2015年03月28日

ブランコと庭のチューリップ

 最近つくづく思う事は、私は運が良いということだ。その一つに、お客様に恵まれているということがある。他のペンションのオーナーの話を聞いても、他のユースホステルのマネージャーの話を聞いても、うちはお客さんに恵まれてると思わざる得ない。

 もちろん例外もないとは言えないが、圧倒的に人徳者が多い。親切な人が多い。宿にも他の御客様に対しても、親切な人が多い。そのためか息子が生まれてから、いろいろなプレゼントを頂いた。絵本や子供服やチャイルドシートやベビーカーを頂いた。本当にありがたかった。

  実は、息子の2歳の誕生日のちょっと前に、丸太で作ったブランコを頂いた。実はブランコは、いずれ買おうと思っていたので、感謝の言葉もない。息子も大変気に入っているようだ。お客さんも使えるだろうし、ブランコがあるだけで、庭の雰囲気がだいぶ変わってきた。

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 そういえば、庭には、 2,000個のチューリップの球根が植えられている。これもお客さんから頂いたものだ。雪が解ければ、チューリップの芽が出てくるだろう。ゴールデンウィークが終わった頃には、 2,000本のチューリップの花が咲き乱れることになると思う。そうそう去年の秋に、 百個の水仙の球根を植えたのだった。今年はそれも加わることになる。水仙の球根はどんどん増えていくので、いずれは、庭を水仙だらけにしたいものだ。

実は去年まで、無農薬野菜を使いたいがために、プチトマトと、 20日大根を庭に植えていたのだが、今年はもうやめようと思っている。無農薬なのはいいのだが、コストと手間がかかるばかりで、夏の忙しい時に体力を消耗するからだ。その代わりに、何か別の物を植えようと思っている。さてどんな花を育てようか、ちょっと悩んでいるところではある。

つづく。

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2015年03月26日

宿屋とは何だろう?

 今日は息子の2歳の誕生日である。 2年前の今日に息子が生まれたわけだが、つい昨日のようにも思える。月日が経つのは本当に早い。あっという間だった。今にして思えば息子は福の神だったのかもしれない。お客さんも少しずつ増えつつあるし、その中には息子の友人も少しずつ増えている。ママ友やパパ友も増えた。付き合いが増えれば、視野も広がるようになった。

 2歳になると、もう赤ちゃんとは言えない気がする。かなり自分の意思を主張するようになるからだ。それ以前の息子は、どちらかというと受け身の可愛さだった。しかし2歳になると自分自身を見せてくる。そのために、親が可愛がりすぎないようにセーブするのが難しくなる。

 例えば、子犬が可愛いように赤ちゃんがかわいいというのは、ある程度、自分自身をクールに保つことができる。ところが、自分の意志を持ち始めて、そこに可愛さが生まれてくると、自らの親ばかを消滅させるのが難しくなってくる。私が雪かきから帰ってくると、息子は走り寄ってきて私の手を引いてコタツに引っ張っていってくれる。このような行動されると、息子を単なる人間という生物のように観察できにくくなってくる。夜寝るときなどは、私の手と母親の手をくっつけてくる。コンタクトレンズをはめようとすると、ティッシュペーパーをとってくれる。 2歳という小さな子供が、大人でもやらないような気遣いをすると、さすがの私でも目頭が熱くなる。もう冷静に、乳幼児を観察できないかもしれない。

 むかしから子供はかすがいというが、それは本当であると思った。父親と母親の手をつなげようとする行為は、他の人には出来ない技だ。しかしである。 2歳児に道徳心があるのかと言われれば、そう思えない気もする。道徳心から父親と母親の手をつなげようとする行為が生まれるとはとても思えない。普通に考えれば、 2歳児の心の中にある煩悩が、父親と母親の手をつなげようとすると考えるのが自然だろう。子供にとって、それはある種の防衛本能かもしれない。自分がかすがいになることによって、安全保障を得られることが、本能的に分かっているのかもしれない。もっと言うと、遺伝子に組み込まれているような気もする。

 話は変わるが昨日、女性のお客さんが訪ねてきた。結婚すると言う報告である。しかもご近所さんになるという話だった。いろいろ心配していたので、一安心した。余計なお節介かもしれないが、うちの宿では、いろいろお客さんの相談ごとに乗ることが多いが、その結果、状況が良くなることもあれば、悪くなることもある。今回は、めでたいお話だったので、心の底からほっとした。宿屋をやっていて本当に良かったと思った。

 こういうめでたい話が成立するたびに、宿屋とは何だろうと思う。もちろん部屋にお客さんをお泊めするのが仕事なのだが、それは単なる最低条件であって、 充分条件では無い気がする。宿屋の本来の役割というのは、泊まりにきてくれた人に幸せになってもらう事では無いだろうか? もちろん余計なお節介はするべきではないし、しようと思ってもできるもでもない。出来る事は限られている。たったの数時間、宿に泊まっている間に、何かちょっとした、ささやかな事をしてあげることをしかできない。でも、そんなささやかなことでも、何かのきっかけになってくれれば、それはそれでいいのかもしれない。

つづく。

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posted by マネージャー at 11:26| Comment(6) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月14日

日本における幼児死亡率の低さ

 日本における幼児死亡率の低さは、とても低い。これが日本人の平均寿命を伸ばしている原因でもある。その理由は、自分に息子が生まれるまでわからなかった。今ならわかる。日本の赤ちゃんは、自治体の見えざる手に守られているのだ。

 2週間ぐらい前に、息子の2歳児健診があった。といってもまだ息子は1歳11カ月なのだが、 2月生まれと3月生まれの赤ちゃんたちが、勢揃いして検診を受けるのである。ちなみに、子供が産まれると3ヶ月検診、 6ヶ月検診、 1歳児検診、 1歳6ヶ月検診、 2歳児健診とめじろ押しである。その他にも予防接種や歯の検診などがある。これらのイベントに何らかの理由で参加しないと、村役場から担当者が訪ねてくる。そして、 2か月後に検診を受けるように注意されるのである。ここまで子供に手厚くなっている。子供が虐待されていないかどうか調べるためだろうと言われている。

 ちなみに、検診の時に、何度か子供と引き離されて、母親だけで離乳食の作り方とか、そういった講義を受けることもある。その時は、他の職員さん達に子供を預けるのだが、おそらくそのときに、赤ちゃんが虐待されているかどうかチェックされていると思われる。そういうのは、ぷんぷんと空気で伝わってくるので、否応でもわかってしまう。

 とにかく日本では、子供たちが自治体から守られているのがよくわかる。これは子供を授かってみると本当によくわかる。母子手帳が発行されると、役場の職員の方が自宅まで訪ねてこられた。そして、夫婦で講習にきませんかと誘いに来られた。わざわざ、妊婦のところまで訪ねてこられるなんて、うちの嫁さんが妊娠するまで考えもしなかった。本当に至れり尽くせりだった。

 出産直後、うちの嫁さんが、ちょっと鬱っぽくなったことがあった。その時も、保健婦さんたちが真剣に悩みを聞いてくれた。そしてお医者さんに掛け合って、睡眠導入剤などの薬をもらってきてくれた。その方は、見るからに癒し系の人で、嫁さんの話を聞いてくれるだけで、嫁さんの体調が良くなっていくではないかと思えることだった。電話でのサポートもあったし、いろいろな団体さんを紹介もしてくれた。

 そういえば、赤ちゃんの検診の時に、看護学校からの実習生の人たちが来ていて、盛んに赤ちゃんを抱っこしたりあやしたりもしていた。未来の保健婦さんだろうか? それとも以来の助産婦さんだろうか? そーゆー若手に、現場を体験させてあげるシステムも完璧に見えた。

 妊婦さんやお母さんは、いろいろな割引があるのも初めて知った。関東地方限定かもしれないが、赤ちゃんの医療費は一切かからないのも驚いた。病院に行っても、 1円もかからないのだ。だから金がなくて病院に行けないという事は無い。おまけに児童手当ももらえる。これを学資保険に積み立てると300万近くになって大学の学費になるというのも知って驚いたものだ。

 とここまで書いて、思い出すことがある。今から25年位前に世界中を放浪したことがあったのだが、こんなに子供に手厚い国は、世界中どこにもなかったと思う。試しにインターネットで調べてみたら、新生児の死亡率の低さは世界第一位だった。乳幼児の死亡率の低さは世界第3位である。やはり、かなり死亡率は低い。

 ところがである、 1歳から4歳までの幼児死亡率となると、世界で21番目という低さになってしまう。先進国14カ国の中では、アメリカに次いで下から2番目なのだ。これはあまり褒められたことでは無い。幼児虐待が問題となっているからだろうか? それとも小児科の先生が激減しているからだろうか? 死亡原因の統計を見てみると、不慮の事故と先天奇形が多いようだ。そして心疾患や肺炎で死亡するケースも多い。先天奇形や心疾患はともかくとして、不慮の事故と肺炎だけは気をつけたいと思った。

 さて、息子の2歳児健診の結果である。

 一言で言うと、太り気味であった。この頃の男の子の平均体重は、 12キロらしいのだが、うちの息子は14キロもあった(身長は88センチ)。明らかに食べ過ぎなのである。おそらくお客さんと一緒においしいものたべすぎたのだろう。そこで思い切ってミルクを減らし、水を飲ませるようにした。すると、恐ろしいことに、どんどんスリムになっていく。出っ張っていたお腹が、数日で、どんどん凹んでいくのだ。これには呆れかえってしまった。

 あと面白いのは、スリムになると、運動量が増えるのである。ロビーを走り回るようになったり、 NHK教育放送の幼児番組の体操を見せると盛んに飛んだり跳ねたりする。エネルギーを爆発させるようになってしまった。ますます手に負えなくなってきたが、これが本来の子供の姿なんだろうなぁと、半ば諦めている。

しかし、面白いもので、お客さんが入る週末などは非常におとなしい。こっちが忙しいと、かなりおとなしくなるのがありがたい。しかし、お客さんがいなかったりすると、何となくそれが息子にもわかるらしく、やたらと欲求が多くなるのだ。こーゆーところも、知恵がついてきた証拠なのかもしれない。


つづく。

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posted by マネージャー at 16:48| Comment(4) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月28日

記憶

 ついに息子が一歳十一ヶ月になった。二歳になるまで、あと一ヶ月である。本当に感慨深い。

 先日、百円ショップでカルタをみつけて買った。お風呂で教えるタイプである。もちろん息子にはまだはやい。文字を読むどころか、言葉もろくに話せないからだ。しかし衝動買いしてしまった。今は事えなくても将来つかえばいいやと・・・・。ところが息子にカルタを与えてみたら、なんと息子は使い方を知っていた。

 目を疑った。
 しかし、すぐに正気にもどった。

 私が使い方を教えてないのに、使い方を知っているということは、過去にどこかでカルタを見ていて知っているはずなのだ。我が家には、それまでカルタはないから、考えられることはテレビ番組である。で、息子が見ていた番組をチェックしたら、あった! 「日本語であそぼ」という幼児番組のコーナーに、絵合わせカルタというものがあって、息子は、それを毎日みていたのである。どうりでカルタの存在を知っていたし、使い方も分かっていたわけである。

 で、はたと気がついた。
 自分が持っている知識は、
 必ず以前にどこかで仕入れているはずである
 という単純な事実に気がついた。

 すると、「なぜ私は、・・・・を知っていたんだろう?」という疑問がわいてきた。何もなくて知っているということはあり得ないのだ。どこかで知識を仕入れているのだ。しかし、どこで仕入れたか分からないことが、ままあるのだ。すると私は、なぜ、これを知っているのだろうか?と考え込んでしまう。いったい、どこで知識を入れたのだろうか?と。

 具体的にいうと、赤ちゃんは親の真似をすることを知っていた。初めての子育てなので、私も嫁さんも、そんなことは知らないはずなのに私だけ体で知っていた。それだけでなく、いろんな事を体で知っていた。赤ちゃんがぐずる原因の大半を体で知っていて、自然と対処できていた。しかし、そういうことは絶対にあり得ないのだ。どこかで学習してないと、知っているわけがないのだ。絶対にどこかで体で学習しているのである。本で勉強したくらいでは分かるわけがない。

 息子が生まれる前に、さかんに子育て本を読んで学習していたのは、私ではなくて嫁さんの方だった。私は、それら嫁さんが集めた本を一瞥して、一々切って捨てていた。自信をもって育児本を切り捨てていた。これも不思議である。なぜ私は、切って捨てるほどの自信があったのか? どういう根拠で専門家の書いた本を小馬鹿にして鵜呑みにしなかったのか?

 そう考えると、私は、絶対にどこかで体で学習しているはずだと確信せざるをえなかった。現に思い当たることがあった。歳のはなれた弟が二人いたことを思い出したからだ。

 つまり私は、赤ちゃんは親の真似をすることを体で知っていたのではなく、赤ちゃんが兄の真似をすることを体で知っていたのだ。もちろん親の真似もするし、祖母やベビーシッターの真似もする。それを体で覚えていたのだ。

 もちろん他にも色んな事を体で覚えていた。
 だから末っ子だった嫁さんよりも色々なことに対処できたのだろうと思う。

 前にも言ったが、私には二人の弟がいる。 一人は三歳下の弟である。 三歳下だから弟が四歳の時、私は七歳である。 七歳といえば、小学校に通い、友達もできて、あちこちに遊びに行く時期である。より活動的な頃である。 四歳の弟は、何度もくるなと言ったにもかかわらず、いつも私の跡をつけてきた。そしてなんでも真似をした。どんなに帰れといっても探偵のように跡をつけてきた。

 薮に入れば薮に入り、
 木に登れば木に登ったし、
 屋根に登れば屋根に上った。
 気がついて後振り向けばそこに弟がいたのだ。

 私はライターで遊んでいたら、弟も真似をしていた。しかも小学校の縁の下で真似をして、危うく学校が火事になるほどだった。だから、どんなに真似をするなと怒鳴り、時には殴っても真似をした。だから弟から逃げた。逃げて遊びに行ったが弟は、探偵のように跡をつけてきた。そして真似をして、大事件をおこして怒られると本人は悪びれずに
「兄の真似をした」
と言って私だけが怒られた。

 私の両親は、共稼ぎだった。
 ので弟は親を真似るよりも兄を真似たのだろう。

 中学校三年生の時、私は受験勉強した。弟はその真似をした。それまで勉強などしていなかった弟が、いきなり勉強しだしたのだ。その真似の仕方は、恐ろしいほどだった。それを体験として私は知っていたのだ。ところが長い年月が経つ間に、すっかり忘れてしまっていた。思い出したくもないことだったので息子が生まれて暫く経つまで、記憶の中に封印してしまっていたのだ。

 ちなみに私には、もう一人弟が居る。十歳年下の弟である。十歳下であるから赤ちゃんを観察する機会に恵まれた。オムツを替えたりミルクをあげる機会もあったのだ。一緒に布団で寝ることもあった。当然のことながら、赤ちゃんに対する対処の方法を知っていたのだ。当然のことながら、赤ちゃんが親や兄の真似をすることを知っていた。しかし、これも長い年月が経つ間にすっかり忘れていた。思い出したくもないことだったので、自分の息子が生まれるまで、記憶の中に封印してしまっていたのだ。

 その弟が五歳の時、私は十五歳だった。十五歳の時の私は、思春期だったせいもあって読書家だった。化学や物理や歴史や地理の本をたくさん読んでいた。漱石・トーマスマン・司馬遼太郎も乱読し、クイズ番組に出ていれば、トップをとれるほどの雑学を身につけていた。動物の名前なら何でも知っていたし、戦闘機の馬力荷重や翼面荷重の数値まで知っていた。政治経済にも興味を持ち、新聞はすべてを読むようになっていた。いわゆる生意気ざかりだったのだろう。何でも知ったかぶりをした。

 すると不思議なことに三番目の弟にもその癖は遺伝した。というのは間違いで、そういう癖が真似されてしまったのだ。ただし、 二番目の弟には真似されてない。 二番目の弟はもうすでに、兄の真似をする時期を過ぎていたのだ。こういう体験があるかないかでは、子供に対する対応力がまるで違ってくるはずである。そもそもキャリアが違いすぎるのだ。

 ちなみにそれらの記憶を思い出した時、一つ気がついたことがある。
 童謡作家や、児童文学者には、長男率が高いことに気がついた。
 と言うより、末っ子の童謡作家や児童文学者が、驚くほど少ないことに気がついた。
 ほとんどの作家に弟妹がいるのである。

 背くらべという童謡を思い出してほしい。あれは弟が兄に背丈を測ってもらったという童謡なのだが、作詞者の海野厚に兄はいない。あれは作者の弟の視点から書かれた童謡なのだ。これが作曲者になると違ってくる。背くらべの作曲者である中山晋平には兄が居る。とはいうものの弟もいる。

 つまり童謡作家の長男率はともかくとして、末っ子率は極めて少ないのだ。北軽井沢限定で言ってみれば、童話作家の岸田衿子さん佐野洋子さんも、長女であったり、兄に死別された実質的な長女なのである。下村湖人にしても宮沢賢治にしてもサトウハチロウにしても同じである。この辺は、国文学を専攻している学生さんたちに調べてもらいたいところだ。私が文学部の学生なら卒論のテーマにするだろう。きっと面白い発見がなされるに違いない。

 ここで話をかえる。

 うちの嫁さんが、一生懸命読んでいる育児本を私もチラリと読んでみたとき、驚いたことを思い出した。どの育児本にも致命的な欠陥があるのである。時代背景を無視しているのである。

 私が中学生の時、大昔の教育関係の雑誌を大量に読んだ。昭和五十年。今から四十年も前の話である。そんな大昔に、もっと大昔に発行された教育関係の本を読んだのだから、ものすごい大昔の教育に関する考え方を書いた文章を読んだことになる。昭和三十年代や昭和四十年代の当時の考え方や、もっと大昔の考え方を読んだのだ。

 で、当時の私が不思議に思ったことがある。
 育児に関する考え方は、時代によって変化するということである。
 それも十年くらいで劇的に変化するのだ。
 変化する理由は、その時々の時代背景による。

 例えば戦前において、育児に対する考えは今のものとは全く違っている。戦前では、子供に余計な教育をしてはいけないと言う考え方があった。どうしてかというと、当時は子供が多かったのだ。 五人くらいは当たり前で、ひどいのになると十人ぐらいの子供のいる家もあった。そして、そのような時代背景では、子供に対する不平等が子供の心に深刻な影響を与えることが問題になっていた。

 具体的に言うと長男になるほど可愛がられ、末っ子になるほど子供が放置される家庭が多かったのだ。子供が多いと、親は平等なつもりでも、どうしても不平等な躾をしてしまうのである。それを題材に多くの児童文学が生まれたが、次郎物語やニンジンなどがその代表作である。このような作品は世界中で映画化されたり小説にされたりして、どの国でも大ヒットした。

 なので当時の教育雑誌等には、子供の教育は親の背中でしろという考え方があった。親の働く背中を見せることによって、子供たちは自然と大人になっていく。それで良いとされていた。当時は、サラリーマンなどは非常に少なく、ほとんどが農家や自営業だったので、そのような教育スタイルで、親孝行で立派な子供たちがたくさん育ったのである。

 この方法は、現代には通じにくいが、嬬恋村のような、農家やペンションオーナーが多いようなところでは、非常に参考になるであろう。実際、嬬恋村の知り合いの教師の話でも、農家の子供さんや、ペンションの子供さんたちは、平均して良い子たちが多いと証言している。これは、子供たちが親の背中を見て育っているからだと思われる。まさに戦前型の育児の結果である。

 ここで話をもどす。

 話を戻して、何の話をするかというと、童謡についてだ。
 実は有名な童謡の大半が、子供が最も多かった戦前に作られている。
 たくさんの兄弟の面倒をみてきた時代に作られているのだ。

 そして、そのような童謡が時代を超えて今でも歌われていることを想うと、一人っ子の多い二十一世紀に、果たして名作が生まれるのだろうかと思わざるを得ないのだ。逆にいうと一人っ子時代にはいると、育児本が売れる時代になるということも確信した。子供は少なくても育児本は売れ続けていくだろう。どんなインチキ本でも、それなりに売れると思う。ちなみに私がインチキくさい育児へ本を書く人だと思ってしまった人の過去を調べてみたら一人っ子だったり末っ子だったりした。これは偶然だろうか?

 それはともかく、今後、童謡や児童文学の新作の名作率は、どんどん減っていくに違いない。と、二十二世紀の諸君に予言しておこう。


つづく。

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posted by マネージャー at 07:48| Comment(5) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月18日

動物博士だった子供時代

 今日は2月18日である。実はこの時期、自営業者にとって1年で1番忙しい時期である。もちろんお客さんはいない。お客さんがいないのになぜ忙しいかといえば、 2月15日から3月15日の間に税務署に行って確定申告を行わなければならないからだ。だから北軽井沢の宿屋の大半は、領収書の整理やレシートの整理に明け暮れ、パソコンとにらめっこする。そしてプリンターで大量の帳簿を印刷しなければいけない。そして、ここが肝心なのであるが、今年1年の経営戦略を考え直す時期でもある。

 実は、自営業者はある程度経理を選択する自由がある。例えば除雪機を買ったとしよう。それを1年で償却することもできれば、 10年で償却することもできる。要するにどちらを選択するかは自営業者の判断に任されるのである。本来ならば10年で償却するのであるが、 1年で償却すると言う特例があるからなのだ。そこでどちらを選択するかは、その年の売り上げ等を見据えて、どちらが得かを考えつつ、決められるのである。つまり自営業者にとっては、税務署に申告するために経理をやりながら、改めて経営戦略を再認識するのである。儲けすぎたなーと思えば、 1年で償却するし、赤字だなと思えば10年で償却するという選択を選ぶ。

 そんなわけで、経理に忙しい上に、今年は雪が多い。毎日のように雪かきをしなければならない。当然のことながら、そーゆー力仕事は男の仕事である。当然のことながら私が行うのである。雪かきといっても、 800坪もしなければいけない。半端な量では無い。毎日汗水を垂らしながら、少しずつ雪かきをする。すると窓から私のそんな姿を見ている息子がいる。息子は、あと10日もすれば1歳11ヶ月になる。

 長い前置きとなってしまったが、 1歳11ヶ月ともなると、それまでと全く違うパターンを息子は見せてくれる。私が雪かきから戻ってくると、玄関まで出迎えてくれて、私の手をぎゅっと握って、私をコタツのところまで連れていってくれる。こんな事はそれ以前には絶対にありえなかった。

 母親が寝転がってテレビを見ていると、頭をなぜなぜして、かわいいと言うようにもなった。こんなことも以前は絶対になかった。また、愛犬コロも、なぜなぜして、カワイイと言うようになった。本当にかわいいの意味がわかっているのかどうかはわからない。単に親の真似をしてるだけの可能性も高いのだが、それ以前はそのような行動をしたことがなかったので、明らかに今までと違っている。

 今では、愛犬コロの散歩に一緒についてくる。ついてくるだけでなく、愛犬コロの紐(リード)まで自分で持つようになった。もちろん、愛犬コロも息子に対して気遣いをしながら歩いているので、相手の協力があってできる技ではある。

 ここまで成長してくると、非常に感慨深い。どの親御さんも、自分の子供には癒される事だろうが、その癒され方には二通りの癒され方があることに気がついた。まず、その可愛さに癒されるという癒され方。それは、うちの息子に限って言えば1歳9ヶ月までの姿であった。

 ところが、1歳10ヶ月を過ぎると、別の部分に癒されるようになった。雪かきから戻ってきたときに、大喜びで玄関まで走って迎えに来て、私の手をぎゅっと握ってコタツまで連れていく姿に癒されるようになるのである。それは可愛さに癒されるのではなく、小さな子供の心遣いに癒されるのである。

 姿形ではなく、行為に癒されるのである。

 それはひょっとしたら、ただ単に遊んでもらいたいという煩悩を表しただけなのかもしれない。その辺は注意が必要なのだが、それだけでないような気がする。少しずつであるが、赤ちゃんなりに相手を思いやることも、理解しつつあるのかもしれない。しかしそれは、少しずつ赤ちゃんを卒業して行くことでもあるので、それはそれでちょっと寂しい気もする。

 面白いのは、うちの嫁さんも少しずつ成長しているところである。赤ちゃんが生まれた頃は、うちの嫁さんはマニュアルの塊であった。定時になると、ぐっすり寝ていても馬鹿のひとつ覚えのように、たたき起こしてミルクを飲ませていた。私が何度、寝かせておけといっても、絶対に言う事は聞かなかった。必ずマニュアルを守るのである。

 しかし、妹や弟の多い家族で育った人ならわかると思うが、昔から赤ちゃんが寝ていたら絶対に起こさないのである。寝たいだけ寝かせるというのが、常識であることは誰もが知っていることなのだ。赤ちゃんは寝ることによって、育つということが嫁さんには理解できていなかった。何故理解できていないかというと、子育ての本に書いてないからである。要するにマニュアルに書いてない事は、妹弟のいなかった嫁さんにとっては存在しないことなのだ。

 だから私が何度言い聞かせても、規則正しい生活を覚えさせるという変な理屈を持って起こしていた。おかげで息子の成長は止まってしまった。眠らなければ成長ホルモンが出ないので当たり前と言えば当たり前である。
 おまけに、子育て母に書いてある食事の量を正確に計って、栄養なんかを秤に計って、無理矢理食べさしていた。当然のことながら、同じようなメニューが続き、息子は泣きわめくようになる。で、私が横から大人の食事を食べさせておとなしくさせるのだが、その都度不満そうな顔をしていた。嫁さんが、いちにち留守にするときなどは、わざと食事を減らしたりした。もちろん息子の調子は良くなる。翌日から食欲も戻ってくる。嫌がっていたメニューも食べるようになる。
 最初の頃は、こんなことの繰り返しをしていたのだが、そんな嫁さんも最近はようやく柔軟になってきた。子育ての肩の力が抜けたのだろう。もしくは読んでいたマニュアルのことを全部忘れてしまったかのどちらかだろう。

 こう考えてみると、子育てというものは、
 いかに肩の力を抜くことが重要であるかが分かる。
 気負いすぎると、かえって失敗するのだ。

 そういう意味で、うちは子供が産まれる前に、子犬を飼ってみて大正解であった。ある意味、子犬は赤ちゃんよりも客観的に観察しなければいけない部分があるので、冷静に判断できるようになる。子犬の子育てだって、気負いすぎると失敗するからだ。これは私が、過去に子犬を2回ほど育てたことがあったからこそわかっていたことである。そして、弟が2人たからわかっていたことでもある。

 そういう意味では、生まれた時の環境というものは、非常に重要であるのかもしれない。ちなみに私は、子供の頃、犬の他に、うさぎ、鳩、猫、インコ、鶏、金魚などの魚類などを飼っていたことがあった。そのために、いろんな動物を通して比較してみて犬の子育てが、人間の子育てに非常に近いことが、体験として知っていた。この辺も大きかったのかもしれない。

 ちなみに、私は小学校6年生頃に、動物博士になっていた。図書館にある動物図鑑の写真の名前を全て暗記できるようになっていた。たぶん1,000種類の動物の名前を知っていたと思う。友人と動物の名前当て勝負を何度もしていた。

 そうなのだ、友人の中にも動物博士はいたののだ。
 似たような子供たちが、他にもいっぱいたのである。
 それは時代や環境によるものかどうかは知らない。

 だからディズニー映画の動物のドキュメンタリーなどを見ると、テロップに動物の名前が出る前に、その動物の名前を言い当てるのが得意であった。そのために動物のドキュメンタリー映画を見るのが大好きだった。その当時、 1番好きな映画は野生のエルザであった。原作の本も小学生の頃に何冊も読んでいる。だからライオンのオスが子供ライオンを殺す残酷さも知っていて、学校の先生の「仲間を殺し合うのは人間だけ」という説教に反論したりする生意気な小学生であった。いまでいうオタクのはしりでもあったろう。それは学校の勉強とは全く関係のない無駄な知識ではあったが、今思えば、あれが良かったと思っている。


つづく。

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2015年02月07日

狼と犬

 早いもので息子が、 1歳10ヶ月になった。
 1歳10ヶ月ともなると、格段に知能レベルが上がってきている。
 まず、大人の言葉を理解するようになってきた。
 話す事はできないのだが、聞き取ることができるようになってきたのだ。

 例えば、おやつがなくなって、もうお終いですと言うと、とたんに泣き出す。おしまいという言葉と、おやつがなくなるという事実が、イコールであるということが理解できてきたのだ。大人の言っていることがかなり分かってきている。
 それだけでは無い、自己主張も始めるようになった。具体的に言うと、おもちゃ王国のパンフレットを親の前に持ってきて広げて見せるのである。ここに行きたいというアピールを日常的に始めるようになってきたのだ。
 私が指をさすと、指のほうに顔を向けるようにもなってきた。スーパーやホームセンターに連れて行っても、ベビーカーという檻は必要なくなってきた。きちんと注意さえすれば、勝手にうろうろすることもなく、親の後をついてくるようになった。多少駄々をこねることもある事はあるのだが、最終的には親の言うことを聞いてくれるようになってきた。またレストランに連れて行ってもおとなしく静かに座り、人様にご迷惑をかけないで食事をすることができるようになってきた。

 この結果を踏まえて、改めて感心してしまう。
 赤ちゃんは、親が考えている以上に知能が高い。
 信じられないくらい高い。
 それは知識としては知っていたが、実際自分の目で、体験をしてしまうと、改めて驚かされてしまう。

 しかしである、私の息子は、これでも成長が遅い方なのである。生まれた時期が10日しか違わない、1歳10ヶ月の女の子が知り合いにいるのだが、その娘はもっとすごい。ドックランで、であった数十匹の犬の名前すべてと、飼い主の名前を全部覚えて喋れるのである。例えば、犬と飼い主全てを足して50の名前があったとする。それら全てを識別して名前を覚え話すことができるのだから本当に驚かされる。一般的に女の子は成長が早いと言われているが、その成長の早さには、ただただ驚くばかりである。スタッフの土井くんの娘さんも、かなり成長が早い。明らかにうちの息子よりも立ち上がるのが早かった。

 前置きはこのくらいにして本題に入る。
 子供の成長についてである。
 子供の成長には、犬型と狼型がある。

 犬とオオカミ。この両者を比較してみると、狼の方が圧倒的にIQが高い。脳みその重さを量ってみても狼の方が圧倒的に重い。もちろん体重に対する脳の重さの比率を比べての話である。
 したがって、狼は犬よりもよほど早く成長する。約1年で大人になってしまうのだ。逆に言うと1年で大人になれない狼は、自然界では生存が難しい。早く生きる術を覚えないと生きていけないのである。

 これに対して、犬は成長が遅い。狼に比べてみると脳みそも小さい。 IQも低い。犬種にもよるが大人になるまで3年ぐらいかかってしまう。つまり3歳位までは全く警戒心がないのだ。子供のままなのである。だからもし犬が自然界に放り出されてしまったら、生き残るのは非常に難しいだろう。自然界の中では狼の方が圧倒的に有利なのだ。

 しかし、犬にも長所がある。学習期間が長いために、結果としてオオカミを超える能力がそなわる。3年間の長期間、子供であるためにオオカミよりも成長するのだ。これは、ニホンザルとチンパンジーの関係にもいえる。ニホンザルはチンパンジーよりも成長が早い。しかし、最終的にはチンパンジーの方が学習する量は多くなる。ただ、野生界では、はやく大人になった方が生存率は高くなる。野生の中ではオオカミは、犬に対して圧倒的に生存率は高い。
 
 ここで乱暴な議論をあえてしてみるとするならば、女性は狼タイプなのかもしれない。早く成長する。年齢が同じなら女性の方が圧倒的にIQが高い。男性はどちらかというと犬タイプなのかもしれない。比較的ゆっくりと成長する。そしていつまでも子供っぽさを残してしまう。しかし、これは大雑把な議論かもしれない。女性の中にも、狼タイプもいれば犬タイプもいるからだ。もちろん男性の中にも、狼タイプもいれば犬タイプもいる。

 さて、うちの息子は、どっちのタイプなのだろうかと、この1年10ヶ月の間に、興味深く観察していたのだが、正直なところ、どちらのタイプか全くわからない。親の心情としては、犬タイプになってほしいと思っているのだが、ゆっくり育ってほしいと思ってはいるのだが、どうもそんな風には見えない。切り替えが早過ぎるからだ。かといっても、狼タイプかというとそういう風にも見えない。特別成長が早いというわけでもない。むしろマイペースでゆっくりしているぐらいだ。とゆうか、わざとゆっくりさせている。

 まだトイレトレーニングもしてないし、学習用の教材も、絵本も読ませてない。箸やスプーンの使い方も自己流に任せている。なので、他のお母さんたちや、検診の先生たちに呆れられてしまっている。おそらく我が家は、教育ママの世界から最も遠いところにいるのかもしれない。わが家で注意しているのは、お行儀だけだ。行儀が悪い場合は遠慮なく叱っている。しかしそれだけである。

 それにしても、他のお母さんたちは、本当に教育熱心だ。ほとんどのお母さん達は1歳位の時から絵本を読んであげているらしい。うちの息子の場合は、絵本を読んであげようにも、おとなしく聞いてくれるようなタイプではなかった。すぐに絵本を口の中に入れてよだれだらけにしてしまったり、ビリビリにやぶいたりした。とてもではないが落ち着いて本を読んではくれなかった。本当ならば、根気強く絵本を読んであげるべきだったのだろうが、めんどくさいのでそんな事はしなかった。

 だから絵本なんかとはまったく縁がなく育ったはずなのだが、不思議なことに、いまは勝手に本を読むようになった。本当に不思議である。本だけでは無い。おもちゃ王国のパンフレットを毎日のように眺めている。私が読んでいる歴史の本なんかも読んでいる。もちろん文字なんか理解できてない。時々逆さに読んでいることもある。だけど、親の真似をして本を読んでいるのだ。

つづく。

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2015年01月20日

民間の託児所は、とっても便利

 実は、うちの嫁さんは大昔から貧血が酷かったのだが、最近、その原因がわかったので、それを改善するための入院をした。そして予定通り、明日、嫁さんが群大病院を退院することになった。
 
 私は数日間、息子と2人だけで一緒にすごせて面白かった。

 これは嫁さんにしても同じ事で、数日間のお泊まりにワクワクだったらしい。分厚い入院の手引きをニコニコしながら読んでいた。直前に、楽しそうにいろいろ買い物なんぞしていた。出産後、はじめて数日間、息子と離れてぐっすり寝られるからである。(実は、これが一番の目的だったりする)

 ところが、貧乏性なのか、病院のベットは暇すぎてやってられなかったらしい。ゆっくり休むつもりが、かえって背中が痛くなってしまったらしく、私とは立ち話ばかりしていた。すると看護婦さんたちが次々と『すわってください』とイスなんぞをさしだすのだが、座りたいわけが無い。本人は、自分を病人だとは思ってないからだ。

 これは私も経験がある。検査入院で入院した私も自分が病人だとは思ってない。だから私の場合は、8階建ての病院の階段を20往復して身体を鍛えていた。そうしないと暇すぎて、かえって調子が悪くなるのだ。さすがにそこまでは嫁さんはしてない。看護婦さんに『立ってる方が楽なんです』と、余計な反論をしている。

 まあ、そんなことはどうでもいいとして、群馬大学病院に入院で困ったことは、息子を病院に入れられないことである。規則でそうなっている。

 仕方が無いので、村の保育所にお願いしようとしたが駄目だった。公務員は時間が来たら帰ってしまう。で、ネットで調べてみたら24時間やっている託児所が群大のまわりにいっぱいあった。1時間500円で預かってくれて、食事も食べさせてくれるし、昼寝もさせてくれる。そのうえ直前でも予約が出来る。子供の様子はライブカメラで、インターネットを通じて、スマホ・タブレット・ノートパソコンで確認できる。

 それに対して幼稚園は論外にしても、保育園も使えなかった。公立の保育園は、かなり前〜予約しても断られるケースがあるし、洋服も3着以上準備し、布団まで用意しなければならない。しかも夕方には終わってしまう。しかし、病院は何があるかわからない。診療の時間が読めないのだ。だから公立の保育園はつかえない。

 なので民間の託児所がなかったらやばかった。誰かにベビーシッタをお願いするしかなかった。

 それにしても民間の託児所の多いこと多いこと。インターネットで探したらワンサカでてくる。で、どの託児所もインターネットで子供の様子が確認できるようになっている。これなら御両親も安心して預けられるかもしれない。

 逆に考えたら、うちの宿にもライブカメラが必要かな?と思い始めた。天気や雪の積雪がよくわかるからだ。ちょっと考えてみたい。
 
追伸
・不用意な記事で御心配欠けました。嫁さんは、病気で入院したのではありませんので御安心下さい。。

 
つづく。

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2015年01月19日

息子が託児所デビュー

息子が託児所デビューした。
生まれて初めての託児所である。
嫁さんが、前橋の群大病院に入院してしまったからである。

私は嫁さんの手術のために、医師といろいろしなければならないことがあるが、その時に幼児を連れていくことはできないのだ。仕方が無いので、民間の託児所に預けることになったのだが、なにしろ託児所は初めてな事なので、最初はワンワン泣くかなとおもいきや、違った。

息子の好奇心は、親の私たちを忘れて託児所の中に突進していった。
5時間後、息子を迎えに行っても帰りたくなさそうであった。

『明日も来るから』

というと、やっとあきらめて自動車にのってくれた。いったい誰に似たのだろうか? 非常に好奇心が強いが、1歳10ヶ月という年齢が、好奇心のかたまりなのであろう。この時期の子供の好奇心は、なかなか抑えがたいものがある。非常に扱いにくいと同時に、逆に扱いやすくもある。自分で衣服を着ようとするようになってきたので、それは助かるのだが、逆に時間は余計にかかってしまう。

親の真似も、日に日に酷くなってくる。なんでも真似をする。ベビーフェンスも簡単に脱出するようになってきたし、自分の背丈より高い出窓も簡単によじ登るようになってきた。これは大人でも真似の出来ない驚異の身体能力である。どうやって登ったのかと思いきや、身体が柔らかいので、足が頭の上まであげられるので、それを利用して登っている。しかし、道具を使って登る知恵はまだ無い。そこのところだけ助かっている。

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つづく。

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2014年12月25日

軽井沢のイルミネーション

軽井沢のイルミネーション

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願い事を書いて、
木につるします。

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冬の大三角形
星空がきれいでした>

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つづく。

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2014年12月22日

主導権

 しばらく風邪をひいて休んでいた。風邪など、ここ数年かかったことがなかったが、油断したのだろうと思う。それはともかく風邪をひくと1番辛いのは息子と遊べないことである。うつしてはいけないので息子と距離をおかなければいけない。これはお預けを食っている愛犬コロの心境と一緒である。もちろんお客さんとも距離をおかなければいけないので、これもちょっと悲しかった。

 ところで、もうすぐ息子が1歳9ヶ月になる。早いものだ。そして、息子はますます親を真似するようになってきた。最初に息子が親の真似をしたのは、生後10ヶ月ぐらいだろうか?ご飯を食べる前に「いただきます」を言うようになった。これは親の外見を真似しただけだと思われる。この頃は親の外見の真似をどんどんしていた。

 しかし、その数カ月後には、「いただきます」を言わなくなった。見た目上は退化現象が始まっていた。しかしそれは退化などではなく、自分の意志を持ち始めたのだと思う。単なる物まねではなく、言う言わないの選択肢の主導権を取ろうとしていたのかもしれない。

 そのうち「いただきます」を言ってみたり言わなかったりケースバイケースの事が多かった。気分に左右されていた。それが 1歳8ヶ月くらいになると、必ず「いただきます」を言うようになった。その上、親の私が、息子の前で、うっかり「いただきます」を言い忘れてしまうと、息子が親に注意するまでになった。こうなると「いただきます」は、息子にモラルとして定着してしまった感がある。

 以上、 2年近く息子を観察してみて思った事は、「いただきます」には、いろんな「いただきます」があるということである。最初は本能的に、真似ばかりしていたと思う。そのうち真似をすることに対して、自分の意思を優先させるようになってきている。そして最後には「いただきます」が習慣となっていき、挙げ句の果てにはモラルにまで発展していっている。同じ「いただきます」でも、生後10ヶ月の「いただきます」と生後1年9ヶ月の「いただきます」では。天と地ほどの差があったと思う。

 ちなみに息子は、いろんなことを覚えつつある。まずお客さんに「バイバイ」と言うようになった。実はこれは私も嫁さんも教えてない。教えてないのに息子はある日突然、お客さんに「バイバイ」と言うようになった。おそらくテレビの影響かと思われる。他にも教えてない事をするようになった。どう考えても、テレビの影響である。その逆に、私が一生懸命教えようとすることは、全く覚えてくれない。にっこり笑ってはにかむだけで、覚えてくれない。どうやら覚えるものに対しての主導権は絶対に渡さないつもりらしい。

 黙ってじっとして私のを読む絵本を見てはくれない。すぐ暴れだす。そのくせ、私が諦めて週刊誌などを読んでいると、それを脇からじーっと眺めるのだ。息子は私が読んでいる本をじーっと眺める。もしくは、私が読んでいる本に似たような形をしたものがあったら、それをじーっと眺めるのだ。息子は私が本気で面白がってるものでないと読んでくれない。しかし、私が本気で面白がる本は、かなり難しい本なので、息子が内容を理解できるわけがない。なのにそういう本ばかり読もうとする。

 食事の時などもそうである。どうしても自分が主導権を取りたがる。私がうどんをフォークで突き刺して息子のところに運んであげるのだが、息子はそれを素直には食べてくれない。せっかくボークで突き刺したうどんを、手でわざわざもぎ取って、それを腕の中に戻し、改めてお椀の中のうどんを手で掴んで口に運んでいる。食べさしてもらうのが嫌いなのだ。そういう年頃になってきたのだ。

 おまけに大人用の箸を持ちたがる。子供用のスプーンやフォークを渡すのだが、それが気に入らないらしい。どうしても大人が持っているものと同じでないと気が済まないらしい。当然のことながら、大人用の箸など使える分もないから、うまく食べられない。したがって、最終的には手で食べてしまうことになる。要するにインド式のご飯の食べ方になってしまうのだ。

 話は変わるが、今日は大掃除をした。古い冷凍庫をリサイクルに出すべく、自動車の積み込みを行った。嫁さんと2人で、大きな冷凍庫を移動させたわけだが、息子も一生懸命手伝おうとする。正直言って邪魔で仕方ないのだが、夫婦2人が何かをやっていると、息子は必ず入り込みたがるのだ。お客さんが帰った後のベットメイクや部屋掃除も、必ず息子が加わってくる。まぁそれはいいのだが、困ったことに主導権を取りたがるのだ。しかしこればかりは主導権を渡すわけにはいかない。あと10年は待ってほしいが、その頃は興味を失っているのだろうなあ。

つづく。

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ラベル:主導権 育児
posted by マネージャー at 23:07| Comment(2) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月11日

親の背中

 今日は、私は家で留守番である。嫁さんが遠くに出かけてしまったからだ。オフシーズンになると、嫁さんはたびたび出かけるのだが、ひとりで留守番しているときは、たいていはカップラーメンか、コンビニ弁当だった。ところが、去年からはそういうわけにはいかなくなった。息子が生まれたからである。柄にもなく、息子のために料理を作って食べさせることになる。

 ところで嫁さんは、息子のためにパンを作っておいてくれた。息子に食べさせるためのパンである。だから、自家製のパンである。変な添加剤や、ショートニングや、マーガリンの入ってない、健康に良いパンを作って、台所に置いて、朝の7時ぐらいに出かけてしまった。

 息子が生まれるまでは、パンはパン屋さんから買っていた。しかし、赤ちゃんが生まれると、安全なものしか食べさせられないので、パンは自分で作るようになった。幸い最近のパン焼き器は、変なものを添加しなくても非常においしいパンをつくってくれる。特にパナソニックのやつは、その辺のパン屋さんのパンよりも美味しい。そのためかうちの息子も、パンが大好きになって、毎朝パンばかり食べている。だから、嫁さんは遠くに出かける時にも、息子のためにパンを焼いておいたのだろうと思う。

 しかし、せっかく焼いてくれたパンを私は使わなかった。私はどちらかというと、パンよりピザの方が大好きである。なので、ピザを焼いて息子と一緒に食べた。息子もピザは大好きである。ただ、焼きたてのピザはとても熱いので、小さく切り分けて、フーフーと息を吹きかけて、さましながら息子に食べさせた。息子は1歳8ヶ月である。このぐらいになると、何でも親の真似をするようになるので、彼もピザを食べるときはフーフーと息を吹きかけながら食べる。食べ方を真似して食べるのだ。次に、納豆を食べさせたが、食べさせる前に、納豆をよくかき混ぜて食べてみせると、息子も納豆を自分でかき混ぜた。やはり親のやることを真似する。

いちど息子の前で、カップラーメンを食べたこともあったが、それさえも真似されてしまった。紙コップとお箸を取り出して、盛んに紙コップの中にお箸を突いていた。そういえば最近、盛んにお箸を持ちたがる。もちろん使いこなすことなどできないのだが、お箸で空っぽの茶碗の中に盛んに突いて見せた。やはり親の真似をしている。

 見ていて面白いので、今度は食後に、食堂のテーブルの周りをゆっくり歩きはじめてみた。すると息子も私の後をゆっくり歩いてついてきた。やはり親の真似をする。どのぐらい真似をするのか、ちょっと興味が湧いてきたので、数字を数えながら、何度も何度もテーブルの周りを回ってみた。結果は、一緒に21周してしまった。

 こんなことが前にもあった気がした。
 デジャブを見た気がしたのだ。
 はて、それはいつだったのだろうか?
 しばらく考えてみたら、今から50年近く前の事であることに気がついた。

 私には、 3歳年下の弟がいたが、やはり弟も同じようなことをしていたのだ。兄である私の真似をしていたのだ。私が遊びに行くと、こっそりついてきた。怒って怒鳴って帰るように言っても、ずっとついてきて、いらぬことを真似していた。私の父も母も公務員で、昼間は家にいなかったので、真似する対象が、兄である私しかいなかったのだろう。しかし驚くべき事は、 50年前でも、たった今でも、小さな子供たちは、身近な存在を真似するということである。それはもう恐ろしいくらいに真似する。真似するなと言っても、真似をするのが子供というものだ。

 しかし、それは犬でも、野生動物でも似たようなものである。野生動物は親の真似をして性格を形成していく。犬なら飼い主の真似をして成長していく。真似をするというのは自然界の法則そのものであるかもしれない。

 ここでちょっと話を変える。

 息子は、生後10ヶ月頃から、小さなクマのぬいぐるみをやたらと可愛がるようになった。最初は、どうして可愛がるのか、さっぱりわからなかった。しかし愛犬コロと一緒に散歩するようになると、その理由はすぐにわかった。私が愛犬コロをなぜなぜしながら、可愛がっているのをみて、その真似を小さなクマのぬいぐるみで行っているのである。

 つまり親が動物を可愛がるという行為は、子供にそのまま伝わっていくことがわかったのだ。これは重要な発見だった。子供の前で、親が何をなすべきなのかが、よくわかった。犬でも猫でも何でもいい。それを可愛がってみせるということが、重要なのである。私が浅間牧場のヤギを可愛がると息子もヤギを可愛がる。うさぎにしても同じである。逆に虐待すれば、息子も虐待するようになるのだ。子供は親の鏡というが、まさにその通りだと思う。

 ある日。そのことを裏付ける面白い事件があった。いつものように、軽井沢の公園で息子と遊んでいた時に、偶然、猫が芝生に寝転んでいた。私は猫派ではないので、無視していたが、それは息子も同じであった。そこに猫好きの30歳位のお母さんがやってきて、猫をなでなでしていたら、その娘さんも猫に近づいてきて、やはり抱きついていた。うちの息子は無関心である。しかし、偶然そこに、犬が通りかかったら息子はスタスタと近づいていく。明らかに興味があるのである。ドックランの前を通ろうものなら、入ろうとして、駄々をこねる。これはうちの息子に限ったことではなく、犬友達のちびっ子たちにも同じような症状がみられるらしい。親の背中というのは、本当に重要である。ましてや自営業をやっている私の場合は、サラリーマン家庭以上に重要になってくることだろう。

つづく。

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posted by マネージャー at 23:50| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

ドラえもんと息子

 世の中には、ステレオタイプというものが横行している。例えば関西人は面白いというステレオタイプであるが、何人かの関西人の人をヘルパーに雇った結果、関西人全員が面白いとは限らないことがわかった。関西にも、ねぐらな人間や、口数の少ない人がいるのである。当然といえば当然である。しかし、どういうわけか、この当たり前のことが、私にはわかってなかった。関西人は、全員ギャグを言うのだとばかり思っていたが、実際はそういう事はなかった。関西人にだって、ギャグを言えない恥ずかしがり屋さんは少なからずいたのである。

 関西の話題が出たところで、京都人に対するステレオタイプに誤解していた事をここで白状しよう。そもそも私は、京都に恨みも何もない。だいたい京都と、あまり接点がない。だから京都の事はよく知らないのだ。しかし、いろんな人から京都の人間に対してある種のステレオタイプを聞かされていて、 1種の偏見を持っていた。その偏見というのは、ご想像の通り、京都人に対する悪口である。京都の人間は、裏表があるとか、影で悪口を言われてしまうとか、他人を寄せ付けないとか、よそ者排除するとかである。

 実際のところは、わからない。それらは本当なのかもしれないし、嘘なのかもしれない。ある地域の人にとっては、真実なのであろう。また、そういう体験をした人も多かったのかもしれない。火のない所には煙が立たないともいう。

 しかしである。こと私の15年にわたる宿屋の経験を語る限りにおいては、全くそういう事は無い。京都の人たちは、礼儀正しく、気遣いがあり、良い人達ばかりだった。 15年間宿をやっていて、京都の人に対して、悪いイメージを持ったことがない。少なくとも私の体験は、京都に対するステレオタイプには当てはまらない。むしろ良い印象ばかりが残っている。温厚で、大人びていて、礼儀正しく、物腰が柔らかい人たちばかりであった。

 そう言って、他のお客さんに、私が京都に対する印象を語ると、それは騙されてるんですよと言われてしまう。私は笑ってしまう。騙されるも何も、私を騙して何の得があるというのだろうか? たとえ裏表があったにしても、それが私に伝わらなければ、騙したことにはならない。いや、温厚で、大人びていて、礼儀正しく、物腰が柔らかいことが騙していることになるとしたら、サービス業の人々は、みんなお客さんを騙していることになる。そんな訳はない。相手に不愉快を与えないのは、社会の常識だ。多分京都の人たちは、変なステレオタイプの印象に誤解されているのではないだろうか? 

 思えば、 15年間宿屋をやっていくうちに、いろいろなステレオタイプのうわさが、根拠のない間違いが多いことに気がついた。大半が都市伝説であったと思う。しかし、すべてが間違いというわけでもなかった。中にはステレオタイプの人たちもいるが、まぁそれは、人それぞれということだろう。

 さて、ここから本題に入ろうと思う。
 典型的なテレオタイプの話である。
 ドラえもんのことに触れたい。

 アニメのドラえもんは、究極のステレオタイプの人間関係を私たちに見せてくれている。人間のパターンを、何種類かに分けて見せてくれたのだ。それは、ジャイアン、スネ夫、静香ちゃん、のび太。この4つのパターンは、究極のステレオタイプである。まず乱暴者といえば、すぐにジャイアンを思い出す。それにとりいって弱い者いじめをする奴といえば、すぐにスネ夫を思い出す。あと優しい女の子といえば、静香ちゃんを思い出す。

 ところで、息子が1歳8ヶ月となり、児童館のイベントなどに参加するようになった。イベントには、大勢の1歳児が来ていた。何回かイベントに参加している1歳児たちは、慣れたもので、保母さんの紙芝居や、工作にどんどん加わっていく。うちの息子は、私たちの仕事の関係上、こういうイベントにあまり参加できなかったので、他のお子さんたちに比べて、いつもワンテンポ遅れてしまう。要するに、競争に負けてしまうのだ。

 それでも、部屋の隅に転がっている小さなおもちゃを見つけて、それで遊び出すと、ジャイアンみたいな他の1歳児がやってきて、取り上げてしまったりする。うちの息子は、呆然と見ているだけである。ジャイアンは、息子をこずいたりもしている。それに対しても息子は呆然とするだけである。何がなんだか、何が起きたのか分からないという感じである。要するに、のび太になっているのだ。

 これは仕方がないことだ。うちの息子が、こういうイベントに参加する機会を持ってないので、どうしようもないのだ。息子が、少しずつ人間に慣れていくことによって、自分で対処法を見つけるしかない。でないと、本当にのび太になってしまう。

 そもそものび太は、なぜのび太になってしまったかと言うと、ドラえもんがいたからである。ドラえもんがのび太を作っているのだ。ドラえもんが助けるから、のび太はどんどんドラえもんに依存していき、ダメ人間となっていくのだ。怖いのはここだ。親の私たちは、知らず知らずのうちにドラえもんになることがある。つまり余計な手助けしてしまうかもしれない。だが、それではダメなのだ。漫画のドラえもんを読んで育った親たちは、それをみんな知っている。だから誰も手助けをしない。

 ドラえもんに書かれてある事は、ステレオタイプの登場人物が、お約束のストーリーを展開させて、そしてのび太はどんどんのび太になっていく。つまりダメ人間になっていくという話だ。それはもう陳腐なストーリーばかりだが、それを知っているだけで、親として何をなすべきかが、頭の中に刷り込まれているから不思議である。

 結局、嫁さんと話しあった結果、月に1回か2回、 3時間くらい保育所あたりに預けてみることにすることにした。息子は、マイナス10度の雪山にも上るし、犬と一緒に浅間牧場を駆け回るし、牛やヤギとも遊ぶし、自然環境の中では無敵なのだが、人間とのお付き合いが、まだ上手では無い。別に今のままでも構わないのだが、少しだけ人間社会に入れてみることにしてみようと思う。

つづく。

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2014年11月22日

フィンガー5を踊る息子

 息子が、もうすぐ1歳8ヶ月になる。最近は、毎日のように息子を連れて軽井沢オモチャ王国に遊びに行っているが、足取りもしっかりしてきたし、他所のお子さんともからむようになってきた。私は、そんな息子を遠目に、パビリオンにあるマッサージ器を使って腰をマッサージしている。実は、腰を痛めたのだが、これが中々直らないのだ。理由は分かっている。息子を抱き上げる時に、腰を使ってしまうからだ。なので、最近は、ダンベル練習のように腕力だけで抱き上げるようにしていた。しかし、これが良くなかった。腰だけでなく肘も痛めてしまった。しかたがないので、息子の世話は嫁さんにまかせることになった。

 しかしである。そうはいっても、それを許さない状況もある。1歳8ヶ月にもなると、息子は親に甘え始めるからだ。何時間か私が息子に顔をみせないでいたら、息子は私を探し出す。そして私を見つけると、ダダーッと走ってきて抱きついてくる。そしてダッコを迫るのだ。母親には、それをしないのに、私には要求する。どうしてだろう?と不思議に思っていたが、よくよく考えてみたら、息子は重いので、嫁さんはダッコなどの力仕事は全て私にふっていた。そのために私は、腰を痛め、肘を痛めたのだが、もう限界である。

 ちなみに私は、息子を厳しく躾けている。日に、何度も叱りつけているが、そのたびに息子は泣きながらダッコまたはハグを要求してくる。そのつどハグしながら言い聞かせているのだが、理解力は素晴らしいので、少しづつ世間を知りつつある。ただし、その代償も大きかった。コップを割ったり、急須を割ったり、お金を破いたり、灯油をぶちまけたりした。

 もちろん、そういう事故を防ぐことは簡単だ。息子と一緒に仕事をしなければよい。仕事中にベビーサークルに入れて隔離すればよいのだが、そういう選択が、愛犬家の私にはない。そんなことをすれば犬だったら引きこもりになる。他の野生動物にしても同じである。ある時期に社会に出してやらないと、適応できなくなる。

 だからそれを知っている人間は、わざと1歳8ヶ月の赤ちゃんの前で、ストーブに灯油を入れてみせる。もちろん息子も真似をしたがるので、電動灯油ポンプのスイッチを押したがる。
「ダメだよ」
と何度も注意するが、押したがる。で、ほんの三秒くらい場所を離れていると、電動灯油ポンプのスイッチを押して、息子は灯油まみれになり、あたりは灯油の海となり、息子は泣きながら私のところに逃げてきた。

 もちろん大声で息子は叱りつける。すると例のごとく、泣きながらダッコまたはハグを要求してくるのだが、それをはねのけて、叱りつけた。それがショックだったようで、しばらくは部屋の片隅で落ち込んでいた。自分が悪いことをしたことは理解できたようで、それから二度と電動灯油ポンプのスイッチはいじらなくなった。

 ただし、その作業は、ジーッとみている。
 たぶん、真似したくてたまらないのであろう。
 近い将来、息子に、この作業を教えることになると思う。

 今、息子にやらせている仕事は、ルンバのスイッチを押させる仕事である。
 あと忘れ物を集めさせる作業である。
 これは喜んでやる。

 そのために軽井沢オモチャ王国に連れていくと、散らかっているオモチャの整理整頓を始める。親の仕事を自分なりに真似していると思われる。子供という生き物は、恐ろしいくらいに親の真似をする。最近は、教育テレビの体操も真似しだした。YouTubeの動画サイトの踊りをみせると、それも真似する。特にフィンガー5はお気に入りで、歌いながら踊り出す。



 かなり難しい踊りなのに、自分なりに真似している。



 親が使っている箸も使いたがるようになった。
 私が読んでいる本も読む真似をして読むようになった。
 ペットボトルをラッパ飲みする仕草も真似した上に
「あー」
という私の飲み終えた後の声まで真似する。

 丸いものをみつけると、自動車のハンドルにみたてて回してみせるし、車の運転席に座らせると、あちこちのスイッチをおしつつハンドルを回す。リモコンをみつけると、子機で電話している親の真似をして、さかんに誰かと会話している。

 酷いのになると厨房のガスのスイッチを入れてみたりする。何でもかんでも真似するのだ。それだけに恐ろしい。油断したら火事になりかねないからだ。だから厨房には絶対に入れないし、入ってきたら遠慮無く叱りつけることにしている。だから息子は絶対に厨房には入らない。そこが禁断の地であることは理解しているようだ。

 そういう理解力だけは素晴らしいのだが、まだ1歳8ヶ月なので「厨房から出てきて」とばかりに訴えてくる。仕方が無いので、1分だけ出て行ってハグしてあげなければいけない。時々、めんどくさい気分にもなるのだが、それでも子供の笑顔に癒されるので楽しんでいる。

つづく。

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2014年11月11日

ミカンとススキ

 今年の秋は、暖かい。
 そのせいか今年の信州産のフルーツの糖度が高い。
 甘いのだ。
 特に軽井沢JAの売り場のフルーツが美味しい。
 なので、毎日のように梨や林檎を買ってきて食べている。
 で、気がついたことがあった。
 家族で、好きなフルーツが違うことが。

 私が好きな果物は、桃・梨・渋柿であるが、嫁さんは、マンゴー・林檎・ブドウを好む。一歳7ヶ月の息子は、ミカンが大好物である。1日に5個くらいのミカンはぺろりと食べてしまう。私もミカンは嫌いでは無い。理由は、皮をむく手間が少ないからだ。もちろん桃は大好物ではあるが、皮をむくのが面倒なので、あまり買って食べない。嫁さんも嫌いでは無いとは思うが、値段が高いので買ってこない。結局、安くて食べやすいミカンを家族でほおばることになる。

 だから毎日のようにミカンを持って息子を背負って浅間牧場を散歩している。浅間牧場には、見渡す限りのススキの草原があるところがある。そこに到着すると、息子を下ろす。息子は、大喜びでススキの原っぱを走った。ススキは、太陽光線を反射して、キラキラと光る。それを息子は不思議そうに眺めるのである。

 私は、ススキの1本を折って息子に渡した。
 息子は、キャッキャとススキを太陽にかざした。
 日光を反射するススキを不思議そうにながめている。
 そして動かない。

 仕方が無いので、ミカンをむいてさしだす。
 すると、ミカンにつられて息子は私のところに駆け寄ってくる。
 私は、ミカンで息子を釣るように、ゆっくりと浅間牧場を移動している。
 そうしないと息子は、いつまでもススキの草原を動いてくれないのだ。
 よほどススキが好きらしい。



 こんな散歩を毎日していた。
 今月は、晴天続きだったので、
 いつもススキの原は、海のように光を反射していた。

 そして今日も、ポケットにミカンを5個ばかりいれ、息子を背負って浅間牧場を一周した。
 しかし、ススキの草原に到着すると、大きなトラクターが動いていた。
 トラクターは、ススキを根こそぎ刈り込んでいた。
 息子は、驚いて凍り付いていた。
 トラクターをじっと見つめていて動かなかった。

 私は、いつものようにススキを1本折って息子に渡した。
 息子は、それを受け取って、5分ばかり、じーっと見つめ、ススキを放り投げた。

 デジャブーを見た気がした。

 北軽井沢も軽井沢も、ある日突然、何万坪もの木が切られている。そして、太陽光発電ができつつある。そんな光景が、過去にあったことを思い出した。今、軽井沢には莫大な薪が山積みで売られている。例年にない多さである。

 話がそれた。
 ススキのことである。
 息子は、なぎ倒されたススキと
 自分が放り投げていたススキをみつめていた。
 そして動かなくなっていた。

 しかし、ぼーっとしてはいられない。
 トラクターは、刻一刻と、こちらに近づいてくる。
 私は、ポケットからミカンをとりだして、息子に渡した。
 息子は、やっと笑顔になった。
 すかさず抱き上げて、その場を立ち去った。
 息子は、その一時間後に、嫁さんの実家に向かって旅立っていった。
 別れ際に、息子は悲しそうな顔をしていた。

 しかし嫁さんの実家、館林(大湿地帯)には、ススキがたくさんあるのだ。


つづく。

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2014年11月06日

1歳7ヶ月

 息子が1歳7ヶ月になった。
 2歳まで、あと5ヶ月を切った。

 一般的に言って、赤ちゃんにとって2歳までの育児が、その後の人生に決定的に影響すると言われている。その2歳まで秒読み段階に入ったのである。赤ちゃんの骨の数は成人よりも多いことは有名である。だから2歳までは、転んでもあまり怪我をしない。奇跡の回復力をみせる。しかし、2歳以降は、そうはいかない。身体が完成するにしたがって怪我をしやすくなる。と同時に自我も芽生えてくる。

 今日、その兆候を体験した。
 昨日までの息子と、違う息子になったのを発見した。

 昨日までは、息子はミルクを飲み終えると哺乳瓶を放り投げた。中身が無くなったら放り投げていたのだ。ところが、今日、息子は驚くべき行動をおこした。ミルクを飲み終えた後、すくっと立ち上がって、スタスタと哺乳瓶を私のところにまで持ってきて、「はい」と私の手に空の哺乳瓶を握らせたのである。

 驚いた。
 と同時に、1歳7ヶ月の赤ちゃんの学習能力に感心した。

 私は、ミルクを飲ませるときに必ず、「はい!」と空になりつつある哺乳瓶をもらう仕草をしていた。もちろん放り投げられることもあるし、大人しく渡されることもある。今日は、たまたま息子に対して何もせずいた。すると、その行為に不満があったのかどうかはしらないが、すくっと立ち上がって、私の所に歩いてきて、
「ほら受け取れよ」
と言わんばかりに、私の手をとって「はい」と、空の哺乳瓶を握らせたのである。

 おそらく息子は、自分と他人の違いを認識しはじめたと思われる。
 大人への階段に近づいた。
 前兆はあった。
 最近、よく言葉を話すようになっていた。
 歩くたびに「1、2、3、4・・・・」と数字を数えはじめていた。

 これは私がお風呂で教えた言葉である。
 他にもいろんな言葉を教えたが、数字を一番はやく覚えた。
 ある意味、想定内のことだったが、やはり驚いた。

 もし、数字をお風呂で教えてなかったら、この結果は無かったと言える。一般的に言って赤ちゃんは、話し言葉を耳で覚えるのでは無く、目で覚えると言われている。目で、口の動きを確認し、それを真似して、言葉を発すると言われている。だから手話の出来る聴覚障害者の親から生まれた子供は、普通の子供より早く言葉を覚えることが知られている。これについては、以前にも書いた。

 狭い御風呂だと、親子の顔の距離がちかいうえに、他に目移りするものがないために、親の口の動きしか見えない。つまり私が、御風呂で数字を教える場合、息子は私の口の動き真似しやすい環境があったわけである。だから息子が最初に覚えた言葉が数字だったのは、ある意味当然ともいえる。だから「想定内」と書いたが、いくら想定内であっても驚いたことは確かだ。

 こうなると、大人の赤ちゃん言葉を否定していた私は間違っていたことになる。あれは意味があったのだ。大人の赤ちゃん言葉は、大人の口の動きを赤ちゃんが真似しやすいからだ。現に、息子が次に覚えた言葉は大勢の大人たちがしてみせた
「いないいないばあ」
だった。あれも顔を近づけて口の動きを見せるために真似しやすい。

 もし、神様が私に二人目の赤ちゃんを授けてくれるなら、次は、数字出来なく別の言葉を御風呂で教えて、さらに裏付け手みたい気がする。が、そう上手く赤ちゃんが授かることはないだろう。

 まあ、そんなことは、どうでもいいとして、1歳7ヶ月ともなると心が、かなり発達してきている。といっても他人と比べると成長は遅い。何度もおもちゃ王国に行って同じ1歳7ヶ月のお子さんと会わせているが、うちの息子の成長は遅れ気味である。これは、決して悪いことではないので心配は何もしてない。

 しかし、どうして、このような個人差がでるのか興味があったので、成長の早いお子さんの御両親を観察してみた。で、面白いことが分かった。御両親がスマホをいじっているケースが多いのだ。子供を放置しているのだ。で、聞いてみたら、児童館や公園などに連れて行って、多くの子供たちと一緒に遊ばせているらしい。つまり、こういう場所に連れて行くことに慣れているのだ。だからスマホをいじっている。

 逆に言うと、そういう家庭のお子さんは、はやくから社会を体験しているともいえる。同じ年頃の子供たちを目で見て、真似ることを日常的にしているのだ。だから成長が早いのかもしれない。これは、私が御風呂で数字を教えたのと一緒である。

 赤ちゃんは、話し言葉を耳で覚えない。口の動きを真似ることで、言葉を覚える。赤ちゃんは、真似の天才であるから、真似るべき手本がそばにないと、真似しようがないのだ。大人の動きは、赤ちゃんが真似するにはハードルが高すぎる。だから小さな子供たちが手本として最適なのだろう。

 ここで話しをもどす。

 息子の成長のことである。息子は、最近になってやっと言葉を少しづつ話すようになってきたのであるが、実は、もっと早くから言語は理解していた。生後8ヶ月くらいから、いろんな言葉を理解していた。ただ、それを話し言葉にできないでいた。厳密に言うと、生後4ヶ月くらいに一時的に話し言葉を正確に真似できていたけれど、8ヶ月くらいから、その能力は退化していった。代わりに、いろんな意味不明な音声をあげて楽しんでいた。

 今思えば、あれをどうして録音しておかなかったかと悔やまれてしかたがない。きちんと録音していたら「赤ちゃん語」を解明できていたかもしれない。よく言われていることに、不快で泣く赤ちゃんは「あああーーー」と泣き、腹が空いて泣く場合は「えええーーー」と泣くと言われるが、実は、もっといろんな泣き声があったことを思い出したのだ。それを感覚的に私は処理してしまっていたが、今思えばもったいないことをしてしまった。きちんとデーターをとって、法則化して、嫁さんに教えていれば、嫁さんの負担は、もっと減っていたかもしれない。

 しかし、世には、そのあたりの法則を研究している学者たちが大勢居るはずだから、私が知らないだけで、どこかの本に、それが書かれてあるのかもしれない。


つづく。

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2014年10月22日

軽井沢住民のスケール

 嬬恋村でペンションやレストランをやっているオーナーさんの中には、小諸や軽井沢に住んでいる人がいる。理由は、子供の教育のためである。嬬恋村は、受験勉強するには、よい教育環境ではないらしい。レベルの高い進学高校が近くに無いのだ。だから遠くの高校に受験しに行き、高校は渋川や前橋にして下宿させる人が多いらしい。て、
「佐藤さんも、いずれはそうする事になるよ」
と言ってきたから
「まさか?」
と笑ってしまった。

「嬬恋村に、嬬恋高校があるのに、なんで渋川や前橋の高校に通わせなきゃならないのよ。全くアホらしい」

 すると、熱心な教育家たちは、哀れそうな目で私をみつめるのである。
 それにしても、教育熱心な方は、どこにでもいるのに感心した。
 よく、こんな田舎の嬬恋村にもいるものだと。

 誤解をされては、かなわないので、最初に言っておくが、息子が生まれると同時に数百万の学資保険にはいっている。その他に、毎月、4万円の積立もおこなっている。医学部以外なら、どの大学にも入れるように準備しているし、仮にもう一人息子が生まれても何の問題も無い。5人くらいまでは、息子を大学にやれる準備はある。だからケチで言ってるわけではない。

 と、書くと私が金持ちのように思われるかもしれないが、そうではない。タネをあかすと「なあーんだ」と思われるが、児童手当をそのまま学資保険にあてがうと、300万くらいは簡単にできてしまうのだ。具体的に言うと、子供が生まれると児童手当が、毎月1万5000円でる。年間18万円である。これを15年間貯めると270万である。もちろん児童手当は、三歳以降から1万円に減額されるから、実際はもっと少ない。その分の5000円を親が負担すれば、15年で270万。一番利率の悪い学資保険でも300万円になる。利率の良い学資保険なら270万の支払いで330万になるのもある。だから親の懐は、みんなが考えるよりは痛まない。

 それに子供が生まれると出産祝いをもらった。それらも使わずに学資保険にした。出産祝いは子供が受け取ったということにして、手をつけなかった。どこの家庭でもそうしているということを聞いたので、うちも全額を子供の学資にした。なので次に双子が生まれても余裕で学資は用意できる。だからケチで
「なんで渋川や前橋の高校に通わせなきゃならないのよ」
と言ってるわけではない。本気でアホらしいと思っているのだ。前橋に下宿するくらいなら北海道や鹿児島でも大してかわらんとも思っている。その方が、こっちが遊びに行けるから楽しいかなあとも思ってみたりする。だいたい、そこまでして受験勉強が必要なのか?とも思っている。もちろん本人がやりたいなら止めはしない。どうぞ、どうぞだ。

 話しが大幅にそれたが、本題に入る。

 軽井沢は観光の町である。代々、店や宿を経営しているところが多い。そういう親御さんの教育方針は、「勉強はそこそこでいい」らしい。と、これだけ聞くと「うちも同じです」という御家族もいるかもしれない。しかし、軽井沢はスケールが違うらしい。

 まず、冬になると、ハワイなんかに家族で1ヶ月滞在するらしい。
「あれ? 学校は?」
と素朴な疑問をもったら、当然のことながら休むらしい。
「勉強は遅れないんですか?」
と聞いたら
「遅れる」
とのこと。

 しかし御両親は「勉強はそこそこでいい」らしいので、長期で学校を休ませることなど気にしないみたいなのだ。

 いやー軽井沢はスケールが違う。
 さすが商売人の家は、やることが違う。
 学校の先生も真っ青だ。
 明治時代の庶民ような感覚だ。

 だから軽井沢在住の人も、サラリーマンの家庭は、軽井沢高校には行かせないで、小諸とか佐久あたりの進学高校に電車で通っている。軽井沢高校に行く人たちは、夏は家の手伝いをさせられる商人の子弟たちが多いと聞いた。

 私も息子に対しては「勉強はそこそこでいい」という気分だが、そこまでは徹底できない。いや「大丈夫かよ」と問い詰めてみたい。いずれ家業を継ぐにしても、今は学校に行って、経済や簿記やマーケッティングを学ばなければ、駄目なのではないか?と他人事ながらハラハラする。

 しかし、そういう考えも余計なお世話なのかもしれない。彼らは、机上の学問よりも、海外に長期滞在することによって、体験的に独自のマーケッティングを学んでいるかもしれないし、帝王学というものは、元来そういうものかもしれない。普通の学生生活をおくっていたら、突飛な発想もでてこないだろうし、ビジネスの嗅覚も発達しないだろう。

 ちなみにペンションオーナーの息子さんたちだが、不思議なことに、みんな頭が良い。誰も彼もがスーパー進学校に通っている。夏は宿の手伝いをして勉強するどころではないのに頭が良い。うちから一番近いペンションの息子さんも、そうである。将来の夢はペンションの跡継ぎと言っているのに超有名私立高校にトップで合格してしまった。「勉強はそこそこでいい」という環境なのに、どうしてそうなってしまうのか、ちょっと不思議である。でも、まあ、あとを継ぐんだろうなあ。東大を卒業したとしても。

 しかし、うちの息子には、そういうのは望まない。というか、超高齢出産なので、生まれてくれただけで儲けものみたいなものだから、正直言って、勉強とか運動とか跡継ぎとか、どうでもいい。健康でいてくれて、時々、親と仲良く遊んでくれたらそれでいい。ふつーが一番だわ。



つづく。

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2014年10月21日

6人兄妹

 先日、一家8人の御客様が泊まりに来られた。
 この中に、祖父母はいない。
 お父さん・お母さん・子供6人の計8人である。
 しかも3人添い寝にしたいという。

(実は、うちの宿は、幼児の添い寝は1名まで無料なのだ。それを3名にしたいと言ってきた)

「部屋が狭くなりますよ」

と言ったが、御客様のほうで、それでかまわないというので、オーケーした。

 昔なら消防法の関係で定員以上を泊めるの断っていたケースだが、最近は、添い寝に寛大になっている。自分が子育てしてみて、御家族の気持ちがわかったからだ。子育てで頑張ってるひとを見ると、どうしても手助けしたくなってくるというのもある。しかも6人を生んで育てているということを思うと、それだけで尊敬してしまう。なんとか力になりたいと思うので、食事面などで、できるだけの配慮をした。

 で、御客様に話しを聞いた驚いた。
 祖父母と同居で無いというのだ。
 つまり夫婦2人で6人を育てているのである。
 しかもお母さんが外で働いている。
 頭が下がった。

 しかし、それ以上に驚いたことは、6人とも、みんなよい子であるということだった。御家族をつれて星空観察にいったときも、みんな真剣に私の話しをきく。お兄ちゃんは、小さい子の面倒をよくみていた。私は、何度も子育ての秘訣を聞こうとチャンスをうかがっていたが、途中で、その必要がなくなった。聞かなくても分かってしまった。

 6人も子供がいたら、いちいち教育なんかしてられない。親の背中が教育なのだ。で、お父さんと、お母さんの背中が、子供の教育なのである。というのも、みんな、お父さん・お母さんによく似ていたからだ。星の解説をするとき、御両親が真剣にきいてくれた。その真剣さが、子供さんの真剣さとそっくりなのだ。そして一事が万事なのだ。

 これは兄弟間にも見られるらしい。御長男が宿題やっていると、あとの弟妹たちもみんな真似して勉強するらしい。子供は大人のまねもするが、兄姉のまねもする。これは一つの真理でもある。だから、これについては私も体験上知っていた。

 知らなかったことは、兄弟喧嘩についてである。私は3人兄弟であるので、兄弟喧嘩については多少知っているつもりだった。しかし、3人と6人は世界がちがっていた。6人兄妹の兄妹喧嘩は、私の想像をこえた世界だった。

 たとえば、小さい子供さんどうしの喧嘩は、大きい子供さんは無関心らしい。ところが長男と次男の喧嘩になると、大きい子供さんたちは、小さい子供たちを味方につけ多数になった方が勝つらしい。つまり全員を巻き込んで世界大戦になる。

 で、2人だけ年子の兄弟がいて年が近いこともあって、特別仲が良いらしく、年子の一人を味方につけると、自動的に二人が味方になるらしい。年子の兄弟の争奪戦が勝敗を決めるということだった。三国志じゃないけれど、すごいなあ・・・と思ってしまった。一般的にいって年子の兄弟は、小さいうちは仲が悪いと言われているが、6人兄弟の中では違うらしい。そのへんが面白いところでもある。何人兄弟かによって、微妙ににパワーバランスが違うのかもしれない。

 それにしても6人も兄妹がいるというのはうらやましいかぎりである。「大変でしょう?」と聞いたが、思ったほど大変ではないらしい。むしろ大変だったのは最初の一人の時で、今は、兄姉が下の子をみるので、むしろ楽なのだそうだ。一人だけを公園に連れて行くときは、最初から最後まで目が離せなかったが、兄妹が多くなると、子供たちにまかせてボーッとしてられるので、むしろ楽なのだそうである。事実は小説よりも奇なりというが、そういう事もあるのかもしれない。

つづく。

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posted by マネージャー at 20:44| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月16日

きみたかあーなかれ

 昔、一億総白痴化という言葉がはやった。
 大宅壮一が
「テレビばかり見ていると、人間が白痴になってしまう」
といったのだ。

 その意見に、私は半分だけ賛成する。
 だから私は、ほとんどテレビを見ない。

 ただし、私がテレビを見ないのは、大宅壮一が正しいと思って見ないのでは無い。逆である。大宅壮一と真逆の意味でテレビを見ないのだ。大宅壮一が、一億総白痴化を言い出した原因は、テレビを低俗なものと決めつけたからである。よーするに馬鹿馬鹿しい内容のバラエティ批判から始まっているのだ。あまりにも低俗であると。

 しかし、私は、低俗なバラエティを支持する。低俗と批判されるバラエティが、ストレス解消になり、人間の健康によいとされるからだ。同じ理由でドラマも支持する。感動的なドラマによって流される涙には、長寿の効果があることは医学的に証明されている。だからテレビは素晴らしいとも言える。

 では、なぜ大宅壮一の一億総白痴化に半分だけ賛成しているかというと、テレビは、ニュース番組・ワイドショーの偏向報道によって世論を操作する危険性があるからだ。松本サリン事件をみれば、よくわかると思う。テレビの先走った報道によって、一億総白痴化がおきて、無実の人をバッシングしてしまっている。こういうことは、昔からよくあった。だから私は、テレビを見ないし新聞もよまない。

 しかし、バラエティは大好きだし、ドラマもアニメもよく見る。といってもリアルタイムで見ることは無い。全て録画して後日見る。そのためにBlu-rayデッキを5台用意している。なんでも録画する。スカイパーフェクトテレビに加入しているので1日に60時間録画することもある。ドラマの場合には面白いモノは、最終回までみるし、つまらないものは、2回くらいで切っちゃう。もちろんコマーシャルは全部飛ばす。これは貴重な作品だと思ったらハードデスクに永久保存する。なのでドキュメンタリーだけで五千タイトルくらいもっている。ドラマも合わせれば、もっとすごいことになる。

 前置きは、ここまでとして本題にはいる。

 1歳6ヶ月になる息子が、最近、おかしな言葉を口走るようになってきた。意味が分からない言葉である。こういう事はかってなかった。どんな赤ちゃん語でも、ある程度は理解できたのだ。しかし、最近の息子の言葉ときたら全く理解できない。

 といってもデタラメを話しているわけではなさそうだ。意味のある言葉をしゃべっているらしい。何故ならば、同じ単語を繰り返しているからである。ただし、その単語は、すごく長い単語なのである。ある日、こんな事を言っていたことがあった。

「きみたかあーなかれ」
「きみたかあーなかれ」
「きみたかあーなかれ」

 全く意味が分からない。いつも、この調子なのであるが、その日だけは、思い当たることがあった。この「きみたかあーなかれ」を話す直前まで、テレビを見ていたのだった。「もしや」と思って、息子が見ていたテレビ番組を巻き戻して、最初からみてみた。

 前置きでも書いたが、私は全てのチャンネルの主な番組を録画している。息子の見る番組も全て録画してあるのだ。だから息子が、どんな番組のどの部分に影響されたか、番組を再生して調べることができる。で、調べてみて驚いた。息子が好んでみていた番組は、NHK教育テレビの『にほんごであそぼ』という番組で、日本語の名文句を述べながら次々と画像が変わっていく番組だった。そして、その日のテーマは、与謝野晶子の

「君死にたまふことなかれ」

だった。与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」を延々と述べる番組で、意味を解説するわけでもないし、文学論を述べるわけでも無い。ただひたすらに「君死にたまふことなかれ」という日本語で、遊んでいるだけである。つまり、番組タイトルの『にほんごであそぼ』そのものであった。



それをジッと見ていた息子が、「君死にたまふことなかれ」をきちんと発音できなくて「きみたかあーなかれ」と話していたらしいことに気が付いた。

 ちなみにNHK教育テレビでは、午前中に3時間程度の幼児番組を放送している。息子は、それら全てを見るのが日課になっているのだが、どんな番組に、どんな影響を受けるか興味が湧いたので、1日中、観察してみた。幼児番組は、朝6時45分の「にほんごであそぼ」から始まって、9時半まで3時間近く14番組もある。並べてみると

にほんごであそぼ
キッチン戦隊クックルン
シャキーン!
アニメ はなかっぱ
デザインあ
ピタゴラスイッチミニ
フックブックロー
みいつけた!
おかあさんといっしょ
パッコロリン
いないいないばあっ!
えいごであそぼ
てれび絵本
銀河銭湯パンタくん
考えるカラス

となるが、NHK教育テレビは、幼児番組の宝庫であることに気づいた。で、全ての番組が素晴らしい作品の質をたもっている。特に、

にほんごであそぼ
デザインあ
ピタゴラスイッチミニ
フックブックロー
みいつけた!
てれび絵本
考えるカラス


は、大人が見ても充分に面白いし、内容もかなり高度である。そして1歳6ヶ月の息子を番組の虜にしてしまう何かがある。息子は、体操もするし歌も一緒に歌うくらいだから、NHK教育テレビが子供に与える影響ははかりしれない。現に、うちの息子は、一日中、「君死にたまふことなかれ」を叫んでいたのである。

 それにしても「君死にたまふことなかれ」は、どうにかならないか? どうせ日本語で遊ぶなら、百人一首か、論語にしてはどうだろうか? 四文字熟語で遊べないものか? 格言で遊べないものか? 挨拶で遊べないものか? 敬語で遊べないものか? NHK教育テレビも、せっかく良い番組を作っているのだから、宮沢賢治や与謝野晶子だけでなく、もっと漢文・古文・熟語で遊べないものだろうか? 少し惜しい気がする。


つづく。

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2014年10月13日

毎日が睡眠不足

 ことしは、大雪や大型台風でさんざんですね。
 ただ、連休中はなんとか降らなかったので良かったです。

 ここのところ晴れが多かったので、愛犬コロの散歩をかねて息子と毎日、浅間牧場にいっていました。生後18ヶ月の息子も、少しづつ歩けるようになったのではありますか、去年の今頃は、どうだったのか?と思って昔の動画で確認してみたら、その頃は立ち上がることさえできなかったんですね。ある意味、子育ては楽だったような気がします。今は、歩く練習をしなければいけないので、毎日、牧場を散歩しなければならない。なので、今の方が手がかかるんです。

生後6ヶ月


 しかし、どうしてだろうか? 手がかかるのに、今の方が楽しい。なぜか考えてみたのですが、息子の知能が発達してきたので、野生動物の子育てとの比較が出来て、私の知的好奇心が満足されるという側面があるのに気が付きました。私がトシとりすぎているために、ある意味、冷めた目で息子を観察できるんでしょうね。

 で、今、昔、録画した大量の野生動物のドキュメンタリービデオを見入っています。全部で1200本くらいありますが、全てハードディスクに保存してあるので、検索が簡単。動物の子育てシーンと息子の動画を比較するのに夢中にんなってしまう。気が付くと、夜明けになってしまうんだな、これが。そのせいで、毎日が睡眠不足です。

1歳6ヶ月


 しかし、おかげで発見することも多かったです。
 その発見については、いずれおりをみて此処に書き込みたいとは思います。
 息子が出来ると、いままで不思議に思っていたことが、
 非常によくわかってくるから面白いですね。







つづく。

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2014年10月04日

二つの生物

 今年は紅葉が早い。
 北軽井沢は、もう紅葉がはじまってしまった。

 こうなると私も嫁さんも大忙しで、寝る間を惜しんで秋支度・冬支度をしなければならない。具体的に言うと、断熱材の設置とカメムシ対策である。

 この時期の高原のペンションやホテルに泊まる予定の人が、絶対に選んではいけないのが、白いペンション・白いホテルである。白は、虫をよせつける。もちろんカメムシをよせつける。その性質を利用して植物は白い花を咲かせて虫たちに受粉させている。つまり、白い建物は、「虫さんいらっしゃい」と大声で叫んでいるのと一緒なのだ。

 このくだりは、北軽井沢ブルーベリーYGHのハイキングツアーに参加したことのあるひとなら、耳にタコができる聞いているはずだ。白い色(黄色も)は虫を呼び寄せると。カメムシがやってくると。

 ただし、春も夏もそれほど白い建物にやってこない。やってくるのは秋からで、紅葉が終わると大量に民家に侵入してくる。つまり紅葉の直前までは、樹木の葉っぱなどにとりついているのだが、紅葉が終わって落ち葉が落ちると、すみかを失ったカメムシが、民家にもぐりこんでくるのだ。だから

「紅葉がはじまったみたい」
「やばい、すぐに秋支度・冬支度の準備だ!」

となる。

 実は、2000年に北軽井沢ブルーベリーYGHを買ったとき、壁はもっと白っぽい水色だった。その年の秋はカメムシの大群に襲われた。なので、壁を濃い群青色に塗り直し、窓のサッシに薬剤を塗って始末した。ゴキブリなんかでもそうなのだが、こういう昆虫は腹が一番弱い。カメムシの9割はサッシの隙間から進入してくるので、そこに薬剤を塗れば、9割は駆除できる。

 が、しかし、できるだけ薬剤を使いたくは無い。それが人情であるし、小さな息子が産まれたから余計にそう思う。なので最近は薬剤の代わりに木酢・竹酢を壁に噴霧することにしている。これだとあらゆる昆虫がよりつかなくなる。そして、トドメとして落ち葉焚きをする。うちには、落ち葉を燃やす焼却炉がある。これで宿の壁をいぶすとカメムシは、全くいなくなる。こうして北軽井沢ブルーベリーYGHは、カメムシのいない宿になるのである。

 おっと、長い前置きになってしまった。

 今年は紅葉が早い。
 北軽井沢は、もう紅葉がはじまってしまった。

 こうなると私も嫁さんも大忙しで、寝る間を惜しんで秋支度・冬支度をしなければならない。具体的に言うと、断熱材の設置とカメムシ対策である。この作業は、例年なら10月の連休後に行っているが、今年は、9月末に行う羽目になった。紅葉がはやいために、仕事が前倒しになるのである。

「それにしても何だろう? この目まぐるしい忙しさは?」

 忙しさの原因の一つに1歳6ヶ月の息子の相手と、愛犬コロの散歩もある。この2つの生物を毎日運動させなければならない。

 まず息子を背負って愛犬コロを引き連れ小浅間山に登る。息子に免疫力をつけさせるためである。息子は夏の間に巨大化してしまっているので、ザックやミルクなどの重さも加えると20キログラムもある。これを担いで山に登るのは、さすがにきつくなってきた。嫁さんは留守番である。紅葉シーズンのためか、毎日御客さんが絶えないので宿を空けるわけにはいかない。

IMG_0420.JPG

 下山後は、浅間牧場にいく。浅間牧場の芝生で息子を歩かせるためである。息子は大喜びで芝生を駆け回るが、1時間に30回くらい転んでいる。約2分に1回は転んでいる計算になる。当然のことながら血まみれになる。しかし全く動じない。

 それはいいのだが、困ってしまうのは愛犬コロ。息子が倒れるたびに駆け寄ってペロペロなめようとする。まあ母性からきていることだし、悪気はないのだろうが、迷惑なことである。それを止めさせるのに、こっちが慌ててしまう。

 ちなみに浅間牧場には、おおぜいの観光客がおとずれる。中高年のご婦人が、息子をみつけては可愛がってくれる。そして「そして可愛いですね」と言ってくれるのだが、その言葉を聞く度に私は、自分の幼児時代を思い出して複雑になる。そして我が息子の未来が見えてしまうのだ。

 一歳児までは、どんな赤ちゃんでも可愛がられる。けれど保育所や幼稚園に行ったらそういうわけにはいかない。可愛がられる順位というものを体験してしまう。たとえば重くて大きい幼児は、軽い幼児よりダッコしてもらえない。もちろん大人は「重いから」と理解できるが、幼児にはそこがわからない。小さい頃に巨体だった私が、まさにそうであった。息子も巨体なので同じ体験をするに違いない。

IMG_0410.JPG

 なので、せめて父親だけは、どんなに重くても軽々と持ち上げられる体力を今のうちからつけておかなければならない。しかし、残念なことに私は歳をとりすぎている。腰を痛める可能性があるのだ。『自分の腰を労らなければ』と思い、マッサージ器を衝動買いしてしまった。これが安い割に、じつによく働いてくれる。



 そこで御客さんにも使えるように出しておいた。まだ若い嫁さんは、おしゃれじゃ無いと渋い顔をしていた。しかしマッサージ器をみつけると嬉しそうに使っていた御客さんが多かったところをみると、やはりみんな腰や肩が疲れているようだ。嫁さんがいうように宿は、みてくれも大切なのだろうが、腰や肩を痛そうにしているのを黙ってみているのもなんだし・・・・。まあ、その、みんな、身体を労ってほしいものだ。


つづく。

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2014年10月01日

さすが牧羊犬

 子供が産まれて1年6ヶ月になった。

 1歳6ヶ月にもなると、かなり歩けるようになった。しかし先日、軽井沢の公園でママ友とばったり会ったら、娘さん(1歳6ヶ月)は、靴をはいて公園を颯爽と歩いていた。いつ幼稚園にいってもおかしくないような凛々しい姿をしていた。

 その娘さんは、うちの息子とほぼ同じ頃に産まれている。つまり同じ1歳6ヶ月なのである。うちの息子は、そこまでは歩けない。夏の忙しい時期にベビーサークルに入れっぱなしなので、そこまで体ができてない。おまけにブクブク肥っている。そのうえストローも使えないし、スプーンも使えない。

「これではまずい」

 と思った私は、嫁さんが1日出かけているときを狙って、息子と軽井沢の湯川公園で遊ぶことにした。湯川公園には、広い面積の芝生がある。転んでも怪我しないところなのだ。おまけに犬猫の立ち入り禁止なので衛生面でも安心できる。

 私は息子に生まれて初めて靴を履かせ、湯川公園の芝生に立たせた。最初の10分は、ベンチから離れなかった。ベンチに手をついたまま怖がって離れなかった。無理も無い、生まれて初めて公園の芝生に立っているのだ。完全にフリーズしてしまっている。仕方が無いので、私がベンチからどんどん離れていった。すると息子は私を追いかけてきた。ようやく歩き始めた。

 しかし、歩き始めると倒れそうになる。本人も倒れては拙いと思ってるようで、必死になって前に足を出す。しかし、また倒れそうになる。そのために必死になって足を前に出す。この繰り返しで、息子は走り出してしまった。走り続けないと倒れてしまうのだ。そして、ものすごい勢いで走るのである。

 倒れそうで倒れない。
 猛牛のように一直線に走り出す。
 親の私は、ハラハラしながらみていたが、
 一挙に30メートル走って倒れた。

 わが息子は、倒れたくらいでは泣かない。
 たんこぶができても血まみれになっても泣かない。
 飯が足りないと泣く。
 そういう性格なので、倒れた後は、自分ですくっと立ち上がって、また突進しだした。

「うむ、よくやるわい!」

と感心していると、どこぞの御家族が親子で弁当を広げているところに息子は突進していた。ものすごい速度で突進していた。あきらかに他所様のサンドイッチを狙っている。息子はサンドイッチが大好物なのだ。

「これはまずい!」

と突進する息子を抱きかかえ、方向を変えさせた。しかし、3メートルも歩いたかと思うと、また、どこぞの御家族のサンドイッチを狙って猛ダッシュをかけた。慌てて息子を押さえたが、あと2メートルというぎりぎりセーフだった。天気が良かったせいか、湯川公園の芝生には、あちこちに親子が弁当をたべていた。

 どこに息子を連れて行っても、息子は他所様のサンドイッチをめがけて猛ダッシュしていた。あきらかにレジャーシートの他所様の弁当にタッチダウンしようとしていた。それをすんでの所で私がタックルしてブロックしているのである。まるで親子ラクビーである。

 仕方が無いので、公園の隅っこに息子をつれていった。ここなら親子がレジャーシートを広げてない。大丈夫だろうと思ったが、甘かった。息子は猛ダッシュしていった。はて?と思いつつ、息子の後を追いかけたら息子の進行方向にカップルが居た。カップルが、なにやらモゾモゾやっている。そこに息子はロックオンした。そして猛ダッシュしている。

「やばい!」

 すんでのところで、私は息子にタックルした。
 カップルは驚いて私たちを睨んだ。
 バッタのように私は謝った。
 そして後ろをふりかえったときカップルの小声が聞こえてしまった。

「ジジイが、こんなところに孫連れてくるなよなあ」
「しーっ、聞こえるよ」

 この時、ジジイに見られて心底よかったと思った。不審者に見られなくてよかったと思った。それほど変な光景を皆さんに見せていることは、自分でも理解できていた。公園での私たち親子のラクビーもどきは、はてしなく怪しかったと思う。なんせ息子は、猛ダッシュで他人が座っているレジャーシートに突進し、カップルに突進するのだ。それを1時間くらいくりかえしたのだ。

「そうだ! 飯を食わせればいいのかもしれない」

と思った私は、スーパーに行ってジュースを買って飲ませた。

 ちなみに息子はストローが使えない。
 生まれてこの方、何度やっても飲まなかった。

 しかし、この時は、よほど喉が渇いていたらしく、
 生まれて初めてストローを使ってジュースを飲んだ。
 ゲホゲホ言いながら飲んだ。
 そしてサンドイッチを私の分までペロリと食べてしまった。

 その顔をよくみてみると、傷だらけになっていた。何度も倒れているので、とうぜんといえば当然かもしれない。夜、嫁さんが息子と対面したら驚いていた。息子は、見違えるように逞しくなっていたのだ。もちろん、その日は、死んだように眠っていた。

 この日から息子は、外に出ることを楽しみにするようになった。靴や靴下をはかせようとすると、外に出ることがわかるらしく、とても協力的になる。よい子になって何でも言うことをきく。今では、愛犬コロと一緒に散歩までしている。

 愛犬コロも息子を気遣って、5メートルごとに後ろをチラチラと見ながら、まるで盲導犬のように、ゆっくりと歩いてくれる。車が通ると、私と一緒に息子をブロックしてくれる。しかし、この愛犬コロだって、まだ2歳になってない。まだ大人ではないのだ。それなのに、非常にきくばりしてくれる。さすが牧羊犬である。雌のシエルティーを選んで本当に良かったと思った。

 いまでは、息子と愛犬コロは、大の仲良しである。散歩でないときは、ガラス越しにテラスで息子と愛犬コロは会話をかわしている。私は、息子の世話を愛犬コロにまかせて、その他の業務をコツコツと行っているのである。


つづく。

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2014年09月10日

息子の考えたゲーム

息子が1歳5ヶ月になった。
子供は、育てたようにしか育たない。
これが、歩けるようになって、ますますハッキリしてきた。

客室を掃除しつつ、館内をウロウロしていると
息子も一緒にウロウロし出す。
私がバタバタしているものだから
息子もバタバタしている。
そして親の後を追いかけている。

で、座ってタオルをたたんでいると、
息子も床に座って大人しくなる。
私が静かだと息子も静かである。

クイックルワイパーで床を拭いていると、
息子もリネン室から、クイックルワイパーをとりだして
一緒に掃除をはじめる。
もちろんワイパーに紙が付いてないので掃除なんかになってない。
はっきり言って邪魔なだけであるが、
癒やされるので、放置しつつみている。

そんな毎日が続いていると、嫁さんが不思議そうに言ってきた。

「ベビーサークルの外に、オモチャがたくさん捨ててあるのは何故だろう?」
「ああ、なるほどな」

 これも親の真似であることが、すぐに分かった。息子が何か危険なもの(鉛筆や口に入れそうなゴミ)をもっていると、私がすぐに取り上げて、ベビーサークルの外に放り投げているからである。それを真似して、自分もオモチャをベビーサークルの外に放り投げているのだ。

『息子の行為の全ては、親に原因がある』

と考えて息子の行動パターンを観察していくと、息子の行動の原因の9割以上は、解明可能である。解明できない1割は、テレビなどの影響であろう。

 ある日、息子が変な動きをしていたのだが、しばらく原因がわからなかった。スクワットを繰り返したり、倒れたりである。なんだろう?と不思議に思っていたら、NHK教育テレビの体操の真似であった。まだろくに歩けない1歳5ヶ月の子供がスクワットをするわけだから、テレビの影響も捨てた物では無い。なので、我が家では、はやくからNHK教育テレビの番組をかたっぱしから録画して、息子に見せている。

 子供が産まれるまでは、NHKには言いたいことがいっぱいあった。受信料は高すぎると思った。しかし、子供が産まれるとNHK教育テレビの素晴らしさがわかった。NHK総合テレビは、今でもいらないと思っているけれど、NHK教育テレビは、幼児番組に限って言えば、すばらしいの一言につきる。最強のベビーシッターである。

 まあ、そんなことは、どうでもいい。

 NHK教育テレビで、フラダンスの番組があった。見た目と違ってフラダンスというのは、すごいハードな踊りであり、プロレスラー顔負けの肉体改造が必要な、過激な踊りである。飛んだり跳ねたり動いたりで激しく肉体を酷使する。奇声もあげる。その番組をみた息子は、同じように奇声をあげつつ飛んだり跳ねたり動いたりする。

『テレビの影響も、そうとうなものだな』

と呆れてしまった。

 長い前置きになってしまったが、本題にはいる。
 夏休み中、いろんなお母さんたちから、

「どうして子供を放置して、宿業が出来るのか?」
「親が離れて子供は泣かないのか?」
「おんぶしながら、仕事しなくてよいのか?」

という疑問をいただいた。正直いって、最初は、この質問の意味をよくわかってなかった。うちの息子は放置したら一人遊びをするからだ。私は、発達心理学の研究者の書いた本を何冊か読んでいたので、生後6ヶ月あたりから、オモチャをガンガンあたえていた。

 といっても、市販のオモチャでは無い。オタマとかシャモジとか、味噌汁茶碗とか、フライかえしとか、口に入れても問題なさそうな厨房用品はらはじまって、いろんなものを与えまくった。赤ちゃんは好奇心のかたまりで、脳が科学者のように反応するようにできているので、新奇な物をみたら、ひたすら観察する傾向がある。そして観察が終了したら見向きもしないのだ。その性質を利用して、次から次へとオモチャを与えて一人遊びするようにしつけた。そして、ベビーサークルの中で放置した。

 といっても9ヶ月くらいになると、放置を嫌がるようになる。しかし、あえて放置して、オモチャを与えつづけると泣かなくなって一人遊びをするようになる。これは、宿仲間から聞いた話しを自分なりに応用した方法である。親しくしてもらっているレストランのオーナーも、他のペンション仲間も同じようなことをしたらしい。だから、いろんなお母さんたちから、

「どうして子供を放置して、宿業が出来るのか?」

と聞かれても、イマイチ、ピンとこなかった。

 逆にどうして子供を放置できないのか?
 と不思議に思ったくらいである。

 しかし、今なら分かる。なぜ、お母さんたちが、放置できなかったのかがわかる。住んでいる家という環境の違いであることがよくわかる。マンションやアパートなら赤ちゃんが泣いたら、隣家の迷惑を考えて泣き止ませようとするに違いない。とすれば、赤ちゃんにしてみたら、泣けばかまってくれるという事を学習してしまうわけで、一人遊びする機会を失ってしまうかもしれない。そう考えると、ますます赤ちゃんの生育が環境に影響されると思ってしまった。

 環境と言えば、宿屋という環境は、1歳5ヶ月の息子にとって、かなり広い空間である。しかも、赤ちゃんが触ってはいけないものがたくさんある。ガラスのコップ・湯飲み・急須・魔法瓶・ビデオソフト・リモコン・パソコン・ゴミ箱・トイレ・スリッパなどである。これらを触らせないようにするには、一々見ているか、駄目なものは駄目と教え込むしかないが、当然のことながら私は、『駄目なものは駄目』と教え込むことにした。宿屋やレストランの諸先輩方が、みんなそうしていたからである。

 もちろん発達心理学者の書いた本にもかいてある。1歳から2歳児の赤ちゃんは、何が駄目で、何が駄目で無いかを学習するために、ありとあらゆるものに触りたがると書いてある。多くの生物学者も同じようなこと書いてある。誰でも知っている有名な人で言ったらムツゴロウさんも、犬が子犬を教育するときに、何が駄目で何が良いかを教えると言っている。その一番最初が断乳である。2ヶ月を過ぎたら母犬は断乳する。しかし、子犬は飲みたがる。そこで母犬は『ウウーッ』と吠えて駄目だと教える。子犬は、そこで母犬の『駄目』という指示を覚える。まず、断乳で『駄目』のサインを教えて、それからあらゆる『駄目』を教えるのだ。

 私は、これを知っていたので愛犬の子犬選びに成功した。ペットショップで子犬をだかせてもらう。すると、どんな子犬も甘噛みするのだが、その時に耳元で『ウウウーッ』と唸ってみると、母犬によく躾けられた子犬は、一発で甘噛みをやめる。それを知っていたから、子犬選びの時に、とても躾けやすい子犬を選ぶことが出来たのだ。北軽井沢ブルーベリーYGHの愛犬コロは、とても大人しくて従順なのだが、それは、母犬の躾が良かった子犬を選べたからである。これは、人間の赤ちゃんにも言えることであることは、私も体験的に確信していたから、わが息子にも『ウウウーッ』にあたる『駄目』を連発してみた。

 で、これは駄目。あれは駄目と教え込む内に非常に興味深いことがおきた。息子がゲームをするようになったのだ。こちらの様子をうかがいながら、いろんなものに触るようになる。駄目と言われれば、すぐに手をひっこめるけれど、他に触れるものは山ほどあるので、なんでもかんでも触りだす。そして、駄目を言われないものをみつけだして、それで遊びだすのだ。

 と言っても息子の興味は長く続かない。あれほど触りたがったテレビのリモコンも、1時間もさわると、あとは見向きもしない。しかし、別のビデオのリモコンや、エアコンのリモコンは触りだす。そのうち駄目と言われるリモコンと、そうでないリモコンに気づきだして、親の顔色をうかがうのであるが、それは息子にとってゲームとなっている。『駄目』を発見するゲームである。

 私が、リネン室を大掃除していると、息子はドタバタと走ってきて、どこから持ってきたのか殺虫剤のスプレーを持っている。私が駄目と叫ぶと、キャッキャッと笑いながら逃げる。それを私が追いかけて殺虫剤をとりあげる。すると息子は、反抗することも無く、どこかに消えてしまい、今度は、チラシかなんかもってくる。チラシだから危険は無いので放置していると、それが息子にとっては面白くないらしく、今度は、私の前にきて
『ハイ!』
とチラシを手渡す。仕方が無いので、チラシをもらう。こんなことを繰り返す毎日なので、リネン室の掃除をしたくても、なかなかすすまない。しかし、ついつい息子のゲームにつきあってしまうのである。


つづく。

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2014年08月11日

台風が来なかったので花火大会

昨日は台風が来なかったので3家族合同で親子花火大会をやった。
(うちの宿では子供に花火をプレゼントしている)

お子さんたちの嬉しそうな顔に安堵した。
これで星が出ていれば言うこと無しだったが、贅沢はいうまい。
雨が止んだだけでもラッキーというべきだろう。
とにかく子供たちの喜ぶ姿は見ていて楽しい。

お茶会にも子供たちが出てきた。
どの御菓子を食べようか迷っていた。

うちの息子は、まだ子供たちの輪にははいれない。
まだ生後16ヶ月だからだ。
しかし、だいぶ言葉を覚えてきた。

NHKの『おかあさんといっしょ』を見ながら体操もする。『幸せなら手を叩こう』の曲にあわせて、手を叩いたり、足を踏みならしたりもする。もちろん私も家内も『おかあさんといっしょ』を見ながら一緒に手をたたく。
NHKの教育テレビは、本当に便利なツールで、これをみせるだけで息子は大人しくなる。まさにベビーシッターそのものである。
前置きは、このくらいにして、うちの嫁さんが変なことを言い出した。

NHKの『おかあさんといっしょ』には、着ぐるみの人形劇があるのだが、ムテキチ・ミーニャ・メーコブという3匹の動物が主人公である。その動物のことで、嫁さんが変なことを言い出した。

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「メーコブっていう牛がいるでしょ?」
「メーコブは羊だよ」
「牛でしょ、どうみても牛だよ」
「はあ? どこを見てるの? ちゃんと角をみた? 羊だよ」
「角は見てないけれど、どうみても牛でしょ」

確かに牛のようにも見える。
しかし、羊の角であって、牛の角では無い。
肝心なところを見落としている。

実は、こういうことは、よくある。
御客様を自然ガイドに連れて行くとき

「ウサギが走っているときは、ウサギの耳はどうなっているでしょうか?」

と御客様に質問する。

 もちろん御客様の大半は答えられない。
 迷ったあげく「耳が後ろにたれている?」と答える。
 もちろん正解では無いが、問題はそこではない。
 すぐに答えられないことが問題なのだ。

 なぜ、すぐに答えられないか?

 ウサギが走っている絵本が日本にないからである。
 ようするにウサギが走っている絵を見た記憶が無いことに問題がある。
 しかし、英語圏の子供たちはすぐに答えられる。
 ウサギが走っている絵をたくさん見ているからだ。
 ピーターラビットは、走っているとき、必ず耳をたてている。
 英語圏の子供たちは、それを小さいときから見ているのである。

(良くも悪くも狩猟の国・英語圏では、ウサギは走って逃げるイメージがある。つまり走って逃げているウサギを観察する機会があり、リアルに絵本に描けたということであろう)

 で、話しが戻るがメーコブを牛と思っていた嫁さんも、メーコブの角を見ていなかった。というか、そこに関心がなかった。パッとみて牛と思ったのは、角に関心が無かったからだろう。つまり、それだけ一般人は、動物に関心が無いと言える。どうしてそうなったのか? やはり子供たちが動物とふれあう機会を失ったためかもしれない。


つづく。

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2014年08月04日

大五郎

昔、子連れ狼という時代劇があった。
乳母車に三歳児の息子を連れて、幕府の刺客(殺し屋)から逃げつつ放浪する浪人侍の話である。
話しのストーリーは、毎回、ワンパターンなものが多かった。

1.父親が3日間分の食事を3歳の息子に用意する。

2.そして、3日間、無人の神社の境内で待てと命令する

3.父親は、幕府の刺客と3日間戦うつもりであったが、ピンチとなって5日間も捕らわれてしまう。

4.父の帰りを待っていた3歳の息子の食事は無くなり、飢えでフラフラになって、町に出る

5.すると村の小さな女の子に出会い、その子の親に食事をめぐんでもらう。その親切な人達に、いろいろお世話になって、なんとか生き延びる。

6.そこに父親(子連れ狼)が、牢屋から脱出して戻ってくるが、3歳の息子はいない。で、さがしてみたら親切な人達に、保護されていた。しかし、保護していた人達は、父親(子連れ狼)の敵のボスだった。

7.父親(子連れ狼)は、敵のボスを倒してしまう。そして3歳の息子を助けてくれた女の子が孤児になってしまう。

まあ、こんなストーリーが毎回つづいていました。


この時代劇の歌詞(橋幸夫)も、こんな曲です。

小高い丘の城跡の崩れかけた東屋で、
その子は父を待っていた。
この日の朝には帰るはずの父であった。
それが三つ目の朝となり、
四つ目の夜が来て、
五つ目の朝が雨だった。





 長い前置きは、このくらいとして
 息子が生後16ヶ月になった。
 で、ますます巨大化している。
 ちょっと肥満気味なのである。

 あきらかに食べさせすぎなのであるが、嫁さん曰く、きちっと計量してマニアルどうりに規定量を食べさせているらしい。しかし、私は、そのマニアルとやらを疑っている。本に書いてあることには、嘘が多いからだ。まあ、そんなことはどうでもいい。

 今年の夏は、9割りが新規の御客様である。
(例年なら新規は3割くらいで、大半がリピーター)

 そのせいか、いつもの年と勝手が違っている。道が分からなかったり、軽井沢の混雑などで、予定より大幅に遅れて到着する御客様が多い。チェックインが、遅れ気味なのである。当然のことながら、夜8時・夜9時といった時間帯に夕食を用意するケースが増えてきた。というか、それが当たり前になってきた。

 そうなると生後16ヶ月の息子も夕食をとれなくなってきた。子連れ狼の大五郎みたいになってきたのである。せいぜいミルクの入ったほ乳瓶を与えて放置するしかない。最初は、嫁さんは、この状況に発狂しそうになっていたが、

「これで、いいんだよ。うちのは太りすぎだから、1食抜くくらいでちょうどいいの」

と強引に押し切った。もちろん子連れ狼の話しもした。

 現に息子からは文句は出ない。むしろ調子が良いくらいである。やはり栄養過多だったのだ。今までは、寝ているのを無理矢理起こして、きっちり定時に、それもマニアルどうり定量を食べさせていたのだ。眠いのに起こされた息子は愚図るし、寝起きで胸焼けしているのに無理矢理食べさせられて、ぶくぶく太るはで、息子の機嫌が悪かった。しかし、御客様の対応に追われて、それが不可能になると、逆に息子はぐっすりと眠れるようになって調子が良くなった。

 そもそも人間の体は、飢えに対応している。だから、たまに飢えることによって健康を維持できる。その逆に全く飢えないと不健康になるのだ。生後16ヶ月の赤ちゃんを飢えさすわけにはいかないが、食べさせすぎはどうかと思う。

 ところで、今年は、子連れの御客様も多くなった。先日も息子と同じ生後16ヶ月のお子さんが泊まっていた。そのたびに、お母さんが、不思議そうに質問してきた。

「生後16ヶ月のお子さんがいて、どうして宿の仕事が出来るんですか? 赤ちゃんは泣かないんですか?」
「うちの子は、空気を読むので」
「え?」
「仕事が忙しいと、空気を読んで、一人遊びをしてくれるんです。または寝てくれます」
「普通は逆ですよね。忙しいと、駄々をこねるのが赤ちゃんですよね」
「え? そうなんですか?」
「そうですよ。暇なときは良い子でも、忙しくなると愚図るのが一般的だと思いますが」
「うちは逆ですね。忙しい時は、空気を読んで、静かにしてくれます。こっちが休憩タイムになったり、御客様が全員チェックアウトすると、かまってくれと言ってきますね。そういう時間も知っていて、親が対応できる時間と、そうでない時間を理解できているようです」

 御客様は、驚いていたようだが、なんのことはない。赤ちゃんは、大人が思っているより頭が良いのである。うちは、どんなに泣いても忙しい時には、無視するしかない。それを息子は学習しただけなのだ。昔は、こういう対応を「抱き癖をつけない」と言っていたのだ。

 現に、こういう赤ちゃんは、うちだけでない。ペンション・貸別荘といった宿屋仲間の御両親に聞いても、うちの息子と同じであったようである。どんなに泣いても忙しい時には、無視するしかないと、赤ちゃんは、それを学習するのである。といっても生後16ヶ月だと、もはや、赤ちゃんとは言えないか。立派な幼児ですね。


つづく。

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2014年08月02日

光あるところに影がある

今年もたくさんのファミリーが泊まりに来てくれた。
ありがたいことに、どの御客様も、とても良い人達だった。
新規の御客様が9割を占めながらも、その大半が人徳者であり、
気遣いのある御客様だったのには驚いてしまう。
これは日本人に限らない。
そうなると宿側もはりきってしまう。
100パーセントの予定が、120パーセントに割増しして
もてなしてしまう私の悪い癖が出てしまう。

そんなことは、どうでも良いとして、今年の夏もいろいろなドラマがあった。
数多くのドラマの中で、今回は愛犬コロについて語ってみる。

愛犬コロは、みんなの人気者になった。
今年は去年より、犬小屋を小さくしたためである。
そのために愛犬コロは、御客様に愛嬌をふりまくった。
で、たちまち子供たちの人気者になった。
うちのコロも子供たちが大好きなので、相思相愛になってしまった。
帰り際に多くの子供たちが、

「コロちゃんとはなれたくない」
「コロちゃんを飼いたい」

と涙を流して去って行った。
コロも、そんな子供たちにクンクンと鳴いて、別れを惜しんでいた。
コロの方も、かまってくれる子供たちと離れたくないのだ。
しかし、出会いあるところに別れがある。
光あるところに影がある。
これが世の定めなのだ。
これが一期一会というものであろう。
お子さんたちも、こうして少しづつ大人への階段を登っていくのかもしれない。

つづく。

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posted by マネージャー at 18:19| Comment(2) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月31日

赤ちゃんは、どんな夢をみるのか?

例年だと夏の御客様は、7割りがリピーターで占められていた。
つまり新規の御客様は、3割りしかいなかった。
ところが今年の予約は、真逆だった。
リピーターは、7割りから1割りに激減し、
新規の御客様が、3割りから9割りに増加した。
もちろん御客様の年齢も低下した。
いったい、何がおきたというのだろうか?

心当たりがあるとすれば、うちに息子が産まれたことしか思いつかない。
しかし、新規の御客様が、我が家の家庭状況など気にするだろうか?
そんなの知ったこっちゃ無いのではないだろうか?
そもそも新規の御客様が、たいして面白くも無い、このブログを読むとは思えない。
やはり、それだけ暑かったということだろうか?

そんなことは、どうでもいいとして、
泊まってくれた数少ないリピーターさんから絵本をいただいた。
息子さんが大きくなったために必要が無いからと言って下さったのだ。
で、この絵本がよくできているのに舌をまいた。
息子が、釘付けとなっているのだ。
特に虫の本なんか、じーっと見ていて全くあきない。
そういえば、これを下さった御家族の息子さんは虫マニアだったことを思い出した。

『そうか、この本で虫マニアになったのか』

考えてみたら、お下がりの絵本は、もとの持ち主の人生が凝縮しているのかもしれない。どういう絵本を見て育ったかによって、その人の人生が決まるのかもしれない。というのも、赤ちゃんは、すぐに大人の真似をするからだ。つまり、どんなことにも影響されやすいからだ。ということは、絵本は、持ち主の人生を方向づけたものの一つかもしれない。

 話しは変わるが、赤ちゃんが産まれるまで、赤ちゃんが『夢をみる』とは思っても居なかった。しかし、生後2ヶ月の息子に対面して、もう夢を見ていることに愕然とした。寝ながらおっぱいを飲んでいる夢をみているからだ。寝ながら寝言のように飲む仕草をしている。

 息子が、この夢をみなくなったのは、離乳食がはじまった生後7ヶ月頃である。
 生後12ヶ月くらいになると、起こすと泣き愚図るようになってきた。
 そこで、とある実験をしてみた。
 起こす前に、耳元でケラケラ笑ってみせるのである。
 すると、寝ながら笑い出した。
 どうやら笑っている夢をみているようだ。
 私は、次第に笑い声をおおきくしていった。
 すると息子は笑いながら目覚めるようになった。
 こうして、息子の寝起きは、笑いからはじまるようになってきた。
 
 
つづく。

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posted by マネージャー at 20:16| Comment(2) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月25日

8歳の双子の可愛い姉妹たち

 ついに息子に「イヤイヤ期」がやってきた。
 何でも無いことに、ぐずるようになってきたのだ。
 よーするに自我をもちはじめ、
 自己主張するようになったが、
 なまじ言葉が通じないので、泣いたり愚図ったりするようになってきたのである。

「やっと来たか」

と内心ほっとしした。

実は、うちの息子には「イヤイヤ期」は来ないのではないかと心配していたのである。根拠もあった。私が息子の欲することを察知する能力が高いために、息子がイヤイヤ言うまでも無かったからである。しかし、イヤイヤ期は、私に対して出なく嫁さんの方にやってきた。

 うちの嫁さんは、規則正しい。どんなに寝てようが定時に御飯を食べさそうとするが、イヤイヤと泣き出してとまらない。ちゃぶ台返しのような真似までする。

「だから寝かせておけばいいじゃない」
「一食くらい抜いてもいいんだよ」
「無理に食べさせることはないって!」

と言ってもきかない。マニアル通りキチンと食べさそうとして、イヤイヤ期の息子と格闘している。嫁さんは、昔から育児本のマニアルに忠実である。御飯も栄養素別にグラム単位で計って食べさせている。それを息子が完食しないとキリキリしてしまうタイプなのだ。で、結局、便が出なくなったりして、私がヨーグルトやバナナを食べさせて、大きなウンチを誘ったりする。そういえば嫁さんは、息子の塩分過多にも神経質である。いくら私が

「豆腐やバナナで塩分は排除できる」

と言ってもきかない。とにかく嫁さんは子育てに対して真面目なのだ。マニアル重視なのである。何でも規則正しくやらないと気が済まないらしい。考えてみたら、これでイヤイヤ期が来なかったら逆に変である。息子のイヤイヤ期は、来るべくして来たのであろう。しかし、このイヤイヤ期を密かに私は歓迎している。赤ちゃんが自己主張できるようになったから、また一歩、大人の階段を歩んだのである。こんな喜ばしいことはない。

 長い前置きを書いてしまった。
 ここからが本題である。

 夏休みになると、ファミリーの御客様が毎日のようにやってくる。幼児3人連れの御客様とかやってくると、息子は大はしゃぎで暴れ回る。5歳児から3歳児くらいの子供が遊んでいるのをみているだけで、息子は大はしゃぎである。誕生以来、一番はしゃいだというくらいにはしゃぐ。それが毎日続くものだから、息子は徐々に人見知りしなくなってしまった。いろんな人にだっこしてもらっている。たくさんの子供たちと遊んでもらっている。

 で、不思議なことに、その瞬間の息子には、イヤイヤ病が発症しない。
 というわけで、昨日は一つ実験をしてみた。

 イヤイヤ病で食事をとらない息子を、みんなの前で食べさせてみたのだ。
 するとパクリと食べ始めた。
 その瞬間8歳の双子の可愛い姉妹がやってきて、
 彼女たちが、ままごとのように息子に食べさせはじめた。
 
 息子は、パクパクと食べ始めた。
 
 こうして実物の赤ちゃん(生後15ヶ月)を使ったままごとがはじまった。
 嘘のようにイヤイヤはでてこない。
 残念なことに、その光景の動画を撮影し忘れてしまっていた。
 返す返すも惜しいことをしてしまった。

 それにしても、小さな女の子たちの多くは、赤ちゃんに興味津々でよってくる。
 持って生まれた母性本能だろうか?
 赤ちゃん相手に優しく遊んでくれる。
 息子は、そういう優しさにふれて、少しづつ成長しているようでもある。
 私にも優しく頭をなでるようになってきた。

 逆に息子は、男の子と出会った直後は、少し乱暴というか腕白になっている。
 しかし、女の子に出会った後は、優しくなっている。
 つまり親以外の人間にも、子供の人格形成に影響していることがわかって面白い。


つづく。

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2014年07月17日

谷川岳ラズベリーYHの娘さん、まーるちゃんがやってきた

谷川岳ラズベリーYHの娘さん、まあるちゃんがやってきた。

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 息子もまあるちゃんも照れまくっていた。
 お互いに意識しつつも、照れまくって、一緒に遊ばなかった。
 驚くべきことに、天真爛漫だったまあるちゃんに大きな変化があった。

 まあるちゃんは、三歳になる。
 最近、保育所に通い始めたらしい。
 そのせいか、人が変わったように変化していた。

 保育所に通う前のまあるちゃんは、神のようだった。地球の中心にいるがごとく、振る舞っていた。しかし、保育所に通ってからのまあるちゃんは、まったく別人になっていた。一言で言うと、大人になっていた。
恥ずかしがり屋になり、自由気ままさもなくなり、赤ちゃん帰りしたように、お母さんにだっこされていた。

『大人になったな』

と思った。保育所に行くことによって、世界を相対的に見られるようになったのだろうか? だとしたら保育所というところは、偉大な教育施設であると思う。

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 あとこれは、まあるちゃんが、6月生まれであることと関係があるかもしれない。3月生まれのうちの息子は、まあるちゃんほどの保育所ショックはうけないかもしれない。保育所にいっても、訳が分からないままでいるかもしれない。

 しかし、6月生まれのまあるちゃんは、ある程度、大きくなっているので環境の変化を敏感に察知してしまった可能性が大きい。世界が自分中心に回ってないことに本能的に気づいてしまったのだ。そのために赤ちゃん返りがおきてしまった可能性が高いように思う。

一方、わが息子にも変化がおとずれた。

 まあるちゃんと対面した息子は、人間が変わったように、その日からスクッと立ち上がって歩くようになった。おそらく、体格的に差の無いまあるちゃんがスタスタ歩いているのを見てしまったからだと思う。まあるちゃんへ会う以前と以後では別人のように違うのには驚いた。兄弟のいる赤ちゃんが成長が早いと言われている意味が分かった気がした。

 ちなにみに息子は来年から保育園になる。3月生まれなので、人よりはやく保育園にはいることになる。それにしてもはやいものである。もう保育園なのだ。2歳の誕生日になった10日後に保育園なのだ。

 ラスベリーYHの曽原氏によれば、保育園にいくようになると、いろんな病気をもらってくるようになるらしい。まあるちゃんも、保育園に行く前は病気一つしなかったのに、行き始めてからよく病気をするようになったとか。しかし、そのように病気をすることによって抵抗力がましていくのだから、これは必要悪で仕方が無いのかもしれない。

つづく。

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2014年07月12日

息子が、ガールフレンドと御対面

息子が、ガールフレンドと御対面。

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わが息子が、こんなに照れ屋だとは思わなかった。
最初から最後まで照れっぱなし。
照れまくって、照れまくって、
すごいシャイなところを見てしまった。
これは意外であった。

逆にいうと生後15ヶ月の赤ちゃんは、照れ屋知っているということなのか?
生後10ヶ月のアキナちゃんは、悠然としていましたね。

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おしむらくは、アキナちゃんが夜7時に寝ちゃったこと。
うちの息子は、夜11時に寝ますから、
夜7時以降は、元気はつらつ。
アキナちゃんがいないと、とても元気でしたね。

つづく。

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2014年07月07日

煩悩より強い欲求

息子は生後15ヶ月になっている。
生後15ヶ月となると、さらなる知能の向上に驚くばかりだ。
もう親の言葉は、たいてい理解している。
オムツを替えるときも、着替えるときも、
しっかり語りかければ以前のように暴れなくなってきた。
逆に、それでも暴れるときは、なにか特殊な原因があるケースである。

食事もホークやスプーンで食べるようになってきた。
それもきれいに食べる。
ご飯粒を一粒のこらずきれいに食べてこぼした一粒も残らず食べる。
テーブルは、いつもきれいである。

嫌いなものは今のところ無い。
なんでも食べる。
なんでも食べさせた結果である。
1日60品目はたべている。
宿屋だからできる技である。
御客さん用に作ったおかずをあげているのだ。

最初、嫁さんは、これを嫌った。
「味の濃いもの(肉や魚やカレー)はあげないで」
「甘いもの(桃やイチゴやメロン)はあげないで」
と叫んでいたが、最近はあきらめたようだ。
なので、辛口のカレーライスなんかも食べる。
というか大好物である。
コロッケや鮭も大好物。
もちろん大量には食べさせてない。
ほんの少しづつ、多品種を食べさせている。
リスク分散のためである。

粉ミルクだって、全メーカーのものを飲ませてきた。
これもリスク分散のためである。

お風呂に入るのだって、嫁さんと交代で入っている。
これもリスク分散のためである。
人によって洗い方に違いがあるはずなので、
洗い残しのリスクを避けるために交代で入っている。

食事も一緒である。さいわい、うちは平日大歓迎の宿屋なので毎日、御客さんの食事を作っている。だから食品の品数も一般家庭より多い。さのために生後15ヶ月の息子は、ものすごい品数のおかずを食べられる。もちろん、赤ちゃんが食べても安全な食品(国産)を常日頃から御客さんに出してないとできない技ではある。だから何でも息子に食べさせられる。主食も朝はパン(もちろんマーガリンとショートニングは混入してない)、昼は麺類(国産)、夜はご飯(減農薬)というふうにチェンジするので、そのせいか好き嫌いが全くない。もちろん食事で遊ぶことなどしない。

実は、ここまでが前置き。
以後、本題に入る。

生後15ヶ月になると息子の知能が上がったことはすでに述べた。
どういうふうに上がったについて述べたい。

嫁さんは、いつも息子に「あーん」と言って食べさせていた。
ところが生後15ヶ月になると息子はスプーンやホークや箸をもちたがる。
自分で食べたがる。
で、実際にスプーンを持たせると、
「あーん」
と言って、母親に御飯を食べさそうとするのである。
これには、私も嫁さんも目が点になった。
この現象は、いったい何を意味するのだろうか?と。
考えられることは3つある。

1.単に母親の真似をした
2.母親を他人と認識しはじめた(母親に配慮する思考した)
3.食べたくないものを母親に食べさそうとした。

一番考えられるのは、1の単に母親の真似をしたことであるが、実は単なる真似なら生後3ヶ月のころからしている。しかし、こと食事となると、真似するまえに食べるという本能が勝ってしまうのが、煩悩だらけの赤ちゃんの本質である。
特に、うちの息子は食い意地がきたない。なんでもペロリと食べるし残さない。目の前に食事が置いてあったら、食い意地だけが全力疾走するタイプなのだ。だから単なる真似というのは考えにくい。
逆に、3の食べたくないものを母親に食べさそうとしたというのも考えにくい。なにしろ息子には好き嫌いがないのだ。
そうなると消去法で、2の母親を他人と認識しはじめた(母親に配慮する思考した)ということになるが、これも怪しい。一般的に子供と母親は一心同体な期間が何年か続くといわれている。生後15ヶ月の息子が、母親を他人と認識できるはずがない。ということは、いったいどういうことなのだろうか?

 妥当なところを探れば、やはり真似をしたというところだろうか?
 とすると食欲という煩悩より真似の欲求が勝ったと言うことだろうか?


つづく。

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posted by マネージャー at 08:15| Comment(2) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする