息子が今日(12月26日)で、生後9ヶ月になった。
今日から離乳食を1日2回に変更することにした。
生後9ヶ月ともなると、さすがに人見知りが激しくなる。
しかし、これは、とても素晴らしいことなのだ。
ちなみに、私は、小さい頃に、あまり人見知りしなかった。だから、平気で、いろんな人の家に遊びに行って可愛がってもらった。近所のおばあちゃん。近所の女の子。いろんな人の家に勝手にあがって遊んだ。しかし、どういうわけか4歳か5歳の頃に引っ越しすることになり、人見知りするようになって、そういうことは全くなくなってしまった。
長い前置きは、このくらいにして、ここからが本題である。私の人見知りも、小学校に入ると徐々になくなって、友達も何人かできるようになる。当然のことながら、家に友達が、何人も遊びにくるようになる。すると、子供にとって深刻な問題が発生した。
親が嫌う友達がいるのである。
厳密に言うと祖母が嫌った、友達がいた。
もちろん祖母が嫌うから、父母にも良くない報告が行く。だから父母も少しずつ嫌っていく。といっても父も母も共働きで、子供たちが遊ぶような時間帯にいないので、子供の交友関係には、あまり干渉はしない。というかできない。ただ、ネチネチと何か言ってくるようになる。で、なんとなく、私自身が、その友達と距離をおくようになる。するとである。ほぼ同時期に、クラスのほとんどの子が、その子と距離をおきはじめるのである。不思議に思って子供心に調べてみると、距離を置く子の親たちの大半が、その子を嫌っていた。
しかし、その子は、とても良い子なのだ。嫌われる理由など、何もないはずなのだ。心優しい子で、虫も殺せない子で、いろんなオモチャをもっていて、それを気前よく貸してくれて、決して暴力的なことをせず、礼儀正しく、しかも笑顔がすてきな子なのである。しかし、どの家の親たちにも好かれてない。これが、幼少の頃の私には、よく理解できなかった。なぜ、あの子は、大人たちに嫌われるのだろうか?と。
実は、今の私には、彼が嫌われた理由がわかる。
本当に痛いほど分かる。
だから、52歳になった今でも過去を思い出しては胸が痛む。
彼は、人見知りしない子だったのだ。
当時のことを思い出すと、こんな状況が思い浮かぶ。15時頃に学校から帰り、私の家で17時頃まで遊ぶ。17時になると、サイレンが鳴る。すると、友達は一斉に帰り出す。18時には、どの家でも家族揃って夕食が始まるので、どんなに遅くでも17時20分頃には、どんどん帰り出す。しかし、一人だけ帰らない子がいる。それに祖母がイライラしはじめるのである。
そのうち、父が勤めから帰ってきて、母が勤めから帰ってくる。そろそろ家族で夕食を食べ始める時間が近づいてくると、イライラしていた祖母が、帰らない友達を無理矢理追い出す。で、その友達は、でていくのだが、すぐに自宅に帰るわけではない。ひとりぼっちで家の前の空き地で砂遊びかなにかやっている。それを見た祖母は、さらにイライラするのである。で、とっとと帰れと注意するわけであるが、その子の家は、父親は出稼ぎで何ヶ月も家を留守にしているし、母親は、19時頃までスーパーでパートをしているので、19時頃まで、あちこちで時間をつぶさなければならない。で、いろんなところを転々としているうちに、どの親からも総スカンをくらい、それが子供に伝染して、イジメにつながっていくのである。
もし、彼が人見知りしていれば、問題なかった。
家で、じっと母親を待っていたはずであるから。
もしくは他人の一家団欒に耐えかねて、母親がいるスーパーのそばに走って行ったかもしれない。
しかし、彼は人見知りしない人だった。
いつ、どこで出会っても笑顔で挨拶していた。
物怖じしなかった。
他人の一家団欒を見ても、何の変化もなかった。
家にも帰ろうとしなかったし、母親のいるスーパーにも行かなかった。
それが原因で悲劇がおきるのである。
その彼の姿をみると心が痛んだ。実は、私も過去に、そういうところがあったのだ。それは長い前置きにも書いた。私は、4歳くらいまで人見知りしなかったために、近所の知らない人のところによく遊びに行った。けれど不思議なことに、私は、どの家からも嫌われなかった。それは3歳とか4歳という年齢だったからだと思われる。10歳だったら話がちがっていたはずである。だから5歳くらいになって、急に人見知りになったことによって、私はギリギリのところで救われたのである。
人見知りになるということは、その子に帰属意識が生まれるということである。これは、野生動物を観察するとよくわかる。キツネやオオカミは、ある日、突然、人見知りになる。犬も3歳をさかいに人見知りになる。内と外を区別し出す。遺伝子に、そうなるようにプログラムされている。しかし、そのプログラムは、ある条件下にしか作動しない。そこが問題なのである。
今でも思い出す。人見知りしなかった、あの子を初めてみた時のことを。あれは小学校に入ったばかりのことだった。彼は、最初から集団生活ができなかった。みんなが教室で勉強しているときに、グランドで一人、泥だらけで遊んでいた。靴は履いてなくて、靴下だけで、ドロドロのグランドでなにかしていた。変な奴だなと、声をかけたら、誰よりも気さくに返事をしてくれた。面白い奴だと子供心に思ったけれど、大人たちは、彼をどういう目でいたのだろうか?
つづく。
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2013年12月26日
2013年12月21日
私は、赤信号の間に、コンビニ弁当を全て平らげてしまう特技がある2
私は、赤信号の間に、コンビニ弁当を全て平らげてしまう特技がある2
私は、赤信号の間に、コンビニ弁当を全て平らげてしまう特技がある。
いつからかと言うと、かなり小さい頃からである。
赤ちゃんを育てたことのある人間なら分かると思うが、幼児は食べるのが遅い。もちろん私も幼児の頃は遅かった。しかし、母親なら、それに腹をたてることもなく、ゆっくり食べさせたと思う。問題は、私の父親である。昔の男たちには、早食いの人間が多かった。
それはともかくとして、
私は3歳まで父親の顔をみず、母親と共に育った。
3歳になると、こんどは母親と離ればなれとなり、
父親と祖母に育てられた。
生活が一変したのである。
といっても、父親は昼間は働いている。顔を合わせるのは、夕方18時頃から夜の20時頃までである。それ以降だと私は睡眠についていたし、朝は、早くから父親は仕事に出かけている。だから接触している時間は、短かったはずなのだが、この短い時間が恐怖だった。
まず、父親は、ゆっくり食事をたべることを許さなかった。
しかし、いくら殴られても早食いになるわけではない。
で、怒った父親は、私を二階の屋根裏部屋にとじこめたが、
三歳の幼児に、これは堪えた。
ちなみに、その家は平屋だった。
だから二階といっても、本当に屋根裏の物置だったのだ。
もちろん電気などない。
真っ暗である。
恐怖そのものである。
しかし、子供というものは、
その恐怖に対して、
怖いもの見たさのような感情がある。
あの暗闇の中が、どんなふうになっているのか見てみたい。となると、昼間、こっそりと二階に登るしかない。で、何度も2階への階段を上ろうとするが、そのつど祖母にみつかって叱られる。連れ戻される。その階段は、ハシゴのような急階段で、三歳の幼児には危険すぎたのである。
祖母(または母)は言った。
「あそこには、鬼がいるのよ。登ったら食い殺されるよ」
たしかに階段を登り切ったところに般若の面がかざってあった。
かなり高価なものだったらしい。
食べるのが遅いといって、お仕置きに、屋根裏に閉じ込められた時も、
あの般若(鬼)の面に恐怖しながら泣きさけんだ。
父親は
「言うこと聞かないと、この鬼につれていかれるからな」
と怒鳴った。
父親も鬼に見えたし、鬼(般若)の面も怖かった。
母親は、弟と単身赴任で、遠くにいったままでいない。
いままで見たことも無かった父親と祖母との生活は、
この般若の面が置いてある二階の物置に、
毎日閉じ込められる恐怖との戦いであった。そして
「あそこには、鬼がいるのよ。登ったら食い殺されるよ」
という脅しへの恐怖。
その食い殺そうとする般若の面が飾ってある二階の物置に
閉じ込められるという恐怖で、毎日、生きたここちがしなかった。
もちろん早飯ぐらいになろうと努力もしたが、その努力はなかなか実を結ばない。そもそも三歳児が、早飯になれるわけがない。わけがないのに、食べるのが遅いといっては、2階の屋根裏にとじこめられる。そして、般若(鬼)の面の恐怖が襲ってくる。
三歳だった私は、ある日、ついに決心した。
真っ昼間、祖母・両親の目を盗んで、
こっそりと屋根裏部屋のある2階にあがって、
般若の面を粉々にくだいてしまった。
けっこう高価な面だったらしいが、
そんなことは3歳児の知ったことでは無い。
つづく。
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私は、赤信号の間に、コンビニ弁当を全て平らげてしまう特技がある。
いつからかと言うと、かなり小さい頃からである。
赤ちゃんを育てたことのある人間なら分かると思うが、幼児は食べるのが遅い。もちろん私も幼児の頃は遅かった。しかし、母親なら、それに腹をたてることもなく、ゆっくり食べさせたと思う。問題は、私の父親である。昔の男たちには、早食いの人間が多かった。
それはともかくとして、
私は3歳まで父親の顔をみず、母親と共に育った。
3歳になると、こんどは母親と離ればなれとなり、
父親と祖母に育てられた。
生活が一変したのである。
といっても、父親は昼間は働いている。顔を合わせるのは、夕方18時頃から夜の20時頃までである。それ以降だと私は睡眠についていたし、朝は、早くから父親は仕事に出かけている。だから接触している時間は、短かったはずなのだが、この短い時間が恐怖だった。
まず、父親は、ゆっくり食事をたべることを許さなかった。
しかし、いくら殴られても早食いになるわけではない。
で、怒った父親は、私を二階の屋根裏部屋にとじこめたが、
三歳の幼児に、これは堪えた。
ちなみに、その家は平屋だった。
だから二階といっても、本当に屋根裏の物置だったのだ。
もちろん電気などない。
真っ暗である。
恐怖そのものである。
しかし、子供というものは、
その恐怖に対して、
怖いもの見たさのような感情がある。
あの暗闇の中が、どんなふうになっているのか見てみたい。となると、昼間、こっそりと二階に登るしかない。で、何度も2階への階段を上ろうとするが、そのつど祖母にみつかって叱られる。連れ戻される。その階段は、ハシゴのような急階段で、三歳の幼児には危険すぎたのである。
祖母(または母)は言った。
「あそこには、鬼がいるのよ。登ったら食い殺されるよ」
たしかに階段を登り切ったところに般若の面がかざってあった。
かなり高価なものだったらしい。
食べるのが遅いといって、お仕置きに、屋根裏に閉じ込められた時も、
あの般若(鬼)の面に恐怖しながら泣きさけんだ。
父親は
「言うこと聞かないと、この鬼につれていかれるからな」
と怒鳴った。
父親も鬼に見えたし、鬼(般若)の面も怖かった。
母親は、弟と単身赴任で、遠くにいったままでいない。
いままで見たことも無かった父親と祖母との生活は、
この般若の面が置いてある二階の物置に、
毎日閉じ込められる恐怖との戦いであった。そして
「あそこには、鬼がいるのよ。登ったら食い殺されるよ」
という脅しへの恐怖。
その食い殺そうとする般若の面が飾ってある二階の物置に
閉じ込められるという恐怖で、毎日、生きたここちがしなかった。
もちろん早飯ぐらいになろうと努力もしたが、その努力はなかなか実を結ばない。そもそも三歳児が、早飯になれるわけがない。わけがないのに、食べるのが遅いといっては、2階の屋根裏にとじこめられる。そして、般若(鬼)の面の恐怖が襲ってくる。
三歳だった私は、ある日、ついに決心した。
真っ昼間、祖母・両親の目を盗んで、
こっそりと屋根裏部屋のある2階にあがって、
般若の面を粉々にくだいてしまった。
けっこう高価な面だったらしいが、
そんなことは3歳児の知ったことでは無い。
つづく。
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2013年12月19日
私は、赤信号の間に、コンビニ弁当を全て平らげてしまう特技がある
今日は、大雪でした。
1日、雪かきにおわれ、息子と一緒に登山できなかった。もっとも小浅間山は、スノーシューがないと登れないレベルの積雪なので、赤ちゃん用の冬山用ゴアテックスを買わないと上れない。
しかし、探してみてわかったのですが、赤ちゃん用の冬装備なんか売ってないんですよね。
こうなったら自作するしかないか!
それはともかく、うちの息子が離乳食をはじめて1ヶ月経過。
最近、なぜか嫁さんが食べさせる離乳食を嫌ってワンワン泣いている。
で、様子をみてみると
「アチャー」
と頭をかかえてしまった。
嫁さんは、一度に3種類の離乳食を食べさせている。
おかゆ・野菜煮・肉(または豆腐)である。
そのうちの、おかゆを息子が嫌がるのだ。
しかも床には、いろんな食べこぼしが。
むりもない。おかゆには、味が無い。野菜煮には、昆布出汁がはいっている。なのにお粥だけを食べさせて、その後に野菜煮・豆腐と進んでいるから赤ちゃんが怒り出したのだろう。もちろん私だって、そういう食べさせられかたをしたら怒るかもしれない。
仕方が無いので、めんどくさいけれど私が食べさせることにした。
まず、私の左膝に赤ちゃんを乗せ、
自分一人で、自分の食事をむしゃむしゃ食べる。
自分がおいそうに食べているのを見せると、
赤ちゃんの食欲がますからである。
これは弟で実験ずみであったから、
息子の前でもやったら、息子はじーっと私を見ている。
そして、その後にお粥を赤ちゃんに一さじ。
その後は、私が自分の食事。
そして、野菜煮を赤ちゃんに一さじ。
そして自分。
そして、豆腐を赤ちゃんに一さじ。
そして自分。
赤ちゃんには、ひたすら
お粥→野菜煮→豆腐→
のローテーションで食べさせて、その合間には、自分の食事もする。こうすると、赤ちゃんは、そのうち口を開けて待っているようになる。すると嫁さんが感心して
「食べさせ方が上手だね」
とびっくりしていた。
「いや、上手とか言う問題では無いんだよ」
「どういうこと?」
「赤ちゃんだって、おかず無しで御飯ばかり食べるのはつらいんだよ。おかずと御飯は交互に食べておいしいんだから」
「でも、最初は、お粥を嫌がってなかったよ」
「それはお粥だけしか作ってなかったからさ。昆布から出汁をとった煮物を食べさせてなかったでしょ? 出汁の味を覚えた今、お粥だけ食べるという後戻りはできないんだ」
「なるほどねえ」
というわけで、離乳食も私が食べさせるようになったが、おかげで私の食事スピードがおちてしまい、その結果、私の満腹中枢が刺激されてしまい、私の過食傾向は、なくなりつつある。
なにせ、私は吉野家の牛丼を10秒で食べてしまう人間である。
赤信号の間に、コンビニ弁当を全て平らげてしまう特技があるくらいだ。
どうしても過食して太ってしまうのだが、
最近、赤ちゃんのせいで、その特技は封印されつつある。
なので、ちょっといらついている。
つづく。
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1日、雪かきにおわれ、息子と一緒に登山できなかった。もっとも小浅間山は、スノーシューがないと登れないレベルの積雪なので、赤ちゃん用の冬山用ゴアテックスを買わないと上れない。
しかし、探してみてわかったのですが、赤ちゃん用の冬装備なんか売ってないんですよね。
こうなったら自作するしかないか!
それはともかく、うちの息子が離乳食をはじめて1ヶ月経過。
最近、なぜか嫁さんが食べさせる離乳食を嫌ってワンワン泣いている。
で、様子をみてみると
「アチャー」
と頭をかかえてしまった。
嫁さんは、一度に3種類の離乳食を食べさせている。
おかゆ・野菜煮・肉(または豆腐)である。
そのうちの、おかゆを息子が嫌がるのだ。
しかも床には、いろんな食べこぼしが。
むりもない。おかゆには、味が無い。野菜煮には、昆布出汁がはいっている。なのにお粥だけを食べさせて、その後に野菜煮・豆腐と進んでいるから赤ちゃんが怒り出したのだろう。もちろん私だって、そういう食べさせられかたをしたら怒るかもしれない。
仕方が無いので、めんどくさいけれど私が食べさせることにした。
まず、私の左膝に赤ちゃんを乗せ、
自分一人で、自分の食事をむしゃむしゃ食べる。
自分がおいそうに食べているのを見せると、
赤ちゃんの食欲がますからである。
これは弟で実験ずみであったから、
息子の前でもやったら、息子はじーっと私を見ている。
そして、その後にお粥を赤ちゃんに一さじ。
その後は、私が自分の食事。
そして、野菜煮を赤ちゃんに一さじ。
そして自分。
そして、豆腐を赤ちゃんに一さじ。
そして自分。
赤ちゃんには、ひたすら
お粥→野菜煮→豆腐→
のローテーションで食べさせて、その合間には、自分の食事もする。こうすると、赤ちゃんは、そのうち口を開けて待っているようになる。すると嫁さんが感心して
「食べさせ方が上手だね」
とびっくりしていた。
「いや、上手とか言う問題では無いんだよ」
「どういうこと?」
「赤ちゃんだって、おかず無しで御飯ばかり食べるのはつらいんだよ。おかずと御飯は交互に食べておいしいんだから」
「でも、最初は、お粥を嫌がってなかったよ」
「それはお粥だけしか作ってなかったからさ。昆布から出汁をとった煮物を食べさせてなかったでしょ? 出汁の味を覚えた今、お粥だけ食べるという後戻りはできないんだ」
「なるほどねえ」
というわけで、離乳食も私が食べさせるようになったが、おかげで私の食事スピードがおちてしまい、その結果、私の満腹中枢が刺激されてしまい、私の過食傾向は、なくなりつつある。
なにせ、私は吉野家の牛丼を10秒で食べてしまう人間である。
赤信号の間に、コンビニ弁当を全て平らげてしまう特技があるくらいだ。
どうしても過食して太ってしまうのだが、
最近、赤ちゃんのせいで、その特技は封印されつつある。
なので、ちょっといらついている。
つづく。
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2013年12月18日
豪雪までいかないけれど、毎日5センチくらいは降っている
昨日から、雪。
豪雪までいかないけれど、毎日5センチくらいは降っている。
で、迷ってしまった。
実は、9月から、ほぼ毎日、赤ちゃんをおんぶして愛犬と共に山に登っている。9月は季候が良かったけれど、12月に入ると昼間でもマイナス5度くらいにはなる。でも、ほぼ登山を休んだことは無い。赤ちゃんは、あと1週間で生後9ヶ月になるけれど、まだ一度も病気はしてない。健康そのもの。
毎日、一緒に登山しているけれど、そのつど、ほっぺは真っ赤にして、強風や雪にも負けないで、雪山を楽しんでいる。キャッキャ、キャッキャと大はしゃぎ。その小さな体が、日増しに逞しくなっていくのがわかってくる。健康そのもの。じょうぶそのもの。
しかし、今日は、さすがに迷った。小浅間山が吹雪いていたからだ。吹雪けば、体感温度が10度は下がる。常識的には断念すべきなのだ。
行くべきか?
行かぬべきか?
とりあえず、15分ほど歩いてみたが、やはり断念。さすがの息子も、いつものようにはしゃがなかった。逆に愛犬コロが大はしゃぎ。やっぱり犬は寒さにつよい。で、自宅に帰ったら、登山中止で体力をもてあました赤ちゃんが、家の中で暴れ回ってたいへんだった。
おんぶとはいえ、新生児を6月ころから毎日、山につれていっている親は、日本広しと言っても私だけだろう。7月8月は忙しすぎて中断したけれど、生後3ヶ月から9ヶ月ちかくまで、ほぼ毎日、山に登った赤ちゃんは、うちの息子くらいでは無いかと思う。
山に登ると免疫力がアップすることはよく知られていますが、それは厚生省の検証によって厚生労働省のホームページにも書かれてあります。2泊3日の森林滞在者は、2泊3日の都市部旅行者よりも56%のNK細胞活性を再現しており、30日後もNK細胞活性が一定レベルで継続していることが判明し、森林浴での健康増進が持続効果を持つことが明らかとなっています。
また、犬などのペットも赤ちゃんの免疫力を高めることは、よくしられています。フィンランドの研究によれば、犬や猫をペットにしている家庭で家庭で育った赤ちゃんは、咳をしにくく、鼻もすすりにくく、耳の感染症にもかかりにくいそうです。何らかのアレルギーになる可能性も低くなるそうです。
なので、赤ちゃんと愛犬と一緒に、毎日山登りしてきたのですが、さすがに吹雪だと断念せざるをえなかった。今度、赤ちゃん用のゴアテックスを買ってきます。
つづく。
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豪雪までいかないけれど、毎日5センチくらいは降っている。
で、迷ってしまった。
実は、9月から、ほぼ毎日、赤ちゃんをおんぶして愛犬と共に山に登っている。9月は季候が良かったけれど、12月に入ると昼間でもマイナス5度くらいにはなる。でも、ほぼ登山を休んだことは無い。赤ちゃんは、あと1週間で生後9ヶ月になるけれど、まだ一度も病気はしてない。健康そのもの。
毎日、一緒に登山しているけれど、そのつど、ほっぺは真っ赤にして、強風や雪にも負けないで、雪山を楽しんでいる。キャッキャ、キャッキャと大はしゃぎ。その小さな体が、日増しに逞しくなっていくのがわかってくる。健康そのもの。じょうぶそのもの。
しかし、今日は、さすがに迷った。小浅間山が吹雪いていたからだ。吹雪けば、体感温度が10度は下がる。常識的には断念すべきなのだ。
行くべきか?
行かぬべきか?
とりあえず、15分ほど歩いてみたが、やはり断念。さすがの息子も、いつものようにはしゃがなかった。逆に愛犬コロが大はしゃぎ。やっぱり犬は寒さにつよい。で、自宅に帰ったら、登山中止で体力をもてあました赤ちゃんが、家の中で暴れ回ってたいへんだった。
おんぶとはいえ、新生児を6月ころから毎日、山につれていっている親は、日本広しと言っても私だけだろう。7月8月は忙しすぎて中断したけれど、生後3ヶ月から9ヶ月ちかくまで、ほぼ毎日、山に登った赤ちゃんは、うちの息子くらいでは無いかと思う。
山に登ると免疫力がアップすることはよく知られていますが、それは厚生省の検証によって厚生労働省のホームページにも書かれてあります。2泊3日の森林滞在者は、2泊3日の都市部旅行者よりも56%のNK細胞活性を再現しており、30日後もNK細胞活性が一定レベルで継続していることが判明し、森林浴での健康増進が持続効果を持つことが明らかとなっています。
また、犬などのペットも赤ちゃんの免疫力を高めることは、よくしられています。フィンランドの研究によれば、犬や猫をペットにしている家庭で家庭で育った赤ちゃんは、咳をしにくく、鼻もすすりにくく、耳の感染症にもかかりにくいそうです。何らかのアレルギーになる可能性も低くなるそうです。
なので、赤ちゃんと愛犬と一緒に、毎日山登りしてきたのですが、さすがに吹雪だと断念せざるをえなかった。今度、赤ちゃん用のゴアテックスを買ってきます。
つづく。
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2013年12月16日
親不幸になる理由6
子供のいる御夫婦なら、誰もが体験していることだと思いますが。赤ちゃんが、生後6ヶ月をすぎると夫婦喧嘩ができなくなります。もし、生後6ヶ月以降の赤ちゃんの前で夫婦喧嘩をすると赤ちゃんが泣き出すからです。そして、赤ちゃんは、1日機嫌が悪くなります。
それだけではありません。夫婦喧嘩でなくても、大声を出して嫁さんを呼ぶのも御法度になります。赤ちゃんを風呂に入れていて、着替えのために嫁さんを大声で呼びつけると、赤ちゃんが泣き出します。別に怒っているわけでもないのに泣き出して、その日は、一日中、赤ちゃんの機嫌が悪くなる。
しかし、生後6ヶ月以前には、そういうことはないのです。つまり人見知りする時期になるまえは、そういうことはおきない。これが不思議で、インターネットでいろいろ調べてみたら、ある先生が、面白い仮説をたてていました。
その仮説とは、赤ちゃんが他人を認識するのが6ヶ月頃からで、
自分と他人の分別がうまくできなくて、おきる現象だというのです。
迷子で泣いている子どもを見かけると、その子どもの気持ちがわかります。しかし決してそれは自分自身ではなく他人の心理だと私たち大人は理解しています。しかし、このように心の中に起こる感情を自分のものと他者のものをきちんと区別するのは、実は大変な作業だというのです。というのも、そういう能力は、人類が最近になって身につけた能力らしいからです。だから赤ちゃんには、それを理解するのが難しい。
つまり生後6ヶ月の赤ちゃんは、赤ちゃんは自分の脳の中で起こっている新しい変化、つまり他者の意図を理解するということに慣れていないために、他人の意図が自分の意図と混乱したりして、それが恐怖の材料となって、赤ちゃんは泣いて母親等に抱きつく行動を示す。つまり人見知りになる。
これを例えると、街の中で目つきの悪い連中にぐるりと取り囲まれた子どものような心境。相手が何を考えているのか、好意を持っているのか悪意を持っているのか、他者の意図や周囲の状況理解が上手に出来ないために、ただ恐怖心だけを感じる状況で、それが「人見知り」と呼ばれる行動を起こすということらしい。
ここで、夫婦喧嘩の話にもどります。
子供は、父親とも母親とも一体感がある。つまり、父親や母親を他人の意図と思いにくい可能性がある。もし、父母に他人の意図を感じたら、父母に対して人見知りすることになる。しかし、現実には、そんなことはない。父母には人見知りしない。ということは、赤ちゃんは、父母を自分と同一だと勘違いしている可能性が高い。
その父母が、夫婦喧嘩をしたらどうなるか?
同一だと思っていた父が、突然、母を怒鳴ったらどうなるか?
とうぜんのことながら赤ちゃんは混乱する可能性が高い。
泣き始めるに違いない。
そして、その混乱で一日中、機嫌が悪くなる可能性がある。
と、書き込みましたが、実は、昨日、運転中に、ついうっかり夫婦喧嘩してしまって、うちの息子が一日中、機嫌が悪かったんですよね。もうすぐに反省しました。これは、愛犬コロを怒鳴っても一緒で、赤ちゃんは機嫌が悪くなる。赤ちゃんが、機嫌が良ければ、よいほど反動がはげしくなる。だから息子が大好きなお風呂で、大声で嫁さんを呼んでも同じように機嫌が悪くなる。自分の意図と違う反応が、父親にあらわれると、非常に機嫌が悪くなる。
息子を観察していると、そういう仮説がなりたってしまう。
もし、その仮説が正しいとすると、子供が人見知りをはじめたころの父母の役割は、かなり重要です。少なくとも子供の前で夫婦喧嘩をしてはいけないかもしれない。子供の脳に混乱が起きて、情緒不安定になるからです。そうなると、親に対して人見知り現象がおきてくる可能性もでてくる。そうなると、かなり厄介なことになるかもしれません。
つづく。
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それだけではありません。夫婦喧嘩でなくても、大声を出して嫁さんを呼ぶのも御法度になります。赤ちゃんを風呂に入れていて、着替えのために嫁さんを大声で呼びつけると、赤ちゃんが泣き出します。別に怒っているわけでもないのに泣き出して、その日は、一日中、赤ちゃんの機嫌が悪くなる。
しかし、生後6ヶ月以前には、そういうことはないのです。つまり人見知りする時期になるまえは、そういうことはおきない。これが不思議で、インターネットでいろいろ調べてみたら、ある先生が、面白い仮説をたてていました。
その仮説とは、赤ちゃんが他人を認識するのが6ヶ月頃からで、
自分と他人の分別がうまくできなくて、おきる現象だというのです。
迷子で泣いている子どもを見かけると、その子どもの気持ちがわかります。しかし決してそれは自分自身ではなく他人の心理だと私たち大人は理解しています。しかし、このように心の中に起こる感情を自分のものと他者のものをきちんと区別するのは、実は大変な作業だというのです。というのも、そういう能力は、人類が最近になって身につけた能力らしいからです。だから赤ちゃんには、それを理解するのが難しい。
つまり生後6ヶ月の赤ちゃんは、赤ちゃんは自分の脳の中で起こっている新しい変化、つまり他者の意図を理解するということに慣れていないために、他人の意図が自分の意図と混乱したりして、それが恐怖の材料となって、赤ちゃんは泣いて母親等に抱きつく行動を示す。つまり人見知りになる。
これを例えると、街の中で目つきの悪い連中にぐるりと取り囲まれた子どものような心境。相手が何を考えているのか、好意を持っているのか悪意を持っているのか、他者の意図や周囲の状況理解が上手に出来ないために、ただ恐怖心だけを感じる状況で、それが「人見知り」と呼ばれる行動を起こすということらしい。
ここで、夫婦喧嘩の話にもどります。
子供は、父親とも母親とも一体感がある。つまり、父親や母親を他人の意図と思いにくい可能性がある。もし、父母に他人の意図を感じたら、父母に対して人見知りすることになる。しかし、現実には、そんなことはない。父母には人見知りしない。ということは、赤ちゃんは、父母を自分と同一だと勘違いしている可能性が高い。
その父母が、夫婦喧嘩をしたらどうなるか?
同一だと思っていた父が、突然、母を怒鳴ったらどうなるか?
とうぜんのことながら赤ちゃんは混乱する可能性が高い。
泣き始めるに違いない。
そして、その混乱で一日中、機嫌が悪くなる可能性がある。
と、書き込みましたが、実は、昨日、運転中に、ついうっかり夫婦喧嘩してしまって、うちの息子が一日中、機嫌が悪かったんですよね。もうすぐに反省しました。これは、愛犬コロを怒鳴っても一緒で、赤ちゃんは機嫌が悪くなる。赤ちゃんが、機嫌が良ければ、よいほど反動がはげしくなる。だから息子が大好きなお風呂で、大声で嫁さんを呼んでも同じように機嫌が悪くなる。自分の意図と違う反応が、父親にあらわれると、非常に機嫌が悪くなる。
息子を観察していると、そういう仮説がなりたってしまう。
もし、その仮説が正しいとすると、子供が人見知りをはじめたころの父母の役割は、かなり重要です。少なくとも子供の前で夫婦喧嘩をしてはいけないかもしれない。子供の脳に混乱が起きて、情緒不安定になるからです。そうなると、親に対して人見知り現象がおきてくる可能性もでてくる。そうなると、かなり厄介なことになるかもしれません。
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2013年12月15日
親不孝になる理由5
息子も生後8ヶ月半。
今日は、軽井沢図書館の「お話の会」に行ってきました。0歳から3歳までを対象とする紙芝居のイベントです。当然のことながらママ友・パパ友たちが、子連れできていました。で、同じ月齢の赤ちゃんと、うちの子を比較してみましたが、やはり、うちの息子は成長が遅い。歯もまだ生えないし、髪の毛もない。他の赤ちゃんは、7ヶ月くらいから歯も髪の毛もある。
しかしです、それだけ成長の遅い、うちの息子も頭脳だけは、人並みに成長しているようなのです。ここ1週間くらい、オムツの取り替えを要求するようになってきた。といっても会話はできない。ウンチをすると、私の足元にやってきて、ズボンの裾をひっぱるだけです。そばにマミーポコのオムツ袋があると、そこから未使用オムツをとりだしたりもします。赤ちゃんといえども、油断ならないものです。
おそらく、これは、どの赤ちゃんもやっていると思われます。問題は、親が気がつくかどうかなのです。根拠はあります。親が聾唖で手話でしか会話しないと、その赤ちゃんも生後6ヶ月頃から手話をはじめるからです。また、赤ちゃんは、生まれたときから母親と他人を区別できることも発達心理学の研究者たちによって証明されています。しかし、育児書には、そのへんを過小評価しているきらいがあります。
前置きは、このくらいにして、赤ちゃんの人見知りについて。
京都大学の実験で、人見知りする赤ちゃんは、人見知りしない赤ちゃんに比べて、他人の顔を長時間見るということがわかりました。特に目をみることも分かりました。人見知りする赤ちゃんは、他人への興味が強いという実験データーがでてきました。
ここから素人の私でも、安易な結論がでてきます。
赤ちゃんが人見知りするという事と、
他人を理解するという事に、重要な相関関係があるということです
で、お茶会にでてくる御客さんに、世間話をまじえながらアンケートをとってみました。子供のことに人見知りをしたか?というアンケートです。で、私は幼少の頃、極度の人見知りだったと自己申告する人ほど、私からみて現在社交的な人にみえました。もちろん、本当のところ社交的かどうか?は、単なる宿主である私にはわかりません。そこまで深く相手のことが分かるわけではありません。ただ、そういうふうに見えたというだけです。
ここで、私の子供の頃の体験を述べます。
私の親や、私と接していた人の証言によると3歳くらいまでの私は、人見知りしなかったらしい。だから3歳くらいまでは、よく大人たちに可愛がられていました。それは私の記憶にあります。
ところが私自身の幼児の頃の記憶は、自分が人見知りする人間であったという記憶しか残ってない。つまり大人たちの証言と、私の記憶が一致しないのです。これは、どういう事なのでしょうか?
親や、他の大人たちは、私が人見知りしなかったと証言しています。しかし、私の記憶には、自分自身が極度の人見知りであったことしか残ってません。どう考えても矛盾する・・・・と思っていました。しかし、発達心理学の本を読むことによって、その矛盾は解消されてしまいました。人間は、3歳になると、それ以前の記憶の大半が失われてしまうからです。
つまり、大人たちの証言は、私が3歳以前に「人見知りしなかった」ということなのです。で、私の記憶は、5歳とか6歳の頃の記憶なのです。その頃の私は、人見知りしていたのですが、大人たちは、それを人見知りと認識してなかったのです。単に我が儘とか、引っ込み思案と思われていたに違いないのです。で、人見知りしなかった3歳以前の記憶の大半は消えてしまっています。
ここで一つの仮説を述べたい。
人見知りの時期には、個人差があるという仮説です。
もし個人差があるとしますと、
1歳で人見知りする場合と
5歳で人見知りする場合では、
その後の人生に大きな変化が出てくる可能性があります。
もし、1歳で人見知りした場合、
人見知りしない子供よりも大人に可愛がられない可能性が高く
それが深層心理に書き込まれるかも知れません。
ただし、3歳までに人見知りを卒業してしまえば、
4歳・5歳・6歳と、園児との交友関係を円滑に続けられます。
逆に4歳まで人見知りせずに
5歳で人見知りするようになった場合は、
4歳までは大人たちに可愛がられる可能性が高い。
しかし、5歳から人見知りするわけですから、
5歳児どうしの友達関係に徹底的に齟齬をきたします。
つまり、大人から可愛がられやすく、
同級生とうまくいかない子供になりやすい可能性が出てきます。
前者が、私の3歳下の弟ならば、
後者は、まさに私があてはまります。
で、どちらが学校生活を楽しくおくれる人間になれるかといいますと、圧倒的に前者ということになります。もし、この仮説が正しいならばの話ですけれど。
まあ、それはいい。
問題は、人見知りのメカニズムです。
赤ちゃんの人見知りのメカニズムは、
まだ謎のであるところが多いらしい。
だから、いろんな仮説がたてられているみたいです。
つづく。
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今日は、軽井沢図書館の「お話の会」に行ってきました。0歳から3歳までを対象とする紙芝居のイベントです。当然のことながらママ友・パパ友たちが、子連れできていました。で、同じ月齢の赤ちゃんと、うちの子を比較してみましたが、やはり、うちの息子は成長が遅い。歯もまだ生えないし、髪の毛もない。他の赤ちゃんは、7ヶ月くらいから歯も髪の毛もある。
しかしです、それだけ成長の遅い、うちの息子も頭脳だけは、人並みに成長しているようなのです。ここ1週間くらい、オムツの取り替えを要求するようになってきた。といっても会話はできない。ウンチをすると、私の足元にやってきて、ズボンの裾をひっぱるだけです。そばにマミーポコのオムツ袋があると、そこから未使用オムツをとりだしたりもします。赤ちゃんといえども、油断ならないものです。
おそらく、これは、どの赤ちゃんもやっていると思われます。問題は、親が気がつくかどうかなのです。根拠はあります。親が聾唖で手話でしか会話しないと、その赤ちゃんも生後6ヶ月頃から手話をはじめるからです。また、赤ちゃんは、生まれたときから母親と他人を区別できることも発達心理学の研究者たちによって証明されています。しかし、育児書には、そのへんを過小評価しているきらいがあります。
前置きは、このくらいにして、赤ちゃんの人見知りについて。
京都大学の実験で、人見知りする赤ちゃんは、人見知りしない赤ちゃんに比べて、他人の顔を長時間見るということがわかりました。特に目をみることも分かりました。人見知りする赤ちゃんは、他人への興味が強いという実験データーがでてきました。
ここから素人の私でも、安易な結論がでてきます。
赤ちゃんが人見知りするという事と、
他人を理解するという事に、重要な相関関係があるということです
で、お茶会にでてくる御客さんに、世間話をまじえながらアンケートをとってみました。子供のことに人見知りをしたか?というアンケートです。で、私は幼少の頃、極度の人見知りだったと自己申告する人ほど、私からみて現在社交的な人にみえました。もちろん、本当のところ社交的かどうか?は、単なる宿主である私にはわかりません。そこまで深く相手のことが分かるわけではありません。ただ、そういうふうに見えたというだけです。
ここで、私の子供の頃の体験を述べます。
私の親や、私と接していた人の証言によると3歳くらいまでの私は、人見知りしなかったらしい。だから3歳くらいまでは、よく大人たちに可愛がられていました。それは私の記憶にあります。
ところが私自身の幼児の頃の記憶は、自分が人見知りする人間であったという記憶しか残ってない。つまり大人たちの証言と、私の記憶が一致しないのです。これは、どういう事なのでしょうか?
親や、他の大人たちは、私が人見知りしなかったと証言しています。しかし、私の記憶には、自分自身が極度の人見知りであったことしか残ってません。どう考えても矛盾する・・・・と思っていました。しかし、発達心理学の本を読むことによって、その矛盾は解消されてしまいました。人間は、3歳になると、それ以前の記憶の大半が失われてしまうからです。
つまり、大人たちの証言は、私が3歳以前に「人見知りしなかった」ということなのです。で、私の記憶は、5歳とか6歳の頃の記憶なのです。その頃の私は、人見知りしていたのですが、大人たちは、それを人見知りと認識してなかったのです。単に我が儘とか、引っ込み思案と思われていたに違いないのです。で、人見知りしなかった3歳以前の記憶の大半は消えてしまっています。
ここで一つの仮説を述べたい。
人見知りの時期には、個人差があるという仮説です。
もし個人差があるとしますと、
1歳で人見知りする場合と
5歳で人見知りする場合では、
その後の人生に大きな変化が出てくる可能性があります。
もし、1歳で人見知りした場合、
人見知りしない子供よりも大人に可愛がられない可能性が高く
それが深層心理に書き込まれるかも知れません。
ただし、3歳までに人見知りを卒業してしまえば、
4歳・5歳・6歳と、園児との交友関係を円滑に続けられます。
逆に4歳まで人見知りせずに
5歳で人見知りするようになった場合は、
4歳までは大人たちに可愛がられる可能性が高い。
しかし、5歳から人見知りするわけですから、
5歳児どうしの友達関係に徹底的に齟齬をきたします。
つまり、大人から可愛がられやすく、
同級生とうまくいかない子供になりやすい可能性が出てきます。
前者が、私の3歳下の弟ならば、
後者は、まさに私があてはまります。
で、どちらが学校生活を楽しくおくれる人間になれるかといいますと、圧倒的に前者ということになります。もし、この仮説が正しいならばの話ですけれど。
まあ、それはいい。
問題は、人見知りのメカニズムです。
赤ちゃんの人見知りのメカニズムは、
まだ謎のであるところが多いらしい。
だから、いろんな仮説がたてられているみたいです。
つづく。
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2013年12月14日
親不孝になる理由4
生後6ヶ月を過ぎると多くの赤ちゃんで「人見知り」が表れます。よく、人見知りは「赤ちゃんが他人と母親を区別できるようになった証拠」という人がいますが、これは間違っていることが証明されています。だから大抵の育児書には、間違ったことをが書かれてある。
赤ちゃんは、生まれてすぐに他人と母親を区別する。
しかし、生後6ヶ月を過ぎるとなぜか人見知りになる。
じゃあ、なぜ6ヶ月もたって人見知りになるかというと、
怖いという感情は、生後6ヶ月以降に表れるためだと言われています。
一方、笑いといった感情は生後2ヶ月から3ヵ月に芽生えます。
だから人見知りは6ヶ月以降におきるんですね。
では、怖いから人見知りがおきるのだろうか?
最近の研究では、それも否定されている。
では、どうして人見知りがおきるのだろうか?
それを述べる前に面白い研究データーがあります。2013年6月5日にオンライン科学誌「PLOS ONE」に京都大学が、赤ちゃんの人見知りについての研究結果を発表していますが、その結果が非常に興味深いのです。
京都大学では、まず赤ちゃん57名のアンケートによる気質調査を行い、赤ちゃんの「人見知り」度合いと、相手への「接近」と「怖がり」という二つの気質の関係を調べました。結果は、「接近」と「怖がり」の両方の気質が強い赤ちゃんほど人見知りするというものです。よーするに、好奇心がつよいけれど、恐がりの赤ちゃんが人見知りするということです。
ここまでは、なんとなく理解できます。
問題は次の実験です。
視線反応計測を使った実験です。
お母さんと、他人(女性)の顔を見せて、どちらをどれだけの時間、見ているかという実験です。で、人見知りする赤ちゃんも、人見知りしない赤ちゃんも、お母さんを見つめる時間は一緒でした。つまり両者の差はないのです。
興味深いのは、人見知りする赤ちゃんは、人見知りしない赤ちゃんよりも、他人の顔を長時間みるという結果です。お母さんの顔より、長時間、他人の顔をみる。
面白い結果ですね。
自閉症児は、人見知りしません。
そもそも人間に興味がうすい。
しかし、人見知りする赤ちゃんは、他人への興味が強いという実験データーがでてきた。これは、本当に興味深い結果ですね。さらに面白い結果があります。他人の顔のどこをみているか?という実験データーです。
まず、人見知りしない赤ちゃんは、鼻とか口元をみている。
で、人見知りする赤ちゃんは、目をみている。
この実験結果をふまえると、人見知りする赤ちゃんの方が、アイコンタクトに敏感であることがわかる。
これらの実験結果から思い出すのが、両親が聴覚障害者のケースです。赤ちゃんが手話を使い始めるのは生後6ヶ月頃。はやければ4ヶ月頃らしいですね。つまり、その頃に他人を理解しはじめるということになる。これは、赤ちゃんが人見知りする時期とイコールである事も興味深い事実です。
ここから考えると素人の私でも、安易な結論がでてきます。つまり赤ちゃんが人見知りするという事と、他人を理解するという事に、重要な相関関係があるということです。
で、私ごとになるのですが、私は男3人兄弟です。私が長男。3つ年下に次男。10歳年下に3男です。幼少の頃に人見知りがはげしかったのは次男なんです。そして、この次男が、学生時代に人間関係が上手になっています。逆に幼少の頃に人見知りしなかった私(長男)は、学生時代に人間関係に苦労したり、早合点したり、空気が読めなかったりた。もちろんこれは限られた私の個人体験です。なので、お茶会にでてくる御客さんに、世間話をまじえながらアンケートをとってみました。で、その結果は.......?
つづく。
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赤ちゃんは、生まれてすぐに他人と母親を区別する。
しかし、生後6ヶ月を過ぎるとなぜか人見知りになる。
じゃあ、なぜ6ヶ月もたって人見知りになるかというと、
怖いという感情は、生後6ヶ月以降に表れるためだと言われています。
一方、笑いといった感情は生後2ヶ月から3ヵ月に芽生えます。
だから人見知りは6ヶ月以降におきるんですね。
では、怖いから人見知りがおきるのだろうか?
最近の研究では、それも否定されている。
では、どうして人見知りがおきるのだろうか?
それを述べる前に面白い研究データーがあります。2013年6月5日にオンライン科学誌「PLOS ONE」に京都大学が、赤ちゃんの人見知りについての研究結果を発表していますが、その結果が非常に興味深いのです。
京都大学では、まず赤ちゃん57名のアンケートによる気質調査を行い、赤ちゃんの「人見知り」度合いと、相手への「接近」と「怖がり」という二つの気質の関係を調べました。結果は、「接近」と「怖がり」の両方の気質が強い赤ちゃんほど人見知りするというものです。よーするに、好奇心がつよいけれど、恐がりの赤ちゃんが人見知りするということです。
ここまでは、なんとなく理解できます。
問題は次の実験です。
視線反応計測を使った実験です。
お母さんと、他人(女性)の顔を見せて、どちらをどれだけの時間、見ているかという実験です。で、人見知りする赤ちゃんも、人見知りしない赤ちゃんも、お母さんを見つめる時間は一緒でした。つまり両者の差はないのです。
興味深いのは、人見知りする赤ちゃんは、人見知りしない赤ちゃんよりも、他人の顔を長時間みるという結果です。お母さんの顔より、長時間、他人の顔をみる。
面白い結果ですね。
自閉症児は、人見知りしません。
そもそも人間に興味がうすい。
しかし、人見知りする赤ちゃんは、他人への興味が強いという実験データーがでてきた。これは、本当に興味深い結果ですね。さらに面白い結果があります。他人の顔のどこをみているか?という実験データーです。
まず、人見知りしない赤ちゃんは、鼻とか口元をみている。
で、人見知りする赤ちゃんは、目をみている。
この実験結果をふまえると、人見知りする赤ちゃんの方が、アイコンタクトに敏感であることがわかる。
これらの実験結果から思い出すのが、両親が聴覚障害者のケースです。赤ちゃんが手話を使い始めるのは生後6ヶ月頃。はやければ4ヶ月頃らしいですね。つまり、その頃に他人を理解しはじめるということになる。これは、赤ちゃんが人見知りする時期とイコールである事も興味深い事実です。
ここから考えると素人の私でも、安易な結論がでてきます。つまり赤ちゃんが人見知りするという事と、他人を理解するという事に、重要な相関関係があるということです。
で、私ごとになるのですが、私は男3人兄弟です。私が長男。3つ年下に次男。10歳年下に3男です。幼少の頃に人見知りがはげしかったのは次男なんです。そして、この次男が、学生時代に人間関係が上手になっています。逆に幼少の頃に人見知りしなかった私(長男)は、学生時代に人間関係に苦労したり、早合点したり、空気が読めなかったりた。もちろんこれは限られた私の個人体験です。なので、お茶会にでてくる御客さんに、世間話をまじえながらアンケートをとってみました。で、その結果は.......?
つづく。
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2013年12月13日
親不孝になる理由3
12月は、1年で最も御客さんの少ない時期です。当然のことながら、明日の週末も御客さんは5名だけ。なので週末前に嫁さんが息子を連れて1日だけ里帰りしてきました。早いもので、息子も8ヶ月半です。最近は、つかまり立ちもするようになり、いろいろ油断がなりません。
で、館林に住んでいる息子のおばあちゃんが、娘と孫がやってくるというので、御馳走をつくって待っていたらしいのですが、もちろん赤ちゃんは、御馳走は食べられません。まだミルクです。しかし、目の前に大量の御馳走が並んでいるので、目を輝かして突進していったらしい。つかまり立ちができるので、御馳走をひっくり返すのなんかお手の物。必死になって、おばあちゃんと、嫁さんがブロックしたらしい。
で、ここからが本題なのですが、どういうわけか8ヶ月半の息子が人見知りをしなかったらしい。普通なら実のおばあちゃんといえども、抱かれれば泣くのですが、今回は、目の前の御馳走に集中してしまって、おばあちゃんに抱かれていることに気がついてなかったらしい。
うちの息子は、あまり泣きません。ぐずりもしません。わがままも言わないし、基本的によい子なのですが、人見知りは激しい。こういうところは、三歳年下の私の弟によくにているので驚いています。基本的に非常によい子なのに人見知りするところが本当に良く似ている。どうして、このように似ているのか? 十歳年下の私の弟は、人見知りが激しくなかった。けれど三歳年下の弟は人見知りした。この差は、どこにあったのだろうか?
生後6ヶ月を過ぎると多くの赤ちゃんで「人見知り」が表れます。よく、人見知りは「赤ちゃんが他人と母親を区別できるようになった証拠」という人がいますが、これは間違っていることが証明されています。最近の研究では、赤ちゃんは生まれてすぐに他人と母親を区別することがわかっています。だから大抵の育児書には、間違ったことをが書かれてある。
よーするに、赤ちゃんの人見知りは、他人と母親を区別できるようになったために表れたものではなく、生まれてすぐに他人と母親を区別しながら、生後6ヶ月を過ぎるとなぜか人見知りになるということなのですね。じゃあ、なぜ6ヶ月もたって人見知りになるかというと、怖いという感情は、生後6ヶ月以降に表れるためだと言われています。
一方、笑いといった感情は生後2ヶ月から3ヵ月に芽生えます。
だから人見知りは6ヶ月以降におきるんですね。
ここで、大きな問題にぶちあたります。怖いから人見知りがおきねのか?
という問題です。
最近の研究者たちは、そうではないと言います。
では、なぜ人見知りがおきるのか?
それを述べる前に面白い研究データーを紹介します。
つづく。
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で、館林に住んでいる息子のおばあちゃんが、娘と孫がやってくるというので、御馳走をつくって待っていたらしいのですが、もちろん赤ちゃんは、御馳走は食べられません。まだミルクです。しかし、目の前に大量の御馳走が並んでいるので、目を輝かして突進していったらしい。つかまり立ちができるので、御馳走をひっくり返すのなんかお手の物。必死になって、おばあちゃんと、嫁さんがブロックしたらしい。
で、ここからが本題なのですが、どういうわけか8ヶ月半の息子が人見知りをしなかったらしい。普通なら実のおばあちゃんといえども、抱かれれば泣くのですが、今回は、目の前の御馳走に集中してしまって、おばあちゃんに抱かれていることに気がついてなかったらしい。
うちの息子は、あまり泣きません。ぐずりもしません。わがままも言わないし、基本的によい子なのですが、人見知りは激しい。こういうところは、三歳年下の私の弟によくにているので驚いています。基本的に非常によい子なのに人見知りするところが本当に良く似ている。どうして、このように似ているのか? 十歳年下の私の弟は、人見知りが激しくなかった。けれど三歳年下の弟は人見知りした。この差は、どこにあったのだろうか?
生後6ヶ月を過ぎると多くの赤ちゃんで「人見知り」が表れます。よく、人見知りは「赤ちゃんが他人と母親を区別できるようになった証拠」という人がいますが、これは間違っていることが証明されています。最近の研究では、赤ちゃんは生まれてすぐに他人と母親を区別することがわかっています。だから大抵の育児書には、間違ったことをが書かれてある。
よーするに、赤ちゃんの人見知りは、他人と母親を区別できるようになったために表れたものではなく、生まれてすぐに他人と母親を区別しながら、生後6ヶ月を過ぎるとなぜか人見知りになるということなのですね。じゃあ、なぜ6ヶ月もたって人見知りになるかというと、怖いという感情は、生後6ヶ月以降に表れるためだと言われています。
一方、笑いといった感情は生後2ヶ月から3ヵ月に芽生えます。
だから人見知りは6ヶ月以降におきるんですね。
ここで、大きな問題にぶちあたります。怖いから人見知りがおきねのか?
という問題です。
最近の研究者たちは、そうではないと言います。
では、なぜ人見知りがおきるのか?
それを述べる前に面白い研究データーを紹介します。
つづく。
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2013年11月30日
親不孝になる理由2
脳科学者や発達心理学の研究者によると、どんな子供たちでも、3歳をすぎると、それ以前の記憶が消えてしまうものらしい。3歳を境に、それ以前の記憶と、それ以降の記憶に断絶がおきてしまうらしい。そして子供の一人遊びは、主に3歳以前におきるのです。
ということは、3歳以前の子供たちには、なにか不思議な能力があって、何かが見えるのだが、3歳以降になると、脳が改変されて、その能力が消えてしまうということになる。いったい、どうして、そんなことがおきるのだろうか?
親が、最も子供に愛情をそそぐのは、0歳から3歳までだと思う。0歳児は、何もできない。1歳児もしかり。2歳児は、非常にデリケート。3歳児になって、ようやく社会を理解しかけるようになる。しかし、その時に脳に確変がおきて、過去の記憶を失うのだ。親が、どんなに愛情をそそいでもリセットされてしまう。
私の息子は、8ヶ月になったばかりで、毎日、あふれんばかりの愛情をそそいでいますが、これは、子供が3歳になったら全て忘れられてしまう記憶なんですよね。これは、親に対して過酷な仕打ちです。
私は、かなりの親不孝者ですが、もし、私に3歳以前の記憶が鮮明に残っていたら、どんなに努力しても親不孝になれなかったかもしれない。しかし、逆にいうと親離れもできなかった可能性が高い。そうなると社会生活に支障をきたしすかもしれない。人間は、犬やオオカミと同じく社会生活によって生きていく動物ですが、犬やオオカミと決定的に違うところがある。それは、親離れすることによって社会生活に適応するところです。
犬やオオカミは、社会の大きさが小さい。だから親離れするメリットが小さいけれど、人間の場合は、そうではない。社会の規模がとてつもなく大きいので、親離れすることのメリットが大きい。そのうえ近代社会は、親離れを前提に成立している。具体的に言うと、近代社会は、国家の下に個人が繋がることによって成立した。つまり『国家>個人』となる。しかし前近代では、そうではなかった。『国家>個人』の間に家族があった。具体的に言うと『国家>家族>個人』であった。そのために汚職が日常茶飯事であった。親が犯罪をおかすと、関係ない親族すべてが殺されるということもたびたびあった。逆に一族の誰かが、出世すると一族全てが、それにたかった。それを拒否することはできなかった。国家よりも家族を優先しなければいけなかった。『家族』を『閥』に変えても良い。例えば軍閥・派閥など。『地域』としてもよい。『賄賂』としてもよい。そういうものが、国家や法律に優先するのが前近代であり、それがあるために近代化できない国がごまんとある。
ヨーロッパのある国では、妻が病気だとわかると、仕事をさぼって、さっさと自宅に帰る夫たちばかりいた。それだけ聞くと、美談のように聞こえるが、そうではない。救急救命士も、消防士も、鉄道員も、教師もそれをやったらどうなるか? 国家がなりたたない。つまり国民は、公共サービスを信じなくなるから、ますます家族を優先して、国の法律をおろそかにする。すると、その国は、たちまち落ちぶれてしまい、国自体が国際競争の敗者となってしまい、社会全体が貧して、犯罪者が多くなる。でも、その国の男たちは、日本人の基準からすると親離れしてない。いわばマザコンの極みに見えてしまう。ヨーロッパの国なのに。
話がそれました。
ここからが本題です。
前回、3歳過ぎても消えない記憶もあると書きました。
ソースは、私です。
私は、3歳以前の記憶を少しだけもっていました。
私の嫁さんも同様です。
嫁さんは0歳の時の記憶をもっていた。
ワンワン泣きながら、神社で顔に判子を押された記憶があった。
これは、どういうことなのか?
脳科学者や発達心理学の研究者によると、どんな子供たちでも、3歳をすぎると、それ以前の記憶が消えてしまうものらしいけれど、私には、0歳の頃の記憶が、すこしだけある。これは、いったいどういうことなのであろうか? これが分からなかったが、映画『博士の愛した数式』やアニメ『ef - a tale of memories』などの設定で使われている、前向性健忘症の存在を知って、「あっ!」と思った。
前向性健忘症とは、記憶障害の一種で、物事自体が記憶されない症状です。映画『博士の愛した数式』では、記憶を保持できるのが2時間。アニメ『ef - a tale of memories』では13時間に限定されています。じゃあ、全ての記憶が13時間で失われるかというと、そうではない。13時間以内に、思い出せば記憶を保持できる。13時間ごとに、過去を全て思い出せば記憶は失われない。けれど、14時間の睡眠をとって思い出すことをしなかったら全ての記憶は無くなる。だから13時間までに必死になって思いだそうとする。そういう物語。
まあ、そんなことは、どうでもよいとして、
発達心理学の研究者たちによれば
人間は3歳の時に、全て記憶を失うという。
しかし3歳の時に、0歳の記憶を思い出すことがあったとしたら、
その記憶は、4歳以降も残るのでは無いだろうか?
大人になっても残ることになるかもしれないのではないか?
私が、0歳の時の記憶を多少なりとももっていたのは、3歳の時に、本来なら消去されるべき記憶を思い出してしまったために、その記憶は4歳以降まで残されて言った可能性がある。
もし、それが本当だとすると、人間にとって3歳という年齢は、非常に重要なポイントをしめるかもしれない。3歳の時点で何かがあって、過去の記憶を持ち越すか、持ち越さないかが、ものすごく重要になってくる。その後の人生に大きな影響をあたえてくるはずです。
さて、私のことですが、私は3歳で人生が大きく変化している。3歳以前までは、母と2人で佐渡島の僻地にいて、父・祖母の顔はみてない。ところが3歳以降に、母と離れて、父・祖母と暮らすようになっている。父は厳格で祖母は口やかましい人だったので、それ以前とは全く違う生活にとまどっていたはずである。で、3歳以前の過去の記憶を思い出してしまったのかもしれない。本来なら消えて無くなるはずの記憶が、深層深くにインプットされてしまったのかもしれない。
問題は、その後である。
3歳以前の記憶があるくせに、
3歳以降は、一瞬、記憶喪失になる事がたびたびあったのだ。
それも5分とか、20分という短い時間だけである。
これを説明するのは、難しいのだが、どういう現象が自分自身におきたかというと、タイムスリップのようなことがおきるのだ。例えば、学校に登校するときに5分の記憶喪失になったとする。すると自宅から学校に瞬間移動したのと同じになる。これは、非常にやっかいな問題をおこすのだが、子供の私には記憶喪失の認識は全くない。瞬間移動をしたと思っただけである。もちろん、こんなことは、親にも教師にも友達にも言ってない。言っても嘘つきあつかいされるだけであるから、あきらめるしかない。こうして徐々に私は無口になっていくのである。
また、大きく話が脱線してしまったが、記憶には、無くなった方が良い記憶というものも、あるかもしれない。
3歳までにかける親の愛情というものは、それはもう凄い物があるものだが、子供たちは全て忘れてしまう。
これは親にとって、ものすごく残酷で哀しいことなのだが、それは仕方の無いことなのかもしれない。とても残念なことではあるが。
ただし、子供が、いずれ親になったときに、察することはできるかと思う。
だから親は、子供に孫を産ませたがるのかもしれない。
つづく。
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2013年11月27日
親不孝になる理由1
最近のデジカメは、かなり画質の良い動画も写せる。なのでビデオカメラを買わなくても、デジカメさえもっていれば動画が写せる。その結果、世界中の親バカたちが、息子や娘の動画を撮る時代になった。
その結果、意外なことがおきた。
子供の一人遊びの動画が、大量に世の中に出現するようになり、YouTubeなどの動画サイトにアップロードされるようになったのである。
ちなみに子供の一人遊とは、存在しない架空の何者かと、3歳くらいの幼児が一緒に遊んでいることです。透明人間と遊んでいたり、鏡の中の人と会話をしていたり、こびとさんと遊んでいたり、霊らしきものとふれあっていたり、パターンは、さまざまです。
この子供の一人遊の存在は、明治大正の昔から多くの目撃証言がありましたが、ホラ話、または怪談話の域をでていませんでした。しかし、最近になってYouTubeなどの動画サイトに息子の一人遊びが次々からアップロードされるようになったから、いよいよ真実みが出てきました。
たとえば、裏に墓地のある家の少女が、毎日、鏡の中の人とお話ししている。その画像がお父さんに大量に撮られていて、引っ越しの日に、引っ越し業者さんがきたとたんに、鏡が粉々に砕け散ってしまったなどの出来事が、某サイトで紹介されていました。
問題は、ここからです。
これほどの衝撃的な事件があっても、当事者の少女は、大きくなると、事件の記憶を失ってしまうのです。子供の一人遊は、大人になると、すっかり記憶を失ってしまうのです。それも3歳以降に、記憶を失う例が多い。
ここからが本題です。
脳科学者や発達心理学の研究者によると、どんな子供たちでも、3歳をすぎると、それ以前の記憶が消えてしまうものらしい。3歳を境に、それ以前の記憶と、それ以降の記憶に断絶がおきてしまうらしい。そして子供の一人遊は、主に3歳以前におきるのです。
ということは、3歳以前の子供たちには、なにか不思議な能力があって、何かが見えるのだが、3歳以降になると、脳が改変されて、その能力が消えてしまうということになる。いったい、どうして、そんなことがおきるのだろうか?
人間の脳は、出生後から6歳までに完成すると言われています。そして、3歳の時に、何かがおきる。その何かとは、なんなのでしょうか? きっと理由があるはずです。人類の進化において、非常に重大な理由があるはずなのです。
これが、今までわからなかった。
息子が生まれるまで、わからなかった。
しかし、今の私にはわかる。
3歳に脳の確変がおきる理由がわかるような気がする。
ここで、少し脱線します。どうして、子供たちの多くは、親不孝になってしまうかという脱線です。子供たちの多くが、親不孝になる理由があるはずなのです。
たとえば、オオカミと犬。彼らは親不孝にはならない。そういう遺伝子が組み込まれていて、親子で社会生活をする。では、ライオンと猿ではどうか? 雌だけは親不孝にならない。雌のライオンたち、またはニホンザルたちの親子は、非常に仲が良い。
ではキツネは? ヒョウは? 彼らは、たった1年で無茶苦茶に仲が悪くなる。そういう遺伝子が組み込まれていて、絶対に社会生活できないようになっている。長い進化の過程で、そのようになってしまっている。
で、人間の場合は?
人間は、社会生活で、助け合う典型的な動物です。だから、もっと子供は親孝行であってもいいのだけれど、そうではない。理由は、3歳で脳に確変がおきるからだと私は思っている。
親が、最も子供に愛情をそそぐのは、0歳から3歳までだと思う。0歳児は、何もできない。1歳児もしかり。2歳児は、非常にデリケート。3歳児になって、ようやく社会を理解しかけるようになる。しかし、その時に脳に確変がおきて、過去の記憶を失うのだ。親が、どんなに愛情をそそいでもリセットされてしまう。
考えようによって、これは、親に対して過酷な仕打ちです。しかし、長い進化の結果、そういう遺伝子だけが、生存競争に勝ち残れたともいえます。3歳で記憶をリセットされて、親不孝予備軍になる仕掛けをもたないと一人前になれないのかもしれません。
私の息子は、8ヶ月になったばかりで、毎日、あふれんばかりの愛情をそそいでいますが、これは、子供が3歳になったら全て忘れられてしまう記憶なんですよね。
しかし、3歳過ぎても消えない記憶もある。
これについては、またの機会に書きます。
つづく。
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その結果、意外なことがおきた。
子供の一人遊びの動画が、大量に世の中に出現するようになり、YouTubeなどの動画サイトにアップロードされるようになったのである。
ちなみに子供の一人遊とは、存在しない架空の何者かと、3歳くらいの幼児が一緒に遊んでいることです。透明人間と遊んでいたり、鏡の中の人と会話をしていたり、こびとさんと遊んでいたり、霊らしきものとふれあっていたり、パターンは、さまざまです。
この子供の一人遊の存在は、明治大正の昔から多くの目撃証言がありましたが、ホラ話、または怪談話の域をでていませんでした。しかし、最近になってYouTubeなどの動画サイトに息子の一人遊びが次々からアップロードされるようになったから、いよいよ真実みが出てきました。
たとえば、裏に墓地のある家の少女が、毎日、鏡の中の人とお話ししている。その画像がお父さんに大量に撮られていて、引っ越しの日に、引っ越し業者さんがきたとたんに、鏡が粉々に砕け散ってしまったなどの出来事が、某サイトで紹介されていました。
問題は、ここからです。
これほどの衝撃的な事件があっても、当事者の少女は、大きくなると、事件の記憶を失ってしまうのです。子供の一人遊は、大人になると、すっかり記憶を失ってしまうのです。それも3歳以降に、記憶を失う例が多い。
ここからが本題です。
脳科学者や発達心理学の研究者によると、どんな子供たちでも、3歳をすぎると、それ以前の記憶が消えてしまうものらしい。3歳を境に、それ以前の記憶と、それ以降の記憶に断絶がおきてしまうらしい。そして子供の一人遊は、主に3歳以前におきるのです。
ということは、3歳以前の子供たちには、なにか不思議な能力があって、何かが見えるのだが、3歳以降になると、脳が改変されて、その能力が消えてしまうということになる。いったい、どうして、そんなことがおきるのだろうか?
人間の脳は、出生後から6歳までに完成すると言われています。そして、3歳の時に、何かがおきる。その何かとは、なんなのでしょうか? きっと理由があるはずです。人類の進化において、非常に重大な理由があるはずなのです。
これが、今までわからなかった。
息子が生まれるまで、わからなかった。
しかし、今の私にはわかる。
3歳に脳の確変がおきる理由がわかるような気がする。
ここで、少し脱線します。どうして、子供たちの多くは、親不孝になってしまうかという脱線です。子供たちの多くが、親不孝になる理由があるはずなのです。
たとえば、オオカミと犬。彼らは親不孝にはならない。そういう遺伝子が組み込まれていて、親子で社会生活をする。では、ライオンと猿ではどうか? 雌だけは親不孝にならない。雌のライオンたち、またはニホンザルたちの親子は、非常に仲が良い。
ではキツネは? ヒョウは? 彼らは、たった1年で無茶苦茶に仲が悪くなる。そういう遺伝子が組み込まれていて、絶対に社会生活できないようになっている。長い進化の過程で、そのようになってしまっている。
で、人間の場合は?
人間は、社会生活で、助け合う典型的な動物です。だから、もっと子供は親孝行であってもいいのだけれど、そうではない。理由は、3歳で脳に確変がおきるからだと私は思っている。
親が、最も子供に愛情をそそぐのは、0歳から3歳までだと思う。0歳児は、何もできない。1歳児もしかり。2歳児は、非常にデリケート。3歳児になって、ようやく社会を理解しかけるようになる。しかし、その時に脳に確変がおきて、過去の記憶を失うのだ。親が、どんなに愛情をそそいでもリセットされてしまう。
考えようによって、これは、親に対して過酷な仕打ちです。しかし、長い進化の結果、そういう遺伝子だけが、生存競争に勝ち残れたともいえます。3歳で記憶をリセットされて、親不孝予備軍になる仕掛けをもたないと一人前になれないのかもしれません。
私の息子は、8ヶ月になったばかりで、毎日、あふれんばかりの愛情をそそいでいますが、これは、子供が3歳になったら全て忘れられてしまう記憶なんですよね。
しかし、3歳過ぎても消えない記憶もある。
これについては、またの機会に書きます。
つづく。
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2013年11月25日
あと3日で息子が生後8ヶ月になるのだが
あと3日で息子が生後8ヶ月になるのだが、
このくらいになると、自分で哺乳瓶をもって
ミルクを飲むようになってきました。
それは、まあいいとして、面白いのは、その飲み方です。
一気にグイグイと飲まない。
ちょっと飲んでは、残量を確かめ、
ちょっと飲んでは、残量を確かめながら飲んでいる。
他の赤ちゃんも、そんなものかなあと、何人かの知り合いに聞いてみたら
そういう飲み方をしている例は皆無でした。
どうやらミルクの飲み方に個性がでてきたようです。
あと面白いのが、親の言葉が分かるようになってきたことです。
もちろん、まだ話せません。
パブーしか言えません。
けれど親の言葉は理解しているとしか思えない状況に出くわす。
離乳食を与えているときに、うっかり
「これで最後」とか
「もうおしまい」
というと泣き出すからです。
けれど
「つぎミルクいきます」
と話しかけると、急にニコニコする。
口を開いて哺乳瓶がくるのを待っている。
あきらかに親の言葉が分かっている。
しかし、話すことはできない。
あいかわらず、パブーに近い言葉しかはなさない。
このあたりが面白いところです。
また、やたら立ちたがろうとする。
もちろん自力では立てないけれど、
私が寝転んでいると、必死になって近寄ってきて、
私の体を使って立ち上がろうとする。
そのくせ、ハイハイは、うまくできない。尺とり虫のように前進することしかできない。同じ8ヶ月の子たちは、みんなうまくハイハイできているのに、うちの子は、それができない。
きっと、体が大きいからでしょうね。
これも立派な個性ですね。
こういう個性を発見するたびに嬉しくなる。
子育てが楽しくなってくる。
ここまでは、前置きです。
ここからが本題です。
息子が誕生して8ヶ月。生まれるまでは子育てが大変だと覚悟していたのですが、意外なことに大変では無かったです。人から聞かされていたようには大変では無かった。むしろ、子供が生まれる前より、仕事が辛くなくなっている。
どうしてだろう?
と考えてみました。
子供に癒されているからかもしれません。それもあるでしょう。
あと、自分の親が、弟の子育てをしているのをみているために、あの時代に比べると、すごく楽になっているのを知っているからかもしれません。なにせ、昔は紙おむつがなかったし、西松屋などの赤ちゃん専門店もなかったし、インターネットもなかったし、昔に比べれば、すごく恵まれているのを知っているというのも、子育てが楽だと感じる原因かも知れません。
しかし、一番の原因は、私の年齢にあるのかもしれません。私は52歳です。脳科学者の研究結果によると人間の知性のピークは、50歳代半ばらしいので、それなりの知性のピーク時に子供を授かったために、肩肘張らず、手を抜くべき処は、抜くところを知っていたために、子育てが楽になっているのかもしれない。
というのも、同じく赤ちゃんを育てている友人の家にいって様子をみていたら、
「ああ・・・・」
と頭をかかえる場面をたくさん目撃してしまうからです。その御夫婦は、若い御夫婦なのですが、育児にすごく疲れている。おじいちゃん、おばあちゃんの智恵をかりればいいのにと、老婆心ながら思ってしまった。
で、気がついたのですが、私の年齢だと(52歳)、私に孫がいてもおかしくないんですよね。
つまり、私自身は、父でもあり、世代的には、おじいちゃんでもある。
つまり、わが息子は、父でもあり、世代的には、おじいちゃんでもある人間に育てられているということなんですね。
その事実に気がついたときに、一人で大爆笑してしまった。
すると嫁さんは、怪訝そうな顔で私をみていました。
話をもどしますが、友人の育児にすごく疲れている若い御夫婦は、赤ちゃんに才能教育をしていました。それを見た別の友人は
「佐藤さんもやれば?」
と言ってきたので
「うちは、そういうのはいらない。才能教育はしない。子供の健康には気をつけるけれどね」
「えー、子供の頭がよくなるのって大切だよ」
「どんな天才でも、人徳が無かったら社会に抹殺されるし、健康が無かったら死ぬだけ。そういうのが馬鹿馬鹿しいのは、宿屋をやってきて、大勢の心を病んでいる御客さんの悩みをきいて痛いほどわかったんだ。だから心と体の健康が一番だと思っている。毎日、緑の中を親子で散歩して、犬たちと遊び回って、すくすくと育ってもらえれば、それだけでいい。もちろん子供が望めば、希望の学校に入れてやれるように、学資保険にはいっているけれどね。でも、本音をいえば、知育よりも、徳育だと思っているのはたしかさ」
つづく。
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このくらいになると、自分で哺乳瓶をもって
ミルクを飲むようになってきました。
それは、まあいいとして、面白いのは、その飲み方です。
一気にグイグイと飲まない。
ちょっと飲んでは、残量を確かめ、
ちょっと飲んでは、残量を確かめながら飲んでいる。
他の赤ちゃんも、そんなものかなあと、何人かの知り合いに聞いてみたら
そういう飲み方をしている例は皆無でした。
どうやらミルクの飲み方に個性がでてきたようです。
あと面白いのが、親の言葉が分かるようになってきたことです。
もちろん、まだ話せません。
パブーしか言えません。
けれど親の言葉は理解しているとしか思えない状況に出くわす。
離乳食を与えているときに、うっかり
「これで最後」とか
「もうおしまい」
というと泣き出すからです。
けれど
「つぎミルクいきます」
と話しかけると、急にニコニコする。
口を開いて哺乳瓶がくるのを待っている。
あきらかに親の言葉が分かっている。
しかし、話すことはできない。
あいかわらず、パブーに近い言葉しかはなさない。
このあたりが面白いところです。
また、やたら立ちたがろうとする。
もちろん自力では立てないけれど、
私が寝転んでいると、必死になって近寄ってきて、
私の体を使って立ち上がろうとする。
そのくせ、ハイハイは、うまくできない。尺とり虫のように前進することしかできない。同じ8ヶ月の子たちは、みんなうまくハイハイできているのに、うちの子は、それができない。
きっと、体が大きいからでしょうね。
これも立派な個性ですね。
こういう個性を発見するたびに嬉しくなる。
子育てが楽しくなってくる。
ここまでは、前置きです。
ここからが本題です。
息子が誕生して8ヶ月。生まれるまでは子育てが大変だと覚悟していたのですが、意外なことに大変では無かったです。人から聞かされていたようには大変では無かった。むしろ、子供が生まれる前より、仕事が辛くなくなっている。
どうしてだろう?
と考えてみました。
子供に癒されているからかもしれません。それもあるでしょう。
あと、自分の親が、弟の子育てをしているのをみているために、あの時代に比べると、すごく楽になっているのを知っているからかもしれません。なにせ、昔は紙おむつがなかったし、西松屋などの赤ちゃん専門店もなかったし、インターネットもなかったし、昔に比べれば、すごく恵まれているのを知っているというのも、子育てが楽だと感じる原因かも知れません。
しかし、一番の原因は、私の年齢にあるのかもしれません。私は52歳です。脳科学者の研究結果によると人間の知性のピークは、50歳代半ばらしいので、それなりの知性のピーク時に子供を授かったために、肩肘張らず、手を抜くべき処は、抜くところを知っていたために、子育てが楽になっているのかもしれない。
というのも、同じく赤ちゃんを育てている友人の家にいって様子をみていたら、
「ああ・・・・」
と頭をかかえる場面をたくさん目撃してしまうからです。その御夫婦は、若い御夫婦なのですが、育児にすごく疲れている。おじいちゃん、おばあちゃんの智恵をかりればいいのにと、老婆心ながら思ってしまった。
で、気がついたのですが、私の年齢だと(52歳)、私に孫がいてもおかしくないんですよね。
つまり、私自身は、父でもあり、世代的には、おじいちゃんでもある。
つまり、わが息子は、父でもあり、世代的には、おじいちゃんでもある人間に育てられているということなんですね。
その事実に気がついたときに、一人で大爆笑してしまった。
すると嫁さんは、怪訝そうな顔で私をみていました。
話をもどしますが、友人の育児にすごく疲れている若い御夫婦は、赤ちゃんに才能教育をしていました。それを見た別の友人は
「佐藤さんもやれば?」
と言ってきたので
「うちは、そういうのはいらない。才能教育はしない。子供の健康には気をつけるけれどね」
「えー、子供の頭がよくなるのって大切だよ」
「どんな天才でも、人徳が無かったら社会に抹殺されるし、健康が無かったら死ぬだけ。そういうのが馬鹿馬鹿しいのは、宿屋をやってきて、大勢の心を病んでいる御客さんの悩みをきいて痛いほどわかったんだ。だから心と体の健康が一番だと思っている。毎日、緑の中を親子で散歩して、犬たちと遊び回って、すくすくと育ってもらえれば、それだけでいい。もちろん子供が望めば、希望の学校に入れてやれるように、学資保険にはいっているけれどね。でも、本音をいえば、知育よりも、徳育だと思っているのはたしかさ」
つづく。
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2013年11月11日
小さい秋みつけた
息子も7ヶ月をすぎると、よだれをたらすようになりました。
もうヨダレの洪水。
まあ、これは想定内でしたが。
10歳年下の弟のときもそうでしたが、
離乳食がはじまるとヨダレがでるようになるんですよね。
逆に離乳食前には、ほとんどでない。
それは、当然のごとく前から知っていた。
知らなかったのは、大量のヨダレがでるようになると、
オシッコが少なくなるということ。
これには驚いた。
まあ、当然といえば、当然なんですけれどね。
ヨダレの量と、オシッコの量が反比例するという事実は、
実際に子育てするまでは、全く気がつきませんでしたね。
そんなことは、どうでもいいとして、
今日も7ヶ月の息子を背負って山に登ってきました。
気温は3度。
秋も終わりにちかずいていますね。
思わず「小さい秋みつけた」を歌っちゃいました。
なにをかくそう私の名前は「サトウ」です。
だから子どもの頃から、サトウハチロウの詩が大好きで、
それも、小さい秋みつけたが好きでした。
しかし、この詩は、とても悲しい背景から生まれた詩なんですよね。
お父さんの浮気で、お母さんが家から追い出され、
そのお母さんと一緒に行った教会の風見鶏に
とまったハゼの葉をみて作った詩なんですよね。
詩全体に悲しい悲しい背景がちりばめられている。
そういう詩だから、悲しく聞こえるんでしょうね。
つづく。
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もうヨダレの洪水。
まあ、これは想定内でしたが。
10歳年下の弟のときもそうでしたが、
離乳食がはじまるとヨダレがでるようになるんですよね。
逆に離乳食前には、ほとんどでない。
それは、当然のごとく前から知っていた。
知らなかったのは、大量のヨダレがでるようになると、
オシッコが少なくなるということ。
これには驚いた。
まあ、当然といえば、当然なんですけれどね。
ヨダレの量と、オシッコの量が反比例するという事実は、
実際に子育てするまでは、全く気がつきませんでしたね。
そんなことは、どうでもいいとして、
今日も7ヶ月の息子を背負って山に登ってきました。
気温は3度。
秋も終わりにちかずいていますね。
思わず「小さい秋みつけた」を歌っちゃいました。
なにをかくそう私の名前は「サトウ」です。
だから子どもの頃から、サトウハチロウの詩が大好きで、
それも、小さい秋みつけたが好きでした。
しかし、この詩は、とても悲しい背景から生まれた詩なんですよね。
お父さんの浮気で、お母さんが家から追い出され、
そのお母さんと一緒に行った教会の風見鶏に
とまったハゼの葉をみて作った詩なんですよね。
詩全体に悲しい悲しい背景がちりばめられている。
そういう詩だから、悲しく聞こえるんでしょうね。
つづく。
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2013年10月23日
『トンビが鷹を産む』はウソだと思う
『トンビが鷹を産む』はウソだと思う。
うちの息子も、あと1週間で生後7ヶ月になる。というわけで、7ヶ月健診なるものに嫁さんが行ってきたのだが、どうやら、うちの息子が一番巨大だったらしい。
で、一番成長が遅かったらしい。歯も生えてないし、髪の毛も薄い。ハイハイもできないし、ずりばえも、寝返りも一番できない。身体は巨大なのだが、一番あかちゃんなのである。
身体が大きいことと、成長の早さは一致しない。
むしろ反比例する傾向の方が多い。
これは、前もって知っていたので何の不安もない。
むしろ喜んでいるくらいである。
早熟より、多少、鈍いくらいの方がよいと思っている。
まあ、そんなことはどうでもいい。
ここからが本題。
よく『トンビが鷹を産む』ということわざがあるが、
あれは、どうもウソくさい気がする。
まず、子供の脳は、生後に発達すると言う点が一つ。
もう一つは、赤ちゃんが、やたらと親の真似をすると言う点で、
『トンビが鷹を産む』はインチキ臭く思えてきたからである。
私が、7ヶ月にわたって息子を観察した結果、赤ちゃんは、真似の天才であることがわかった。特に親の真似は、信じがたいくらいに真似る。つまり赤ちゃんは、後天的に学習することによって、人格が形成されていく生き物の可能性が高い気がする。
まず、生後2ヶ月になって北軽井沢ブルーベリーYGHにやってきた息子に対して、例の舌だし実験を行ったら、たったの15分で真似をした。ジャンケンは、4時間くらいで真似した。生後3ヶ月になると、言葉の真似をはじめた。アゴとか、数字のさーん(三)という言葉をまねした。歌を歌うと、合わせるように、奇声を発した。生後4ヶ月になると、言語については退化がはじまったけれど、歌に合わせて、抑揚をつけて奇声を発することができるようになった。私が、舌打ちをしてみせると、舌打ちをする。口笛を吹くと、その真似をしてみせる(もちろん音は出ないけれど)。
生後5ヶ月から6ヶ月になったら、もっと劇的に親の真似をするようになった。例えば赤ちゃん脇腹に私の頭をつけてグリグリとこすると、キャッキャッと大喜びをするのだが、これを3日くらいつづけると、赤ちゃんの方が、寝ている私にすりよってきて、脇腹に自分の頭をつけてグリグリしてくる。私があやしている手法を真似してぐりぐりしてくる。
もちろん、私が笑うと、赤ちゃんも笑う。私がブスッとしていると赤ちゃんもブスッとするようになる。私が泣いてみせると赤ちゃんも泣くようになる。親の表情次第で、赤ちゃんの表情はいかようにもかわる。
しかしね、これは、知識として知っていましたよ。
赤ちゃんが親の真似をするのは理論として知っていた。
知ってはいたけれど、頭で知っているのと
実際に体験するのとは大違い。
実際に体験すると、背筋が寒くなる。
赤ちゃんが、あまりにも親のコピーをするので寒くなる。
たとえば、私が腕立て伏せをやっていると、赤ちゃんが真似をする。もちろん腕立てなんてできないので、エビぞっては、床に頭を打ち付ける。エビぞっては、床に頭をうちつけるの繰り返し。いっけん見ると何をやっているのか分からないけれど、私の腕立て伏せの真似であることは間違いない。というのも、私が腕立て伏せをやる前には、一回も、その動作をしたことがないから。
こういうことをあげていけばキリが無い。
7ヶ月検診で、離乳食を食べる講習をやっていたのだが、
今まで全く離乳食を食べなかった息子が、他の7ヶ月児が食べるのをみて、
真似して食べるようになった。
とにかく赤ちゃんは、恐ろしいくらい真似をする。
それも親の真似を信じがたいくらい、やってみせる。
例えば、嫁さんは、寝る前に、何度か赤ちゃんと手をつないで寝たことがあった。すると、赤ちゃんの方も寝る前に嫁さんと手を繋ごうとするようになった。さらに、うちのカミさんは、必ず赤ちゃんに笑顔で接するので、赤ちゃんの方も、嫁さんの顔をみると意味なく笑うようになった。さらに嫁さんは寝る時に、室内灯を消すわけだが、長いひもを引っ張って電気消す。すると赤ちゃんも、必死になって長いひもを引っ張ろうとする。もう、何から何まで真似をする。そりゃ、もう背筋が寒くなるくらい。
今日は、指笛をふいてみせた。すると、これもすぐに真似をはじめた。音は出なかったけれど。唇をブルブルさせてみたら、これはすぐに真似た。あと、息子をおんぶしながら、ドックランのはじにいる愛犬コロを「コロ」と呼びつけたら、背中の息子も、同じようなイントネーションの奇声で愛犬コロを呼びつけていた。最初は、偶然かな?たまたまかな?と思っていたけれど、10回も同じ事が続いたので、偶然でないことが確定した。とにかく赤ちゃんは、「これでもか」というくらいに親の真似をする。
この真似の件は、意外と知られてないのではないだろうか? というか、親御さんは、なかなか気がつけないのではないだろうか? どのくらい真似するか、実験的に観察してないと、普通の親御さんではわからないと思う。しかし、よく気をつけてみていたら、ものすごく真似をしている。背筋が寒くなるくらいに真似をする。
そうなると
『トンビが鷹を産む』
ということわざがが、どうもウソくさい気がしてくる。
トンビはトンビしか産めない。
なぜならトンビの赤ちゃんは、
トンビの真似をするしかないからだ。
もし仮に鷹が産まれたとしたら、
親が、トンビに見えた鷹だっただけであると。
もちろん息子が幼稚園や保育所に行くようになったら親の影響よりも、が幼稚園や保育所の影響や、友人関係の影響が大きく作用するだろうけれど、そうなるまえの3歳までは、圧倒的に親の影響が大きいかもしれない。というか3歳までは、親のコピーというか、圧倒的な親の人格が影響することはたしがある。
つづく。
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うちの息子も、あと1週間で生後7ヶ月になる。というわけで、7ヶ月健診なるものに嫁さんが行ってきたのだが、どうやら、うちの息子が一番巨大だったらしい。
で、一番成長が遅かったらしい。歯も生えてないし、髪の毛も薄い。ハイハイもできないし、ずりばえも、寝返りも一番できない。身体は巨大なのだが、一番あかちゃんなのである。
身体が大きいことと、成長の早さは一致しない。
むしろ反比例する傾向の方が多い。
これは、前もって知っていたので何の不安もない。
むしろ喜んでいるくらいである。
早熟より、多少、鈍いくらいの方がよいと思っている。
まあ、そんなことはどうでもいい。
ここからが本題。
よく『トンビが鷹を産む』ということわざがあるが、
あれは、どうもウソくさい気がする。
まず、子供の脳は、生後に発達すると言う点が一つ。
もう一つは、赤ちゃんが、やたらと親の真似をすると言う点で、
『トンビが鷹を産む』はインチキ臭く思えてきたからである。
私が、7ヶ月にわたって息子を観察した結果、赤ちゃんは、真似の天才であることがわかった。特に親の真似は、信じがたいくらいに真似る。つまり赤ちゃんは、後天的に学習することによって、人格が形成されていく生き物の可能性が高い気がする。
まず、生後2ヶ月になって北軽井沢ブルーベリーYGHにやってきた息子に対して、例の舌だし実験を行ったら、たったの15分で真似をした。ジャンケンは、4時間くらいで真似した。生後3ヶ月になると、言葉の真似をはじめた。アゴとか、数字のさーん(三)という言葉をまねした。歌を歌うと、合わせるように、奇声を発した。生後4ヶ月になると、言語については退化がはじまったけれど、歌に合わせて、抑揚をつけて奇声を発することができるようになった。私が、舌打ちをしてみせると、舌打ちをする。口笛を吹くと、その真似をしてみせる(もちろん音は出ないけれど)。
生後5ヶ月から6ヶ月になったら、もっと劇的に親の真似をするようになった。例えば赤ちゃん脇腹に私の頭をつけてグリグリとこすると、キャッキャッと大喜びをするのだが、これを3日くらいつづけると、赤ちゃんの方が、寝ている私にすりよってきて、脇腹に自分の頭をつけてグリグリしてくる。私があやしている手法を真似してぐりぐりしてくる。
もちろん、私が笑うと、赤ちゃんも笑う。私がブスッとしていると赤ちゃんもブスッとするようになる。私が泣いてみせると赤ちゃんも泣くようになる。親の表情次第で、赤ちゃんの表情はいかようにもかわる。
しかしね、これは、知識として知っていましたよ。
赤ちゃんが親の真似をするのは理論として知っていた。
知ってはいたけれど、頭で知っているのと
実際に体験するのとは大違い。
実際に体験すると、背筋が寒くなる。
赤ちゃんが、あまりにも親のコピーをするので寒くなる。
たとえば、私が腕立て伏せをやっていると、赤ちゃんが真似をする。もちろん腕立てなんてできないので、エビぞっては、床に頭を打ち付ける。エビぞっては、床に頭をうちつけるの繰り返し。いっけん見ると何をやっているのか分からないけれど、私の腕立て伏せの真似であることは間違いない。というのも、私が腕立て伏せをやる前には、一回も、その動作をしたことがないから。
こういうことをあげていけばキリが無い。
7ヶ月検診で、離乳食を食べる講習をやっていたのだが、
今まで全く離乳食を食べなかった息子が、他の7ヶ月児が食べるのをみて、
真似して食べるようになった。
とにかく赤ちゃんは、恐ろしいくらい真似をする。
それも親の真似を信じがたいくらい、やってみせる。
例えば、嫁さんは、寝る前に、何度か赤ちゃんと手をつないで寝たことがあった。すると、赤ちゃんの方も寝る前に嫁さんと手を繋ごうとするようになった。さらに、うちのカミさんは、必ず赤ちゃんに笑顔で接するので、赤ちゃんの方も、嫁さんの顔をみると意味なく笑うようになった。さらに嫁さんは寝る時に、室内灯を消すわけだが、長いひもを引っ張って電気消す。すると赤ちゃんも、必死になって長いひもを引っ張ろうとする。もう、何から何まで真似をする。そりゃ、もう背筋が寒くなるくらい。
今日は、指笛をふいてみせた。すると、これもすぐに真似をはじめた。音は出なかったけれど。唇をブルブルさせてみたら、これはすぐに真似た。あと、息子をおんぶしながら、ドックランのはじにいる愛犬コロを「コロ」と呼びつけたら、背中の息子も、同じようなイントネーションの奇声で愛犬コロを呼びつけていた。最初は、偶然かな?たまたまかな?と思っていたけれど、10回も同じ事が続いたので、偶然でないことが確定した。とにかく赤ちゃんは、「これでもか」というくらいに親の真似をする。
この真似の件は、意外と知られてないのではないだろうか? というか、親御さんは、なかなか気がつけないのではないだろうか? どのくらい真似するか、実験的に観察してないと、普通の親御さんではわからないと思う。しかし、よく気をつけてみていたら、ものすごく真似をしている。背筋が寒くなるくらいに真似をする。
そうなると
『トンビが鷹を産む』
ということわざがが、どうもウソくさい気がしてくる。
トンビはトンビしか産めない。
なぜならトンビの赤ちゃんは、
トンビの真似をするしかないからだ。
もし仮に鷹が産まれたとしたら、
親が、トンビに見えた鷹だっただけであると。
もちろん息子が幼稚園や保育所に行くようになったら親の影響よりも、が幼稚園や保育所の影響や、友人関係の影響が大きく作用するだろうけれど、そうなるまえの3歳までは、圧倒的に親の影響が大きいかもしれない。というか3歳までは、親のコピーというか、圧倒的な親の人格が影響することはたしがある。
つづく。
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2013年10月02日
今週末は、ケーキを焼く予定
今週末は、M山さんの誕生日でしたね。
なので、かみさんが、ひさびさにケーキを焼く予定です。
そういえば、出産以来しばらく焼いてなかったなあ。


それはともかく、最近、毎日、浅間牧場を散歩しています。前にも言いましたが、生後6ヶ月のうちの息子をおんぶして浅間牧場をあるくと、キャーとか、グワーとか、ガオーとか絶叫します。そして私は太っているので、息子をおんぶすると前から見る限り、息子の姿は私の体に隠れて全く見えません。だから他人から見たら私が、キャーとか、グワーとか、ガオーとか絶叫しながら、犬連れで浅間牧場を歩いているように見えてしまいます。

観光客の人たちからしたら、身長180センチ、体重90キロの大きな体格の、非常に危ない奴が、犬を連れて近づいてくるように見えてしまいます。だからどういうことになるかというと、危ない奴が来たかと思って、みんな私から逃げていくのですね。みんな、さささーっと避けていく。私の半径10メートル以内に誰も人が寄り付かない。
で私が通り過ぎていくと、キャーとか、グワーとか、ガオーとか絶叫していたのが、おんぶしていた赤ちゃんであることに気がつくと、途端に「キャー可愛い」と言って擦り寄ってくるケースが多いのですが、ある観光客らしき人は、
「子連れ狼だ!」
と叫んでいました。
いや、一緒に連れている犬は、オオカミじゃないから。
その前に「子連れ狼だ!」の意味の使い方を間違ってるし。
そもそも拝一刀は、犬連れじゃないし、
大五郎も乳母車でしょう。
私は、おんぶですから。


まあ、そんなこと、どうでもいいとして、ツアーガイドの土井君に娘が生まれたので、赤ちゃんの世話をしなければならないから、しばらく北軽井沢ブルーベリーYGHのツアーガイドは休みなさいと、しつこく言ったのですが、彼はやめる気がなくて、日帰りでツアーガイドをやるという。それは無茶だと、説得したのですが、結局、「健康のためだから」と、おしきられてしまった。まあ、確かに健康維持のために週一回の登山はやったほうがいい。それに日帰りだと、北軽井沢ブルーベリーYGHで酔いつぶれることがないので、休肝日にもなるということで、無理のない範囲でということでOKした。
実は、彼も尿酸値や肝臓が少しヤバイ状態なので、週何回か、トレーニングジムに通っているのだ。それと登山をプラスして体調管理しているので、急にリズムを狂わせるわけにもいかないらしい。というわけで、9月から私が、ガイドツアーをやるよていだったのですが、とうぶん、土井君がツアーガイドをやることになりました。今後とも土井君をよろしくお願い致します。
つづく。
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なので、かみさんが、ひさびさにケーキを焼く予定です。
そういえば、出産以来しばらく焼いてなかったなあ。
それはともかく、最近、毎日、浅間牧場を散歩しています。前にも言いましたが、生後6ヶ月のうちの息子をおんぶして浅間牧場をあるくと、キャーとか、グワーとか、ガオーとか絶叫します。そして私は太っているので、息子をおんぶすると前から見る限り、息子の姿は私の体に隠れて全く見えません。だから他人から見たら私が、キャーとか、グワーとか、ガオーとか絶叫しながら、犬連れで浅間牧場を歩いているように見えてしまいます。
観光客の人たちからしたら、身長180センチ、体重90キロの大きな体格の、非常に危ない奴が、犬を連れて近づいてくるように見えてしまいます。だからどういうことになるかというと、危ない奴が来たかと思って、みんな私から逃げていくのですね。みんな、さささーっと避けていく。私の半径10メートル以内に誰も人が寄り付かない。
で私が通り過ぎていくと、キャーとか、グワーとか、ガオーとか絶叫していたのが、おんぶしていた赤ちゃんであることに気がつくと、途端に「キャー可愛い」と言って擦り寄ってくるケースが多いのですが、ある観光客らしき人は、
「子連れ狼だ!」
と叫んでいました。
いや、一緒に連れている犬は、オオカミじゃないから。
その前に「子連れ狼だ!」の意味の使い方を間違ってるし。
そもそも拝一刀は、犬連れじゃないし、
大五郎も乳母車でしょう。
私は、おんぶですから。
まあ、そんなこと、どうでもいいとして、ツアーガイドの土井君に娘が生まれたので、赤ちゃんの世話をしなければならないから、しばらく北軽井沢ブルーベリーYGHのツアーガイドは休みなさいと、しつこく言ったのですが、彼はやめる気がなくて、日帰りでツアーガイドをやるという。それは無茶だと、説得したのですが、結局、「健康のためだから」と、おしきられてしまった。まあ、確かに健康維持のために週一回の登山はやったほうがいい。それに日帰りだと、北軽井沢ブルーベリーYGHで酔いつぶれることがないので、休肝日にもなるということで、無理のない範囲でということでOKした。
実は、彼も尿酸値や肝臓が少しヤバイ状態なので、週何回か、トレーニングジムに通っているのだ。それと登山をプラスして体調管理しているので、急にリズムを狂わせるわけにもいかないらしい。というわけで、9月から私が、ガイドツアーをやるよていだったのですが、とうぶん、土井君がツアーガイドをやることになりました。今後とも土井君をよろしくお願い致します。
つづく。
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2013年10月01日
古い友人が子連れで遊びに来たので、浅間牧場を一緒に散策した
古い友人が子連れで遊びに来たので、浅間牧場を一緒に散策しました。
この友人は、年下なのですが、既に2人の子供を育てているので
そういういみでは、子育ての大先輩。
で、いろいろ助言をいただき
お子さんを観察させていただきました。






で、衝撃的な事実を知りました。
1歳7ヶ月の娘さんが、
お父さんに対して人見知りしているのです。
なにかをとってもらうのでも、お父さんではなく、
お母さんじゃないと嫌だと泣くんですね。
お父さんは、いろいろ尽くしているのに、
あれだけ可愛がっているのに、娘さんはお父さんに人見知りする。
でも、これは私にも思い当たることがある。
うちの息子は、まだ6ヶ月なので、
父親に人見知りはしないんですが、
寝る時だけは母親のそばにいきたがる。
遊ぶときは、母親ではなく私と遊びたがるけれど
寝る時や、泣くときは母親に手をむける。
だから、うちの息子も父親に対して
人見知りしないともかぎらないですね。
したの写真をみてください。
子供達は、お母さんといつも一緒ですね。
お父さんは、テラ可哀想でした。


ところで、愛犬コロは、子供達に大人気。
7歳の少年と、よい遊び友達になったし、
1歳7ヶ月の女の子が、転んで泣いたら、
心配そうにペロペロなめて、慰めてましたね。
もちろんなめるは、とめましたけれど、
その心優しさに、ちょっと感動。
さすがは、気配りのシエルティーだけのことはある。

つづく。
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この友人は、年下なのですが、既に2人の子供を育てているので
そういういみでは、子育ての大先輩。
で、いろいろ助言をいただき
お子さんを観察させていただきました。
で、衝撃的な事実を知りました。
1歳7ヶ月の娘さんが、
お父さんに対して人見知りしているのです。
なにかをとってもらうのでも、お父さんではなく、
お母さんじゃないと嫌だと泣くんですね。
お父さんは、いろいろ尽くしているのに、
あれだけ可愛がっているのに、娘さんはお父さんに人見知りする。
でも、これは私にも思い当たることがある。
うちの息子は、まだ6ヶ月なので、
父親に人見知りはしないんですが、
寝る時だけは母親のそばにいきたがる。
遊ぶときは、母親ではなく私と遊びたがるけれど
寝る時や、泣くときは母親に手をむける。
だから、うちの息子も父親に対して
人見知りしないともかぎらないですね。
したの写真をみてください。
子供達は、お母さんといつも一緒ですね。
お父さんは、テラ可哀想でした。
ところで、愛犬コロは、子供達に大人気。
7歳の少年と、よい遊び友達になったし、
1歳7ヶ月の女の子が、転んで泣いたら、
心配そうにペロペロなめて、慰めてましたね。
もちろんなめるは、とめましたけれど、
その心優しさに、ちょっと感動。
さすがは、気配りのシエルティーだけのことはある。
つづく。
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2013年09月28日
身長180センチ体重90キロの危ない奴が、犬を連れて近づいてくるので逃げる
最近特に思うのですが、子連れのお母さんたちは、本当に親切ですね。スーパーなんかで買い物をしているときに、私が生後6ヶ月の息子をおんぶしようとして、苦戦しているとすぐに手を貸してくれます。見知らぬオッサンである私に、おんぶですか?抱っこですか?と聞いてくれてサポートしてくれます。乳母車に赤ちゃんを乗せようとした時も、ごく自然にサポートしてくれるお母さんたちがいました。
これは全国的に子連れのお母さんたちが、親切なのか?
それとも軽井沢のお母さんたちが親切なのか?
ちょっとわかりませんが、とにかくフレンドリーで親切な事は身にしみてわかりました。
逆に言うと、私が今まで子連れのお母さんたちを
親切に何かしてあげたことがなかったので、ちょっと反省しています。
それはともかくとして、本題に入ります。
うちの赤ちゃんが、皮膚に湿疹が出るようになり、うちの息子はさかんにそれを掻いてしまい、顔が血で真っ赤になってしまいました。北軽井沢は、非常に乾燥している地域なので、こういう事はよくあります。私も皮膚がかゆくなることが日常茶飯事です。薬を塗ってもあんまり効き目は無い事も経験上分かっています。
こういうときは、日光浴が1番です。日光で肌を少しばかり焼くと、乾燥しても皮膚がかゆくなりません。それで、うちの赤ちゃんを日光浴に連れて行くようになりました。日光浴といっても、ただお日さまを浴びるだけでは面白くないので、おんぶして、浅間牧場や、鬼押し出し園や、小浅間山を歩きます。そうすると、うちの息子は大喜びではしゃぎます。
脱線しますが、うちの息子は、ハイテンションになると、キャーとか、グワーとか、ガオーとか絶叫します。そしてもう一つ脱線。私は太っているので、息子をおんぶすると前から見る限り、息子の姿は私の体に隠れて全く見えません。赤ちゃんをおんぶしていても、正面から見る限り、ザックを背負った変なオッサンにしか見えません。
さて、ここで本題に戻りますが、私は赤ちゃんをおんぶして、犬を連れて浅間牧場をよく歩く事は前にも述べましたね。もちろん私1人です。嫁さんが一緒にいることもありますが、私1人で赤ちゃんをおんぶして散歩に出かけることが多々あります。
当然のことながら、うちの息子は大喜び。
ハイテンションになって、キャーとか、グワーとか、ガオーとか絶叫します。
しかし、正面から見る限り、うちの息子は全く姿が見えませんから、
他人から見たら私が、キャーとか、グワーとか、ガオーとか絶叫しながら、
犬連れで浅間牧場を歩いているように見えてしまいます。
観光客の人たちからしたら、身長180センチ、体重90キロの大きな体格の、非常に危ない奴が、犬を連れて近づいてくるように見えてしまいます。だからどういうことになるかというと、危ない奴が来たかと思って、みんな私から逃げていくのですね。
みんな、さささーっと避けていく。
私の半径10メートル以内に誰も人が寄り付かない。
いやー、これには参りました。
精神的にきますね、こういうのは。
ハブられるというのはこういうことなんだろうなぁと実感しましたね。
で面白いことに、私が通り過ぎていくと、キャーとか、グワーとか、ガオーとか絶叫していたのが、おんぶしていた赤ちゃんであることに気がつくと、途端に「キャー可愛い」と言って擦り寄ってくるのです。おまけに一緒に連れている犬のコロも、とても愛嬌があるので、こちらも「キャー可愛い」と言って大人気。そして私は、危ない奴のカテゴリーから、一瞬にして人の良さそうなお父さんのカテゴリーに変換されてしまいます。そうなると、向こうのほうは、途端に親切な人に大変身。
このギャップが非常に面白いんですよね。

つづく。
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これは全国的に子連れのお母さんたちが、親切なのか?
それとも軽井沢のお母さんたちが親切なのか?
ちょっとわかりませんが、とにかくフレンドリーで親切な事は身にしみてわかりました。
逆に言うと、私が今まで子連れのお母さんたちを
親切に何かしてあげたことがなかったので、ちょっと反省しています。
それはともかくとして、本題に入ります。
うちの赤ちゃんが、皮膚に湿疹が出るようになり、うちの息子はさかんにそれを掻いてしまい、顔が血で真っ赤になってしまいました。北軽井沢は、非常に乾燥している地域なので、こういう事はよくあります。私も皮膚がかゆくなることが日常茶飯事です。薬を塗ってもあんまり効き目は無い事も経験上分かっています。
こういうときは、日光浴が1番です。日光で肌を少しばかり焼くと、乾燥しても皮膚がかゆくなりません。それで、うちの赤ちゃんを日光浴に連れて行くようになりました。日光浴といっても、ただお日さまを浴びるだけでは面白くないので、おんぶして、浅間牧場や、鬼押し出し園や、小浅間山を歩きます。そうすると、うちの息子は大喜びではしゃぎます。
脱線しますが、うちの息子は、ハイテンションになると、キャーとか、グワーとか、ガオーとか絶叫します。そしてもう一つ脱線。私は太っているので、息子をおんぶすると前から見る限り、息子の姿は私の体に隠れて全く見えません。赤ちゃんをおんぶしていても、正面から見る限り、ザックを背負った変なオッサンにしか見えません。
さて、ここで本題に戻りますが、私は赤ちゃんをおんぶして、犬を連れて浅間牧場をよく歩く事は前にも述べましたね。もちろん私1人です。嫁さんが一緒にいることもありますが、私1人で赤ちゃんをおんぶして散歩に出かけることが多々あります。
当然のことながら、うちの息子は大喜び。
ハイテンションになって、キャーとか、グワーとか、ガオーとか絶叫します。
しかし、正面から見る限り、うちの息子は全く姿が見えませんから、
他人から見たら私が、キャーとか、グワーとか、ガオーとか絶叫しながら、
犬連れで浅間牧場を歩いているように見えてしまいます。
観光客の人たちからしたら、身長180センチ、体重90キロの大きな体格の、非常に危ない奴が、犬を連れて近づいてくるように見えてしまいます。だからどういうことになるかというと、危ない奴が来たかと思って、みんな私から逃げていくのですね。
みんな、さささーっと避けていく。
私の半径10メートル以内に誰も人が寄り付かない。
いやー、これには参りました。
精神的にきますね、こういうのは。
ハブられるというのはこういうことなんだろうなぁと実感しましたね。
で面白いことに、私が通り過ぎていくと、キャーとか、グワーとか、ガオーとか絶叫していたのが、おんぶしていた赤ちゃんであることに気がつくと、途端に「キャー可愛い」と言って擦り寄ってくるのです。おまけに一緒に連れている犬のコロも、とても愛嬌があるので、こちらも「キャー可愛い」と言って大人気。そして私は、危ない奴のカテゴリーから、一瞬にして人の良さそうなお父さんのカテゴリーに変換されてしまいます。そうなると、向こうのほうは、途端に親切な人に大変身。
このギャップが非常に面白いんですよね。
つづく。
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2013年09月25日
世界が一瞬にして変わってしまった話
この夏は、赤ちゃんがいたのにお客さんが減っていませんでした。子育てもあったので、わざと1部屋を封印していたのですが、にもかかわらず、お客さんが減ってなかったのです。理由として考えられる事は、今年の8月は土曜日が1日多かったことがあります。しかしそれだけではない。なぜならば7部屋のうちの1つを使ってなかったなわけですから、普通なら御客さんが、14%減っているきずなのに、逆に御客様が増えているからです。要するに、使わなかった1部屋をのこして、ほとんど空室がないままにお客さんが入ったというわけです。
原因として考えられることは、今年の夏は暑かったこと。
北軽井沢は、この夏ほとんど雨が降らなかったこと。
じゃらん・楽天・hisのお客さんが、前年比で3倍以上増えたこと。
この3つにつきます。
まずじゃらん・楽天・hisのお客さんですが、これが増えた原因は、客室をじゃらん・楽天・hisに開放した為です。毎年、夏になると黙っていてもお客さんがやってくるので、じゃらんや楽天やhisに客室を預けることはありませんでした。自分のホームページで、お客さんが100%集まるのに、何もわざわざじゃらんや楽天やhisに手数料を払ってまでお客さんを取る事はないと思っていたからです。
ところが、今年は事情が違っていました。
赤ちゃんが生まれていたからです。
宿業で1番大変な事は、食事を作ることです。食事さえ作らなければ、結構、楽な商売なんですが、お客さんの夕食を作ると体がヘトヘトになります。12時ぐらいに食材を買いに行き、14時ぐらいから仕込みを始め、なんだかんだと18時半ぐらいまで、立ちっぱなしで食事を作らなければいけない。じゃあ食事を作るのをやめればいいかというと、そう言うわけにもいかないのです。
うちのお客さんの大半は、食事を楽しみにいらっしゃるケースが多いのです。電話で、今日は夕食は作れませんと言うと、がっかりする声がこちらに伝わってくる。メールだと、夕食のある日に予約を変えてくる。そういうお客さんが多いのですね。だから食事を作らないわけにはいかない。
かといって、毎日20人もの食事を作るとなると、その労力は大変なものになります。そこで苦肉の策として、素泊まりのプランをじゃらん・楽天・hisなどの大手旅行サイトに開放することにしました。それによって、 1日に作る食事の量を大幅に減らすことができるからです。
具体的に言うと、作る食事の量は10名前後に限定するように、素泊まりプランを出しました。そのせいで、大勢のお客さんがじゃらん・楽天・his経由でやってきたわけですが、食事を食べてもらってないために、リピーターになるかどうかは微妙なところです。過去のデーターだと、素泊まりの御客様は、リピートしない。リピートする御客さんの9割は食事を食べた御客さん。だから、こういう集客は、よくない。赤ちゃんがいる間だけの苦肉の策だと思っています。
ただ、驚くべきは、食事を頼んでないんじゃらん・楽天・hisのお客さんの半分ぐらいが、
お茶会に出てきていました。
これは私には意外な結果でした。
リピーターさんでも、ホステラーさんであっても、食事を頼んでないんお客さんは、半分もお茶会にでてこないからです。ところがユースホステルを使ったことも無い、じゃらん・楽天・hisのお客さん、しかも食事も頼んでない御客さんが、お茶会にでて見知らぬ人と交流をしているのです。こういうことは、過去には絶対にありえなかった。
最初は家内と、
「なぜだろう?」
「不思議だなぁ?」
と話していたんですが、途中で原因がわかってきました。
お茶会に出てくるお客さんの大半が、子連れのお父さんお母さんだったからです。
どうやら、子連れのお父さんお母さんたちの間には、何か連帯感のようなものがあるみたいなのです。私はお茶会になると、必ず5ヶ月の息子を連れて出席しましたので、それまでお茶会に出るつもりのなかった、じゃらん・楽天・hisのお客さんが、 5ヶ月の赤ちゃんにつられてお茶会に出席するようになったからです。これにはいくら鈍感な私にも気がつきました。子供のいるお父さんお母さんたちには、何か連帯感のようなものが存在するらしいということに。
考えてみれば、日常生活にもそういうことがあったんですよね。食材の買い出しに行った時に、スーパーのベンチで赤ちゃんにミルクをやっていると、何度も若いお母さんたちが私に話しかけてきたからです。子連れでなかった場合は、そういう事は皆無でしたからね。
特に小さな女の子連れのお母さんにその傾向があるのですが、その理由もわかってきました。小さな女の子は、赤ちゃんが好きなんですね。だから赤ちゃんをじーっと見ることが多いのです。もちろんお人形さんも持っていたりする。私がスーパーの端っこのベンチで赤ちゃんと座っていると、わざわざ小さな女の子がその側のベンチに座りにきて、結果としてそのお母さんも隣にやってくるからです。そして私に話しかけ、去って行くときは、小さな女の子が赤ちゃんにバイバイと言ってさっていきました。

最近は、子連れで浅間牧場や小浅間山を散策しているんですが、子連れのファミリーに出会うと、むこうから挨拶してきます。もちろん、こちらも挨拶しますけれど、こういうことは、13年も北軽井沢にいてはじめてです。浅間牧場で散歩したことは、千回以上あると思うし、何千人というファミリーに出会っているんですが、いきなりファミリーの人に挨拶されたことは過去には一度もなかった。けれど、赤ちゃんをつれて散歩していると、かたっぱしから挨拶される。まあ、これは犬連れでも同じなんですが、犬とか赤ちゃんを連れていると、他人が他人で無くなってしまう。
なんか、とても不思議でしたね。
世界が一瞬にして変わってしまったかんじです。

つづく。
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原因として考えられることは、今年の夏は暑かったこと。
北軽井沢は、この夏ほとんど雨が降らなかったこと。
じゃらん・楽天・hisのお客さんが、前年比で3倍以上増えたこと。
この3つにつきます。
まずじゃらん・楽天・hisのお客さんですが、これが増えた原因は、客室をじゃらん・楽天・hisに開放した為です。毎年、夏になると黙っていてもお客さんがやってくるので、じゃらんや楽天やhisに客室を預けることはありませんでした。自分のホームページで、お客さんが100%集まるのに、何もわざわざじゃらんや楽天やhisに手数料を払ってまでお客さんを取る事はないと思っていたからです。
ところが、今年は事情が違っていました。
赤ちゃんが生まれていたからです。
宿業で1番大変な事は、食事を作ることです。食事さえ作らなければ、結構、楽な商売なんですが、お客さんの夕食を作ると体がヘトヘトになります。12時ぐらいに食材を買いに行き、14時ぐらいから仕込みを始め、なんだかんだと18時半ぐらいまで、立ちっぱなしで食事を作らなければいけない。じゃあ食事を作るのをやめればいいかというと、そう言うわけにもいかないのです。
うちのお客さんの大半は、食事を楽しみにいらっしゃるケースが多いのです。電話で、今日は夕食は作れませんと言うと、がっかりする声がこちらに伝わってくる。メールだと、夕食のある日に予約を変えてくる。そういうお客さんが多いのですね。だから食事を作らないわけにはいかない。
かといって、毎日20人もの食事を作るとなると、その労力は大変なものになります。そこで苦肉の策として、素泊まりのプランをじゃらん・楽天・hisなどの大手旅行サイトに開放することにしました。それによって、 1日に作る食事の量を大幅に減らすことができるからです。
具体的に言うと、作る食事の量は10名前後に限定するように、素泊まりプランを出しました。そのせいで、大勢のお客さんがじゃらん・楽天・his経由でやってきたわけですが、食事を食べてもらってないために、リピーターになるかどうかは微妙なところです。過去のデーターだと、素泊まりの御客様は、リピートしない。リピートする御客さんの9割は食事を食べた御客さん。だから、こういう集客は、よくない。赤ちゃんがいる間だけの苦肉の策だと思っています。
ただ、驚くべきは、食事を頼んでないんじゃらん・楽天・hisのお客さんの半分ぐらいが、
お茶会に出てきていました。
これは私には意外な結果でした。
リピーターさんでも、ホステラーさんであっても、食事を頼んでないんお客さんは、半分もお茶会にでてこないからです。ところがユースホステルを使ったことも無い、じゃらん・楽天・hisのお客さん、しかも食事も頼んでない御客さんが、お茶会にでて見知らぬ人と交流をしているのです。こういうことは、過去には絶対にありえなかった。
最初は家内と、
「なぜだろう?」
「不思議だなぁ?」
と話していたんですが、途中で原因がわかってきました。
お茶会に出てくるお客さんの大半が、子連れのお父さんお母さんだったからです。
どうやら、子連れのお父さんお母さんたちの間には、何か連帯感のようなものがあるみたいなのです。私はお茶会になると、必ず5ヶ月の息子を連れて出席しましたので、それまでお茶会に出るつもりのなかった、じゃらん・楽天・hisのお客さんが、 5ヶ月の赤ちゃんにつられてお茶会に出席するようになったからです。これにはいくら鈍感な私にも気がつきました。子供のいるお父さんお母さんたちには、何か連帯感のようなものが存在するらしいということに。
考えてみれば、日常生活にもそういうことがあったんですよね。食材の買い出しに行った時に、スーパーのベンチで赤ちゃんにミルクをやっていると、何度も若いお母さんたちが私に話しかけてきたからです。子連れでなかった場合は、そういう事は皆無でしたからね。
特に小さな女の子連れのお母さんにその傾向があるのですが、その理由もわかってきました。小さな女の子は、赤ちゃんが好きなんですね。だから赤ちゃんをじーっと見ることが多いのです。もちろんお人形さんも持っていたりする。私がスーパーの端っこのベンチで赤ちゃんと座っていると、わざわざ小さな女の子がその側のベンチに座りにきて、結果としてそのお母さんも隣にやってくるからです。そして私に話しかけ、去って行くときは、小さな女の子が赤ちゃんにバイバイと言ってさっていきました。
最近は、子連れで浅間牧場や小浅間山を散策しているんですが、子連れのファミリーに出会うと、むこうから挨拶してきます。もちろん、こちらも挨拶しますけれど、こういうことは、13年も北軽井沢にいてはじめてです。浅間牧場で散歩したことは、千回以上あると思うし、何千人というファミリーに出会っているんですが、いきなりファミリーの人に挨拶されたことは過去には一度もなかった。けれど、赤ちゃんをつれて散歩していると、かたっぱしから挨拶される。まあ、これは犬連れでも同じなんですが、犬とか赤ちゃんを連れていると、他人が他人で無くなってしまう。
なんか、とても不思議でしたね。
世界が一瞬にして変わってしまったかんじです。
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2013年09月19日
猿と人間の境界線
現在は、ベンリですね。ブログがあるからです。
そして子供を産んだママさんの大半がブログをやっているのは、本当にありがたい。うちの息子は、2013年3月26日生まれですが、同じ日に子供をうんだママさんは、大勢いて、その多くがブログをやっています。
2013年3月26日に限定せずに、2013年3月に産んだママさんのブログを調べるともっといる。当然ながら、それらのブログを読むと他の子供の成長度合いがわかる。で、うちの息子ですが、他のお子さんよりも成長が遅いようなのです。成長と言っても身長体重のことではありません。そっちの方は、充分成長している。
歯が生えるとか、
ハイハイをはじめるとか、
そっちの成長のことです。
そっちの成長は、きわめて遅い。
しかしね、正直言って、ホッとしましたよ。男の子は、多少成長が遅いくらいの方が大器晩成というか後で大きく成長するからです。ゆっくり、ゆっくり大きくなって、何事にも動じない大らかな性格になって欲しい。勉強なんかできなくてもいいから、間違えても、人様をイジめるとか、他人を見下すような人にはなってもらいたくない。
しかし、嫁さんは、他人のブログに影響されやすくヨソの子供に比べて成長の遅い息子が心配なのか、さかんに寝返りの練習なんかをさせている。そんなことすることないのにね。ほっとけば、自然に成長するのに。
(というか、私の赤ちゃん観察の邪魔になる)
まあ、そんなことどうでもいいんですが、
息子を産んでくれた嫁さんには本当に感謝している。
赤ちゃんを観察する機会を与えてくれたからです。
実は、私は、チンパンジー・ゴリラ・ニホンザルの赤ちゃんを近くで見たことがあるんですが、人間の赤ちゃんを観察する機会はなかった。だから、息子が生まれたことによって、興味深い事実をいろいろ発見しました。
まず人間の赤ちゃんは、チンパンジー・ゴリラ・ニホンザルの赤ちゃんに比較して、異常に足がでかい。逆に手は小さいので、ニホンザルのように直ぐには寝返りをうてない。5ヶ月くらいまでは、寝たら寝っぱなしです。ところが4ヶ月くらいから、急にエビ反るようになってきた。ミルクもまじめに飲まなくなって、エビ反ってばかり。
「落ち着きの無い奴だな」
と苦笑していたのだが、5ヶ月になったとたん、
暇さえあればエビ反っているようになってきた。
よーするにブリッジをするようになってきたのです。
ここで、私のイタズラ心に火が付いた
ブリッジする息子を指でつぶしてしまった。
すると息子は大喜び。
また、一生懸命にブリッジする。
「はて? どうして楽しそうにブリッジをするんだろう?」
と考えたが分からない。
育児書や医学書にも書いてない。
私が一番当てにしている発達心理学の本にもない。
インターネットで調べてもでてこない。
「?」
と思っていたのだが、原因はすぐに判明した。
ブリッジが簡単にできるようになると、
簡単に寝返りがうてるようになるのだ。
よーするに赤ちゃんの遺伝子にエビ反ることを楽しむようなものがはいっていて、そのエビ反りが、寝返りやハイハイのための筋肉を作るようになっていたということか! エビ反りが、ハイハイへの第一歩だったということか。
逆に言うと、家内が、一生懸命に寝返りの練習をさせていたけれど、ブリッジができないあいだは無理だったということ。ということは、やはり子供は、放置しておいても、自分で成長するすべをしっていたということになる。うーむ、驚いた。
あと、足がチンパンジー・ゴリラ・ニホンザルの赤ちゃんに比較して、異常にでかい理由も分かった。足でブリッジをして寝返りをうっているからです。ブリッジのできない猿たちは、手で寝返ってますからね。つまり、猿と人間の境界線は、ブリッジができるかどうかにあるわけだ!
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
4ヶ月になると写真のように
やたらと、ブリッジをしたがる
ミルクをあげても、親をみつめず、さかんにブリッジをする。
育児書には、注意が散漫になるとしかかいてない。
発達心理学の本には、視力が発達して、
物が見えすぎてキョロキョロするとしか書いてない。
とにかくエビ反ってばかり。

なので、エビ反っているところを指で押しつぶしてみた。
すると大喜び。
なぜ?
これは、エビソリが、ブリッジが楽しいことだと
遺伝子にインプットされていると思われる。
ここを理解しないと、お母さんは、
ミルクをまじめに飲まない赤ちゃんに怒ってしまうかも。

ブリッジができると寝返りがうまくなり、
ハイハイの練習にもなっていたのだった。
うつぶせでも、首を長くあげられる。
つまりブリッジが、うまくできないうちは、
いくら練習しても上手に寝返りができなかったということだ。
もちろんハイハイどころか、
うつぶせしても、首が上がらない。

逆に言うと、5ヶ月からは、さかんにだっこしてあげて、
ブリッジの練習を助けてあげるとよいかもしれない。
ミルクの間だけ抱っこしてないと、ブリッジばかりして
落ち着いてミルクをのまないかも。
それなしで、寝返り練習しても・・・・・ダメかも
よーするに赤ちゃんのイタズラには、
かならず理由が存在するということである。
4ヶ月後半から蝦夷反ってばかりで、
まじめにミルクを飲まなくなるのは
お母さんの腕だと、エビぞりがしやすいから、
ここぞとばかりブリッジのチャンスを待っていたと思われる。
こういう発見を毎日できるので、
人間の子を観察する行為はやめられない。
面白いこと、このうえない。
つづく。
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そして子供を産んだママさんの大半がブログをやっているのは、本当にありがたい。うちの息子は、2013年3月26日生まれですが、同じ日に子供をうんだママさんは、大勢いて、その多くがブログをやっています。
2013年3月26日に限定せずに、2013年3月に産んだママさんのブログを調べるともっといる。当然ながら、それらのブログを読むと他の子供の成長度合いがわかる。で、うちの息子ですが、他のお子さんよりも成長が遅いようなのです。成長と言っても身長体重のことではありません。そっちの方は、充分成長している。
歯が生えるとか、
ハイハイをはじめるとか、
そっちの成長のことです。
そっちの成長は、きわめて遅い。
しかしね、正直言って、ホッとしましたよ。男の子は、多少成長が遅いくらいの方が大器晩成というか後で大きく成長するからです。ゆっくり、ゆっくり大きくなって、何事にも動じない大らかな性格になって欲しい。勉強なんかできなくてもいいから、間違えても、人様をイジめるとか、他人を見下すような人にはなってもらいたくない。
しかし、嫁さんは、他人のブログに影響されやすくヨソの子供に比べて成長の遅い息子が心配なのか、さかんに寝返りの練習なんかをさせている。そんなことすることないのにね。ほっとけば、自然に成長するのに。
(というか、私の赤ちゃん観察の邪魔になる)
まあ、そんなことどうでもいいんですが、
息子を産んでくれた嫁さんには本当に感謝している。
赤ちゃんを観察する機会を与えてくれたからです。
実は、私は、チンパンジー・ゴリラ・ニホンザルの赤ちゃんを近くで見たことがあるんですが、人間の赤ちゃんを観察する機会はなかった。だから、息子が生まれたことによって、興味深い事実をいろいろ発見しました。
まず人間の赤ちゃんは、チンパンジー・ゴリラ・ニホンザルの赤ちゃんに比較して、異常に足がでかい。逆に手は小さいので、ニホンザルのように直ぐには寝返りをうてない。5ヶ月くらいまでは、寝たら寝っぱなしです。ところが4ヶ月くらいから、急にエビ反るようになってきた。ミルクもまじめに飲まなくなって、エビ反ってばかり。
「落ち着きの無い奴だな」
と苦笑していたのだが、5ヶ月になったとたん、
暇さえあればエビ反っているようになってきた。
よーするにブリッジをするようになってきたのです。
ここで、私のイタズラ心に火が付いた
ブリッジする息子を指でつぶしてしまった。
すると息子は大喜び。
また、一生懸命にブリッジする。
「はて? どうして楽しそうにブリッジをするんだろう?」
と考えたが分からない。
育児書や医学書にも書いてない。
私が一番当てにしている発達心理学の本にもない。
インターネットで調べてもでてこない。
「?」
と思っていたのだが、原因はすぐに判明した。
ブリッジが簡単にできるようになると、
簡単に寝返りがうてるようになるのだ。
よーするに赤ちゃんの遺伝子にエビ反ることを楽しむようなものがはいっていて、そのエビ反りが、寝返りやハイハイのための筋肉を作るようになっていたということか! エビ反りが、ハイハイへの第一歩だったということか。
逆に言うと、家内が、一生懸命に寝返りの練習をさせていたけれど、ブリッジができないあいだは無理だったということ。ということは、やはり子供は、放置しておいても、自分で成長するすべをしっていたということになる。うーむ、驚いた。
あと、足がチンパンジー・ゴリラ・ニホンザルの赤ちゃんに比較して、異常にでかい理由も分かった。足でブリッジをして寝返りをうっているからです。ブリッジのできない猿たちは、手で寝返ってますからね。つまり、猿と人間の境界線は、ブリッジができるかどうかにあるわけだ!
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
4ヶ月になると写真のように
やたらと、ブリッジをしたがる
ミルクをあげても、親をみつめず、さかんにブリッジをする。
育児書には、注意が散漫になるとしかかいてない。
発達心理学の本には、視力が発達して、
物が見えすぎてキョロキョロするとしか書いてない。
とにかくエビ反ってばかり。
なので、エビ反っているところを指で押しつぶしてみた。
すると大喜び。
なぜ?
これは、エビソリが、ブリッジが楽しいことだと
遺伝子にインプットされていると思われる。
ここを理解しないと、お母さんは、
ミルクをまじめに飲まない赤ちゃんに怒ってしまうかも。
ブリッジができると寝返りがうまくなり、
ハイハイの練習にもなっていたのだった。
うつぶせでも、首を長くあげられる。
つまりブリッジが、うまくできないうちは、
いくら練習しても上手に寝返りができなかったということだ。
もちろんハイハイどころか、
うつぶせしても、首が上がらない。
逆に言うと、5ヶ月からは、さかんにだっこしてあげて、
ブリッジの練習を助けてあげるとよいかもしれない。
ミルクの間だけ抱っこしてないと、ブリッジばかりして
落ち着いてミルクをのまないかも。
それなしで、寝返り練習しても・・・・・ダメかも
よーするに赤ちゃんのイタズラには、
かならず理由が存在するということである。
4ヶ月後半から蝦夷反ってばかりで、
まじめにミルクを飲まなくなるのは
お母さんの腕だと、エビぞりがしやすいから、
ここぞとばかりブリッジのチャンスを待っていたと思われる。
こういう発見を毎日できるので、
人間の子を観察する行為はやめられない。
面白いこと、このうえない。
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2013年09月14日
グンマー属性の館林で、ラーメンを食べる
義理のお母さんが、孫の顔を見たいといってきたので、北軽井沢から200qもはなれた館林に行ってきました。

しかし、ただ館林に行ってくるつもりはありません。館林のラーメンを食べにいってきました。何をかくそう館林は、ラーメン王国なのです。しかも塩ラーメン。それも手打ちの平麺が主流。もちろん工場の機械なんかでつくられてないので、麺の太さはバラバラ。いわゆる佐野ラーメンみたいなのが多いわけですが、これは小麦の産地である群馬県の特色ともいえます。それを食べに行こうとしたら、義理のお母さんが、食事を作って待っているという。
私は、嫁さんに「館林のラーメンを食べたいなあ」と、耳がタコになるくらいにつぶやいたら、嫁さんがうざく思ったのか、義理のお母さんの手料理は、やめにして、みんなでラーメンを食べに行くことになった。こういう経験、みなさんにはありませんか?
そもそも館林といえぱ、知る人ぞ知るお笑い王国。
いわゆる代表的なグンマー属性。
グンマーといえば館林。
館林といえばグンマーと言われるくらいに笑える土地でも有ります。
東京スカイツリーが完成したときなどは、館林が真っ先に便乗商法を展開しました。スカイツリーの高さ634mにちなみ
「東京スカイツリーから63.4km(直線距離で)の花のまち」
と市を挙げて大キャンペーンを行ったことなんか、まだ序の口で、重さ634gで634円の天丼を販売したり。外周63.4センチのコースターをつくったり、外周63.4センチのたぬきパンを販売したり、5月には6340匹のこいのばりを泳がせたりと、「634」にこじつけて便乗しまくりなのです。私の息子が生まれたときに、やけに鯉のぼりがおおいなあと感心したものですが、6340匹とは知らなかったです。

きわめつけが、幅6.34センチ、長さ63.4センチの麺に、厚さ6.34センチのチャーシューがついた値段634円のつけ麺を売り出したラーメン屋。しかし、今回は、そこには行かない。まあ、ちよっと食べてみたい気もするが、今回は行かない。目指すは、殿堂入りの店「ラーメン厨房 ぽれぽれ 」です。

いわゆる佐野ラーメンの系統の味ですね。手打ちなのか、麺が不揃いで切られている平麺。当然の事ながら柔らかい。固麺が好きな私の好みで無かったが、佐野ラーメンの系統なら、これはこれでよい。しかし、うどんのような大きな麺に驚いた。この麺も長さ63.4センチあるのだろうか?

ちなみに、こんな感じで、ラーメン屋で、おばあちゃんと孫が遊んでいると、見知らぬ客がからんでくる。
「お孫さんは、おばあちゃんの、オモチャだね」
しかし、グンマーのおばあちゃんも負けてない。
「2ヶ月ぶりに会ったのよ!」
と言い返す。
さすが、グンマーである。
ところで、食べたのは塩チャーシュー麺。

これで800円は安い。
で、さらに美味しいのが塩卵。

この店の売りは塩。
塩を売りにする店は本物なのだ。
なぜならば、塩はごまかしがきかない。
群馬県館林市緑町1-32-8
TEL 0276-72-7774
営業時間 11:30〜14:00 17:30〜21:00
定休日 月曜日
つづく。
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しかし、ただ館林に行ってくるつもりはありません。館林のラーメンを食べにいってきました。何をかくそう館林は、ラーメン王国なのです。しかも塩ラーメン。それも手打ちの平麺が主流。もちろん工場の機械なんかでつくられてないので、麺の太さはバラバラ。いわゆる佐野ラーメンみたいなのが多いわけですが、これは小麦の産地である群馬県の特色ともいえます。それを食べに行こうとしたら、義理のお母さんが、食事を作って待っているという。
私は、嫁さんに「館林のラーメンを食べたいなあ」と、耳がタコになるくらいにつぶやいたら、嫁さんがうざく思ったのか、義理のお母さんの手料理は、やめにして、みんなでラーメンを食べに行くことになった。こういう経験、みなさんにはありませんか?
そもそも館林といえぱ、知る人ぞ知るお笑い王国。
いわゆる代表的なグンマー属性。
グンマーといえば館林。
館林といえばグンマーと言われるくらいに笑える土地でも有ります。
東京スカイツリーが完成したときなどは、館林が真っ先に便乗商法を展開しました。スカイツリーの高さ634mにちなみ
「東京スカイツリーから63.4km(直線距離で)の花のまち」
と市を挙げて大キャンペーンを行ったことなんか、まだ序の口で、重さ634gで634円の天丼を販売したり。外周63.4センチのコースターをつくったり、外周63.4センチのたぬきパンを販売したり、5月には6340匹のこいのばりを泳がせたりと、「634」にこじつけて便乗しまくりなのです。私の息子が生まれたときに、やけに鯉のぼりがおおいなあと感心したものですが、6340匹とは知らなかったです。

きわめつけが、幅6.34センチ、長さ63.4センチの麺に、厚さ6.34センチのチャーシューがついた値段634円のつけ麺を売り出したラーメン屋。しかし、今回は、そこには行かない。まあ、ちよっと食べてみたい気もするが、今回は行かない。目指すは、殿堂入りの店「ラーメン厨房 ぽれぽれ 」です。
いわゆる佐野ラーメンの系統の味ですね。手打ちなのか、麺が不揃いで切られている平麺。当然の事ながら柔らかい。固麺が好きな私の好みで無かったが、佐野ラーメンの系統なら、これはこれでよい。しかし、うどんのような大きな麺に驚いた。この麺も長さ63.4センチあるのだろうか?
ちなみに、こんな感じで、ラーメン屋で、おばあちゃんと孫が遊んでいると、見知らぬ客がからんでくる。
「お孫さんは、おばあちゃんの、オモチャだね」
しかし、グンマーのおばあちゃんも負けてない。
「2ヶ月ぶりに会ったのよ!」
と言い返す。
さすが、グンマーである。
ところで、食べたのは塩チャーシュー麺。
これで800円は安い。
で、さらに美味しいのが塩卵。
この店の売りは塩。
塩を売りにする店は本物なのだ。
なぜならば、塩はごまかしがきかない。
群馬県館林市緑町1-32-8
TEL 0276-72-7774
営業時間 11:30〜14:00 17:30〜21:00
定休日 月曜日
つづく。
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ラベル:グンマー
2013年09月12日
土井君の娘さんに会ってきました
泣いているアキナちゃんを心配そうに見守るタケル。
お父さんとお母さんを足して2で割ったようなかんじですね。
こんどはアキナちゃんが、チラ見。
とても元気そうでした。
お母さんは、これから最低2ヶ月は、休んでくださいね。
ここで無理をすると、あとあと大変です。
特に産後鬱にならないように、お父さんの役目は重大です。
つづく。
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2013年08月30日
また日本プラスターの社長から電話がかかってきました
また日本プラスターの社長から電話がかかってきました。私が出演したラジオ番組の放送日が9月1日に決定したらしく、そのご連絡でした。
で、社長いわく、このラジオ放送は、私が以前、書いたブログの記事がきっかけだったとのこと。その記事とは、
http://kaze3.seesaa.net/article/367809229.html
です。これを書いた私は、日本プラスターにメールしたんですよ。それも冗談で。記事を読んでもらえればわかりますが、あきらかに某テレビ番組(劇的ビフォーアフター)のパロディーです。ギャグにはしっています。これを日本プラスターの社長や社員の人たちが、とてもよろこんでくださった。
実は、日本プラスターという会社は、うま〜くヌレールを使って完成した漆喰のコンテストをやっていて、毎回、すごい受賞作をだしているんですよね。これをみてください。
http://www.plastesia.com/top/1302/sakuhin.html
これらの受賞作をみてもわかるように、すごいレベルの作品が受賞しています。これに比べたら私が塗った嫁さんの実家の壁なんて、下手くそもいいところです。だから、なみいる受賞作をさしおいて、私のところに第一号としてラジオ出演依頼がきたときは、本当に驚きました。他に、もっと凄い人がいるのに・・・・。
ちなみに今回のラジオ番組では、5名くらいの漆喰体験者が、出演するそうです。もちろん、私以外の5名の出演者は、みんな受賞者です。私だけが無冠です。というか、私だけ場違いな気がしないでは無いです(笑)。なのですが、社長さんを含め日本プラスターの人たちが、どういうわけか、私のブログ記事を気に入ってくれたらしく、どうしても私を第一にトップバッターとして出したいと言うことで、9月1日(日曜日)の朝6時半から7時の間に出ることになりました。よーするに明後日の朝ですね。
(詳しくは、こちら)
http://www.plastesia.com/top/1308/dream_sketch.pdf
そこまで推してくれると、さすがの私も、豚も何とかで木に登るというやつで、日本プラスターの漆喰について、少しだけ書いておきます。
まず漆喰。
私は、最初にホームセンターでプロ用の漆喰を買ってきて、塗ってみたんです。で、見事に大失敗。原因は、水とまぜて練り込みのコツが分からなかったことにあったようですが、そもそもプロ用の漆喰を素人が使うには、かなり高度な技が必要であることが、知り合いの左官の人に教えてもらいました。左官は、素人が日曜大工でできるレベルのものではなかったわけです。難しいのです。
で、困った私は、インターネットで素人でも出来ると宣伝している漆喰を発見しました。
これです。
http://store.shopping.yahoo.co.jp/royal3000/a436-set.html
http://www.rakuten.ne.jp/gold/royal3000/goods_detail/a436/sekourei.htm
さっそくアマゾンで買って、塗ってみたら驚くほどよくぬれる。最初から練り込んであるので、かなり良い感じで塗れました。しかし、プロレベルで塗れたわけでは無かった。やはり凸凹はでてくる。あと、完全に乾くまで24時間以上かかる。つまり2度塗りする場合は、この倍はかかるし、その前に下地処理をする場合は、もっと時間がかかる。でも、一番の難点は、塗るのに時間がかかるということです。紙粘土みたいなものを壁に練り込むわけですから腕力が要るし時間もかかる。計算すると、8畳間の壁全てを塗る場合は、4日以上かかってしまう。宿をやってる私には、そんな時間はありませんでした。
で、どうしようかなと、いろんなホームセンターを探し回っているうちに見つけたのが、日本プラスターの「うまくヌレール」でした。ビバホームというホームセンターで、「うまくヌレール」の使用方法を解説しているビデオをみたんですが、それによると4時間で乾くとある。そのうえゴム手袋でも塗れるとも説明している。
「そんな馬鹿な?」
と半信半疑で買って試してみたら、本当に簡単に塗れる。プロ用の漆喰が粘土を壁に塗り込む作業だとしたら、この「うまくヌレール」は、絵の具のようにやわらかい。つまり壁に絵の具を塗りたくるように塗れる。全く力が要らないのです。これなら嫁さんにも塗れるのではないか?と試しにやらせてみたら、嫁さんも簡単に塗れてしまった。
「こいつはいいぞ!」
と思った私は、館林のビバホームで大量に漆喰を仕入れて、一晩で八畳間を塗りたくってしまった。
しかし、あんまり簡単に塗れるので、ちよっと不安になってきた。
簡単に塗れるということは、薄く塗れてしまうということなのですね。プロ用漆喰の場合は、なかなか塗れなかったので分厚く塗ってしまう。けれど日本プラスターの漆喰は絵の具を塗るように簡単に塗れる、ということは、逆に薄く塗れてしまうわけです。で、薄いと剥がれはしないか?と思ったわけです。
しかし、それは杞憂で壁が乾いてきたら完璧な壁になっていました。剥がれるどころか、前に塗ったプロ用の漆喰よりしっかりしている。簡単にははがれない。逆に前に塗ったプロ用の漆喰は、私の塗り方が下手くそすぎて剥がれやすかったんですね。しかし、日本プラスターの製品は、下手くそが塗ってもなんとかなる商品だったので、うまくいったんでしょう。古い壁にうまく馴染んでくれたようです。
眠くなったので今日は、ここまで、機会があったら、この続きを画きます。
つづく。
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で、社長いわく、このラジオ放送は、私が以前、書いたブログの記事がきっかけだったとのこと。その記事とは、
http://kaze3.seesaa.net/article/367809229.html
です。これを書いた私は、日本プラスターにメールしたんですよ。それも冗談で。記事を読んでもらえればわかりますが、あきらかに某テレビ番組(劇的ビフォーアフター)のパロディーです。ギャグにはしっています。これを日本プラスターの社長や社員の人たちが、とてもよろこんでくださった。
実は、日本プラスターという会社は、うま〜くヌレールを使って完成した漆喰のコンテストをやっていて、毎回、すごい受賞作をだしているんですよね。これをみてください。
http://www.plastesia.com/top/1302/sakuhin.html
これらの受賞作をみてもわかるように、すごいレベルの作品が受賞しています。これに比べたら私が塗った嫁さんの実家の壁なんて、下手くそもいいところです。だから、なみいる受賞作をさしおいて、私のところに第一号としてラジオ出演依頼がきたときは、本当に驚きました。他に、もっと凄い人がいるのに・・・・。
ちなみに今回のラジオ番組では、5名くらいの漆喰体験者が、出演するそうです。もちろん、私以外の5名の出演者は、みんな受賞者です。私だけが無冠です。というか、私だけ場違いな気がしないでは無いです(笑)。なのですが、社長さんを含め日本プラスターの人たちが、どういうわけか、私のブログ記事を気に入ってくれたらしく、どうしても私を第一にトップバッターとして出したいと言うことで、9月1日(日曜日)の朝6時半から7時の間に出ることになりました。よーするに明後日の朝ですね。
(詳しくは、こちら)
http://www.plastesia.com/top/1308/dream_sketch.pdf
そこまで推してくれると、さすがの私も、豚も何とかで木に登るというやつで、日本プラスターの漆喰について、少しだけ書いておきます。
まず漆喰。
私は、最初にホームセンターでプロ用の漆喰を買ってきて、塗ってみたんです。で、見事に大失敗。原因は、水とまぜて練り込みのコツが分からなかったことにあったようですが、そもそもプロ用の漆喰を素人が使うには、かなり高度な技が必要であることが、知り合いの左官の人に教えてもらいました。左官は、素人が日曜大工でできるレベルのものではなかったわけです。難しいのです。
で、困った私は、インターネットで素人でも出来ると宣伝している漆喰を発見しました。
これです。
http://store.shopping.yahoo.co.jp/royal3000/a436-set.html
http://www.rakuten.ne.jp/gold/royal3000/goods_detail/a436/sekourei.htm
さっそくアマゾンで買って、塗ってみたら驚くほどよくぬれる。最初から練り込んであるので、かなり良い感じで塗れました。しかし、プロレベルで塗れたわけでは無かった。やはり凸凹はでてくる。あと、完全に乾くまで24時間以上かかる。つまり2度塗りする場合は、この倍はかかるし、その前に下地処理をする場合は、もっと時間がかかる。でも、一番の難点は、塗るのに時間がかかるということです。紙粘土みたいなものを壁に練り込むわけですから腕力が要るし時間もかかる。計算すると、8畳間の壁全てを塗る場合は、4日以上かかってしまう。宿をやってる私には、そんな時間はありませんでした。
で、どうしようかなと、いろんなホームセンターを探し回っているうちに見つけたのが、日本プラスターの「うまくヌレール」でした。ビバホームというホームセンターで、「うまくヌレール」の使用方法を解説しているビデオをみたんですが、それによると4時間で乾くとある。そのうえゴム手袋でも塗れるとも説明している。
「そんな馬鹿な?」
と半信半疑で買って試してみたら、本当に簡単に塗れる。プロ用の漆喰が粘土を壁に塗り込む作業だとしたら、この「うまくヌレール」は、絵の具のようにやわらかい。つまり壁に絵の具を塗りたくるように塗れる。全く力が要らないのです。これなら嫁さんにも塗れるのではないか?と試しにやらせてみたら、嫁さんも簡単に塗れてしまった。
「こいつはいいぞ!」
と思った私は、館林のビバホームで大量に漆喰を仕入れて、一晩で八畳間を塗りたくってしまった。
しかし、あんまり簡単に塗れるので、ちよっと不安になってきた。
簡単に塗れるということは、薄く塗れてしまうということなのですね。プロ用漆喰の場合は、なかなか塗れなかったので分厚く塗ってしまう。けれど日本プラスターの漆喰は絵の具を塗るように簡単に塗れる、ということは、逆に薄く塗れてしまうわけです。で、薄いと剥がれはしないか?と思ったわけです。
しかし、それは杞憂で壁が乾いてきたら完璧な壁になっていました。剥がれるどころか、前に塗ったプロ用の漆喰よりしっかりしている。簡単にははがれない。逆に前に塗ったプロ用の漆喰は、私の塗り方が下手くそすぎて剥がれやすかったんですね。しかし、日本プラスターの製品は、下手くそが塗ってもなんとかなる商品だったので、うまくいったんでしょう。古い壁にうまく馴染んでくれたようです。
眠くなったので今日は、ここまで、機会があったら、この続きを画きます。
つづく。
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2013年08月27日
土井君の娘さんは、9月4日頃に誕生か?
うちに息子が生まれてから、いろんな人達から
たくさんプレゼントをいただきました。
あらためて、お礼申し上げます。
で、いただいたものの中から使わなくなったもの
(小さな哺乳瓶や服など)
もうすぐ娘さんが生まれる土井君にお渡ししようかと思っています。
こういうのって、ほんの短い期間しか使わないことが多いので、
中古品でいいんですよね。
私だったら赤ちゃんのものを捨てたくない。
誰かに使ってもらえるなら使ってもらいたい。
でも、誰も使ってくれないなら捨てないで記念にとっておきます。
そういえば、古い絵本をいただいたりもしましたね。
その絵本には、いろんな傷跡があって歴史を感じました。
新品の絵本にない、なんともいえない味わいがあったりする。
だから古い絵本もいいものです。
これをうちの息子が読み、
いずれ土井君の娘さんも読むかもしれない。
とすると、絵本に3つの歴史が重なって、
素晴らしい重みがつくかもしれない。
いつか、3人がキュンとなる本になる可能性だってでてくる。
昔、パソコンなんてなかった時代、
図書室には図書カードなるものがあって
前に誰が借りたかわかった時代がありました。
私が、好きな本は、必ず◆◆◆さんという人が借りていて、
その◆◆◆さんという人を想像しながら本を読んだものです。
前置きは、このくらいにして、ガイドスタッフ土井君のことです。
土井君の娘さんは、9月4日頃に誕生になるのが、ほぼ確実になりました。
土井君は9月4日から5日かけて休暇を申請しているようです。
というわけで8月31日は、日帰りでツアーガイドにやってきます。
これを最後に、しばらくの間は、
土井君がガイドするツアーは、ないかもしれません。
とりあえず、9月のツアーは、マネージャーの佐藤が行うつもりでいます。
ただ、連休はさすがに出せませんね。
なので、連休では、ツアーは無い可能性が高いです。
連休以外は、近郊を前提にツアーをだせそうです。
遠くに行くのは、ちょっと無理かな?
つづく。
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たくさんプレゼントをいただきました。
あらためて、お礼申し上げます。
で、いただいたものの中から使わなくなったもの
(小さな哺乳瓶や服など)
もうすぐ娘さんが生まれる土井君にお渡ししようかと思っています。
こういうのって、ほんの短い期間しか使わないことが多いので、
中古品でいいんですよね。
私だったら赤ちゃんのものを捨てたくない。
誰かに使ってもらえるなら使ってもらいたい。
でも、誰も使ってくれないなら捨てないで記念にとっておきます。
そういえば、古い絵本をいただいたりもしましたね。
その絵本には、いろんな傷跡があって歴史を感じました。
新品の絵本にない、なんともいえない味わいがあったりする。
だから古い絵本もいいものです。
これをうちの息子が読み、
いずれ土井君の娘さんも読むかもしれない。
とすると、絵本に3つの歴史が重なって、
素晴らしい重みがつくかもしれない。
いつか、3人がキュンとなる本になる可能性だってでてくる。
昔、パソコンなんてなかった時代、
図書室には図書カードなるものがあって
前に誰が借りたかわかった時代がありました。
私が、好きな本は、必ず◆◆◆さんという人が借りていて、
その◆◆◆さんという人を想像しながら本を読んだものです。
前置きは、このくらいにして、ガイドスタッフ土井君のことです。
土井君の娘さんは、9月4日頃に誕生になるのが、ほぼ確実になりました。
土井君は9月4日から5日かけて休暇を申請しているようです。
というわけで8月31日は、日帰りでツアーガイドにやってきます。
これを最後に、しばらくの間は、
土井君がガイドするツアーは、ないかもしれません。
とりあえず、9月のツアーは、マネージャーの佐藤が行うつもりでいます。
ただ、連休はさすがに出せませんね。
なので、連休では、ツアーは無い可能性が高いです。
連休以外は、近郊を前提にツアーをだせそうです。
遠くに行くのは、ちょっと無理かな?
つづく。
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2013年08月23日
赤ちゃんのウンチ対策 私はミルク・マスター
まだまだ御客さんは、減りませんが、なんとかお盆をのりきりました。
赤ちゃんの夜泣きは、杞憂でしたね。
全く泣きませんでしたよ。
で、恐怖のウンチ対策も完璧でした。
うちの赤ちゃんのウンチコントロールがうまくいったからです。
便秘にもならず、下痢にもならず、
1日1回の定時ウンチコントロールに成功しました。
これが、できるかどうかで、忙しさが全く違ってきます。
第一、風呂上がりにウンチされたら、
せっかく風呂に入れても意味が無くなります。
あと、食事作りに忙殺されている時にウンチされては、忙しさが倍になります。
1日に5回くらいウンチされても、忙しさに卒倒します。
え?
そのくらいで忙しくなるはずがないって?
いやいや、宿屋の場合は、そうはいかない。
赤ちゃんのウンチ処理中に
「すいませーん」
と御客さんが言ってきたら、もうどうしようもありません。
御客さんは、待ってはくれません。
そして、そういう時に限って、嫁さんが別件で留守をしています。
あるいは、予約の電話をうけています。
たとえ御客さんが、一人一回しか「すいませーん」を言わなかったとしても、20人の御客さんの「すいませーん」を総計したら20回となります。でも、20回なんてことはなく100回という日もあります。それが宿屋の宿命なのですが、そんな状況下で5回もウンチされてはたまったものではありません。で、あることをしたら、1日1回の定時ウンチにコントロールすることができたのです。
そのあることというのは、ミルクを赤ちゃんの体調に合わせて巧みに調合することです。
そもそもミルクは、決まったメーカーのものを使用する気はありませんでした。いろんなメーカーのものを交互に与えるつもりでした。リスクを避けるためです。赤ちゃん用ミルクは、どのメーカーのものも成分に大差は無い(アラキド酸の量には差がある)です。
しかし原材料に差はあります。
成分の素となった素材には差があるのです。
ということは、赤ちゃんの個体によっては、合う合わないがある可能性があります。
なので、いろんなメーカーのものを飲ませて実験したのです。
すると、面白いことが分かりました。
ウンチに影響するのです。
具体的にいうと明治の『ほほえみ』を飲ませるとウンチの回数が減る。うちの赤ちゃんは2日に1回のウンチになるのです。
けれどビーンスタークの『すこやか』を飲ませると、3日に1回となります。
ところが森永の『はぐくみ』を飲ませると1日に2回ウンチをするようになります。
便の色も、明治の『ほほえみ』やビーンスタークの『すこやか』を飲ませると緑色。
森永の『はぐくみ』だと黄土色です。
あきらかに差が出ます。
「こいつは面白い」
と思った私は、ミルクのブレンド・または、異なるメーカーのミルクを交互に飲ませてみました。
すると、ウンチコントロールができることがわかってきました。
これに気が付いたのが6月下旬の頃です。
で、7月の海の日頃から本格的にミルクによるウンチコントロールをスタートして、今日に至るのです。
このウンチコントロールにどれだけ助けられたか?
これは、宿屋の人ならわかっていただけると思います。
しかし、そろそろウンチコントロールは止めにしようと思っています。
明日あたりからは、森永をメインにランダムにミルクを飲ませるようにしようと思っています。
つづく。
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赤ちゃんの夜泣きは、杞憂でしたね。
全く泣きませんでしたよ。
で、恐怖のウンチ対策も完璧でした。
うちの赤ちゃんのウンチコントロールがうまくいったからです。
便秘にもならず、下痢にもならず、
1日1回の定時ウンチコントロールに成功しました。
これが、できるかどうかで、忙しさが全く違ってきます。
第一、風呂上がりにウンチされたら、
せっかく風呂に入れても意味が無くなります。
あと、食事作りに忙殺されている時にウンチされては、忙しさが倍になります。
1日に5回くらいウンチされても、忙しさに卒倒します。
え?
そのくらいで忙しくなるはずがないって?
いやいや、宿屋の場合は、そうはいかない。
赤ちゃんのウンチ処理中に
「すいませーん」
と御客さんが言ってきたら、もうどうしようもありません。
御客さんは、待ってはくれません。
そして、そういう時に限って、嫁さんが別件で留守をしています。
あるいは、予約の電話をうけています。
たとえ御客さんが、一人一回しか「すいませーん」を言わなかったとしても、20人の御客さんの「すいませーん」を総計したら20回となります。でも、20回なんてことはなく100回という日もあります。それが宿屋の宿命なのですが、そんな状況下で5回もウンチされてはたまったものではありません。で、あることをしたら、1日1回の定時ウンチにコントロールすることができたのです。
そのあることというのは、ミルクを赤ちゃんの体調に合わせて巧みに調合することです。
そもそもミルクは、決まったメーカーのものを使用する気はありませんでした。いろんなメーカーのものを交互に与えるつもりでした。リスクを避けるためです。赤ちゃん用ミルクは、どのメーカーのものも成分に大差は無い(アラキド酸の量には差がある)です。
しかし原材料に差はあります。
成分の素となった素材には差があるのです。
ということは、赤ちゃんの個体によっては、合う合わないがある可能性があります。
なので、いろんなメーカーのものを飲ませて実験したのです。
すると、面白いことが分かりました。
ウンチに影響するのです。
具体的にいうと明治の『ほほえみ』を飲ませるとウンチの回数が減る。うちの赤ちゃんは2日に1回のウンチになるのです。
けれどビーンスタークの『すこやか』を飲ませると、3日に1回となります。
ところが森永の『はぐくみ』を飲ませると1日に2回ウンチをするようになります。
便の色も、明治の『ほほえみ』やビーンスタークの『すこやか』を飲ませると緑色。
森永の『はぐくみ』だと黄土色です。
あきらかに差が出ます。
「こいつは面白い」
と思った私は、ミルクのブレンド・または、異なるメーカーのミルクを交互に飲ませてみました。
すると、ウンチコントロールができることがわかってきました。
これに気が付いたのが6月下旬の頃です。
で、7月の海の日頃から本格的にミルクによるウンチコントロールをスタートして、今日に至るのです。
このウンチコントロールにどれだけ助けられたか?
これは、宿屋の人ならわかっていただけると思います。
しかし、そろそろウンチコントロールは止めにしようと思っています。
明日あたりからは、森永をメインにランダムにミルクを飲ませるようにしようと思っています。
つづく。
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2013年08月13日
赤ちゃんは、マミーポコのMがお好き?
このブログの育児ネタですが、
前回が、アイコンタクトの話でした。
http://kaze3.seesaa.net/article/371669111.html
そして、前々回が、オムツの話でした。
http://kaze3.seesaa.net/article/371400047.html
実は、この2つの話は前置きでした。
今回の話が、本論になります。
前々回、オムツの話で、私は、各社のオムツを息子の様子をみながら選んでいると書きましたが、実は、4ヶ月の息子が好きなオムツがあるんですね。
と書くと、
「そんなバカな?」
「4ヶ月の赤ちゃんにオムツの善し悪しが分かるわけが無い」
と思われるかもしれません。
私も、そう思っていました。
視力もままならない赤ちゃんが、オムツの形や使い勝手を認識できるわけがないと。

しかし、どうも、そうでは無いらしいのです。
具体的にいうと、マミーポコのMを好むのです。
「変だなあ?」
と思いつつ、マミーポコのMを袋から大量に取り出したら4ヶ月の息子は、急に泣き出した。
「あれ? いつもは喜んでるのに、どうして?」
どうも腑に落ちないので、マミーポコのMと4ヶ月の息子を並べて観察してみました。
すると、息子は、ミッキーマウスをじーっとみている。
「あれ?」
と思った私は、マミーポコのMを袋をいろいろ動かしてみた。
すると4ヶ月の息子は、ミッキーマウスを視線でおいかけている。
「ミッキーマウスが好きなのかな?」
と思った私は、ミッキーマウスのビデオを見せたのですが、これにはあまり反応が無い。しかし、マミーポコのMのミッキーマウスはじーっとみている。よくみていると、ミッキーマウスの目を見ている。
「ははーん」
次に、マミーポコのMの袋から大量にオムツをとりだした。案の定、息子は泣き出した。袋の形が崩れてミッキーマウスの形がみえなくなってしまったからです。
「ああ、やっぱり!」
どうやら息子は、マミーポコが好きだったわけでも、ミッキーマウスが好きだったわけでもなかったようです。ミッキーマウスのインパクトある目に反応していたみたいなんですよね。つまり、アイコンタクトしていたわけですね。それを私が邪魔したものだから泣き出したわけです。

しかしですよ。
普通のお母さんなら、こういうケースで
なぜ息子が泣き出したかわからないですよね。
つまり、赤ちゃんが泣いている大半のケースは、
原因不明なままで終わってしまう可能性があって、
お母さんはノイローゼになってしまいかねないわけですよ。
これ、どうなんでしょうかねえ?
誰か偉い人が、赤ちゃんを科学した本を
お母さん向けに易しく書いてくれないものだろうか?
そういう教科書みたいなものがあって、
母子手帳と一緒に配ってもいいと思うのだけれど。
つづく。
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前回が、アイコンタクトの話でした。
http://kaze3.seesaa.net/article/371669111.html
そして、前々回が、オムツの話でした。
http://kaze3.seesaa.net/article/371400047.html
実は、この2つの話は前置きでした。
今回の話が、本論になります。
前々回、オムツの話で、私は、各社のオムツを息子の様子をみながら選んでいると書きましたが、実は、4ヶ月の息子が好きなオムツがあるんですね。
と書くと、
「そんなバカな?」
「4ヶ月の赤ちゃんにオムツの善し悪しが分かるわけが無い」
と思われるかもしれません。
私も、そう思っていました。
視力もままならない赤ちゃんが、オムツの形や使い勝手を認識できるわけがないと。

しかし、どうも、そうでは無いらしいのです。
具体的にいうと、マミーポコのMを好むのです。
「変だなあ?」
と思いつつ、マミーポコのMを袋から大量に取り出したら4ヶ月の息子は、急に泣き出した。
「あれ? いつもは喜んでるのに、どうして?」
どうも腑に落ちないので、マミーポコのMと4ヶ月の息子を並べて観察してみました。
すると、息子は、ミッキーマウスをじーっとみている。
「あれ?」
と思った私は、マミーポコのMを袋をいろいろ動かしてみた。
すると4ヶ月の息子は、ミッキーマウスを視線でおいかけている。
「ミッキーマウスが好きなのかな?」
と思った私は、ミッキーマウスのビデオを見せたのですが、これにはあまり反応が無い。しかし、マミーポコのMのミッキーマウスはじーっとみている。よくみていると、ミッキーマウスの目を見ている。
「ははーん」
次に、マミーポコのMの袋から大量にオムツをとりだした。案の定、息子は泣き出した。袋の形が崩れてミッキーマウスの形がみえなくなってしまったからです。
「ああ、やっぱり!」
どうやら息子は、マミーポコが好きだったわけでも、ミッキーマウスが好きだったわけでもなかったようです。ミッキーマウスのインパクトある目に反応していたみたいなんですよね。つまり、アイコンタクトしていたわけですね。それを私が邪魔したものだから泣き出したわけです。

しかしですよ。
普通のお母さんなら、こういうケースで
なぜ息子が泣き出したかわからないですよね。
つまり、赤ちゃんが泣いている大半のケースは、
原因不明なままで終わってしまう可能性があって、
お母さんはノイローゼになってしまいかねないわけですよ。
これ、どうなんでしょうかねえ?
誰か偉い人が、赤ちゃんを科学した本を
お母さん向けに易しく書いてくれないものだろうか?
そういう教科書みたいなものがあって、
母子手帳と一緒に配ってもいいと思うのだけれど。
つづく。
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2013年08月10日
うちの赤ちゃんも、4ヶ月すぎて、いよいよ油断なら無くなってきました
うちの赤ちゃんも、4ヶ月すぎて、いよいよ油断なら無くなってきました。
まず、寝返りをするようになってきて、
自分でうつぶせになり、あわや窒息死しそうになるのです。
もう、一時も目が離せない。
こうなると、ベットメイクや部屋掃除の時も一緒に連れて行かなければならない。
あと、劇的に変わったのは、親の目をじーっと見つめなくなってきたことです。
よーするに視力が徐々によくなってきたのですね。
新生児から4ヶ月までの赤ちゃんは、親の目をじーっとみる。
親でなくても、あらゆる人間の目をみつめます。
これは視力が低いためと、目だけを追うようにインプットされているからです。
だからミルクをあげるとき、赤ちゃんは、こっちをじーっと見ます。
すごい集中力でみるのです。
そこで、実験をしてみました。
いろんなテレビ番組を赤ちゃんに見せたのです。
もちろん最強だったのが『おかあさんと一緒』です。
理由は想像がつきます。
主役のお姉さんが、いつもテレビ目線だからです。
なので、そうでない『天才てれびくん』なんかには目もくれません。
赤ちゃんは、テレビ目線の人間の目を追うのですね。
まあ、この情報は発達心理学の本で知っていたので、テレビ目線の人がよくでてくる番組をみせてみました。まず、テレホンショッピング。最強ですね。小津安二郎監督の映画なんかも最強ですね。あれは究極のカメラ目線映画ですからね。でも、やっぱり『おかあさんと一緒』にはかないません。
さて、ここからが本題です。
実は、あるテレビ番組でもやっていましたが、最近、自閉症やアスペルガー障害の原因が解明されつつあるらしいのですね。赤ちゃんの時に、視力が必要以上に良いのが原因だといいます。つまり見えすぎるためにアイコンタクトの練習ができないのだそうです。それが原因で、人間とのコミュニケーションがとりかたがわからなくなっているらしい。
逆にいうとですよ、生まれたての赤ちゃんの目が悪いのは、人間として成長するのに必要なことであり、進化の結果、赤ちゃんの視力が悪くなったことになる。だから赤ちゃんは、必死になって親の目を見てアイコンタクトを覚えるようになった。このアイコンタクトによって人間関係を学習する。空気が読めるようになる。
これは犬も一緒でしたね。うちのコロ(シエルティー)も、子犬の時は盛んにアイコンタクトしていましたね。こっちをじーっと見る。つぶらな瞳で、じーっとみる。人間の赤ちゃんと一緒でした。しかし、これができない赤ちゃんがいるらしい。その原因が必要以上に視力がいいというのは、皮肉ですね。
それはまあいいとして、赤ちゃんが盛んにアイコンタクトしてきていても、親がそれに反応しなかったらどうなるんでしょうか? 赤ちゃんは人間関係を学べないということになりはしないでしょうか? もし、そうだとすれば、これは怖いことです。赤ちゃんに対して、きちんとアイコンタクトしてあげないと、いったいどうなってしまうのか?
このへんについては、さすがの私も実験できません。
つぶらな瞳で、じーっと見つめられて無反応でいられるわけがないですからね。
まあ、これは、どんな親でも一緒でしょう。
つづく。
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まず、寝返りをするようになってきて、
自分でうつぶせになり、あわや窒息死しそうになるのです。
もう、一時も目が離せない。
こうなると、ベットメイクや部屋掃除の時も一緒に連れて行かなければならない。
あと、劇的に変わったのは、親の目をじーっと見つめなくなってきたことです。
よーするに視力が徐々によくなってきたのですね。
新生児から4ヶ月までの赤ちゃんは、親の目をじーっとみる。
親でなくても、あらゆる人間の目をみつめます。
これは視力が低いためと、目だけを追うようにインプットされているからです。
だからミルクをあげるとき、赤ちゃんは、こっちをじーっと見ます。
すごい集中力でみるのです。
そこで、実験をしてみました。
いろんなテレビ番組を赤ちゃんに見せたのです。
もちろん最強だったのが『おかあさんと一緒』です。
理由は想像がつきます。
主役のお姉さんが、いつもテレビ目線だからです。
なので、そうでない『天才てれびくん』なんかには目もくれません。
赤ちゃんは、テレビ目線の人間の目を追うのですね。
まあ、この情報は発達心理学の本で知っていたので、テレビ目線の人がよくでてくる番組をみせてみました。まず、テレホンショッピング。最強ですね。小津安二郎監督の映画なんかも最強ですね。あれは究極のカメラ目線映画ですからね。でも、やっぱり『おかあさんと一緒』にはかないません。
さて、ここからが本題です。
実は、あるテレビ番組でもやっていましたが、最近、自閉症やアスペルガー障害の原因が解明されつつあるらしいのですね。赤ちゃんの時に、視力が必要以上に良いのが原因だといいます。つまり見えすぎるためにアイコンタクトの練習ができないのだそうです。それが原因で、人間とのコミュニケーションがとりかたがわからなくなっているらしい。
逆にいうとですよ、生まれたての赤ちゃんの目が悪いのは、人間として成長するのに必要なことであり、進化の結果、赤ちゃんの視力が悪くなったことになる。だから赤ちゃんは、必死になって親の目を見てアイコンタクトを覚えるようになった。このアイコンタクトによって人間関係を学習する。空気が読めるようになる。
これは犬も一緒でしたね。うちのコロ(シエルティー)も、子犬の時は盛んにアイコンタクトしていましたね。こっちをじーっと見る。つぶらな瞳で、じーっとみる。人間の赤ちゃんと一緒でした。しかし、これができない赤ちゃんがいるらしい。その原因が必要以上に視力がいいというのは、皮肉ですね。
それはまあいいとして、赤ちゃんが盛んにアイコンタクトしてきていても、親がそれに反応しなかったらどうなるんでしょうか? 赤ちゃんは人間関係を学べないということになりはしないでしょうか? もし、そうだとすれば、これは怖いことです。赤ちゃんに対して、きちんとアイコンタクトしてあげないと、いったいどうなってしまうのか?
このへんについては、さすがの私も実験できません。
つぶらな瞳で、じーっと見つめられて無反応でいられるわけがないですからね。
まあ、これは、どんな親でも一緒でしょう。
つづく。
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2013年08月07日
4ヶ月児の予防接種
この国の赤ちゃんは、とても大切にされている。
つくづく、そう思います。
何度も無料で予防接種を行うからです。
うちの息子も、今日、予防接種にいってきた。
で、毎回、お医者さんが驚くのは、注射をうたれても泣かないことだ。
「強いなあ。この子は、強い!」
と小児科の先生のお墨付き。
と、ここまではよかったのだが、その後が悪かった。
「でかい! ミルクの飲ませすぎ」
たしかにでかい。
ぷくぷく太っている。
原因はわかっている。
夫婦で争ってミルクを飲ませようとするので、赤ちゃんの方は、どんどん太ってくるのだ。
オムツのほうは、そこまでいかない。
嫁さんは、倹約家なので、少しぐらいちびっていてもオムツはかえない。
私は、すぐに代えるので、結果として、大半のオムツは私が換えている。
正直言って、私は『オムツ評論家』になってもいいくらいに、オムツに詳しくなった。パンパース・ネピア・マミーポコ・メリーズ・ムーニー・その他。たいていのオムツを使って、各社の長短を会得した。これは、意外に重要なのである。買い物途中にウンチや小便が漏れたら大変なことになるからである。
あと、オムツの善し悪しで、赤ちゃんがぐずらなくなる。
それも、朝オムツ、昼オムツ、深夜睡眠オムツ、ウンチオムツと、
いろいろ使い分けなければならない。
なにせ、うちは宿屋なのだ。
夜泣きはもちろんのこと、
昼間だって泣かれたら御客様の迷惑になる。
だからオムツにも細心の注意をはらわざるをえない。
昼は涼しいオムツ。
深夜は、大きめで吸収力のあるオムツ。
朝は、お腹が冷えにくいオムツ。
いろいろ考えながらオムツを代えてては、試している。
オムツ道は、奥が深いのである。
まあ、そんなにことは、どうでもいいとして、予防注射のことである。
赤ちゃんにとって、注射は大きなエネルギーロスになるらしく、
注射をすると、その日の一日は、ずーっとぐずるらしい。
らしい・・・と書いたのは、うちの息子には、その症状がでないからだ。
ケロリとしている。
その代わりに、大きなウンチをする。
しかも、いつもよりウンチの回数が多くなる。
そうなると、オムツ博士の出番となるのである。
私は、数あるオムツの在庫の中から、最良のオムツを選ぶために、
あーでも無い、こーでもないと、ぶつぶつとつぶやきながら、
オムツの選定に悩んでいるのであった。
今日もオムツ博士、いやオムツソムリエは、赤ちゃんに4種類ほどのオムツをみせながら、一番良いオムツを選んでもらうのである。
つづく。
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つくづく、そう思います。
何度も無料で予防接種を行うからです。
うちの息子も、今日、予防接種にいってきた。
で、毎回、お医者さんが驚くのは、注射をうたれても泣かないことだ。
「強いなあ。この子は、強い!」
と小児科の先生のお墨付き。
と、ここまではよかったのだが、その後が悪かった。
「でかい! ミルクの飲ませすぎ」
たしかにでかい。
ぷくぷく太っている。
原因はわかっている。
夫婦で争ってミルクを飲ませようとするので、赤ちゃんの方は、どんどん太ってくるのだ。
オムツのほうは、そこまでいかない。
嫁さんは、倹約家なので、少しぐらいちびっていてもオムツはかえない。
私は、すぐに代えるので、結果として、大半のオムツは私が換えている。
正直言って、私は『オムツ評論家』になってもいいくらいに、オムツに詳しくなった。パンパース・ネピア・マミーポコ・メリーズ・ムーニー・その他。たいていのオムツを使って、各社の長短を会得した。これは、意外に重要なのである。買い物途中にウンチや小便が漏れたら大変なことになるからである。
あと、オムツの善し悪しで、赤ちゃんがぐずらなくなる。
それも、朝オムツ、昼オムツ、深夜睡眠オムツ、ウンチオムツと、
いろいろ使い分けなければならない。
なにせ、うちは宿屋なのだ。
夜泣きはもちろんのこと、
昼間だって泣かれたら御客様の迷惑になる。
だからオムツにも細心の注意をはらわざるをえない。
昼は涼しいオムツ。
深夜は、大きめで吸収力のあるオムツ。
朝は、お腹が冷えにくいオムツ。
いろいろ考えながらオムツを代えてては、試している。
オムツ道は、奥が深いのである。
まあ、そんなにことは、どうでもいいとして、予防注射のことである。
赤ちゃんにとって、注射は大きなエネルギーロスになるらしく、
注射をすると、その日の一日は、ずーっとぐずるらしい。
らしい・・・と書いたのは、うちの息子には、その症状がでないからだ。
ケロリとしている。
その代わりに、大きなウンチをする。
しかも、いつもよりウンチの回数が多くなる。
そうなると、オムツ博士の出番となるのである。
私は、数あるオムツの在庫の中から、最良のオムツを選ぶために、
あーでも無い、こーでもないと、ぶつぶつとつぶやきながら、
オムツの選定に悩んでいるのであった。
今日もオムツ博士、いやオムツソムリエは、赤ちゃんに4種類ほどのオムツをみせながら、一番良いオムツを選んでもらうのである。
つづく。
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2013年08月03日
赤ちゃんの退化現象
退化する赤ちゃん。
NHKのスーパープレゼンという番組があって、赤ちゃんの外国語習得能力についての研究報告をやっていましたけれど、ありきたりの内容でした。発達心理学の分野では、もう定説のレベルまで広がっていたことなので、たいして面白くなかったです。
内容はというと、
1.8ヶ月をすぎると外国語を学習する能力が極度におちて、母国語の学習能力があがる。
2.ただし、何回か、外国人に会わせて、外国語で話しかけると、外国語を学習する能力があがる。
3.音声・ビデオでは、その効果は無い。
4.つまり、8ヶ月を超えた赤ちゃんは、人間と対応することによって、統計をとって語学を学習する。
というものでした。
まあ、つまらない内容ではありましたが、注目すべき点があります。4番です。4番の赤ちゃんは、対人対応のうちに語学を学習していくというところです。
さて、ここで面白い事実があります。
あちの息子が言語学習において退化したという事実です。
私は、1ヶ月すぎから2ヶ月の赤ちゃんである、生まれたての息子にさかんに話しかけました。その結果、息子は驚異的に言葉を覚えました。具体的に言うと、私が一緒にお風呂にはいって、『いーち、にー、さーん』と、数を数えると、私の口まねをするのです。もちろん声は出ませんが、私が口を動かすように、口を動かせてみせる。時々、『さーん』だけ言葉を話すこともある。あとの数字は言えなかったですが、2ヶ月の赤ちゃんが、ここまで言語をはなす、報告は、インターネットでどんなに調べてもでてこない。ここで、親バカになって「うちの子は天才だ!」と思い込んでもいいのだけれど、たぶんちがうことは分かっている。
あと、赤ちゃんの指をつかって「あご」「おでこ」「みみ」と、自分の顔の部署を教えるゲームもやっていたのですが、その結果、生後2ヶ月で「あご、あご・・・」と話すようになってきた。この事例も、インターネットで調べて見たけれど、でてこない。ここでも親バカになって「うちの子は天才だ!」と思い込んでもいいのだけれど、ちがうことは分かっていたので、このブログにも詳しくは書いてない。
変化がおきたのは、生後3ヶ月半をすぎたころです。
この頃から自分の意志で何かを話すようになってきた。
そのうえ民謡というか、演歌というか、能狂言のようなものを謡うようになってきた。
すると、「あご、あご・・・」と話さなくなってきたのです。数字も言わなくなってきました。かわりに自分の意志で何か意味不明なことを話し始めるようになりました。つまり赤ちゃんの言語能力が退化したわけです。
生後2ヶ月の時は、「あご」「はな」「さーん」と話していたのに、生後4ヶ月になると全く話さなくなってしまった。これは、どういうことかというと、生後2ヶ月の時は、真似をしていただけで、意志をもって話してなかったということになります。しかし、生後4ヶ月になると、あきらかに意志をもって話している。しかも母親に。しかし、何を言っているのかわからない。「あご」「はな」「さーん」とは言わない。一見すると言語能力が退化したようにみえる。
しかし、これは、赤ちゃんによくみられる現象なのですね。
東大では、こんな実験をやっています。
赤ちゃんをビデオ撮影して手足の動きを追ってみると
生後1ヶ月の赤ちゃんは、手足が自由に動きます。
しかし、生後2ヶ月になると、動かなくなる。
退化するんです。
この退化によって、その後、大きく飛躍する。
この実験結果は知っていた。
しかし、言語能力の(見た目の)退化までは、知らなかった。
ああ、でも、ここういうのを退化というかどうかは、微妙ですね。
うちの息子の言語能力だってそうです。
「あご」「はな」「さーん」
は、単なる真似であって、アンドルー・メルツォフ博士の舌をだす実験
(http://kaze3.seesaa.net/article/361141556.html)
と、同じようなものかもしれませんから。
しかし、生後4ヶ月の息子の意味不明の言語は、意味不明であっても、ある程度の意志を示しているので、こっちのほうが進化しているとも言えるからです。だから見た目の「進化」「退化」は、あまり意味が無いようにも思います。絵を描く人なら分かると思いますが、ずごい立派な絵をかいていても、単なるトレース(模写)ならたいしたことはない。しかし、下手くそでもオリジナルな絵なら意味があるからです。生後2ヶ月にしゃべった「あご」「はな」「さーん」は、いわゆるトレースみたいなもので、生後4ヶ月の意味不明な言葉の方が、素晴らしい言語である可能性が高いからです。ここを間違えて、親バカぶりをはっきしたら、子供は不幸になる可能性が高い。「あご」「はな」「さーん」より、「バブー」の方が凄いのかもしれませんから。
つづく。
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NHKのスーパープレゼンという番組があって、赤ちゃんの外国語習得能力についての研究報告をやっていましたけれど、ありきたりの内容でした。発達心理学の分野では、もう定説のレベルまで広がっていたことなので、たいして面白くなかったです。
内容はというと、
1.8ヶ月をすぎると外国語を学習する能力が極度におちて、母国語の学習能力があがる。
2.ただし、何回か、外国人に会わせて、外国語で話しかけると、外国語を学習する能力があがる。
3.音声・ビデオでは、その効果は無い。
4.つまり、8ヶ月を超えた赤ちゃんは、人間と対応することによって、統計をとって語学を学習する。
というものでした。
まあ、つまらない内容ではありましたが、注目すべき点があります。4番です。4番の赤ちゃんは、対人対応のうちに語学を学習していくというところです。
さて、ここで面白い事実があります。
あちの息子が言語学習において退化したという事実です。
私は、1ヶ月すぎから2ヶ月の赤ちゃんである、生まれたての息子にさかんに話しかけました。その結果、息子は驚異的に言葉を覚えました。具体的に言うと、私が一緒にお風呂にはいって、『いーち、にー、さーん』と、数を数えると、私の口まねをするのです。もちろん声は出ませんが、私が口を動かすように、口を動かせてみせる。時々、『さーん』だけ言葉を話すこともある。あとの数字は言えなかったですが、2ヶ月の赤ちゃんが、ここまで言語をはなす、報告は、インターネットでどんなに調べてもでてこない。ここで、親バカになって「うちの子は天才だ!」と思い込んでもいいのだけれど、たぶんちがうことは分かっている。
あと、赤ちゃんの指をつかって「あご」「おでこ」「みみ」と、自分の顔の部署を教えるゲームもやっていたのですが、その結果、生後2ヶ月で「あご、あご・・・」と話すようになってきた。この事例も、インターネットで調べて見たけれど、でてこない。ここでも親バカになって「うちの子は天才だ!」と思い込んでもいいのだけれど、ちがうことは分かっていたので、このブログにも詳しくは書いてない。
変化がおきたのは、生後3ヶ月半をすぎたころです。
この頃から自分の意志で何かを話すようになってきた。
そのうえ民謡というか、演歌というか、能狂言のようなものを謡うようになってきた。
すると、「あご、あご・・・」と話さなくなってきたのです。数字も言わなくなってきました。かわりに自分の意志で何か意味不明なことを話し始めるようになりました。つまり赤ちゃんの言語能力が退化したわけです。
生後2ヶ月の時は、「あご」「はな」「さーん」と話していたのに、生後4ヶ月になると全く話さなくなってしまった。これは、どういうことかというと、生後2ヶ月の時は、真似をしていただけで、意志をもって話してなかったということになります。しかし、生後4ヶ月になると、あきらかに意志をもって話している。しかも母親に。しかし、何を言っているのかわからない。「あご」「はな」「さーん」とは言わない。一見すると言語能力が退化したようにみえる。
しかし、これは、赤ちゃんによくみられる現象なのですね。
東大では、こんな実験をやっています。
赤ちゃんをビデオ撮影して手足の動きを追ってみると
生後1ヶ月の赤ちゃんは、手足が自由に動きます。
しかし、生後2ヶ月になると、動かなくなる。
退化するんです。
この退化によって、その後、大きく飛躍する。
この実験結果は知っていた。
しかし、言語能力の(見た目の)退化までは、知らなかった。
ああ、でも、ここういうのを退化というかどうかは、微妙ですね。
うちの息子の言語能力だってそうです。
「あご」「はな」「さーん」
は、単なる真似であって、アンドルー・メルツォフ博士の舌をだす実験
(http://kaze3.seesaa.net/article/361141556.html)
と、同じようなものかもしれませんから。
しかし、生後4ヶ月の息子の意味不明の言語は、意味不明であっても、ある程度の意志を示しているので、こっちのほうが進化しているとも言えるからです。だから見た目の「進化」「退化」は、あまり意味が無いようにも思います。絵を描く人なら分かると思いますが、ずごい立派な絵をかいていても、単なるトレース(模写)ならたいしたことはない。しかし、下手くそでもオリジナルな絵なら意味があるからです。生後2ヶ月にしゃべった「あご」「はな」「さーん」は、いわゆるトレースみたいなもので、生後4ヶ月の意味不明な言葉の方が、素晴らしい言語である可能性が高いからです。ここを間違えて、親バカぶりをはっきしたら、子供は不幸になる可能性が高い。「あご」「はな」「さーん」より、「バブー」の方が凄いのかもしれませんから。
つづく。
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2013年07月31日
浪花節だよ人生は
ちょっと前に、日本プラスターという会社から電話がかかってきました。
そうです、あの漆喰の会社です。
義理の母親の住んでいる実家の壁を漆喰で修繕したのですが、
結構うまく塗れたので、このブログでも紹介し、
漆喰メーカーの日本プラスターのホームページにも、出来上がり具合を報告したわけです。
そうしたら、社長から直々にメールが届いたのです。
そういうことが以前ありました。


で、この話はこれで終わるはずだったのですが、そうではなかったのです。
今度は社長から直々に電話がありました。おどろきましたね。用件は、ラジオ番組に出てくれないかと言う話です。それも小さなFM放送ではなく、日本放送とかの大手のラジオ番組です。びっくりしましたね。まぁそれはどうでもいいとして、日本プラスターの社長さんは、とても好感の持てる経営者だなと思いました。というのも、私に何度も、
「社員のモチベーションが上がりました」
と言ってたからです。会話の中から、社員を思う気持ちがにじみ出ていましたね。
こういうのは、いいですねぇ。
私も中小企業で、十何年も働いていましたから、中小企業で働く社員の気持ちがよくわかります。中小企業だと、社員のほうは、社長が何を考えているのかと言うことが分かっちゃうんですよね。なんとなく、気持ちが伝わちゃう。社員のモチベーションなど考えもしない社長がいると、すぐにわかっちゃう。私が前勤めていた会社は、そういうところでした。だから脱サラした訳ですが、脱サラするまで10年以上かかった理由は、先代の社長や専務の人情に負けて、どうしてもやめられなかったからです。
まぁそんな話もどうでもいいとして、ああいう会社は伸びると思います。
日本プラスターだけではありません。
そういう会社は日本中にたくさんあると思いますね。
だから、そういう会社があったら応援してあげた方がいいですね。
具体的に言うと、良いものがあったら積極的に会社のホームページに、
感謝のメールを送った方がいいかもしれませんね。
ものづくりに一生懸命な会社なら、絶対に励みになると思うんですよね。
実際自分も中小企業で働いていた時は、お客様に感謝されると、必要以上に働いちゃいました。
まぁそれは、宿屋のオーナーになっても変わりませんがね。
実際、私は宿屋のオーナーになった当初は、こんなにサービスは良くなかったです。お客さんが、いい人すぎて、たくさんの感謝をもらって、私は生まれ変わったんです。御客さんが私を調子に載せるもんだから、どんどん後戻りできない宿になってしまいました。サービスは、 1回レベル上げると絶対下げられませんからね。だから、うちの宿は、本来のユースホステルの姿と大きく様変わりしていると思います。
話がどんどんずれてしまいましたが、まあ要するに、うちの宿は、お客さんに褒められて育ったような宿だということです。そういうことを言いたかったわけです。
それを思うと、世の中を良くしていくためには、良いものがあったら褒めるという習慣を私たち一人一人が、持っていた方が良いのかなぁと思いました。人間というものは、クレームを言う事はあっても、あまり褒めるということはしません。逆に言うと、良いものはどんどん褒める、そういう人たちが世の中にあふれるようになったら、世の中は少しずつ良くなっていくかもしれませんね。
ここで思い出すのが、吉田松陰です。彼は、たった3年間の間に、 6畳1間の教室から大量の偉人たちを作り上げましたが、彼の教育方法というのが、良いところを褒めるという教育方法でした。
ところで、日本には教育の三大聖地というものがあります。
一つは吉田松陰の塾。
もう一つは、池袋の近くに作られた児童の村小学校。
もう一つは、この北軽井沢です。
北軽井沢の法政大学村から、きら星のごとく有名人が輩出しているわけですが、別に学校があったわけではありません。別荘の子供たちが、なんとなく集まって勉強会をしていただけです。
ちなみに児童の村小学校は、よく北軽井沢で合宿をしていました。この児童の村小学校は、一応学校という形にはなっていますが、北軽井沢の子供たちの勉強会と同じく、何も教えない学校です。要するに全く勉強し得ないという、現代の視点で見るとちょっと信じられない学校です。しかしこの学校から、大学教授とか、有名人が大量に出ています。それもほとんど例外なくです。まれにある例外は、戦争で死んだケースです。勉強を教えてないのに、みんな勉強ができる子供になってしまったのは、なんという皮肉でしょうか?
この辺を解明すると、何かが見えてくるはずです。
現在その解明はほとんど行われていません。
なぜ北軽井沢や児童の村小学校が、奇跡的な教育効果をもたらしたのか、まだ謎のままです。
ただし、吉田松陰のケースは、徳富蘇峰などにによく解明されて、その教育方法はよく知られています。興味のある方は徳富蘇峰の吉田松陰を読まれると良いと思います。司馬遼太郎の「世に凄む日々(吉田松陰が主人公)」なんかは、徳富蘇峰の吉田松陰が、タネ本ですからね。
徳富蘇峰によれば、吉田松陰は教育者として致命的な欠陥を持っていたそうです。普通教育というものは、卵をあたためてやり、ヒナをかえしてやり、餌を与えて少しずつ大人にさせていく作業です。しかし吉田松陰は、そういうことを全くせずに、卵なら卵なりの生き方を見つけてあげる。雛なら雛なりの生き方を見つけてあげる。そういう先生だったそうです。つまり褒め上手だったと。
話は、かわりますが、私の属している某団体には、ホームページが無かった。金のない団体だったので、長い事ホームページが無かったんです。で、私がボランティアで作ることになった。もちろんボランティアで作るから無報酬です。経費もかけません。年間のレンタルサーバー代が、たったの千五百円。これにドメイン代だけ。まさに最低の金額です。これが、ちかごろ、ようやく完成したわけなんですが、会議で感謝されて人件費を払いたいと言われた。
当然の事ながら受け取りを拒否したのですが、私がトイレに入っている隙に、支払うことを可決してしまい、払うことを通達されてしまった。こういう事をされると、感激屋の私は、この人達のためにと、余分な力をだしたくなってくる。
今、夏で一番忙しいのだけれど、自分のことをさしおいてでも、やってあけぜたくなる。日本プラスターの社長さんのお手伝いだって、そうです。これから忙しいのだけれど、ああいうお電話をもらうと手伝いたくなってしまう。まあ、これは私の悪い癖なんだけれどね、どうしても浪花節的な方向に流れてしまうんだよねえ。
つづく。
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そうです、あの漆喰の会社です。
義理の母親の住んでいる実家の壁を漆喰で修繕したのですが、
結構うまく塗れたので、このブログでも紹介し、
漆喰メーカーの日本プラスターのホームページにも、出来上がり具合を報告したわけです。
そうしたら、社長から直々にメールが届いたのです。
そういうことが以前ありました。
で、この話はこれで終わるはずだったのですが、そうではなかったのです。
今度は社長から直々に電話がありました。おどろきましたね。用件は、ラジオ番組に出てくれないかと言う話です。それも小さなFM放送ではなく、日本放送とかの大手のラジオ番組です。びっくりしましたね。まぁそれはどうでもいいとして、日本プラスターの社長さんは、とても好感の持てる経営者だなと思いました。というのも、私に何度も、
「社員のモチベーションが上がりました」
と言ってたからです。会話の中から、社員を思う気持ちがにじみ出ていましたね。
こういうのは、いいですねぇ。
私も中小企業で、十何年も働いていましたから、中小企業で働く社員の気持ちがよくわかります。中小企業だと、社員のほうは、社長が何を考えているのかと言うことが分かっちゃうんですよね。なんとなく、気持ちが伝わちゃう。社員のモチベーションなど考えもしない社長がいると、すぐにわかっちゃう。私が前勤めていた会社は、そういうところでした。だから脱サラした訳ですが、脱サラするまで10年以上かかった理由は、先代の社長や専務の人情に負けて、どうしてもやめられなかったからです。
まぁそんな話もどうでもいいとして、ああいう会社は伸びると思います。
日本プラスターだけではありません。
そういう会社は日本中にたくさんあると思いますね。
だから、そういう会社があったら応援してあげた方がいいですね。
具体的に言うと、良いものがあったら積極的に会社のホームページに、
感謝のメールを送った方がいいかもしれませんね。
ものづくりに一生懸命な会社なら、絶対に励みになると思うんですよね。
実際自分も中小企業で働いていた時は、お客様に感謝されると、必要以上に働いちゃいました。
まぁそれは、宿屋のオーナーになっても変わりませんがね。
実際、私は宿屋のオーナーになった当初は、こんなにサービスは良くなかったです。お客さんが、いい人すぎて、たくさんの感謝をもらって、私は生まれ変わったんです。御客さんが私を調子に載せるもんだから、どんどん後戻りできない宿になってしまいました。サービスは、 1回レベル上げると絶対下げられませんからね。だから、うちの宿は、本来のユースホステルの姿と大きく様変わりしていると思います。
話がどんどんずれてしまいましたが、まあ要するに、うちの宿は、お客さんに褒められて育ったような宿だということです。そういうことを言いたかったわけです。
それを思うと、世の中を良くしていくためには、良いものがあったら褒めるという習慣を私たち一人一人が、持っていた方が良いのかなぁと思いました。人間というものは、クレームを言う事はあっても、あまり褒めるということはしません。逆に言うと、良いものはどんどん褒める、そういう人たちが世の中にあふれるようになったら、世の中は少しずつ良くなっていくかもしれませんね。
ここで思い出すのが、吉田松陰です。彼は、たった3年間の間に、 6畳1間の教室から大量の偉人たちを作り上げましたが、彼の教育方法というのが、良いところを褒めるという教育方法でした。
ところで、日本には教育の三大聖地というものがあります。
一つは吉田松陰の塾。
もう一つは、池袋の近くに作られた児童の村小学校。
もう一つは、この北軽井沢です。
北軽井沢の法政大学村から、きら星のごとく有名人が輩出しているわけですが、別に学校があったわけではありません。別荘の子供たちが、なんとなく集まって勉強会をしていただけです。
ちなみに児童の村小学校は、よく北軽井沢で合宿をしていました。この児童の村小学校は、一応学校という形にはなっていますが、北軽井沢の子供たちの勉強会と同じく、何も教えない学校です。要するに全く勉強し得ないという、現代の視点で見るとちょっと信じられない学校です。しかしこの学校から、大学教授とか、有名人が大量に出ています。それもほとんど例外なくです。まれにある例外は、戦争で死んだケースです。勉強を教えてないのに、みんな勉強ができる子供になってしまったのは、なんという皮肉でしょうか?
この辺を解明すると、何かが見えてくるはずです。
現在その解明はほとんど行われていません。
なぜ北軽井沢や児童の村小学校が、奇跡的な教育効果をもたらしたのか、まだ謎のままです。
ただし、吉田松陰のケースは、徳富蘇峰などにによく解明されて、その教育方法はよく知られています。興味のある方は徳富蘇峰の吉田松陰を読まれると良いと思います。司馬遼太郎の「世に凄む日々(吉田松陰が主人公)」なんかは、徳富蘇峰の吉田松陰が、タネ本ですからね。
徳富蘇峰によれば、吉田松陰は教育者として致命的な欠陥を持っていたそうです。普通教育というものは、卵をあたためてやり、ヒナをかえしてやり、餌を与えて少しずつ大人にさせていく作業です。しかし吉田松陰は、そういうことを全くせずに、卵なら卵なりの生き方を見つけてあげる。雛なら雛なりの生き方を見つけてあげる。そういう先生だったそうです。つまり褒め上手だったと。
話は、かわりますが、私の属している某団体には、ホームページが無かった。金のない団体だったので、長い事ホームページが無かったんです。で、私がボランティアで作ることになった。もちろんボランティアで作るから無報酬です。経費もかけません。年間のレンタルサーバー代が、たったの千五百円。これにドメイン代だけ。まさに最低の金額です。これが、ちかごろ、ようやく完成したわけなんですが、会議で感謝されて人件費を払いたいと言われた。
当然の事ながら受け取りを拒否したのですが、私がトイレに入っている隙に、支払うことを可決してしまい、払うことを通達されてしまった。こういう事をされると、感激屋の私は、この人達のためにと、余分な力をだしたくなってくる。
今、夏で一番忙しいのだけれど、自分のことをさしおいてでも、やってあけぜたくなる。日本プラスターの社長さんのお手伝いだって、そうです。これから忙しいのだけれど、ああいうお電話をもらうと手伝いたくなってしまう。まあ、これは私の悪い癖なんだけれどね、どうしても浪花節的な方向に流れてしまうんだよねえ。
つづく。
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2013年07月27日
達者でナ
息子も、昨日4ヶ月になった。
4ヶ月になって思い出すのは、3ヶ月前に里帰りした家内の実家に、家内と息子を迎えにいったときのことである。館林から北軽井沢まで3時間の道のり、しかも山道を生後1ヶ月半半の赤ちゃんと、帝王切開したばかりの嫁さんを輸送することになった。
で、当時悩んだことは、生後1ヶ月半の赤ちゃんをこんなに長距離を移動させてよいものかどうか?ということである。
犬を飼ったことのある人なら、わかると思うが、子犬なら15分も山道を車で移動したら確実に車に酔って吐く。生後1ヶ月の子犬を3時間も車で移動すれば生死にかかわるほど衰弱する。これは、過去に何度も犬を飼っていたので、経験的に知っていた。しかし、人間の赤ちゃんは、どうだろうか? 生後1ヶ月半の赤ちゃんを3時間も山道を移動したらどうなるのだろうか?
困ったときは、インターネットで調べればたいていは、わかるのであるが、
この件に関しては、検索に何も出てこなかった。
過去に生後1ヶ月半の赤ちゃんを長距離を移動させたひとはいないのだろうか?
しかし、移動しなければ話にならない。電車バスでは、授乳もオムツ換えもできないし、そもそも時間がかかりすぎる。第一、嫁さんの話では、生後1ヶ月半の我が息子は、よくぐずるらしい。ちょっとしたことで、よく泣きわめくらしいのだ。泣いたらあやせばいいのだが、あいにく車2台を移動させなければならない。嫁さんの車と、私の車である。引っ越し荷物が多かったのである。
問題は、赤ちゃんをどっちの車に乗せるかであるが、病み上がりの嫁さんの車に乗せるわけにもいかず、私の車に乗せて移動することにした。で、とてもハラハラしながら移動したわけだが、信じられないことに、生後1ヶ月半の我が息子は車に酔わなかった。それどころか楽しそうにしていた。私は、調子に乗って3時間という移動時間の間、ずっと『達者でナ』という民謡風の演歌を歌っていた。
この歌は、三橋美智也の歌で、大切に育て上げた子馬が売られて、離ればなれになるうたである。
生後1ヶ月の我が息子と、離れがたく、涙ながらにサヨナラしていた義理の母親、つまり、この子のおばあちゃんの気持ちを思うと、『達者でナ』の歌を歌わずにいられなかった。もちろん、ドナドナドナ〜ドナ〜を歌ってもよかったのであるが、この歌は、ちょっと違う。単に子牛が売られていくのが可哀想というだけの歌である。しかし、『達者でナ』は、そういう歌ではない。別れは寂しいけれど、元気でいろよ、達者でな!という前向きの歌なのだ。歌詞の3番をみれば、一目瞭然である。
町のお人はよー
よい人だろがー
変わる暮らしがヨー
気にかかる♪
オーラオーラ、達者でな
オーラオーラ、また会うな
可愛いたてがみ
撫でて、
撫でてやろ♪
栗毛の子馬は、とても良いところへいくのである。ただし、この子馬の変わっていく暮らしが気にかかるだけなのだ。だからドナドナドナ〜でなくて、三橋美智也の『達者でナ』なのだ。私は、これを3時間、移動中に歌い続けた。すると、信じられないことに生後1ヶ月半の我が息子は、移動中に楽しそうに聞いていたのである。
不思議なことは、その後にもおきた。どんなにワンワン泣いていても、我が息子は、私が『達者でナ』を歌うと黙るのである。じかんがたつと一緒に声も出すようになった。もちろん、歌になってない。音程は無茶苦茶である。まるで能狂言の謡いのように聞こえる。しかし、面白いことに小節をきかせている。
もっと不思議なことは、生後100日をすぎると、自分一人で歌い出したのである。もちろん音程は無茶苦茶で、何をいっているのか分からないのだが、小節のきかせかたが、かすかに『達者でナ』ににているのだ。で、私も『達者でナ』を歌い出すと、御客さんのいない北軽井沢ブルーベリーYGHの館内に、51歳の父親と、4ヶ月の息子の奇声がこだまして、それはもう、奇妙な宿になってしまっているのである。もちろん、今日の昼間にも、奇声は鳴り響いていた。
藁にまみれてよ
育てた栗毛
今日は買われてヨー
町へ行く
あーあー、オーラオーラ達者でな
あーあー、アーラオーラ風邪ひくな
あー風邪ひくな
話すたずなが
ふるえ
ふるえるぜ♪
つづく。
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4ヶ月になって思い出すのは、3ヶ月前に里帰りした家内の実家に、家内と息子を迎えにいったときのことである。館林から北軽井沢まで3時間の道のり、しかも山道を生後1ヶ月半半の赤ちゃんと、帝王切開したばかりの嫁さんを輸送することになった。
で、当時悩んだことは、生後1ヶ月半の赤ちゃんをこんなに長距離を移動させてよいものかどうか?ということである。
犬を飼ったことのある人なら、わかると思うが、子犬なら15分も山道を車で移動したら確実に車に酔って吐く。生後1ヶ月の子犬を3時間も車で移動すれば生死にかかわるほど衰弱する。これは、過去に何度も犬を飼っていたので、経験的に知っていた。しかし、人間の赤ちゃんは、どうだろうか? 生後1ヶ月半の赤ちゃんを3時間も山道を移動したらどうなるのだろうか?
困ったときは、インターネットで調べればたいていは、わかるのであるが、
この件に関しては、検索に何も出てこなかった。
過去に生後1ヶ月半の赤ちゃんを長距離を移動させたひとはいないのだろうか?
しかし、移動しなければ話にならない。電車バスでは、授乳もオムツ換えもできないし、そもそも時間がかかりすぎる。第一、嫁さんの話では、生後1ヶ月半の我が息子は、よくぐずるらしい。ちょっとしたことで、よく泣きわめくらしいのだ。泣いたらあやせばいいのだが、あいにく車2台を移動させなければならない。嫁さんの車と、私の車である。引っ越し荷物が多かったのである。
問題は、赤ちゃんをどっちの車に乗せるかであるが、病み上がりの嫁さんの車に乗せるわけにもいかず、私の車に乗せて移動することにした。で、とてもハラハラしながら移動したわけだが、信じられないことに、生後1ヶ月半の我が息子は車に酔わなかった。それどころか楽しそうにしていた。私は、調子に乗って3時間という移動時間の間、ずっと『達者でナ』という民謡風の演歌を歌っていた。
この歌は、三橋美智也の歌で、大切に育て上げた子馬が売られて、離ればなれになるうたである。
生後1ヶ月の我が息子と、離れがたく、涙ながらにサヨナラしていた義理の母親、つまり、この子のおばあちゃんの気持ちを思うと、『達者でナ』の歌を歌わずにいられなかった。もちろん、ドナドナドナ〜ドナ〜を歌ってもよかったのであるが、この歌は、ちょっと違う。単に子牛が売られていくのが可哀想というだけの歌である。しかし、『達者でナ』は、そういう歌ではない。別れは寂しいけれど、元気でいろよ、達者でな!という前向きの歌なのだ。歌詞の3番をみれば、一目瞭然である。
町のお人はよー
よい人だろがー
変わる暮らしがヨー
気にかかる♪
オーラオーラ、達者でな
オーラオーラ、また会うな
可愛いたてがみ
撫でて、
撫でてやろ♪
栗毛の子馬は、とても良いところへいくのである。ただし、この子馬の変わっていく暮らしが気にかかるだけなのだ。だからドナドナドナ〜でなくて、三橋美智也の『達者でナ』なのだ。私は、これを3時間、移動中に歌い続けた。すると、信じられないことに生後1ヶ月半の我が息子は、移動中に楽しそうに聞いていたのである。
不思議なことは、その後にもおきた。どんなにワンワン泣いていても、我が息子は、私が『達者でナ』を歌うと黙るのである。じかんがたつと一緒に声も出すようになった。もちろん、歌になってない。音程は無茶苦茶である。まるで能狂言の謡いのように聞こえる。しかし、面白いことに小節をきかせている。
もっと不思議なことは、生後100日をすぎると、自分一人で歌い出したのである。もちろん音程は無茶苦茶で、何をいっているのか分からないのだが、小節のきかせかたが、かすかに『達者でナ』ににているのだ。で、私も『達者でナ』を歌い出すと、御客さんのいない北軽井沢ブルーベリーYGHの館内に、51歳の父親と、4ヶ月の息子の奇声がこだまして、それはもう、奇妙な宿になってしまっているのである。もちろん、今日の昼間にも、奇声は鳴り響いていた。
藁にまみれてよ
育てた栗毛
今日は買われてヨー
町へ行く
あーあー、オーラオーラ達者でな
あーあー、アーラオーラ風邪ひくな
あー風邪ひくな
話すたずなが
ふるえ
ふるえるぜ♪
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2013年07月14日
うちの赤ちゃん(息子)が、親孝行な件
うちの赤ちゃん(息子)が、親孝行な件
子供が生まれるとき、一つだけ神様にお願いしました。
「どうか健康な子供が生まれますように」
勉強ができなくてもいい、
運動ができなくてもいい、
性格が悪くてもいい、
そういうものは、自分でなんとかします。
けれど持って生まれた健康だけは、天運にまかせるしかない。
なので、神様、健康な子供をお願いします。
あとは私たち親の方でなんとかします。
健康だけもらえれば、他は何一ついりません。
他は、こっちで努力します。
という控えめ(?)なお願いをしました。
もちろん、ただで神様が願いをかなえてくれるほど
甘いとは思ってませんから、断食をおこない、
冷水を30杯あびる業をしました。
おかげで健康そのものの息子が生まれたわけですが、
困った事に、願った以上の息子を授かってしまった。
信じがたいくらいにぐずらないし、泣きもしない
。風呂も喜んで入るし、黙って注射もこなす。
我が儘なことは何一つしない。
「神様、ちょっとプレゼントのしずぎじゃないですか?」
と困惑ぎみな私でした。
しかしですね、よく考えると、健康だから泣かないのかもしれない。
健康だから大人しいのかもしれない。
温和な性格も健康に原因があるのかもしれないし、
利発そうな反応も、言語に対する感性も
健康と連動しているのかもしれない。
昔から健全なる精神は、健全なる肉体にやどると言いますからね。
とすると、私が神様にお願いした
「どうか健康な子供が生まれますように」
という願い事は、ものすごい贅沢なお願いだったような気がしますね。
つづく。
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子供が生まれるとき、一つだけ神様にお願いしました。
「どうか健康な子供が生まれますように」
勉強ができなくてもいい、
運動ができなくてもいい、
性格が悪くてもいい、
そういうものは、自分でなんとかします。
けれど持って生まれた健康だけは、天運にまかせるしかない。
なので、神様、健康な子供をお願いします。
あとは私たち親の方でなんとかします。
健康だけもらえれば、他は何一ついりません。
他は、こっちで努力します。
という控えめ(?)なお願いをしました。
もちろん、ただで神様が願いをかなえてくれるほど
甘いとは思ってませんから、断食をおこない、
冷水を30杯あびる業をしました。
おかげで健康そのものの息子が生まれたわけですが、
困った事に、願った以上の息子を授かってしまった。
信じがたいくらいにぐずらないし、泣きもしない
。風呂も喜んで入るし、黙って注射もこなす。
我が儘なことは何一つしない。
「神様、ちょっとプレゼントのしずぎじゃないですか?」
と困惑ぎみな私でした。
しかしですね、よく考えると、健康だから泣かないのかもしれない。
健康だから大人しいのかもしれない。
温和な性格も健康に原因があるのかもしれないし、
利発そうな反応も、言語に対する感性も
健康と連動しているのかもしれない。
昔から健全なる精神は、健全なる肉体にやどると言いますからね。
とすると、私が神様にお願いした
「どうか健康な子供が生まれますように」
という願い事は、ものすごい贅沢なお願いだったような気がしますね。
つづく。
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