2016年03月16日

息子を効果的に叱る方法を実験した結果

 うちの息子も、いつの間にか2歳11ヶ月になっていました。あと10日もすれば3歳です。思えば早いもんです。子供が生まれて3年ですからね。 4月からこども園ですから。こども園といえば、トイレトレーニングが大変でした。なかなか便器でウンチをしてくれないんです。小便のほうはともかくとしてウンチのほうは入園まで間に合わない気がします。

 言葉のほうも、いまひとつハッキリ話すことができません。ひらがなカタカナ数字アルファベットは、読めるくせに日常会話は完璧ではないんですよね。もちろん人が話している言葉は理解できるんですが、自分から会話をすることができないんです。これは親である私に原因があるんだと思います。 0歳の頃から息子に対して意思をを読みすぎいたんですよね。私には息子の感情を正確に理解するという特技があったために、息子に会話を学ぶチャンスがなかったのだと思います。

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 逆に言うと、息子も親に対して空気を読むんです。親の真似をして、親の意図を読むようになっています。マーブルチョコを買ってあげても、 1つしか食べてはダメだよと言うと、絶対に1つしか食べません。でも、手には2つのマーブルチョコがあるんです。そして、自分は1つしか食べないけれど、残ったもう一つの親に手渡すわけです。こういう空気の読み方ができるところは長所かもしれません。

 お客さんがいる時も、テーブルにお客さん用のお菓子が置いてあっても、決して自分で食べようとはしません。じーっと、お菓子を眺めるだけです。お客さんが、お菓子を取ってくれて初めて食べます。ケーキを何等分かにして取り分けた時も、自分のケーキしか食べません。自分の分と他人の分をきちんと区別して、じっと堪える分別を持っています。こういうところは、うちの愛犬コロ(シエルティ)に似ています。ルールをきちんと守ってくれます。そういうところは、安心してこども園に行かせることができるところです。

 人見知りもあまりしません。小さなお子さんがいると、ニコニコよっていきます。だから、児童館とか、公園とか、ホームセンターとか、こども園が大好きです。これは宿屋の息子であることと無関係ではないと思います。というのも、他のペンションオーナーたちも、息子さん娘さんたちは、うちの息子のように、人見知りをしなかったみたいだからです。彼らのお子さんたちも最初からこども園が大好きだったんですよね。

 といっても、うちの息子も、生後6ヶ月から1歳半の頃までは、すごい人見知りだったんですよね。つまり、最初から人見知りしなかったわけではないのです。最初はすごい人見知りをしていました。けれど大勢のお客さんに、可愛がられることによって、人見知りをしなくなったんです。つまり、児童館や、こども園が大好きなのは、後天的な環境要因が原因だったわけです。

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 前置きが長くなりましたが、本題に入ります。

 実は、息子が産まれてから、ある実験をしていました。叱り方の実験です。どのように叱ると効果があるのか? それを確かめる実験です。まず最初に始めたのが、叱る時間は、どのぐらいが適切か?と言うテーマを決めてしかってみました。 1分。 3分。 5分。 10分。このように大雑把に4つの時間で叱ることによって、効果を確かめてみたのです。もちろん1週間おきに時間帯を変えています。

 結論から先に言うと、生後12ヶ月ぐらいまでは、効果における差異はなかったと思います。ただ、 1つ言える事は、あまり強く叱りすぎると、相手が驚いて、こちらとの接触を拒否し出す事が多々ありましたので、生後12ヵ月までは、あまり強く叱ってはいけないのではないかと思いました。

 生後13カ月ごろから24カ月ごろまでは、叱ることによって、効果が出始めるようになるのですが、いちばん効果的なのが1分でした。それ以上超えると、むしろ強情な面が出てくるのです。反発するわけです。けれど1分で叱るのを止めると、泣いたりするんですが、父親の懐に飛び込んできて抱きつくのです。その姿が、父親のダメ出しに抗議するというよりも、もっと優しくしてほしいと言う欲求のように思えてなりませんでした。

 父親のダメ出しを見たくない。

 息子はそのような態度をとっていたのです。そのために泣きながら抱きついてきたように思われました。どうも息子は無限の愛情を求めているような表情が見え隠れしたわけです。そこで、叱り方を少しばかり変えてみました。叱る時間を、 1分とか、 5分とかに区別するのではなくて、叱った後に、5分、 15分、 30分、 1時間。というように遊ぶ時間をプラスしてみたわけです。叱った後のフォローの時間を変えてみたわけです。

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 私は自然ガイドをやっている関係上、動物の生態は多少勉強しています。市販されている動物関係のビデオは全て手に入れていますし、スカイパーフェクトTVやBS放送の録画も大量に撮っていて、毎日のように見て勉強しています。動物関係のブルーレイディスクは、すでに500枚以上録画してあり、それらを何回も見ています。息子が誕生する前には、それらを復習するためにも犬を飼って、実際に育ててみました。

 だから野生動物の子供たちは、盛んに親を真似ることも肌で知っているし、彼らは遊びを通して子供を1人前の大人に育てていくこともよく知っています。なので、叱ることと遊ぶ事をセットすれば、非常に効果的では無いかと思ったわけです。だから息子を叱った後に、一緒に仲良く遊ぶことで、教育効果が大きく出るのではないかと思ったわけです。

 で、試しに叱ると遊ぶをセットしてみました。
 その結果は、驚くべきものでした。
 ものすごく聞き分けが良くなったのです。
 親の言うことを、非常によく聞くようになった。

 結論から言うと、三分ぐらいきつく叱った後に、
 30分ぐらい濃密に仲良く遊ぶと、聞き分けが良くなるんです。
 親に嫌われないように、気をつけるようになるんです。

 では叱らずに濃密に仲良く遊ぶだけだとどうなるかというと、 1週間ぐらいでわがままが増長し始めます。そして、近寄るだけでそっぽを向きます。例えば、朝食事中に顔を近づけると頭突きをしてきます。それを繰り返すと、足で顔を蹴飛ばしたりするようになります。しかし、ものすごい形相で3分しかった後に、 30分ぐらい仲良く遊ぶと、信じられないくらいガラッと変わります。向こうから近づいてきて、親と遊ぼうとしてくるんですね。

 どうやら、短時間きつく叱ることによって、そしてその後に遊ぶことによって、親子の関係はより密接になるようです。しかし、叱る時間は短時間で、しかもしかる時は激しい方が効果的です。で、その後に30分以上にわたって徹底的に仲良く遊ぶことによって、息子がすごく素直に親の言うことを聞いてくれるようになります。というか、親に対して、気遣いをするようになるわけです。物事を複眼的に見ることができるようになり、それが他の人たちに対しても行われるようになるわけです。もちろんこれは、他の子供達に通用するとは限りませんけれど、うちの息子に限って言えば、非常に効果的でした。

 では、きつく叱るだけで、その後遊ぶことをしなかったらどうなったかというと、これもまた面白い結果になりました。私が近寄るだけで、手に持っていたおもちゃを放り投げたりするわけです。何だかわからないけれど、叱られるかもしれないという恐怖が、その行動を取らせているようです。もちろん、息子と親密に仲良くしてはいるんですが、息子は私の姿を見ただけで、緊張してすくみあがるわけです。そして何が悪かったのかの分別が全くついてないわけです。

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 つまり、叱った直後にすぐフォローを入れないと、父親を怖がるだけで教育効果がないんですね。むしろマイナスです。息子が怒りっぽくなってきて、次第に母親に反抗的になってくるからです。そして公園の子供たちや、うちに来られるお客様に対しても、無礼な態度をとるようになりますので、ただ怒ったり怒鳴ったりするだけでは社会的にマイナスな態度をとるようになるんですよね。

 百害あって一利なしです。

 以上考えてみると、叱ると言う行為は、遊びの延長線上でないと効き目がないみたいです。少なくとも私の息子に対しては、効果的ではありませんでした。遊んでいるうちに叱る。強く叱るけれど短時間で止めて、その後最低30分は楽しく遊ぶ。できれば2時間ぐらい遊ぶつもりで、その間にてきぱきと何回か叱る。こういうことを繰り返すと、教育的な効果が高いみたいですね。ただしこれは、 2歳児の後半になればなるほど効果がありますが、 2歳児の前半だと、あまり効果は現れないかもしれません。

 あと、 2歳児の知能が、どこまで発達するかも調べてみました。具体的に言うと、カタカナ・ひらがな・簡単な漢字・数字を教えたのですが、これは予想通り全て暗記することができました。ただし、時間がたつと、すぐに忘れてしまいます。やはり前頭葉が未発達のためなんでしょうね。こういうものは、 3歳児以上でないと、せっかく記憶してもすべて忘れてしまうので、2歳児で覚えるのはあまり意味がなかったのかもしれません。ただし、うちの息子は勉強するというより。遊びの一環で覚えるゲームをしているので、すべて忘れてもらっても何ら問題はないですけれど。

あと、簡単な足し算も教えてみたのですが、これも普通にできたので、すごいなぁと一瞬思ったのですが、冷静になって考えてみれば、理解して答えてないことに気がつきました。 1+1=2と答えられたとしても、本当に足し算がわかってるのではなく、単に1+1=2という語句を暗記しているだけのような気がしたからです。文字を覚えるのだって、親と一緒にゲームをしている感覚ですからね。

 しかし野生動物の子育てを見ていると、これでもいいのかもしれないと思ってます。今は頭で理解する必要はなく、とにかくゲームを楽しんでいるうちに、一つ一つ常識を覚えていくので十分だからです。常識は強制させて学ぶ性質のものではなく、遊びの中で身につけるものですから。だから親子が遊びながら躾けていくのは、理にかなった方法だという結論をいまのところ私は出しています。


つづく。

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posted by マネージャー at 23:10| Comment(2) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月20日

手のかかる子と、手のかからない子

 昨日嫁さんのやつが、こども園に入園手続きに行ってきました。で、つくづく大変だなぁと思ってしまったのは、お母さんたちには、いろいろ役員とかがあって、ものすごく大変だということです。何人もお子さんのいるお母さんから聞いた話では、小学校なんかよりも、よほど大変だということです。

1番驚いたのは、入園してすぐに1日中預かってくれるのかと思いきや、そうでは無いということです。最初の数ヶ月間は、 1時間とか2時間という短時間しか預かってくれないんですね。これは無茶苦茶ですよ。うちは自営業なので、都合がつくのですが、サラリーマンとして働いてるお母さんは、どうしたらいいんでしょうかね?

  そもそもこども園というのは、幼稚園に毛が生えたようなもので、保育所とは根本的に違うのかもしれません。だから仕事を休めないお母さんは、どうしても託児所に預けるようになるのかもしれません。家の隣に、働いているお母さんがいますが、こども園に子供を連れて行っているのはお父さんです。たまたまお父さんの仕事が、電気関係のお仕事で、時間に融通が付きやすいので、送り迎えをできる訳ですが、そうでなかったら預ける事は出来なかったと思います。だから待機児童というのが生まれるんでしょうね。待機児童といっても、託児所に預けるわけでしょうけれど。

 もし、保育所に入園した後に、お母さんが就職活動ができるのであれば問題ないのですが、実際は入園できません。働いてないと入園できないのです。でも働いていたら、入園して間もない間、 1時間だけ預けて、また引き取りに行くなんて芸当はできないはずです。これでどうやったら、お母さんが仕事できるんでしょうか? 根本的に何かおかしい気がします。だから群馬県には託児所が多いのかなぁと思います。少なくとも私は子供の頃の新潟県には、そのような不便なシステムは無かったですから。

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 まぁそんな事はどうでもいいとして、うちの嫁さんのやつは、すっかりミシンの虜になってしまったようです。着られなくなった服なんかを分解して再利用しはじめました。客は壊れても、小さくなった服の着を分解して、まだ着られる服のこなれたチャックと入れ替えたりしています。入園前に手作りの座布団や鞄を制作することを、強制されて、当初は不平不満が多かったようですが、今では楽しそうにミシンを扱っています。変われば変わるものですね。

 そういえば、こども園から雑巾を作って寄付するように言われてるのですが、それも楽しそうに作り始めているようです。幸か不幸か、宿屋のうちには使えなくなったタオルがたくさんありますので、雑巾の1つや2つはいくらでも寄付できます。

 で、思ったのですが、ちょうど1年前に、大量の高品質の毛布を廃棄というか、某所に寄付したのですが、考えてみたら、あれはこども園に寄付すればよかったなぁと思いました。宿屋には、雑巾に乗りそうなタオルとか、子供用のブランコとか、もう使わなくなったようなものがたくさんあるので、こども園の事情によっては、これからも寄付できるものがあるかもしれません。例えば、うちには除雪機があるので、本当に困った時は雪かきの手伝いとかも場合によってはできるかもしれません。もっとも除雪機ぐらい、こども園に設置してあるでしょうけれど。

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 話わかりますが、うちの息子は、なんだかんだと言って、こども園が気に入ったようです。知らない小さな子供たちと、何の違和感もなく仲良くなれるようなんですね。これはある程度予想はついていました。スーパーに買い物に行った時も、ホームセンターに買い物に行った時も、知らないことすぐに仲良くなってしまうからです。全く人見知りをしないんですね。

 おそらくこれは、うちが宿屋であることと、無関係ではないと思われます。毎日毎日、いろんな人たちがやってくる宿屋ですから、知らない人に対して免疫ができているのだと思います。しかし、将来もそうであるかはわかりません。私は息子に対して厳しく接してしまえば、徐々に人見知りになってしまうでしょう。そうでなければ、今のままオープンな性格のまま推移する可能性もあります。

 あと、うちの息子は、もともと手がかからない子であったので、あまり親を困らっすような事をしないんですよね。だからあまり厳しくする必要性もなかったのです。だから、人見知りになることもなかったのかもしれません。あまりクズったり、わがままを言ったりせずに、いつもニコニコして他の幼児たちと楽しく遊べるみたいです。特に小さいことか、大人しい女の子が好きみたいで、もうすでに紳士ぶりをみせています。全くもって手がかからない子です。

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 そういえば、子供には、手のかかる子と、手のかからない子がいますが、宿屋をやっていると面白い証言を聞く機会があります。 手のかからない子供というのは、お母さんが働いてるケース・または自営業のケースが多いのです。

「うちの子は手がかからなかった」

というお母さんは、たいてい働いているんです。ほんとに手間かからなかったのかどうかは、実際見ているわけでではないので、わかりませんが、そう証言しているお母さんの大半は共稼か自営業なんですよ。そして子供さんは、保育所に通っているんです。幼稚園ではありません。

 これは保育所のおかげなのか、
 お母さんが働いてるから子供が空気を読んでいるのか、
 どちらが原因なのかわかりませんが、
 きっと両方が原因なんでしょうね。


つづく。

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posted by マネージャー at 07:45| Comment(10) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月17日

浅間園散策と何事にもメリットデメリットがあるという話

 浅間園を散策してきました。
 もう雪はないのかなーと思ったんですが、かなりの残雪があります。
 やはりスノーシューが必要です。

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 2歳10ヶ月の息子を一緒に連れて散策したのは、嫁さんの邪魔をさせないためです。うちの嫁さんは、慣れない手つきでミシンと格闘中です。4月から息子が、こども園に通うために、カバンや座布団等作らなければいけません。上履きにも下着にも名前とドングリのロゴを作らないといけません。驚いたのは、クレヨンの一つ一つに名前とロゴを受けなければいけないことですね。

 というわけで、朝から晩まで嫁さんは四苦八苦しているのですが、それを息子が邪魔するわけです。仕方がないので、私が小浅間山とか、浅間牧場とか、浅間園に連れて行って、さんざん疲れさせて早めに寝かせつけています。おかげで息子は骨太です。競輪選手のような太ももです。

 話が、かわりますが、冬の浅間園は、なかなか眺めが良いです。そんなにアップダウンがありませんので、小さな子連れの人でも楽に散策できます。もちろんお菓子も持っていきますが、私はマーブルチョコを息子に持たせています。 といってもチョコの筒には、10個くらいしかチョコを入れていません。そして100メートル歩くごとに御褒美として 1個ずつあげています。息子もそれを楽しみにしているようです。何より、マーブルチョコの筒が、小さな子供には手に持ちやすいんですね。それと、筒をふると音がするのも気に入ってるようです。

 ちなみに、私が生まれたのは1961年で、マーブルチョコが誕生したのも1961年です。マーブルチョコには、いろいろな色がついていますが、私は子供の頃は好きな色から食べて、嫌いな色(私の場合は紫)を最後まで残していたものです。そしていよいよ嫌いな色ばかりになると、口の中で嫌いな色だけを溶かし、真っ白にしてからいったん筒の中に戻し、そして白い色のマーブルチョコを少しずつ食べたりしました。

 今はどうなんだろう?と思いつつ、息子を観察したら、やはり好きな色があるらしく、それから食べているようです。最後には、チョコレート色のマーブルチョコばかり残っていました。そうなると、チョコレートは食べずに、筒を盛んに振ってみて、音ばかり楽しんで、浅間園を楽しそうに散歩していました。

 話が大きく外れましたが、浅間園も浅間牧場も、風さえなければ子連れで歩くのに最適な場所です。そのうち雪も溶けるでしょうから、そうなったら小さなお子さんを持つご家族は、親子で散歩すると良いかもしれません。もちろんおもちゃ王国も子供さんは大喜びしますけれど、せっかく自然の中にきたのですから、浅間園や浅間牧場をぜひ散策してほしいものです。

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 それはともかくとして、最近ようやく息子がズボンとパンツを1人で脱ぐことができるようになりました。 2歳10ヶ月ですから、他の子供さんに比べると、かなり成長は遅いですが、これが個性というものなのでしょう。そういえば、まだ言葉を自由に操れません。同じ頃に生まれた女の子なんかは、 1歳0ヶ月で言葉を話しているわけですから、かなり遅いですよね。そんなに遅いのに、絵本は読めるのです。声を出してすらすらと絵本を読んでいるんですよ。なのに、会話はできない。

 変だなぁ?
 おかしいなぁ?
 どうして会話が出来ないのに、絵本は読めるんだろう?

 と、不思議に思っていたのですが、最近ようやく理由がわかりました。息子は絵本を読んでいるのではなくて、読み聞かせていた絵本の内容を暗記していて、それを九官鳥のように真似して語りながら絵本のページをめくっていたようです。別に文字を読んで絵本をめくっていたのではなかったです。といっても、文字そのものは読めますから、暗記した内容忘れると、文字で確認して思い出しているようです。だから一見すると、すらすらと絵本を読んでいるように見えるわけですね。でも実際は、読んでいるわけではなくて、親の読み聞かせを真似して喋っているだけです。

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 ところでまだ会話が出来ない息子ですが、親の言葉はほぼ理解しているみたいなんですね。わがままを言ってきた時に、ゆっくり説明してあげると納得するからです。ゆっくり説明さえすれば、すごく聞き分けが良くなってきています。

 もともと手がかからない子供で、いやいや期もほとんどなかったので助かっていますが、最近は以前に比べてもっと空気を読むようになりました。成長が早くて、会話のできる他の同級生のお子さんよりも空気を読めるので、ひょっとしたら、まだ会話ができないでいることに原因があるのかもしれません。他人様より会話能力が劣っているために、空気を読む力が他のお子さんよりも発達しているのかもしれません。そう思うと、どのような成長状態においても、メリットとデメリットがあるんだなぁと改めて思いました。


つづく。

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posted by マネージャー at 05:39| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月12日

幼稚園の厳しいルールを考えてみる

 嫁さんが2歳10ヶ月の息子を連れて、保育所の入園説明会に行ってきて、今、すごく慌てているところです。私たちは、息子を保育所に入れるつもりだったんですが、どうやら息子を通うところは、保育所ではなくて「こども園」という名前の幼稚園だったようです。当然のことながら、すごく厳しい内容になっています。例えば、駐車場に車を入れるときには、身分証明書を提示しなければならなかったり、駐車場では必ず子供と手をつないでいなければならなかったり、厳しいルールがいくつもあります。

 もちろん私自身、スーパーの駐車場でも銀行の駐車場でも必ず息子と手をつないでいますので、こんな事はいちいち言われなくても自分で実行しますが、改めてルールとして強制されてみますと、これはこれで衝撃を受けるわけです。

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 あと、カバンとかの入園グッズをすべて手作りで作らなければなりませんし、既製品は禁止されているんです。そのうえ洋服から下着から持ち物に至るまで全てに名前と指定されたロゴを縫いつけなければいけません。ひらがなが読めない子供がいるからです。幼稚園ではオムツが禁止ですので、パンツもズボンも洋服も大量に用意しなければいけませんから、それにも名前とロゴをつけなければいけません。

 女の子とか、男の子でも私のように7月生まれとかなら、トイレトレーニングは終わって余裕で自らトイレに行けるんでしょうけれど、うちの息子は3月28日生まれです。 2歳児にとっての数ヶ月の差というものは、とても大きいですよね。3月28日生まれにとって自分ひとりでズボンを脱いでトイレに行く事は非常に大変なんですよ。

 しかし、ぼやいていても仕方ありませんので、これから大量の下着や洋服を用意して、それらにロゴと名前をつけるべく、自作の座布団や布団や鞄を作るべく、早速買い物に行ってきました。というか、嫁さんの買い物に付き合わされました。

 もちろん嬬恋村なんかに、そういった布地屋さんなどあるわけがありませんので、長野県の佐久平の方まで買いに行きます。嬬恋村では、買い物といえば、佐久平か上田です。長野県に行くのです。この辺あたり(嬬恋村や北軽井沢)は真田の一族を先祖に持つ人たちが多いものですから、みんな長野県の方に心が向いているんです。いわゆる群馬県民ぽくはないんです。

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 たとえば群馬県民にとって山といえば赤城山なんですが、ここらでは浅間山です。しかし群馬県民にとって浅間山というのは、長野県に県境を接しているので身近な山ではないんですよね。むしろ他所(長野県)の山という感じです。

 群馬県民にとっての親しみのある山は、
 赤城山であり
 榛名山であり
 妙義山なんです。
 いわゆる上毛三山というわけですね。

 しかし嬬恋村あたりでは、浅間山なんですよ。
 なぜならば、買い物は浅間山の脇を通って長野県に買いに行くからです。
 四六時中、浅間山を見て移動してるんです。

 小さな子連れのお母さんは、長野県の方に、子供を連れて買い物に行きます。なぜならば、そちらの方が暖かく雪が少ないからです。そして群馬県側には近場にないショッピングモールがあるのも理由の1つです。冬は雪は降って吹雪になり、時にはマイナス10度ぐらいまで気温が下がりますから、とてもじゃないですが子供を連れて外で遊ぶわけにはいきません。

 かといって、児童館の中だけでは、引きこもっているのと同じなので、長野県の上田市とか佐久市の暖かいショッピングモールの中を散歩させたりして、小さいお子さんの運動不足を補うわけですね。

 私のように、浅間牧場や小浅間山といったところに息子を連れて歩き回るお父さんやお母さんは、いないんですよ。まあ当たり前と言えば、当たり前ですけどね。

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 おっと話が、脱線しすぎました。

 長野県の佐久平のショッピングモールの布地屋さんまで、息子の手造り用品を作るべく、布地なんかを買いに行った話です。というか、それに付き合わされた話です。うちの嫁さんが、あーでもない、こーでもないと、パニくりながら布地を選んでいますと、早速、パニくっている別のお母さんが、続々と登場してきました。

 そのお母さんは、布地屋さんに、幼稚園の入園案内書を渡して、カバンやら座布団やらを一式全てのハンドメイド品を発注していました。業者さんも手慣れてもので「かわいく作ってください」という抽象的な要望を上手にあしらっていました。

 ああ、そういう手があったんですね。
 そうだよなぁ。
 働くお母さんが、
 いちいち作ってなんかいられないよな。
 それにしても入園案内書をそのまま渡してしまうのかあ。

 考えてみたら昨日は祝日(2月11日)だったんですね。働くお母さんも、たまのお休みの日だったために、布地屋さんに、入園グッズを業者に手作り発注する日でもあったわけです。だから、パニくっていたお母さんたちが、ショッピングモールの布地屋さんに駆け込んでくる日でもあったわけです。人事ながら
「大変だなぁ」
と、遠目で見ていました。

 で、面白いことには、この日は2歳児や3歳児を連れたお父さんが、ホームセンターで大量にうろうろしているいたんですね。

「ははあーん、みんな我が家と一緒か」

と、思って笑ってしまいました。

 お母さんたちは、お父さんに子供を預けて、みんなショッピングモールの布地屋さんに突入していたわけです。しかしながらお父さんも子供を抱えて布地屋さんにいてもやることがない、ホームセンターあたりに出かけて、車の工具とか、日曜大工の用品なんかを物色しているわけです。当然のことながら、同じ位の歳の幼児たちが、ホームセンターでうろちょろしています。

 もちろん子供のことですから、すぐに仲良くなります。
 で、通路走り回ったりするので、迷惑この上ないです。
 それに危険なので、早速、息子を注意しておとなしくさせました。
 その時にあることを発見しました。

 うちの息子は、こういう時に聞き分けがいいんですけれど、他のお子さんは必ずしもそうでもないんですね。ジャイアンみたいなのが、必ずいるわけです。駐車場でも親の手を振り払って、駆け出すお子さんがいるわけです。

 他人事なんですが、見ていてハラハラして心臓に悪いです。これじゃあ幼稚園のルールが厳しくなるわけです。「駐車場では必ず子供と手をつなぐ」などと言うばかばかしいルールができる訳ですね。

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 あのルールは、子供を守るルールというよりも、やんちゃな子どもから、他の人を守るルールだったのかもしれません。どんなに、交通事故に気をつけていても、当たり屋のような、やんちゃな子どもさんというのもやはりいるわけですから、やはりありがたいルールだったんですね。




つづく。

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posted by マネージャー at 11:52| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月11日

嫁さんが保育所の入園説明会に行ってきて、すごく慌てているところです

 嫁さんが2歳10ヶ月の息子を連れて、保育所の入園説明会に行ってきました。で、今、すごく慌てているところです。私たちは、息子を保育所に入れるつもりだったんですが、どうやら息子を通うところは、保育所ではなくて「こども園」という名前の幼稚園だったようです。嬬恋村には、昔、幼稚園が3つと保育所が1つありました。それが合併して、今では幼稚園が1つとこども園が1つになっています。

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 で、こども園なんですが、これは保育所と幼稚園が合併してできたことになっていますが、入園のしおりをよく読んでみたら、ほぼ幼稚園なんです。午前中は幼稚園。午後からは、働いているお母さんのための預かり保育も、やっているというシステムなんですね。だから、入園説明会でも、幼稚園の入園説明会だったんです。こっちは保育所に入るんだとばかり思っていたので、これには驚きました。

 ちなみに、うちの嫁さんは群馬県出身で、幼稚園に通っていたそうです。私は新潟県佐渡島の出身で、保育所に通っていました。というか、佐渡島には幼稚園がほとんどなかったんですよね。だからみんな保育所通いです。逆に、嫁さんが生まれた群馬県館林には保育所がなかったようです。だからほぼ全員が幼稚園だったようです。変だなぁと思った私はインターネットで調べてみたら、群馬県は幼稚園だらけで保育所が圧倒的に少ないですよね。だから嬬恋村では、幼稚園3カ所に対して保育所が1カ所しかなかったんですね。これが軽井沢町になると、保育所が3カ所で幼稚園が1カ所なんです。これも早速インターネットで調べてみたら、長野県は圧倒的に保育所が多い県でした。もちろん新潟県も圧倒的に保育所が多い県です。

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 各都道府県によって、保育所が圧倒的に多い県と、幼稚園が圧倒的に多い県があるのは非常に面白いです。長野県や新潟県は、福利厚生施設として保育所をじゃんじゃん作ったのでしょう。 自営業者である農家や漁師が多い長野県や新潟県にとって、保育所の存在は欠かせなかったものかもしれません。これが群馬県になると、保育所よりも教育施設である幼稚園を優先して作っています。だから群馬県には幼稚園が大量にあって、それを補うように民間の託児所も大量にあります。

 北軽井沢にだって託児所があるぐらいですから、前橋あたりにいくと託児所だらけです。ところが、これが軽井沢になるとなかなか見つからないんですよね。全くないわけではないんですが、ホテルやスキー場がサービスでやってたりするものだったりします。要するに保育所が大量にあるので需要がないんだと思います。そう考えると、長野県や新潟県は働くお母さんを優先しているわけで、それに対して群馬県は、子供の教育を優先して幼稚園を量産したのかもしれませんね。

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 話がだいぶずれてしまいましたが、嬬恋村の「こども園」についてです。こども園が、ほぼ幼稚園であることは、すでに述べました。もらった入園のしおりそのものが、幼稚園のものでした。当然のことながら、すごく厳しい内容になっています。入園グッズをすべて手作りで作らなければならないし、洋服から下着から持ち物に至るまで全てに名前と指定されたロゴを縫いつけなければいけません。

 どうしてロゴをつけなければいけないかというと、ひらがなが読めない子供がいるからです。うちの息子は、ひらがなが読めるんですが、全員が読めるとは限りませんからね。だから各人にロゴが割り当てられるわけです。うちの息子は「どんぐり」のロゴになりました。これを下着から洋服。入園カバンや制服や上履きなんかにもすべて縫いつけることになるわけですが、うちの嫁さんはその作業の多さに悲鳴をあげています。ミシンも必要なので、早速インターネットで上等なものを注文をしました。もちろん、少しでも嫁さんの負担が軽くなるようにです。インターネットで、どんぐりのアップリケがないか一応探してを見ましたが、これがないんですよね。やはり自作するしかないようです。でもまぁ、どんぐりでよかったです。これがライオンだったらと思うと背筋が凍りますよね。

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 ちなみに私は、保育所育ちです。というか、私が生まれた家は、保育所を併設している曹洞宗のお寺(正法寺)でした。今でも佐渡島に立派に存在しています。うちの親はそのお寺の養子だったんですね。この保育所に1年間通ったんですが、もちろん保育所ですから、託児所に毛の生えたようなものなので、嬬恋村のこども園のようなめんどくさいルールはありません。今は事情は変わっているかもしれませんが昔はなかったです。もちろん夜の7時まで延長保育があります。働くお母さんにとっては、非常にありがたい制度です。で、うちの親がお寺の養子から外れて旧姓に戻り、別のところに引っ越して、新しい保育所に入り直したんですが、やはり嬬恋村のこども園のようなめんどくさいルールはありませんでした。もちろん今は少し事情が変わっているかもしれませんけれど。

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 めんどくさいといえば、こども園(幼稚園)には、家庭訪問があるんですね。これには驚きました。保育所しか経験したことのない私にとっては衝撃でした。やはり幼稚園というのは、いわゆる教育施設なんでしょうね。さすが文部省管轄だけの事はあります。

 話は変わりますが、同級生に幼稚園出身者がいましたが、その幼稚園出身者と話をして衝撃的だった事は、幼稚園には1ヶ月の夏休みがあったことですね。小学校と同じだったんです。けれど保育所には夏休みは、なかったんですよ。あってもお盆の時期だけだった気がします。あと、昔の保育所では卒園する頃には、ひらがなやカタカナはもちろんのこと、自分の名前を漢字で書くレベルまで文字が書けるようになってました。ところが、幼稚園出身者の話を聞いてみると、小学校に入ってから生まれて初めて文字を覚えたという話でした。これには驚きました。

 じゃあ幼稚園で何やってたんだよ?

と、質問したのですが、あまり記憶になかったようです。幼稚園出身の嫁さんにも聞いてみても、それは同じでした。要するに、幼稚園に入る時間が短すぎてあまり記憶にないみたいなのです。これが保育所になると、日々の大半が保育所にていることになるので、保育所での記憶ははっきりと残ります。時間が長すぎるので、さんざん遊んだ後は、やることもあまりないので、ぬりえをしたり、絵本を読んだり、歌を歌ったり、楽器を練習したり、文字を覚えたり、昼寝をしたり、あらゆることをプログラムに入れないと、時間が余っちゃうんですね。だから、知らないうちに文字を覚えたりもしたんだと思います。

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 これは逆説的になりますが、当時の保育所は、教育施設でなかったために、子供たちは幼稚園よりも早くに文字を覚えたんだと思います。むしろ幼稚園は、教育施設であったために、文部省の指導に従って、文字を学習する機会がなかったのかもしれません。もちろん文字は、小学校に入ってから学んでも決して遅くは無いので、幼稚園のスタイルで問題ないといえば、問題ありませんけれどね。



つづく。

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2016年02月09日

雪山を登る2歳児

 今日は、朝から雪が降っていましたが、息子連れて浅間牧場を1周してきました。息子も2歳10ヶ月になります。明日は、保育所の入園説明会です。本当は私も参加したかったのですが、どうせお母さんばっかりで、私が言っては肩身が狭い思いをするので留守番です。私がやれる事は、息子を毎日山に連れて行ことです。よほどの吹雪でなければ、息子を連れて山歩きをしています。

これは息子が生後6カ月ごろから、出来る限り毎日続けてきました。もちろん息子が歩けない0歳から1歳までの頃は、おんぶしながら山に登っていました。北軽井沢の冬は、マイナス10度ぐらいになりますから、その条件下で登山をした0歳児、 1歳児は、日本ひろしといえども、うちの息子ぐらいなのではないでしょうか?

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 今うちの息子は、 2歳10ヶ月ですから、もうおんぶすることはあまりありません。時々肩車することはありますが、できるだけ自分の足で歩かせています。というか、肩車を嫌がるんですね。できるだけ自分で歩こうとする。だから逆に言うと、なかなか前進できないいますが、根気よく見守りながら上っています。その様子をFacebookにアップしておきました。 2歳児を雪山に毎日のように散策していると、他の人に説明してもなかなか信じてもらえないので、 Facebookに写真をアップしておきました。その画像は下記のアドレスをクリックすると出てきます。

https://www.facebook.com/media/set/?set=a.1167471219944778.1073741936.565569696801603&type=3

 まぁそんな事はどうでもいいとして、息子を雪山に散策させてみて、気がついたことがあります。まるっきり前に進めないですよね。雪さえ降ってなければ、簡単に登れるコースでも、いったん雪は降ると、すぐにバランスを崩して何度も何度も倒れてしまいます。砂利道でも、雪のない道を歩く能力と、息のある道を歩く能力では、まったく違うみたいなのです。すべては転んで、何度も何度も倒れてしまいます。不思議ですね。

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 これは、雪道にスノーシューの足跡と長靴の足跡の2つがあるためです。スノーシューの足跡はあまり沈みません。けれど長靴の足跡は、時々何十センチも雪の底に沈んでいる足跡がついていることがあります。つまり、そこのところが落とし穴のようになっているわけです。これが2歳児の息子にとっては、非常に歩きにくいわけです。大量の落とし穴のある道を歩いているわけですから、何度も何度も足を踏み外して倒れてしまいます。その都度、雪まみれになり、冷たい氷が顔に刺さったりしますから、 2歳児にとっては、地獄の3丁目みたいなものなんでしょう。倒れては泣きわめくことが何度もありました。

 もちろん抱き起こしたりはしません。

 泣こうが喚こうが、自分の力で立たせます。そして、スタスタと置いていきますから、息子は泣きながら必死になって私を追いかけてきます。これを何度か繰り返しているうちに、少しずつ雪道を歩けるようになってきました。しかし、まだ普通の道を歩くようにはいかないようです。どうやら普通の道を歩く能力と、雪道を歩く能力は全く違うものらしいです。落とし穴のある道と、平坦な道では歩き方が全く違うわけですからね。しかし、これも何回か繰り返しているうちに、雪道を歩くノウハウを掴み取ることができるのではないかと思ってます。幸い、雪のおかげで転んでも怪我をしにくいですから。

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 ここで本題に入ろうと思いますが、うちの息子も、ようやくトイレトレーニングがうまくいきつつあります。おしっこをしたくなると、自分でおまるを持ってくるからです。ただし、自分でズボンを脱いだりはできませんので、そこは親のサポートが必要になってきます。保育園では、オムツが禁止らしいので、トイレトレーニングを完成させるまでには、あと2ヶ月しかありません。遅いですよね。

 私の子供の頃と比較しても遅いです。私は、かなり早くから自分でトイレに行けるようになっていました。オムツは早くから卒業しています。保育所に入るかなり前から、離れの便所にトイレに1人で行っています。しかも、ぼっとん便所です。離れですから、暗闇の中を一旦家の外に出て、掘っ建て小屋の便器も何もない板の間の隙からウンチをしたものです。

 これは別に珍しいことではなくて、昭和30年代の田舎では普通に見られた光景だと思います。みんなそれぞれに、トイレトレーニングが早く終わっていたと思います。保育所の年小組の子どもたちにもオムツをしてる幼児なんか聞いたことがありません。

 しかし、うちの息子は、なかなかオムツが取れません。これは、紙オムツの性能が良すぎるためなんでしょうね。幼児にとっても、親にとっても、紙おむつはとても便利です。だからなかなか取れないのかもしれません。これではまずいと思った私は、とにかく自分でズボンを脱いだりできるようにすることと、ひとりでトイレができるように訓練を今まで以上にしています。

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 息子は、山に登ったり、鉄棒にぶら下がったり、野原を走ったりするのは十分にやってきましたが、自分ひとりでトイレをする訓練が疎かだったために、その能力がどうしても劣ってしまいました。親として非常に反省している次第です。また、会話能力も他人様より劣っているようです。親が、空気を読みまくって先に手を出してしまうために、子供が言葉を使って意思表示する必要はあまりなかったためだと思われます。これも本当に反省しています。

 ただ1つだけ良かった事は、非常に優しい子になりつつあることです。

 公園なんかに息子を連れて行くと、自分より小さな子供を見つけると、すごく可愛がるんですよね。よちよち歩きの子供を、息子なりにサポートしてあげたりするのです。滑り台を滑る自分より小さな幼児がいると、手を叩いて喜んでいます。息子は小さな子供が大好きみたいなのです。まるで、女の子みたいですが、これも心当たりがあります。親や、お客さんの真似をしてるんですね。

 家に泊まるお客さんが、息子を散々可愛がるわけですが、お客さんの息子を可愛がるが可愛がるほど、それと同じ事を、公園の小さな幼児や赤ちゃんたちにするんですよ。お客さんが、我が息子を手を叩いて褒め上げると、息子も翌日、公園で小さなお子さんを手を叩いて褒めるのです。まったく同じ事を自分もするわけです。この光景を何度も何度も目撃した私は、本当に頭を抱えました。

 父親が、母親が、またはお客さんが息子にしたことと同じことを、息子が真似をして小さな幼児にするわけですから、やはり子供というものは可愛いがらなければダメなんですね。

 もちろん、甘やかしてばかりではまずいかと思いますが、可愛がる時は可愛いがらないと、その子供に優しさは宿らないわけです。私は息子を可愛がっれば、息子も、他所の小さな赤ちゃんたちを可愛がるわけですから。

 さてここで、雪山登山のことに話を戻します。

 息子が雪山で、すべては転んで、何度も何度も倒れてしまっていることは前にも述べました。もちろん私はすぐに抱き起こしたりはしません。泣こうが喚こうが、自分の力で立たせます。そして、スタスタと置いていきますから、息子は泣きながら必死になって私を追いかけてきます。最初から最後まで、このような厳しい態度を息子にとり続けてしまったら、息子はきっと冷たい人間に成ってしまう。そんな気が最近してきました。

 もちろん、厳しい態度も必要かと思いますが、それはある程度のところまでで止めておいて、最後には抱きかかえて、甘えさせてあげたり、甘いものをあげたりしています。そして、雪の中に倒れても自力で立ち上がったら大げさに褒めるようにしました。もちろんご褒美もあげています。そのせいか、最近の息子は、毎日、雪山を歩きたがるようになってきています。

「おでかけする?」

と尋ねると、大喜びで長靴を履きにくのです。今日も、吹雪の中の浅間牧場を、家族3人で歩きました。何度も倒れましたが、少しずつ雪に慣れてきているようです。



つづく。

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2015年12月28日

忍者だった御客様からのプレゼントが届いた

 うちの御客さんで一番変わった人といえば、忍者(女性)です。その人は、自宅から忍者のかっこうで新幹線に乗って、路線バスを乗り継いで、うちの宿に泊まりに来ています。で、草津温泉を観光したら地元で大人気。スーパーアイドルなみにチヤホヤされたと言ってました。で、調子に乗って軽井沢を観光したら、総スルーされたと悔しがっていました。

 しかも、その忍者さん(女性)は、宿泊代を払っているにもかかわらず、ベットに寝ないのです。部屋掃除に行ってもベットを使った様子が無いのです。というかゴミ一つ落ちてない。忍者なので宿の屋根裏で寝ているのか?それとも縁の下で寝ているのか?わけがわからない御客さん(女性)でしたが、そんな彼女も結婚して妊娠し、男の子を授かって普通のママさん(?)になっていました。

 まあ、そんなことはどうでもいいとして、その女忍者さんから、いや、普通のママになった方から、何度も、お下がりの服やオモチャを頂くのです。非常にありがたいのです。で、またもや年末に、いらなくなった幼児用おもちゃを頂きました。しかも、今回は、どういうわけか、おママゴトセットまでいただきました。

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 前置きは、このくらいにして、ここからが本題です。

 うちの息子は、今回、いただいた、おママゴトセットがいたく気に入ってしまったのです。暇さえあれば、ママゴトセットで何かやっているのです。で、思い出したのです。軽井沢おもちゃ王国でも、児童館でも、ママゴトセットで遊ぼうとしているんですよ。

 他の男の子たちが、プラレールとか、ミニカーとかに興味津々なのに、うちの息子は、ママゴトに熱中するんですよ。はて? どうしてだろう?と考えたわけなんですが、思いあたることがあったんです。

 うちは、宿屋です。当然のことながら息子は、親が調理している後姿を見て育っています。食材の仕入れにも付いてきていますし、食器洗いする姿も見ているわけです。それを見ていて真似をしようとするわけですが、包丁なんか握られたら危なくてしょうがないので、近くに来させないわけです。で、ぐずったりするわけですが、今回、ママゴトセットが手に入ったために、夢中で調理のまねごとをしだしたんですね。

 それにしても子供という生き物は、本当に親の真似をしたがりますね。何でも真似したがる。息子のママゴトなどは、親の癖をコピーしたママゴトをしている。そもそもママゴトそのものが、宿屋の親のコピーですからね。

 恐ろしいものです。

 思えば息子が12ヶ月くらいの時に、危険なことをしようとしたとき、怒鳴ったり叩いてやめさせたことがありました。しかし、これは駄目な方法だと、すぐに気が付きました。というのも私が息子を怒鳴ると、息子も母親を怒鳴るようになったからです。つまり息子は親の真似をするわけです。

 これは夫婦喧嘩にしても同じで、亭主関白な対応をすると、息子も母親を軽んじる。その逆に母親が父親を軽んじれば、息子も父親を軽んじる。つまり、夫婦関係が不安定だと、それも息子に影響してしまうんですよね。それほど幼児は親の真似をするんですよ。もっとも、これは、うちの子供に限ってのことかもしれませんけれど、他の親御さんの話を聞いても、同じみたいなのです。

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 よーするに1歳児から2歳児にかけて、恐ろしいほど親を真似する。良いところも悪いところも信じられないくらいに真似をするんですよ。だからうちの息子は、ママゴトセットをもらったとたん、さかんに料理ごっこをしているんですよ。親の真似して料理ごっこしている。

 料理だけで無く、掃除ごっこもする。こっちは危険性が少ないので放置していると、さかんにクイックルワイパーをもって掃除のまねごとをしている。ということは、もし、私が忍者のように行動していたら、息子は忍者の真似をするのかもしれません。


つづく。

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posted by マネージャー at 21:03| Comment(5) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月19日

2歳9ヶ月。まだ正確に会話ができない息子

 もうすぐ息子も2歳9ヶ月になります。この頃、やっと言葉を少しずつ話すようになってきました。ずいぶん遅い成長ですが、この遅さは私に心当たりがあります。

 どういうわけか私は、息子の赤ちゃん言葉を理解する能力が高かったんですね。それはゼロ歳児の時から、今までずっとです。息子が、ちょっとでもぐずると、私はその原因を簡単に突き止めてしまう能力を持っていたわけです。

 おそらくこれは、私の耳が悪かったことと無関係ではないと思っています。あと、 10歳以上年の離れた弟がいたために、子供の頃にそれを観察していた事も無関係ではなかったかもしれません。まぁそんな事はどうでもいいとして、私は息子がぐずりだすと、すぐに解決してしまう能力を持っていました。

 泣き声の大きさや、音程の違いを判断して、背中が痒いのか、ミルクが飲みたいのか、それとも歩きたいのかを直感的に突き止めて、解決してあげてたのです。おかげで、うちの息子は、手がかからない子供に育ってしまいました。

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 今思えば、これが息子の言語能力の成長を阻害していたような気がします。泣き声1つで、親が察してあげるという事は、自分で言語を操って意思を伝える必要性があまりないということですよね。

 昔、うちの宿でヘルパーをしていた女の子が、お母さんになって小さな娘さんを連れてやってきたんですが、その娘さんは高度な言語能力を持っていました。どうしてなんだろうと、質問してみたら、そのお母さんは、赤ちゃんに対して言葉で伝えてこないとアクションを起こさなかったと言います。つまり私とは、 180度違うやり方で、娘さんの言語能力を高めてきたようなのです。

 これには、脱帽しました。
 そうゆう発想が、私にはなかったのです。

 うちは宿屋なので、お客さんに迷惑をかけまいと、ひたすら息子を泣かせないように、ぐずらせないように、私が息子に対して空気を読んで対処してしまっていました。なので、2歳になる前に、ひらがなもカタカナも数字も覚えていたくせに、会話能力はこれっぽっちも発達しなかったわけです。もちろん、聞き取り能力は十分に発達してました。こちらの言う事は、驚くほど理解していたのですが、自分の意思を相手に伝える言語力が、順調に育ったなかったのです。

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 例えばうちの嫁さんが、息子と一緒に風呂に入ったとします。するとお風呂の中で息子が激怒している声が聞こえてきます。わんわん泣いているわけです。変だなぁと思って、私は駆けつけてみると、すぐにわかってしまった。嫁さんには、さっぱり原因がわからなかったようなのですが、私には、息子がが泣きわめく手に取るようにわかってしまった。

 うちの嫁さんは、お風呂のドアを閉めたわけですが、それに対して息子が激怒しているのが分かってしまった。嫁さんは、何がなんだか分からないという感じで呆然としています。でも、私にはピンとくるものがあった。息子は何でも自分でやりたがっていたので、自分でお風呂のドアも閉めたかったんですね。そこで私は

「お風呂のドアを閉めたいんだよね?」

と言って、ドアを開けて

「はい閉めてちょうだい」

と息子に道を閉めさせるわけです。息子は私の対応に満足するわけですが、今思えば、これが良くなかったようです。

 もし、私が嫁さんと同じように空気が読めなかったとすれば、もう少し息子は言葉で伝える努力をしたのかもしれません。しかし、私が空気を読んでしまったために、息子が言葉を使う機会を失ってしまったんですよね。そのために、会話能力を鍛える機会が減ってしまったわけです。

 自分の息子の言語能力は、決して低いとは思えません。息子NHKの教育テレビで放送していた百人一首の歌を一瞬にして暗記してしまいます。私が空を見上げて、今日は三日月だ。上弦の月だな。と独り言をつぶやくと、息子も真似して、三日月だ。上弦の月だとつぶやきます。また、中原中也の「汚れっちまった悲しみに……」という詩つぶやいたり、教えてもない童詩や童謡もテレビを見ただけでまねして歌います。なのに、会話が上達しないのは、親が空気を読んで、息子のうめき声を聞いて、瞬時に息子の意図を理解して、手を貸してしまっていたからに違いありません。

 こう考えると、 2歳児の息子にイヤイヤ期らしきものがなかったことの理由がわかった気もします。息子はぐずる必要性がなかったんですよね。そのために、本来ならば2歳児のあいだに身に付くはずの会話能力が、なかなか身に付かなかった。確かに息子は、手もかからなかったし、ぐずることもなかったけれど、そのために言葉で主張する技術を身につけるのも遅かった。逆に言うと、 2歳の時に壮大なイヤイヤ期を経験した子供は、言葉で主張する技術を身につけるのが、早くなるかもしれません。

 それに気がついて反省した私は、 1つの実験をしてみました。

 息子が、大好物の果物を床に落としたとします。今までは、それだけで息子はぐずっていました。ひどいときには泣きわめいたりもしていました。そして私は、代わりのフルーツを即座に与えていたのですが、それを止めました。やめて、床に落とした直後に

「あ、落としちゃった」

と大げさに言うようにしました。もちろん私もわざと落として、「あ、落としちゃった」と大げさに言うようにしたのです。すると、息子も「あ、落としちゃった」と言うようになって、泣きわめく事は無くなりました。このように、 1つのアクションに対して、 1つの言語をぶつけて、その上身振り手振りも付け加えると、グズったり泣きわめいたりすることがなくなって、「あ、落としちゃった」というような言葉を発するようになったのですね。

 この積み重ねを、少しずつ増やしていった結果、やっと最近、言葉を覚えるようになりました。息子の中に泣くとか、ぐずるという選択肢はなくなって、言葉を発するという行為が目立ってきました。以前なら泣いたことも、泣く代わりに言葉を使うようになった。しかし、これは思えばすごい遠回りだったかもしれません。普通の2歳児だったら、こんな遠回りをすることはないでしょうね。

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 それはともかく、言語を覚えると、息子は、ますますぐずらなくなりました。泣くという選択肢を捨てて、言語を使い始めたからです。もちろん、使い方は微妙に間違っていたりします。息子が床に転んでも「あ、落としちゃった」と言ったりする。なので、私がわざと転んで見せて、「転んじゃった」と言って見せなければならない。これは、途方もなく気が遠くなるような作業なんですよ。あまりにもめんどくさいので、最近は、多少間違えていても放置しています。そのうちに正確な言葉を理解していくのではないかと思っています。


つづく。

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posted by マネージャー at 11:35| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月06日

二歳児に「ジェントルマンですね」

 息子が生まれてから、幼児のお子さん連れのお客さんが多くなりました。しかも行儀の良いお子さんが圧倒的に多いです。感心して、お行儀が良いお子さんですねと、褒めるわけですが、お母さんたちは否定します。今日はたまたま、きげんがいいだけです。普段はとんでもないんですよと、言うわけです。

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 不思議なことに、どのお母さんも同じように答えます。最初は謙遜かと思っていました。しかし、どうもそういうわけではなさそうなのです。みんながみんな本当の事を言ってるようなのです。これが不思議でした。けれど今なら、わかります。小さなお子さんは、旅先で本当に行儀がよいのです。

 これは私にも覚えがあります。
 過去にブログでも書きました。

http://kaze3.seesaa.net/article/421644212.html(息子にとってのルール)

 二歳児になると世の中のルールを理解しだします。スーパーに連れて行っても、むやみに商品を触らなくなりました。と同時に、本人が何か気に障ることがあると激怒するようになってきましたが、彼が激怒するときは、必ずと言っていいほど、彼のルールから外れた時です。

 例えば、スーパーに行った時に、まず最初に試食コーナーに行って試食を私と息子が食べたとします。それを三日間連続して行いますと、スーパーに行ったらまず試食コーナーに行って食べるというルールが息子の中に出来上がってくるのです。そういうルールで世の中動いていると息子は勘違いしてしまいます。二歳児のイヤイヤ期というものは、 二歳児のルールに対する中途半端な理解によって発生するのです。


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 逆にいいますと、マイルールが無い場合は、様子をみます。二歳児は静かになります。つまり行儀がよくなります。だから「他所様の前では、行儀が良いのに、親の前では我が儘になる」と言うお母さんたちの証言がでてくるのです。

「うちの子は、内弁慶なんです」

と証言するお母さんが何人もいましたが、ちょっと違うと私は思っています。内弁慶なのではなく、見知らぬ環境に驚いて、どう接して良いかわからないんですよ。マイルールが確立してませんので、様子をみているんですね。で、まわりの大人たちが静かに食事をしていますと、そうしなければならないと見習うわけです。

 ところが、にたように子供たちが他にいて、暴れ回っていて、親が注意してない場合は、自分も暴れて良いと思ってしまいます。まわりをみて学習して、それがマイルールになってしまいます。それが証拠に一番上が女の子の場合、下の男の子は総じて大人しいのに、その逆に上が男の子だった場合は、下が女の子でも大人しくないケースが多いのですね。

 よーするに二歳児にとって、ルールを学ばせることは、非常に重要であり、かつデリケートなことだということです。これは人ごとでは無く、わが息子にかかわる重要なことでしたので、十一月末から十二月にかけて、思い切って休館にしてしまいました。全ては息子のためです。休館して佐渡島の実家やユースホステル。旅館や高級ホテルに泊まりに行ったのです。

 長い前置きはこのくらいにして本題に入ります。


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 先日、安曇野のホテルに泊まりにいきました。自分の勉強のためもありますが、息子の教育もかねています。本当は、食事マナーが要求されるレストランに連れていきたいのですが、さすがに、それは断られるのでコース料理がセットされているホテルに宿泊してきました。これだと幼児も連れて入れるからです。時間も十九時三十分で予約をしました。これで息子に新しいマイルールを作ってあげられるからです。

 最初が肝心なのですね。最初に、大人のルールを教えてしまえば、あとが楽なんです。既に何カ所かの宿に泊まっていて、静かに食事する訓練はできていますので、あとは、厳しいテーブルマナーを要求される場所で何回か体験するだけなんですよね。それを数回繰り返すことによって息子の行儀がよくなるわけですから、安いものです。


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 案の定、レストランの一番奥に席が用意されていました。で、ハラハラしながらコース料理をいただいたのですが、息子は最後まで静かに食べてくれたうえに、ホテルの人に
「素晴らしい」
「本物のジェントルマンですね」
と絶賛されていました。

 そのうえ最初はジロジロみていた隣のテーブルの人たちからも褒められたのでホッとしました。今までもホテルで静かに食べてくれていましたので、大丈夫だとは思っていたんですが、こんなに緊張して食事をしたのも久しぶりで、ホッとしました。とりあえず息子の中で、レストランでは静かに食べるというルールが定着してきたのでよかったです。

 最近、子供嫌いの老人たちが増えていますけれど、その理由を私は嫌と言うほど、うちの御客様から聞かされているので知っています。子供のしつけがうまくいってないからなんですね。そして、その子供嫌いの中高年の人たちも、礼儀正しい子供には、顔を崩して可愛がることも知っています。なので、二歳の息子がホテルレストランのテーブルに座ったとたん、隣の御客さんの顔がこわばったのに気づきました。きっと「チッ」と思われたのでしょう。

 宿屋の私には、痛いほど空気が読めました。

 なので食事中に緊張したわけですが、なんとか静かにしてくれて、最後には、隣の御客様たちみんなに頭をなぜてもらえたので、本当に良かったです。何万も払って泊まったかいがありました。しかし、まだ油断はなりません。これからもっと訓練をしなければならないと思っています。


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 前にも書きましたが、脳の発達に三つほど臨界期があると言われています。例えば視覚。誕生から数ヶ月間、全く光を知らないままでいますと、脳の視覚システムが構築できず一生涯失明したままになります。これが臨界期です。

 また、十歳までに人間社会の言語に触れることができなかった子供たちは、脳における言語システムそのものが構築できないために、 十歳以降にどんなに勉強しても文字を覚えることも言葉を話すこともできないと言われています。これが言語の臨界期です。

 そして脳の発達にはもう一つの臨界期があると言われています。それは脳の「眼窩前頭域」で、この部分の盛んな発達は生後三十六ヵ月(三歳)ぐらいだと言われています。この「眼窩前頭域」の発達が脆弱だと自分の感情が抑えられないハイリスクの子(危険度の高い子)になり、共感能力や思いやりを欠く子や、無気力、無感動な子になりやすい言われています。多動児やその他の発達障害も、この「眼窩前頭域」の発達と無関係で無いと言われています。

 うちの息子は、あと四ヶ月で三歳になるわけですが、今年の冬は、あまり仕事をせずに、息子のために旅行に行ったり、一緒に遊びに行こうと思っています。そして息子に健全で大人に褒められるマイルールを作ってもらおうかなと思っているんですよね。「眼窩前頭域」の発達をうながすために、自制心をもって、まわりに対して思いやりをもつような子供に育てたいですね。それが子供にとって一番の財産になることは、私が体をもって体験してきたことですから。


つづく。

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posted by マネージャー at 13:28| Comment(2) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月28日

今日で息子が2歳6ヶ月になりました

 今日で息子が2歳6ヶ月になりました。こうやって息子のことをブログに書くせいか、最近、息子の同級生がたくさん泊まりに来てくれるようになりました。おかげで息子も大喜びです。

 その結果、いろいろ気づくことも多くなって、宿もだいぶ変わりましたね。うちの宿には、息子が生まれる前には、子供用スプーンさえなかったのですが、今では、子供用踏み台から、子供用イスが6台。子供用の便座も7つ。子供用のおもちゃまで揃えています。これらの必要性は、自分に息子が出来るまで判りませんでした。

 また、御客様のお子さんをみて気が付いたのですが、御客様のお子さんの多くが、うちの息子より成長が早いですね。会話も出来るし、ひとりで靴も履けると、ドアを開けて外にも出られる。どれも、うちの息子にはできないことばかり。で、成長の早いお子さんの多くは、兄弟がいるか、保育園に通っているお子さんたちでした。やはり保育園は偉大です。

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 そんなことはどうでもいいとして、うちの息子が1歳半になる頃から、息子にカーナビのような恐ろしい嗅覚がそなわるようになりました。道路が分かるらしいのです。息子を連れて買い物にいくとき、児童公園方向に走ると、キャッキャと喜び、別方向に行くと怒り出すようになりました。あきらかに車が何処に向かっているのかが分かっているのです。それも、広い吾妻郡から北佐久郡にわたって広範な地域の道をわかっている。何故だろう?と不思議に思っていて、よくよく観察していたら、ある法則があることに気が付きました。

 息子は、ある目印を頭にインプットして、それに対して右に曲がるか左に曲がるかで、大好きな児童公園・おもちゃ王国・ホームセンターなどの施設に入るかどうかを判断して泣いたり笑ったり怒ったりするのです。

 ただし、凄いなあと思うのは、私が連れて行く児童公園は、10カ所以上あるのに、私が連れて行くレストランやホームセンターは、20カ所以上あるのに、その全ての目印を頭にインプットしているんですよね。その記憶力には舌をまきましたが、さすがに頭の中がカーナビということはなかったです。というのも、少し道を変えて目的地に行けば、本人は泣きもわめきもしないからです。すがに、そこまでの頭脳は無いようです。けれど、それにしても幼児の記憶力は大したものです。

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 記憶力といえば、もう一つ驚くことがありました。最近は、ありえない長セリフを言うようになったのです。例えば、

「セリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロ・これぞ春の七草」

とか

「無花果(いちじく) 人参(にんじん)山椒(さんしょう)に 椎茸(しいたけ)・牛蒡(ごぼう)に 無患子(むくろじュ)・七草(ななくさ) 初茸(はつたけ)胡瓜(きゅうり)に 冬瓜(とうがん)」

といった、幼児が知り得ない言葉を発するようになりました。なぜだろう?と不思議に思っていたらNHK教育テレビの『日本語であそぼ』を毎日見ていて暗記しちゃったんですね。この他にも十二ヶ月(7級)とか、数の単位(5級)とか、二十四節気(2級)まで暗記するようになってしまった。また、いろんなテレビの言葉の真似までしています。童歌を何曲も覚えてしまっています。ろくに会話もできないのにです。

 どうして暗記したのか?というと、うちが宿屋であることと無関係ではなかったと思われます。忙しい夏の間、2歳の息子を和室にとじこめて、NHK教育テレビの録画ばかりみせていたので、こういう頭でっかちになったんだなと思われます。だから肥ってしまっている。なので反省しています。暑かったせいか今年の夏は、本当に忙しかったから。10月からは、休館日をたっぷりとって、息子を連れて旅に出ようかと思っています。

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 テレビ番組の言葉を暗記しているくせに、ひらがな・カタカナ・アルファベットも暗記しているくせに、まだ言葉がしゃべれない。親と正確な日常会話ができないのは、コミュニケーション不足なのが原因で間違いないでしょうから。


つづく。

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posted by マネージャー at 23:33| Comment(3) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月28日

息子は2歳5カ月。いよいよ脳の臨海期が迫ってきた

今日で、息子は2歳5カ月となりました。 2か月近く忙しかったために一緒に遊んであげられませんでしたので、今日は児童公園に連れて行って一緒に遊びました。久しぶりの児童公園で、息子は息を切らしていました。明らかに体力が落ちています。 9月からは、お客さんを減らして、もっと息子と一緒に遊ぼうと思っています。というか、これからが子育ての本番なのです。 3歳まであと7ヶ月しかありません。それまでに、やらなければいけないことがあるのです。本当は、もっと前から取り組みたかったのですが、 7月と8月は、宿の仕事で手一杯で、息子に関わることができなかったのですね。

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 話は変わりますが、脳の発達に3つほど臨界期がある事はよく知られています。例えば視覚。誕生から数ヶ月間、全く光を知らないままでいますと、脳の視覚システムが構築できず一生涯失明したままになる事はよく知られています。つまり、赤ちゃんは生まれてすぐ光を浴びないと失明してしまうわけです。脳のなかの視覚における神経回路がその発達の臨界期を過ぎてしまったからです。だから後で、いくら光を浴びても、目が見えるようにはなりません。これが臨界期です。

 もうひとつよく知られているのが、言語の臨界期です。 10歳までに人間社会の言語に触れることができなかった子供たちは、脳における言語システムそのものが構築できないために、 10歳以降にどんなに勉強しても文字を覚えることも言葉を話すこともできないと言われています。狼少女アマラの話は有名ですが、彼女は言語の臨界期を過ぎていたために、人間の言葉を最後まで理解できずに死んでしまいました。


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 そして、脳の発達にはもう一つの臨界期があると言われています。それは脳の「眼窩前頭域」で、この部分の盛んな発達は生後36ヵ月(3歳)ぐらいだと言われています。もちろん、 20歳ぐらいまで発達を続けるという研究者もいるようですが、その発達レベルは3歳までとは比較にならないほど弱いようです。この「眼窩前頭域」の発達が脆弱だと自分の感情が抑えられないで、すぐにキレるハイリスクの子(危険度の高い子)になり、共感能力や思いやりを欠く子や、無気力、無感動な子になりやすい言われています。多動児やその他の発達障害も、この「眼窩前頭域」の発達と無関係で無いと言われています。

 逆に臨界期が見られないのが、大脳新皮質の部分で、 3歳以降に急激に発達して、溢れんばかりの知識を吸収するようになると言われています。だから、3歳以前の子供に勉強教えるのはあまり意味のないことで、 3歳以前の子供にとって重要な事は、「眼窩前頭域」を発達させることだと言われています。 3歳を過ぎますと、「眼窩前頭域」の臨界期を迎えるからです。詳しくは、脳科学者の

 『決定版 その子育ては科学的に間違っています 國米欣明』

を読んでもらうとして、うちの息子の将来を決める性格形成にとって、これから数ヶ月間が非常に重要な時期であることだけは確かです。

 夏の間は宿の仕事一筋で、ろくに息子の相手をしてやれませんでしたので、これからの半年間は、息子の「眼窩前頭域」の発達のためにちょっと頑張ろうかなーと思っています。天気さえよければ児童公園やおもちゃ王国に連れて行って、社会のルールを学ばせたり我慢をさせる事を学ばせなければなりません。これが、ひらがなやカタカナを覚えることよりも1万倍大切な事はわかっていたのですが、どうしても仕事が忙しくて、今までできませんでした。

 これはどこの家庭のお父さんお母さんでも同じような悩みを抱えているかと思いますが、私のうちもご多分に漏れなかったです。秋には、ちょくちょくと旅行に連れて行って、列車に乗ったり、船に乗ったり、飛行機に乗ったりして、いろいろな土地土地で社会のルールを覚えさせたいなぁと思っています。もちろん、たっぷり叱ったりする予定です。だから息子が3歳になる来年3月までは、平日は休館日も多くなるかもしれません。(ごめんなさい!)

 とりあえず、9月になったら、おもちゃ王国につれていこうっと!

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つづく。

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2015年08月27日

ベビーサークルというサークル?

 前にも書きましたが北軽井沢は秋です。うちも夕方にはストーブをつけるようになってきました。先日もTシャツ一枚といった夏の格好できたおとうさんが、ガタガタ震えていました。なので最低1枚は、長袖を用意してください。参考までに嬬恋村の気温が表示されているサイトをあげておきます。

http://weather.yahoo.co.jp/weather/jp/10/4220/10425.html

ちなみに、このサイトは、あくまでも嬬恋村の気温です。北軽井沢は、もう少し標高が高いので、これより少しばかり寒いと思ってください。

 今年は、猛暑だったと御客様は言っていましたが、北軽井沢では例年より逆に涼しかったような気がします。庭の花壇も耐寒性のないものは、枯れ始めてきました。そのせいか御客様も多かったですね。去年の数字を越えて、ここ数年で一番良かったです。それだけに、夫婦共に身体はボロボロなので、身体を元に戻すために9月になったら休刊日または、食事の無い日をつくって休むことにしました。詳しくは、こんな感じです。

http://www.kaze3.cc/index00.htm

 あと、かわいそうだったのは息子で、一日中、ベビーサークルという檻(牢屋)の中に閉じ込めているケースも多かったです。もちろんすぐに脱出するわけですが、私が「コラ!」と怒ると慌てて元にもどろうとして、ドテッと転んでしまいます。

 子連れの御客様も、うちに2歳児がいると聞いて、「誰か子守でもいるんですか?」と聞いてきます。もちろん子守なんかいるわけないので、「ベビーサークルに入れっぱなしです」と言うと、事情を飲み込めない御客様は、どこかに預けているんだなと勘違いされていました。ベビーサークルというサークル(クラブ?)があるんだと思われたようです。

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 まあ、そういう誤解はありますよね。ベビーサークルというのは、檻のことなんですよね。赤ちゃんのためのサークル活動ではないんですよ。で、ベビーサークルを使うお母さんというのは、世間的に言うと圧倒的に少数派なんですよね。公園で会うお母さんたちからも「ベビーサークルに入れっぱなしです」というと、かなり怪訝な顔をされますしね。

 ただ、うちが宿屋であるために、御客様が、いらなくなった絵本やおもちゃをいっぱいもってきてくれるので、それがありがたかったです。この夏、息子が大人しくベビーサークルの中で我慢してくれたのは、御客様がもってきてくれた、絵本やおもちゃのおかげです。それらのおかげで、どれだけ助かったことか。あらためてお礼をいわせてください。9月になったら御客様が減るので息子をつれて、おもちゃ王国にでも行ってこようかと思っています。

 来年は、保育園だなあ。
 そろそろトイレトレーニングしないとね。


つづく。

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2015年08月19日

最近、アレルギーのあるお子さんが増えている気がします。そこで・・・・・

 あと10日で、息子も2歳5ヶ月になろうとしています。私たち親の都合で、最近は、運動不足のためか食欲も無くなってきました。以前なら何でも好き嫌い無くパクパク食べていたのですが、最近は、箸がすすまないのです。食べるのが異常に遅くなってきています。でも、こればかりは、どうしようもないです。宿屋の宿命です。なので放置していたら、食事で遊びはじめてしまいました。

「あ、カレーを麦茶の中に入れた」

 自慢じゃないけれど、うちの息子は過去に一度だって食べ物を粗末にしたことがなかった。食べ物で遊んだことが無い。そういう息子だったのに、ついにカレーを麦茶の中に入れはじめたのです。これは親としては、かなりショックな事件でした。

「あ、かきまぜている」
「・・・・・」
「今度は、漬け物を入れはじめたぞ」
「・・・・・」
「またかき混ぜている」
「・・・・・」

 息子は無言でかき混ぜていました。
 そして、スイカなんかも麦茶の中に入れてかきまぜたのです。
 もうそろそろ
「食べ物を粗末にしてはだめ!」
と注意しようと思った頃、息子は驚愕の行動をとりました。

 なんと、それらを食べ始めたのです。
 お、恐るべし、わが息子!
 しかし、いくら食べ物を粗末にしないと言っても・・・・・これは、いかがなものだろうか?

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 前置きは、このくらいにして本題に入ります。

 私は宿屋をはじめて15年になりますが、この15年で劇的に変化したのがアレルギーをもっているお子さんが増えたことです。これが非常に気になっています。15年前には、ひと夏に1人いればいいくらいだったのに、今では、毎日1人くらいのアレルギーをもった御客様が宿泊されます。

 といっても重度の御客様は少なくて、
 軽度の御客様ばかりなのですが、
 これはいったいどういうことなのでしょうか?
 とくに今年は多かったですね。

 おかげで、必要に迫られて私もアレルギーの勉強を少しづつではありますがやっています。オフシーズンになったらもっと本格的な勉強をしようと思っていますけれど、アレルギーというのは、今でも原因不明なケースが多いようですね

 ただし、少しだけ解明されつつあることがあって、食事のとりかたでアレルギーになるケースよりも、皮膚接触によってアレルギーになるケースが多いということが、少しづつ分かってきているようです。幸い、うちの息子にはアレルギーはありませんが、原因の一つに、何も添加物の入ってない石けんを使っていることもあるかもしれません。もちろんシャンプーも使ってません、石けんで頭を洗っています。

 で、頭がいたくなってきたのは、うちの宿のユニットバスに置いてあるシャンプー・リンス・ボディソープです。これでいいんだろうかと頭が痛くなりました。

 しかしですね。うちの宿も10年前には、何も添加物の入ってない石けんを置いていたんですが、だれも使わないので廃止したんですよね。しかし、あの頃はアレルギーのある人も少なかったし、当時は、食事からアレルギーになるという都市伝説も有力だったから、今なら無添加石けんを使う人もいるのかなあ?

 ちょっと悩んでいるところです。
 無添加石けん、使う人いるのなら、もう一度置いてみるけれど?

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つづく。

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2015年08月07日

2歳児のイヤイヤ期、本当はマイルール期?

 息子が2歳4ヶ月になりました。

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 昨日は、夕食がお休みでしたので、ひさしぶりに息子を公園に連れて行きました。で、やはり軽井沢は北軽井沢より暑かったです。北軽井沢は、なんだかんだと言って軽井沢より涼しいんですよね。朝晩は寒いですし、トンボは飛んでいますし、クルミは落ちていますし。羽毛布団で寝ないと風邪をひくレベルです。だから宿から自宅に帰った御客様から、すぐに予約をいれてくる御客様も多いです。

 まあ、そんなことはどうでも良いのですが、久しぶりに息子を公園につれていくときに、暑いから木陰の別の道を通っていこうとしたら息子は大激怒。いつも通行している道で無いと嫌がってしまいます。前にも書きましたが、息子には自分の中に強力なルールがあって、それをはみ出すのが許せないようなのです。

http://kaze3.seesaa.net/article/421644212.html(息子にとってのルール)

 だから、きちんとシートベルトをしてあげないと怒り出しますし、何でも片付けようとします。児童公園の滑り台に枯れ葉のようなゴミが落ちてますと、それを始末するところから始めます。滑り台をきれいにしないと遊ばないのです。これは、親の毎日やっている客室の清掃を見ていて、それがルールとして染み付いたのでしょう。

 どうやら息子には、世の中にはルールがある事は分かってきているらしい。しかしその自分なりに理解したルールをはみ出すと、彼は大激怒します。例えば、スーパーに行った時に最初に試食コーナーに行って何かの試食を私と息子が食べたとします。それを三日間連続して行いますと、スーパーに行ったらまず試食コーナーに行って食べるというルールが息子の中に出来上がってくるのです。

 本当はそんなルールは存在しないのですが、 3日連続して行いますと、そういうルールで世の中動いていると息子は勘違いしてしまう。そのために試食コーナーによらないと激怒するようになってくる。逆に言いますと、そういう勘違いがあるにしても、ルールを理解しようとする行動によって、スーパーの商品をむやみに触らなくなってきたのは非常にありがたいですけれどね。

 けれど息子は、正確にルールや社会規範を理解しているわけではありませんので、今回のように別の道で公園にいこうとすると大激怒する。これを『イヤイヤ期』というらしいのですが、このネーミングは良くないと思います。こんなネーミングがあるから、世のお母さんたちは苦労するんだと思いますね。イヤイヤ期ではなくて『マイルール期』とするべきでしょう。

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 前置きは、このくらいにして本題にはいりますが、別の道から息子を公園に連れて行った結果、さんざんな目にあってしまいました。私が息子のマイルールを無視したものだから機嫌が悪いこと、機嫌が悪いこと。いろんな御家族から注目をあびてしまい、私が不審者のようにみられてしまい、みんなが寄ってくるようになってしまいました。

 で、なんとなく居心地が悪くなってきましたので、公園から別の所に移動しようとすると、これまた愚図りだして手がつけられません。われながら大失敗してしまいました。仕方が無いので、彼のマイルールを巧みにくすぐって、つまり、彼が好きなマンホールを踏ませたり、白線の上を歩かせたりして機嫌をとり、なんとか近所のスーパーにかけこんで一緒に食事をとって一息つきました。

 その後、息子は、宿に帰って御客様のお子さんと一緒になって遊んだのですが、御客様のお子さんの前では、非常におりこうにしています。親としては、ちょっと複雑なのですが、仕方が無い。客様のお子さんと息子の間には、彼にマイルールが存在してませんので、それが成立するまで静かにしています。

 これは、御客様のお子さんにかぎらず、誰であっても親しくない人に対しては、静かにしています。しかし、かなり仲良くなると、少しづつ我が儘をいうようになるのですが、必ずしも全ての人にいうわけではありません。これは、相手をみているわけではなくて、相手の対応がランダムすぎるとマイルールが確立してないために、様子をみる期間が長くなる傾向になるようです。

 だから予測不可能な態度をとる御客様にたいしては、息子は非常に静かにしている。特に関西からきた御客様は、行動が予測不可能なのか、静かにしている。逆に行動に法則性のある御客様には、すぐにうちとけるかわりに、喜怒哀楽も激しくなるようです。

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 実は、これらの『マイルール』に関する研究結果があることを、図書館で立ち読みしているうちに見つけて驚きました。さすがは学者さん達です。私が苦労して発見したマイルール期仮説は、もう何十年も前に存在していました。

 これは赤ちゃんの防衛本能からきているらしい。例えば「ご飯ですよ」と言ってからミルクを飲ませることを続けると「ご飯ですよ」という言葉に反応して胃腸が動きだし、唾液が出るようになるのだそうです。そういうルールに強力な反応をしめすことによって、身体を防衛するようにできているらしい。だからイヤイヤ期(=マイルール期)は、正常な防衛活動であって、これが順調に成長できる証拠なのだそうです。なるほどと思いましたね。

 また脳科学者の言によると、人間は赤ちゃんになればなるほど、科学者的態度というか、実験的な性癖があり、そこから導き出した結果である「マイルール」に固執しやすいとのこと。だから、それに対して親が「わがまま」と判断して激怒したり暴行しては、正常な成長ができなくなる恐れがあるらしい。

 また、心理学者の言によれば、親が厳しい。親が甘い。どちらか一方であれば、子供の心は安定するらしい。けれど、急に厳しくしたり、急に甘くしたりしたら、子供は不安定になるらしい。これも「マイルール」が混乱するからかもしれませんね。


つづく。

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2015年07月22日

手がかかる子と出会った『イワンの馬鹿』

 今日、もう一度、駐車場のラインを引きなおした。

 前は、駐車場の巾が、2メートル50センチだった。それを10日前に3メートルに変更したわけだが、今日は、それを3メートル50センチに再度広げた。1台分の駐車スペースが減ったわけだが、それでも9台は駐車できる。裏の駐車場とあわせれば、16台も駐められる。定員が、19名なので、16台のスペースで充分なのである。

 そもそもうちの宿は、千坪の敷地がある。無駄に土地ばかりが広いので、駐車場くらい、ストレス無く駐めさせてあげたいと思った。御客さんの心情も同じだろう。それにファミリーの御客さんが多くなってきたことも駐車スペースを広げた理由である。小さいお子さんを連れてこられる御客さんが多いので、子供さんの事故防止のためにも広めのスペースが必要だと思っていたのだ。

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 前置きはこのくらいにして本題に入る。

 駐車場のラインを引きなおしていると、2歳3ヶ月の息子も真似をする。嫁さんとコンベックス(巻き尺)でメートルを計っていると、2歳3ヶ月の息子もコンベックス(巻き尺)ではかりはじめた。ペグをハンマーで叩いていると、息子も小さなハンマーを持ってきて叩こうとする。トラロープを張ると、息子もトラロープを張ろうとする。あぶなかしくてしょうがない。

「やめなさい」

と怒鳴りたくなるのだが、ここはグッと押さえた。私が怒鳴ると、息子も真似して怒鳴るようになってしまうからだ。これはもう何度も経験済みである。息子は私の行動を真似してしまう。だから子供が出来てから短気をおこせなくなってしまった。そのかわりに嫁さんが、ある方法で息子を躾けてくれる。息子の悪戯を好意的に受け止めるのだ。ハンマーで悪戯していると

「ああ、ありがとう! ハンマー持ってきてくれたんだ。ありがとうね」

と褒めに褒めてハンマーをとりあげてしまう。

 息子は、そういうつもりは無かったかもしれないけれど、
 褒められて悪い気はしないから素直にハンマーを手渡す。
 嫁さんは、いつも、この手を使って
 ヨイショしながら危険な悪戯を防止するのである。

 その結果、息子は、徐々に親の仕事を邪魔せずに
 親を手伝うようになってきた。
 どんなに無茶苦茶にされても
「ありがとうね、◆◆してくれたんだよね」
と言われるものだから、息子は、本気で親をサポートしようとするようになってきたのだ。

 まるでロシアの民話『イワンの馬鹿』を地でみているようである。うち嫁さんは育ちが良かったためか、こういう才能があったのには助かった。おかげで、息子のイヤイヤ期も大したことなくすみそうだ。その結果、息子にはあまり手がかからない。

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 手がかからないといえば、公園で知り合ったお母さんが「うちの子は手がかかってしょうがない」とこぼしていた。けれど私には、そうは見えなかった。その子は、うちの息子と大差ないように見えた。唯一違うところは、1歳の弟がいたところだ。

 当然のことながらお母さんは、一歳の弟ばかり見ている。三歳のお兄ちゃんのことは見てない。結果として無視されているような感じなのだ。だから三歳のお兄ちゃんは、お母さんの気をひくためにワザと転んだりする。するとお母さんは「服を汚して」と烈火のごとく怒るのだ。お母さんは、ワザと転んだりしているとは夢にも思ってないのは、はためで見ていてよくわかる。こういうのは、当事者には分かりにくい。冷静な第三者でないと分からないのだと思う。

 それだけに三歳のお兄ちゃんを哀れに思った。だからうちの嫁さんは、三歳のお兄ちゃんを褒めて褒めまくって、うちの息子と遊ばせていた。三歳のお兄ちゃんは、うれしそうに、うちの息子と遊んでくれた。その子のお母さんは、子育てにいっぱいいっぱいで、周りが見えてなかったんだろうと思うけれど、こういう風景は、ある程度、遠くからながめた方が、よく見えるのだ。手がかかる子供というのも、遠くから見たら、本当はそうでないことが多いのではないだろうか? もちろん多動性障害をもつ子供さんもいるので一概にはいえないのだけれど。


つづく。

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2015年07月10日

2歳3ヶ月の息子のこだわり

 息子が2歳3ヶ月になったわけだが、このくらいの歳になると私の予想を遥かに超えて、何でも記憶する。平仮名はもちろんのこと、数字やアルファベットまで手を伸ばしてきた。知らない間にABCを覚えているのだ。そのうえ、いくつかの漢字まで読めるようになっている。

 といっても、無理に勉強させたわけではなく、息子の方で勝手に覚えるのだ。要するに数字のパズルやアルファベットのパズルで遊んでいるのである。教育テレビで覚えるケースもあるが、基本的に息子にとってはゲームなのだ。こっちが気が進まなくても、アルファベットのパズルを持ってきて、一緒に遊ぼうとしてくる。仕方ないので付き合うわけだが、結果としてどんどんアルファベットや数字や漢字を覚えるのである。

 ところが、カタカナだけは覚えない。
 その理由が面白い。
「あ」と「ア」の発音が同じであることを認めないのだ。

 カタカナの「ア」を教えると激怒する。
 【あ】という発音は、「あ」だけであると、
 泣きながら「あ」のパズルや積み木を持ってくるのだ。

 これは彼の中に、そういうルールが存在することによって起きた現象なのかもしれない。2歳3ヶ月の息子には、ひとつの発音に1つの文字しかないと言うルールが確立しているらしい。だからそれをはみ出したことを教えると激怒するのである。最初私は、ひらがなを完璧に教えてからカタカナに移る予定だったのだが、こうなると両方同時に教えれば良かったと後悔した。


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 それにしても、我が息子はかなり気が強い。
 イヤイヤ期なのだろうか?
 いやそうではあるまい。

 自分の中に強力なルールがあって、それをはみ出すのが許せないのだ。だから、きちんとシートベルトをしてあげないと怒り出すし、何でも片付けようとする。児童公園の滑り台に枯れ葉のようなゴミが落ちてると、それを始末するところから始める。滑り台をきれいにしないと遊ばないのである。これは、親の毎日やっている客室の清掃を見ていて、それがルールとして染み付いたのであろう。

 おもちゃにしても、いちいち片付けないと気が済まないらしい。そのために、おもちゃを出しては、それを片付ける。おもちゃを出して、それを片付ける。その繰り返しをして遊んでいる。これも親の真似をしているのだと思われる。わたしは宿屋なので、ものを片付けたり、掃除してばかりいるために、息子にもそのような行動パターンが染み付いたのだと思われる。

 そこで、他のペンション仲間たちのお子さんもそうだったのでは無いかと思って、いろいろ聞いてみたのだが、うちもそうだと言う宿と、全く違うという宿に分かれてしまった。うちも同じだと言う宿のオーナーさんに聞いてみたら、部屋掃除がベットメイクに息子さん娘さんを一緒に連れて行った宿のオーナーだった。しかも一人っ子が多かった。

 うちは違うという宿のオーナーさんたちは、邪魔だから一緒に仕事をしてないと言うオーナーさんたちである。そして2人兄弟3人兄弟というパターンが多かった。なるほどと思った。小さい子が何人もいたら、一緒にベットメイクや部屋掃除をするわけにはいかないだろう。

 それに、次男や三男などは、親を真似するというよりも、兄や姉を真似するケースが多いだろう。親の後ろ姿だけを生とは限らないと思う。それに対して一人っ子の長男長女は、親の真似をしやすいのではないだろうか? 子供は親の鏡というが、それは一人っ子の長男長女に濃厚に出てくる現象なのかもしれない。


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 今回もすごい前置きとなってしまった。
 ここから本題に入る。

 児童公園で息子を遊ばせていると、お母さんたちと仲良くなる。
 といっても、夫婦2人で遊ばせているときは、そういう事は起きない。

 私ひとりで遊ばせているときに限って、別のお母さんから声をかけられるのだ。理由ははっきりしている。私が息子の父親なのか、おじいちゃんなのか、よくわからないためらしい。そのために公園のお母さんたちは当たり障りのない会話を仕掛けてくるのだ。私は、また始まったなと苦笑いしながら父親だとわかるような回答をしてみる。

 もちろん公園のお母さんたちは、私よりも20歳ぐらい若い。若いのに、子供を4人も産んでいたりする。だから子育てに関して言うと、私の大先輩である。その先輩お母さんたちが面白いことを言ってきた。 3歳位までは男の後の方が可愛い。けれど5歳以降になると逆転して女の子の方が可愛らしくなるというのである。

 確かにそうなのだ。
 公園で見ていても 3歳位までは男の子の方が可愛らしい。
 当たり前である。
 女の子は早く成長するからだ。
 しかし男の子は、成長が遅いために赤ちゃんぽいのである。
 現にうちの息子は、 2歳3ヶ月なのに、まだよく話ができない。
 ひらがな数字アルファベット漢字まで覚えるくせに、会話が上手に出来ないのだ。

 だから色んな文字を記憶するといっても、息子の知能指数が高いとは、とはとても思えない。ただ単に、ゲームの結果覚えているだけで、言語能力が向上しているわけでは無いと思う。それが証拠に、しばらくゲームをしてないと、すぐに忘れてしまう。

 しかし女の子は、たとえ平仮名を覚えてなくても、会話力はある。だから親に何かしてほしいときは、言葉を使ってお願いする。ご飯を食べたいとか、あれをとってほしいとか、言語によるコミュニケーションをとるのである。つまり大人の対応が可能なのだ。

 それに対して2歳の男の子たちは、何かしてほしいときは、親の手をとって、台所に引っ張っていく。そして、ご飯が食べたいんだなぁとわかるわけだ。何かとって欲しい時も、親の手を引っ張って、何かを指差す。そして、あれをとってほしいのか?とわかる。

 言葉でコミュニケーションを取るよりも、
 親の手を引っ張ってコミュニケーションをとる方が、圧倒的に可愛い。

 だから2歳児の場合は、女の子よりも男の子の方が可愛く見えるのだ。これが6歳ぐらいになると逆転するらしい。女の子は、自分を可愛く見せるスキルを磨くようになるけれど、男の子はそうはならない。だいぶ遅れて、言葉を得ることができた男の子たちは、ここぞとばかりに生意気な口を利くようになるらしい。けれど、そのころに女の子たちは、その先を行っているのだ。やはり女の子の方が、小さい頃は圧倒的に知能指数が高いと思う。

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 しかし、別のお母さんは、こんなことを教えてくれた。男の子は言葉がわからないうちが華ですよと。もし、言葉でコミュニケーションを取れるようになったらとんでもないわがままや、罵詈雑言がでてくるかもしれない。だから、 2歳3ヶ月の今が1番かわいいかもしれませんよ。そうアドバイスをしてくれた。確かにそうかもしれない。

 そんな話を、昨日、お客さんと語り合っていた。昨日はたまたま、 3人の息子さんを立派に社会人として育てあげたお母さんでもある小学校の学校の先生と、幼稚園でセラピストをしている先生が泊まっていた。で、 3人の息子さんを立派に社会人として育てあげたお母さんに、いろいろ聞いてみたら面白いことがわかった。

 3人の息子さんの中で、ただ1人、 4歳まで会話ができなかったお子さんがいたらしい。家にも引きこもっていて、運動もせず、この子は将来どうなるんだろう?と言うお子さんがいたのだが、そんな危うそうなお子さんが、社会に出て1番成功しているという。 4歳まで言葉が話せなかったのに進学校に進み、大学就職も1番良かったとのことである。

 その理由を聞いてみたら、出会いが良かったらしい。素晴らしい塾の先生に出会ったらしいのだ。といっても進学塾では無い。できない子供を教える塾である。そこで、その子にとって素晴らしい先生にであったらしい。だから、人生はどう転ぶかわからないのだ。 4歳まで言葉が喋れなかったのに、聞いて驚くような学校や就職をしているわけだから、人生なんて先の先までわからない。もっとも、その先だってわからないのだから、人の幸せなんてものは、その人が死ぬ直前までわからないのである。だから何かに悲観して自殺するなんて、もったいなくて出来る訳がない。その先に何があるのかわからないのだから。


つづく。

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2015年07月02日

2歳3ヶ月の息子にとってのルール

 息子が、 2歳3ヶ月になった。このくらいになると、非常に扱いやすくなってくる。世の中のルールを理解しだしたからだ。スーパーに連れて行っても、ホームセンターに連れて行っても、むやみに商品を触らなくなった。おとなしく買い物カゴの後をついてくるようになったのである。四六時中見ていなくても大丈夫になってきたのだ。

 と同時に、本人が何か気に障ることがあると、大激怒するようになってきた。これを世間では、イヤイヤ期と言うらしいのだが、うちの息子に関してはどうも違うような気がしてならない気がした。そこで、注意深く観察してみたら、 2歳3ヶ月の息子に、ある種のルールが存在することがわかった。彼が激怒するときは、必ずと言っていいほど、彼のルールから外れた時であるのだ。

 たとえば、チャイルドシートに乗せてシートベルトをしないと車を発進させないとする。最初はチャイルドシートもシートベルトも嫌がるのだが、それが2歳3ヶ月の息子の中にルールとして定着すると、チャイルドシートをしないと怒り出すのである。そして泣きわめくのだ。彼のなかには、車に乗る=チャイルドシートがルールとしてインプットされているのである。このルールをはみ出すと激怒するのだ。たとえ庭先を10メートル進むだけでもシートベルトをすることを要求してくる。

 どうやら息子には、世の中にはルールがある事は分かってきているらしい。しかしその自分なりに理解したルールをはみ出すと、彼は大激怒するのである。それは違うでは無いかと、怒り出すのである。そう考えてくると、イヤイヤ期というのは、 2歳3ヶ月の息子の社会に対する理解力から出てきた、単なる表面的な現象なのかもしれないと思えてきた。

 例えば、スーパーに行った時に、まず最初に試食コーナーに行って、焼きソーセージか何かの試食を私と息子が食べたとする。それを三日間連続して行うと、スーパーに行ったらまず試食コーナーに行って食べるというルールが息子の中に出来上がってくるのだ。本当はそんなルールは存在しないのだが、 3日連続して行うと、そういうルールで世の中動いていると息子は勘違いしてしまうらしい。そして試食コーナーによらないと激怒するようになってくるのだ。

 逆に言うと、そういう勘違いがあるにしても、ルールを理解しようとする行動によって、スーパーの商品をむやみに触らなくなってきたのは非常にありがたい。レジを通さないと触ってはいけないというルールが、彼の中に存在しているからである。床に落っこちた食べ物もむやみに食べてはいけないというルールも彼は理解し始めた。そういうところもありがたい。

 ただし、息子は、正確にルールや社会規範を理解しているわけではないので、変なことも起こってしまう。ルールは、息子自身が独自に作るということもありうるからだ。たとえば道端にあるマンホールを必ず踏まなければいけないというルールが息子の中に存在している。もちろんマンホールは、自動車が行き交う危険な地域にもあるので、私が絶対に踏ませないケースもありうる。そうなると、彼は大激怒して、いわゆるイヤイヤ期のような現象が起きてしまう。

 私は、 2歳3ヶ月の息子が考えているルールを見抜くことが比較的得意なので、いわゆるイヤイヤ期に見られる現象はあまり発生しないのだが、マンホールのようなことがあると、 2歳児のイヤイヤ期というものは、 2歳児のルールに対する中途半端な理解によって発生するのではないかと思えてきた。

 スーパーの買い物の後に、お弁当を食べる。それを三日間繰り返したら、息子にとってはそれがルールになるのである。 4日目にお弁当食べずに帰ろうとしたら怒り出すのだ。これは厄介でもあるが、これを上手に利用すると、逆に2歳児のコントロールがうまくいくことが分かってきた。何か良いことをするとご褒美がもらえるというルールを息子に刷り込むことができるからである。もちろんやりすぎると、何でも損得で動くようになるので、あまり褒められたことでは無い。

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 とここまで書いて、思い出すのは、私が保育所に通っていた頃の記憶である。私は保育所の転校生であった。 3歳の時にある保育所に通っていたのだが、 4歳の時に別の保育所に移ったのだ。その時に、保育所のルールが違っていて幼児なりに激怒したことを覚えている。

 激怒した理由は、新しいルールを保育所の先生が教えてくれなかったからだ。そのために戸惑ってしまったのだ。実は保育所によってかなりルールが違っているのである。しかし先生方は、どこの保育所も同じだと思っていた節がある。だからきちんと説明をしてくれなかったんだと思う。そのために私は戸惑った。

 最初の保育所では給食の配膳は先生方が行っていた。次の保育所では、配膳そのものがなく、菓子パンを自由に取り放題になっていた。それが良く分からなくて、何も食事がとれなくて怒りだしたのだ。自分なりに理解したルールと違うルールがそこにある。それはルールの本質をよく理解できてない幼児にとっては不正儀そのものなのである。だから怒りも余計に激しい。

 その時に、ある先生が「どうしたの? 」と聞いてきた。
 私はなぜ激怒しているのか話そうとしたのだが、
 すぐに別の先生がやってきて
「甘やかしてはダメだ」
と、その先生を連れて行った。

 当時4歳だった私は、自分の知っていた前の保育所のルールを新しい保育所の先生に説明する機会を奪われてしまった。こうして、その日は食事が取れなかったのだが、その後私は、その保育所に対して2年間不信感を持ち続けることになる。

 今から思えば、なんてことのないことなのだが、この体験によって、ルールはある日突然変わることがある。そしてその説明を誰もしてくれないということを4歳で学習した事は大きかった。この経験は、その後の人生に大いに役立っている。

 でも1番大きかったのは、大人から見て幼児が、理不尽な位に駄々をこねる時は、彼らの中だけにあるマイナールールが、社会に対して通用しなかった時であるというのを自分の体験で知り得たことであるかもしれない。それが今頃になって息子の子育てに役に立っているのだから何が幸いするかわからない。


つづく。

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2015年06月13日

公園で遊ぶことの意味3

公園で遊ぶことの意味3

 先日、 2歳2ヶ月になる息子の靴を買いに行った。靴が小さくなった訳では無い。履き潰してしまったのだ。子供が生まれたときに、諸先輩方方から、子供はすぐ大きくなるから、靴は大きめに買っておきなさいと言われていたが、うちの息子に関してはそんな心配は要らなかった。足が大きくなって靴が履けなくなる前に、靴を履き潰してしまうからである。 2か月から3ヶ月もすれば靴底がつるんつるんになり、足先から靴下が見えてくるほど擦り切れて来るのだ。

 無理もない、毎日、 2キロから3キロぐらい浅間牧場を歩いているのだから。しかも、うちの息子は体重が重い。だから靴にかかる負担も大きい。すぐに靴がダメになってしまう。せいぜい3ヶ月ぐらい持てば良い方だ。下手したら2か月ぐらいでダメになってしまっている。しかし、ここ数日間は、浅間牧場ではなくて、児童公園に行ってるので、これからは、靴も多少は長持ちするのでは無いかと思っているが、こればっかりは試してみないとわからない。しかも子供の靴は私の靴よりも高額である。高額なくせに、すぐにダメになってしまう。

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 まぁそんな事はどうでもいいとして、息子を公園に連れて行くと、面白いことに気がつく。日曜日に来るお父さんお母さんと、平日に来るお父さんお母さんでは、別人のような違いがあることだ。日曜日に来るお父さんお母さんは、カメラを持ってきている。明らかにお子さんを撮影するために来ている。そして、家族みんなで楽しんでいる。おじいちゃんやおばあちゃんも一緒に来ているケースも多い。

 これが平日だと、カメラを持ってくるお父さんお母さんを見つけるのが難しい。もちろん平日であるから、普通のサラリーマンで無い事は確かだ。おそらく自営業者ばかりだと思われる。知り合った人の中には、宿屋だったり、レストランオーナーだったり、会計事務所の人だったり、比較的時間が自由になる人たちが多かった。そういう人たちは、公園で子供に譲り合いなども躾けたい感じで、単に遊ばせているのが目的には見えない人も多い。この辺に自営業者達の目的意識が見えたりするから面白い。

自営業者達にとって、 1番大切なものは人との繋がりであるから、そういうものをお子さんに教えるのは、公園が1番なのだろう。間違えても私のように、息子を牧場や小浅間山に連れて行くような事は無いのかもしれない。そういえば、 0歳児、 1歳児、 2歳児のお子さんを連れて山に登っている人を、浅間牧場を一蹴している人を、私は過去に1度も見たことがない。

 話を戻す。

 公園で仲良くなったお母さんの中に、オムツをはかせる時に暴れまわると嘆いている人がいた。普通、そういう悩みを持つ人は少ないので、どうも変だなぁと思っていたら、子供にテレビを見せてないという事だった。

 当然のことながら幼児にテレビを見せなければ、キャラクターに愛着が湧かない。
 そうなると、オムツをはかせる時に暴れまわっても仕方がないのである。

 しかし、テレビを見せればたちどころに解決してしまう。例えば、うちの息子には、 NHKの教育テレビをよく見せている。当然のことながら、おかあさんといっしょなんかを見ている。そこには、ムテキチ・ミーニャ・メーコブといったキャラクターが出てくるのだが、そのキャラクターがあるオムツを買えば良いのだ。そうすれば、

「ムテキチを履こうね」
「ミーニャだよ」
「メーコブのオムツに変えようね」

と言って簡単にオムツをはかせることができるのである。

 子供にとっては、キャラクターは魔法の言葉である。
 ご飯を嫌がっていても、
 アンパンマンのスプーンを与えれば、
 食べるかもしれないのだ。

 しかしそのためには、アンパンマンを見せなければいけない。幼児にテレビを見せないと言う選択もありだが、その選択は、お父さんお母さんに重労働をもたらすかもしれないのである。それを説明したら、オムツをはかせることで悩んでいるお母さんは衝撃を受けていたようだ。あのお母さんは、あの後、子供たちにテレビを見せるようになったのだろうか?

 長い前置きになってしまったが、ここから本題に入る。

 幼児の世界には、彼らなりの論理があったりする。例えばうちの息子に関して言えば、歩行中にマンホールを見つけると、どうしてもその上に足をつけてからでないと気が済まない。ホームセンターの通路に、点線のようなものがあった場合も、必ずその上を歩かないと気が済まない。まぁそういった彼らの独特の論理やこだわりがあったりする。それを親が無視すると、いきなり泣き出すのである。

 最初、息子を児童公園に連れて行った時に、適当な時間になったので帰ろうとすると、息子が烈火の如く怒り出して泣きわめいた。なので、 2回目から好きなだけ遊ばせてみたら、ちょうど55分になるとピタリと遊びを止めて、駐車場のほうに自分から歩いて行きだした。これも息子なりの独特の論理やこだわりなのかと思い、 1週間ぐらいそれを続けたら、やはり55分でピタリと遊びを止めた。不思議なのは時計もないのに、正確に55分でピタリと遊びをやめることである。誤差は1分もない。恐ろしいほどのこだわりに驚いてしまう。

 要するに彼らには彼らの、論理とこだわりがあるのだ。それを尊重すれば、物事はスムーズに進む。幼児にぐずっられずに済むのである。そして、どういうわけか、私は息子の論理やこだわりを発見するのが得意であった。おそらく私に弟が2人いたことと無関係ではないだろう。だからなぜ息子が泣き出すのかある程度わかった。

 分かれば対処も簡単になってくる。彼らの論理とこだわりに沿って、オムツを履かせたり、食事をさせたりすれば良いからである。だから、 Eテレのキャラクターが入っているオムツを買って履かせている。息子のこだわりをうまく利用するためである。

 ただし、息子のこだわりが分かったとしても、
 それに100%付き合うという事は無い。
 ある程度は付き合うけれど、できないケースが多い。
 だから、どこかで線引きが必要になってくる。

 どんなに泣き喚いても、社会には、息子のこだわりとは、別のルールがあると言う事を教えなければいけない。そのために、最も効果的に教えることができるのが児童公園であった。息子はいつも、児童公園で遊ぶ遊具の順番を決めていた。しかし、混雑しているときは、別の人が遊具を使っているケースもある。そういうときに、社会には順番というものがあることを教えられるのが児童公園だったりするのだ。そういう意味で、児童公園は最高の教育環境でもある。息子の写真や動画を撮っている暇は無いのだ。もちろん撮っているけどね。


つづく。

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2015年06月12日

公園で遊ぶことの意味2



 息子を公園に連れて行くようになった経緯は、前回述べた。

 要するに、坂道が嫌いになってきたのである。そして、後ろ向きに歩いて坂を登るようになってきた。タコ踊りのように両手を振り回しながら登ることもあるし、急な坂は、ジグザグに登ったりする。階段は好んで上るが、私の手を握り、持ち上げて貰おうとする。ありとあらゆる手段を用いて、楽に坂道を上がろうとするのだ。まだ2歳2ヶ月だというのに、悪知恵が働くのに呆れてしまう。そのうち私の前進を阻むように駄々をこねる。仕方が無いので肩車するはめになる。これでは、運動にならないので軽井沢の児童公園に連れていくようになってしまった。

 私としては、もっと自然の中で遊ばせたいし、どこにでもあるような公園で遊ばすのには否定的だった。しかし、背に腹は代えられない。運動させるためには、公園にいくしかないのだ。で、児童公園での息子は、どんな坂も階段も休み無く登って遊ぶ。万歩計で計測すると3キロ以上歩いている。それほど公園の遊具に熱中する。

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 こういう事は以前にもあった。息子が生まれてから、あまりおもちゃを買い与えてなかった。浅間牧場や浅間園の道端に落っこちている、木の切れ端や、石ころなんかをおもちゃがわりにして遊ばせるようにしていた。自宅では、茶碗やお玉やフライ返し何かをおもちゃにして与えていた。けれど、それではあまり器用にならないのである。お客さんの子供さんの方が器用なのだが、器用な子に限っておもちゃをたくさん持っているのである。それで試しに、うちの息子にもいろいろなおもちゃを与えていたら、息子もどんどん器用になっていった。

 昔の人は、おもちゃなど与えられなかっただろうし、その辺にあるものをおもちゃにしていたと聞いている。だから我が息子にも、それで10分だと思ったのだが、そういうわけにはいかなかった。やはり子供には、おもちゃが必要なのだと思わざるを得なかった。今にして思えば、私は頭でっかちだったんだと思う。

 洋の東西を問わず、
 どこの国にも子供の玩具が存在するということは、
 そこに何か意味があるのである。
 よく考えてみれば、当たり前のことであった。

 話がそれた。話がそれたけれど、公園で遊ぶという行為も、
 ある意味おもちゃで遊ぶという行為と似ているかもしれない。
 ある意味、公園の遊具は大きなおもちゃのようなものだからだ。

 私は、息子に対して野生児のように育てようと思い、盛んに牧場や山に連れていったのだが、それでは野生児にはならなかった気がする。逆に児童公園に連れて行くようになってから、どんどん野生児っぽくなってきた。公園の子供たちが、危険な梯子や、ジャングルジムや、ロッククライミングの遊具や、巨大な滑り台で遊んでいるのを息子が見て、真似をするからである。真似をすることによって身体能力が鍛えられてくる。

 今では、鉄棒にぶら下がるようになったり、垂直の梯子を登るようになってきた。巨大な網にも上るようになってきた。もちろん2歳2ヶ月の子供には危険な行為なので、私がつきっきりでサポートをしている。浅間牧場や小浅間山では、こういうことができるようになったかは疑わしい。第一、木登りしようにも、 8割以上の樹木に、蔦漆が絡みついて、危険でしょうがない。それ以前に、マダニが怖くて薮なんかに入れない。なまじ私に、自然に対する知識があるために、どうしてもセーブしてしまうことが多い。だから私が、自然の中で野生児のように息子を育てる事は、そもそも難しかったのだ。その点、児童公園の遊具は素晴らしい。 2歳2ヶ月の子供にも、それほど危険がなく遊べるように設計されている。これらの遊具に、小さい頃からなれ親しんでいた軽井沢の子供たちは、息子などよりはるかに上手に遊んでいた。

 私の息子は、それらの遊具に慣れてなかったので、児童公園に連れて行ったら面白いことが起きた。いきなり遊具の周りをぐるぐると走り始めたのである。そして、恐る恐る触っては離れ、触っては離れるを繰り返した。その間ずっと走りっぱなしである。うちの息子は、 0歳の頃から、牧場や山に連れて行ったためか、足腰と心肺機能だけは異常に強く、 1時間走りっぱなしでも息を切らすことがないのである。もちろん私も、後をついて歩かなければならないので、 1時間ずっと歩きっぱなしである。それでは面白くなかろうと、無理矢理に抱きかかえて、滑り台に載せようとすると、怒りだした。どうやら余計なお世話だったらしい。

 こんな調子で、児童公園に何度か訪れると、今度は、自分で遊び方を見つけるようになった。よそのお兄ちゃんやお姉ちゃんの真似をしだしたらしい。真似はいいのだが、危険な真似をするのである。ほぼ垂直の梯子を登ろうとする。そもそも、きちんと歩けてないのに、梯子を登れる訳がないと思ったら、それが登れたりするのだ。おまけにクライミング遊具まで登り始めた。 2歳2ヶ月の子供には、ちょっと無理ではないか?と思えるようなこともするようになってきた。

 ここでやっと気がついた。野生児というのは、野生の中では生まれない。ということだ。自然が豊かなところで散歩することは、健康面においても素晴らしいことなのだが、それによって特別な身体能力がつくかどうかというと、必ずしもそうでは無い。もちろん、免疫細胞が増加して、抵抗力がつくようになり、その上基礎体力はついただろうけれど、子供の好奇心や発達を促すのには、児童公園の遊具や、おもちゃがも重要であるかもしれない。また、それらの遊具やおもちゃを自由に使いこなす先輩も必要なのかもしれない。真似をするべき対象がないと、上手に使いこなせないからだ。

 それともう一つ気になったことがある。

 児童公園に来た最初の頃は、自分1人で遊んでいた。私はそれをサポートするだけだった。しかし徐々に変化が起きてきた。 2ヶ月もすると、親と遊びたがるようになってくるのである。例えば、最初の頃は滑り台を好んでいた。これは1人で遊べるからである。とこすすろがしばらく経ったらシーソーで遊ぶようになる。親と一緒に遊べるからだ。で、次第に、親のサポートが必要となる遊具に向かうのだ。具体的に言うと、梯子とか鉄棒とかクライミングにチャレンジするのである。これは、親が体を支えてあげないとできない遊びである。こうなってくると、遠くのベンチで見ているだけでは済まされない。四六時中、公園で一緒に遊ばなければならなくなる。これが非常に疲れるのだが、これによって息子が健康になっていくのであれば仕方ないと諦めている。

つづく。

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2015年06月06日

公園で遊ぶことの意味1

 最近、軽井沢の公園に通っている。息子に運動をさせるためである。以前は、浅間牧場や浅間園を息子と一緒に歩いたのだが、最近は、坂道になると嫌な顔をするようになってきた。そして、後ろ向きに歩いて坂を登るようになってきた。タコ踊りのように両手を振り回しながら登ることもあるし、急な坂は、ジグザグに登ったりする。階段も好んで上るが、私の手を握り、持ち上げて貰おうとする。

 ありとあらゆる手段を用いて、楽に坂道を上がろうとするのだ。
 まだ2歳2ヶ月だというのに、悪知恵が働くのに呆れてしまう。
 そのうち、ダッコや肩車を要求してくる。
 もちろん、まだ言葉は充分に話せない。
 私の前進を阻むように駄々をこねる。
 仕方が無いので肩車するはめになる。

 これでは、運動にならないので軽井沢の児童公園に連れていくようになってしまった。私としては、もっと自然の中で遊ばせたいし、どこにでもあるような公園で遊ばすのには否定的だった。しかし、背に腹は代えられない。運動させるためには、公園にいくしかないのだ。

 不思議なことに、児童公園での息子は、どんな坂も階段も休み無く登って遊ぶ。万歩計で計測すると3キロ以上歩いている。これは浅間牧場を歩くのと同一距離である。しかも時間が半分しかかかってない。それほど公園の遊具に熱中する。

 こんなことを毎日続けていたら、同じくらいの子供さん連れの公園の常連さんと仲良くなってきた。というか、自然に仲良くなるシステムが確立しているのに気がついた。

 公園に幼児を連れてくる御両親は、子供に運動させたいだけではなかった。子供に譲り合いなども躾けたいみたいなのだ。だからパパもママも必要以上に礼儀正しく、譲り合う。あまり譲り合いすぎて、滑り台が混雑するくらいだ。もちろん私も同じである。すると、息子もそれを真似して、譲り合うようになった。

 と言っても2歳2ヶ月の幼児に「譲り合い」なと理解しているわけがない。今は、真似をしているだけなんだと思う。しかし、それでいいのである。そういう真似をさせるために、必要以上に、お父さん、お母さんは、公園で良い人を演じるのかもしれない。それに気がつくと、公園で遊ばせるのも、悪くないことだなあと思うようになってきた。

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つづく。

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2015年06月04日

小さな幸せを見た瞬間、心が癒されることについて

 今年もたくさんの新しいお客様に宿泊していただいた。本当にありがたいことである。特に平日にお客様が増えた。原因は天候のおかげかもしれない。うちのような自然の中にある宿は、天候の影響がかなり大きい。晴れが続けば、お客様も5割増に増える。逆に雨が続けば半分に減ってしまうのだ。

 だから雨乞いをしている農家の皆さんには申し訳ないが、宿屋のマネージャーは、雨を降らないでくれと祈ることが多い。もちろん私も外出する機会が多くなった。天気の良い朝は、愛犬コロを連れて小浅間山や浅間山に登る。そして帰って朝食を食べた後に、息子を連れて浅間牧場を散策する。これもすべて天気が良いおかげである。天気が良いからこそ、私も息子も愛犬コロも運動する機会が持てるのだ。

 逆に雨が降ると、散歩ができなくなる。
 しかし運動しないわけにはいかない。
 そこで息子を図書館に連れて行く。
 嬬恋村に図書館はあるのだが、無人図書館である。
 無人なので誰もいない。
 そもそも、図書館を利用する人を見かけたことがない。
 いつ行っても誰もいないのだ。

 それどころか、図書館の玄関口に本棚があって、いらなくなった本を持ってくる村民が多い。いらなくなった本なので、欲しい人は自由に持ち帰ることもできる。無料のブックオフみたいなものだ。だけど持ち帰る人はほとんどいない。なので下手したらゴミ捨て場のような場所になりつつあるので、もっぱら私がひとりで持ち帰っている。なぜならば私は本が大好きだからだ。

 まぁそんな事はどうでもいい。
 息子のことだ。

 雨が降ると、散歩ができなくなる。なので息子を図書館に連れて行く。もちろん図書館には誰もいない。だから2歳になったばかりの息子の散歩場所としては、最高の場所でもある。息子は文字を覚えつつあるので、本棚にある平仮名の文字を指さしながら片っ端から読み始めた。そしてぐるぐると歩きまわるのである。歩くのに疲れてくると、また平仮名を指差して叫ぶ。この繰り返しである。これを、普通の図書館でやってしまったら、かなり迷惑なのだが、幸いなことに嬬恋村の図書館はいつも無人なのだ。昔はこの閑散とした図書館が寂しくもあったのだが、今は逆にありがたいと思っているから、皮肉なものだ。

 ところで、図書館は軽井沢にもある。軽井沢の図書館は、巨大でいつも活気に溢れている。図書館に通う町民もかなり多い。人口比はそれほど変わらないのに、どうして、利用度がこんなにも違うのだろうか?

 ちなみに、 2歳の息子は軽井沢の図書館に行くと、なぜかおとなしくなる。嬬恋の図書館でははしゃぎ回るのだが、他の人がいる軽井沢の図書館では、静かにしてくれるので親としては非常にありがたい。というより、どうして他の人がいると、こんなにおとなしいのだろうか? 誰もいなくて親と息子だけだと、かなりの甘えん坊なのに、他人がいると急におとなしくなる。これも1種の人見知りなのだろうか? 息子は、ちょっと恥ずかしがりやである。

 話は変わるが、息子ができると、お客さんの子供も可愛くなってくる。これは非常に不思議な現象だ。 1種の連帯感なんだろうか? 親子連れのお客さんに対して、すごい親近感が湧いてくるのである。そして、意味もなく涙ぐみたくなる瞬間がでてくるのだ。先日も、息子と同級生の娘さんを連れてきたお客さんがいたのだが、その娘さんが喜んでくれる姿を見ると、我が事のように嬉しくなってくる。その上、
「もう帰らない」
「ここにずっといる」
と、お父さんお母さんに訴えてるのが聞こえてくると、今すぐにでも飛び出してその娘さんを抱きしめたくなる気持ちが込み上げてくるから不思議である。こういう事は、以前にはなかった感情だ。いつの間にか、お客さんの息子さんや娘さんに癒されている自分が居ることに気がついた。いや、もっと正確に言うと、親子が喜んでる姿を見ると、こちらが癒されるから不思議である。どうやら人間という生き物は、幸せそうな光景を見ると、ついつい顔がほころんでくる生き物であるらしい。

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つづく。

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2015年05月19日

ひらがな積み木で遊ぶ2歳児の謎

早いもので、あと1週間で息子が2歳2ヶ月になる。宿屋をやっていて良かったなぁと思う事は、息子と同じ位の2歳位のお子さんを連れたご家族が泊まりに来ることである。私は、宿屋のオーナーとして、そういうご家族を、いろいろ観察することができる。それが非常にありがたい。

 息子が2歳0ヶ月になったときに、ひらがなを覚えさせる実験をした事は前に述べた。ひらがな積み木を使った。ひらがな積み木とは、表にリンゴの絵が描いてあり、その裏に「り」という文字が書いてある積み木である。まず、りんごの絵を見せて、「りんご」と言わせる。これを50音全部言わせる。1週間ぐらいで、すべてマスターする。その後に「り」の字を見せて「りんごのり」と教えるのだ。りんごを連想させて、「り」の字を記憶させる。これを毎日朝に30分、夕方に30分ぐらい遊びながらやれば、1週間ぐらいで、ひらがなをマスターするのである。

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 この方法を使えば、カタカナや数字も2週間くらいでマスターすると思われる。つまり、 2歳児ならば2か月もあれば、ひらがな、カタカナ、数字をすべて覚えられると言うことだ。ただし、忘れるのも早い。実は、これらの言葉を早く覚えさせても、あまり意味は無いらしい。

 2歳で覚えても、 3歳で覚えても、 4歳で覚えても、その後の成長に大した影響を受けないらしい。というのも、幼児は 3歳になる以前の記憶をすべて忘れてしまう傾向にあるからだ。まだ前頭葉が完全に発達してないからだと言われている。

 なので、ひらがなを覚えさせることをやめてしまった。

 何年か前に読んだ脳科学の本では、 2歳でひらがなを覚えさせても、 4歳になってからひらがなを覚えさせても、その後の学力に変化がないことが書いてあったからだ。だから、ゆっくり文字を覚えさせることにしたのである。

 あまりにも早く勉強さすことの害毒を
 私は自分の体験から知っている。
 勉強は、ゆっくりでいいのである。
 今はひたすら野山で遊んでもらった方が良い。

 そう考えていた。

 言葉よりも、もっと大切なものがあるからだ。
 それは心と体の健康である。
 そう思って、文字の勉強やめさせてしまった。

 ところがである。
 皮肉なもので、そうは問屋がおろさなかった。

 息子が朝起きると、どどどどと、ひらがな積み木のところに走っていくのである。そして、それを手に取って私のところにやってくるのだ。そして、私にひらがな積み木を差し出すのである。私が勉強やめさそうとしても、息子の方でそれを許さないのだ。

 しかし息子が「勉強好き」という事は絶対にありえない。
 私の遺伝子を受け継いでいる限りは、ありえない。
 それは保証できる。
 ではなぜか?
 考えられることとして、
「息子は、親子で共同作業(ゲーム)をしたがっている」
 と、言う見方をした方が自然である。
 でないと、あれほど喜んで、ひらがな積み木を持ってくる理由がわからない。

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 そもそも 2歳になる以前に、ひらがな積み木を渡したとしても、勉強する気配はなかったと思う。それを使って 1人遊びをした可能性が高い。積み木を放り投げたり、破壊したりする行動をとった可能性が高いのだ。現に、絵本を与えても破り捨てることが多かった。

 ところが、 2歳になると同時に、 1人遊びではなく、親とゲームをする方を選ぶようになってきた。ひらがなを覚えるための絵本を与えても、親に渡して、ゲームをするように要求してくる。ひらがな積み木も、一人で放り投げる遊びよりも、親との共同作業をしたがる。親が積み木を使ってクイズする方を喜ぶ。

 もちろん、親と一緒に積み木を組み立てるのも大好きなのだが、ひらがなを当てるゲームの方を、より喜ぶようになってきた。積み木による親子の共同作業よりも、積み木による親子のコミュニケーションの方を好むようになってきたのだ。

 長い話をしてしまったが、ここから本題に入りたい。
 何を隠そう私は宿屋をやっている。

 なので息子のおもちゃの1部をロビーに置いておいた。もちろんひらがな積み木も置いてある。当然のことながら、それを使って親子で遊ぶお客さんたちも多い。 2歳児のお父さんお母さんに多いようだ。他にもおもちゃはあるのだが、どういうわけかお父さんお母さんは、ひらがな積み木を選ぶのである。まず、このことに驚いた。

 私が見たところ、旅先で勉強させたくて、ひらがな積み木を選んでいるのではなさそうだ。本能的に、 2歳児のお子さんが、それを喜ぶ事を知っているような感じなのである。よくよく聞いてみると、お父さんお母さんたちも、幼児の頃にひらがな積み木で遊んだ記憶があるらしい。その潜在意識が蘇って、 2歳児のお子さんと一緒にゲームをするようなのだ。

 もちろんひらがな積み木で遊ぶ2歳児のお子さんには、お兄ちゃんやお姉ちゃんがいたりもする。そのお兄ちゃんお姉ちゃんたちは、傍目で見ていてもコミニケーション能力が高いのである。もちろん、私が接した親子のお客さんの数は少ないので、統計のサンプルとしては不十分かもしれないが、 2歳児のお子さんと親子でひらがな積み木で遊ぶ家のお兄ちゃんお姉ちゃんは、挨拶もよくできるし、空気を読む能力が高いように思う。そして礼儀正しいのだ。

 それを考えると、2歳児が親と一緒に、ひらがな積み木でひらがなを覚えるように遊ぶ行為は、ひらがなを覚えることよりも、親子でゲームすることに重要な意味があるのではないだろうか? 親とゲームをすることによって、コミニケーション能力を高めていく。そこが重要なのかもしれない。文字を覚えるのは、その副産物であって、本当に大切なことは、親とコミュニケーションの練習をすることなのかもしれない。

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 そう考えると、どうしても子犬の成長段階のことを思い出してしまう。生後2ヶ月の子犬も、飼い主とゲームをするか否かによって、その後の成長に大きく変化が出てしまうからである。現に、私は愛犬コロを生後2ヶ月から、庭先にはなして盛んにゲームを行った。おかげで、ろくに躾もしてないのにアイコンタクトで、ある程度のコミニケーションを取れるようになった。

 うちの犬は、どのドッグランに行っても、いちばんよく走るし放置すれば1時間でも2時間でも走っているのだが、帰るそぶりを見せると、素直に一緒に帰ってくれる。まぁ犬種の違いもあるのだろうが、同じ犬種でも飼い主の言うことを聞かない犬もいるので、やはり子犬の頃に、一緒になってゲームをしたのが大きかったと思うのだ。

 まあ、それはどうでもいいとして、2歳児にとって、このうえなく楽しいこと。そして必要なことは、親子でゲームすることかもしれない。その親子によるゲームによって、人格が形成される可能性が高いのではないだろうか? それが、たまたま「ひらがな」の暗記に繋がっているのかもしれない。

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 そういう意味では、小さい頃から絵本の読み聞かせをすることは、大切なのかも知れない。子供は、必ずしも読書好きにならないかもしれないが、絵本の読み聞かせをすることによって、コミュニケーション能力が高まる可能性がある。その後の子供の人生を変えるかもしれないのだ。

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2015年05月10日

平仮名を覚え、愛犬に嫉妬しだした2歳1ヶ月の息子

 息子も2歳1カ月となった。相変わらず日常会話はできない。同じ2歳1ヶ月の女の子は、「たけるくん今日は」と挨拶ができるし、「たけるくんかわいい」と目から目線でものを言うこともできる。しかし、うちの息子は、相変わらず奇声を発している。いろいろなお母さんに聞いてみると、男の子はたいていこんなものってあるらしい。しかし、女の子となると、早い人になると 1歳位から会話をするようになる。もちろん、うちの息子も、ジャンプとか、バイバイとか、いちごとか、りんごとか、いろいろな単語を言う事は出来る。しかし、他人と会話ができるレベルでは無い。

けれど、同じ2歳1ヶ月の女の子は会話ができるのだ。どうして男の子と女の子では、このような差が出るのであろうか? 先日、三つ子ちゃんを育てたお母さんが泊まりに来た。 3卵性なので、男の子が2人、女の子が1人の三つ子ちゃんだ。聞いてみたら、やはり女の子の方が成長が早かったらしい。こちらでも女の子の方が成長が早かったらしい。

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 ところで、 2歳1ヶ月になった息子に対して、ちょっとした実験をしてみた。ひらがなを教えてみたのだ。結論から言うと、約2週間ぐらいで8割のひらがなを理解するようになった。なぜ8割かというと、ひらがなの中に好きなものと嫌いなものがあるからだ。

 たとえば、りんごの「り」の文字は大好きである。もちろんりんごが大好物だからだ。しかし、ラクダの「ら」は、覚えてもすぐ忘れてしまう。それもそうだろう。彼はラクダなど見たことがない。想像もつかないものに対して興味を持てないのは当たり前である。しかし、みかんが大好きであるから「み」の文字は、すぐに覚えて忘れない。そのために8割は覚えることができるのだが、あとの2割は覚えても、いつの間にか脳の中から消えてしまうらしい。

 さて、どうやって2週間で、ひらがなの8割を覚えさせたかと言うと、種を明かせば「なーんだ」と言うことになる。みなさんも受験勉強でやったことがあると思うが、連想記憶術で英単語を覚える。その方法を、そのまま応用すれば、どんなお子さんも2週間ぐらいで、ひらがなを覚えてしまうと思う。嘘だと思うかもしれないが、 2歳児のお子さんを持つ親御さんは、ぜひやってみていただきたい。ろくに言葉を話せない、うちの息子ができるのである。女の子ならあっという間に覚えてしまうと思う。

 ただし道具が必要である。ひらがな積み木を用意する必要がある。ひらがな積み木とは、表にリンゴの絵が描いてあり、その裏に「り」という文字が書いてある積み木である。まず、りんごの絵を見せて、「りんご」と言わせる。これを50音全部言わせる。 1週間ぐらいで、すべてマスターする。その後に「り」の字を見せて「りんごのり」と教えるのだ。りんごを連想させて、「り」の字を記憶させる。これを毎日朝に30分、夕方に30分ぐらい遊びながらやれば、1週間ぐらいで、ひらがなをマスターするのである。この方法を使えば、カタカナや数字も2週間くらいでマスターすると思われる。つまり、 2歳時ならば2か月もあれば、ひらがな、カタカナ、数字をすべて覚えられると言うことだ。

 ただし、これらの言葉を早く覚えさせても、あまり意味は無いらしい。 2歳で覚えても、 3歳で覚えても、 4歳で覚えても、その後の成長に大した影響を受けないらしい。というのも、幼児は 3歳になる以前の記憶をすべて忘れてしまう傾向にあるからだ。まだ前頭葉が完全に発達してないからだと言われている。まぁこの辺は、子供によって個人差があるのでなんとも言えないだろうが、うちの息子には、もっとゆっくりと言葉を教えることにすることに決めた。

 言葉よりも、もっと大切なものがあるからだ。
 それは優しさである。

 先日、 2歳7ヶ月のお子さんを連れてきたお客さんが泊まったのだが、その2歳7ヶ月のお子さんは、とても優しい子供さんだった。うちの息子よりも、ずっと優しさに溢れていた。人に気遣うのである。お菓子をもらっても、自分だけが食べようとせずに、大人達に配ろうとする。

 こういうところは私の息子には無い。

 いったいなぜだろうと考えてみたのだが、そのお子さんには、妹さんがいた。2歳7ヶ月で、妹さんを思いやれるようになるものだろうか? この辺は非常に疑問なのだが、現実問題として、周りを見ながら人を気遣う2歳7ヶ月のお子さんがいるのである。やはり妹さんが生まれた影響があったのだろうか?

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 お父さんに聞いてみたら、妹さんが生まれてから明らかに変化があったらしい。やたらとダッコを求めるようになり、親に甘えるようになったらしい。お父さんは、そのように言っていたが、本当にそれだけだろうか?と思っている。

 その子が心優しいのは、お父さんやお母さんが、生まれたばかりの小さな妹さんを気遣うのを観察することによって、人を気遣うことを子供ながらに体で覚えたのではないかと思えてならない。子供は何でも真似をするからだ。小さな妹さんを気遣うお父さんお母さんを見ていたら、本人も知らず知らずに、人に気遣う人間になったのではないかと思わざるを得ない。

 これについては私にも心当たりがある。

 息子が2歳になった頃を境に、息子に大きな変化が起きていた。それは愛犬コロと一緒に山中の無人の林道を散歩しているときだった。愛犬コロを自由に走らせて、そして「おいで」と呼びつける。愛犬コロは、しっぽを振りながら私のところに走ってくるのである。そして走ってきて私の前でお座りをすると、よしよしと頭を撫でてあげたりした。そんな時、昔だったら息子は大喜びで、愛犬コロを迎え入れていた。

 ところが、 2歳を超える頃から様子が違ってきていた。愛犬コロが私のところに走ってくると、息子がブロックするのである。愛犬コロに嫉妬するようになったのだ。息子は、ペットの犬をなぜなぜすると、不機嫌になる。まぁこれは、十分に分想定していたことなのだが、まさか2歳という早さで、愛犬に嫉妬されるとは思ってもいなかった。

 問題はここからである。

 うちの息子は、お客さんの息子さんほど優しくないのは、私が愛犬コロに対して、あまり気遣いがないからなのかもしれない。もし私が気遣いを持って、愛犬に対応していたら、それを見て学習するだろうから、息子はもっと優しい気持ちになっていたと思う。これは私の日頃の行いが招いた天罰だったのかもしれない。しかし、犬に気遣うのと、赤ちゃんに気遣うのでは、大違いであるから、やはり環境の違いは大きいかもしれない。

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つづく。


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2015年05月05日

本物の女子会

本物の女子会

うちの宿の庭で、連休中、何度も女子会が開催された。
女子会といっても、本物の女子会である。
平均年齢10歳前後の、可愛らしい女の子達が、
庭の花壇の前で、楽しそうにお喋りしていたのだ。
だから本物の女子の集まりである。

といっても、彼女たちは数時間前まで、お互いの存在を知らなかった他人である。
それが、たまたま泊まり会わせたご家族の娘さんたちが、
似たような年齢だったために、
いつの間にか仲良くなって、
女子会を開いていたのだ。

今年は、ゴールデンウィーク中に
チューリップと水仙が満開になっていたので、
それらの花たちの前で、
可愛らしい女の子たちが
仲良くしているのをみていると、
ほんとうに微笑ましかった。
それが本当に絵になるのだ。

そして、互いに住所も知らずに
「さよなら」と去って行くのだ。
これこそ一期一会。
一瞬の出会いに思い出をつくり
そして、それを旅先に置いていく。
これがこそが旅の醍醐味である。

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つづく。

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2015年05月03日

昭和は、遠くになりにけり

 私が宿をオープンさせた2000年、ファミリーの御客様は少なかった。ひとり旅の御客さんの9割は学生さんだった。当然のことながらファミリーの方が年齢は高い。ひとり旅の御客さんの7割は、学生さんなのだからひとり旅の御客さんよりファミリーの方が高齢なのは当然のことなのである。

 そして今年は2015年。あれから15年たったわけだが、御客様の層はガラリと変わった。まず一人旅の御客さんが減ってファミリーが増えた。昔、学生さんだったリピーターの皆さんの多くは結婚し、家族になったわけだから当然と言えば当然であるが、うちに息子が生まれて、このブログに育児日記を書き始めてから、息子と同じ年齢の御客さんが激増した。

 ここまではいい。

 問題は、そのファミリーの御客様の中に、平成生まれのお父さん、平成生まれのお母さんが増えたことである。当然のことながら当宿の御客様の年齢層がガクッと下がった。そして一人旅の御客様の方が高齢という逆転現象がおきたのだ。昭和生まれの一人旅。平成生まれのファミリーの御客様。うちのオープン当初を考えると信じられない逆転現象である。

 しかし、よくよく考えてみれば、今年は平成27年なのである。
 ファミリーの主役が平成生まれが中心になってもおかしくないのだ。
 いや、もう既に移行しつつあるのかもしれない。
 時代は大きく変わりつつある。
 昭和は、ますます遠くになってきている。

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つづく。

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2015年05月02日

保育士の才能 親の才能

 今年のゴールデンウィークは御客さんが多い。実は、このゴールデンウィーク中にロシア人というニックネームのヘルパー(ボランティア)さんが来ているのだが、彼は恐るべき才能を発揮している。2歳1ヶ月になったばかりの息子と3分もかからずに親友になってしまっているのだ。

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 そもそも幼児というやつは、大人と子供を峻別する。はっきり区別して、それぞれ別の対応をするのだが、大人に対しては見えないバリヤーを張る。ところがロシア人(ニックネーム)に対してはバリヤーを張らない。すんなり友人になってしまい、仲良く遊んでいるのだ。

 良い悪いは別にして、ロシア人には、殺気やオーラがない。性格(キャラクター)的に無臭なのだ。それが幼児に受けたのだろうか? 遠くから見てても二人は、数年来の親友に見える。しかし、片方は40歳前後、片方は2歳1ヶ月なのだ。どういう事なのだろうか?
 
「彼には保育士の才能がある」
 
 そう確信した。いや、父親の才能があるというべきか? 現に息子の奴は、心を許しているし、仲良く静かに遊んでいる。惜しいなあと思った。これほどの男に息子がいなのが惜しい。しかし、よく考えてみたら彼は2歳児の父親として優れているけれど、これが15歳だったらどうだろうかと考えてみたら、とてもじゃないけれど想像がつかない。
 
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 逆に考えると、2歳児の父親として、うまくなくても、
 15歳の父親としての才能がある人もいるかもしれない。
 つまりだ、父親としての全盛期は、
 人によって全て違うのかもしれないのだ。
 ある人は、息子が30歳の時に最良の父親になる場合もあるだろうし、
 ある人は、息子が10歳の時に最良の父親になる場合もあるだろう。
 ある人は、息子が45歳の時に最良の父親になる場合もあるだろう。

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 もちろん、これは母親にも言えるかもしれない。
 そう考えると、今、子育がうまくいってなくても
 悲観することはないかもしれない。
 人は、それぞれ全盛期が違っているかもしれないのだ。

 あと、これは息子・娘側にも言えることなのかもしれない。
 自分の父母の輝きが最高になるのは、
 ひょっとして、これからなのかもしれないのだ。
 未来は未知に満ちている。
 
つづく。

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2015年04月30日

息子のタコ踊り

息子も2歳1ヶ月になった。

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 彼のエネルギーを削ぐために、ここのところ毎日、浅間牧場を2キロばかり散策している。そうしないと寝てくれなくて仕事に支障をきたすからだ。御客さんに騒音を聞かせるわけにはいかない。で、浅間牧場なのだが、歩くと言うより元気に走っている。オール芝生なので何度倒れても怪我はしない。最近は柔道の受け身までマスターしてしまっている。特に前受け身は完璧だ。とれはともかく、最近なぜかタコ踊りをしながら走っていることが多くなってきた。

 最初、どうしてタコのように腕をふりあげて踊っているのか分からなかった。
 阿波踊りを派手にしたようなポーズで踊りながら駆けるのである。
 しかも上り坂の時だけ、派手にユーモラスにタコ踊りをする。

「変だな?」

と思って観察してみたら手を大きくふることによって、足が大きく前に出ることを発見したようなのである。浅間牧場は、アップダウンがあるので、少しでも効率的にエネルギーを使うために、それが結果としてタコ踊りになってしまったようである。子供ながらに大した物だと感心してしまった。


つづく。

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2015年04月18日

2歳0ヶ月の社会性

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 今日もスタッフの土井くん家族が滞在している。娘さんのアキナちゃんは、1歳6ヶ月。うちの息子は2歳0ヶ月である。両者が対面したわけだが、うちの息子は大人しい。すっかりお兄ちゃんなっていた。アキナちゃんに遠慮しつつ、お兄さん的に対応していたのに驚いた。こんな年齢でも役割人格が現れるらしい。どこで覚えたか大人の対応をしていたので驚いた。

 土井君の奥さんと息子のタケルが、積み木でタワーをたてている。
 そこにアキナちゃんがやってきて、次々と破壊していた。
 1歳6ヶ月頃ならそんなものである。
 積み木は破壊するものなのだ。
 しかし2歳となると積み木で遊ぶことを知っている。

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 だから息子は積み木で建物をつくるけれど、アキナちゃんは、それを破壊してしまう。
 それに対して土井君は息子に謝った。
「タケル君ごめんね」
すると息子は、信じがたいことに
「いいよ」
と答えた。

 こんな事は、いままで無かった。これもアキナちゃんが、北軽井沢ブルーベリーYGHに2泊したからである。アキナちゃんという存在を意識することによって、うちの息子に社会性がついてきたようなのだ。これは親が何度教えてもできなかったことである。逆にいうと保育所や子育て支援センターなどで他の子供たちと一緒でなければ学べない何かがあるのかもしれない。親が何をやっても出来ないことを、子供たちの集団の中ならば、すぐに学べる何かがあるのかもしれない。

 ところで、今日も浅間牧場を散策した。
 クマの痕跡をみつけた。
 のぼり旗を食いちぎった跡があった。
 クマたちも冬眠から目覚めたようだ。
 北軽井沢も春なのである。
 息子は、愛犬コロと一緒に芝生を走り回っていた。
 雪国の人間にとって、春は一年で一番幸せな季節なのである。

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つづく。

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posted by マネージャー at 23:47| Comment(4) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月07日

公園に社会の縮図を見た

 息子も2歳になって、少しずつイヤイヤ期が訪れている。今まで、素直に「いただきます」をしていたのに、最近はヘソを曲げてなかなかしてくれない。人に強制されるのが、嫌になっているのである。それだけ大人になったという証拠でもある。まぁこれは、いろんなお母さんたちから脅されていた事なのであるが、どういうわけか「自分の息子には当てはまらない」と言う変な自信があった。しかし、やはり自分の息子にもイヤイヤ期は、やってきたのだった。

 もちろん「いただきます」をするまでは食事を食べさせてない。私だけが、うまそうに食事を食べて見せびらかしている。息子の大好物のイチゴがどんどんなくなっていく。でも息子はなかなか「いただきます」をしない。かなり頑固である。私が食事が終わったとは、嫁さんがおいしそうに食事を食べる。私は息子の隣に座って、一緒に「いただきます」をしようねと言うのだが、やはり息子は頑固に「いただきます」をしない。嫁さんが、息子の大好物であるイチゴをどんどん食べても頑固にはねのけている。

 仕方がないので、息子の大好物である納豆を開けてみた。息子の目の色が変わった。すごく納豆が食べたそうなのだが、やはり「いただきます」をしてくれない。何度も私が「いただきます」をして一緒にご飯を食べよう。おいしいよ。といっても、頑固に拒んでしまう。相当な頑固者である。しかし、こちらとしても負けるわけにはいかない。

 ここで怒鳴ったり暴力を使えば、簡単なのだろうが、それが良い解決方法では無い事は、自分の体験で分かっているのでやらない。あくまでも根気よく対応し、場合によっては食事を抜いても良いと思っている。なにしろうちの息子は、やや太り気味なのだ。食事を1回ぐらい抜いても全く問題ないように思える。しかし、今まで食事を抜くような事態は起こってない。必ず最後に息子が降伏するからだ。要するに食いしん坊なのである。

 話は変わるが、公園で息子と遊んでいると、孫を連れた子供さんのおばあちゃんと仲良くなることがある。孫を連れたおばあちゃんといっても、私と年齢が近い。子供のお母さんたちも、おばあちゃんたちの方が、私の年齢に近いので、仲良くなりやすいのだ。だから私には、ママ友よりも婆友の方が話題が合う。というか、いろいろ教わることが多くて助かるのだ。先日も10人くらいの孫がいるばあちゃんから、目から鱗が落ちるような話を聞かせてもらった。

 うちの息子が、すごい照れ屋さんであることをその方に話したら、そうでしょうね、たくさん褒めて育てていいますからね、そういう子育てをすると、自然と照れ屋さんになるんですよね。と、親切に教えてくれた。確かにそうなのだ、うちの息子は、基本的に褒めるようにして育てている。もちろん叱ったりもするけれど、それは効率良く褒めるための方便なのである。この方法はすごく子育てが楽になる事は体験的に知っている。しかし親としては楽と言えば楽なのであるが、どうやらマイナス面もあるみたいなのだ。そのマイナス面を色々伺えて非常に参考になった。

 まぁそんな事はどうでもいいとして、お孫さんが10人ぐらいいるおばあちゃんともなると、今までの体験から、客観的でユニークな視点を持って観察しているようだ。その観察眼に感心してしまった。ある意味で冷めた目を持っているわけだが、その冷めた視点というのは、10人のお孫さんを比較することが可能な環境になったからなのだろう。そこで、そのおばあちゃんが、お孫さんとどのように接しているか、少しばかり観察させてもらったのだが、そのおばあちゃんは、自分の孫だけを見てないことに気がついた。公園にいる子供たちのほとんどに視線を向けていた。そして、孫をうまくコントロールして、状況によっては自分のお孫さんを悠々と連れ帰っていったので感心した。

 その後、今度は孫を連れたおじいちゃんがやってきた。そして私と仲良くなった。おじいちゃんは、 5分ぐらい公園でお孫さんと遊んでいたが、へとへとになって倒れてしまった。おじいちゃんは、おばあちゃんに先立たれて1人ものだった。定年後、本当は自由気ままに暮らしたかったらしいのだが、息子夫婦に説得されて同居したらしい。同居したはいいが、毎日孫の面倒を見させられてへとへとなのだそうだ。 1人気ままだった生活が懐かしいらしい。どうやらさっきのおばあちゃんとは、だいぶ様子が違っている。おじいちゃんは、孫に振り回されている感じである。でもこれは無理もないことかもしれない。それまで仕事一筋で、子育てをしなかった昭和世代のおじいちゃんにイヤイヤ期の2歳の孫の相手は、かなり難易度が高いと思う。だからかなり苦戦していて、へとへとになって芝生に倒れ込んでいる。 10人の孫を見てきたばあちゃんとは、まるで違っているのが印象的だった。

とにかく子どもたちが遊ぶ公園には、いろいろな社会の縮図が存在している。
なかなか面白いところだ。

つづく。

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posted by マネージャー at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月30日

ブラブラ

 早いもので3月もそろそろ終わりである。不思議なことに、この3月は例年よりもお客様が多かった。なぜだろうと、不思議に思っていたが、その理由がわかってしまった。海外でテロ事件が多かったために、海外旅行者が大幅に減って、国内旅行に流れているらしい。どうりで変だなぁと思った。それにしても危なかった。もう少しで、自分が自惚れるとこだった。逆に言うと、海外旅行を商売にしている業者さんにとっては、これからの苦難の時代が続くとも言える。同情を禁じ得ない。 でもまぁ、 3・11の時は、こっちもひどい目に遭っているのだから、これはもうお互い様というしかない。

 それはともかく、だいぶ暖かくなってきた。東京あたりでは桜が咲いているピークの頃では無いだろうか? 残念ながら嬬恋村では、桜のピークは毎年ゴールデンウィーク前半くらいである。ひょっとしたら、今年は暖かいので、 4月20日頃がピークかもしれない。妙義山の桜も、 4月15日頃が毎年のみどころである。この辺あたりは、桜の開花がずっと遅いのだ。むしろ、小諸市の懐古園の方が桜の開花は早いのかもしれない。私も毎年、 4月10日ごろに小諸の懐古園に桜を見に行っている。上田城の桜はもっと早くから咲いている。両方とも、とても美しいので、毎年目の保養をさせてもらっている。

 また、登山家にとっては、桜は6月末頃までよく見かける花である。この付近で1番遅くまで見られる桜は根子岳の頂上から四阿山のほうに向かったルート状に咲く桜である。 遅い時は7月ごろに咲くこともある。山の奥地に行けば、そういう桜たちがところどころに花を開いている。これがまことに美しいのである。もともと桜の原産地は、ヒマラヤのあたりらしいので、日本中の山のどこにでも桜はある。なにしろ300万年前から日本に自生しているわけだから、桜の木のない山を探す方が難しいぐらいだ。

 話は変わるが、毎日のように山に登っていると、恐ろしくファンタジックな出来事に出会うことがある。例えば60年に1度しか咲かない竹の花を見つけたり、珍しい高山植物を見つけたり、カモシカやツキノワグマにであったりである。人魂のようなものに遭遇することさえある。そういう奇妙な体験の中でも、かなりファンタジックな体験は、山桜の狂い咲である。何かの原因で、葉っぱが枯れてしまった山桜は、たとえ秋であっても花を咲かせてしまう。これがなかなか美しいのである。

 ところで今日は、嫁さんが前橋のほうに出かけたので、息子と1日中留守番をしていた。息子をブランコに乗せて、私は庭の雪を溶けやすいように、何時間も雪かきをしていた。そのうち息子はブランコに飽きるだろうと思っていたが、どういうわけか何時間も揺られたまま全く飽きる様子がない。いろんなポーズをとりながら、自分で揺らしていた。ときには空中ブランコのような曲芸まで見せてくれた。そして気が付いたら何時間も経っていて、お昼を2時間も過ぎていた。

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 慌てて大急ぎで、うどんを作って親子で食べた。すると息子は、うどんを腕高く持ち、ブランコを揺らすように口の前でブラブラさせていた。思わず笑ってしまった。ここで行儀が悪いと叱るのが基本なのだろうが、なんとなく叱ることができなかった。心を鬼にして叱るのは、なかなか難しいものである。仕方がないので、フォークでうどんをくるくる巻いて、息子の口に押し込んだ。食事の後、息子はどこからともなくコンセントを持ってきて、やはりブラブラ動かしていた。どうやらブラブラ動かすことが、マイブームらしい。


つづく。

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posted by マネージャー at 20:29| Comment(4) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする