2021年04月26日

Uタ−ン時代

 久しぶりに軽井沢に買い物に行ってきましたが、他県ナンバーの車でいっぱいですね。旅行者の車もいるでしょうが、引っ越してきた人の車もあるようです。というのもスーパーで買い物をしてたときに、引っ越してきたばかりの人から、軽井沢の店のことを聞かれたからです。これは嬬恋村でも一緒で、去年は息子のクラスに2人も転校生がやってきています。新型コロナウイルスで、Uタ−ンしてきたためです。

 あと、新型コロナウイルスで経営悪化したホテルが買収されて、他県から進駐軍として、嬬恋村にやってきて嬬恋村に住んでいるというケースもあります。脱サラして移住してきた人もいますし、早期退職で移住して来た人もいます。北軽井沢にもそういう人が少なからずいるようです。新型コロナウイルスは、社会を根本から変えてしまいましたね。都会から田舎に人が戻ってくるわけですから。


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 近所に知り合いの農家がいますが、嬬恋村を出て行った三人の息子さん娘さんたちが、新型コロナウイルスで三人とももどってきたりしています。農家ですから食べるものには困らないし、家もそれなりに大きいし。ただ、こういう田舎は仕事がすくない。唯一の産業とも言える観光業が壊滅してますから、どうにもならない。となると嬬恋村に企業を誘致するしか無い。しかし、どんな企業がきてくれるのか?

 地熱発電というのはどうだろうか? ニュージーランドは、電力の多くが地熱発電。その地熱発電所は、日本の技術によって地下に建設されているので景観的には問題ないし、日本の地熱発電技術も問題ないはず。安価な電力があれば、それを利用した生産設備が作れる。国際競争力もつく。問題は、国立公園という壁。こればかりは無理だろうなあ。

 世界的に品不足となっている半導体工場なんかどうだろう? 清浄な水も空気もたくさんあるけど、誘致できないだろうか? 地熱発電で安電力が供給できれば、国際競争力で世界のトップになれるのに。しかし、こういう発想が昭和の発想なんだろうな。マイクロソフトやグーグールのような会社が、嬬恋村や軽井沢から生まれなければ、どうにもならないんでしょうね。


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つづく。

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2021年02月21日

新型コロナウイルス予防で、花粉症が和らいだ話

 今日は嫁さんと息子がスキーに出かけていて私は留守番です。ここ2ヶ月間は息子とスケート練習に付き合っていたので、ほとんど休みがありませんでしたが、これからは嫁さんに息子のスキー練習に付き合ってもらうので、久しぶりに一人でのんびりしています。



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 実は私は花粉症です。

 2月末から4月末までの間は、あまり外出したくないのです。特に標高を下げて外出するのが、嫌なんですよね。北軽井沢は、ほとんどスギ花粉が飛んでこない地域ではあるんですが、それでも多少は花粉があります。多少はあるんですが、 他の地域に比べたら無いようなもので、スギ花粉の時期に前橋あたりに出かけて行くと、地獄を見ますから、やはり少ないみたいです。

 けれど軽井沢でも大量の花粉があります。前橋や高崎に比べれば、ほとんどないに等しいんですけれど、 私にとっては地獄そのものです。ちなみにうちの宿には、 大量の空気清浄機が置いてありますが、これは新型コロナの為に設置したのではなくて、私が花粉症だったために、客室を全部と公共スペースのいたるところに空気清浄機が置いてある。 そうしないと生きていけない。

 どうして花粉の少ない北軽井沢の宿に、大量の空気清浄機が設置してあったかと言うと、御客さんが媒介になって東京辺りから花粉を運んでくるからです。お客さんが来ると宿中に花粉が舞い飛んで、私にとっては地獄そのものになる。なので、お客さんがいなくなったらウエットのクイックルワイパーで床に落ちてる花粉を全て拭き取った上に、空気清浄機をフル回転させ、全室の換気扇を動かして、 花粉を撲滅していました。毛布や布団には花粉除去のスプレーをかけ、掃除機で吸い取ったものです。もちろん掃除機の紙パックも花粉を漏らさない高価なやつを使っています。

 それだけ私にとっては花粉が恐怖だったんですが、今年はそういう心配がいらない。新型コロナウイルスによってお客さんが全く来ないから、ある意味助かっている。こんな楽な冬は、今まで経験して来なかったので、 来年からは、冬のお客さんがゼロでも生活ができるようなシステムに変えようかなと思っているくらいです。



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 それともう一つ。新型コロナウイルスによって、私の花粉症が和らいでいる事実があるので、全国の花粉症に悩める人たちに、ちょっとお知らせしときます。これは私だけの体験かもしれませんが、イソジンなどのうがい薬でうがいをすると花粉症が和らぎます。花粉が舞い飛ぶ瘴気の下界に行っても、以前ほど苦しくないのです。 うがい薬は大して高いものではありませんので、もし、花粉症に悩んでいる人たちがいたら、試してみても損はないと思います。最低でも、 風邪予防にはなりますから。


つづく。

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2021年02月06日

草津熱帯圏さん、軽井沢おもちゃ王国さん、大丈夫だろうか?

 嬬恋村は、群馬県の端っこの方にあります。なので生活圏は長野県をベースにしている人が多いです。例えば北軽井沢では、買い物のほとんどを軽井沢で行います。そうでない地域でも、上田の方に買い物に行く人が多くて、前橋・高崎・渋川あたりに買い物に行く人はほとんどいません。つまり群馬県でありながら、長野県のお世話になっている場所なんです。こういう地域に住んでいると、どうしても疑問が湧いてきます。新型コロナウイルスに関する疑問です。

 緊急事態宣言が起きたとき、長野県でも群馬県でも感染者が拡大していました。その結果どうなったかと言うと、長野県ではほぼ収束しつつありますが、群馬県では、収束する気配を見せません。原因はクラスター感染です。群馬県のクラスター感染の大半は、福祉施設です。吾妻郡でも専門学校でクラスター感染が起きました。吾妻郡は、しばらくの間、感染者がゼロだったので、この調子でいけば収束するかなと思ったんですが、クラスター感染が発生して、感染者が増大してしまいました。他の地域でも、クラスターは発生していています。現在調査中ですが、感染拡大が起きる見込みになっています。

 どうしてこういう事態になっているのか?
 群馬県と長野県の違いは何なのか?
 観光に関して言えば長野の方が圧倒的に観光客は多い。
 だから観光が問題というわけではない。
 じゃあ何が原因かと言うと、
 クラスター感染の有無と、東京が通勤圏にあるかどうかです。
 ではどうすればクラスター感染が防げるのか?
 そこが問題です。

 群馬県のクラスター感染は、福祉施設が17箇所と圧倒的な数を占めます。次に多いのが飲食店で10箇所。 その次に多いのが病院の4箇所。その次に多いのが保育施設を2箇所。学校という括りでみたら学校で5ヶ所のクラスター。あとはバラバラ。そして観光施設でのクラスター感染は今のところゼロです。

 それにしても福祉施設が17箇所というのは多すぎる。
 どうして、こんなに多いのか?
 この原因を究明すべきです。

 また、飲食店の10箇所も多い。
 まあ、これはしかたないのかなあ?
 でも、この統計で気をつけるべきは、ホテルより飲食であるということが、はっきりしました。
 なので、来年度は、どこを重点的に感染予防すべきがみえてきたと思います。
 つまり福祉施設・飲食・病院・学校(保育園を含む)です。


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 とにかく来年の冬についてです。
 来年の冬に、再びこういう事態にさせないように、
 今から対策をたてないといけません。
 こういう話は、去年の夏頃にも宿屋仲間たちが言っていたんですけれどね。

 これからの宿屋は、安売りでお客さんを入れるのではなくて、少しでも安全を確保する施設でないと生きていけないし、宿以外の収益も考えなければならないのかもしれません。経営の縮小も考えてもいいかも。例えば、思い切って冬期は完全閉館してしまうとかです。

 ただ、それをすると、リピーターさんが困っちゃうから、できないのも確かです。今日もスノーシューの団体のリピーターさんと、親子スキー教室のリピーターさんが泊まりに来ているわけで、やはり、こういう人たちの居場所は残しておきたい。雪山シーズンでないとダメだという御客さんも少なからずいるんですよね。

 あと、公共交通機関とか、病院とか、飲食店とか、理髪店とか、色んな店が苦労されています。宿泊施設の存在によって収益を上げてきた、クリーニング店とか、 灯油・ガスなどのライフラインを提供していた業者さんも大変な事態になっています。だから灯油屋さんが、米のセールスなんかにやってきたりしています。みんな生きるのに大変みたいですね。


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 それにしても草津熱帯圏さん、軽井沢おもちゃ王国さん、大丈夫だろうか?
 この二つには、ぜひとも頑張ってほしいんですが。
 なにか自分に手伝えることがあるといいんですが。



つづく。

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2021年02月02日

思い出の写真が、危険にさらされている?

 息子は小学校の二年生なんですが、実は小学校の二年生までは、社会と理科という科目がありません。その代わり生活科という科目があります。その生活科の授業で、生まれてから小学校二年生までの写真が必要だというのです。どうやら写真を使って自分の歴史を作る授業らしいのですが、こういう授業は、私の子供の頃にはなかったので、驚きました。

 慌てて、あちこちのハードディスクに入っている息子の写真を探しまくり、なんとか二十枚ぐらいを用意したんですが、どこに保存されているのか探し出すのに苦労しました。そしてそれを持って、北軽井沢にあるコンビニのローソンに行ってプリントアウトしたんですが、そのプリントアウトの仕方がよく分からなくて戸惑いました。

 なんとか作業終了させると、いつまでたっても写真が出てこない。変だなあ変だなあと思いつつどうしても出てこないので店員さんに聞いてみたら、写真が出てくる場所が違っていた。私はコピー機のところから出てくるものだと、ずっとコピー機をにらめっこしていたんですが、そうではなくて別のところから写真が出てきていた。訳分からん。

 で、出てきた写真を見てみたら、これが非常にきれいに印刷されているんで驚きました。一昔前のフィルムを現像した写真と何ら遜色がない。というわけで、それらの写真をしげしげとみたわけですが、パソコンで見る写真と違ってプリントアウトされた写真も捨てたものじゃないなと感心したものです。



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 話は変わりますが、私の一族は、やたら学校の先生が多い。私の弟たちも学校の教師ですし、その嫁さんも教師だったりする。うちの嫁さんの姉妹も教師だったりするし、その旦那さんも教師だったりする。だから教員の内情というのは、ある程度聞かされて知っています。

 弟が教師になりたての時(今から三十五年前)に、
「夏休みの登校日がどうして設定されてるか知ってる?」
と聞かされて
「先生が、子供たちの顔を見るためでしょ」
と答えたら、弟のやつはニヤリと笑って
「あれは教師の給料日とボーナス日なので、学校に行かなければならないので、ついでに生徒も集めちゃうっていうことなんだよ」
と聞いて驚いたことがあります。

 もちろん今ではそういうことはありません。今は給料は振り込み制ですし、夏休みだから教師が学校に行ってないということもありません。新型コロナで学校が休校の時だって、先生たちは学校に行って仕事をしています。今から三十五年前の状況であって、今の学校ではもっと厳しくなっています。

 じゃあ昔は、ひどかったかというとそういうわけではなくて、そういう緩い体制のおかげで、夏休みの間に郷土史を研究して業績を上げる教師や、地質や植物を研究してとんでもない学者になった教師がジャンジャンいました。ある日本史の先生は、高校の教師から筑波大学の教授になったりしていますし、ある生物の先生は、植物学者の大家となって、よくNHKに出演されていました。昔は学校の先生によって、地方の文化が支えられていたという側面があったのです。まあそんなことはいいとして、もう一つ教師あるあるについて述べてみます。

 これは人によって違うと思いますが、学校の先生は、スーパーのレジなんかで父兄と一緒に並ぶのが気まずいらしくて、わざわざ遠くのスーパーに買い物に行くらしいです。まあ人によっては、かごの中身を見られるの嫌に思うかもしれませんね。逆に父兄にしてみても、これに当てはまる人がいるかもしれません。学校の先生と一緒に並ぶのが嫌だという父兄もいれば、子供の同級生の父兄と一緒のレジに並ぶのを嫌がる人もいるかもしれません。

 この逆が観光協会です。観光関係者は、同業者を見つけるとそばに寄ってきます。そして、にこやかに挨拶をして
「お客さん入ってる?」
と聞いて、相手の情報や景気の状態を探ったりします。話すことは山ほどある。お客さんの傾向とか、食材の値上がり状態とか、嬬恋村の野菜の出来不出来のお話とか、とにかく親しげにガンガン話しまくる。実際親しいわけではない人でも、とにかく顔を見たら楽しそうに話す。腹の中はともかくとして、情報交換だけはしっかりやる。

 学校の先生や父兄との出会いとは真逆の反応になる。

 それゆえに息子が生まれて子供関連の人たちとの対応に最初は面食らったものです。なので、今では学校関係者とある程度距離を取りながら、観光関係者とは親密な状態です。とはいうものの、あくまでも個人差のある話で、誰もがそうだというわけではありません。

 元々私は、無愛想で必要最小限の接触しかしませんので、これが一般的なのかどうかは分かりません。私は、視力が極端に悪いうえに、難聴で耳が聞こえにくいために、子供の頃から人付き合いが苦手だった。ただそのために、文章を書くことを苦にしない人間になっていた。人間誰にも長所もあれば短所もあります。

 最後にもう一つ、教師あるあるについて。
 実はこれからが本題です。
 ここから長い伏線の回収に入ります。

 息子は小学校の二年生なんですが、その授業で、生まれてから小学校二年生までの写真が必要なことは前に述べました。写真を使って自分の歴史を作る授業らしいのですが、昔なら考えられなかった。写真が貴重だったし、現像料金もバカ高かったからです。そもそもカメラを持っている人が少なくて、写真と言えば、町の写真館に撮りに行ったくらいですから。スマホやデジカメでジャンジャン撮影できる現代人には、想像もつかないのが、昭和三十年代だった。

 それでも、当時の親たちは必死になって我が子の写真を撮影し、それを大きなアルバムに貼って大切にしまっていた。写真が安く現像できるようになったのは、昭和五十年代にはいってからで、それまでは写真は貴重だった。貴重だったけれど、昔の人は、たくさんの写真をアナログデーターとしてい子供に残してくれていた。それらは、タンスの奥にホコリをかぶって死蔵されているかもしれないけれど、貴重な画像データーとして残してくれていた。

 そして令和時代。誰もがスマホで写真を撮りまくる時代に、自分の写真が一枚も無い子供がいるという信じられない事態がおきているらしい。

 「まさか?」と思うかもしれないけれど、そういう子供に出会った教師が現に存在する。
 これこそ「まさか?」の「あるある」なのです。
 昭和時代にはありえなかった「あるある」です。

 原因として、撮りためたデジタルデーターをパソコンの故障などで大量紛失したり、ハードディスクの故障で大量紛失してしまう可能性が考えられます。しかし、それだって復旧できないわけではない。

 一番、やばいのが、USBメモリや、SDカードです。

 最近は大容量のものがあるので、四千円くらいの128ギガのSDカードで五年くらい撮り続けることができる。しかし、USBメモリや、SDカードくらい保存に向いてないものはない。これは、その筋では常識なので、絶対に憶えておいた方がいい。ある日、突然、消えてしまうことがありえる。中国製だからそうだということではなく、そもそも構造上の問題で、長期保存ができないうえに、一回壊れたら、救出が出来ない存在です。だから、絶対に、こまめにバックアップする必要があるのですが、下記サイトのアンケートによると

https://www.iodata.jp/ssp/magazine/112/index.htm

 家族の思い出(写真や動画)をバックアップしているのは全体の六割しかなくて、約三割の人が家族の思い出(写真や動画)を無くした経験があり、その主な原因は機器の故障によるものであるという。だからこそ、長期保存できるバックアップが絶対に必要なのですが、これが難しい。ハードディスクにも寿命があるし、ブルーレイはもっと危険。SDカードなんかはもっての他。そうなると、ある程度は、プリントアウトして、アナログデーターとして残しておくのもよいかもしれない。その方が後世まで残り続ける可能性が高い。


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 もし、あなたの祖父母が死んだとして、祖父母の写真アルバムを捨てることはないと思うけれど、これが古いハードディスクだったり、ノートパソコンだったどうだろう? ウインドウズ95くらいに古いノートパソコンの中身を、捨てる前に、すみからすみまで、わざわざ検証するだろうか? ITに詳しい人ならともかくとして、あなたがIT音痴だったら検証するだろうか?

 そう考えると、思い出の写真は、後世のためにもアナログデーターとして残しておくのもよいかもしれません。



つづく。

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posted by マネージャー at 10:02| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年02月01日

小学校から書道セットのカタログが届いた

 息子がもうすぐ三年生になるということで、リコーダーと書道セットの注文の用紙が届きました。三年生になると習字があるんですね。私はてっきり習字の授業はないものと思っていました。それで驚いたのは、書道セットのカタログです。すごくおしゃれな書道セットがずらりと並んでいる。アディダス(Adidas)の書道セットなんかもある。


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 嫁さん(昭和47年生)は、このアディダス(Adidas)のブランドにいたく感動していた。嫁さんの実家館林では、アディダス(Adidas)が高くて買えなかったために、みんなオディダスというバッタもんを使っていたらしく、そういうバッタもんが、館林中に大流通していたらしい。

 逆に私(昭和36年生)が生まれた佐渡島には、そういうバッタもんは無くて、猫も杓子もアディダス(Adidas)ばっかり持っていて、私にとってアディダス(Adidas)は、いまで言うユニクロみたいな存在で誰も欲しがりはしなかった。そもそも書道セットに、なぜアディダス(Adidas)なのか、さっぱり分からない。なので、息子には
「好きな書道セットを選びな」
と言い、息子もアディダス(Adidas)でない書道セットを選んでいる。


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 ちなみに私が子供の頃は、筆も硯も別個に買って持って行った気がします。墨も硯ですっていた。そもそも書道セットなんてものが、あったかどうかも記憶にない。というのも私が子供の頃は、物心がついた頃に習字を始めてる子供たちが多かったからです。昭和30年代から40年代にかけては、塾といえば、そろばん塾か習字の塾でした。

 私が生まれた佐渡島の金井町というところは、人口が五千人ぐらいしかないくせに、私が知ってるだけで書道家が四人ぐらいいて、そのお弟子さんが何人かいて、それぞれが塾を開いて盛況でした。小学校の三年生ぐらいで草書体や篆書体をかく子供たちもいて、優秀な作品は巻物にして展示されたりしたものです。小学校でも、毎月のように書道の発表会があって、廊下にずらりと展示されていました。

 当時は、習字がうまいということは、勉強や運動ができることと同じくらいのステータスだったと思います。ただし私には興味が無かった。無かったけれど、友達が全て習字の塾に行くというので、私も一緒に行くことにした。遊び相手が塾に吸収されて消えてしまうからです。というわけで、私は小学校三年生の頃に、短期間習字の塾に通いました。で、いきなり頭角を現したんですが、すぐに駄目になってしまった。

 まず、入塾して先生に目をつけられてしまった。
「うますぎる」
というのです。そして個人的に特訓をうけるようになってしまい、それが原因で私は習字が嫌いになってしまった。

 みんなはすぐに帰ってもいいよと言われるのに私だけ帰ることを許されなかったからです。友達と一緒に遊ぶために塾に行ったのに、その友達はすぐに解放されて、私だけが居残りになってしまうのに無性に腹が立ってしまった。

 ちなみに、どうして先生に「うますぎる」と褒められたかと言うと、これには原因があって、子供の頃からなんでもトレースしてしまう癖があったからです。

 トレースというのは、手本を見て、そっくりコピーしてしまうことです。何をトレースしていたかと言うと日本地図・世界地図・鉄道線路とかです。特に日本地図は毎日のようにトレースしていたために、本物そっくりに書く技術がどんどん上達していたのです。

 そういう状況下で、習字の塾に入ったわけですから、トレースの要領で習字を始めたわけで、手本そっくりに書くのが普通にうまかったらしい。それを先生が誤解して、私のことお習字の天才だと思ったらしく、友達は一時間ぐらいで解散していいのに、私だけ三時間ぐらい残されて嫌になってしまった。なので、私はわざと下手くそに書いて
「今日はもう帰りなさい」
と言われるようになり、最終的には習字の塾そのものに行かなくなってしまった。

 ちなみに書道の技術と、トレースの技術は全く違います。手本と同じ文字を復元する能力と、習字が上手くなる能力は全く違う。習字というのはあくまでも字を上手く書くことであって、「とめ・はね・はらい」に気をつける。けれどトレースする人間は、そんなものより空間構成を見ている。だから書道とトレースは別物で、手本をコピーすることと、字を上手に書くことは、必ずしも一致してない。これは、少しでも美術をやった人なら理解できると思う。

 私が習った習字の先生には、これがわからなかったんだと思う。私は、日本地図やウルトラマンに出てくる怪獣コピーするのが好きだったわけで、そういう技術があって、その延長線上に習字を書いていただけで、決して字が上手く書けたわけではなかった。そもそも字をうまく書こうと言う気持ちがなかったので上達するわけがない。

 しかし、書道の先生には、そんなこと分かるわけがなく、
「うわー上手だなあ。惜しいなあ。墨が薄くなかったら師匠に提出するんだけれどなあ。墨が薄いんだよね。もっと濃く墨をすって、もう一度書き直しなさい。墨が濃かったら一発で昇級するから頑張ってね」
と、赤字で二重丸をつけて
「これは上手いから、部屋に飾っておきなさい」
と言います。そんなもの飾るわけがない。いつもクシャクシャにして捨てていた。飾ったのは1回だけだった。それよりも子供の頃の私は、どうして皆と一緒に遊べないんだという鬱憤がたまっていった。

 ちなみに私が習っていた先生は、某書道家の高弟の方だったらしく、教え子に対する昇級・昇段の権限が無かったので教え子を昇級させるためには、作品の提出が必要だったらしい。だから少しでも良い作品を生徒に書かせることに熱中していた。で、見込みがあると判断した私だけを居残り練習させていたので、それが嫌で辞めてしまった。





 その後、親がやっていた日本習字という通信教育で、何年か習字を勉強して四段くらいにはなったんですが、中学校に入る前にやめてしまった。やはり字を上手に書こうと言う気がなかったんだと思います。

 私がやっていたのはあくまでもトレースで習字ではなかった。それが証拠に手本がないと下手くそだった。ちなみに当時の日本習字という通信教育は、トレースぎみの教育システムで、「とめはね」よりも「空間設定」を重視していたので、トレース好きな人間には、もってこいの書道だった気がします。もっとも今の日本習字が、どういう教え方をしているのかは分かりませんが。

つづく。

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2021年01月28日

損している群馬県民

 今は中止となっている go to travel を使って、群馬県内の、いくつかのお宿さんに宿泊してみました。そして、わかったことがあります。ネイティブな群馬県民が、経営する宿が、ある部分損してるところがある。

 草津温泉にある某温泉ホテルに泊まったんですが、そこの口コミが非常に悪かった。でもまあ安いので、仕方ないなあと思いつつ泊まったんですが、泊まってみたら素晴らしい温泉ホテルだった。料理も、客室も、何から何まで言うことなかったのに、口コミが非常に悪かった。

 で、どうして口コミが悪かったかと言うと、群馬県民には通用しても、他の地域の人たちには通用しない接客をやっていた。そのホテルでは、草津温泉の中心地からかなり離れていたので、バスターミナルや、湯畑から送迎バスでお客様を送迎していたわけですが、送迎バスに乗る前に、お客さんはアルコール消毒をさせ、そして、ホテルに着くと、玄関でもう一度消毒をさせられるわけですが、それを不審に守ったお客さんが

「送迎バスに乗る前に消毒したんですけれど、玄関でも消毒するんですか?」

と聞いた。東京のホテルならここで、

「すいませんね。もう1回お願いしているんですよ」

と柔らかく答えが返ってくるわけですが、そのホテルではぶっきらぼうに

「(消毒)する!」

と冷たく言い放つ。けれどその従業員は、決して冷たい人ではなくて、群馬県では普通に見られる光景です。要するに言葉と態度が粗っぽく見える。こういうことは、よくあって「・・・は、できないんですか?」という御客さんの要望に「できないなあ」と即座に否定する。イエス・ノーがキツいために、御客さんが不機嫌になっている。大きなホテルでも、こういう接客をする。ただし、当事者に悪気があるわけではない。そういう文化なんですよ。

 ある店で、店の主人と井戸端会議していたら、御客さんがやってきて「◆◆ある?」と聞いてきたことがあって、その時に店の主人が「あー無い無い」と素っ気なく返事して、御客さんを追い返して、私と夢中で会話していたけれど、私の心はヒヤヒヤものでした。こういう接客する人たちが少なからずいるんですが、決して悪気があるわけで無くて、この人は、困っている人がいると、とことん親切で、親切の塊のような人なんですから、たちが悪い。だから、もう少し都会の接客を憶えれば爆売れするのに、そういう気は全くないらしい。

 いっだったか、うちの宿に泊まったお客さんが、憤慨してる人がいたので、どうしたんですかと聞いてみたら、ある観光施設で
「・・・じゃあねーですか」
と、乱暴に返答されたと言ってた。私は頭を抱えて誤解を解いてあげました。

「・・・じゃあねーですかというのは、群馬県の敬語なんですよ」
「え?」
「信じられないかもしれませんが、群馬では役場の受付か何かで普通にお客さんに対して使われる敬語もどきです」

 そう説明すると相手は驚いていました。あー敬語だったのかと。こういう誤解はたくさんあります。北関東3県の中で、群馬県の言葉が一番標準語に近いので、起きる誤解を生んだと思います。これが栃木とか茨城だったら、もっと方言がきついので、という誤解は少ないんだと思うんですが、なまじ標準語に近い群馬県の言葉は、首都圏から来るお客さんに誤解を与える可能性が高い。


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 逆に言うと群馬県は、他人に対する壁が非常に少ない。どうして私がそんなことを知ってるかと言うと、うちの宿がユースホステルいたからです。ユースホステルというのは、日本ユースホステル協会に所属して、毎年マネージャー研修会を受けるんですけれど、その時に全国のユースホステルのマネージャー達と出会っていろいろ話をするわけです。で、そこから得られる情報を考えてみても、群馬県民の排他性はないと思います。これはお隣の長野県と比べてみても明らかに違うと思います。逆に、栃木県や茨城県には排他性がありません。北関東3県は基本的には、よそ者に対して排他性がないような気がします。それだけに馴れ馴れしくて、観光客と簡単に仲良くなれる地元民が多い。

 ただし、同じ群馬県でも、温泉地域と開拓地域では温度差があると思います。温泉地域だとどうしても排他性が高くなる。これは違法行為じゃないかなという排他性があったりする。例えば、本来なら誰でも入れるはずの食品衛生協会に新参者は入れなかったりする。そういう地域が群馬県内にあったりする。

 その逆に北軽井沢や嬬恋村のような開拓地だと、ほとんど排他性はありません。私が北軽井沢に引っ越してきた時に、まず思ったことは、北海道と似てるなあと思ったことです。風景が似てるというのではなく、北海道と同じくらいに排他性が少ない。つまりよそ者に対して壁がないということです。もちろん圧倒的に北海道の方が、壁が少ないですけれどね。



つづく。

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2021年01月24日

除雪機の性能アップさせる方法!

 朝起きたら一面真っ白な雪原でした。久しぶりの大雪に今日は一日中雪かきです。最悪なことにうちの宿の土地は1000坪近くあるので、これを全部雪かきするとなるとものすごい労力です。おまけに、ぼた雪で重い。北軽井沢はパウダースノーで有名なのに、今回は新潟の雪かと思うくらいに重すぎる。2台の除雪機を使い倒しました。

 うちの宿には、飛ばすタイプの除雪機と、ブルドーザータイプの除雪機の2台があるんですが、今回活躍したのが、ブルタイプのものです。雪が重すぎてなかなか飛びにくかったので、ブルタイプ(ホンダのユキオス)が大活躍。


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 で、思い出したのがオープン間もない頃のことです。実は、オープンしてから十数年間は、人力で雪かきをしていました。当時は今よりも雪が降っていましたから地獄でした。何しろ雪を捨てるところがないので、それに一番苦労しました。筋肉痛になるのを防ぐために、アミノバイタルやバームをぐびぐび飲んで、一日中雪かきをすると、春先になるまでに体重が10キロぐらい減ったものです。

 ところが、何年か前に物凄い大雪になってから、除雪機を買ってからというもの、除雪が楽になって、体重が減ることはなくなりました。結局、3台の除雪機を買ったんですが、一台は廃棄しています。もちろん廃棄した除雪機は中国製です。安物買いの銭失いだった。あれ(ハ○ガー)だけは買ってはいけません。金をドブに捨てるようなものです。買うなら絶対に日本製です。というわけで今は2台ともホンダ製ですが、すごく調子がいい。


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 どうしてホンダの除雪機にしたかと言うと、一番売れてる除雪機だったからです。もっと性能の良い除雪機もあったんですが、一番売れてるやつにした理由が、メンテナンスのためです。何しろ大量に売れてる製品なので、メンテナンスの仕方が、いろんな人が、YouTubeの動画で説明していたりする。キャブレターの掃除の仕方から、エンジンオイルの交換の仕方や、故障の原因の見つけ方など、大抵のことがYouTubeに載っている。だからある程度まで自分でメンテナンスができる。もちろん、買った所に持って行って修理してもらうと言う手段もあるんですが、運ぶのが大変なのと、どのくらいで修理が終わるかという問題もあるので、自分でもメンテナンスが可能な除雪機を買ったというわけです。

 というわけで、誰もが持っている除雪機を買ったために、近所の人が除雪しているところを見て、
「同じ製品なのに、うちのよりも雪が飛ぶ」
と驚いたりします。同じ製品なら、同じ性能なはずなのに、雪が飛ぶ距離が違っていて驚くわけです。

 しかしこれにはタネがあります。除雪機を使えば使うほど塗装が剥げてきて、雪がくっつきやすくなるんです。それで雪は飛ばなくなる。だから塗装して直せば、買ったばかりに近い性能が出るようになる。塗装が面倒くさい人のために、買ったばかりに近い性能が出るようになるスプレーも売っています。シリコンスプレーなんですが、塗装と兼ねるシリコンスプレーがある。今回はこれを紹介します。良かったら使ってみてください。


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 高森コーキ 離雪シリコンアクリルスプレー
 ホンダ用レッド 300ml TU-SAN-RD


https://item.rakuten.co.jp/rcmdse/oo-3770124/?l2-id=pdt_sl_item_iname_1#14858691

 除雪機に雪がこびりついて困ってる人は、これを使うといいです。
 スコップに吹き付けても良い。
 雪離れが段違いです。
 なので、除雪機を持ってない人も買ってもよい。
 透明バージョンがありますから。 

 楽天市場で買えます。Amazonより安く買えます。
 ちょうどお買いものマラソン中です。
 シリコンスプレーですから離雪効果が高いです。

 撥水スプレーにシリコンタイプが多いし、シリコンスプレーを間違えて靴の裏に吹き付けると、ツルンつるんに滑って靴の役目が終わってしまいます。自転車のブレーキやタイヤに吹き付けると、ブレーキがきかなくなります。それほどシリコンスプレーの威力はスゴイので、雪を飛ばす威力が戻ります。ぜひお試してみてください。昔の性能がもどると思います。



つづく。

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2021年01月23日

リモートワークで働くなら嬬恋村

 ここ数日、暖かい日が続きましたが、そのせいか初めて北軽井沢にまともな雪が降ってきました。日本列島に寒波がやってくると、新潟や北陸で大雪になり、北軽井沢では晴天になります。逆に暖かい日が続くと、東京に雨が降り北軽井沢に雪が降ります。今日の北軽井沢は、まさにこんな感じです。

 本来ならばこの雪は、めぐみの雪となって、スキー場が大喜びするわけなんですけれど、新型コロナウイルスのせいで、スキー場はすっからかんになっていました。世の中、うまくいきませんね。

 新型コロナウイルスは、去年の3月頃から日本列島を恐怖に陥れたわけですが、 それでも12月から3月までは、スキー場に人が来ていました。だから去年の方が、まだマシだったと言えます。 今年はもっとひどい状況になっています。 スキー場で働いてる人たちは、深刻な状況だと思います。

 大型ホテルに関しても、冬にオフシーズンであっても、スキー場にあるホテルに移動することによって、なんとか人件費を出していたわけですが、そのパターンが通用しなくなったために、大手のホテルチェーンは青ざめていると思います。 結局、地元採用のアルバイトやパートさんを切ってしまうしかないわけで、地元の雇用が壊滅的な打撃をうけることになりました。

 こうなると観光地では、何か別の手を使って新事業を起こすしかないですね。例えば、リモートワークに適した村づくりをするしかない。つまり嬬恋村の通信環境に関するインフラを整備するしかない。群馬県のチベットとも言われているウルトラ・スーパー・超過疎地嬬恋村のメリットといえば、密にならないところです。人口が少なすぎてスカスカな村ですから、密にならない。

 おまけに軽井沢は近いし、草津温泉も近い。これだけ過疎地なのにも関わらず、東京までの交通の便はそんなに悪くない。その上、 野菜が安くてうまい。遊ぶところもないし、風俗産業もない。ちょっと車で走れば、あちこちに登山道があるし、免疫力をつけるには最高な地域でもあります。おまけにカラ松が大量にあって、そのカラ松が、人間の免疫力を高める。そして薬いらずの万座温泉までとても近いし、老人になれば、たった100円で嬬恋村ないの温泉に入ることができます。おまけにこの村では、何年も前から幼稚園も保育園も無料です。小学校の給食費もありませんし、学校の教材費も村が出してくれます。

 唯一の欠点は、働く場所がないことですが、新型コロナによってリモートワークで働く風習ができ、通信環境が今以上に整備されれば、こんなに働きやすい村はないと思いますけれどね。不動産は安いし、別荘は有り余っている。行政の方でも、移住のための様々な支援が行われていますから、この際 、嬬恋村に引っ越してきて、こちらでリモートワークされたらいかがでしょうかね? 大きなホテルも、部屋を余らすぐらいだったら、いそのことマンションかなんかにしてしまったらどうでしょうかね? いくら何でもそれは難しいかな?

  とにかく、今後は観光の形態を変えていかなければならないだろうし、リモートワークのためのインフラ設備を全国的に進めなければならなくなるでしょうね。あと、免疫力を高めるためのプロジェクトを観光関係者や自治体が進めていかなければならないと思うし、 それに伴って新しい産業が生まれなければいけない気がします。

 とにかく自粛自粛で守りに入るようではダメだと思う。 もちろん自粛も必要でしょうけれど、永遠に自粛することなんかできないんだから、自粛しなくても済むような社会体制作りがいると思うし 、私個人も何かしなければいけないんだろうな。小さな小さな一軒の宿屋が、できることは限られていると思うけれど、何かしなければならないと思う。

  観光協会も、商工会も、自治体も、国も、医療関係者も、いろいろ頑張ってると思う。みんな一生懸命頑張ってるのは痛いほど感じている。ただ言いたいことは、 そういう連中の努力をぶち壊すような、安易な外国人の受け入れだけはやめてほしい。下の図(Facebookからのコピペ)にあるとおり、空港検疫で陽性になった多くの人間が、外国籍です。もう、こういうのは止めましょうよ! 台湾のように水際でブロックしましょうよ。感染者の多くは、終息していると言ってる言い張ってる国なんだから、いい加減に現実に目をやって手をうちましょうよ。


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 それはともかくとして、私が一番心配してるのは、スキー場や大手のホテルが潰れることです。 何とか頑張って欲しいですね。大手が潰れれば、地域に対するダメージが大きく残りますから。だいたいこういう時代に、ピンチをチャンスにして一人勝ちする会社が出てくるものですが、嬬恋村や北軽井沢の中から、そういう会社が出てきて欲しいものです。 できれば嬬恋村に移転してきた大企業か、ピンチをチャンスに変えて一人勝ちする会社になってくれるとありがたいな。



つづく。

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2021年01月20日

今後、上毛かるた大会が無くなってしまうのか?

 新型コロナウイルスによって、様々な伝統文化が破壊されようとしています。
 その一つに群馬県の文化である上毛かるた大会も、開かれることはなくなりました。

 上毛かるたというのは、1947年(昭和22年)に発行された群馬の郷土かるたです。
 群馬県の名所旧跡や輩出した人を札としています。

 昭和21年、浦野匡彦氏は、満州から群馬へ引き揚げ、恩賜財団同胞援護会県支部を取り仕切り、戦争犠牲者の支援に取り組んでいました。当時は、戦争孤児や寡婦などの境遇は悲惨なうえに、GHQの指令により、学校教育での地理・歴史の授業は停止されていました。

 そこで彼は、かるたを通じて群馬の歴史・文化を伝えることにし、上毛かるたを作るわけですが、GHQ(占領軍)の検閲で難航したといわれています。

 そして、昭和23年に第1回上毛かるた競技県大会が開催。
 以降、毎年行われていて、2017年で第70回を数えています。


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 群馬県人にとっての上毛かるたは、県民のアイデンティティみたいなもので、東京銀座のホステスを口説く時も、相手が群馬県民なら上毛かるたの話題を出せば、どんな難攻不落の女性でも落とすことができると、まことしやかに噂されていたくらいです。

 群馬県民の嫁さんと結婚した後に、その噂は本当なのかと聞いてみたら、
「9割方本当かもしれない」
と答えたくらいですから、やっぱり本当なのでしょう。そのくらい群馬県民は上毛かるたを誇りに思っているわけです。

 現に、うちの嫁さんは、五十歳近くになっても上毛かるたを暗記しています。そして上毛かるたで勝負をすると信じがたいぐらい早いスピードで札を取って行きます。息子が四歳の時に、四歳児の息子と嫁さんが勝負をしていましたが、全く手加減しません。

 相手は四歳児なのだから、私はわざと息子に負けてあげて、息子のやる気を引き出したりするんですけれど、嫁さんのやつは容赦せずに四歳児の息子を叩き潰します。仕方ないので、私がわざと負けて見せて、息子のやる気を出すんですが、そうやってせっかく息子のやる気を出させてあげたにも関わらず、嫁さんのやつは、無慈悲にも、それを徹底的に叩き潰し、ワンワン泣かせてしまうのです。

 仕方ないので、息子と嫁さんが上毛かるたの試合をやる時は、私が審判になってハンデをつけさせました。嫁さんは、札を読み切るまで取ってはいけないことにしたわけです。それでも、嫁さんのやつは、鬼のように四歳児の息子を叩き潰して泣かせてしまいます。

 これが群馬県のスタンダードなのか?

と、呆れたものです。

 仕方ないので、四歳児の息子に、嫁さんに勝てるように特訓しました。
 どういう特訓かと言うと、絵札の文字を消して、絵だけで取るように訓練したのです。
 しかし、それでも息子は嫁さんに勝てません。

 これほど上毛かるたに強い嫁さんなんですが、読み札の意味を全くわかりません。信じられないくらい無知なのに呆れてしまったものです。例えば

「銘仙織出す伊勢崎市」

という読み札があるんですが、銘仙の意味を知らない。新島襄がどんな人かも知らないし、田山花袋がどんな人かも知らない。けれど、田山花袋のかるたが出たら、ガンガン取ってしまう。


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 まあそんなことはどうでもいいんですけれどね。結局、何が言いたいかと言うと、群馬県民がこよなく愛する上毛かるた大会が、新型コロナウイルスによって出来なくなってしまったということです。新型コロナウイルスは、GHQ(占領軍)の検閲よりも、大きな力を持っているということです。



つづく。

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2021年01月19日

小学校2年生の算数の宿題が九九ばかりで助かった話

 新型コロナウイルスで、嬬恋村の小学校が、臨時休校になってしまって、冬休みが一週間以上伸びてしまいました。それがやっと、昨日になって学校が始まったんですが、本当に困ったものです。冬休みに続いて、いきなり一週間以上の休校ですから学校の方でも宿題などを用意できるわけもなく、各自で勉強して下さいということでした。

 仕方がないので、国語は教科書の最後まで音読をさせ、算数は毎日九九の練習を欠かさず行いました。と言っても息子は、四歳くらいから九九ができていたので、息子にとって九九の勉強は、たいしたことではありません。

 どうやって四歳ぐらいから九九を覚えさせたかと言うと、九九の歌のCDを買ってきて、車で移動するたびに聞かせただけです。四歳から九九を勉強させたわけではありません。毎回毎回九九の歌を聞かされているうちに、歌詞を覚えてしまっただけです。





 九九だけではありません。ABCのうたや、ロックンロール県庁所在地なんかも歌詞を覚え、日本史年号の歌や、元素記号の歌や、一より小さい数の歌に、大きい数の歌、一本でも人参の歌や、十二ヶ月の歌に、落語の寿限無の歌まで、四歳から六歳まで、子供園に送迎しているときに車の中で繰り返し聞かせたら、歌詞をみんな覚えてしまいました。それも無理矢理に覚えさせることなく、勝手に憶えてくれたという感じです。


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 けれど、これは三歳児から六歳児だったから通用したのだと思います。小学生に同じことをしても無理かもしれません。

 これには根拠があります。

 実は、ABCの歌だけは、二歳児の時に二ヶ月だけ盛んに聞かせていたんですが、その時は息子は聞くだけで歌うことはありませんでした。そして月日が流れて、一年か二年経った頃に、息子が突然、お風呂の中でABCの歌を歌い出したのです。こども園でそんなものを教えるわけはないし、ある日突然、歌い出してしまった。心当たりがあるとすれば、二歳児の頃に二ヶ月だけ車の中で聞かせたことがあるだけです。つまり二歳児の脳は、憶えていたことになる。

 これは脳科学的にありえることらしい。

 これに驚いた私は、四歳児の息子に、車の中で毎日というに九九のCDを聞かせれば、七歳ぐらいになって突然歌い出すかもしれないと思ったので、毎日聞かせたわけです。最初の一年ぐらいは、黙って聞いてるだけだったので、やっぱり歌わないのかなと思ったんですが、一年間延々と聞かせ続けたら、お客さんが血相を変えて行ってきて、
「オタクでは四歳児の息子さんに、九九を教えてるんですか?」
と言います。

 もちろんそんな事実はないので、そっと息子の姿を眺めてみると、確かに九九の歌を歌っている。そこで駆け寄って
「もっと歌ってみて」
と言ったら歌わなくなってしまった。

 歌うのを強制してはダメなんだなと思ったので、しばらく放置していたら、ぽつりぽつりと歌うようになってきた。こいつはいぞと思った私は、歌うことを強制させずに、とにかく聞かせることに専念しました。あと実験として、志村けんの番組で「だいじょぶだぁ」で、よく放送されていた
「ウンジャラゲの歌」
も、私の声で聞かせました。その結果、一番反応が良かったのがウンジャラゲの歌でした。





 なので息子が最初に覚えたのが、ウンジャラゲの歌なので、最初に憶えたのが月曜日から日曜日までの曜日の名前です。次に覚えたのがABCの歌で、アルファベットを憶えました。その次に覚えたのが九九の歌。九九を四歳児が憶えてしまった。と言っても九九の歌の歌詞を覚えただけで、九九を理解しているわけではない。

 その次に覚えたのが一本でもニンジンの歌。これで数の数え方をマスターし、それに続いて覚えたのがロックンロール県庁所在地。残念ながら日本史年号の歌と元素記号の歌は難しすぎたのか覚えませんでした。

 大きく脱線しました。話を戻します。
 実は、息子が小学校に入る前に九九を覚えたために得をしました。

 どういうことかというと、小学校の二年生になると宿題が多くなってくるのですが、夏はともかくとして、冬になるとスケート部の活動があるために、なかなか宿題をする時間が取れません。放課後から夕方六時半までスケートの練習があるために、家に帰ると夜の七時になります。ご飯を食べてお風呂に入れば、宿題をする時間がなかなか取れません。それを危惧していたのですが、杞憂に終わったのです。

 実は、二年生の二学期の終わりともなると、算数の宿題は九九ばかりです。つまり息子に限って言えば、算数の宿題がないのと一緒です。だから、思う存分スケートの練習ができるわけです。

「こいつはラッキー!」

と思っていたら、新型コロナの大流行が起きてしまって、スケート部の活動はあっという間に中止になってしまいました。一週間後に軽井沢の大会があるにも関わらずです。憤慨したのは言うまでもありません。わざわざ高価なスケート靴を買って、準備万端整えていたのに、活動中止とは、スケート靴は高いし、研ぎ台なんかの付属品も高い。せっかく買いそろえたのに、この仕打ちはむごい・・・。ちなみにスケート部の再開の目処はたっていません。下手したら今年は、もう再開できないかも。新型コロナウイルスが恨めしい。


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つづく。

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2021年01月02日

大寒波で、水道管(湯)が破裂している噴水になってる別荘!

新型コロナとインフルエンザの同時流行が起こったらという危機感がありましたが、結果として、今期のインフルエンザ患者は、累計でたった383人、例年の0.5%以下という記録的な少なさになっています。

(9月1日を含む第36週から50週(12月7日〜13日)の15週間の累積の患者数)

過去5年間の平均患者総数は約9万人ですから、今期の患者数は0.5%以下ということになります。新型コロナの感染リスク回避が国民に浸透し、新型コロナウイルスの感染対策が、インフルエンザの予防につながっているとも考えられる。

https://www.nippon.com/ja/japan-data/h00867/

ちなみに2018年のインフルエンザによる死亡者数は、厚生労働省の発表だと、インフルエンザが直接死因となって死亡した人が、3325人。インフルエンザにかかったことによって基礎疾患が、悪化して死亡したとされる数値が、約1万人程度。この数値を考えてみても、新型コロナウイルスに対する感染対策が、インフルエンザで死亡する可能性を減らした気がします。

ちなみに致死率をみてみると、

インフルエンザの致死率は0.1%程度。
新型コロナウイルスの致死率は、0.1%〜4%程度。

新型コロナウイルスの致死率の幅に開きがある理由は、医療崩壊の有無による幅らしいです。


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 話は変わりますが、今年は大寒波が立て続けに襲ってくるようで、北軽井沢は、明日から急激に寒くなります。日本海側が大雪のとき、北軽井沢は晴れる傾向があります。北軽井沢に大雪が降る時は、東京で雪が降る時です。逆に言うと東京が晴れているときは、北軽井沢も晴れてる可能性が高い。つまり日本海側が大雪だと、北軽井沢が晴れている。つまり放射冷却で寒くなる。酷いときには、マイナス10度。下手したらマイナス15度になったりする。つまり路面が凍結して、運転に支障が出ます。

 朝の6時頃、愛犬コロの散歩にでかけたら、近所の別荘の水道管が破裂していて、温水が吹き出ていました。ボイラーがガンガンうごいていて、温水がシャワーのよう漏れていた。こいつはヤバいと思って、その別荘に声をかけるけれど、返事は無い。留守のようです。仕方が無いので、ボイラーの元栓をしめて、たまたま知っている人の別荘だったので、管理会社に連絡したのですが、正月で連絡が取れない。どうにもならないので、管理会社の玄関に水道管破裂のメモを貼り付けておきました。


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 別荘客の皆さん、留守をするときは、水の元栓を閉めておいた方がいいです。できるなら水道管の水抜きもやったほうが良いと思います。今回は、お湯の管が破裂したので、自動的にボイラーが作動して、やばいことになっていました。たまたま犬の散歩で通りかかったから良かったですが、そうでなければ、とんでもないことになっていた可能性があります。なにしろ冬の別荘地は、人が通ることがないですから。


つづく。

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2021年01月01日

【峰の茶屋の信号にて】二輪駆動車は止まってはダメ!

 あけましておめでとうごさぞいます。
 今年も宜しくお願いいたします。


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 さっそくですが、 北軽井沢から軽井沢方面に車で出かけられる方に、ご注意申し上げます。北軽井沢から軽井沢に行く途中に、峰の茶屋という信号があります。毎年、冬になると、ここが難関になっています。昨日も、ここで苦戦している車を見かけました。

 峰の茶屋の信号について、詳しい場所をいえば、国道146号線と、白糸の滝・有料道路との交差点にあたるところです。小浅間山登山道のある四差路の信号の所です。そこが峰の茶屋の信号になります。この信号は、軽井沢方面から北軽井沢に来る場合、何の問題もないのですが、北軽井沢から軽井沢に向かう場合は、酷い難所になります。

 上がり坂だからです。

 上がり坂の信号で、いったん停車してしまうと、
 二輪駆動の車は、スタットレスタイヤでもスリップして上がれなくなります。
 路面が凍結しているからです。
 こういう場合は、人が押してもダメです。


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 なので、「信号が赤になりそうだな」と思ったら、だいぶ手前(できれば坂でない場所)で路肩に停車して、信号が青になるのを待つのが無難です。

 ただ、急に赤になってしまう場合もあります。その場合は、できるだけ止まらずに信号を越えた方がよいと思います。というのも、赤になっても数秒間は右折はOKなので、数秒間なら衝突の危険性は少ないです。このへんはケースバイケースなので各自で判断してください。

 ただし、地元民は四輪駆動車に乗っているので、自分の前に、地元民の四輪駆動車がいて、その車が、信号が赤で急に止まることがあります。その場合は、車間距離をあけて、やや斜めに止めると良いかと思います。そうすれば、坂の角度がゆるやかなので発進しやすいし、場合によってはUターンできます。

 また、車間距離さえあけて路肩に止めておけば、チェーンを装着できます。そこでチェーンを装着すれば、スリップせずに登れます。

 とにかく坂道の路面が凍結している場合、二輪駆動車はストップしないことです。
 ストップすると、スリップして登れなくなる可能性があります。

 軽井沢から北軽井沢にくる場合、峰の茶屋の信号は、下り坂になっているので、この心配はありません。ただ、それでも不用意で上がり坂で止まってしまうと、スリップして登れなくなる可能性があります。だから、できるだけ上がり坂で止まらないことです。どんなに美しい雪景色があっても、二輪駆動の車を運転しているときは、止まらないことです。いったん止まってしまうと、チェーンをつけないと動けなくなってしまいます。


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 逆に言うと、チェーンさえつけていれば、こんな心配いらないんですけれどね。不安だったら最初からチェーンを装着するという手もありますが、プラスチックチェーンならともかく金属チェーンは切れやすいので、これは最後の手段にしておきたいですよね。




つづく。

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2020年12月31日

餅つきという行事

 毎年大晦日を迎えると思い出すことがあります。餅つきです。私は昭和36年に佐渡島に生まれました。この年代に生まれた人なら分かるかと思いますが、昭和45年頃をさかいに日本がガラッと変わっていきます。それを子供の頃に体験した世代が、昭和30年代に生まれた人間です。つまり私が6歳から10歳ぐらいの頃に、日本が大きく変わっていった。昭和45年頃ぐらいから生活環境がらりと変わってしまった。それを私は覚えていますが、私の弟には、その記憶があるかどうか?


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 私が小さかった頃は、父親と祖母が大晦日に餅をついていました。これは私の実家だけではなくて、同世代の友人の、どの家庭でも大晦日に餅をついました。餅をついてない家の方が珍しかった。当時は今と違って「サトウの切り餅」のような商品がなかったので、各家庭で餅をついていました。もちろん杵と臼で餅をつきます。

 今では考えられないことですが、昔の日本では、正月とか祝い事には餅を食べる習慣があり、お正月など季節の行事やお祝い事には欠かせない特別な食べ物でした。だから年末には必ず餅をついたのです。なので、多くの家庭に杵と臼がありました。もちろん持ってない家庭をもありましたが、問題ありません。ご町内から借りて来られるのです。町内会で杵と臼を持っているところもあったと思います。それで 餅つきをしたわけです。

 餅をつくと、お盆などに小麦粉をまぶして餅を伸ばしていました。つきたての餅に、きなこや、あんこにつけて食べたりもしました。完成した餅は、ストーブなどで焼いて1ヶ月ぐらいかけて食べたものです。最後の頃は、カビだらけで、乾燥してヒビが入ってました。そんな餅は、油で揚げて食べたりしました。で、この風習が佐渡島の中から消えていたのは、昭和45年頃だったと思います。

 昭和45年頃に家庭用もちつき機というものが誕生し、どの家庭でも争ってそれを購入しました。そして、徐々に年末に見られた餅つきの風景が、なくなってしまいました。 私には二人の弟がいますが、二人とも餅つきの風景を見ていません。見ていたとしても、小さすぎて覚えていなかったりする。だから餅つきという行事が、体験的にわからなかったりする。


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 要するに、小さい頃に家庭で餅つき体験があるかどうかは、ギリギリ昭和30年代に生まれてないとわからない。それ以降に生まれると、餅つきというイベントが分からない。私の弟は餅は食べるものだと思っているけれど、最初から最後まで見学していた私にしてみたら、あれは壮大なイベントでした。もち米を蒸して、それを臼と杵でお餅をついて、完成したもの平らに伸ばす。鏡餅をつくってお供えをする。その鏡餅が、商店で売ってる餅のように、なかなか丸くならない。重力に勝てず、どうしても平べったくなって煎餅みたいな形になる。小さな子供にしてみたら、餅を作る工程が面白くて面白くてしょうがない。

 そして出来上がった餅をきな粉にまぶして食べたり、あんこをつけて食べたりする。あるいは、時間をおいて固くなったあとに焼いて食べたりする。1ヶ月くらいすると、餅が乾燥してヒビが入ってカピカピになり、それを薄く切って、油で揚げて食べたりした。作っている工程を見た上で、完成品を1ヶ月にわたって食べ続けるというのは、サトウの切り餅を買ってきて食べるのとはちょっと違う。年末に製作し、1ヶ月にわたって食べ続け、最後に油で揚げて食べ終る壮大なイベントでもありました。


 それから佐渡島では、祝い事があると笹団子を作る風習がありました。
 私が小学校1年生の時の 運動会では、祖母が大量の笹団子を作ってくれて、
 それを何日かにわたっておいしくいただいた記憶があります。

 もちろん笹団子を作る過程を見学するのも行事のひとつです。笹を集めるところや、あんこの作り方から、笹に団子をつつむ方法から、それを蒸かすところまで、子供の頃の私は、その方法が面白くて、じーっと見ていました。 特にガーゼで小豆を絞るところなんかが、面白くて何度も夢にまで見たぐらいです。


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 今では笹団子は、東京の池袋駅の売店でも売っています。いろんなところで販売されています。買って食べる食べ物になっている。しかし、昔は 各家庭で作るしかなかった。友人の家で、笹団子をご馳走になったことがあるんですが、 サイズから味から何から何まで、祖母の作るものとは全く違っていました。 各家庭でいろんな形の笹団子があったの覚えています。で、やはり笹団子を作っているのをみれる機会があったら、それをじーっと見学したものです。

(群馬だと、手打ちうどんが、新潟の笹団子にあたるのかもしれない。そして、うどん製麺機が、家庭用餅つき器に相当するのかもしれない。)

 とにかく、昔は不便だった。金を出せば簡単に買える時代ではなかったので、各家庭で作る必要があった。昔は、子供の頃にそれを見られるチャンスがあった。今では、そういう体験プログラムを提供してくれる教育団体に頼まなければいけない。で、 そういう体験プログラムを息子に与えてあげたいと思うんですが、それにしても、家庭の行事として体験することと、業者さんによる体験プログラムでは、ちょっと違うかもしれません。



つづく。

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2020年12月29日

昭和・平成・令和時代比較

 ふだんは滅多にいないんですが、時々、すごく酒が好きな御客さんが来られます。そういう御客さんの共通した特徴は、御飯を食べる速度が遅いことです。1時間も2時間も酒を片手に、チビチビちびちびやっている。特にうちの宿では、ビールが220円・酎ハイが120円など、酒が安く売られているので、何時間もチビチビちびちびやっている。で、御飯を半分ぐらい残してしまうのです。

 しかし、そういう御客さんの多くが、漬け物が大好きであることに気づきました。で、ためしにおかずの半分を漬け物にしてみたら、漬け物だけは全て無くなっている。他のおかずは残しても各種の漬け物だけは、ぺろりと平らげている。で、デザートは手つかずに残されている。

 酒飲みはどうして漬物が好きなのか?
 どうしてご飯を食べないのか?
 どうして味噌汁を飲みたがるのか?
 酒の飲めない私には、さっぱり分かりません。

 まあ、そんなことはどうでもいいとして、ここ数年、酒飲みの人が激減していることに気がついてしまった。経理を調べてみたら、アルコールの売上げが、二十年前の十分の一に減っている。これはタバコにしても言えることで、タバコを喫煙する人がめっきり減ってしまった。御飯を食べる量も半分以下になっている。昔は、一人あたり一合炊いたこともありましたが、今では0.5合も食べない人が多くなってきた。で、これが宿屋の経営に、どのような影響を与えるかというと、昔と違って業者さん大歓迎になってきている。


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 昔は、業者さんを嫌う宿が多かったと思う。昔の業者さんは、みんなヘビースモーカーだったし、へべれけになるまで酒を飲んで吐いたりもした。なにより、いつまでたっても食事の後片付けが出来なくて困った。よる遅くまで寝られなかった。だから昔は、業者さんを断る宿も多かったと思います。

 これは、うちの宿がターゲットとしている山岳会の団体さんでも同じで、昔の山岳会の団体さんは、酒タバコ三昧なうえに、吐いたり、宿をゴミだらけにして帰って行ったものですが、今では、そういう御客さんは皆無になりました。みんな礼儀正しくてマナーが良く、そのために、ついつい嬉しくなって、サービスをしまくってしまう自分がいる。

 昭和時代より、平成時代の方が圧倒的に礼儀正しいし、平成時代より令和時代の方が圧倒的に礼儀正しいと思うのが宿屋の普通の感覚だと思う。よく
「これだから、ゆとり世代は・・・」
という話を聞きますが、こと宿屋の感想を述べさせてもらえれば、ゆとり世代の方は、相手を思いやる礼儀正しい人が多い印象があります。

 それから、テレビなんかでよく聞く話で「京都人は腹黒い」という都市伝説がありますが、私の印象をいうと、京都の人くらい礼儀正しく、相手を思いやる人はいない印象があります。一人二人の話ではありません。北軽井沢は夏になると関西からドドーッと御客さんが泊まりに来ますが、相手を思いやる人が多い。あと、子育てを頑張っている御客さんも、礼儀正しく思いやりがあって思慮深い人が多い印象。ネットで言われているような非常識な人は、ほとんど見られない。例外も無くは無いですが、ごくわずかです。


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 逆に言うと、昭和時代によく見られた豪傑タイプの方は滅びてしまったのか、今では見ることも少なくなりました。インターネットが発達した現代では、そういう人を許容できない社会になってますし、そういう人は、すぐにネットワークで拡散されて、住みにくい世の中になっているのかもしれません。

 これは宿側にも言えることで、御客さんに傲慢な態度で接していたら、アッというまに口コミ拡散されて潰れてしまう可能性がありますから、宿側も、どんどん自然淘汰されていく気がします。特に新型コロナウイルスによって、自然淘汰が激しくなっていくでしょうね。

 
つづく。

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2020年12月26日

サンタクロースだ!

 やっと寒さが和らいできたと思ったら、来週から本格的な雪が降るようです。スキー場の関係者の方は、喜んでるかと思いますが、そうでない人達は、雪かきのことを考えて憂鬱になってるかと思います。ただし、雪が降るということは、 多少湿度が上がってくるので、インフルエンザや新型コロナウイルスのブロックのためには、少しばかりは効果が出てくるかと思います。なんとか新型コロナウイルスの拡大を止めたいものです。というのも、北軽井沢近辺がガランガランだからです。別荘地も、ペンション村も、観光名所もすっからかんです。コンビニの駐車場でさえも空っぽ。商店街もガラガラです。





 そんなガラガラの嬬恋村や北軽井沢に、赤い服を着て白い髭を生やしている妙な男たちを見かけるようになりました。最近は、嬬恋村と軽井沢を何度も行き来しているんですが、やたらとサンタクロースを見かけるようになった。特に別荘地にサンタクロースの姿を見かけました。

「変だな?」

と思って、車を止めてじーっと見つめてみると、そのサンタクロースは、ピザーラの配達の人でした。外出を控える別荘客が、ピザーラの出前を頼むことが増えたようで、そのためにサンタクロースを見かけるようになったみたいです。そういえば地元のスーパーに、ピザーラの移動販売の車が止まっていました。昔だったらあり得なかった。駐車場にお客さんの車が駐車できずに、溢れてしまうために、 ピザーラの移動販売の車が泊まるスペースなんかなかったような気がする。時代も変わったものです。

 それにしてもサンタさんの格好をしてピザを配達するなんて、ちょっと洒落ていますね。 閑古鳥の鳴く観光地に、せめてピザーラだけでも商売繁盛してるのに、ちょっと救われた気分です。


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 関係ないですけれど、我が家は、 私を含め嫁さんも息子もピザが大好きです。昔は、大好きなピザを食べるために、嬬恋花壇というピザ屋さんによく出かけたものですが、10年ぐらい前に潰れてしまったために、今では、自分でピザを作って焼たり、ピザトーストを作って食べたりしています。 などで我が家の冷蔵庫には、1 kg のピザ用チーズが3袋ぐらい常備されています。 なので、わざわざピザーラを頼みはしませんが、一瞬、たのんでもいいかな?と、心が動いてしまった。新型コロナウイルスで御客さんが減ってなくて、ゆとりがあったら、たのんでいただろうなあ。


つづく。

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2020年12月24日

高くついたクリスマスプレゼント

 今月28日から来年1月11日までGotoトラベルを全国一斉に停止しています。本日24日までに予約を取り消せば、キャンセル料を請求されませんが、明日以降はキャンセル料が発生します。キャンセルされる方は、本日中にお願いします。明日からは、否応なしにキャンセル料が発生します。


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 話は、変わりますが、今日はクリスマスイブです。

 毎年この頃になると、うちの息子は、サンタクロースからのプレゼントをおねだりするために、手紙を書いていました。そしてその手紙を窓ガラスに貼ってサンタクロースが読めるようにしていた。

 と言っても一週間ごとに欲しいものが変わるらしく、何度も何度も手紙を書き直しては、新しい手紙を貼り直していました。その都度、こっちはヒヤヒヤしていました。高いものでなければいいなぁと思っていたのです。で、あまりにもプレゼント用の変更が多いので、去年はサンタから手紙が届いたことにして「12月20日を締め切り」にしたくらいです。


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 もちろん今年も、10月頃からサンタクロース宛の手紙を書いて窓ガラスに貼っていました。そして毎年のように欲しいものが変わるらしく、プレゼントに対する希望がコロコロと変わっていました。ところがある日、息子が悲しそうな顔でこんなことを言うのです。

「サンタクロースというのは、存在しなくて、親が子供のためにプレゼントを買ってきてくれるんだよね」
「・・・」

どうやら息子は気がついてしまったようです。息子は小学2年生ですから、気が付くのが遅かったぐらいなんですが、それ以降、サンタクロースの話は全くしなくなりました。そして、その日から窓ガラスに貼られていたサンタクロースへの手紙は一度も更新することが無くなった。

 もちろんサンタクロースのことはフィクションだということがわかったとしても、窓ガラスに手紙を貼り付けてもいいと思うんですが、どうやら親からもらうのは気が引けるようで、ただでもらえるプレゼントなら遠慮なしにもらうつもりだったらしいんですが、親が金を使って買ってくれると知ってからは、プレゼントのことは一言も喋らなくなりました。その代わり、小さくていいからケーキを食べたいと言いました。

 そして今日がクリスマスイブなんですが、まだケーキは買っていません。今日は、2学期の終業式で、その後に空手教室とキックボクシング教室があります。夜の7時まで習い事でびっしり。ケーキを食べる暇もありません。

 おまけに二日後には、軽井沢のスケートセンターで、競技会がありますから、明日の朝はスケートの練習で、クリスマスどころの話ではなくなってきています。


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 本当ならクリスマスぐらいはのんびりさせてやりたかったんですが、実は新型コロナウイルスのせいで、群馬県ではスケート部の活動ができない状態です。息子が入っているスケート部の活動も県知事命令で中止。当然のことながら群馬県における今後のスケートの大会も開催が危うい状態です。

 そうなると息子が出られるスケートの大会は、12月27日(日)の軽井沢大会しかない。

 長野県は、群馬県ほど厳格になっていませんので、かろうじて12月27日(日)の軽井沢大会は開かれることになっている。で、これが今シーズン、息子が出られるスケートの最後の大会になるかもしれない。なので、この一週間、12月27日(日)まで宿を休館してしまいました。息子に軽井沢でスケートの練習をさせるためです。これが我が家の息子に対するクリスマスプレゼントになってしまった。一番お金のかかるプレゼントになってしまいましたが仕方ない。

 御客さんを宿泊させて、その資金でプレゼントを買ってあげる方が、安くすんだけれど仕方ない。スケートシーズンは短いからです。12月と1月しか練習期間が無いので、それを奪われてしまったらかわいそうなので、1週間だけ息子のスケートにつきあうことにしました。


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 それにしても新型コロナウイルスのやつには、本当に腹が立ちます。11月からの感染拡大は、11月から始まった外国人の入国の自由化のせいです。なので、いくら国民に自粛を行わせても、入国の自由化を止めない限り、感染拡大は止まらないと思いますから、何とかしてほしいですね。国民に自粛を求めるならば、入国の自由化もやめて、入国検疫も厳密にやってほしい。

つづく。

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posted by マネージャー at 13:46| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月01日

二十年を振り返る

 今週は、連休でもないのに、大勢の旅行者が北軽井沢に訪れたようで、北軽井沢のコンビニの駐車場には、それこそ百台以上の車とバイクがひしめき合っていました。国道146号も渋滞気味で、まるでお盆か?という感じでしたね。北軽井沢の紅葉がピークを迎えたせいですかね?

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 とにかく御客さんが多かった。
 もちろん、うちの宿も御客さんであふれています。
 ふだんなら11月は、御客さんの少ない季節なんですけれどね。

 それはともかく、今週は古い友人が訪ねてきてくれました。中富良野のペンションオーナーだった旧姓三苫さんです。彼女は、九州から最果ての北海道稚内に引っ越し、そこのFMラジオの人気パーソナリティーとなり、その後、中富良野でペンションオーナーとなって、今は九州で結婚し笑いヨガをやっているという変わった経歴の人ですが、今回は、旦那さんと一緒に、うちの宿に泊まりに来てくれました。仲の良い御夫婦で、幸せそうな二人をみていると、私も心が安まります。

 ちょっと前には、うちで働いてたことのある人が、嫁さんと、お子さんを三人つれて泊まりに来てくれたりしましたが、その時も歳月の流れに感慨深さを感じたものです。当時、独身だった人が、四人の子供を育て、しかも一番上の息子さんが、もうすぐ大学生なんですからね。よくよく考えてみたら、私は嬬恋村に来てから20年たっていました。

 20年。

 一瞬でしたね。



つづく。

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posted by マネージャー at 22:06| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月19日

登山人口は減っているのか?

 10月と言ったら、一年で一番晴天の多い月なのですが、今年はどういうわけか、お天気がよろしくありません。おまけに、あさま山、万座方面に雪が降ってしまい、せっかくの紅葉残念なことになってしまいました。でも、明日明後日は晴れそうなのでほっとしてます。お客さんから登山ガイドのオーダーが入っていたからです。

 それはともかく、今年の気象はちょっとおかしいですね。ついこないだまで、非常に暖かくて、紅葉が遅れまくっていたんですが、浅間山に突然の初冠雪。あまりにも突然だったので、日曜日には、池の平湿原に家族で偵察に行ってきたんですが、あちこちに雪が残っていました。


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 ちょうど一週間前、私は槍ヶ岳の山頂の山小屋に泊まっていたんですが、標高3000メートルの山小屋にもかかわらず、夏のような陽気でした。 夜中に外に出て星空を眺めたんですが、全く寒くありません。むしろ心地よい風が吹いていました。

 星空の星たちは、手で掴めそうなくらいに輝いていましたし、新月だというのに星明かりで北アルプスの山々がよく見えたくらいです。それがたった一週間で、あさま山に雪ですから驚きます。一体どうなってるんでしょうかね?


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 話は変わりますが、槍ヶ岳に行った時に、ちょっとした違和感を覚えました。若い人たちが、ほとんど見られなかったからです。私は毎年10月の連休が終わった後に、家族全員で北アルプスを登山するのですが、ここ数年は、山ガールと言われる若い人たちが少なからずいたものですが、今年は一人としていなかった。

 もちろん子供も少なかった。7歳の私の息子が一人だけで、あとすれ違いで槍から降りてくる12歳くらいの双子の女の子が一組くらいしかいなかった。これは上高地でも一緒で、子供たちは非常に少なかったし、山ガールも皆無。学生たちもゼロだったような。去年は、そんなことはなかったのに。これも新型コロナウイルスのせいなのか? それとも、山小屋がGotoキャンペーンをやっさてないためなのか?

 またこの時期は、山小屋で仕事をしていた若い人たちが、あちこちに遊びに出てくる時期でもあるのですが、そういう人たちも見えなかった。 というか、そもそも登山家たちが少なすぎた。 横尾山荘から槍ヶ岳までのルートは。夏ならば行き交う人たちが渋滞を作るものです。紅葉の時期ならば、 尚更ですが、全くと言っていいぐらいに 人間が少なかった。

 みんな新型コロナウイルスが怖かったのかもしれません。何しろを山小屋といえば、ぎゅうぎゅうづめの相部屋ですから、感染リスクは非常に大きい。私も今回泊まってみて、 今後は山小屋を使うのは、やめようかなと思ったりです。 来年からテントにしようかなと思ってるんですが、今年は若い人たちが少なかったこともあってテント組も少なかったです。

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 このままだと、登山人口がどんどん減っていきはしないですかね。登山というのは、2・3年くらい登らなくなると、その後ずっと登らなくなる傾向がありますから、そういう文化が消えないように何とかして行きたいなと、アウトドア派の宿屋の親父は思っています。でないと、せっかく息子に地質・天文・植物・動物を教えたのが無駄になりますから。



つづく。

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2020年09月17日

ここ20年間の嬬恋村の変化

 今日何気にコンビニに行ってみたら、駐車場にイタ車が止まっていました。ついに嬬恋村にも痛車が目に入るようになったかと、感動しました。サブカルチャーの波がこの村にもやってきたことに感慨深いものがあります。

 20年くらい前まで、サブカルチャーって何?と言うのが、嬬恋村でした。子供達もゲームで遊ぼうということもなかったですし、スマホを持つ子供たちだっていなかった。そもそも電波が入らない。テレビだって映らない。新聞だって配達されない。新聞を買うにはコンビニに行かないと手に入らない。だからうちの宿も、20年前はテレビが映らなかった。新聞は今だに手に入らないでいる。


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 そんな嬬恋村ですが、ついに10年ぐらい前までは、他の村にない、すごい美点がありました。私は20年前に、嬬恋村に移住してきたのですが、移住して一番驚いたのが、 小学生たちが見知らぬ大人に挨拶をする習慣があったことです。

 村の中心部に買い物に行くと、子供達が次々と私に挨拶をしてくれました。 これには非常に驚かされた。なぜならば、私が子供の頃は、 知らない大人と口をきいてはいけないと教育されたからです。

 と言っても、 私が生まれ育ったところは、 嬬恋村なんかよりも、もっと田舎で離島です。佐渡島というところです。しかも私が生まれたのは昭和36年です。昭和36年生まれの離島生まれの離島育ちの人間が、 子供の頃に知らない大人と口をきいてはいけないと教育されてきた。 そんな私が嬬恋村に来て一番驚いたのが、知らない大人に対して挨拶をする嬬恋村の風習です。


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 しかしこの風習は、 私の息子の世代では、すっかり廃れてしまっている。今の嬬恋村では、知らない大人に挨拶をする子供たちの姿を見ることはありません。その代わりに、子供たちの間で流行っているのが、ゲームらしい。任天堂とか、 スマートフォンのゲームが流行ってるらしいのです。

 それがあまりにも酷いために、小学校からメディアコントロールのアンケートが何度も来ていますが、そもそもうちにはゲームがないし、息子のやつはろくにテレビも見ないので、アンケートに書くことが全くありません。せいぜいテレビを見たとしても、Eテレとドラえもんとプレバトの俳句のところくらいです。

  もちろん家には、スマートフォンも任天堂もありません。その代わりにチャレンジタッチがある。チャレンジタッチというのは学習用のタブレットなんですが、そのタブレットに勉強と直結してるゲームアプリが入っている。そのアプリというのは、足し算ゲームだったり、九九のゲームであったり、英会話ゲームであったりする。息子は、それがゲームだと勘違いして遊んでいる。と言うか錯覚している。


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 親としては、このまま何年も錯覚したままでいて欲しいんですが、どうやら最近、息子のやつは、 任天堂というゲームがあるらしいということに気が付きつつある。

「任天堂って何?」
「チャレンジタッチの親戚だよ」

という具合に話をそらしているんですが、これがいつまで続くかヒヤヒヤしてます。 とりあえず、あと3年くらいは、このまま誤魔化そうかと思っています。


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つづく。

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2020年09月16日

デザインで選んで失敗してしまった迷子札

 今日の朝(6時)起きてみたら、愛犬のコロ(シェットランドシープドッグ)が、いなくなっていました。こういうことは、過去にもよくあって、今回で10回目ぐらいです。そして、すべて息子が関わっています。

 うちの犬は、息子が生まれる半年前にペットショップで買っています。だから、息子と一緒に大きくなっているのですが、息子が歩けるようになって、コロの首輪を外せるようになると、勝手に首輪を外すようになり、その度に何度も脱走しました。

 脱走すると言っても、そんなに遠くに行くわけでもなく、大抵の場合は、自宅の周りをうろうろする程度で、すぐに犬舎に戻ってきます。脱走せずに、犬小屋のところから動かずにいることもしょっちゅうです。だから、たいていの場合、すぐに見つけることができるのですが、例外もあります。

 鎖をつけたまま、遠くに行ってしまった場合です。
 5Mぐらいある鎖を引きずりながら脱走して散歩をしてしまうと、
 どこかで引っかかってしまって帰れなくなるのです。
 今日の脱走が、まさにそれでした。


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 昨日の夕方、散歩から帰ってきた愛犬コロを鎖に繋ごうとしたら、息子のやつがいつものように
「僕がつなぐ」
と言ってきたので繋がせました。

 もちろん私は息子を信用してない。
 だから本当に繋がれてるかどうか確認しています。
 そして、2度ほど繋がれているのを玄関先から目視したので安心して家に入りました。

 それがいけなかった。

 確かに息子は鎖に繋いだのですが、柱に繋いである方の鎖のカラビナを外して、愛犬コロにつないでしまった。首輪にはめるべきカラビナではなく、柱につないであるカラビナをわざわざ外してしまって、それを首輪の方につないでしまった。だから鎖がつながれていても、その鎖自体が柱に繋がれてない。

 その上、うちの犬は、野生動物でもやってこない限り脱走しませんので、おとなしく犬小屋の方で寝そべっていた。それを私が確認して、大丈夫だと安心した。タイミング悪いことに、お客さんも多かったので、忙しさにかまけて、そのまま放置してしまった。それでも、夜の11時頃には、犬小屋で寝ているのをもう一度確認して、パソコンで仕事していました。

 で、深夜12時頃に、コロが吠えていたので「たぬきでも来たのかな?」と気にもしなかった。それがいけなかった。翌朝6時に起きてみたら、コロが鎖ごといなかった。鎖が残っていれば、焦らなかったのですが、鎖ごとになくなったとなれば、大問題です。北軽井沢の別荘地は、大半が無人なので、もし無人の別荘のどこかに引っかかってしまっていたら、一大事だからです。

 お客さんのことは、嫁さんに任せて、4時間ぐらい別荘地内を探し回りましたが、全く見つかりませんでした。私が犬を探してるのを、ご近所さんにもバレバレだったみたいで、色々声をかけて頂きました。ありがとうございました。無事見つかりました。

 見つけてくれたのは、やはり別荘地の方です。どうして、私が別荘地を探しても見つけられなかったかと言うと、夜中の2時頃に、保護してくれた人がいて、コロが外にいなかったのと、朝方に北軽井沢動物病院に、連れて行ってもらったりしたので、すれ違いが多かっただめだと思われます。

 あと、保護してくれた方が、老齢だったということもありますし、毛の長い犬であることも問題であったということが分かりました。実は、コロには、迷子札が首輪についていたのですが、毛の長い犬種であるために、電話番号が書いてある迷子札が見えにくかったようです。その上、最悪なことに、迷子札の電話番号が、高齢者には見えづらかったみたいです。

 うちの犬の迷子札は、金属プレートに、うっすらと傷をつけて電話番号を書いてあるわけですが、高齢者には、その電話番号が見えづらかったようです。つまり、迷子札なら何でもいいということではなかった。高齢者にも分かりやすいような、もっと派手目な迷子札にすればよかった。あと、毛の長さに隠れないような迷子札にすればよかった。

 犬用のGPSも考えたんですが、これはあまり役に立たないようです。結局、分かりやすい位置に派手目な迷子札を装着するしかないようです。


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 問題は、我が家にいるトロイの木馬(息子)です。何度言って聞かせても、息子のやつは、うっかりコロをつなぐのを忘れるだろうし、お客さんのお子さんと盛り上がってしまうと、勝手に首輪を話してしまう可能性も大ですから、このトロイの木馬をなんとかしなければならないと、心底思いました。

 ちなみにコロのやつは、どうやって見つかったかと言うと、私が何時間もかけて探した挙句、へとへとになって自宅に帰って、パソコンに向かってFacebookに「迷い犬探してます」という記事を書いて、今度は自動車で遠くまで探しに出かけ、嫁さんのやつが別荘地にコロを探しに出かけたら、紀州鉄道列車村の辺りで、コロの盛んな鳴き声がしたそうです。

 よく見ると、保護してくれた人が、コロを連れて嫁さんの方に向かって来ていました。保護してくれた人たちは、北軽井沢動物病院に連れて行ったりしたのですが、動物病院でも飼い主が分からなかったので、最後の手段として自分で自宅に帰れるかもしれないと、歩かせて見たそうです。そして嫁さんと出会ったというわけです。つまり、保護してくれた方は、最後までコロの首輪にある迷子札の電話番号には気がつかなかったということになります。

 迷子札があればいいというものではないわけです。おしゃれな迷子札なんか、何の意味もないということがよく分かりました。こっちがかっこいいと思っても、高齢者に見えづらい迷子札だったら意味がない。多少ダサくても、カラフルで目立ちやすい迷子札でなければ、迷子札の意味をなさない。また、毛の長い犬は、長い毛に隠れてしまうということも、十分考える必要性がある。保険として、首輪に電話番号を装着するとか、予備の迷子札をもう一つ付けておくとか、現在いろんな対策を検討中です。


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 我が家の迷子札・・・オシャレだが、これだと高齢者にはみえずらいし、毛に隠れてしまう。
 今回はコロという字は確認できたみたいですが、
 裏の電話番号は高齢者にはみえづらかったようです。


 なので、下のような派手な迷子札を検討中です。
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 これは首輪に装着するタイプの迷子札。
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 ちなみにコロを保護してくれた方は、予想通り、犬を飼ってたことのある方で、深夜2時頃に、犬の鳴き声がひどいので、 外に出てみたら、 犬が吠えていたそうです。よく見ると鎖が何かに引っかかって身動きが取れない状態。それを救出して、車に毛布をかけたら、コロのやつはちょこんと乗っかって、すぐに熟睡してしまった。死んだように眠ってしまったそうです。翌朝の8時までは、ぐっすり寝ていたとのこと。良い人に保護されて本当に良かったと胸をなでおろしました。



つづく。

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posted by マネージャー at 22:52| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月15日

北軽井沢に栗の木が多い理由

 早いもので9月も15日になりました。あと2週間もすれば、10月です。10月ともなれば、 北軽井沢の紅葉が始まるのですが、その前に一足早く栗の実がパラパラと落ちてきます。家の庭の栗の木も、栗の実がパラパラと落ちてくるようになりました。

 それは突然のことで、朝方や、夜中でも、自転車小屋のポリカーボの波板の屋根の上にドスンと落ちる音がします。ああ、栗の実が落っこちただと、こっちには分かるんですが、そんなこととは知らないお客さんは、かなり驚いて、何の音だろうと質問してきます。栗が落ちる音ですと答えると、とても感心した顔になるので、 それがちょっと愉快でもあります。


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 ところで、北軽井沢には、どんぐりと栗とクルミの木が腐るほどあります。北軽井沢中が、栗だらけと言っても過言ではありません。小布施なんかの比でないくらい栗の木が大量にわいています。

 しかしこれらの栗の木は、終戦直後の開拓団に植えられた栗の木なのだそうです。元々北軽井沢には、これほど多くの栗の木はなかったらしいのです。満州から引き揚げた北軽井沢の開拓団は、 戦争か何かで飢饉になっても困らないように、栗の木を大量に飢えたと、地元の農家さん達に伺いました。だから秋になると、あちこちに栗が転がっています。そして地元民は、栗やクルミを見向きもしません。なので道端に栗のイガがたくさん落っこちていたりします。


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 いつだったか、 シーツ屋さんの人が、庭に落ちてる栗を拾ってもいいかと聞いてきました。私はどうぞどうぞ、遠慮なく、みんな持って行ってくださいと、返事をしています。お客さんにも、 どんどん持っていって下さいと毎回言っています。

 私たち北軽井沢の住人が、栗を拾うことなんかほとんどありません。どの家でも、竹ぼうきで集めて、落ち葉と一緒にゴミ捨てに持っていくか、 燃やしてしまうかの、どちらかだと思います。栗を拾って食べたのは、北軽井沢に越してきた1年目だけだったですね。

 引っ越してきた時は、何もかも珍しかったんで、栗を拾って栗ご飯にしたり、栃の実を拾って、それをアク抜きして団子にしてみたり、くるみを拾って食べてみたり、夜の夜中になると、庭に寝そべって星空を眺めたりしました。

 すると、林の中から座布団のようなものが、空を飛んだりして、 あれは何だろうと?不思議に思ったものです。その空飛ぶ座布団を私は毎日のように目撃するようになり、その座布団が、ムササビであることに気がつくまで、だいぶ時間がかかりました。ボイラー室には、ピンポン玉のようにくるまった小動物を見つけましたが、それがヤマネだと分かるまで、やはり時間がかかりました。


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 残念ながら、今は、ムササビもヤマネも出てきません。庭にあった木を全部伐採して、子供たちが喜ぶような滑り台・ブランコ・シーソーなどの野外遊具を設置してしまったからです。ちょっと残念ですが、その代わりに小さな天使たちが庭先で遊んでくれるようになりましたので、これはこれで良かったと思っています。


つづく。

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2020年09月13日

私が好きな二度上峠

 9月に入ってから、晴れたり雨が降ったり天候が安定しませんね。 8月はあんなに晴れが多かったのにちょっと残念です。それはともかくとして、今年の夏野菜は、トマトとコーンがとても美味しかったです。特にトマトは糖度が高かったです。この辺を農家さんに聞いてみたら、晴れが多くて雨が少ない日が続くと、トマトのあまみが増すそうです。考えてみれば、トマトの原産地は、南米の雨の少ない高地でした。つまり、浅間高原のような高原地帯で、雨が少ないところならば、とても美味しいトマトができるということらしいです。


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 とうもろこしも今年は甘かった。
 残念ながら、もうそろそろおとうもろこしの季節を終わります。
 今日泊まったお客さんに出したトウモロコシが最後。
 私も、最後のトウモロコシを心ゆくまで堪能しました。


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 話は変わりますが、嬬恋村の農家さんたちは、ほとんどが夜中の2時ぐらいから働きます。畑にサーチライトを点灯して、夜中にキャベツなどを収穫するわけですが、それを二度上峠と言う山から、見下ろしたことがあります。


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 まだ夜明け前で、新月の夜。美しい星空が輝いている時に、 地上のキャベツ畑が、転々と輝いている。朝どりキャベツを収穫する農家さんたちのサーチライトのあかりです。それがとても美しくて幻想的で感動したことがあります。 農家さん達にとってみたら、厳しい農作業なんでしょうが、それを山から見下ろすと、 何とも言えない地上の星々でした。


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 それも一瞬のことで、夜明けの早い夏だと、 あっという間に太陽が昇り始めます。と同時に、二度上峠に霧が降りかかり、それが一瞬の間に峠から前橋方面に流れ落ちて御来光が見えてくる。その美しさに声も出ません。1年に1回ぐらい、こんな瞬間に出会えると、この村で宿屋をやっていて本当に良かったと思ったりします。


つづく。

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posted by マネージャー at 22:39| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月10日

コンビニ袋

 コンビニ袋の無料廃止になってからしばらく経ちますが、知り合いのコンビニの店長が、参ったよと嘆いていました。何が参ったんだと聞いてみたら、売上が減ってしまったとのこと。毎日5・6本のビールを買っていたお客さんが、1本しか買わなくなったと言うのです。なるほどなと思いました。確かに私も肉まんを3個買おうとは思わない。1個で我慢するし、弁当も一人分しか買わない。というか買えない。だから嫁さんも息子も列に並ぶので、新型コロナウイルス時代に、マッチしてない制度だなあと思います。

 実は、コンビニ袋は、昔からあったわけではありません。

 コンビニの代表格であるセブンイレブン1号店は、1974年5月15日オープン。
 ローソン1号店は、1975年6月14日
 ヤマザキデイリーストアー1号店は、1977年5月28日
 ミニストップ1号店1980年7月
 セーブオン1号店1983年8月(渋川市)
 
(関係ないけれど、モスバーガー1号店は1972年なのでコンビニより早かった)

 コンビニが発達したのは、1980年以降です。それ以前は、八百屋で買い物をし大きな紙袋で渡されたものです。八百屋には、カップ麺・缶詰・醤油何でも売っていた。なのでそこで買って、すごい丈夫な紙袋にいろんなものを詰め込まれました。

 コンビニ袋が登場したのは、1979年頃だったと思います。それ以前のテレビドラマを見ればわかりますか、ドラマの登場人物は、茶色の丈夫な紙袋に大量の食材を入れて自宅に帰っていました。


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 当時は、コンビニも、今ほど多くなかったし、値段も高かったので、スーパーや八百屋など、他の店で買い物をしたのです。八百屋で買い物をすると、「大根のいいのお願い」と注文すると八百屋のご主人が、一番良さげなものを見繕って買い物袋に勝手に入れてくれます。そして「こいつはおまけね」と、B級品の人参なんかを入れてくれました。

 店には小さな子供さんが、買い物かごを持って、お使いに来ていて、お母さんから手渡されたメモを、八百屋のご主人に渡すと、ご主人は、買い物かごに野菜を入れて返します。お金のやり取りはありません。月末に支払うシステムになっています。中には犬に、買い物かご持たせる家庭もあったくらいです。そういう時代が、1970年の終わり頃まで、日本全国の日常風景だった。


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 その風景を壊したのが、コンビニとスーパーだったと思います。1970年代のドラマを見ればわかりますが、誰かが病気をしたり入院したりすると、みんな紙袋に大量の缶詰を入れてお見舞いに行くシーンがよく見られます。当時は、電子レンジが高額な時代ですし、コンビニ弁当という便利なものも気軽に買える時代ではなかった。ましてやウーロン茶や麦茶を店で買うという風習もなかった。病気をし、自炊ができない体になると、缶詰はありがたい存在だった。


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 そういう時代に全国を旅する人たちは、コンビニのある今と違って非常に不便でした。田舎や地方都市では、夕方の6時になると全ての店のシャッターが閉まってしまうからです。食堂もそんなに多くはない。パン屋に売ってるパンも、アンパン・ジャムパンばかりで、現在コンビニで売られてるようなサンドイッチなんかはない。あっても、ジャムとかピーナッツバターが揺られているサンドイッチだけ。なので、昔の刑事ドラマを見ると、張り込み中にアンパンやジャムパンを食べながら牛乳を飲んでるシーンがよく出てきました。


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 そういう時代を知ってる人達にしてみたら、今の時代は非常に便利です。コンビニ袋の廃止なんか、痛くも痒くもない。私は、自動車に買い物かご(マイバッグ)と保冷箱を必ず入れています。コンビニ袋も、40号100枚セット100円のものを100円均一で買って、車のダッシュボードにマスクと一緒に入れてあります。カバンにも予備を入れてあります。こうしておけば、買い物かごを忘れても慌てずにすみますから。


つづく。

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2020年09月09日

登山用ズボン

 私が登山を始めたのは、今から40年ぐらい前のことで、20歳頃の頃でした。当時は、登山用品が非常に高価だったために、自分のお金で買うことができませんでした。登山靴ではなく、スニーカーで登っていました。ザックも安物だったし、普通のTシャツにジーンズで山に登っていました。もちろんそんな姿で登る人間は、誰もいません。雨具に至っては大きなゴミ袋。テントを買う金もなかったので、夜はブルーシートにくるまって寝ていました。どう見てもホームレスです。常識知らずもいいところでした。

 そんな姿で北アルプスなんか登ってましたから、途中登山家たちに注意されて口喧嘩になったりする。山小屋の主人に怒られて、憮然として出て行ったこともある。今思えば赤面ものなのですが、そういうことが何回かあったので、一人で山に登るのをやめて大きな山岳会に入りました。


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 山岳会に入ると、私の持ってる装備があまりにもみすぼらしかったために、同情してくれたのか、諸先輩たちが使わなくなった装備をプレゼントしてくれました。もちろんボロボロだったのですが、それでもありがたかった。で、きちんとした登山装備で山に登ってみたら、それまでの登山と別世界になってしまった。

 40年前の登山用装備は、今と違って非常に高価だった。それで買えなかったんですが、一度、登山用装備を使って登山をしてしまうと、後戻りができない。特にウールのシャツ。一回でも着たら、これなしでは山に登れない。綿のTシャツなんか着用することができない。一回でも登山用のテントで寝てしまったら、ブルーシートに寝ることができない。一度覚えた贅沢は、もう手放すことはできない。そもそも担ぐ重さが違っている。登山用装備にすると重量がかなり軽くなる。後戻りはできない。

 私は、自転車や徒歩で日本一周旅行もしたことがあるんですが、その時は、装備の差はたいしたことが無かった。テントがなくてもブルーシートがなくても、その辺の野原でごろ寝してもなんてことはなかった。ところが登山に関しては、装備の差が致命的ほど違ってくる。命に関わるほど違ってくる。逆に言うと、命を削って登山をしていたようなものなのですが、そこは若さと体力でカバーしていたわけです。

 ザックの中に日本酒の一升瓶を入れて、山に登るのは当たり前だったし、大きなスイカを入れて3000M級の山に登ったり、ビールを30本ぐらい担いで三泊四日の北アルプスを縦走することも何度もやっています。ひどい時は樽酒を担いで上がったこともある。自転車を担いで登山道を登ったこともあるし、3000M級の山の頂上で流しそうめんやったこともある(流しそうめんをやるには大量の水が必要なので、20リットルの水を担いで3000メートル級の山に登っている)。若気の至りというか、思えば馬鹿なことをしたものです。今冷静に考えてみたら、当時の私は、頭が狂ってたとしか思えない。


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 今の私は、正反対の登山をしています。金にものを言わせて、最高級の装備を使って登山しています。登山靴も雨合羽も、金を惜しまずに最高のもの買うようにしてますし、テントで寝ることもやめました。必ず山小屋で寝るようにし、隙あらば個室を確保して山小屋でご飯を食べています。ビールも持参することはありません。山小屋で金にものを言わせて買うようにしてます。持参する荷物は最低限に抑えるようになりました。

 逆に言うと、新型コロナウイルスが、猛威を振るう今現在、北アルプスを長期縦走することはできなくなったなと思っています。それでも、日帰り登山ぐらいはやりたいなと思って、時々、登山ショップに出入りしています。

 長い前置きはこのくらいにして、これからが本題です。

 先日、登山ショップに行ってみたら、色んなものが暴落していました。特にノーブランドの登山用のパンツ(ズボン)が、3000円ぐらいから売られていたのです。思わず、四着ほど買い占めたんですが、実際に一ヶ月ぐらい履いてみたら、これがすごくいい。ネットで売られている登山用ズボンもどきと全く違って、しっかりしたものでした。





 他にも色んなものが安くなっていましたが、新型コロナウイルスのせいで、例年よりも登山グッズの売り上げが下がっているのかもしれません。特に衣料品関係は、モデルチェンジされたり流行もあるので、今の時期になると投げ売り状態になるのかもしれませんね。

 こんなこと書いても、登山をしない人たちにとっては、あまり関係のない話に聞こえるかもしれませんが、そうでもないです。登山用のズボンを一回でも着用してしまうと、もう後には戻れないのです。とにかく履き心地がいい。

 登山用ズボンは、一見すると、普通のスラックスのように見えますが、実は非常に頑丈にできています。撥水機能も高くて汚れにも強い。その上すごく伸び縮みする。スーパーストレッチ。なので、これを一度でもはいてしまうと、ワークマンのズボンなんか買えはしない。だから近頃の業者さんの中には、登山用ズボンをはいている人たちがチラホラ見かけるようになっている。


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 この登山用ズボンは、普通のスラックスのように見えるくせに、ジャージをしている感覚で着用できる。そして汚れに強い。だから普通に買えば、最低でも1万円以上します。高級品だと2万円以上する。それが3000円とか4000円で売られているわけですから、買い占めたくなる気持ちも分かるかと思います。というわけで、今では普段着として登山用ズボンをはいています。


つづく。

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2020年09月07日

乳母車で大人しくしている幼児たち

 息子が生まれてしばらくして外出できるようになった頃のことです。軽井沢のスーパーマーケットに家族で買い物に行くようになりました。もちろん乳母車に乗せて買い物です。どういうわけか私には、0歳児の息子の心が読めるという才能がありました。なので、乳母車を押す係は嫁さんではなくて、いつも私です。これは小学2年生となった今でも変わらなくて、スーパーに買い物に行くときは、私と息子が一緒の買い物カートで商品を買います。嫁さんは一人で行動します。

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 どうして私だけが0歳児の息子を乳母車に乗せて買い物をしたかと言うと、息子の心を嫁さんより読めたからです。だからスーパーの中で泣き喚きませんでした。息子が右に曲がりたいと思っているのを察知して私が右に曲がったり、今度は左に曲がりたいと思ってるなあと察知したら左に曲がってあげたから、スーパーの中では息子と私は相性が良かったわけです。

 ただし、それは時間の余裕がある時に限られます。お客さんがいて、急いで買い物をしなければならない時は、そんなことに構っていられません。最短距離で最短時間で買い出しをしなければならない。そうなると息子の不満は爆発して、 スーパーの中でワンワン泣きわめきますが、そんなことを構っていられません。

 これは私だけではなく、 多くのお父さんお母さんが経験しているみたいで、スーパーの中で子供たちの泣き叫ぶ声がよく聞こえました。軽井沢は、今時珍しく子供の多い街なので、赤ちゃんの泣き声がスーパーの中で聞くことができたものです。


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 ところが最近、いや、ここ数年間、軽井沢のスーパーで赤ちゃんの泣き声がしなくなったのです。もちろん赤ちゃんはいっぱいいます。けれど誰も泣かなくなった。変だなぁとは思いつつも、 買い物を続ける日常が過ぎていったんですが、最近になって、どうして赤ちゃんが泣かないのか、ようやく その原因が分かりました。

 乳母車で、赤ちゃんがスマホを持っているのです。抱っこ紐で抱かれている赤ちゃんもスマホを持っていて、動画かなんかをじっと見ている。スマホが落っこちないのかなあと、ハラハラして見ていたら、その辺はストラップか何かで予防している。

 あーなるほど!

 と思いましたね。どおりでスーパーマーケットから幼児・乳幼児の泣き声が消えたわけです。この行動は、最初は別荘客が始めたのだと思います。おそらく人の多い東京では、迷惑防止のために皆さんが行なっていることなんでしょうね。それが少しずつ軽井沢の住民にも真似されるようになったのかなあと思います。首都圏の人たちは、騒音に敏感なのと、軽井沢・北軽井沢ほど、赤ちゃんや幼児に寛容ではないので、そういう対策をしてないと、バッシングされないのでしょう。特にコロナでギスギスした世の中なので、マスクをさせるわけにもいかない幼児・赤ちゃんを黙らせるには、この方法しかないのかもしれません。


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 ただちょっとばかり心配なのは、そんな小さな子供たちの視力のことです。その辺は、お父さんお母さんも十分気をつけているんだと思いますけれど。世の中も少しだけ、赤ちゃんに優しいと良いんですけれどね。赤ちゃんの泣き声が、社会から消えたことで、みんな住みよくなってはいるんでしょうけれどね。



つづく。

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posted by マネージャー at 21:14| Comment(0) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月30日

火山は怖くない。北軽井沢で一番怖いのは雷である。「地震・雷・火事・親父」

 「地震・雷・火事・おやじ」とは、よく言ったものですが、これは、時代・地域によって、怖い物の順位が違ってきますね。北軽井沢では、地震は全く怖くありません。新潟の震災でも、3.11震災でも、たいして揺れませんでした。ところが、おなじ村内でも、吾妻川の北側は、ものすごく揺れたそうです。浅間山麓では、全く揺れないのに、そこから少しばかり離れると、揺れるのです。

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 これは、浅間山の火山活動で大量の火砕流が蔽い、山麓をコンクリートのように固めて固定したためです。そのために、嫁さんが、子供を連れて実家(館林)に里帰りすると、愕然とすることは、地震の多さと大きさです。あまりの揺れにパニックになる。

 もちろん嫁さんは、生まれも育ちも館林なので、しばらくすると「そういえば、昔も館林は地震で、これくらい揺れたっけ」と思い出すんですが、これは館林の地盤が柔らかいせいで、ちょっとの地震でも大げさに揺れるせいです。北軽井沢は、逆で大きな地震でも、あまり揺れない。

 と、書くとも北軽井沢が良いことずくめのように思えますが、そうでもありません。北軽井沢には、落雷がある。夏になると激しい落雷が頻繁におこり、一瞬、停電する。ほんの一瞬なのですが、パソコン作業中や、風呂に入ってるときは慌てます。給湯器が全て止まって水になってしまうからです。

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 なのでボイラーを集中制御するように工事し、パソコンには無停電装置をつけるようにしましたが、無停電装置の寿命が二年と短いために、その経費に悲鳴をあげざるをえません。なので、最近は、重要なデーターは、全てクラウドしています。

 

つづく。

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2020年08月29日

『いい湯だな』とスマホ

 万座温泉のホテルに泊まった時のことです。あまりに気持ちが良かったので「いい湯だな」を歌っていたら、湯気のむこうから声をかけられました。

「ドリフターズですか?」
「ええ、まあ・・・」

 こういうことは、群馬県ではありがちで、一般的に群馬県人は人なつっこいです。知らない人と、すぐ仲良くなる。相手が群馬県人だと分かった理由は、方言です。群馬県人は、共通語しか話してないつもりでしょうが、分かる人には一発でわかってしまう。一般的に言って方言には敬語はありませんが、関西と群馬には独特の敬語方言があるからです。

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「子供の頃、ドリフの8時だよ全員集合をよく見てました」
「私もです」
「でも、さっきの歌、替え歌ですよね?」
「・・・」
「あの歌には万座温泉なんかでてこないですから」
「実は、この歌は、ドリフの『いい湯だな』ではなくて、デュークエイセスの『いい湯だな』なんですよ」
「え? デュークエイセス?」

 いい湯だな いい湯だな♪
 湯気にかすんだ 白い人影♪
 あの娘かな あの娘かな♪
 ここは上州 万座の湯♪





「ドリフの『いい湯だな』は、デュークエイセスの『いい湯だな』の替え歌なんです。デュークエイセスが本家なんです」
「え?」
「この『いい湯だな』は、群馬県の御当地ソングで、一番は草津。二番は伊香保。三番が万座なんです」
「へえー、群馬生まれ群馬育ちなのに知らなかった。ところでデュークエイセスって誰ですか?」
「昔の東芝のコマーシャル知ってますか? 『光る光る東芝ー♬』ってやつ」
「あ、知ってます知ってます」
「あれ、歌ってたのがデュークエイセスです。すごい声がいいんですよ」
「声がねえ?」
「そうだなあ。東芝のコマーシャルじゃ分からないか。それじゃ日本生命のコマーシャル知ってます? こんな歌を」

 モクセイの花咲く頃に♬
 ふるさとへ帰りたいな♬





「ああ、あの歌、デュークエイセスなんですか?」
「そうなんです。じゃ、私、そろそろあがりますんで」

 こうして露天風呂を後にして、休憩室でマッサージをしていたら、露天風呂から出てきたさっきの人が、スマホを持ってきてやってきました。

「デュークエイセスの動画をみました。いい声ですね。『いい湯だな』が群馬の歌で、デュークエイセスが本家なのも確認しました。本当だったんですね」

 その人は、さかんにスマホでネットサーフィンしていました。
 世の中、便利になってきたものである。
 こんな山奥の温泉地で、デュークエイセスの歌をスマホで検索できるようになったから。


つづく。

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posted by マネージャー at 22:20| Comment(2) | 雑感 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月14日

ペルセウス座流星群と、山中の黒い大きな存在

 ここのところ、天気が良いので毎日のように星空観察ツアーをやっていました。ところが、この数日間、バッタリと星空観察ツアーのオーダーが無くなっていました。理由は、このお盆の数日間、夕食を作ってないからです。渋滞と行列で食材を買いに行けないのと、そもそも御客様やが、渋滞にまきこまれて夕食時間に到着できないためです。

 なので、夕食を作ってないために、各自でレストランに夕食を食べに行かざるをえなくなり、星空観察ツアーことなど忘れてしまっているに違いありません。

 ところが、一昨日のことです。星空観察ツアーのオーダーが出てないのにもかかわらず、御客様が庭に出て夜空を眺めていました。聞けば、ペルセウス座流星群の極大の日だったようです。

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 これ幸いと、嫁さんと息子も庭に出て、ペルセウス座流星群を眺めていました。空観察ツアーのオーダーが出ていたら見られなかったので、嫁さんと息子は大満足だったようです。

 ちなみに私は皿洗い。正直言って北軽井沢で20年間空観察ツアーをやってきているので、流れ星なんか珍しくもなんともない。18年くらい前の獅子座流星群を見てしまっているので、あれ以降は、どんな流星群もチンケに見えてしまう。なにしろ流星が多すぎて数時間の間、流星の多さで真っ昼間のようになり、四方に流れる流星に影が東西南北に延びたくらいですから。

 とは言うものの、私も北軽井沢に移住してきたばかりの頃は、オープンしたばかりで御客様がいないこといいことに、浅間牧場の奥にある天丸山や、小浅間山の頂上で、折りたたみの寝られる椅子を持参して、一晩中、流れ星をみていました。気がついたら夜が明けていたことも何度か。

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 ところがウトウトしていて、何か殺気を感じて目覚めたら黒い大きなものが目の前にいて、一瞬かたまっていたら、天地が揺れるドスンドスンという音とともに草むらに消えていった。

「クマだ!」

 ですが、あたりは真っ暗なので、どこにいるのか分からない。知床半島の奥地でも似たような体験を3度しましたけれど、こればかりは何回体験しても、あまり良い気分ではありません。これ以降、夜の山で流星をみるのは止めにしました。





つづく。

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2020年08月08日

幼児の御客さんと、野菜料理対決の日々

 日本中、猛暑で暑くなっているせいか、予約が殺到しています。つい先日まで閑古鳥だったのが信じられません。5日も前だと、お盆でさえガラガラでしたから。それはいいんですが、閑古鳥用の食材しか用意してなかったので、急遽、 買い出しに出かけました。で、久しぶりに軽井沢や佐久のスーパーに行ってみたら野菜が高いのに愕然としました。嬬恋村に住んでて、直売所で野菜を買っていると、市場価格に対して麻痺してきますね。嬬恋村の直売所の野菜が、いかに激安なのか、よーく分かりました。

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 なのでスーパーで野菜を買うのを控えて、野菜だけは嬬恋村のものにします。ただし、嬬恋村の野菜は、独特なんですよね。鎌原キュウリなんか、トゲトゲが激しすぎるし、幻のキャベツ419にいたっては、「レタスなの?」というくらいに柔らかいし、トマトだってサイズが様々だし、コーン(恵み)も甘いこと甘いこと。正直言って使いにくい。

 かといって、普通に料理して(切って盛りつけて)残されるのも癪なので、全ての野菜をスティックにして、ディップを用意したうえで、嬬恋村の野菜を解説したら、御客さんが全部残さず食べてくれました。小さいお子さんが多い、うちの宿で、これは快挙です。

 それにしても悩ましい。

 うちの宿は、小さいお子さんが多い。だからお子さんを喜ばそうと思ったら野菜は控えることになる。しかし、大人たちの目当ては、嬬恋村の高原野菜だったりする。だから幼児食は無料にして、無料の食事には、野菜を減らして子供の好きそうなミニハンバーグを出してるのですが、それなのに有料の大人の料理を注文してくる御家族もある。

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 で、大人用の料理には、子供の嫌いな、小松菜のおひたしとか、キャベツ和えなんかがでてくる。で、小さい子が残しちゃう。それを防ぐために日々奮闘していますが、なかなかうまくいきません。スティック&ディップにしてみたり、串野菜にしてみたり、グラスサラダにしてみたり・・・・。成功することもあるけれど、惨敗することもあります。成功した日は、酒がうまいけれど、惨敗した日は、ちょっと落ち込みます。

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つづく。

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2020年08月07日

猛暑に活気づいてきた北軽井沢!

 暇なので帳簿をつけているうちに気がついた事なんですが、新型コロナウイルスで、泊まり客が激減して以降、お客さんの9割近くがリピーターさんでした。これは他の宿さんでも同じような傾向らしく、来るのはリピーターさんばかりだと言う人が多いようです。新型コロナウイルスで不安が増えると、初めて行くような知らない宿に泊まるのは不安になるのかもしれませんね。だから、よく知ってる宿に泊まりに行くようになるのかもしれません。

 Gotoキャンペーンも全く音沙汰無しでした。
 御客様の予約が全くなかった。
 例年の2割も入ってない。

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 ところが昨日おとといから、ものすごい勢いで予約の FAX が入るようになってきました。ずっと閑古鳥が鳴いていたのに、一日に20件も予約が入るので、何事なんだろうと、泡を食っていましたが、テレビをつけてようやく事態が飲み込めました。日本中、猛暑で暑くなっているんですね。おかげでこっちは嬉しい悲鳴です。予約は嬉しいんですが、閑古鳥用の食材しか用意してなかったので、急遽、 買い出しに行かなければならなくなったからです。

 息子の習い事(空手・キックボクシング・陸上練習・勉強)も、多めに入れてしまったんですが、こっちの方も見直さなければならないかもしれません。忙しい時は、息子にも宿屋を手伝ってもらうためです。と言っても、7歳の息子に何かしてもらうわけではなく、お客さんが連れてきているお子さんと 一緒に遊んでもらうだけなんですけれどね。

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 それにしても、猛暑恐るべし。
 新型コロナも宿屋にとっては恐ろしいものですが、
 長雨冷夏も、避暑地の宿屋にとっては同じくらい恐ろしかったということですね。


つづく。

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