2014年06月27日

赤ちゃんの記憶

赤ちゃんの記憶

今日で息子が1歳3ヶ月になった。
生後15ヶ月である。
生後15ヶ月の記念に赤ちゃんの記憶について書いてみる。

私は嫁さんに、親孝行するようにさせている。
具体的にいうと月に1回以上、赤ちゃんを連れて里帰りさせている。
私は、宿で留守番である。

で、里帰りから宿に戻ってくると、たった一晩で息子が私の顔を忘れていることに気がついた。
最初は、「赤ちゃんの記憶って、そんなものなのかな?」と勝手に思っていた。
ところが息子は、よく泊まりに来る御客さんを覚えていたりする。
2週間ぶりだったりするのに覚えていたりする。
「親の私の顔は、一晩で忘れるのに、どういうことなのか?」
と、不思議におもったことがあった。

で、息子が忘れないでいる御客さんの行動を、よく観察してみると意外な事実が分かった。その御客さんは、息子に対して特色あるスキンシップをしているのである。そのスキンシップ方法を息子は記憶しているようなのだ。

「はは〜ん」

と思った私は、さっそく会議で東京に行くときに試してみることにした。

 別れ際まで、さんざん足をさすって一緒に遊んだ。
 で、軽井沢駅で別れるときには、息子は泣いていた。
 ここまでは、毎回のことである。
 しかし、不思議なことに、たったの1泊分かれるだけで息子は親の顔を忘れる。
 「こんにちわ」
 と顔をのぞかせても
 「だれだろう?」
 と不思議そうな顔をする。
 そのうち思い出すのではあるが、多少のタイムラグを生じるのが毎回のパターンだった。このタイムラグを全くなくすのが今回の作戦であった。
 久しぶりに息子に会ったとき、顔をのぞくのではなく、スキンシップからはじめた。
 すると、息子はすぐに笑顔になった。
 
 「あ、父親を覚えている!」
 
 この実験は、非常に興味深い結果になった。赤ちゃんの記憶は、視覚だけではなく触覚などが合わさって作られている可能性が高いからだ。視覚だけでは記憶力が弱く、触覚や聴覚や臭いや体験とあわさって記憶されている可能性がある。
 
 考えてみたら、これは犬などの他のほ乳類も一緒である。視覚だけで記憶が維持できるのは、人間だけであるから、まだ脳の発達が完璧で無い人間の赤ちゃんの記憶は、維持されがたいのかもしれない。
 
 


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 06:53| Comment(4) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月12日

手のかかる時代が訪れたのかもしれない

 久々に晴れたので、息子と軽井沢の公園に遊びに行ったら。娘さんと一緒にいたママ友(女性)と出会った。娘さんは、生後14ヶ月で、うちの息子と、ほぼ誕生日が一緒である。顔も似ていて、体格も同じくらいだった。なので、生後3ヶ月くらいのころから、ずっと公園で仲良させてもらっていた。とにかく、お互いによく似たタイプの赤ちゃんを背負っており、そのうえ犬連れであるところも一緒だった。山好きなのも一緒である。

 しかし、冬になると大雪が降り公園に行く機会も無くなって、ほとんど会う機会が無いまま、5ヶ月近くすぎた。

 で、先日、久しぶりに軽井沢の公園で再会したわけだが、お互いに息子と娘の成長ぶりに驚いていた。まず、ママ友さんは「おおきくなったわね」と驚いていた。確かに息子の体格は大きい。以前は、ママ友さんの娘さんの方が大きかった。いまでは息子の方が大きいし体重もある。

 こちらは、ママ友さんの娘さんの成長ぶりに驚いていた。女の子が、男の子より成長が早いことは頭では理解していたが、実際を見てみると驚嘆せざるをえない。こっちは、ろくに歯が生えてないのに、ママ友さんの娘さんは、きれいに、ほぼ出そろっている。それ以前に靴を履いていた。もう立って歩けるのである。こっちは、掴まり立ちが精々である。言語に至っては、もっと大きな開きがある。あちらは、はっきり発音できる。日本語を話せるのにたいして、息子の発音は、あいかわらずである。

 しかし、一番驚いたのは、注意力と社会性である。

 注意力。うちの息子は、10秒くらいしか好奇心を持続させないのに対し、あちらは1分くらい集中できる。社会性も大きく差が開いていた。あちらは各種の犬の違いを認識していたが、うちの息子は、それができていない。あきらかに、うちの息子は成長が遅れている。あまりにテンプレートどうりの男女の成長速度の違いに感心してしまった。

 もっとも、成長が遅いことにたいして悲観してない。
 逆に喜んでいる。
 男の子の成長は遅いくらいの方がよいのだ。
 毎日「ゆっくり、じっくり育て」と祈っている。
 しかし、そのように祈っても子供の成長は急激にやってくる。

 息子が生後14ヶ月までの息子の成長は、遅々たるものだった。基本的に親の真似が多かった。親以外だと、車の真似もした。車に乗せてバックしていると、ピッ、ピーッ、バックします。という音声が流れるが、その時は、その音声をまねた。愛犬コロの泣き声も真似した。野鳥のさえずりの真似や、テレビの体操の真似もした。私が、ペットボトルの御茶を飲むと、自分もペットボトルを飲む真似をした。もちろんフタをしてあるので飲むことはできない。しかし、真似だけはする。生後14ヶ月になるまで、そういう真似が続いた。真似によって物事を学習していった。

 しかし、生後14ヶ月をこえると、単なる真似から、もう一つ上のレベルの真似をはじめた。具体的に言うとペットボトルを飲む真似をしたあとに「うめえええ」と言い出したのである。動作の真似に、音声の真似が加わっている。複雑な真似ができるようになったのと真似の意味も理解しだした。それも突然に。と同時にあらゆることが出来るようになってきた。

 で、面白いことに人間に対する接し方が変わってきた。前は、女性が好きだったのに、今は男性の方を好きになりつつある。はて? どういうことだろう? と細かく観察していたら、息子が好きなタイプの人間は、息子を無視する人であることがわかった。逆に「あら、かわいい」と寄ってくる人は、怖がって泣き出すしまつ。

 あれ? 人見知りが再発したのかな?

 と不思議に思っていたが、どうも違うらしい。人間には興味があるが、それを遠くで眺めて観察したいらしい。そのために自分に無関心な人間を好むようになったのだ。で、10分くらい観察したあとに、少しずつ接近していく。で、さらに10分後に、ちょっと触って逃げる。これを繰り返した上で、最後にベタベタ触って確認するようになった。御客さんとのお茶会で、この繰り返しを目にした。子供に全く興味の無い御客さんも、さぞ驚いたことだろう。
 
 それにしても、いつの間に息子は、対人関係で主導権を握りたがるようになったのだろうか? 能動的になったということなのだろうか? 生後14ヶ月になると自分の距離を欲しがるようになったということなのか? どちらにしても、強烈な自我に目覚めたことにはちがいない。このへんのことは、専門化に詳しく聞いてみたいところでもある。
 
 手のかかる時代が訪れたのかもしれない。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 08:58| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月09日

無限つみき

 息子が生まれたとき、いろんな人達からプレゼントをいただいた。
 たいていは、すぐ使えそうなものばかりだったが、
 ある人からは3歳になってから使えるオモチャをプレゼントでいただいた。

 中身は「無限つみき」という積み木である。

 さっそく私が使用してみたら、恐るべき精度で加工された積み木であった。3センチ×9センチ×1センチの形をした長方形の積み木であるが、驚くべきは1ミクロンの誤差も無い。したがって2メートル近くの高さに乱雑につみあげても、倒れないのである。こういう積み木は、かなり高度な技をもった職人さんしか作れないだろう。

 まあ、そんなことは、どうでもいい。

 無限つみきを生後4ヶ月くらいの息子に渡してみたが、息子は全く興味が無かった。そっぽをむいた。それから毎週1回のペースで息子にわたしてみたが、息子は、いつまでたっても興味をひかなかった。で、箱をみたら3歳からと書いてあった。

 どうりで興味がないわけである。
 知能が積み木を使うまでに発達してないのである。
 で、考えてみた。
 そして思いついた。
 
 この積み木を定期的に与えて反応をみることによって、
 息子の知能の発達ぐあいが分かるのではないか?
 という簡単な仮説を思いついたのである。で、

「3歳からと書いてあるから2歳くらいから積み木に反応するのだろうなあ」

 と思いつつも、念のために定期的に積み木をあたえて様子をみていた。
 で、驚くべき事がわかった。

 まず積み木に反応をしめしたのは、生後7ヶ月くらいからだった。
 しかし、口の中に入れるという反応だった。
 最初は積み木を口で確認していた。

 変化が起きたのは、生後12ヶ月くらいからだった。
 手で積み木で遊ぶようになった。
 と言っても積み木で何かを工作するわけではない。
 積み木を箱から出して散らかすだけである。
 私は、それを徹底的にしまうようにした。
 散らかす息子と、しまう私。
 これを延々とくりかえした。
 すると息子は、積み木を散らかした後に自分でしまうようになった。
 生後13ヶ月のことである。

 ただ、この時点で積み木で何かをつくるという発想は息子にはなかった。
 そこまでの知能は無かった。
 私が、何かをつくってみせると、それをキャッキャと破壊して遊んだ。

 変化がおきたのは、生後14ヶ月からである、
 つまり、ここ1週間くらいからである。
 私が、何かタワーのようなものをつくると、息子は積み木を積み始めた。
 やっと積み木の使い方をマスターしはじめた。

 ここから本題にはいる。

 息子が積み木の使い方をマスターしたと同時に、息子は本の読み方をマスターした。もちろん字は読めない。本も逆さに見ている。ただ、以前は、本を乱雑に放り投げたり、口に入れてでろでろにしていたのに、大人と同じように本を読むスタイルをみせるようになったのだ。

 本だけでない。
 ありとあらゆる事を同時にマスターしだした。
 ボタンを閉めようとしたり、チャックの上げ下げをしたり、
 今までできなかったことをするようになった。
 自我まで目覚めた。
 具体的にいうと、餌で釣れなくなった。
 自分の意思を主張しだした。

 で、ここが肝心なのだが、みんな、ほぼ同時だったということだ。
 つまり、あきらかに息子の脳に何かの変化が起きているということなのだ。
 その「何か?」については、後日、ここに書くことにする。

 結論を言うと、赤ちゃんは、ある日、突然覚醒するということである。
 なぜ、そう思ったかというのは、後日述べる。

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






ラベル:無限つみき
posted by マネージャー at 23:47| Comment(2) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月06日

環境破壊の手助け

今日、古い友人から子供服が届いた。
本当にありがたいことである。
明日にでも、お礼の手紙と、軽井沢の名産でも送ろうと思っている。

 届いた子供服は、もちろんお下がりではあるが、高級ブランド物である。新品で買えば1万円くらいするやつだ。なので、お下がりであっても新品同様である。

 私が西松屋あたりで買った子供服は千円だったけれど、1回洗濯しただけで毛玉ができるしろものなのに、ブランド物の子供服は、そんな気配は全くない。最低でも3人が着古している服なのに新品同様である。なぜ、そんなことが分かるかというと、名前が縫い付けてあるからである。だから最低でも3人目であることがわかる。安物ならマジックで名前を書くか、全く書かないかのどちらかであろう。しかし、ブランド物のためか手間暇かけて名前を縫い付けてある。それを家内が、ハサミで切っていた。

「なにも切ることはないだろうが」
「所有者が変わったので」

 このへんあたりの感覚は私とは違う。私は、手間暇かけて息子の名前を縫い付けた前所有者のぬくもりは消しがたい気がする。しかし、うちの嫁さんは、はやく息子の名前を縫い付けたいのか、さくっと切ってしまった。
 
 そんなことはどうでもいい。何が言いたいかというと、ブランド物の子供服があまりに丈夫なのに驚いているということだ。
 
 しかし、よく考えてみれば、まともに作っていれば、元来、服という物は丈夫なはずなのだ。私は3人兄弟の長男なのだが、私が着た服は、すべて弟のお下がりになった。あの頃の子供服は決してやわではなかった。しかし、現代の格安の子供服は一代限りで消耗する。これは服に限ったはなしではなく、家電でも一緒である。いったい、どういうことになっているのか?
 
 すぐゴミになる子供服。
 すぐゴミになる家電。
 どうして、こんな時代になったのか?
 
 消費者に半分は問題があったことも確かである。ブランド物の子供服を買えば、ゴミにならないことは知っている。しかし、ついつい安い方を買ってしまう。家電もしかりである。しかし、これでは環境破壊の手助けをしているようなものである。せめて自分だけは、ゴミにならないようなものを買い、必要なくなったら友人や親戚にまわすなりたいものである。
 

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 23:09| Comment(3) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月29日

子は親の鏡とは言うけれど

 息子が生後14ヶ月になった。

 生後14ヶ月になると、今まで分からなかったことが分かってくる。
 息子の話し言葉や態度が、しだいにハッキリしてくるからだ。
 そして、自分が犯した子育ての失敗も見えてくる。
 明確に見えてくる。
 今日は、その失敗談を書く。

 私は、叱らない躾けに懐疑的だったので、じゃんじゃん叱る。
 おかげで息子は聞き分けの良い子供になったが、
 一つだけ大失敗をしている。
 叱り方で、致命的なミスを犯してしまった。
 そのミスとは、怒鳴ることである。
 叱り方として「怒鳴る」行為は最低であったことに気がついた。

 賢明なる皆さんは、お気づきかもしれないが、
 息子を怒鳴れば、息子も怒鳴るようにぐずり出す。
 私の前では大人しくても、母親の前で怒鳴るようにぐずり出す。
 これに気がついたので、怒鳴るをやめた。
 笑顔で、粛々と注意するようにした。
 効果は、すぐに現れた。

 子は親の鏡とは言うけれど、本当である。
 子供は、親が教育したようにしか成長しない。
 すくなくとも生後14ヶ月までは。

 これは、分かっていた。
 分かっていたから、なんどもこのブログに書いた。
 何度も書いたにもかかわらず、この失敗を犯した。
 へこんだのなんのって・・・・。
 まあ、早いうちに気がついて良かったと、前向きに考えることにする。

 実は、ここまでは前置きである。
 ここから本題に入る。

 息子が生後12ヶ月をこえた頃、ある不思議な光景をみかけるようになった。クマやウサギのぬいぐるみに頬ずりしたり、可愛がるようになったのである。
 最初は、「ぬいぐるみが好きなのかな?」ぐらいに思っていた。
 しかし、生後12ヶ月までは、全くそういう傾向は無かった。ある日、突然に、ぬいぐるみに頬ずりし、ぬいぐるみに語りかけるようになったのである。

「ひょっとして、愛犬コロのモフモフしたのをまいにちみているからかなあ?」
「愛犬コロに語りかけるように、ぬいぐるみに語りかけているのだろうか?」

 などと、勝手に納得していた。
 しかし、どうも違う。
 愛犬コロに対する態度と、ぬいぐるみに対する態度が全く違う。
 息子は、あきらかに、ぬいぐるみに癒されている。
 ここで不思議に思った。

「生後12ヶ月くらいで、赤ちゃんが、ぬいぐるみに癒されるだろうか?」

 そんな話は聞いたことが無い。
 しかし、息子を観察する限り、
 どうみても息子はぬいぐるみに癒されている。
 ぬいぐるみの目を見つめ合って
「ああああああああああああああああああああああああああ」
 と、なま温かい言葉をかけながら抱きかかえている。
 どうみても、癒されているように見える。

「おかしいなあ? 赤ちゃんでもストレスがたまるのかなあ? そんなことないよなあ。どうみても煩悩(=生命力)のかたまりだからなあ」

 こういう疑問をもちつつ、2ヶ月がたち、
 息子は生後14ヶ月になった。
 生後14ヶ月にもなると。息子の言語がはっきりしてくる。
 発音も正しくなるので、何を言ってるか聞き取れるようになる。

 そして、ぬいぐるみを抱きかかえて癒されているかのように見える息子の姿も、どういうことかが、次第に明確となってきた。そして驚いた。

 息子は、母親や御客さんに可愛がられるように、
 ぬいぐるみを可愛がっていたのだ。
 またしても、親の真似をしていたのだ。
 いや、自分をかわいがってくれていた御客さんの真似をしていたのだ。
 ぬいぐるみに対して。

 子は親の鏡とは言うけれど、本当である。
 子供は、親が教育したようにしか成長しない。
 すくなくとも生後14ヶ月までは。

 やさしい子に育てるには、まず親が優しくなってなければ。
 息子をみるたびに、反省すべき点がたくさんでてくる。
 これを奇貨として、精進していくしかない。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 14:22| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月26日

テレビ番組で料理のアップが写ると手をあわせて「いただきます」をする息子

はやいもので、今日で息子が生後14ヶ月になる。

 どのお子さんでも一緒だと思うが、生後14ヶ月ともなると、非常に知能が高くなる。かしこくなる。具体的に言うと、親の言葉を理解するようになる。食事前になると、手を合わせて「いただきます」を言うし、食後は「ごちそうさまでした」を言う。

 それだけでなくて、テレビ番組で美味しい料理のアップが写ると手をあわせて「いただきます」をする。これだけ聞けば、ははーん、テレビの料理を食べたいのかな? それで手をあわせて「いただきます」をしているのかな?と、『ほほえましい一光景』で終わるエピソードに思えるかもしれないが、そうは問屋がおろさない。

 息子は、フレンチや中華など、本人が全く食べたことも見たことも無い料理に対しても手をあわせて「いただきます」をするからだ。どんなに見たことの無い料理でも手をあわせて「いただきます」をする。つまり、生後14ヶ月の赤ちゃんには、料理という概念が理解できているということである。体験して無くても、初めて見る料理でも、それが

『料理である』

と判別できる能力があるということなのだ。これは、恐るべき知能である。赤ちゃんは、私たち大人が思っているより、かなり高度な能力をもっている証拠でもある。

 ここまでが前置き。
 ここから本題に入る。

 今日は、ママ友ならぬ、孫友が尋ねてきた。
 親しくしている貸別荘オーナーの奥さんである。

 私の世代(52歳)だと、子供は大人になり、そろそろ孫が生まれてくる。なので1歳の孫をもつ友人がいっぱいいる。そういう人たちの集まりは、ママ友ではなくて、孫友という。孫だから直接子育てはしない。たのまれたら面倒をみるくらいである。あくまでも子育ての主役は、息子のお嫁さんだったりする。なので、あまり口出しはできない。そういう立場の人と、私は気が合う。育児に関して気が合う。

「自分が子供を産んだときは、いっぱいいっぱいで、分からなかったんだけれど、この年になって孫を客観的に見るようになったら、まるで違うんだよね。赤ちゃんというのは、本当に賢いんだよね」
「そうですよね。私もそう思います」
「赤ちゃんは、頭が良いんですよ。そのうち親をためしますよ」
「ああ、そうそう。うちの息子も私を試し始めています」
「わざと、困らせて親に怒られる」
「うんうん」
「親の顔色をみて物事の判断をつけるようになるんですよ。これはしてよい。これはダメと。それをね、最近は怒らない親がおおいから・・・・大人になってから大変でしょう」
「そうそう」

 こういう話でもりあがった。実は、このことは最新の発達心理学でよく言われていることなのだ。赤ちゃんの脳は、優秀な科学者の脳と同じであることが、発達心理学で常識となっている。赤ちゃんは、毎日さまざまな実験をしているというのだ。それも主として親を対象にして。メルツォフ博士は

「赤ちゃんは、何が良くて、何が悪いか? それを解明すべく、さまざま実験をしている。特に親を相手に」

と言っている。他の発達心理学の先生たちも、この理論を裏付ける実験結果をだしている。

 しかしね、そんなもの実験しなくても日本では昔から言われていたことですよ。赤ちゃんは、親を試すって。今日、尋ねてきた孫友の人だって自然に見破っていますよ。赤ちゃんは、大人を試すんです。わざとコップを放り投げたりする。それを叱ってあげることで、赤ちゃんに善悪の分別がつく。

 これは、もう、わざわざ研究する余地の無い常識だと思っていたが、そうではないらしい。こういうことも、発達心理学の学者が研究してデーターを残しておかないと「叱らないしつけ」という不思議な理論が世間にはびこってしまう。どうして蔓延るか?という話題になったのだが、若いお母さんは、赤ちゃんの能力を過小評価しずぎるのではないか?という話になった。

 孫友の一人は、「私も若いときは赤ちゃんを過小評価していた。けれど、孫をみていると、ものすごい能力をもっているのに気がついた。客観的に冷静に孫をみると、本当にすごい」と言った。しかし、お嫁さんは、それに気がついているかどうかは分からない。おそらく気がついてないのではないか?

 しかし、それは無理も無いのである。
 若い人は、いっぱいいっぱいなのだ。
 何が何だか分からない中で、無我夢中なのだ。
 ずーっと肩に力が入ったまま子育てしているんだと思う。

 よく「うちの子は成長が遅くて」という話をきくが、実際に赤ちゃんを拝見すると、すごい能力を発揮していることが即座にわかる。お母さんと、同じ発音で何か言語を発しているからだ。

「この子、お母さんの言葉を復唱していますよ」
「え?」

 発達が遅いどころか、うちの息子より早いくらいに見える。しかし、それに気がついてない。こういう例は多いと思う。過小評価しすぎている人は、おおいのではないだろうか? 逆に言うと、過大評価する人も多いかもしれない。赤ちゃんを客観的に観察できる人は、赤ちゃんのあまりの天才ぶりに、
「うちの子は天才なのでは?」
と思っている人もいるかもしれない。しかし、もともと赤ちゃんは、天才科学者のような脳をもっているわけだから、それも一種の幻想でしょうね。けれど「うちの子は天才なのでは?」と思い込むのは、それだけ赤ちゃんをよく観察している証拠でもありますから、きっと良いお母さんになるだろうなあ。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 22:00| Comment(4) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月24日

息子に仕返ししてやることにした。

 息子が、あと2日で生後14ヶ月になる。

 生後14ヶ月ともなると、もはや赤ちゃんとはいえない。
 親の言葉を正確に理解しているからだ。
 鉛筆などの危険な物を触っているとき、
「危ないから元に戻して」
 と説明すると、きちんと元に戻す。
 
 やってはいけないことも注意すると即座に止める。
 非常に聞き分けが良い。
 駄々もこねないし、ぐずりもしない。
 
 ただし、何をやってはいけないかが分かってない。
 なので、その辺にある物を手当たり次第に投げたり落としたりする。
 
 1000本もある御客さん用のビデオ。
 本棚にある数百冊もの本。
 湯飲み・コップ・珈琲カップ。
 食器棚にあるシュガースティック。
 陳列冷蔵庫にある缶ビールなど。
 
 これらを放り投げたりした。そのつど
「こら! ダメ!」
 と大声で怒鳴ったら2度と悪さをしなくなった。
 たいていの場合は、1回でやめた。
 非常にききわけがよい。
 信じがたいくらいに、親のいうことに素直に反応する。
 
 その原因は、犬を飼っていたことにあると思われる。
 愛犬コロが悪さすると「コラ!」と怒鳴って尻を叩く。
 (もちろん頭は叩かない。尻である)

 息子は、生後2ヶ月の頃から1年間おんぶされながら、それを見ていた。愛犬コロを散歩に連れていくときは、かならず息子を背負っていたからである。だから私が「コラ!」と愛犬コロを叱っているのを息子は、ずっと見ている。なので、息子は「コラ!」の意味は分かっている。そして、「コラ!」と言われたら愛犬コロのような態度をすべきだということも学習している。なので、息子は非常に聞き分けが良くなった。
 
 さて本題に入る。
 
 聞き分けが良い息子ではあるが、大人しいわけでは無い。日々、私に対して実験を繰り返している。いろんなものを破壊したり、無茶苦茶にして親を困らせる。ただしむ「コラ!」と叱ると二度としなくなる。そういう意味では聞き分けはよい。

 コップを放り投げて「コラ!」と叱るとコップは放り投げなくなる。しかし、マグカップは投げてしまう。こっちを試すように投げてみせる。そして「コラ!」と叱ると、マグカップは投げなくなる。しかし、次に湯飲みを投げてくる。

 よーするに、息子は私を試しているのである。
 で、そのつど「コラ!」と叱るのも芸が無いという気がしてきた。
 ちょいと疲れるが、
 息子に仕返ししてやることにした。
 
 まず息子をじっくり観察した。
 何か良いことをするたびに褒めた。
 褒めまくった。
 すると、さかんに褒められようと同じ事を繰り返した。
 ハイハイして運動しているときや太鼓を叩いて遊んだ時も褒めた。
 散らかしたオモチャをかたづけたときも褒めた。
 すると、わざわざオモチャ箱をひっくり返して、オモチャをしまうようになったりした。
 息子は、少しずつ私の罠にはまりつつある。
 ざまーみろである。
 今日は、机から落としてしまったペットボトルをわざわざ拾ってくれた。
 やたらと褒めたら、いろんなところからペットボトルをもってくるようになった。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月18日

「ハイ」と「ハーイ」は、違う意味

「ハイ」と「ハーイ」は、違う意味

 日本語とは、不思議な言語である。「ひや」と「おひや」では、全く意味が違う。居酒屋でバイトした人なら知っていると思うが、一般的に「ひや」といったら冷や酒のことである。「おひや」なら水のことである。「先生」と「大先生」も違う。「先生」と言えば教師か医者か議員。「大先生」となると、飲み屋で大声をはりあげる親父に対する総称になってしまう。

 前置きは、このくらいにして息子が生後13ヶ月になった。

 生後13ヶ月になると知能が格段と発達する。そのために母親を困惑させてしまう。ぐずりまくって食事をたべなくなるのだ。茶碗やらなにやらを辺り構わず投げ飛ばし、ワンワン泣き叫ぶ。困っている嫁さんに対して助け船をだした。イチゴとかバナナを小さく切って、それをフォークで刺して息子の手に持たせた。すると息子の愚図りがピタリと止まった。楽しそうにフォークでイチゴを口に運ぶ。これを応用して、御飯を大豆くらいの小さなおにぎりにして、いろんなフリカケをまぶし、これをフォークにさして持たせた。すると息子は楽しそうにフォークで御飯を口に運ぶようになった。あれほど愚図っていたのが嘘のようにピタリと止んだ。よーするに生後13ヶ月の息子は、自分でフォークやスプーンを持って食べたかったのだ。

 まあ、そんなことは、どうでもいい。
 これからが本題である。

 息子に「タケル君!」と呼ぶと、息子は「ハーイ!」と手をあげる。これは、2ヶ月前の生後11ヶ月の時に仕込んだ。親が一生懸命に覚えさせたのだ。 しかし、息子が生後13ヶ月になると、親が一生懸命に言葉を覚えさせなくとも、勝手に自分から言葉を覚えていくようになる。それも予期しない覚え方をして親を驚かす。その一つが「ハイ」である。意味は「ハーイ!」とは違っている。

 「ハーイ」は呼ばれたときの返事だが、「ハイ」ものを差し出す時の合図である。

「醤油とって」
「ハイ」

 赤ちゃんは、こんな何気ない日常会話を一番良く聞く。
 なので、こういう言葉を真っ先に覚える。
 そして手を差し出して「ハイ」と言ってみせる。
 もちろん「ハーイ」の意味とは違う。
 言葉は似ているが、全く違う意味なのだ。

 ここで、面白いことがおきた。苦労して教え込んだ「ハーイ」よりも、自分から覚えた「ハイ」の方が、息子は親しみをもっているようなのだ。日常的に使っているからである。

 で、思い当たることがあった。
 なぜ、息子は母親に対してだけ愚図るのか?
 ということである。

 うちの嫁さんは、息子に教育しようとしているから息子は反発するのだ。たとえば、食後に歯を磨かせようと、歯ブラシをもたすが、息子は叫きながら歯ブラシを放り投げる。13ヶ月の赤ちゃんに歯磨き教育なんて無理もほどがあるのに、育児本に書いてあるらしくて、それを実行しようとして大失敗している。

「あのなあ、そんなことしたって無駄!」

 赤ちゃんは、真似をしたがる生物であるということなのだ。だから教育しようとしてはだめ。目の前でやってみせて真似をさせる。息子の前で歯をみがいてみせる。すると、その光景をジーッとみていた息子は、見よう見まねでスプーンを口に入れる。その瞬間をねらって歯ブラシととりかえるのだ。

 この手法で、「いただきます」も「ごちそうさま」も生後11ヶ月でマスターした。しかし、それはあくまでも自主的に覚えたのであって、教育したわけではない。教育しようとしたら絶対に失敗する。必ず愚図るのである。教えなくても赤ちゃんは親の真似をする。

 しかし、生後13ヶ月になると、新しいタイプの真似をするようになった。
 テレビの真似をするのだ。
 教育テレビの『おかあさんと一緒』の体操のお兄さんの真似をして、一緒に踊るようになってきたのである。もちろんキメポーズもする。

 さらに歌も歌うようになってきた。
 まだ、音程は滅茶苦茶であるが、音楽に合わせてうたう。

 音楽も好きなようである。風呂上がりの着替えのときなどは、水前寺清子の歌を歌うと、ピタリと暴れるのをやめる。特に365歩のマーチが好きなようで

「パンツー、パンツー、パンツー、パンツー」

と歌いながらオムツを替えると大喜びである。服を着るときは「いっぽんどっこ」の歌を歌うと、また大喜び。

「おさがり着てても、心の錦
 咲いたチューリップより、綺麗だぜ
 若いときゃ、二度ない、どんとやれ
 男なら、人のやれないことをやれ♪」

 まさか歌詞の意味は判るまいが、なぜか息子は大喜びである。



 そんなことは、どうでもよい。
 生後13ヶ月にもなると、
 もはや赤ちゃんとは言えなくなっている。

「駄目、もとに戻して」

というと、元にもどすようになるからだ。聞きわけがよくなってくる。もうこうなると赤ちゃんというより、子供に近くなってきている。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 23:50| Comment(2) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月28日

スタッフ土井君の娘さん(生後7ヶ月)がやってきた。

今日は、ほとんど御客さんがいなかったので、
スタッフ土井君の娘さん(生後7ヶ月)が泊まりに来ました。
土井君いわく、『朝青龍に似ている』ということでしたので、
どんな子だろう?と構えていましたが、
このとうりの美女。
おめめが大きい女の子。
うちの息子も目が大きいですが、
アキナちゃんは、それ以上でしたね。
次は、いつ会えるのだろう?

14-4-28-04.JPG

14-4-28-05.JPG

14-4-28-06.JPG

14-4-28-07.JPG

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 23:00| Comment(2) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月25日

スタッフ土井君が、赤ちゃんを連れてきて泊まりにくることになった。

 スタッフの土井君が、嫁さんと赤ちゃんを連れてきて泊まりにくることになった。

 残念ながら今年のゴールデンウィークは、閑古鳥が鳴いている。こんなことは、オープン以来はじめてである。カレンダーが悪いのか、消費税のせいなのか、ガソリンの高騰のせいなのか、原因はわからない。ただ平日は、それなりに入っているので本当に不思議である。この音なしの構えには落胆した。

 そこでスタッフの土井君が、嫁さんと赤ちゃんを連れてきて泊まりにくることになった。もちろんゴールデンウィークの4月にである。嬉しいことに土井君の娘さんのアキナちゃんに会えることになった。生まれた直後、病院でしか会ってないので、本当に楽しみである。どうせ暇なので、土井家と一緒に森を散歩したい。アキナちゃんは、生後、何度か体調をくずしているので、このさい森林浴で、免疫力をつけてもらいたいと思っている。

 2005年の実験では、2泊3日の森林浴によってNK細胞活性が52.6%向上したことが確認され、同時に抗がんタンパク質の濃度も上昇していることが確認されている。森林の環境が免疫機能の向上に特異性を持つことが実証され、その30日後もNK細胞活性が一定レベルで継続していることが判明したている。

 つまり、2泊3日の森林浴は、1ヶ月も効果が持続することがわかっている。きっとアキナちゃんの体も北軽井沢で健康になるに違いない。

 まあ、そなことは、どうでもいいとして、3日後には土井君の赤ちゃんがやってくる。はやくアキナちゃんに会いたいものだ。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 08:49| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月24日

観察と受けいれ

息子も、あと2日で生後13ヶ月になる。

 子育てを終えた御客さんの話によれば、そろそろイヤイヤ期がやってくるらしいのだが、私が接しているかぎり、その気配は無い。というかイヤイヤ期なるものを知らなかった。御客さんに教えて貰ってはじめて知ったくらいである

「イヤイヤ期? それなんです」
「とにかく何をするにもぐずるんですよ」
「はあ?」
「そのうち必ずきますから」

 不安になったのでインターネットで調べてみたら書いてあった。一歳になるとイヤイヤ期がではじめ、二歳絶頂期になる。つまり行動範囲が広くなり、危険も増えるので、だめ出しが多くなり、駄目だよ。と言われることでと泣きだす。ということらしい。そういえば、心当たりがあった。私に対してはイヤイヤ期らしきものはないのだが、母親の嫁さんに対してはイヤイヤ期らしきものがみられる。

 例えば、夜寝るときなんかは、なかなか眠ってくれない。母親の体にのっかったりして遊んでいる。無理矢理に寝かせようとすると絶叫するので、1時間くらい嫁さんは息子と格闘している。

 私なら電気を消して放置している。一緒には寝ない。もちろん泣きわめくが3分したら疲れて寝てしまう。そしてはじめて添い寝するのだが、この方法を嫁さんにすすめるのだが、嫁さんは採用しない。

「私のイチャイチャタイムを奪わないで!」

と逆ギレする。私にしてみたら「わざわざ、なんで自ら苦労を背負うのか?」と思うのだが、嫁さんにしてみたら、それは苦労ではなく楽しみであるらしい。全くわけがわからん。なので、なぜ寝る前に1時間くらい嫁さんは息子と格闘しているのかを原因を探るために観察してみた。原因はすぐに分かった。

 睡魔に襲われて寝落ちする寸前の嫁さんの顔に、息子は何度も自分の背中を押しつけて、こすっていた。そのつど嫁さんは無抵抗で「タケちゃん止めて」と哀願している。絶対に息子にやめさせない。全ての息子の暴力をうけいれている。それを見た私は「もう・・・・勘弁してよ」と息子を引き離した。このままでは暴力息子になると思ったので、息子を引き離した。当然のことながら泣きわめくが、次の瞬間、息子はすぐに静かになり、5分後に息子は熟睡してしまった。

 私がやったことは一つ。
 息子の背中を掻いただけである。
 息子は痒い背中を嫁さんの鼻あたりに押しつけて擦っていたのだ。
 まさに間寛平の「かゆいの」だった。
 間寛平のギャグそのままなので、
 冷静になれば誰でも原因はわかったはずだ。
 しかし嫁さんは気がつかなかったようだ。
 というか、むしろそれを楽しんでいた。

 その後、風呂上がりに息子の背中に保湿クリームを塗ることによって、このような原因で息子が嫁さんを困らすことはなくなった。少なくとも1週間くらいは簡単に寝落ちしてくれた。しかし、現在は別の原因で就寝前に格闘しているようである。しかも、その格闘の原因を探って解決すると「私のイチャイチャタイムを奪わないで!」と言われかねないので放置している。

 それにしても母親というものは、一般人と別の論理で生きているらしい。息子がどんなに迷惑をかけても嬉しがるからである。息子にかまってもらっていると感じてしまうらしい。最初は、それではダメだと説教したこともあったのだが今は放置している。息子のイヤイヤ期を簡単に解決しすぎると、嫁さんは「イチャイチャタイムが無くなる」と淋しくなるらしい。

 さて、ここからが本題である。

 私は、息子のイヤイヤの原因をとりのぞく。背中のかゆみも含めて、息子の深い原因をとりのぞくのは、全て私である。嫁さんは、とりのぞかずに、ひたすら息子のイヤイヤ期を受け止める。それも楽しみながら受け止めている。論理的に考えれば、私が圧倒的に息子の役にたっているはずだが、親子三人で川の字になって寝ると、息子は母親の方に向かっていくのである。父親は息子に放置されたままなのだ。何か心の中がモヤモヤするのだが、これも太古から続いた人間の宿命だとおもってあきらめている。母は子供をうけとめ、父は子供を観察し、陰から手助けをしてあげる。そういうものなんだろうな?

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 08:49| Comment(3) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月23日

文法的理解と情緒的理解

息子も、あと3日で、1歳1ヶ月になる。
生後13ヶ月にもなると、知能がぐんと発達した。
まず、親の言葉を正確に理解するようになった。
手に危険なものをつかんでも
「危ないからテーブルに置いて」
と御願いするとおいてくれる。

最初に覚えた言葉は
「おいで」
だった。

 生後7ヶ月くらいから「おいで」というと、嬉しそうにキャッキャと笑いながら一生懸命に這いつくばってやってきた。

 なぜ「おいで」に最初に反応したかは容易に推察できる。
 息子をおぶって愛犬コロを散歩させていたからである。

 人の居ない山の中で愛犬コロの首輪からリードをはずして自由にした。愛犬コロは、喜んで野山をかけずり回った。そして「おいで」というと愛犬コロは走ってやってくる。それを見た息子は大喜びである。私は何度も愛犬コロに「おいで」と呼びかけ、そのつど愛犬コロは走ってやってきた。それを息子は毎日みていた。私の背中におぶさって見ていた。

 当然のことながら「おいで」の言葉の意味も簡単に覚えた。私が息子に「おいで」というと息子は、キャッキャと笑いながら一生懸命に這いつくばってやってきた。ここまではいい。問題は、息子が言葉を話し始めた2ヶ月前。つまり生後11ヶ月くらいの頃である。いつものように私は、「おいで」を言うとと笑いながら這いつくばってやってきたのだが、そのときに何か話ながらやってくるのだ。

「なんだろう? 何を言ってるのだろう?」

と私は耳をすませた。すると息子は

「おいで、おいで・・・・」

と話ながら私のところにやってきているのが分かった。

 「おいで」は、私が息子に発した命令語である。しかし息子は私に対して「おいで、おいで、おいで・・・・」と言いながらやってきている。つまり「おいで」の命令語としての意味をわかってないということである。「おいで」の意味は何となく分かっていても、それが誰が誰に対する命令語なのかはわかってない。つまり、まだ日本語の文法を理解してないということである。

 これは重要な発見だった。

 考えてみれば、生後12ヶ月くらいの赤ちゃんが文法を理解するわけがない。しかし、意味は分かっている。意味は分かっているけれど、文法まで理解するには、あと数年はかかるかもしれない。これは重要である。赤ちゃんが言葉の意味を知っていても、構文として論理的に理解しているわけではないということなのだ。つまり、赤ちゃんにメッセージを伝えるには、論理性よりも、感覚性に訴えないとだめだということである。

 と、言うことは、私が否定的だった「赤ちゃん言葉」で赤ちゃんと対話することもあながち無駄では無く、むしろメッセージを伝える武器としては、かなり強力なのかもしれない。

 実は、私は嫁さんと相談の結果、「赤ちゃん言葉」は使わない育児をしていた。理由は単純で愛犬コロとのコミュニケーションとの整合性をつけるためである。私は毎日、息子を背負って愛犬コロと一緒に山に行っている。愛犬コロとは、大人の言葉でコミュニケーションをとっている。愛犬は、シエルティーなので犬の中で最も頭が良く、人間以上に空気も読む。その愛犬コロとの会話を息子に聞かせるわけなので、「赤ちゃん言葉」は最初から論外だった。愛犬コロはコロであり、ワンワンではない。だから息子が真っ先に覚えた言葉が「コロ」だった。

 ところが息子の語彙が広がっていくと「ワンワン」と言うようになってきた。もちろん息子にとってワンワンとコロは、同じ意味では無い。息子にとって「ワンワン」は愛犬が吠える姿のことをさし、「コロ」は愛犬に指示をおくることをさしている。しかし、教えてもないのに自分から「ワンワン」と言い出したということは、「ワンワン」という赤ちゃん言葉は、赤ちゃんにとって普遍的で通じやすい言語であることの証しであるともいえる。つまり「赤ちゃん言葉」には、それだけの有用性があるともいえる。

 私は「赤ちゃん言葉」を使わずに「おいで」を息子に教えた。しかし息子は「おいで」を文法的には理解せず、経験的情緒的に理解している。息子に「おいで」というと、息子は大喜びでやってくる。私に対して「おいで、おいで、おいで・・・・」と言いながらやってくるのだ。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 08:17| Comment(3) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月20日

メタボ健診

 メタボ健診なるものに行ってきた。今年は、去年と比較して体重で7s。腹回りで11センチ小さくなっていた。他に、血圧を測ったり、採血をしたり、心電図を計ったりするのだが、夫婦で出かけたために、1歳の息子の置き場にこまってしまった。

 まず嫁さんが呼ばれた。尿の採集である。
 当然のことながら1歳の息子は私がダッコする。
 次に私が呼ばれた。
 息子をダッコしながら受付に行く。
 尿を入れる紙コップを受け取った。

 仕方が無いので、片手で息子をダッコしながら、もう一つの手でズボンのチャックをおろし、おもむろに紙コップを差し出して尿を採集した。息子は好奇心だけは強いので、この動作をじーっと見ている。採集した尿入りの紙コップを渡すと、私より遅れて嫁さんがやってきて、
「タケル君をみててあげる」
「いや、終わってるから」
「え?どうやって?」
「片手でダッコしながら、片手で採取したよ」
「不可能でしょ?」
「いや、可能だよ」
「絶対に不可能だよ」
「可能だって」
「どうやってやったのよ? 絶対に不可能でしょ? 片手で紙コップ持ってチャックをあけたわけ? 無理無理無理」

 笑うしかなかった。
 まわりのご老人たちも笑っていた。
 男なら不可能でないことは誰もが知っている。
 なぜ、女性は分からないのか?

 次は血圧の検査だった。尿の時は、私が息子をダッコしながら作業をしても問題なかったが、血圧の時は、正確な数字が出ないために息子を職員さんに預けることになった。息子は、つい最近まで人見知りしていたので、どうかな?と思ったが、全く泣かなかった。というか、誰にでも愛嬌をふりまいた。おかげで人気者である。

 都合がいいことに、すこし喋れるようになっていたので、時々「はーい」と手を挙げた。これは、名前をよぶと手をあげて答える練習をしていたのが、皆さんの前でたのだと思うのだが、「ハイ」という返事が英語の「hi(ハーイ)」に変換されて相手に伝わったようである。そのために会う人会う人に可愛がられている。どうも愛嬌をふりまく天才のようである。無愛想な私とは真逆の才能をもっているらしい。
 
 この後、採血や診察など、さまざまな検査を行ったが、いろんな人たちが息子をかまってくれた。ありがたいことである。もちろん誰にでも愛嬌をふりまく息子にも感謝である。

 本題にはいる。

 1歳になり6ヶ月にわたる人見知り期間が終わったとたん、息子は愛嬌をふりまく天才になった。まるで別人のようである。なぜだろう?と不思議に思っていたが、スーパーで買い物をしていたときに、その原因がわかった。

 うちの息子の成長は遅い。いまだにろくに歯が生えてない。そのために上手に発音ができない。しかし、知能だけは人並みに発達しているので、いろんな仕草ができる。御飯を食べ終わると、自分から「ごちそうさまでした」と言って手をあわせる。たまに「いただきます」
もいう。そのつど、親は笑顔で褒めまくるので、褒めて欲しいときは何度も自分から「ごちそうさまでした」と言って手をあわせる。かまって欲しいときは、自分から「ごちそうさまでした」と言って手をあわせる。

 誤解の無いように言っておくが、生後12ヶ月くらいなら、たいていの赤ちゃんは、「ごちそうさまでした」くらいは言ってのける。だから決して珍しいことではない。しかし、うちの息子は成長が遅い。歯もなければ、髪の毛も薄い。そのために典型的な赤ちゃん顔である。そのために多くの人たちから
「キューピーちゃんみたいだね」
と言われる。

 よーするに童顔なのだ。
 生後12ヶ月なのに、
 生後8ヶ月くらいのあどけなさをもっているのだ。

 その童顔な息子が、スーパーの中で、両手をあげて「ハーイ」と言うと、まわりの御客さんが
「あの子、私にハーイって言ったよ。英語で挨拶したよ」
と誤解して喜んでいる。その光景を何度も目撃した。

 最初は、それで終わっていたのだが、そのうち息子は無差別にいろんな人たちに「ハーイ」をやるようになった。すると、いろんな人たちが喜ぶ。かなり童顔なのに、他人に笑顔で語りかけるので、相手も喜ぶ。逆に、その反応を見て息子も喜ぶようになる。息子にとっては、かっこうの暇つぶしになっているのである。

 正直言って、こういう暇つぶしは助かる。その間に買い物に集中できるからだ。でないと陳列ケースにある商品をじられたりして、買い物に集中できない。陳列ケースの商品よりも、人間に興味をもってもらった方がありがたい。

 これも全て息子の成長が遅いせいだと思う。成長が遅くて童顔で実際よりも若く見られるわりに、人見知りせずに態度が大人びているので可愛らしさが際立ってみえるのだ。これは、他の赤ちゃんたちと比較すると一目瞭然である。

 ここで今回の話題の核心について述べたい。

 仮説その1
 赤ちゃんの成長の早さ・遅さによって、まわりの大人の態度がかわってくるのではないか?という仮説である。

 仮説その2
 仮に「仮説その1」が正しいとして、そのために赤ちゃんのその後の人生もかわってくるのではないか?という仮説である。

 息子を例にとると、成長が遅いために、可愛がられることもおおく、まわりの大人も引き寄せてしまう。その結果、はやく人見知りを克服してしまうのではないか? または、その他の赤ちゃんより笑顔が多くなるのでは無いか?という仮説である。もしそういう理屈がなりたつならば、赤ちゃん自身が、まわりの環境を変える。その環境によって赤ちゃんのキャラは、大きく変化もするということになるが、どうだろうか?

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング







posted by マネージャー at 22:47| Comment(4) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月18日

安物は、環境に悪い

 自営業をやると縁が無いのが、出張と御歳暮・御中元である。ずーっと縁が無いと思っていた。ところが最近、日本ユースホステル協会で会議をしたりするので出張なるものを度々することになった。そして、息子が生まれると、大量の御歳暮・御中元をだすはめになった。

 実は、高齢で子供ができたので、特典があった。多くの人たちからベビー用品のお下がりをいただけたことである。お祝いもたくさんいただいた。なので、何十人。それこそ百人近くからお祝いとベビー用品のお下がりをいただいた。もちろんいただきぱなしというわけでは拙いので、大量の御歳暮・御中元なんかをおくることになる。今まで、こんなに贈ったことはない。

 前置きは、ここまで。
 ここからが本題である。
 ベビー用品のお下がりについてである。

 実は、大勢の人から頂いたベビー用品のお下がりが、すごく丈夫で、頑丈なのだ。最初は気がつかなかった。なぜならば、自分で買ってなかったからである。もらい物で、なんとかなったので、気がつきようが無かった。しかし、息子を背負って買い物をしている最中に、息子がウンチをもらすことがある。で、運悪く着替えをもってなかったりすると、そのまま車を走らせて、西松屋あたりにかけこんで、新品の着替えの服を買って着替えさせる。西松屋などの赤ちゃん専門店には、授乳室があるので、そこで着替えられる。こうして、自分が買ったベビー服が増えていくのだ。

 すると衝撃的なことに気づく。
 自分が買った御ニューのベビー服は、すぐダメになる。
 しかし、もらったお下がりは、洗濯しても何ともない。

 で、調べてみたらベビー用品のお下がりは、ブランドものだった。私が買うベビー服は千円以下の安物。つまり、ベビー用品のお下がりは、祖父母かなにかのプレゼント品かなにかで、値段の張るものだったということである。

 普通、子供服に金をかけて買う親はいないだろう。子供はすぐに大きくなって着られなくなるからである。でなくとも、ウンチまみれにして黄ばみをっけてしまうかもしれない。それで漂白剤をつかったら服がすぐに傷んでしまう。第一、一日に何度も着替えることになるかもしれないので、数が必要である。そうそう高い物など買ってられない。

 しかし、孫にプレゼントする祖父母は、そうでないかもしれない。良い物を選ぶかもしれない。で、その良い物は、いつまでも痛まないで残ってしまうのだ。安物は、一代かぎりでぼろぼろになってしまう。当然のことながら、良い物だけがお下がりとして他人の手にわたっていく。下手したら、二代目・三代目・四代目というふうに、どんどん下がっていく。

 実は、「私も貰ったものなのだけれど・・・」とお下がりをくれた人がいた。最低でも三代目のお下がりであることは、はっきりしているのだけれど、これが新品同様に丈夫なのだ。それに対して、私が買った千円以下のベビー服は、5回くらい洗濯したら毛玉ができてきた。どう考えても一代限りである。これをお下がりとして、他人にあげる勇気は無い。うちの息子が着れなくなったらゴミになってしまうだろう。しかし、もらったお下がりのベビー服は、まだ他の赤ちゃんにあげられるなあと思ってしまう。つまり安物は、環境に悪いと言うことだ。

 これは、ベビー服以外のあらゆるケースにもあてはまるのではないかと思ってしまう。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 01:26| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月12日

大往生

また、一つ星が流れた。
私の伯父で92歳の大往生だった。
最近、こういう事が多い。
相変わらず私の息子は、生命力をもっている。
1歳2週間の生命力は眩しいくらいだ。

話は変わるが、うちの息子は、自他共に母親(嫁さん)似である。
どうみても嫁さんにそっくりだ。
私には似てない。

しかし、わずかに父親(つまり私のことです)に似ていると言う人が居る。
それが私の親である。
どういうわけか、息子のタケルが、父親の私に似ていると言っている。
おそらく現在の私の顔との比較では無く
幼児期の頃の私の顔との比較をしているのだろう。

私の子供の頃の写真と比較した画像をメールで送ってきた。
はたして、似ているのだろうか?

fcd2ad02.jpg

どっちが、どっちなのかは、伏せておきます。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 20:57| Comment(4) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月10日

オモチャの箱

息子も一歳になった。
もう人見知りしなくなってきた。

ちなみに一歳になると頭脳が日に日に進化していくのがわかる。
毎日のように新しい単語を覚えていくからだ。
「タケル君?」
と問いかけると
「はーい」
と手を挙げて返事をする。

 もちろん歯が無いので正確な発音では無いけれど、コタツ・緑・雪・布団・イチゴといった言葉を使うようになってきた。言葉の意味も分かるようになったらしく「ダメだよ」というと、こちらの意図を理解してくれる。

 ちなみに、うちの息子は「きりかえ」が早いらしい。危険なものを持っていた時に、それをとりあげても、あまり泣きわめくこと無く、次の興味にうつるらしい。それは、いろんな人に驚きをもって指摘された。他所の赤ちゃんは、ここで何分も泣きわめき駄々をこねるが、うちの息子は、すぐに切り替える。つまり自閉症では無いし、アスペルガーないということらしい。

 しかし、タネをあかせば、驚くようなことではない。なんのことはない。うちの子も、最初は駄々をこねていたのである。決して最初から切り替えが早かったわけではなかった。駄々をこねている時に徹底的に放置し、笑っているときに徹底的に可愛がっただけである。この基本的なことの繰り返しで、赤ちゃんの切り替えははやくなった。泣き続ければ、いずれ疲れて眠る。その時にミルクを与えて笑顔にして可愛がった。その結果、息子は少しずつ学習していった気がする。

 物を奪うときも、代わりのものを与えた。
 それを5分おきに繰り返しただけだ。

 危険だから奪うのでは無く、
 最初から5分ごとに奪っては
 別の物をあたえただけである。

 そのために大量のオモチャを買い続けたが、嫁さんは、オモチャが増えるのを極端に嫌った。そして私がオモチャを買う行為も嫌った。仕方が無いので、フライ返しやオタマやマグカップや電卓なんかをオモチャとして与え続けた。おかげで好奇心の強い子に育った。

 散歩にもつれていった。浅間牧場から、吹雪の小浅間山まで毎日のように連れていった。スーパーやホームセンターや公園・神社仏閣にもつれていった。そして、いろんな人たちとあわせた。それもあって本当に好奇心が強くなった。

 何度も犬を飼った人ならわかるかと思いますが、子犬を生後4ヶ月まで室内だけで飼うと、ドックランに行っても走らない犬になる。さらに6ヶ月まで室内で飼うと散歩さえいやがる。6ヶ月までケージから出さないでいると、ケージから出ることも嫌がる。逆に2ヶ月で庭に出して走らせると、よく走る犬になって、非常に好奇心が強くなります。しかし、普通の愛犬家たちは、ワクチン接種前に庭にはださない。4ヶ月まで出し渋る。私は、躊躇無く出した。出したおかげで、活発で健康で好奇心の強い犬になった。しかも、予想どうりに人に優しい犬になったことが確認できた。

 人間も一緒だと思う。好奇心は、ある時期でないとなかなか育たないと思う。後からでは遅いのだ。

 あと人間の脳は、誕生後に成長することがわかっている。生まれた後に脳が完成するのだ。これは犬も一緒である。つまり人間も犬も、幼児・幼犬の時に頭脳ができるということになる。で、犬の方をみると、幼犬の時は、決して物覚えが優れていたわけではない。むしろ成犬(一歳)になった時の方が、記憶力は高いし訓練の能率も高い。幼犬の時は、そたすら好奇心を磨いていただけである。これは、人間の赤ちゃんにも当てはまるかもしれない。幼児にとっては、ひたすら好奇心を追求する時代なのかもしれない。しかし、この好奇心の追求が、親に大変な負担を強いることも確かなのだ。

 子犬時代の愛犬コロは、本当に世話が大変だった。ところが成犬になったら、世話いらずの良い子になった。つねに、こちらの気配りをしてくれる。これは、人間の赤ちゃんも同じようになる可能性がある。息子が立って歩けるようになったら、本棚の本をかたっぱしから取り出したり、ビデオをとりだして放り投げたり、引き出しを開けて中をのぞいたりするだろう。その可能性は大いにある。というのも、息子にオモチャの入った箱をあたえると、箱からオモチャを出すことに熱中するからである。

 なんだか長い前置きになった。
 ここからが本題。

 私は、ある時間になると息子にオモチャの入った箱をあたえている。入っているものは日によって違うが、箱には10個くらいのオモチャが入っている。すると息子は、箱からオモチャを出すことに熱中する。まわりは、オモチャだらけになる。それを私が徹底的に片づけた。

 息子が出す。
 私がかたづける。
 これを1日に何度も繰り返し、
 そして1ヶ月くらい続いた。

 ある日というか、ここ3日くらいのことである。息子は、箱からオモチャを出すことをやめてしまった。
「変だな?」
と首をかしげていたら、オモチャの入った箱に、電卓とかコンビニ袋とか、あらゆる変なものが入っていた。
「あれ?」
と思って観察していたら、息子は、気に入った物は、何でもかんでも、オモチャの箱に入れるようになっていた。これも親の真似だろうか? 私が徹底的にかたづけていたから、息子は真似をするようになったのだろうか? 今のところは謎であるが、もう少し様子をみて、どうして息子がそういう心境になったのか?分析してみたい。



つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 22:43| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月27日

生と死

生と死

 昨日は、息子の誕生日だった。一日も一緒にすごしたが、最初は、そういう予定では無かった。嫁さんが、息子を連れて里帰りをし、嫁さんの実家で、義姉・義母たちと息子の誕生日を祝う予定だった。もちろん私は、雪かきがあるので宿で留守番である。私は、嫁さんに毎月1回は、里帰りをして、義母に親孝行してるところを息子に見せなさいと言っている。親の後ろ姿を見せる。それが一番効果的な教育方法であることは、五十過ぎの人間なら、誰もがもっている経験則である。だから、息子の誕生日は、嫁さんの実家で、義姉・義母たちと祝う予定だった。

 ところが、その直前に義母から電話があった。
 義姉の御主人の御尊父が急死したとのこと。
 脳梗塞だった。
 まさに急死だった。

 こうなると嫁さんは、実家に帰るどろこではない。嫁さんの実家はお葬式で大わらわのはずである。なので息子の誕生日は、北軽井沢ブルーベリーYGHで親子だけで行うことになった。私は、仕事を最低限にして、一日中、息子と遊んだ。一歳になったばかりの息子は生命のオーラにつつまれている。

 新しい生命が生まれる。
 しかし死も必ず訪れる。

 私も五十二歳になるので、五十二年間の間に多くの人たちを、あの世に見送っている。そのたびに淋しい思いをした。過去を共有した人を亡くすというのは辛い。自分の過去まで消えて無くなるような気がするからだ。特に少人数(二人)で共有した過去を無くすのはつらい。けれど未来を常に考えることができたら、淋しさなんて無いかもしれない。



 だから常に未来を考えて生きていきたいものだ。というのも未来を考えるようになると、忙しくなるからだ。息子が30歳になった時、私は82歳である。82歳でもシャキシャキと北軽井沢ブルーベリーYGHの雪かきをするための腕力・持久力を維持することを考えると、毎日、浅間山の頂上まで散歩するレベルの体力が必要だ。健康の維持はもちろんのこと、北軽井沢の活性化のためにも動かなければならない。やることは沢山ある。あれもこれも、目が回るくらいに忙しくなってくる。でも未来のためにがんばりたい。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 21:29| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月26日

窓の外

 一年たった。
 今日は、息子の一歳の誕生日だった。

 病気もせず、すくすくと育ってくれた息子には感謝している。
 去年の今頃は、毎日が不安だったが、
 今年は、健康な息子に安心感でいっぱいである。

 一歳にもなると、親の言葉の大半が分かるようである。話かけるとじっと聞いている。逆に夫婦で会話していると、会話にはいってくる。もちろん何を言ってるのかわからない。成長が遅いためか、息子には、ほとんど歯が生えてないので、きちんと言語の発音ができない。だから言葉になってないのだが、何か一生懸命に、こちらに伝えようとはしている。「ワンワン」とか「コロ(犬の名前)」という言葉を正確に言えるけれど、他の単語は赤ちゃん語のままである。歯がないのであたりまえといえば、あたりまえである。

 ちなみに一歳にもなると面白いことがおきた。
 毎日、窓ガラスの外を見ては、泣き叫ぶのである。
 くる日も、くる日も、窓から外をのぞいて泣いていた。
 それに嫁さんが気がついた。嫁さんは
「変だな?」
と思いつつ放置していたらしいのだが、あまりにも窓をみなががら泣き叫ぶので、何事か?と一緒に窓の外をのぞいてみたらしい。すると、窓の外で、雪かきしている父親(つまり私のことです)の姿が見えたらしい。

 実は私は、ここ1週間、ずっと雪かきをしていた。というか、氷になった根雪をツルハシで砕いて、それを林の中に捨てる作業をしていた。そうしないと駐車場の雪がなかなか溶けないし、溶け出すと水があふれて村道が泥濘になってしまうので、そうなる前に、ツルハシとスコップで氷になりつつある根雪を林に捨てに行くのである。

 その姿を息子が窓から見ていて、泣き叫んでいたらしい。

 なぜ泣いていたのかは、分からないけれど、一歳の誕生日の今日は、雪かきは最低限にして、息子と遊ぶことにした。息子の誕生日なので、一日中、息子と遊んでいた。これが一番の誕生プレゼントだと思う。息子も大喜びではしゃいでいた。一緒に風呂も入ったし、一緒に散歩もした。一緒に買い物にも行った。そして一緒に添い寝である。かなり疲れたのかぐっすり寝込んでいる。その寝顔をみるのが、幸せの瞬間だなと、つくづく思った。感謝のきもちでいっぱいである。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング







posted by マネージャー at 23:45| Comment(5) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月16日

はやいもので息子が生まれて、あと10日で1年になる

 はやいもので息子が生まれて、あと10日で1年になる。
 つまり1歳の誕生日を迎えるわけが、
 日々、息子の成長を観察していて、面白いことに気がついた。

 まず、生後1ヶ月。生後3ヶ月では、別の生物のように違うと言うことである。当たり前と言えば、あたりまえのことなのだが、まるで違う生き物である。もちろん生後3ヶ月と生後5ヶ月も違う。全く違う。犬と猿ほどもちがう。反応がまるで違うし、苦労のポイントが全く違う。生後6ヶ月以降になると、1ヶ月ごとに別の生物になったかと思うほど進化する。と、同時に、やっかいな問題もでてきた。

 しかしである。その厄介な問題への解決方法をさぐることによって、赤ちゃんに対する理解力が深まった。たとえば、生後8ヶ月をすぎると、大人しくオムツ交換に応じてくれない。なので、いろんな方法で対処するようになる。ミルクを飲ませるうちにオムツ交換をするとかである。しかし、これも壁につきあたる。離乳食を食べるようになるとミルクを飲まなくなるのだ。ほ乳瓶を叩き落として、オムツ交換を嫌がる。ウンチの場合は、さらにやっかいなことになる。

 で、いろんな手法を試すわけであるが、その手法をさぐるあいだに、赤ちゃんの真実がみえてくることがあるのだ。例えば、ある日突然、風呂上がりの着替えを嫌がるようになる。それへの対処として着替えゲームをしたり、いろんなことを試してなだめすかすが、あまりうまくいかない。で、しばらく素っ裸で放置することにした。もちろん部屋は零度くらいの寒さである。しかし、1分くらいは大暴れしている。で、3分後に自分から服を着ようとするようになる。もし、これが20度くらいの暖かい部屋だと、なかなか服を着ようとはしない。つまり赤ちゃんは、暑さに弱いことがこれでわかってくる。暑いと、服を着たがらないのだ。

 また、赤ちゃんは、いろんなものを擬人化する癖があるのもわかってくる。風呂上がりに着替える服に好き嫌いがあることが分かってくるからである。具体的に言うと、ライオンなどの絵が描いてある服を好む。無地の服よりも、そちらに反応するのだ。もっというと大きな目玉のあるキャラクターの描いてある服をこのむ。そうでない場合は、無地の以外の服を好む。縦縞とか、模様のはっきりした服を好む。で、その模様を擬人化しているようなのである。

 服だけでない。空のペットボトルなんかにも好みがある。絵が描いてあるペットボトルを好む。そうでなくてもペプシのマークのように目玉ぽいマークを好む。オモチャにしても、なんの模様もない木の積み木よりも、動物などのキャラがかいてあるものを好む。

 あと面白いのが服などについているタグを好む。そういう「でっぱり」を好む。チャックとか、ヒモとか、ボタンとか、ベルトといった付属品を好む。タグっぽい付属品を好むのである。そして口に入れようとする。タグのようなでっぱりは、口に入れやすいのだ。なぜ赤ちゃんは、なんでも口に入れようとするのかというと、これは長い進化の結果である。生まれたばかりの赤ちゃんは、口まわりだけが異常に完成度がたかくなっているからである。赤ちゃんは、ミルクを飲むことに特化して生まれており、他の器官は、生まれた後に完成するようになっているために、ものを口で確かめるしかないのだ。

 だから何でもかんでも口で確かめようとする。
 確かめはするが、食べようとは思ってない。
 そういう発想はない。
 けれど手足の感覚が口ほど発達してないので
 口に入れて確かめるしかないのだ。
 その場合、口に入れやすい「でっぱり」に興味がわくらしい。
 それでタグっぽいものを盛んに口に入れるのである。

 逆に言うと、これを利用して風呂上がりに、嫌がる服を着せることが可能になる。赤ちゃんの服のタグっぽいものを与えて興味をもたせるのである。服を着せる前に、ボタンを付けたり外したりして興味をもたせる。タグもみせる。赤ちゃんは、そういうものに目がない。それを利用して服を着させたりするのだが、こういう手法を発見するたびに赤ちゃんの本質が見えてくるから面白い。

 そんなことは、どうでもいい。
 息子が、あと10日で1歳になる。

 このくらいまで大きくなると、親の真似が、ますます激しくなる。私が3日くらいムスッとしてしまうと息子も無愛想になってくる。「こりゃまずい」と反省して、毎回、笑顔をみせると盛んに笑うようになる。目が合っただけでケラケラ笑うようになる。親の言葉もかなり正確にわかっているようでもある。話しかけるとじっと聞いている。私が歌うとリズムをとって壁を叩く。
「あーん」
と口をあけてみせると「あーん」と真似して返してくる。愛犬コロがワンワンと吠えると「ワンワン」と返す。ついうっかり、天才バカボンの歌を歌っていたら真似して「タリラリラリラリ・・・」と一日中、歌っていた。

 ここまで真似するようになると困った問題もおきてきた。

 北軽井沢は、乾燥しているために息子の鼻に鼻くそがたまってくる。それを取り除くために嫌がる息子を押さえ込み、息子の鼻から指で鼻くそをとったことがあった。すると息子は鼻の穴に指を入れることを真似しだした。最初は、自分の鼻の穴ではなく、親の鼻の穴に指を入れようとしてきた。これを阻止すると、こんどは自分の鼻の穴に入れようとする。これをブロックすることに苦労した。

 赤ちゃんは、物真似の天才であることをスッカリ忘れていた。どんなに面倒でもぬれた鼻紙で鼻をふくべきだった。息子の鼻の穴に、指やピンセットを入れるべきではなかった。そういう反省が何度も重なってくると、結局、しつけのできてない子供の責任の大半は親にあると思わざるをえない。それを考えると毎日、冷や汗をかく思いになる。

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 13:21| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月26日

原則を教える

 もうすぐ息子が、生後11ヶ月になる。我ながら成長の早さに驚かされる。生後11ヶ月になると、言葉をかなり正確に理解できるようになった。説明すると、親の言葉をじっと聞いているからだ。ただし、話すことはできない。話せないけれど、相手の言葉は、かなり正確に理解できている。それは生後11ヶ月の赤ちゃんを叱ることによって分かる。

 最近は叱るという言葉は、マイナスイメージにとられやすいので、ここでは、別の表現を使う。「叱る」ではなく「原則を教える」という表現に変えることにする。まあ、どちらでも同じ意味なのだが、より柔らかな表現である「原則を教える」を使ってみる。

 まず、眼鏡やリモコンやパソコン。それに危険なハサミなどを触ろうとしたら、これは触ってはダメだと言い聞かせてとりあげる。つまり原則を教えると、驚くほど聞き分けが良くなる。逆に原則を教えてないケースの場合は、全くもって聞き分けが悪い。オモチャを取り上げようもんなら絶叫して泣きわめく。

 これは、どういうことかというと、生後11ヶ月の赤ちゃんには、ルールのようなものを認識できているということであろう。ひょっとしたら所有の概念も、かすかに理解し始めているのかもしれない。

 あと、生後11ヶ月になると盛んにテレビを見るようになってきた。相変わらず教育テレビが好きなようだが、最近は民放も好んでみるようになってきた。嫁さんは、見させたくないようだが、私はガンガン見せている。すると面白い現象がおきた。テレビの音楽にあわせて、リズムをとって壁や床を手でたたき始めるようになってきたのだ。

「こいつはいい」
「生後11ヶ月でドラムのように壁を叩けるのはすてきだ」

と好き勝手にやらせていたのが失敗だった。寝る前になっても壁をドンドコ叩きだして、うるさくて眠れはしない。息子は、嬉しくなると壁をドンドコ叩きだすのだが、一番嬉しいときは、家族一緒に寝るときらしい。この時は、夫婦2人が息子のそばで添い寝するために、二人の親をみて嬉しくてしょうがないらしく、興奮して寝られない。そして、壁を壁をドンドコ叩きだす。無理矢理布団に押し込んで寝かそうとしても、ものすごい腕力でふりきって、部屋を一週するように壁をドンドコ叩きながら回る。それを何度も連れ戻して、こっちがヘトヘトになるころに、息子も疲れて眠り出す。この格闘が30分も続く。

 さて、ここからが本題である。

 こんな息子に原則を教えようとした。布団に入ったらすぐに寝るという原則を。ところが、どうもうまくいかない。他のケースだとうまくいくのに、就寝前の壁を叩くのだけはやめさせられない。で、気がついた。原則を教える場合、うまくいくケースと、どうしてもうまくいかないケースがあるのだ。

 で、うまくいかない場合は、
 決まって息子が興奮しているときなのだ。
 それも悲しくて興奮する時でなく
 嬉しくて興奮しているとき、
 そういう時に原則を教えるのが難しい。
 ということに気がついた。

 これは、犬のしつけにもいえることである。犬を飼っている人にとっては、常識なことなのだが、犬は興奮すると飼い主の言うことを聞かなくなる。だから飼い主は、興奮した犬に対して怒鳴らない。怒鳴るとますます興奮する。だからいったん、興奮を冷ますために、脇腹をつつく。気をそらす。気をそらして犬の目をみて指示をだす。そしてはじめて犬は、飼い主の言うことを聞くようになる。

 これは、人間の赤ちゃんにも同じ事が言えそうなのだ。興奮する赤ちゃんを怒鳴っても、ますます興奮するので、赤ちゃんに原則を教えるのが、ますます難しくなる。ここは、いったん興奮を静めなければならない。では、なぜ、うちの息子が寝る前に興奮するのか考えてみた。答えは簡単である。ここ1週間、昼間は、ずっと雪かきしていて全く相手してなかった。夜も確定申告前で忙しくて相手をしてやれてない。特に夫婦二人一緒に相手するケースは、ほとんどなかった。そのために寝る前に、夫婦二人がやってくるのが、嬉しくて嬉しくてたまらないのだろう。興奮もするにちがいない。壁をドンドコ叩きながら回るのも無理はない。

 というわけで、夜は、寝る1時間くらい前から相手して興奮をしずめてあげることにすることにした。はたして、布団に入ったら寝るという原則を教えることはできるだろうか? これに関しては、そうとうの努力が必要かもしれない。



つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 01:00| Comment(3) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月13日

叱らないしつけについて

 嫁さんが妊娠しているときに大量の育児書を読んでいた。
 私もパラッとのぞいてみたら、
 大半は、叱らないしつけについてのものだったので憂鬱になった。
 いつから、こういう世の中になったのだろうかと。
 世の中の御両親が、それを実行できるとは思ってないが。

 それはともかく、こういう育児がブームになると、その後をある程度は、予測できることがある。まず子供たちが大きくなると、空気を読めないとイジメが発生しやすくなるであろう。子供たちにとっては、原理原則より、空気が重要になってくるからだ。コレは根拠の無い話ではない。実は、叱らない育児というのは、大昔からあったことであるし、もうすでに何度も実行されていることなのだ。それだけに、それに対する欠点も長所も、すでに知られ尽くされている。

 私が知る限り、一番最初は明治時代にブームが起きている。当時の雑誌に数多く書かれてあった。当時は、旧武家の教育スタイルが一種のブームで、殴りつけるわけでもないのに、旧武家の子供たちは、実に行儀がよかったので、それを見習おうという風潮があった。出典は思い出せないが、国会図書館か大屋文庫あたりで読んだ記憶がある。
 しかし、この風潮は、すぐになくなってしまう。理由は、旧武家の師弟の進学率の低さにあった。旧武家の師弟たちは、字もうまく、行儀も良く、小学校4年生くらいまでは、成績も良いのだが、だんだんふるわなくなってくる。その原因について、ある人は、子供向けの雑誌をよませてくれないからであるという人もいた。当時、子供向けの雑誌は下品であるとされていたが、そこには講談が書いてあったので、下品なんてとんでもない。読めば読むほど人徳が磨かれるのに偏見で読ませてもらえなかったのだ。

 次の叱らない躾けのブームは、大正時代におきている。自由教育運動である。これは、しつけというより学校教育で、テストもなければ競走もない。学習計画もなければ、教科書もないという破天荒なシステムで、成功をみせてはいるけれど、教える側の苦労は大変なもので教師の誰もがこれを実行できるというわけではなかった。なので、この恩恵にありつけたのは、ある程度、裕福な親をもった少数の子供たちだけである。

 さらに昭和にはいって、別のアプローチから叱らない躾けのブームがおきている。原因は、幼児死亡率の減少で子供が大量に生まれだしたことにある。どの家でも子だくさんになり、兄弟における不公平が社会問題化されていた。どんなに親が平等に子供に接していても、子供を不公平に愛するということが社会問題になっていたのである。これは、日本だけの現象ではなく、ヨーロッパでも同じであったらしく、多くの児童文学が、それをテーマに名作を生んでいる。ジュール・ルナールの『にんじん』もそうだし、下村湖人の『次郎物語』もそれにあたる。そのために、戦前は、子供を叱らない躾けブームがおきていた。山本夏彦氏や、山本七平氏ら、大正生まれの中流家庭に育った著名人たちによれば

「親は、親の背中で子供を教育すべき」

というブームが起きていたらしい。

 で、これが、ある程度うまくいっていたが、今には存在しない前提があった。
 少年倶楽部・少女倶楽部・キングなどの修養雑誌の存在である。

 当時は、親のかわりに、子供を教育する媒体があったのだ。しかも、その媒体は、現在のテレビやインターネットよりも強力で巨大であったのだ。で、その媒体の編集方針というのがかわっていて、教育的なことを面白くおかしく伝えるというものだった。そのために、出版前に、大勢の子供たちに試し読みさせて面白いか面白くないかアンケートまでさせていた。

 なので、戦前の子供たちは、貪るように少年倶楽部・少女倶楽部を読み、その結果、自然と自分自身で自分を教育していたのである。しかし、例外もいたらしい。渡部昇一氏によれば、氏の故郷では、旧武家の子供たちは、やはり少年倶楽部・少女倶楽部をよませてもらえなかったらしい。そのために教養に差がついてしまったようである。

 それはともかく、そのせいか戦前は、今以上に空気に支配されるようになっていた。戦前にくらへれば、現在は空気がよめなくても生きるに不自由はない。山本七平氏の『空気の研究』によれば、戦前における『空気』の凄まじさに驚かされる。そして、この空気が原因で悲惨な戦争を戦ったんだとわかる。

 話がおおきくそれた。
 現代の話に戻す。

 叱らないしつけがブームになるということは、原則よりも空気を重要視する子供たちが増えると言うことが予測できる。今後は、ますますそういう社会になっていくだろう。ますます人望が問われる時代になっていくに違いない。どうやら現代の子供たちは、大変な世の中を生きていかなければならないようだ。原則は目に見えるけれど、空気は目に見えないからだ。目に見えないものを読みつつ、世渡りをしなければならない。日本は、確実に江戸時代の社会環境にもどりつつある。

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 11:29| Comment(7) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月06日

間違ったメッセージ3

間違ったメッセージ3

 首が痛い。原因は、リンパ腺が腫れているため。
 早い話が風邪である。
 しかし、生後10ヶ月の息子は風邪一つひかない。
 あきれるくらいに健康である。
 健康なのはいいのだが、
 ジャイアン(乱暴者)にならないか心配している。
 私が間違ったメッセージを発してしまったからである。

 話はかわるが、最近、急激に発達した科学技術がある。半導体なんかもそうだし、コンピューターもあてはまるかもしれない。細胞研究なんかもそうだろう。認知科学・発達心理学などもそうだ。なぜ認知科学・発達心理学が急激に研究がすすんだか?答えは単純明快である。ビデオカメラとパソコンのせいである。多くの赤ちゃんの生態を簡単に記録できて、それを大容量のハードディスクに保存して分類できるようになったからだ。で、認知科学・発達心理学の研究者たちは、おどろくべき発見を次々としていった。赤ちゃんは、旧来、考えられていた仮説よりも、知性的であったという事である。具体的に言うと大人の言葉がわかっていたということなどもそうだ。

 あと、もう一つ重大な発見もしている。赤ちゃんの頭脳は、科学者の思考方法と同一であるということだ。つまり赤ちゃんは、毎日、いろいろな実験をしている。親の顔を叩いて反応をみて、親の髪の毛をひっぱって反応をみている。つまり実験をしているわけで、その結果を学習している。そして、その学習結果によって、ジャイアン(乱暴者)にもなりうるし、ツネオ(事大主義者)にもなりうるし、のび太(いじめられっ子)にもなりうる。もちろんデキスギ(優等生)にもなりうる。

 しかし、これは、その後、大きくなってから教育で矯正できると思う。だから、心配ないと言えば心配ない。しかしである、ここで思い出すのが、孟子の性善説である。孟子は、惻隠の情をのべることによって、人間の性は善であるといった。

 よちよち歩きの子供が井戸に落ちそうになっているとしよう。それを見た通りがかりの人は、誰でも我を忘れて走りより、その子を助けようとするに違いない。それは別に、子供を救ってその親とお近づきになりたいと考えるからではない。世間の人にほめてもらうためでもない。また助けなければ非難されるということが怖いからでもない。それは人がだれでも「かわいそうだ」と思う心をもっているからなのだ。

 孟子は、これを惻隠の情と言った。皆さんも古典で習ったと思う。しかし、この惻隠の情は、本当に生まれながら誰もが持っているものだろうか? 赤ちゃんの時に、赤ちゃんが親の顔を叩いて反応をみて、親の髪の毛をひっぱって反応をみて、実験をしているときに学習したものではないか?

 とすると学習できなかった赤ちゃんには、惻隠の情に欠けることもあるかもしれない。もちろん、惻隠の情に薄い人間も、後に教育で矯正できると思う。そう考えると教育の重要性が大切だともいえる。それを主張したのが荀子であり、荀子の性悪説だともいえる。荀子は、だから教育の重要性をしてきしている。

 こう考えると孟子と荀子は、同じ穴の狢かもしれない。両方とも「赤ちゃん」をみてないからだ。人は教育で善でも悪でにもなりえる。これは真理だけれど、ほとんど教育しなくても善人のままの人もいる。逆に、ものすごい教育の積み重ねで、悪を反省し更正し、立派な大人になったひともいる。結果からいえば、両者はイコールなのだが、過程はまるでちがう。

 この差を以前は、遺伝子の差として片付けてきた。
 しかし、そうではない可能性もでてきたのだ。

 赤ちゃんの頭脳は、科学者の思考方法と同一であるということだと、小さいときに親や社会から間違ったメッセージをうけとってしまうと、後日、その矯正に本人が大きな苦労を強いられることになる。大がかりな教育が必要になる。親や社会の負担は、はかりしれないものになる可能性があるかもしれない。

 ちなみに赤ちゃんは、3歳になるとそれまでの記憶を失うと言われている。つまり、本格的な教育は3歳以降からはじまるわけで、それ以前に何かを暗記させても記憶が失われるので意味が無いわけだが、惻隠の情についてはどうだろうか? 赤ちゃんの頭脳は、科学者の思考方法と同一であるということだと、3歳以前に惻隠の情を会得している可能性がないともかぎらない。つまり、3歳以前に親が間違ったメッセージを赤ちゃんにおくると、この後に、大きな苦労がやってこないともかぎらないのだ。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 11:09| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月04日

間違ったメッセージ2

貼るな間違ったメッセージ2

 成功したウインターフェスティバルもおわり、昨日は1日かたずけをしていた。おかげで筋肉痛で腕が痛い。指もふるえっぱなしで、パソコンをうまくうてない。まあ、そんなことは、どうでもいいとして、今日から息子と嫁さんは里帰りする。私は宿に残って、いろんな工事業者さんと打ち合わせ、そして午後から嬬恋村役場でジオパークの打ち合わせである。

 嫁さんは月に1回、孫の顔見せで実家に里帰りしている。生後10ヶ月になったので、それをおばあちゃんに顔見せして親孝行させている。これは嫁さんの意向ではなく、私が嫁さんにやらせている。息子の教育のためである。嫁さんみずから親孝行する姿をみせて、子供に手本をしめしているのだ。親孝行は口で教えても無駄である。親の後ろ姿で教えない限り、親孝行は教えられない。本当なら私もたまに佐渡島の実家に孫を連れて帰った方が良いのだが佐渡は遠すぎる。それに私は、浮き世の義理で、あまり家を留守にできない事情もあるし、そもそも私は、親孝行ではないので、息子の手本にならない。

 まあ、そんなことは、どうでもいい。
 間違ったメッセージについて。

 猫を飼ったことのある人は、よくわかるかと思いますが、子猫は親猫を相手に遊びます。尻尾を噛んだり、腕を噛んだり。しかし、決して親猫は反撃しません。これはライオンやトラやヒョウでも一緒で、猫科の動物は、小さな子供に好き勝手にさせている。そういう子育てをしている。

 ところが犬は、あまりそういうことをしない。子犬が羽目をはずすと親犬は反撃する。この習性を利用して、ペットショップで子犬を選ぶときに、子犬を抱いて「うううーっ!」と唸って見せて子犬の反応をみたりする。すぐにビクッとすれば、親犬に充分にしつけされた子犬なので、そういう子犬は、しつけしやすいことがわかる。つまり、犬という動物は、そういう子育てをしているということなのだ。

 どうして、こんなにも子育てが違うかというと、その後、社会生活があるかどうかにあるかもしれない。犬は、人間とおなじく社会生活をする。猫はしない。社会を形成せずに、孤独に狩りをする。そういう遺伝子になっている。ところが犬は、大人になると社会生活をする。そういう遺伝子になっている。だから子犬が羽目をはずすとしつけする。

 では、人間はどうだろうか?
 猫科にちかいだろうか?
 犬科にちかいだろうか?
 もちろん犬科に近い。
 いずれ社会生活をするからである。

 息子が生まれたとき、甘やかす気など、これっぽっちもなかった。事実、悪いことしたら根気よく叱っていた。しかし、肝心なところでミスを犯していた。顔をペタペタ叩かれたり、髪の毛をひっぱったりしても、「可愛いなあ」くらいしか思ってなかった。しかし、これは猫が子猫に与えるメッセージなのだ。犬なら「ううーっ」と唸って子犬をしつける。そして社会生活を教える。しかし、猫は、基本的に子猫をジャイアンに育てるようにしている。社会生活を教えてないのだ。

 息子が、親の顔をペタペタ叩いてきたり、髪の毛をひっぱったりすれば、つい「可愛いなあ」と思ってしまう。しかし、それを放置したら、他の赤ちゃんにも同じ事をしてしまいかねない。生後10ヶ月の息子に、親と他の赤ちゃんの区別はつかないのだから。これは、非常に危険なことである。

この話題は、もう少しつづけてみたい。

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング







posted by マネージャー at 20:16| Comment(6) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月31日

間違ったメッセージ

 今日もウインターフェスティバルの準備で筋肉痛である。
 といっても、今年は、例年ほどの重労働はない。
 雪が少ないからである。
 雪が少なすぎて、大きな造形が作れないのだ。
 まあ、そんなことは、どうでもいいとして、
 今日は、息子の生後10ヶ月検診だった。

 で、嫁さんが息子を連れて行ったのだが、10ヶ月にもなると、どの赤ちゃんも自由に移動できるようになる。つまり赤ちゃんどうしのコミュニケーションみたいなものが生じる。その結果、はじめて自分の子育てにおいて非常に拙いことをしていることに気がついてしまった。

 息子が生後10ヶ月にもなるとプロレス技を覚えてきて、寝ている私にフライングボディーアタックをしてくることは前にも書いた。私は「めんこいなあ」と喜んで、その技をうけるのが密かな楽しみだったりするのだが、それを他の赤ちゃんにもしだしかねないのである。

 具体的にいうと他の赤ちゃんの髪の毛をひっぱるのだ。
 親の私の髪の毛をひっぱられても、
 私は笑いながら喜んでいたが、
 どうも、これが悪かったらしい。
 
 やはり、駄目なことは駄目だと、小さい頃から教えないと駄目なようである。こんなことは、子犬を飼ったことのある人には常識中の常識なのだが、人間にはつい甘い対応をしていた自分に反省した。

 ちなみに、嫁さんが妊娠したとき、嫁さんは山のように育児本を読んでいたが、私も2・3冊、ざっと読んだことがあった。で、
「こりゃいかん」
 と読むのをやめてしまった。今どきの育児本は、叱らないしつけしか書いてない。私は、叱らないしつけに懐疑的である。だから、こんなもの読んだら馬鹿になると思って読むのをやめたのだが、そんな私でも息子に甘かった事実に愕然としてしまった。

 嫁さんの話では、生後10ヶ月検診で他の赤ちゃんの髪の毛をひっぱったのは、うちの息子だけだったらしい。全く冷や汗ものである。穴があったら入りたい気分だ。

「生後10ヶ月じゃ、言って聞かせてもわからないよ」

 という人がいるのはわかっている。
 育児本にも書いてある。
 しかし、私は信じてない。

 というのも、髪の毛をひっぱられたとき「痛い!」と大げさに痛がってみせると息子は手加減するからである。あきらかに赤ちゃんは、大人の表情を理解できている。これは発達心理学者たちも指摘している事実でもある。赤ちゃんは、わかっているのだ。いや、分かろうとしているのだ。分かろうとするために日々、大人相手に実験しているのだ。それに対して、大人達が間違ったメッセージを赤ちゃんに与えていたら、赤ちゃんこそいい迷惑でなのだ。生後10ヶ月なら、そろそろ善悪を教えなければならないと思った。

 ちなみに、うちの息子は親に「いない、いない、ばー」をする。親の真似しているのだ。そんな時、私は大げさに喜んでみせる。そうすれば息子も大げさに喜ぶようになるからだ。

 ここまではいい。
 問題は、このあとである。

 息子は、私の髪の毛をひっぱる。その時も「痛い」といいつつも喜んでいた。ここで私は間違ったメッセージを息子に送っていたようなのだ。それに気がついた。それにしても危ないところだった。もう少しで息子をジャイアンにするところだった。子供を思いやりのある人間に育てていくのは本当に難しいものである。
 

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 03:55| Comment(3) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月28日

生後10ヶ月の息子は、フライングボディーアタックを私にしかけてくる

 今日は、嫁さんの誕生日だった。
 一昨日は、息子の10ヶ月の誕生月だった。

 で、今日は、息子の予防接種だった。大勢の10ヶ月児たちと一緒に予防接種をうけたわけだが、その中に、息子と同じパターンの動きをする子供がいたらしく、嫁さんが、その子のお母さんに家庭環境をたずねたら、まさにうちと同じ環境下だったらしい。巨大なベビーサークルの中ですごしているらしい。同じ環境下におかれた赤ちゃんは、同じような成長している事実を知って、やはりなと思ってしまった。

 また、すごい勢いでハイハイする10ヶ月児もいたらしく、その子の家庭環境についても嫁さんが聞いてきたところ、大きな部屋に放置しているらしく、広大な面積を毎日ハイハイしているために、ハイハイが、ものすごく早くなったらしい。やはり赤ちゃんのキャラクターは、環境によっておおきく変化する。

 うちの息子も、大きめな部屋(10畳)に4畳くらいのベビーサークルをつくって。床にベットマットを敷き詰めている。倒れても怪我をしないためである。こういう事ができるのは、宿屋という環境があってこそである。一般家庭では、難しいだろう。せいぜい10畳といった大きな和室でハイハイするだけだと思う。もちろんベットマットで倒れても安全な床を作るのは難しいと思う。せいぜい畳で安全を確保するくらいだろうか?

 何が言いたいかというと、うちの息子は、他のお子さんたちと違う、特殊な環境下で育っているということなのだ。そのために非常に特殊な動きをする。他の10ヶ月児と違う動きをするのである。

 ベビーフェンスの中で育てると、他人様より早く、掴まり立ちをするようになる。最初は、フェンス越しに親を呼ぶようになる。しかし、御客さんがいて忙しいときは放置するので、なんとかフェンスを乗り越えようと、掴まり立ちする。もちろん何度も倒れる。しかし、床はクッションがきいたベットマットなので痛くない。なので、七転び八起で、何度も倒れては立ち上がる。こうして、掴まり立ちが早くなり、よく立ち上がるようになるのである。

 ここまではいい。
 問題は、その後である。

 倒れても痛くないことを体で覚えた息子は、とんでもないことをしだす。私が、ベビーフェンスで寝転がると、プロレス技を私にしかけてくる。具体的に言うと、フライングボディーアタックである。まず、フェンスをつかんで立ち上がり、寝転がっている私のお腹をめがけて、ジャンピングアタックをかける。そして、お腹をおさえて、ドン・ドン・ドンと床をたたく。まるでプロレスのレフリーのように。これを1時間に20回くらいやるので、私のお腹は、真っ赤にはれあがった。

 この他に、ジャンピングヘッドバットなんかもよくやる。私に頭突きをおこなう。フェンスや壁や床にも頭突きを行う。もちろん自爆攻撃をしかけて呻いているときなんかもある。寝技もやるし、着替えの時や、オムツ交換の時は、かかと落としもするし、凶器攻撃もしてくる。

 ちなみに息子は、プロレスなんか見たことがない。見てないのにプロレス技をかけてくるのは、環境がなせるわざとしか言いようがない。よーするにフェンスがあって、床が弾力あるマットだと、プロレスラーのような動きになってしまうということなのだろう。というのは畳の上で育った10ヶ月児は、絶対にそういうことをしないからだ。逆に似たような環境で育った10ヶ月児は、うちの息子と同じような動きをする。面白いものである。

 あと夜泣きについて。

 夜泣きをするお子さんにも共通点があるかどうかはしらない。しかし、夜泣きをしないお子さんたちには、共通点があった。寝るのが遅いのだ。もちろん、うちの息子も寝るのが遅いので、夜泣きはしない。というか、遅すぎるから夜泣きにならないのだ。まあ、当たり前と言えば、当たり前である。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 22:35| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月26日

はやいもので、息子も生後10ヶ月になった

 はやいもので、息子も生後10ヶ月になった。

 このくらいになると、同じ10ヶ月の赤ちゃんどうしでも、かなり個性の開きができてきている。うちの息子は、歯が1本しか生えてないが、7本も歯のある10ヶ月の赤ちゃんもいる。かといって、7本の歯のある赤ちゃんより、うちの息子の発育が遅いかというと、そういうわけでもないらしい。というのも、7本の歯がある10ヶ月の赤ちゃんは、きちんと一人座りができないからだ。逆にうちの息子は、一人座りどころか、2歩くらいなら何にも捉まらなくとも立って歩くことができる。

 そうなのだ。
 うちの息子は立つのが早いのだ。
 それに気がついたとき
「しまった!」
 と思った。
 
 立って歩くのが異様に早いというのは、決して良いことでは無い。むしろ悪いとされている。現代医学では、充分なハイハイ期間をもうけずに立ってしまうことは、その後の成長にあたえる悪影響がおおきいと言われている。背筋が弱くなるからである。
 
 しかし、なぜ? うちの息子は、こんなにも早く立って歩くようになったのだろうか? 不思議でならなかった。なのでちょっと調べてみた。はやめに立って歩く赤ちゃんのお母さんに、うちの子の環境と共通点がないかどうかである。で、簡単に共通点が見つかってしまった。みんなベビーサークルを使っているのである。「なーんだ、そういうことか」と合点がいった。あと、兄弟がいる赤ちゃんも、早めに立って歩くようになるようである。
 
 赤ちゃんに与える環境の影響は、想像以上に大きいようである。
 
 環境と言えば、おもちゃが、赤ちゃんに与える影響も大きい。おもちゃは、赤ちゃんの環境にとってかなり重要な意味をもっている。
 
 うちの息子は、ベルトやファスナーに興味をもちだした。これをおもちゃにして遊んでいる。目覚まし時計や、愛犬コロなども重要なおもちゃである。コンビニ袋や柿のタネの小袋も大好きだ。
 
 もちろんテレビのリモコンや、眼鏡にも興味があるが、これには触らせない。どんなに泣こうが叫こうが絶対に触らせない。断固拒否している。つまり触ってはいけないものがあることを認識させている。だから眼鏡を息子からとりあげても、それほど怒らない。しかし、ほ乳瓶を取り上げると烈火のごとく怒り出す。
 
 この線引きを親がしなかったら、子供はどのように成長していくだろうか? どこまでが、おもちゃで、どこまでが触ってはいけないものか?その線引きは、案外、赤ちゃんには分かっているのではないかと思っている。
 
 というのも、痛い思いをすると、学習して触ろうとしなくなるからである。ストーブフェンスに首を突っ込んで痛い思いをしたとき、息子はしばらく近寄ろうとはしなかったからだ。
 
 ちなみに歯の生え方が遅い子にも、共通点があった。みんなではないが離乳食を送らせている親御さんたちばかりであった。ということは、環境によって子供の成長は大きく左右されるということになる。ひよっとしたら子供の個性というものは、遺伝子ではなく、環境によって大きく違ってくることになる。
 
つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月15日

自分の欠点に気づかされた話

 昨日から、嫁さんが息子を連れて実家に里帰りしている。こういうときは、一人で愛犬と浅間山に登り、そして軽井沢のドックランで犬仲間達とだべり、日没後にスーパーの総菜コーナーで、半額に値下がりした刺身や寿司などをゲットして、スーパーのベンチで美味しくいただくのだが、偶然にもママ友と出会い、お互い、息子・娘の話となった。

「もう、9ヶ月ですか。それじゃオムツはパンツ式ですね」
「いや、まだなんです」
「え? 大人しくオムツ交換してくれるんですか?」
「あれ?」

 そういえば、嫁さんがオムツ交換するときは、9ヶ月になる息子は絶叫していた。嫌がる息子を無理矢理押さえつけて、嫁さんはオムツを交換していた。もちろん息子は泣き叫んでいる。

「そうか! それで8ヶ月以上になると、オムツをパンツ式に変えるんですね。なるほど、そいつは知らなかった」
「ええええええええええ? じゃ、息子さんのオムツ交換、たいへんだったでしょう?」
「嫁さんはね」
「旦那さんは、オムツを替えないんですか?」
「いや、変えていますけれど、私の時には、息子は大人しいので」
「?」
「私は、オムツ変えるときにミルクを飲ませたり、いろいろ工夫しているので、別に暴れることはありません」

 オムツを替えたり、着替えさせるときは、8ヶ月以上の赤ちゃんは暴れるものらしい。じっさい、うちの息子も対応を間違えると暴れるし、泣きわめく。私の弟たちもそうだった。それを祖母や母が無理矢理、腕力で押さえつけていた。

 しかし、私は犬を飼った経験から、そういうときは「エサ」で釣るのが一番簡単だということを知っていたので、ミルクを飲ませて大人しくさせ、その間にオムツをかえたりしている。ミルクが無いときは、ゲームなどで気をそらせることもある。このゲーム方式をつかうと、9ヶ月の赤ちゃんでも自分から袖をとおそうとするようになる。

 しかし、それもやがて限界が来る。
 限界が来た時が、頭をつかうときでもある。

 まず、どうして大人しくオムツ交換に応じないのか?という原因を考えてみる。これは人間に組み込まれた遺伝子によるものに違いない。大人しく寝たくないという遺伝子の反応であるきずなのだ。それを押さえつけようとすると発狂するのが、その証拠である。

 じゃあ、9ヶ月の赤ちゃんは何をしたいのか?それを観察してみる。答えは簡単である。エビぞりたい。ハイハイしたい。立ち上がりたい。この3つのどちらかである。で、一番やりたいことを観察してみると、立ち上がりたいようなのだ。そういう好みが赤ちゃんの遺伝子にインプットされていることがわかる。見た目ですぐにわかる。

 ここまで観察できれば、対処方法は、おのずとわかってくる。しても簡単なことである。立たせてオムツを替えれば良い。立たせて服をきがえさせればいい。立たせるのが無理なら膝に座らせて着替えさせても良い。無理矢理に腕力で寝かせながらオムツ交換させなくても良い。

 というわけで、私は、オムツ交換に何不自由してなかった。

 しかし、考えてみたらママ友さんたちの指摘するように、パンツ式のオムツを採用していれば、もっと簡単にオムツ交換できていたはずだ。立たせながら交換するばあいなら、パンツ式の方が、圧倒的に便利だからである。やはりママ友ネットワークはあなどれない。貴重なノウハウが、いっぱいつまっているからである。それらのノウハウを無視して、自分で勝手に解決してしまうのが、私の欠点であることに今更ながら気づかされた。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 02:19| Comment(4) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月09日

親の健康の重要性

 昨日は、生後9ヶ月になる息子をつれて水沢観音に初詣にいってきた。
 おかげさまで息子は健康そのもので、親たちよりじょうぶである。
 あまりぐずったりもしない。

 しかし、親たちが風邪をひくと、突然、泣き出してぐずるようになったりする。いくらあやしても、泣き止まないので、変だなあとおもっていたら、うんちだった。うちの息子は、うんちすると、親のところにすりよってくる。そして足下にからみつく。私は、臭いで気がついて、すぐにおしめを替えるのだが、今回は、それに気がつかなかった。私の方が風邪をひいていて、鼻づまりとなっており、ウンチの臭いがわからなかったからである。

 すると息子はぐずりだす。しかし、それを「甘えてるのか?」と勘違いして私は、だっこするわけだが、見当違いなので、息子はもっとぐずり出す。私は、ますます、いろいろあやすのだが、そもそも、あやされたところで、ウンチが処分されるわけでもないので、よけいワンワンなきだす。

「あまったれてるなあ」

と1時間くらい放置していたが、いっこうに泣き止まない。嫁さんもテレビに夢中なので放置しているので、ますます息子は大暴れするようになった。

「あれ? 変だな? もしかして、これが夜泣きというやつなのかな?」

と不審に思いつつ、いろいろ対処してみたが、どんどん凶暴になってくる。ミルクを飲ませてみてもだめ。最後におむつをかえたらウンチだった。

「あー、そうだったのか! こいつはすまんことした」

 私も嫁さんも風邪で鼻が詰まっていて、ウンチの臭いがわからなかったのだ。ふだんなら10メートル離れていても息子がウンチしたら、そくざに臭いできづき、すぐにおむつを替えるのだが、今回は、それができなかった。しかも息子が出すサインに気がつかなかった。毎回、笑いながら足に絡まりついてくるのだが、臭いがしなかったので、ウンチと気がついてやれなかった。だから息子は珍しくぐずったんですね。

 こんかいのことで、親が健康であることの重要性を思い知らされました。親が健康で無いと、息子も不健康になる。息子の様子に気づいてあげられないので、息子が不必要にぐずり出すようになる。親の健康というのは、本当に大切ですね。思い知らされました。ちなみにおむつをかえてあげたら、嘘のように笑顔になり、今さっき、すやすやと眠ってしまいました。やはり赤ちゃんがくずるのは、必ず何らかの理由があるみたいですね。その原因さえ、みつけてあげれば嘘みたいに大人しくなる。しかし、親の体調が悪いと、原因をみつけてあげるのが困難になるんだよなあ。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング







posted by マネージャー at 23:38| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月07日

進撃の小さな巨人

9連休の繁忙期のあと、夫婦して、あいかわらす体調がもどらないが、
今日、体をひきずるように生後9ヶ月の息子の予防注射に行ってきた。

大勢の赤ちゃんたちが元気いっぱいだった。
人見知りの激しい息子は、同じ歳頃の赤ちゃんに人見知りしていた。

そんな息子も、最近は好奇心のかたまり。
何でも口に入れる。
つかまり立ちもスムーズにできる。
ハイハイのスピードも大人の歩く速度くらいになってきた。
床に転んでもなかない。

買ったばかりの本を、そのへんに置いたら最後。
息子に食べられて、くしゃくしゃにされてしまう。
眼鏡もリモコンも唾液だらけにされる。
とにかく好奇心のかたまりである。

そんな息子を最初は、10個ちかくの枕でかこった。
ウオール枕という城壁をつくったのである。
残念ながら、これは生後6ヶ月頃に突破された。

次に布団で城壁をつくった。
ウオール布団である。
これも生後7ヶ月で突破された。

仕方が無いので、大型フェンスを買ってきて閉じ込めたが、
これも、近いうちに突破されるにちがいない。
となると、ミニハウスを購入して安全なマットをしきつめるしかないだろうなあ。

ただし、好奇心を満足させるために、毎日、いろんなオモチャをあたえている。マグカップ・どんぶり・おたま・しゃもじ・タッパー・菓子うけ・皿・ペットボトルといったものを与えている。彼の好奇心は、とどまるところを知らない。



つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング







posted by マネージャー at 23:54| Comment(3) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月30日

今は、ちょうどウルトラの星(M78星雲)が見える

ここ数日、親子の御客様ばかりが続いている。
しかも満室にちかいくらいに埋まっている。
で、不思議なことに大晦日と新年の方が部屋が空いていて、
12月27日から30日の方が
部屋が先に埋まるというパターンだった。
昨日などは、12名も予約を断るというもったいないことに...orz

「どうしてだろう?」
「どうして年末年始より、その前の方から先に埋まるのだろう?」

と、すごい不思議に思っていたのだが、
御客様とお茶会で、お話ししてみて理由が分かった。
よーするに里帰りの途中なのですね。

転勤で、大阪とか名古屋で働いていて、
正月は東京の実家に帰省するのだが、
途中、北軽井沢によって遊ぶというわけです。
けれど、正月は実家でのんびりすごす。

なるほどね。
これは、新しいパターンですね。
いいかもしれませんね。

前置きは、ここまでです。
ここからが本題。

というわけて、ここ数日、ファミリーばかりでした。当然のことながら大勢子供たちが宿泊しています。もちろん、見知らぬものどうしなので、子供たちも最初は他人どうし、あまり交流が無い。

ところが、お父さんと2人できている8歳のお子さんが、別の家族のお子さんに「ゲームやらない?」と声をかけた。どうもお父さんが、背後にいてしかけたっぽい。

(お父さん、グッジョブです!)

で、子供たちでゲームをやりはじめて大盛り上がり。
見知らぬ人同士の交流がスタートした。
その光景が、たまらなくいい。
萌えますね。

ちなみに、うちの宿には今年からコタツを用意している。
これが子供たちに人気で、コタツでゲームしていた。
3家族6人の子供が楽しんでいる光景がすばらしい。
私も、子供たちに星空の解説をしました。
今は、ちょうどウルトラの星(M78星雲)が見えるので。

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 08:35| Comment(0) | TrackBack(0) | グンマーで嫁が出産と育児 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする