手っ取り早いのは、人間が栽培している畑が一番効率よく食事が出来る。しかし、そこに入ろうとしないのは、人間の怖さを知っているからだ。

 ただ、独り立ちしたばかりのオス熊は、それをよく知らないために、別荘地や畑に迷い込んで捕獲&射殺されてしまう。それを見ていた熊たちは、人間と距離を置くかもしれない。愛犬コロが、散歩のために恐ろしいほど集中し、大勢の御客様の顧客データーを記憶するのと一緒で、野生の熊たちも、食料の確保と、人間への警戒心のために恐ろしいほど集中し、人間界のデーターを集めているかもしれない。





 知床山脈を縦走しているとき、倒木に腰掛けてやすんでいたら、ヒグマが、のっしのっしと近づいてきた。こういうことは滅多に無いので驚いた。もちろん、こっちは、じーっと立ち止まって相手を睨めつけ、ナタとクマスプレーで戦闘準備する。すると、飛び上がって、ドスンドスンと逃げていった。もちろん天地が地震の様に揺れる。熊は茂みにはいる。入ると天地の揺れはピタリと止まる。つまり茂みの中から、こちらを伺っている。もちろん、こっちから熊の姿は見えない。つまり、熊は、隠れてこっちを伺っているのだ。
「変だな?」
と思った。ヒグマは、必要以上に人間と関わろうとしないから、茂みの中から動こうとしないヒグマに違和感を感じた。
「どうしてだろう?」
と思っていると、仲間の一人が、こしかけていた倒木にクワガタムシを発見した。よくみると倒木には虫たちがたくさんいた。アリの巣があり、熊の大好物が大量に存在していた。

「ああ、すまんすまん。そういうことだったのか!」
「・・・」
「ごめんねクマさん、俺たちは旅たつから・・・」

 私は、巨大なヒグマに謝りつつ、その場をそっと立ち去った。ヒグマにしてみたらランチタイムにいつもの倒木に向かっていたら、殺気だった人間が4人もいてナタに手をかけていたので困惑していたのだと思う。四六時中、食料の事ばかり考えているヒグマにしてみたら、変な姿の人間が進入しているのに、さぞかし面食らっていたに違いない。

 このようにヒグマは、エサに関するデーターと、人間に関するデーターを必死になって集めている。われわれの知らないところで、われわれはヒグマに見張られているかもしれない。

 これは、ツキノワグマにしても同じで、彼らは、信じられないくらいに我々を観察している。人間や自動車などをよく観察している。観察しつつ、夜中に町中に入り、街中を流れる川の、川沿いに密集してサワグルミの林に進入して、また柔らかいクルミをムシャムシャと食べたりする。食べられる時期は、たったの1週間で、時期が過ぎると食べられなくなるので、クマにしてみたら必死である。こうして深夜に沢筋を下りてきて、大急ぎで街中のクルミを食べて、逃げるように去って行く。ずくそばには、観光にきた自動車が走っていたり、夜の夜中にランニングする人間がいたりするのだ。そんなときクマは、茂みの中で用心深くピクリとも動かずに、災難がさっていくのを待っている。


つづく。

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2021年10月09日

クマについて【5】『子熊物語』

 今まで、ヒグマの恐ろしい話ばかりしてきたが、今回は、ヒグマの可愛らしい話をしたい。


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 その昔、フランス映画に『子熊物語』というのがあった。母を失ったヒグマの子供を別の熊が育てるという映画だったが、
「嘘くせー」
と思ってしまった。当時、熊に関して色々調べていて、かなり詳しいつもりだった私は
「自分が生んだ子供でも無いのに育てるかよ!」
と、その映画を見ながら、映画を作っていたフランスの映画監督を小馬鹿にしていた。しかし、よくよく調べていくと、熊は、血縁の無い孤児を育てるという研究結果があった。北海道の登別のクマ牧場で、そういう事例が報告されていた。


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 登別のクマ牧場の存在は大きい。登別のクマ牧場のおかげで、野生のヒグマが保護されていると言っても過言では無い。もともと登別のクマ牧場は、熊の食肉を目的として作られている。自然を愛する熊愛好家にしてみたら、とんでもない存在であると思われそうだが、登別のクマ牧場のおかげで、ヒグマの密猟が大した儲けにならなくなってしまい、結果として、ヒグマを密猟する人がいなくなってしまっている。間接的に登別のクマ牧場は、野生の熊をたすけているのかもしれない。

 まあ、そんなことは、どうでもいいとして、登別のクマ牧場によって、いままで分からなかったヒグマの生態が解明されている。その中でも衝撃的だったのは、エサを充分に食べられなかったヒグマが、子熊の養育を放棄するという恐るべき事実と、養育を放棄された子熊を血縁の無い別の熊が養育する事実である。

 さて、長い前置きは、このくらいにして、本題に入る。





 これから話すことは、にわかには信じられないかもしれないが実話である。昭和21年。北海道の日高地方に、とある母子家庭が住んでいた。4歳の息子と、その母親だった。終戦直後ということもあって、母親は栄養失調のために失明してしまった。4歳の子供を育てるどころではなくなった。母親は、息子を養子にだした。300ヘクタールも農地をもつ大地主のところへである。そこには、女の子ばかりで、男の子が無かった。そこへ養子にだされた。

 しかし4歳の少年は、新しいお父さん・お母さんになつかなかった。それに腹を立てた養父は、4歳の子供を死ぬほど殴ったりした。しかも、その直ぐ後に男の子が誕生した。養子の少年は、用無しとなって、年齢を1歳誤魔化して、5歳で小学校に入れられてしまい、家業を手伝わされた。馬や牛のエサを運ばされ、羊の放牧をさせられた。動物は、相手が子供だと、小馬鹿にして言うことをきかない。牛や馬に蹴られて
毎日傷だらけになったが、誰も解放してくれなかった。血まみれになって働いても、誰もいたわってくれなかった。

 学校から帰ると、おつかいが待っていた。町の商店からリヤカーで重い荷物を何キロもの距離をはこんだ。買い物は付けで買い。月末に払うシステムだったので、少年は、荷物を運ぶだけの買い物だった。

 学校に行く前には、羊の放牧をした。羊たちは少年の言うことなど聞かないので、引きずり回され倒れ、泥だらけになった。そのまま学校に行くと「汚らしい」とか「親無し子」とからかわれて虐められた。友達は一人も出来なかった。家に帰ると豚小屋や牛舎の掃除。誰も仕事を教えてくれないので、牛の乳を絞れば蹴られ、馬のエサをやれば噛みつかれた。誰も守ってはくれなかった。だから牧場の脇道をのぼり、近くの山に登って海をみた。こっそり抜け出して、遠くに見える海をみることだけが、ささやかな楽しみだった。

 そして小学2年生の春。少年は海をみるために、雪解けの山道を登っていると、子熊をみつけた。可愛い子熊だった。少年は、子熊を抱き上げようとしたら、子熊は逃げていった。少年は追いかけると、突然、母熊が現れて、少年の頭を張り倒した。少年は、ふっとんでしまった。そして気を失ってしまった。

 そして何時間たったろう?

 少年が目覚めると、夕方だった。少年は、ヒグマの巣穴に寝かされていた。母熊は、傷ついた少年の頭をなめていた。やさしそうな目だった。少年の足下には、子熊が寝ていました。母熊は、その子熊と少年をかわるがわるになめました。少年は、この熊の親子に家族の愛情みたいなものを感じてしまった。養父・養母にはない愛情を感じてしまった。そして涙がこぼれてしかたなかった。そして、いつしか寝てしまった。

 翌朝、少年が目覚めて、大急ぎで養父のもとに帰りますと、酷くしかられましたが、熊にやられた傷については、何も聞かれませんでした。そして小学校に登校し、先生に熊の好物を聞くと「リンゴでしょう」とのこと。少年は熊にリンゴをもっていこうと考えます。重いリヤカーで4キロ先にある商店で買い物するのは、少年の役目ですし、買い物はツケで行います。その時にリンゴも買って、熊に持って行ったのです。熊の親子は、リンゴを美味しそうに食べ、少年は、やっと本当の家族をみつけたのです。しかし、ツケでリンゴを買ったことがバレて、少年は死にそうになるくらいに殴られ、そして・・・・。

 以上の話は、『クマに森を返そうよ(沢田俊子)』という本の一節(実話)です。息子が夏休み中に図書館で借りてきた本で、息子は、この本の感想文を書いて宿題として提出しています。

 少年が、ヒグマの巣穴に寝かされて、傷ついた少年の頭をなめていた。
 少年の足下には、子熊が寝ていた。
 母熊は、その子熊と少年をかわるがわるになめていた。

 にわかには信じられない話しですが、登別のクマ牧場の報告を大量に読んでいる私は、実話であると思っている。本当に、ありえると思っている。


 というのも、後天的に学習するヒグマは、個体差が大きく、いろんな性格の個体があるからです。そして、登別のクマ牧場の研究報告からもあるとおり、映画『子熊物語』のような母を失ったヒグマの子供を別の熊が育てるというケースもありえることを考えると、クマに一律に『お仕置き放獣』することが正しいかどうか疑問になってくる。個体差が大きいから、一律の対応に疑問点が出てくる。お仕置きによって、人間を執拗に恨んで攻撃してくるような個体が誕生しないともいえないからだ。

 クマの個性の多様さをなめない方がいい・・・・というのが、動物写真家である宮崎学さんの考えであり、私も同じような感想をもっている。

つづく。

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2021年10月05日

クマについて【4】合戦小屋と燕山荘

 10月2日の土曜日は、息子の運動会でした。もちろん宿屋は大忙しです。緊急事態宣言の解除もあって、前日の10月1日から御客様の予約が入ってしまった。運動会当日にしても、御客さんはゼロだっさたので、安心して運動会に出られると思っていたら、まさかの「緊急事態宣言の解除」で、予約がドド〜っと入ってしまった。

 おまけに運動会の方は、新型コロナウイルスに対する配慮から、午前中に終了するプログラムになっていて、そのために私たは息子の競技を見れなくなってしまった。御客さんのチェックアウトは、10時なのに対して、運動会の競技は11時すぎに終わってしまうからです。つまり、夫婦で息子の競技はみられず、私だけがビデオ撮影するしかなかった。で、運動会が終わると、大急ぎで帰って御客さんを迎える準備。そして、その翌日には北アルプスに登るために出発しなければならない。大忙しである。

 土曜日の運動会のおかげで月曜日は、振替休日となっている。つまり、日曜日・月曜日と連休なので、北アルプスに一泊できる。で、どこにしようかと悩んだあげく、雷鳥で有名な燕岳に登ることにし、もともと帝国ホテルグループであったスーパー山小屋である『燕山荘』に泊まることにしました。


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(卵をあたためている雷鳥。燕山荘付近には、雷鳥がたくさんいる。しかし噴飯ものはダックスフンドを連れてきた登山客がいたことだ。雷鳥で有名な燕岳に猟犬連れてくるのは止めて欲しい。それをキャーキャー喜ぶ女性諸君も、よく考えて欲しい。ものすごく罪深いことだと。燕山荘も登山道入り口に『犬は禁止』と書いた方がよいと思います)


 北アルプスの山小屋には、二大グループがあって、槍ヶ岳肩の小屋のグループと燕山荘グループ(燕山荘、大天荘、ヒュッテ大槍、有明荘、合戦小屋)の二つが覇を競い合っていますが、去年は槍ヶ岳肩の小屋で、酷い接客に嫌な思いをしたので、今年は最高峰レベルの山小屋と名高い『燕山荘』に泊まってみようと思ったわけです。

 10月3日(日)。なんだかんだで御客様のチェックアウトが、10時をすぎてしまっていたために、北軽井沢を出発したのが10時30分。登山口に車が到着したのが13時。なんだかんだで登り始めたのが13時20分でした。


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(登山口・中房温泉)


 ここから燕山荘までの標準的なコースタイムは、4時間10分。コースタイムどうりに登れば、17時30分に燕山荘に到着できます。ただし、このコースは、北アルプス3大急登の一つで、すごい登坂の連続が続きます。なので、途中に多くの休憩所が作ってあり、第一ベンチから、第十ベンチまで十ヶ所の休憩のためのベンチがあり、ザックを下ろさずに休憩できます。さすが、燕山荘グループが整備しているだけのことはあり、登山道には、いろんな工夫がされていました。私自身、子供が生まれるまでは、北軽井沢の登山道をいくつか整備していたので、その苦労は痛いほどわかります。


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(北アルプスで、もっとも急な登りで有名なコース。けれど、この日は、5組の小学生連れの家族と、4組の幼児連れと出会っている。息子が3歳の頃は、幼児連れの家族は皆無だっただけに、時代も変わったなあと感心する。ちなみに、ここでもベビーキャリアは見かけなかった。幼児は、しっかり自分の足で歩いている。)

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(ベンチがたくさんあるので、休憩がてらに地図を確認したりできます。読図訓練の一コマです。子供に読図を教えるのには、とても良いコースだと思います)


 15時55分。合戦小屋に到着。合戦小屋は、燕山荘グループが経営する小屋で、いわゆる山小屋レストランで、夏はスイカを食べさせてくれることで有名です。普通、山小屋でスイカなんか食べることはできないのですが、登山口から合戦小屋まで荷物運搬用リフトが繋がっているので、スイカが食べられるわけです。また、このリフトのおかげで、燕山荘は通年営業ができます。そして、ヘリコプターを使わずに大量のゴミ類を下界に下ろせるわけです。

 そのおかげで、燕岳付近は、自然がよく保護されていて、雷鳥の天国になっています。もし、少しでもゴミで汚されていたら、それをエサにキツネ・カラスなどが、あがってきて、アッというまに雷鳥は全滅してしまいます。それを燕山荘スタッフたちは、防いできたわけです。なので、警戒心の無い雷鳥の雛たちは、燕山荘の庭先にヨチヨチと歩きながら遊びにきたりします。これは、世界的でも日本アルプスだけにしかみられないことで、非常に珍しいことで、世界中の鳥類学者たちが驚愕しています。かって雷鳥のような存在の鳥は、世界中にいっぱいあったのですが、全てヨーロッパ人が虐殺してしまったからです。つまり雷鳥の存在は、日本人の良心そのものである・・・ということらしい。


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(雷鳥の雛が無警戒にやってくるところは燕山荘くらいのものでしょう。こういう別天地に猟犬をつれてくることは、本当に謹んでもらいたい。)


 ところが、今から数十年前に雷鳥に危機が訪れます。原因は、この合戦小屋で出していたスイカにあります。御客さんが食べ残したスイカの皮の臭いにクマたちが合戦小屋に集まってきて、その周辺から動かなくなってしまった。すくに対策するのですが、一度スイカの味を学習してしまったクマはテコでも動かない。どんなに威嚇しても動かない。もう射殺しかないということになって、それも嫌だと思って、無い知恵を振り絞って考えだしたのが『お仕置き放獣』です。クマを捕獲してお仕置きして、二度と近寄らせないようにした。これが『お仕置き放獣』のはしりです。

 で、この『お仕置き放獣』には賛否両論がある。宮崎学氏は、反対論者である。ヒグマの会なども、そういう考え方に近いかもしれない。40年前の知床岬のルシャの漁師たちは、ひたすら『追い払い』に徹していた。道路にクマがいたら車で追い払ったが、草原にいる限り無視していた。お互いテリトリーをはっきり分けていた。これができたのは、ある程度、交通インフラと機械力があったからだろう。合戦小屋と燕山荘には通用しないスタイルかもしれない。




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2021年10月04日

クマについて【3】燕山荘と「お仕置き放獣」

 熊にあったら死んだふりをするといいという迷信があります。これは迷信です。ではどうして、死んだふりをしたら助かるという迷信が生まれたかと言うと、ヒグマとライオンは根本的に違うからです。

 ライオンは一度獲物を仕留めると、他の動物には見向きもしません。逃げる相手など無視して、仕留めた獲物を貪ります。けれど本来草食動物であるヒグマはそうではありません。一度仕留めたとしても、逃げる者がいたとしたら、そっちの方を追いかけてしまいます。

 ヒグマが人家を襲った時に、絶体絶命に陥って食われるだけだという時に、他の人間が逃げてしまうと、そっちの方を追いかけます。だから絶対に逃げてはダメなんです。これがライオンのような根っからのハンターだったら、一度仕留めた肉を手放すような事はありません。ここがヒグマとライオンの違いです。誰かが逃げると、今にも食い殺されそうになっても助かってしまう。ヒグマは動く者を追いかけてしまう。





 前置きはこのぐらいとして、北海道のとある海岸で食事を作っていた時に、オスのヒグマがこちらに向かってきて立ち上がったことがあります。こいつは「やばい」と思った私は、奇声をあげてヒグマに突進して行きました。ヒグマのやつは、慌ててしげみに逃げていたわけですが、その時は、いつものように大地がドスンドスンと揺れることはありませんでした。岩場の上だったからです。

 私はヒグマに突進したわけですが、決して無茶なことをしたわけではありません。ヒグマは崖の上にいて、私とヒグマの間に谷のようなものがあったので、私の突進はこけおどしでした。手にはナタとクマスプレーをもっています。ヒグマに対してナタが有効なことは、いまはなき拓銀総研の報告で、当時あきらかになっていました。

 で、私がヒグマに奇声をあげて突進しているところに、友人が援軍にきて、二人で奇声をあげたわけですが、ヒグマは藪の中にどんどん消えていきます。普通ならやぶにクマが消えると、藪はピクリとも動かないのですが、今回はどういうわけかやぶがどんどん遠くに波打って消えていく。つまりヒグマはどんどん逃げていたわけです。

 一緒にいた友人は
「ここから逃げよう」
と言いました。

 しかし逃げるも何も、もう日没で、逃げるところがない。ここには道路も無ければ登山道も無い海岸なのだ。逃げたところでヒグマの方で追いかけようと思ったら、確実に捕まってしまう。だから、その日はそこでビバークしました。警戒のためにラジオの音声をガンガンならしたわけですが、その時ちょうどアトランタオリンピックが開催されていて、日本サッカーチームがブラジルに勝って、大歓声をあげていた。

 ちなみに、ほぼ同じ頃に、ヒグマの写真家の星野道夫さんが、TBSの動物奇想天外の撮影時に、ヒグマに襲われて食べられてしまっていた。彼は「この時期は、サケが川を上って食べ物が豊富だから、ヒグマは襲ってこない」と思っていたらしいが、ヒグマの知能と、後天的な学習能力をあまくみていたのかもしれない。個体によってキャラが違うヒグマに一般論は通用しにくい。

 通用しにくいといいいえば、最近流行りのツキノワグマに対する「お仕置き放獣」に関することも、賛否が分かれるところです。お仕置き放獣というのは、人間のそばにやってくるツキノワグマを罠で捕らえて、唐辛子スプレーなどを使ってお仕置きをして、人間の強さ怖さを十分に教えて、山奥に放獣することを「お仕置き放獣」と言います。

 これを日本で最初に行ったのが、日本最高ランクの山小屋と言われる「燕山荘」です。これについては、後日述べるとして、この「お仕置き放獣」は、軽井沢町を中心として、長野県の多くの市町村で採用されています。これに否定的な見解を持っているのが、動物写真家の宮崎学さんで、個体によって大きくキャラが違っているツキノワグマに、一律に採用することの危険性を訴えています。







 それはともかく、実は昨日から今日のお昼頃まで、家族で山小屋の燕山荘に宿泊し、合戦小屋で休憩したり、燕岳を散策したりしていました。もちろん燕山荘のご主人から、ツキノワグマを「お仕置き放獣」するにいたった経緯を伺っています。これについては、明日にでも報告したいと思います。




つづく。

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posted by マネージャー at 18:22| Comment(0) | 自然−動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月02日

クマについて【2】

 一般的によく言われている
「クマは警戒心が強くて臆病だ」
という。それは本当だと思う。もちろん根拠がある。

 私は何度もヒグマやツキノワグマと出会い頭にあっていますが、ほとんどの場合向こうの方から逃げていきました。で、逃げる時には天地が揺れます。地震のように大地が揺れる。しかしその逃げて行くクマが藪の中に入った途端に、大地が揺れなくなる。つまり動かずにずっとこちらを伺っている。すぐそばにいるのだ。姿を消したらピクリとも動かない。

 距離からすれば20Mから30Mぐらいだと思う。すごい至近距離にいるわけだがピクリとも動かない。動かずにこちらをじーっと伺っているわけだが、藪の中に隠れているために、こちらからはその姿が見えない。仕方がないので、ゆっくりとその場から離れるわけだが、やはりやぶは動かない。クマは息を殺してじっとしている。非常に用心深いのだ。

 こういうケースは、知床山脈の稜線上とか、普段人間が現れないところで起きるケースが大半である。漁師の番屋がある海岸沿いでは、ヒグマたちも、それほど用心深くはない。漁師たちが作業していても、車が走っていても、われ関せずで、四六時中、草ばかり食べている。しかし、そういう光景は1990年以降の話であって、それ以前では、知床半島の海岸にヒグマが出ることはなかった。海岸にヒグマが出るようになったのは1990年頃からである。

 理由は単純明快で、ウトロにいた二人のハンター(密猟者)が、いなくなったからだ。一人は不慮の事故で死んでしまったし、もう一人は、引退して東京の方に去ってしまった。そのためにヒグマが海岸に出るようになったのである。ハンター達は、船で海岸に上陸しクマを仕留める。だからヒグマたちは絶対に海岸に出てこなかった。知能の高いヒグマは、人間をよく観察します。観察しまくって、何が安全であるか、何が安全でないかを見極める能力を持っている。人間が考えるより、彼らは非常に知能が高い。

 私は仲間四人と、クマがエサを食べている草原にテントを張ろうとした。すると漁師たちは「その場所は危ないから、この車庫にテントを張りなさい」と親切にしてくれた。そして私たちの山行計画を聞いてきた。私は
「テッパンベツ川から知床岳に登り、そこから知床岬に縦走する予定です」
と答えました。すると漁師たちは
「テッパンベツ川にクマはいないから大丈夫だ」
と答えました。これは本当でした。彼らは無知を装いますが、実はいろんなことを知っています。彼らにヒグマの事を聞いても
「さあねえ」
「俺には分からねえなあ」
と惚けますが、そんなことありません。実にいろんなことを知っている。その逆が町の人達で、出発前にいろんなアドバイスをしてくれましたが、それらの情報には嘘も多かったし、いい加減なものがいっぱいあった。ところが漁師たちの
「テッパンベツ川にクマはいないから大丈夫だ」
は本当だった。





 本当にヒグマはいなかった。
 なぜそれが分かるかと言うと糞がないからである。
 知床にはあちこちにヒグマたちの糞がある。
 鹿のフンもあれば、鳥の糞もある。
 どこもかしこも糞だらけである。
 足の踏み場もないくらいの糞の山なのだ。
 動物の糞を踏まなければ、大地を歩けないくらいの糞の山。

 野生動物が糞をしても、寒さゆえに分解されないで残っているだめだと思われる。だから私たちが糞の上を歩くとそこに新しい道ができた。雪のトレースのように道が出来た。そのくらい糞が多かった。その中でもヒグマの糞は独特の匂いを保つ。私たちは、ヒグマの糞を見つけるたびに匂いを嗅いだ。特に新しい糞は、湯気がでていた。そういう場合は、ヒグマの臭いがした。人間の鼻は、大自然の中に1週間もいると、非常に嗅覚が敏感になる。これは私だけの話では無くて、20人の参加者全員が、1週間で野生動物の臭いをかぎ分けられるようになった。

 それはともかく、湯気がでていたヒグマの糞の話にもどる。周りはハイマツだらけなので、ヒグマの奴も私たちの通る道を通っているらしい。というか、私たちがクマ道を通っていた。その証拠が、ホカホカの糞である。おまけにハイマツの新しい実がクマに囓られていた跡まであった。そんな藪漕ぎをやっていた私たちは、テッパンベツ川に行くと、クマの形跡が無かった。クマどころか鹿さえみかけなかった。
「テッパンベツ川にクマはいないから大丈夫だ」
という漁師たちの話は、嘘では無かった。彼らは非常に正確な知識をもっていた。ただ、外部の人間に簡単には教えてくれないだけだった。これは、1990年から1994年頃の話である。今は、どうなっているのかわからない。





 当時は、スマホも携帯も無かった。あっても電波が届いてない。天気予報は、ラジオの気象通報を聞いて、自分で天気図を書いて、天気を予測した。昔は気象の知識が無いと山に登れなかった。だから山ではラジオが生命線だった。おまけに40sの荷物を背負っていた。水の浄化装置・ロープ・ハーネスから軽ボートまで背負っていた。で、いったん山に入ると、無駄になるのが金(マネー)だった。一番無意味なものになってしまった。で、ヒグマのいない沢筋を登っていくと、巨大な雪渓があり、ゆくてに巨大な滝が見えてきた。そして、シマフクロウの鳴き声が聞こえてきた。

 今なら雪渓のおかげで楽に登っていける。3日たったら、楽には登れないだろう。行くなら今しか無いが、シマフクロウの声が気になる。知床岳をとるか、シマフクロウ観察をとるか悩んだが、知床岳をとってしまった。今だったらシマフクロウだろうけれど、当時の私は、知床山脈縦走の方に魅力があった。

 で、ロープで体を縛ってビバークして、知床岳にのぼり、夢のような湿原を下っていくと、久しぶりにクマのウンチに出会った。鹿にも出会った。当時の自然関連の書籍には、標高600メートル以上のハイマツ帯には、鹿もクマもいないと書いてあったが、普通にワンサカいた。いたどころか、私たちは彼らに見張られていた。そんな気がした。彼らの姿は見えないのだが、彼らが近づくと、強烈な臭いがするからだ。鹿にいたっては、キャンキャンと鳴いて警戒音を出していた。大きな角があるのに、どうやってハイマツの中を鹿たちは歩いて行くのだろうか? 不思議でならなかったし、そもそも鹿が鳴くことさえ、今まで聞いたことがなかったので新鮮だった。動物たちは、そんな私たちを遠巻きに警戒していたようだった。姿こそは見せないが、臭いだけはしたからだ。


つづく。

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ラベル:ヒグマ 知床
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2021年09月30日

クマについて【1】

 浅間山の外輪山を縦走すると、眼下に嬬恋平野がよく見えます。とても良い景色なので足を止めてキャベツ畑と林を見るわけですが、あちこちに巨大な太陽光発電が並んでいるのが見えます。太陽光発電による環境破壊によって森はどんどん狭くなっていくようです。下山後、佐久方面に降りていったわけですが、途中いろんな場所が伐採されて、カラ松が植林されていました。これは二度上峠でも一緒で、広葉樹林が伐採されてカラ松が植林されています。そして気になることはツキノワグマなどの野生動物の食料がますます減っていくことです。


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 北軽井沢では、ちょっと散歩をすると栗・どんぐりの実が、あちこちに落っこちていて、森の中にある別荘の屋根に、ぽつんぽつんと木の実の落ちる音がします。散歩すれば、その音がよく聞こえます。森の中に響いてくるわけです。そんな森が、太陽光発電などによって、里山から消えつつあるのは非常に残念なことです。

 話は変わりますが、クマというのは、執着性が非常に激しい。例えば落ちているどんぐりを見つけて食べたとすると、そのどんぐりは自分のものだと思ってしまう。毎日のように、その場所に行ってきてドングリを食べに行きます。それを誰かが取ろうとすると、泥棒だと思って攻撃することもある。春先に山菜を取りに行ったご老人達がクマに襲われるのはそのせいです。クマにしてみたら、自分の所有物を盗まれたということになってしまう。そういう性質がクマにはあるわけで、これが問題となってくるわけです。

 里山がどんどん開発されていて、餌がなくなって畑に降りてきたとする。そして一度そば畑の作物を食べると、その畑の所有権は、そのクマにあると言うことになってしまう。一度そうなってしまったら、非常に危険な状態になります。最初は野菜を食べるくらいで済むのですが、野菜だけで済まなくなってしまう。畑の側を歩く人間までも攻撃される可能性が出てくるわけです。だから絶対にくまたちを畑に近づけてはならない。

 戦前の北海道で人間がヒグマに襲われる事件が何件も起きていますが、当時はヒグマの生態がよく知られてなかったために起きてしまった事件だとも言えます。ヒグマについてよくわかってなかった時代では、畑が荒らされても、腹を立てるぐらいであんまり対策を立ててなかった。畑の次には、民家の軒先に行ってきて、軒先に吊るしてあるトウモロコシを食べたりする。そして、その対策を立ててないと、最後には人間が襲われることになる。だから最初に畑に入った時点で、駆除するべきだったわけで、お互いに不可侵の状況をつくるべきで、それを怠ると大災害が起きてしまう。





 では、一般的によく言われている
「クマは警戒心が強くて臆病だ」
というのは間違いなのかと言うと、間違いではない。

 確かに臆病な動物で警戒心も強い。
 だからこそ人間をよく見ています。
 信じられないくらいに人間のそばで息を殺して私たちを見ている。
 そして人間をよく観察している。
 観察した上で、ゴミを漁ったり、山菜を食べていたりする。
 人間はそれに気がつかないだけだったりする。

 信じられないくらいに人間の近くに生存していて、人間の生態をよく観察していることが分かっています。つまり後天的に学習する動物であるわけです。(だからクマ鈴は危険であることが定説になりつつある。それについては、後述します)

 それだけに個体差が大きくて性格もバラバラで、ツキノワグマはこうだとか、ヒグマはこうだとか、一般的に言えなかったりする。だから余計にクマに対して決めつけた発言はできない。学習能力が高いので、一頭一頭のキャラクターが本当に違っている。つまりクマと人間は、意外にお互い近いところに住んでいる。クマは、それを知っていて、多くの人間たちは、それを知らないだけなのだ。問題は、人間をよくしらない若いオスクマが独り立ちするときである。



つづく。

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2021年09月08日

空飛ぶ座布団

 最近、雨ばかりで、山に登れなくて、引き籠もっているので体の調子が悪くてイライラしています。こういうとき、近くにジムが有ったらと思いましたが、よくよく考えたら新型コロナウイルスがあるので、仮にジムが有っても通えませんね。でも、まあ、やまない雨は無いわけですし、新型コロナウイルスがおさまってから、晴天つづきの日本晴れになってくれたほうが、ありがたいと思い直しました。

 心配なのは、ドングリ・栗などの出来具合ですね。これが不作になると、山からイノシシやクマたちが下界に下りてきて畑を荒らしますから、そっちの方が怖いです。11月15日になると、狩猟が解禁になりますが、そのときにハンターさんたちが、うちに泊まりに来ますが、彼らの情報によると、最近のクマたちの動向に驚かされます。去年は、37頭も下界に現れたクマが捕獲(殺された?)されたと伺いました。去年も長雨でドングリが不作だったし、その前年には、台風19号がありましたから、それと関連があったのかもしれませんが、原因は分からずじまいです。

 嬬恋村にクマが多いことは、20年前から知っていましたし、登山ツアーで何度も出会ってますし、個人的にクマの定点観察を、桟敷山・鼻曲山付近でしたこともあります。シャクナゲ園でも毎年のようにマーキングされていますし、旧草軽鉄道跡地・浅間牧場とゴルフ場の境界線にもよく出没します。

 秋になると夕方17時頃に、大きな雄クマが、大きな体をユサユサと揺らしながら、道路をよこぎって浅間牧場に入っていくのを何十回とみていました。それが、ある年度から、ぱったりと見えなくなってしまうと「捕獲されてしまったのかなあ」と心配してしまう。小浅間山でも、ここ5年くらい、クマを見なくなりました。新しいマーキング(爪痕)もありません。そうなると「捕獲されてしまったのかなあ」と思ってしまう。

 去年、小浅間山に登に行ったら、登山口で軽井沢町役場の人と警察が、登山者にチラシを配っていました。私ももらって登山しながらチラシを読んだんですが、内容がお粗末だったので、余計なことだとは思いつつ、これは間違いだという点だけを指摘しましたが、当人は、チラシを配るのが目的だったようで、指摘しても無駄でした。特にクマ鈴が効果あるような書き方は、まずいと、理由もつけて言ったのですが、柳に風というか、
「この道路は営林署の管轄だから」
という見当違いの発言が飛び出すしまつで、こりゃダメだと立ち去りました。ただ。若い警察官だけは、しきりに感心してクマの話を聞きたがっていたので、現場の最前線にいる人たちは、好奇心が強いんだなあと感心しました。

 それはともかくとして、気になることは、最近、鹿が増えてきたことです。20年前には全くみなかった鹿たちを、軽井沢からの買い物帰りに、よく見かけるようになってきました。ちょっとヤバいなあと思っています。逆に見かけなくなったのが、フクロウです。台風19号以降、フクロウを見かけなくなっている。それ以前は、うちの近所の森でも、よく見かけたのに。これは台風19号による水害が原因だったのか? それとも、最近、大量に建設されている太陽光発電が原因なのか? よくわかりません。おそらく両方が原因なのでしょうが、いぜんは、何度も見かけたフクロウを全く見かけなくなったのには、ちょっと焦りを感じています。





 唯一の救いは、夜に軽井沢から国道146号を走ると、森の中から座布団(むささび)たちが飛び回っているのを、時々、見かけるのが救いです。そして空飛ぶ座布団を見かけた日は、かならず良いことがあるから不思議です。


つづく。

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2020年09月29日

北軽井沢のツキノワグマについて 最終回

 あれは25年前のことです。25年前に北海道の山奥に1ヶ月ほど潜入することになった私とその仲間は、ヒグマのことを徹底して調べました。 調べていくうちに、大きな疑問にぶち当たりました。研究者の中で、 ヒグマについて正反対なことを言う人たちがいるからです。

 ヒグマについて研究している先生に「ヒグマに襲われたらどうすべきか?」と問い合わせると、 彼らはカナダの事例をもとにしたヒグマへの対処方法教えてくれました。それによると、抵抗せずに亀のようにゆっくり待って相手が去っていくまで待てというものです。いわゆる死んだふりですね。

 これに真っ向から反対してる人達もいました。もう潰れてなくなってしまいましたが、拓殖銀行のシンクタンクである拓銀総合研究所というところが、日本では死んだふりをして助かった例がないと言い、日本において助かったケースは、全てナタで反撃した例ばかりであると統計で証明していました。

 これに対する反論もたくさんあって、特に有名なツキノワグマ研究家が、そんなバカなことはないと、反論されておりました。ヒグマ研究家は反撃しろという。ツキノワグマ研究家は、反撃なんかとんでもないという。逆なら分かるんですが、恐ろしいヒグマを研究している方が、ナタでの反撃を推奨している。

 どっちの説をとるか迷った私は、反撃する説を採用しました。知能の高いクマのことですからカナダの事例があてにはならないと考えたからです。知能が高いと言うことは、後天的に学習することが多い。つまり日本の事例を重視すべきだと。なので人数の分の熊スプレー(当時の価格で1本1万円)とナタを購入し、数ヶ月にわたって反撃のイメージトレーニングを行いました。熊スプレーも実際に発射してみて、その強力なことも身をもって体験しました。幸いなことに反撃するような危険な事態に陥りませんでしたが、こちらが反撃する気満々だったのが、ヒグマを寄せ付けなかった気がします。もちろん幸運もあったでしょう。

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  そんなことはどうでもいいとして、面白かったのは、襲われたら反撃するべきだと言った人たちのが、登別クマ牧場の関係者達だった。自然保護を絶対化する人たちとは、少しばかり毛色が違っていたことです。

 登別クマ牧場と言うと、動物園のような観光施設をイメージしますが、最初から観光施設だったわけではなく、最初はヒグマを増やして儲けるつもりだった。つまりクマの家畜化を考えていた。というのも熊の手とか、熊の胆とか、毛皮とか、熊の剥製が、昭和時代では高値で買い取られたからです。ただし、野生の熊が殺されることは、ほとんどない。ならば牧場で育てようということになったわけです。熊の家畜化。まさにクマ牧場を考えていた。

 ところが簡単にはいかなかった。どんな柵も、どんな施設も、ヒグマたちは簡単に破壊してしまう。おまけに穴を掘るのが得意なために、動物園のように、すべてコンクリートで囲った施設にせざるをえない。で、家畜化をすすめたけれど思ったほどヒグマの商品価値は高くなかった。現在のような動物園としての観光施設で延命するしかなかった。

 しかし、これがヒグマの研究に革新をもたらしてしまった。散々ヒグマに手を焼いたクマ牧場の人達によって、ヒグマの生態が、少しずつわかってきた。例えば、いつ子供を産むかということがずっとわからなかったのだが、クマ牧場のおかげで分かるようになった。出産の過程を録画することによって朝生むのか?夜生むのか?何時間かけて生むのか?というのが分かるようになったわけです。 で、急速にヒグマの生態が解明されていった。

 これに対してツキノワグマの場合、大きく遅れをとってしまった。
 本州には、登別クマ牧場のような存在は無く、
 個人のツキノワグマ好きが、ツキノワグマを飼育して調べている状態だった。

 その中で最も有名なのが宮沢正義さんです。

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 宮沢正義氏(http://kumamori.org/about/adviser/masayoshimiyazawa/から借用)
 1927 年長野市生まれ。長野電鉄勤務、農業のかたわら、
 独学で10頭のツキノワグマを20年以上も自宅で飼育。



 彼は長野郊外の自宅でツキノワグマをのべ10頭も飼育して研究をすすめていた。いわばツキノワグマ版のムツゴロウさんみたいなものですが、こういう野生動物好きの人たちの地道な研究によるところが大きかった。こういう人たちには、ツキノワグマの家畜化という視点がありませんし、それゆえに資本力も無く、大規模な実験ができていません。北海道のヒグマ研究に対して不利だった部分があります。

 ちなみに宮沢正義さんは、嬬恋村(万座温泉豊国館)・山田牧場(志賀高原横手山)に縁がある人です。


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 昔の万座温泉


 まあ、そんなことはどうでもいいとして、どういうわけか群馬県の吾妻郡(嬬恋村・長野原町あたり)では、ツキノワグマをペットとして飼う人が多くいました。もちろん北軽井沢にも15年前までは、ツキノワグマをペットとして飼っている人がいました。うちの宿の近くの人で、イノシシ牧場を経営している人が、ツキノワグマを飼っていたのです。子グマら首輪をつけ、その首輪に鎖を繋いで、その鎖が大きな古タイヤに結びつけてありました。そのイノシシ牧場は、もう存在していませんが、古い『るるぶ軽井沢』を古本屋で見つけたら掲載されているはずです。

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 クマの檻

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 今にしてみたら信じられないことなんですが、北軽井沢とか、川原湯渓谷の露店の土産物店で、檻にいれるでもなく、普通にツキノワグマをペットとして飼っている人がいました。川原湯渓谷は、八ッ場ダムに沈んでしまいましたが、その土産物店(露店)は、番犬のように飼っているペットのツキノワグマをダシにして観光客をあつめ、たいそう繁盛したと聞いてます。

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 残念ながら私が、北軽井沢に引っ越してきたときには、店をたたんでいなくなっていましたが、昭和の昔は、観光バスが何台も駐まって、一種の名物になっていたというから驚きます。群馬とか、長野では、ツキノワグマはペットにしても、家畜にして儲けようとは考えなかったようです。この感覚が、本州に登別クマ牧場のような存在が、できなかった理由かもしれません。

 そういえば、ツキノワグマのムツゴロウさんこと宮沢正義さんも、飼っていたツキノワグマに首輪をつけて、しかもワラで編んだ縄をリードにして、普通に近所を散歩していたようで、その写真がたくさん残っていますが、つくづく、昭和という時代はノンビリしていたと思います。今なら考えられないですね。



つづく。

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2020年09月28日

北軽井沢のツキノワグマについて その3

 熊が人を襲う時のサインというものがあります。これは随分、昔に調べてわかったことなのですが、本当に人を襲う熊というのは、立ち上がったりしないそうです。走って突っ込んでくることもない。本当に襲うつもりのクマは、ゆっくり歩いてくる。のっそりのっそりと首を下げてゆっくり歩いてくるのだそうです。こういう熊が一番危ないらしい。幸い、私はそういう熊に出会ってないので、今日まで命が残っています。知床でヒグマとやってこれたのも、この知識があったからです。

 ただ問題なのは、熊は知能指数が高いために個体差がありますから、絶対そうとは言い切れないことです。

 何十年か前に、やたらむやみに人間に突進してくる熊がいました。 そのヒグマを射殺して調べてみたら、癌だったようです。かなり末期の癌で苦しみもがいていた形跡があったようで、我々の知ってるヒグマの行動と違う行動をとっていたのは、そのせいだったとも言われています。つまり、ヒグマはこうだとか、ツキノワグマはこうだことか、その習性を簡単に決めつけることが、できないということなんですね。





 話は変わりますが「となりのツキノワグマ」という本で、宮崎学さんが面白いことを言ってます。 2006年に長野県が出していたツキノワグマの推定生息数は1300頭から2500頭ということでした。ところが、 2006年度に558頭のツキノワグマが殺されたという統計が出てきました。世間はその生息数を鵜呑みにして これは大変なことだと騒ぎ立てました。 慌てた長野県はこの推定数を1900頭から3700頭に引き上げました。

 これに呆れたのが、動物写真家の宮崎さんです。
 そんないい加減な数字を出したのは、どういうことだと!
 どういう根拠で、熊の生息数を出したんだと。
「そもそも一桁違う!」
と思ったのが、動物写真家の宮崎学さんでした。

 そこで彼は、2007年以降に半径2 Km 以内という狭い地域(里山)に、十箇所にカメラを仕掛けたのですか、 この非常に狭い地域に信じられない数のツキノワグマが撮影されることになりました。それらの写真は「となりのツキノワグマ」という本にデカデカと載っているんですが、なるほど、すごいものです。2 km 以内の地域に、熊がいるとは・・・と驚いてしまいます。

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https://fireside-essay.jp/miyazaki/tsukinowaguma/138.html


  これを北軽井沢、いや嬬恋村に当てはめて考えてみても、思い当たることはたくさんあります。登山道を歩けば、たくさんのクマ棚(クマが木の葉を食べた痕跡)があります。もちろん糞もある。シャクナゲ園にいたっては、毎年のように展望台が壊されてしまっている。あまりひどいので、今では壊されないように鉄の階段に作り変えられてあります。

 熊のやつは、四季の移り変わりに敏感で、ある時期は、柔らかいくるみの実ばかり食べる。そのクルミをクマが食べられる時期は、7月の一週間くらいしかない。時期を逃すと堅くなって食べられなくなる。なのでクマにしてみたら必死です。

 また、ある時期になるとフキばかり一日中食べている。フキも食べられる時期も短かいので、クマたちは、植物の成長ぐあいを敏感に感じ取って、食べるものが大きく変わっていく。ある時期の万座のクマは、ねまがりタケのタケノコを必死になって食べる。しかし、それは人間の好物でもあるために、それを巡って事故にならないかと心配しています。

 栗もクマの好物です。北軽井沢には栗が多いので、そこにクマがいても不思議は無い。そもそも、クマたちは、野菜が大好きなので、いつ畑に現れてもおかしくありません。例外はトマトです。登別のクマ牧場にトマトのタネが落ちて、それが繁殖したのですが、クマたちは誰も食べようとしない。しかし、実をもいでクマに与えたらムシャムシャ食べてしまった。どうやらトマトの茎が苦手だったらしい。

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 ちなみに、このクマ牧場では、面白い実験をしています。クマ牧場の中に電気柵を作ってその柵の中にクマの大好きなりんごを置いてみた。最初クマたちは電気柵の電気ビリビリと来てひっくり返ってしまった。成功したなと思っていたらクマ達は行列を作って電気柵の周りをぐるぐるぐるぐる回ってしまう。そのうちクマ達が穴を掘り始めた。くまの腕力はすごくて、 それはもうパワーショベルのようにどんどん立穴を掘っていく。 なるほどこうやって冬眠の穴を作るんだなと、いう具合に穴を掘っていく。 そしてりんごを食べるわけです。

  これは参ったと、今度はコンクリートの基礎を打って電気柵を作ってみました。そしてリンゴを置いてみると、穴を掘ることのできないクマたちは、立ち上がってポールを倒してしまった。そしてゆうゆうとリンゴを食べたわけです。 その間たったの1日。熊が本気になったら、農家の皆さんは、絶体絶命ということです。もちろんこれはヒグマの話なので、ツキノワグマが、このような行動に出るかどうかはわかりません。


 最後に、北軽井沢にある某キャンプ場のオーナーの話です。





 そのオーナーは、レトリバー(大型犬)を飼ってて、ジープで出かけて野山に犬を放したら、そのレトリバーが、子グマを咥えて、嬉しそうにやってきた。青ざめたそのオーナーは、子グマを放り出し、ジープに飛び乗って、大急ぎで逃げ帰ったそうです。春の北軽井沢で、レトリバーを放し飼いにしてはいけません。レトリバーの習性をあなどっては痛い目にあいますぞ。今日もを長くなったので、この辺でおしまいにします。



つづく。

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2020年09月27日

北軽井沢のツキノワグマについて その2

 ツキノワグマによる人身事故で一番有名なのは十和利山熊襲撃事件だと思います。これはどういう事件かと言うと、 、2016年 (平成28年) 5月20日から6月10日にかけて、秋田県鹿角市の十和利山山麓で発生した事件で、ツキノワグマが山菜採りに来ていた人を襲って4人が死亡、4人が重軽傷を負ったというもので、ツキノワグマにおける最悪の獣害事件で、非常に珍しいケースです。襲ったのはオスです。





 で、これと似たケースが、軽井沢でもおきています。やはり5月から6月にかけてで、山菜とりの人が軽井沢でツキノワグマに襲われています。どうして山菜採りの人が襲われるかというと、クマは、自閉症的に、確保した物や場所を保持しようとします。そこにライバルがやってくると、ライバルを排除する習性があります。

 このへんは群馬の人には分かりにくいところですが、長野県・秋田県の山菜採りの人は、趣味で自分が食べるために採ってるというより、業者さんのように大量に山菜を採る人たちで、そういう人たちが自分のテリトリーを荒らし回るわけですから、クマたちは怒って排除するのがツキノワグマです。

 一般的に言ってクマは、エサをみつけたら、そこから動かずに食べ続けます。朝から晩まで食べてないと、あの巨体を維持できません。そのうえ山菜は、食べられる時期というか瞬間が短いですから、余計に争って食べます。それを横取りしようとする奴が現れたら怒るのが当然です。

 また、この時期は、発情期のちょっと前に当たり、オスクマは、体力を蓄えなければなりません。人を襲って大惨事になるのは、このオスの方です。十和利山熊襲撃事件における4人の犠牲者のうち3人を襲ったとみられているクマもオス(84キロ)で、4歳だったといいます。





 あとクマは藪漕ぎが好きでは無く、開けた平原や林道や登山道を好みます。だから山菜採りの人とかち合うことも多いわけです。私も鼻曲山で何度もクマに会ってますが、姿を見ることはあまりなく、藪の中にいるのを確認することが多いです。私たちが登山道を歩くと、先に気がついたクマが、藪に隠れているわけで、藪をミシミシ言わせて大きな黒いものが動いているのがみえたり、藪が動いているのがみえたりする。こういう時は、かならずにおいがします。で、私たちが去って行くと、クマも登山道にもどって、食事を再開始めるわけです。もし、私が、そこに留まって山菜を採っていたら襲われた可能性があります。

 こういうことが何回か続くと、こちらも知恵がつきますから、登山道では時々、絶叫するようになりました。絶叫して登るとクマの気配が消えるからです。クマ鈴ではダメです。あれは高音域ですから。犬でもそうですが、「キャンキャン」といった高音域は、「負けました」という意味なので、鈴をつけるならクマ鈴では無く、低音域のカウベルがいいでしょう。でも、そんなもの重たくてしょうが無いので、男のドスのきいた絶叫が一番です。


 ここでヒグマの話に変わります。
 知床のヒグマです。

 知床では、1990年頃までヒグマの姿を見ることがなかった。1990年頃から、やたらと出没するようになります。原因は単純明快で、ヒグマの密猟者が、その頃を境にいなくなったからです。これは地元では有名な話で、密猟者が消えたらクマも安心してでてきた。

 密猟者は、船でヒグマを探します。だから海岸に用心深いヒグマが出ることはなかったのです。ところが一人の密猟者が事故で亡くなり、もう一人の密猟者が老齢で引退したとたん、クマたちが山から下りてきました。そして自然保護活動が盛んになり、知床はクマの楽園になり、クマはじゃんじゃん増えていった。そして石を投げたらクマに当たるほど増えていった。

 この間、たったの10年です。
 クマの繁殖力は、すごいの一言です。





 私は、1996年に知床半島に一ヶ月ほど潜入していましたが、37頭ほどヒグマに出会ってます。そのうち二回は、1メートルの至近距離で、立ち上がって威圧してきたクマを大声(低音の絶叫)で追い払ったことがあります。仲間が逃げようと言ってきましたが、意味が無いので逃げずにテントをはり、火を燃やして、夜中ラジオを流しました。もちろん手にはクマスプレーとナタをもっています。

 その夜のことです。
 アトランタオリンピックのサッカーで、日本がブラジルを破ったのは。
 マイアミの奇跡をラジオで聞きながら満天の星を眺めていました。


つづく。

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2020年09月26日

北軽井沢のツキノワグマについて

 北軽井沢でも、この時期になると、冬眠を控えたクマが、さかんに栗・どんぐりなどのエサを食べるようになります。ハイキングや登山する方は、充分に気をつけてください。大きいクマをみつけたら、慌てずに目線をそらさずに、あとずさりしてください。クマが突進してきても逃げてはだめです。背をみせた場合、敗北を認めたことになり、襲われる可能性があるからです。熊は、本能的に逃げるものを追います。

 ちなみに大きなクマが二頭いたら、それは親子です。体が大きくとも子グマの可能性が高いです。皆さんは、ツキノワグマといったら全て同じだと思ってる人が多いですが、ツキノワグマにも種類があって、広島県のツキノワグマと、群馬県のツキノワグマでは、全く大きさが違うし、生態も多少違っています。群馬県のツキノワグマは、三国系といって、体も移動距離も大きくて、他県のツキノワグマとも積極的に交流します。





 私は、晴れていれば毎日のように登山しているので、何十回とクマに会ってますが、オスクマの巨大なことに、毎回驚かされています。それに比べてメスクマは小さい。一番、出会う回数が多いのは、昔なら桟敷山・小浅間山でしたが、今は見かけることはありません。現在、よくみかけるのは鼻曲山登山道の入り口でもある国境平付近が圧倒的に多く、その付近にある放棄別荘地のプレハブ小屋で巣を作っているからです。あと白糸の滝方面から浅間牧場に入る登山道にも出没し、ユサユサと体の脂肪をゆらしながら浅間牧場に入っていくところを何度もみかけています。こいつは17時頃になると、白糸の滝方面から浅間牧場の方に入っていきます。

 私は、浅間牧場を息子と散歩するのですが、さすがに浅間牧場で出会ったことはありません。無いですが、11月に降雪があると、クマの足跡を見かけることが何度かありました。つまり11月になっても、まだ冬眠してないということになります。

 ところでクマたちは、あの巨体を維持するために、しょっちゅう植物を食べていなければいけないので、エサばかり食べています。しかし、胃腸や歯が、草食動物のものと違っていて、犬と同じ歯であるために、植物と言っても人間が食べられるレベルの、やわらかい植物しか食べられません。だから冬になると降雪の有無にかかわらず冬眠せざるをえないのですが、逆に言うと、クマの大好物は、人間の作る野菜だったりするわけです。





 民家近くに迷い込むクマもいますが、大半は母親から別れたばかりの子グマです。クマは2年に一度、子供を産みますが、逆に言うと2年に一度、母クマから離れる子グマがいるわけで、その子グマが民家付近に迷い込むわけです。子グマといっても巨体です。子グマは生まれてから2年ほど母親と一緒に行動します(クマが成獣になるのは4歳)。かわいい子グマにみえるのは、春のうちだけで、秋になると母クマ並みの巨大となります。なので複数みえたら親子である可能性が高いわけです。

 で、一般的に母クマは、子クマを二頭生むので、二頭みかげたら、もう一頭、近くにいると思って間違いありません。その状態が一番危険な時です。母クマがどこかに隠れている可能性が高くて、子グマは呑気にしている状態なんです。なので、二頭みかけたら、人生最大のピンチだと思って、一刻もはやく立ち去るべきです。間違っても撮影しようとは思わないことです。

 あと、クマ鈴ですが、これはあまり役に立たないことがわかっています。一般的に言ってクマは耳が悪い・・・というか、音に敏感でないからです。しかし人間の話し声には敏感に反応することが分かっています。長くなったので、今日は、ここまでとします。



つづく。

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2016年06月01日

軽井沢とクマについて

 熊が出るとか出ないとか、いろいろ大騒ぎしていますが、私はあまり心配することはないと思っています。むしろ大げさに騒ぎたてて人々の外出が少なくなると、クマたちはどんどん人間の領域に入り込んできます。そちらの方が心配です。

 とは言うものの不安でしょうから、クマに出会った時の対処方法を述べておきたいと思います。熊に出会ったらどうするか? 実は、これといった決め手はないんですよね。なぜならば、クマの知能指数が高いからです。つまり学習能力が高いために、個体によって、クマの性格が全く違ってくるのです。

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 私は20年位前に知床半島の山の中で37回ヒグマに出会っていますが、クマの習性は地域によってまったく違っていました。斜里町側と羅臼町側では、まるで違っていましたし、同じ羅臼町でも一山超えると全くキャラクターが違っているんです。

 たとえば、民家のある相泊では、犬を鎖で繋いでいるために、クマが犬を食べちゃう事例がありました。しかし、そこから5時間ぐらい歩いていったところの漁師小屋では、犬を放し飼いで買っていたために、クマは犬を恐れて漁師小屋に近寄りません。その漁師小屋は、無人の時にクマが侵入して、ジュースだのお酒だのを食べていてニュースにもなっているにもかかわらず犬を恐れて近寄ってこないんです。しかも、その犬というのは、チワワに毛の生えたような豆柴犬の雑種なんですよ。

 おもしろかったのは、ルシャというところの漁師たちとクマたちの関係です。そこにはヒグマが大量にいるわけですが、お互い共生して生きていました。目と鼻の先で、クマと漁師が生活しているわけですが、クマたちが、林道に入り込むと、漁師たちは車で追いたてます。クマはすぐ逃げちゃいます。といっても、林道から5メートルぐらい藪の中に入ったら、漁師たちは放置したままです。だからクマたちは、林道に入らないように、 1日中、蕗を食べています。こうして目と鼻の先で、共に生きているわけです。

 こういうことが可能なのは、クマの知能が高いからなんですよね。

 しかし知能が高いから個体によって性格の差がありすぎる。つまり、クマに対する対処方法というのは、これといった決め手がないわけです。傘を開くと逃げるクマもいれば、逆に向かってくるクマもいます。火を恐れるクマもいれば、恐れないクマもいる。逆に言うと、その知能指数の高さを、学習能力の高さを利用して、クマに対処することもできるはずです。

 一般的に言って知能の高い動物は臆病です。
 用心深い。
 もちろんクマもです。

 だからこちらからサインを出して、相手に用心させれば、相手の方で勝手に消えてくれることが多いはずです。もし、出会ったら、動かずに、じーっとにらみつけること。場合によっては戦う事。絶対に死んだふりをしてはいきません。日本においては死んだふりをして助かった事例はないです。

 これは、たくぎん総研というシンクタンクが、過去の事例を調査して、死んだふりをしてはいけないという結論を出しているんです。たくぎん総研の報告では、鉈で戦ったケースが生還率が高いと書いてました。臆病な動物ですからクマも驚いたのでしょう。

 話わかりますが3歳以上の日本犬が、あれほど排他的で攻撃的なのは、私たちの祖先がクマに対して対処するために改良した結果だと私は推測しています。クマ臆病ですから、日本犬が放し飼いにされているところに近づかなかったと思います。だから訓練した日本犬を放し飼いにしていれば、クマたちは嫌がって近づかないはずです。とは言うものの、今の日本の社会ではそういうことが不可能なので、別な方法をとるべきです。

 その方法というのは、クマたちに何らかのサインを送ることです。例えば、来て欲しくない場所に、電気柵を作るとか、定期的に爆竹を鳴らすとか、徹底した下草刈りをすれば、クマたちは移動せざるを得ません。もともとクマというのは、あまり移動しない動物です。1年を通して、ずっと同じところに生活している。移動距離も、 100メートルとか、せいぜい500メートルぐらいです(秋を除く)。

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 あと山菜とりに一人で入る人がクマに襲われる例をよく聞きますが、ほとんどの場合営林署の林道ではないでしょうか? 営林署の林道は、滅多に車が通りません。もちろん一般車も通れませんので、クマにとっては自分の庭みたいなものです。林道の脇には山菜が沢山ありますので、それを親子のクマたちが食べます。子熊と母熊が、林道をはさんで両側にいる場合、そこに人間がきたら非常に危険です。あと、子熊は2頭いるのが普通です。合計3頭が広範囲に散らばって山菜を食べている。そこに人間が入ることは、非常に危険です。

 あと、ヒグマの親子は、 2年くらい一緒に行動します。ツキノワグマも恐らく同じだと思いますが、クマたちは子離れが遅いんです。逆に言うと、子熊でも2年目の子熊がいる可能性があります。皆さんが巨大なクマだと思っていても、それは好奇心の高い子熊の可能性もあるわけです。熊の目撃例の多い年は、そういう若い子熊が大量に出ている可能性もあります。

 そもそもクマは、あまり移動しないんですよね。
 秋は別にして、春も夏もそんなに移動はしません。
 つまり1カ所にとどまって動かないんです。
 食べてばかりいます。

 で、そこに突然人間が現れるとびっくりして襲ってくる可能性が出てきます。しかし大抵の場合は、向こうから気がついて、そそくさと逃げていきます。仮に、大きく立ち上がったとしても、どーんと地面を叩いて逃げていくだけです。

 逆に姿勢を低くして、こちらをじっと見つめている時は危険な時です。前触れもなくおそってくる可能性がある。そういう場合は、こちらも動かずに、じーっとにらみつけるのが有効です。ただ、こういうことは滅多にありません。相手をかなり刺激しないかぎり大丈夫です。普通にしていたら、相手から去って行きます。

 あと油断ならないのは、熊も病気をするということ。知床の事例で記憶しているのですが、人間に突進してくるクマがいて、それを打ち殺して解剖してみた事件がありました。そしたら、そのクマは末期ガンだったんです。つまり、余命短いクマで激痛に苦しんでいた。激痛ために冷静な判断ができなくなり、用心深さも吹っ飛んでしまって、人々に突進してきた可能性があるんです。そういう事例もあるんですね。まあそういうことも、頭の隅に置いて、もともと用心深い動物であるということを念頭に、一緒に生活していけばよいのではないでしょうか?

 ある意味、それだけ自然が豊かであるという事なので、これも立派な観光資源です。


つづく。

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2015年05月25日

軽井沢・北軽井沢のニホンリスに危機がおとずれている

 今日、住宅エコポイントを目当てに二重窓の工事が完了した。これで全客室が二重窓になった。これは大きい。というのも北軽井沢は、1年間のうち8ヶ月間もストーブを使う地域だからだ。だから省エネのための設備投資が跳ね返りやすい。

 その逆に、あまり効果が無いのが太陽光発電である。雪が降る地域だから発電効果が良いわけが無い。なのに70ヘクタールの森(村有地)を伐採して太陽光発電を作られるところだった。本当に危ういところだったが、良識ある村民の皆さんによって何とか阻止できた。ここは嬬恋村民が誇って良いところだ。

 逆に阻止できなかったのが軽井沢町である。あの自然保護に熱心な軽井沢町民が、南軽井沢の10ヘクタールの森を伐採し太陽光発電所を作ることを阻止できなかった。この件に関しては、軽井沢新聞社も色々と誌面で問いかけてきたが、ダメだった。無念である。今後は、こういう悲劇がおきないようにしたい。

 ところで軽井沢と北軽井沢に特定外来種のタイワンリスが侵入した可能性があるという。タイワンリスは適応能力も高く、繁殖力旺盛なために早いペースで増えているらしい。今では日本で最も生息数が多い。そして「ニホンリス」は、絶滅危惧種(LC)に指定されてしまった。鎌倉では、『餌付けをしないように』と呼びかけていて、他の地域でも農作物の被害など問題になっている。

 今のところ、うちの庭に来るリスは、ニホンリスの方が多いのだが、今後はわからない。そこで軽井沢・北軽井沢のニホンリスを守っていくために、ご自宅にくるリスが本当にニホンリスなのかどうか確認して、もしタイワンリスであれば、町役場に通報をしていただきたい。詳しくは、下記サイトを


http://jpmuseum.com/ploc/pr/nakano/taiwan/index.html

◆タイワンリスの特徴
・お腹が白くない。
・耳が丸くて小さい

他にも特徴があるが、耳を見るのがいちばん良い。
ニホンリスの耳は、すこし尖っている。
また、お腹が白い。
タイワンリスは、耳が丸くて小さい。
お腹も白くない。

といっても、わかりにくいかもしれないので、北軽井沢ブルーベリーYGHの庭に来たニホンリスの写真を貼っておきます。腹が白くて、耳が尖っています。目のまわりも白いです。

2015_03.JPG

2015_03.JPG

タイワンリスは、耳が尖っていません。丸いです。
お腹も白くありません。
目のまわりも白くありません。

2015_03.JPG


つづく。

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posted by マネージャー at 22:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 自然−動物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする