2011年04月10日

物語山ハイク

今回は、物語山ハイク!


戦国時代に、豊臣軍団の小田原城攻めの頃、幽崖城も豊臣方前田勢の攻撃を受けて、落ち武者がこの山中に逃げ込み、金銀の財宝をメンバ岩に隠して追っ手に捕まらないようにとツルを全て切り切腹したといわれています。この言い伝えから物語山という名が付けられました。


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場所は、国道254。佐久と藤岡の中間地点・下仁田町にあります。
近くに荒船の湯があります。
このあたりは、登山家たちの憧れの地で、隠れた名山がいっぱいあります。
私も若い頃に、ほとんど毎週のように現れて、登り切りました。
個体不自由の人をミドリ岩に連れて行ったこともあります。
赤岩・二子岩・鹿岳・毛無岩・思えば、いろいろ行きましたね。


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今回のメンバー!
あ、パワースポットマンの御利益が無くなっている?


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罠って.......油断ならない山だなあ


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看板に注目してください。
熊のかじり跡です。


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安中山岳会は、群馬でも有名な山岳会です。
登山ガイドもだしています。
おそらく群馬県で一番現場に詳しい山岳会です。

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炭焼き小屋。
里山が生きていますね。

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やっと頂上!
春は葉っぱが無いので見晴らしが良いのです。

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下山です。

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ふり返れば、山頂は遙なり。

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つづく

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2010年11月17日

妙義山

妙義山は、こんな山です。
パワースポットマンがいるので、女性もいっぱい!

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 妙義山は、赤城山、榛名山とともに上毛三山に数えられ、群馬を代表する山の1つです。また、日本三大奇勝の1つとして荒々しい岩肌が創り出す自然景観の美しさが特徴です。妙義山は、いくつもの峰々の総称で、金洞山、白雲山、金鶏山を通称「表妙義」と言い、谷急山、丁須の頭、御岳等を通称「裏妙義」と呼んでいます。妙義山の標高は、白雲山相馬岳の1,104mが最高峰で、金洞山東岳が1,094mです。標高は、高くないですが関東平野を見下ろす景色はとても爽快です。

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今回は、石門巡りのハイキング。

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 妙義山には、気軽に登れる「石門めぐり」、十分に自然を満喫できる「関東ふれあいの道」そして体力と経験と度胸が必要な「山頂縦走」と登山コースがあります。妙義山にある「さくらの里」は、45種類、5,000本のさくらが楽しめる観光名所です。4月中旬から5月上旬にかけてが見頃で、登山と花見を両方楽しむ人もいます。

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 妙義山の登山客に最も親しまれているコースで、比較的距離も短く運動靴であれば登れますが、危険が無いわけではありません。中之岳駐車場から石門、大砲岩、見晴らし、中之嶽神社を巡って戻ってきます。途中、「かにの横這い」「たてばり」「つるべさがり」などの鎖場がありますが自信の無い方には、鎖場を通らない道もあります。

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大砲岩

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楽しい食事

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つづく

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2010年11月16日

妙義山 中之嶽神社

中之嶽神社

妙義山は、こんな山です。


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今回のメンバー。
パワースポットマンがいるから、やはり女性が多いですね。


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中之嶽神社は、妙義山の南麓に鎮座する
轟岩(とどろきいわ)を神体とする巨岩信仰の神社です。
轟岩に隣接して拝殿が建立されており、
本殿を持たない社殿形式となっています。


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境内には、中之嶽大国神社があり、平成17年には金色の日本一大きい大黒像(高さ20m、重さ8.5t)が鎮座。大国主命(大黒天)を祭り、子の神様であるので甲子園にあやかりたい野球チームの参拝もあり、野球の神様としてお守りも置いてあります。


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さて、本殿へ!

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往昔元『波胡曽神』を山の主と祭られていましたが、日本武尊が関東御巡行の際に妙義山に登ったと伝えれてます。第二十九代欽明天皇(在位539-571年)の代に妙形氏が社殿を建立、第八十二代後鳥羽天皇の寿永二年三月(1183年)藤原祐胤卿が神剣を奉斉いたしました。江戸時代に入ると、第百八第後水尾天皇の元和二年丁巳月(1616年)、加藤長清(道士)が中興の開山主として神器を守り奉斉し、諸大名が崇敬を寄せ、小幡藩主織田筑前守信久侯が社殿を改築、中之嶽奉行を設け地所を寄進しました。第百十四代中御門天皇の享保五年五月(1720年)、嵯峨御所より十六葉菊御紋付の幕、提灯を下賜せられ、小幡藩の鎮守社として奉斉され、織田家の後に入封した松平家の崇敬も篤く親祭されました。


つづく

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2010年09月27日

神津牧場の魅力

ツアーでは、紹介しきれなかった
神津牧場の魅力を写真にしてみました。

晴れた日は、山に行ってしまうので、
曇ったときにしか神津牧場ツアーはでません。
でも、晴れた日こそが、神津牧場の魅力がわかるのです。

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これが入り口。
ポイント高いです。

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柵も白ペンキなのがいい。

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柵の中にも出入り自由。

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木陰で休んでると、
後から山羊が襲ってきます。

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かわいいジャージー牛だけしかいない。

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ヨーグルトも美味しい

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搾乳光景もみられました。

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子牛がかわいい!

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つづく

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2010年09月22日

神津牧場ツアー

神津牧場つあーです。
今回のメンバー。

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神津牧場は明治20年日本初の洋式牧場として誕生しました。

広い草地を生かした放牧利用を中心に自給飼料を活用して健康なジャージー牛を飼養している牧場です。また農林畜産業に必要な新しい技術の実証試験や家畜飼養や乳製品加工の研修生や実習生の受け入れ,畜産農家からの乳用牛の預託育成なども行っています。

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http://www.kouzubokujyo.or.jp/
〒370-2626 群馬県甘楽郡下仁田町大字南野牧250 
財団法人 神津牧場
TEL:0274-84-2363

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総面積およそ三百八十七haの広大な土地に、ジャージー牛約二百頭を飼養・育成し、春から秋までは搾乳牛の昼夜放牧を行うなど、土地や気候の条件に適応した山地酪農を実施しています。
また、ジャージー種の繁殖、搾乳、牛乳・乳製品の製造から販売までの一貫経営を行っています。


神津牧場は、明治二十年、神津邦太郎(長野県北佐久郡志賀村、現佐久市)によって開設されました。目的は、有畜農業の導入により農業の改革を進めること、乳肉食による日本人の体質改善を行うことにありました。そこで、群馬県甘楽郡西牧村物見官有地を借り受け、牛舎を設置して牧場を開設しました。そのために、日本で最初の洋式牧場といわれているのです。その後、いくつかの経営の変遷をたどり、昭和二十年四月、財団法人 神津牧場が買い受けて現在に至っています。

乳用牛としては、設立当初よりジャージー種を飼育し、日本ジャージー種とでもいうべきものをつくりあげてきました。また、ジャージー種の繁殖、搾乳から牛乳・乳製品の製造・加工・販売まで、一貫した経営を行っております。搾乳牛も、春から秋までは昼夜放牧を行うなど、土地の条件に適合した山地酪農を行っております。乳製品の中で「神津ジャージーバター(発酵バター)」は明治二十二年より製造され、その品質は広く人の認めるところであり、純良バターの製造は時に採算を度外視して伝統を絶やさぬよう努めています。

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アイスクリームは「ソフトとハード」を製造しています。特にソフトクリームは、牛乳の香りをそのまま生かした爽やかな甘味の自信作であり、来訪者の大半に御賞味いただいている人気製品です。
平成七年製造開始の「のむヨーグルト」は、とろみ感の濃厚な味わいで好評を得ています。ナチュラルチーズの製造も古くから行われていますが、現在はチェダーチーズとゴーダの二種類が商品化されています。チーズも独特の味わいがあり、愛用者に珍重されています。

製品のベースとなる牛乳は、一貫してジャージー種牛乳にこだわり続け、高蛋白・高脂肪の乳質がいずれの製品にもよく反映されています。「牛乳が美味しいからアイスクリームもチーズも、みんなおいしいんだね。」といわれております。牛乳はロッジでのコップ売りのほか、千cc入りのパック牛乳でも販売されています。

この牧場には、大正の終わり頃から、荒船山や物見山の風光明媚さと高山の爽やかさを求めて、ハイキングなどでたくさんのお客さんが訪れるようになりました。これをきっかけに、第二次世界大戦前から山荘を経営するようになり、来訪者の便宜を図るとともに、牛乳・乳製品の販売を行ってきました。その後、昭和四十三年に妙義・荒船・佐久高原国定公園に指定され、妙義・荒船林道の開通とともに、来訪者が増加の一途をたどるようになりましたので、昭和四十六年にロッジを開設し、今日に至っています。現在、檜造りのおちついた雰囲気の食堂、ベッドを主体とした宿泊施設、牧場産の牛肉を提供している鉄板焼コーナーなどの施設があります。最近では、宿泊施設を利用した一泊二日の牧場体験も行っています。また、宿泊者のみが利用できる牛乳風呂も昔から有名です。

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つづく

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2009年11月19日

妙義山紅葉ハイキング2

妙義山紅葉ハイキング2

石門。
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まさにピークでした。
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今年は紅葉が早いです。
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つづく。

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2009年11月18日

妙義山紅葉ハイキング

妙義山紅葉ハイキング

妙義山の紅葉はピークでした。

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まずは御参り。

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ここは山岳信仰の聖地です。

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これが石門。
4つも石門があるのです。

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大砲岩です。
大砲に見えますか?

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つづく。

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2009年10月08日

安中藩ウオーク3 武家屋敷・下級武士の長屋

下級武士の長屋をみてみましょう。

これが意外に広いのです。

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八畳二間に土間。押し入れ。
いわゆる2LDKですね。
この長屋に住んでいた武士たちの石高が、
十石以下というから驚きます。

十石といえば、最低の生活水準です。
家族4人の米代にしかならない。
現在の物価に換算すると、年俸18万円。

米1石=金1両(小判1枚)=現在の約10万円とすれば、
十石取りの武士の取り分は、4石なので年俸40万円。

実際は、エンゲル係数の違いから、その値段を当時に当てはめることはできませんが、当時の水呑百姓の生活水準より下だったでしょう。その最低レベル武士たちの住む屋敷にしては、ちょっと大きいんですね。

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もともと武士の家の庭が大きいのは、
ここで武芸に励むためなのですが、
農作物を造って飢えをしのいでいたにちがいありません。

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もちろん家が広いと言っても、壁は土壁。
屋根は、茅葺きですから、質素は質素なんですがね。

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それでも室内は、武家屋敷らしいです。

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この武家長屋は、郡奉行役宅・山田三川の役宅の隣にあります。
質素を重んじた山田三川の影響が、
この長屋に、あったのかもしれません。

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ただ、武士たちには、知行(年俸)の他に、
役料が入ることも多々ありました。
役料とは、役職手当のことです。
役料は家禄に関係なく支給されます。
だから下級武士たちは、一生懸命勉強して
役職につくように頑張りました。

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つづく。

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2009年10月07日

安中藩ウオーク3 武家屋敷・郡奉行役宅

安中藩ウオーク3 武家屋敷・郡奉行役宅

武家屋敷・郡奉行役宅
と言っても、ただの郡奉行役宅の役宅ではありません。
山田三川の役宅です。

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山田三川と言って、ピンとくる人は、日本史やってた人です。
山田三が何者か知らなくても、
『三川雑記』
を読んでない人はいないからです。
江戸・幕末をかじったことのある人で、
『三川雑記』を知らない人は、モグリとさえ言われていますから。

しかし、北海道史をやっている人間にしてみれば、
山田三川の名前は、もっと特別な名前になります。
それを話すと長くなるので、今回は山田三川の
役宅をよくみてみましょう。


まず、郡奉行の役宅について。郡奉行とは、県知事みたいなもので、民政官みたいなものです。ですから、門構えも立派です。なにしろ役所ですから。下の写真が門です。

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門の隣に役人の詰め所があります。そして門の屋根をみると分かりますが、茅葺きです。近くに吾妻川が流れているために、茅が無尽蔵にあったので、それを利用したのでしょう。そして土壁。白壁ではありません。郡奉行の役宅にしては、質素な作りですが、これは、安中城にしても一緒で、大名のお屋敷さえも、茅葺きでした。もちろん天守閣なんてものはありません。唯一、瓦を使った建物は、防火のための蔵だけです。


これは玄関。
というより、おしらすですね。

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館内は、土間があって、そこから板の間になります。
郡奉行の職員たちは、ここで仕事をしたようです。
記帳などの書類整理と、裁判、警察、土木事業、年貢の取り立てなどが、主な仕事です。イメージとしては、『どら平太』や『たそがれ精兵』に出てくる役所風景に似ています。広さは、16畳の北軽井沢ブルーベリーYGHの4人部屋くらいになります。

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これは奉行の部屋。
たったの8畳。
ここだけ、良い畳です。
客間を兼ねるからです。
他の部屋の畳は、最低のものを使っています。

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これは中間(下男)の部屋。
わずか一畳です。

中間とは、農民や一般町民が雇われており、自宅から通っていました。だから、こんなに部屋が狭いのです。仕事は、武士が出かける時の荷物持ちなど、雑務をこなしていた。参勤交代の時には大勢の中間が必要となるため、このときだけ臨時で雇われるということも多かったものです。ただ、脇差1つを挿すことを許されており、時には戦いにも参加しています。渡り中間に代表されるように、世襲はされず、一時限りの奉公の場合が多いですね。

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家の大きさは、役所を兼ねていることを考えると、かならずしも大きくはありません。北軽井沢ブルーベリーの半分以下の大きさです。台所も小さく、湯殿にも風呂桶はありません。今で言うところのシャワーのみです。そして屋根は全て茅葺きです。

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さて、以上の説明の後に、
思い出してほしいのが、
雷電爲右エ門の生家です。


http://kaze3.seesaa.net/article/129286220.html

さて、ここで
農家の屋敷と、郡奉行の役宅を比較してみましょう。
貧富の差は、歴然です。
まず、雷電爲右エ門の生家。

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凄い富豪ですね。豪華な家で、郡奉行の役宅の倍はあります。
それに比べて郡奉行の役宅。

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だいぶ、みすぼらしいですね。
ついでに、新島襄(武士)の生家。

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ついでに、江戸時代の商屋。
http://kaze3.seesaa.net/article/127007387.html

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以上、すべて同時代の建物です。

比較すると安中藩の武士の家が、
いかに質素で貧しかったかわかります。
ちなみに、江戸時代の農民たちの米穀の消費量が年間180キロ。
(一石が、150キロになります)
私たちの一人当たりの米の消費量が年間62キロ。
そして、戦後間もない米不足の頃で、
一人当たりの米の消費量が年間80キロでした。

肉を食べるようになり、
肉体労働が減り、
私たちの食生活は、大きくかわってきています。

つづく。

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2009年10月04日

安中藩ウオーク2 碓氷郡役所

今週のシルマンウォークは、安中です。

ここは、碓氷郡役所。これは、あまり知られてませんが、日本には、大正15年まで、県と市町村の間には、という行政単位があったんですね。

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しかし、大正末期に、小さな市町村を大合併し、郡を廃止します。
そして、旧市町村を、大字(おおあざ)とし、
合併市町村を、市町村としました。
そして、郡役所を廃止するのです。

 廃止の理由は、自由民権運動の系譜を引く政党勢力を中心に批判が多かったためで、衆議院で郡制廃止が議決され、それを貴族院が否決する、ちいうことが繰り返されました。

 大正12年に自治体としての郡(および郡の自治財政)が廃止され、1926(大正15)年には行政官庁としての郡(郡長および郡役所)も廃止されました。

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館内には、昔の資料がたくさんあります。
無料で入れます。
特筆すべきは、写真の数々。
大正時代の安中の豊かさがわかります。

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これは昔の郡役所。

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しかし、武家屋敷は、この時代になっても全て茅葺きでした。
それについては、あとで、お見せします。
特筆すべきは、山田三川の書ですね。

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アイヌに対する善政に失敗した山田三川は、
安中藩で大活躍することになります。

つづく。

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2009年10月03日

安中藩ウオーク1

今週のシルマンウォークは、安中です。

安中で有名なのが、新島襄。
同志社大学の創設者です。
これが新島襄の生家。
中は博物館になっています。

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裏には漆公園があり、
古墳があります。

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これは、龍昌寺。
参道の両側には、108の梵鐘が並んでいます。
そして、ここには、山田三川の墓があります。

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 山田三川は、超有名人です。
 北海道好きの人間には、忘れることの出来ない大人物。
 北海道の名付け親である松浦武四郎の親友です。
 そして、幕末の志士でもあります。

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 山田三川(1804‐1862)は、江戸時代後期の儒者です。文化元年2月20日生まれました。そして彼は、伊勢国津藩の儒者、津阪東陽の甥にあたります。秀才として知られ、北海道は松前藩につかえましたが、松前藩のアイヌに対する非道をただそうとして失脚し、下総国水海道に隠棲しました。

 しかし、親友、松浦武四郎の口利きもあって、水戸藩の徳川斉昭が召しかかえようとしましたが、山田三川は辞退しました。そこで斉昭は親交のあった安中藩主板倉勝明を紹介しました。この安中藩主板倉勝明は、開明君主で有名で、日本初のマラソン『安中遠足』をはじめ、数々の善政を行ったことで有名ですが、それを支えたのが、山田三川でした。ちなみに安中藩の武士たちは、自らは茅葺きの城で生活し、農民たちの生活を、手厚く保護しつつ、マラソンで体を鍛えたのです。

 山田三川は、最初は藩儒として安中藩校の造士館の教授を勤めていましたが、やがて藩の役人としても活躍しました。実は、その自宅が安中に残っています。もちろん行ってきました。あとで、紹介しますが、貧しいものです。

 実は、龍昌寺のそばに、有名な醤油屋があります。
『有田屋』
です。創業者が湯浅さん。
はい、ピンときた人がいますね?

そうです。
醤油帝国の有田・湯浅一族です。
有田オレンジユースホステルに泊まった
ことのある人ならわかりますね。

http://www.aritaya.com/frame/frame_whatsnew.html

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実は、北軽井沢ブルーベリーYGHの醤油は、
この店のものを使っています。
さっそく、大量に仕入れました。

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有田屋は、天保三年(1832年)に創業。その前には銚子、もっと前には有田にルーツがあります。また三代目治郎(1850〜1932)は第2代県会議長に推され、廃娼条例(売春禁止法)成立させ、日本で初めて廃娼県を成立させたことで有名です。治郎は新島襄に師事し、キリスト教の洗礼をうけて安中教会の建設や新島なき後の同志社英学校の運営に尽くしました。

 また、安中で日本最初の図書館、便覧社(図書3,000冊)を設立したことでも知られています。治郎の弟、吉郎は詩人として知られ、同志社卒業時に発表した「12の石塚」は我が国最初の新体詩集として知られている。半月は後に同志社教授、京都府立図書館長を勤めました。また、治郎の後妻初子は徳富蘇峰、蘆花の姉でもあります。

また、治郎の長男一郎(1868〜1931)は洋画を志し、黒田清輝に師事した後、二科会の創立に参加、洋画家として成功しています。治郎の次男三郎(1877〜1945)は同志社に学んだ後、四代目として家業を継ぎ、25年間安中の町長や県会議員をつとめました。その弟八郎は昭和9年同志社の総長となり、建学の自由、自治を守る為、軍部と衝突、総長を辞任。しかし、戦後再び総長に復帰し、昭和28年には国際基督教大学初代学長に就任しています。

 また、五代目正次(1911〜)も昭和46年より5期20年安中市長を努め、一方新島襄を記念して昭和22年、同士とともに新島学園(中学、後に高校、女子短大)を創立しました。

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醤油キャンディーなんかも売っています。

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 そして今、醤油も味噌も大量生産一速醸の時代にあって、天然醸造のもろみを2年じっくり寝かせた最高級醤油「丸大豆仕込み天然醸造」、さらにそれに糀を加え1年以上発酵熟成させた「さいしこみ」を守り続けています。

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つづく。

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2009年09月16日

西洋亭

某サイトを見てて、唖然としたこと。
西洋人たちが、こんなことを言ってた。

「日本の鉄道では、フリーきっぷ (free ticket) を提供してるんだが、
free なのに料金を払わないといけないんだ?
あれは、free ticketではなく
Multi-ride ticket と呼ぶべきだろ」


orz。
そ、そうだったのか!
言われてみれば、当たり前のことなんだが。


「日本人は、flea market(フリーマーケット)のことを、
free market だと思ってるんだ!」


な、なるほど!
フリーマーケットとは、
flea market(蚤の市)
のことだったのか...........orz。



「ある日本のレディーが電車に乗っていたんだが、
その人が着てたTシャツの
胸の部分には、グランドキャニオン [ Gland Canyon ] と
書かれてた!
正にその通りだった」


・・・・・・orz。


と言うわけで、西洋人に言わせると、私たちの英語は、まだまだらしい。しかし、Tシャツの件なら、お互い様だろう。私は「雌」というTシャツを着たアメリカ人に出会ってるし、糞という刺青をした外国人にも銭湯で見かけました。



というわけで、磯部温泉の西洋亭に言ってきました。
この店は、安くて美味しいので有名なのですが、

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行ってみて、まさに安かった。
コース料理が、1600円。
あんまり安いので、注文してみた。

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な、なるほど。
単品なら700円からある。

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店内は、こんなかんじ。

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TEL 027-385-0085
住所 群馬県安中市磯部1-12-5 ホテル磯部ガーデン 別館
営業時間 11:30〜20:00
駐車場 有
http://www.isobesuzume.co.jp/seiyoutei.html

つづく。

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2009年09月15日

磯部温泉

磯部温泉は地図の温泉記号の発祥地として知られています。
これが温泉記号の元祖。

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 万治4年(1661)、付近の農民の土地争いに決着を付けるため評決文「上野国碓氷郡上磯部村と中野谷村就野論裁断之覚」が、江戸幕府から出されました。その添付図には磯部温泉を記した温泉マークが2つ描かれていたのです。専門家が調査した結果、この温泉マークは日本で使われた最古のものと判明。こうして磯部温泉は温泉マーク発祥の地となりました。


で、これが足湯。

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泉質は含銅・鉄−ナトリウム−塩化物・炭酸水素塩強塩温泉。
鉱泉水を使用したサクサクとした食感が好評の
磯部せんべいが昔からの磯部温泉名物。

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日帰り温泉の「恵みの湯」には、大浴場・露天風呂があり、なかでも砂塩風呂はお肌がつるつるになると女性に大人気です。男女の大浴場、露天風呂のほかに、ミネラルをたっぷり含んだ砂塩風呂があります。

住所 安中市磯部3-3-41 恵みの湯
電話番号 027-385-1126
休館日 毎月第1・第3火曜日(祝日の場合は翌日)
年末年始(12/30〜1/1)

つづく。

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霧積温泉ツアーきりづみ館

霧積温泉ツアーに行ってきました。

霧積(きりづみ)温泉は、横川から霧積川を遡り、最上流部の渓谷にあります。明治時代には、避暑地として作家や政治家が別荘を造って大変ににぎわったところですが、大きな山崩れがあって衰退しました。現在はきりずみ館と金湯館の2軒だけになっています。

今回は、きりづみ館。

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今でも水車が回っています。

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これは、映画人間の証明で有名になった詩ですね。
「母さん僕のあの帽子どうしたでしょうね。ええ夏碓氷から霧積へ行くみちで渓谷へ落したあの麦藁帽子ですよ」
西条八十作『帽子』の一節です。



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お風呂は、2種類あって男女入れ替え製です。
こちらは丸風呂。

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そして、有名な六角風呂。

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群馬県碓氷郡松井田町坂本
TEL:027-395-3856
FAX:027-395-3821
600円

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つづく。

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2009年04月25日

妙義山登山

妙義山は、5つ★の山です。
おそらく日本で最も難しい山。
どんな山かと言いますと、こんな山。

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すごいでしょう?
こんな山に登れるのか?
まず登山口に、経験者以外は入山禁止の看板があります。
実際、私も土井君には、やめるように釘をさしたのですが、
それを振り切って登ってしまったのだった。

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これは石門。
このあたりまでは小学生でも登れます。

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しかし、それが徐々に難しくなってきます。
でも、まだ笑顔の参加者。

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で、このへんあたりになると
心なしか顔が引きつってきている?

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やがて岩場の難所が立ちはだかりました。

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真剣に鎖場を登ります。

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で、やっと頂上へ!
困難なぶん、感動もひとしおです。
おそらく日本中のユースホステルツアーで
最も難易度の高いツアーだったことでしょう。

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それだけに感動もひとしお。

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充実感いっぱいで、みなさん下山したでしょうね。

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それにしても、みんなすごいです。
皆さんは自信持っていいですよ。
立派な山男山女に認定です。

最後に、このツアー参加された皆さんに一言。
筋肉痛は大丈夫でしたか?
妙義山は、登っている時よりも
翌日の筋肉痛の方が辛いのです。

逆に筋肉痛になってなかったら、あなたは岩登りの天才の可能性が強いですね。岩登りの基本である、足で登っていた証拠でもありますから。

つづく

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2008年12月29日

シルマンウオーク・アプトの道編2

シルマンウオーク・アプトの道編2
2008年最後のシルマンウオーク、
つづきです。

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アプトの道は、おさるさんだらけ。

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丸山発電所です。
近代化遺産です。

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トンネルですが、煉瓦つくりですね。

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列車がくると逃げられるようになっています。

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めがね橋。碓氷川に架かる煉瓦造りの 4 連アーチ橋で、碓氷峠の代表的な建造物です。国鉄信越本線横川駅〜軽井沢駅間の橋梁の1つで、同区間がアプト式鉄道時代に使われました。設計者はイギリス人技師のパウナル 、古川晴一。

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なんと1891年着工。高崎駅と直江津駅を結ぶ路線(後の信越本線)のうち、上述の区間だけが未開通だったため急ピッチで工事が進められ、1893年に竣工。全長 91 メートル、川底からの高さ 31 メートル、使用された煉瓦は
約 200万個
に及びます。現存する煉瓦造りの橋の中では国内最大規模であり、1993年には「碓氷峠鉄道施設」として、他の 4 つの橋梁等とともに日本で初めて重要文化財に指定されました。現在は横川駅からこの橋までの旧線跡が遊歩道になり、橋上の手すりや国道18号へ通じる階段などが整備されています。

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つづく

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シルマンウオーク・アプトの道編1

シルマンウオーク・アプトの道編1


2008年最後のシルマンウオークです。

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まず川の土手を御覧ください。
煉瓦でできていますね。
これは、旧アプト鉄道のなごりです。

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川に橋があるのが見えますね。
その下をみてください。
レールが使われてあります。
アプトのレールの再利用です。

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横川駅に展示されている車輪。

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側溝に使われている網。
これは、アプト鉄道のものを再利用して造られたものです。

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この赤いのは、ドウダンツツジ。
北軽井沢ブルーベリーYGHの庭にもたくさんあります。
燃えるような赤が素晴らしい。

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つづく

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2008年05月21日

シルマンウオーキング4 碓氷峠

シルマンウオーキング4

碓氷峠は、標高は約九六〇m。古代には碓氷坂、宇須比坂、碓日坂などといい、中世には臼井峠、臼居峠とも表記されました。古来より坂東と信濃国をつなぐ道として使われてきましたが、難所としても有名でした。

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 平安時代前期から中期頃の坂東では、武装した富豪百姓層が国家支配に抵抗し、国家への進納物を横領したり略奪する動きが活発化しました。これら富豪百姓層を「群盗」と見なした国家は、その取締りのため昌泰二年(八九九年)に碓氷坂と足柄坂へ関所を設置しました。

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 中世には碓氷峠付近の主要道は現在の峠を通るようになりました。この峠には熊野皇大神社(碓氷峠熊野神社)があり、同神社正応五年四月八日(一二九二年五月三日)紀の鐘銘から、この頃までには峠道が開設されていたといわれます。

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 応永三〇年(一四二三年)の国人一揆や永享一二年(一四四〇年)の結城合戦では、碓氷峠は信州からの侵攻を防ぐ要衝となっていました。永禄四年(一五六一年)に長尾景虎が小田原城の後北条氏を攻めた際に武田信玄が笛吹峠に出陣し、信玄は碓氷峠からの進出をその後数回にわたって行ない、永禄九年(一五六六年)には箕輪城の攻略に成功して上野国へ進出しました。天正一八年(一五九〇年)の小田原征伐の際、豊臣秀吉は前田利家らの北国勢を碓氷峠から進軍させています。

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 江戸時代には中仙道が五街道のひとつとして整備され、旧碓氷峠ルートが本道とされました。碓氷峠は、関東と信濃国や北陸とを結ぶ重要な場所と位置づけられ、峠の江戸側に関所(坂本関)が置かれて厳しい取締りが行われました。峠の前後には坂本宿・軽井沢宿が置かれています。

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 天明三年(一七八三年)の浅間山噴火では三尺(九〇センチメートル)以上の砂が積り、碓氷峠往還は八日間にわたって通行不可能になっています。碓氷峠は中仙道有数の難所であったため、幕末の文久元年(一八六一年)に和宮が徳川家茂に嫁ぐために中山道を通ることが決まった際に一部区間で大工事が行われ、和宮道と呼ばれる多少平易な別ルートが開拓されました。なお、約三万人の和宮一行は同年一一月九日(一八六一年一二月一〇日)に軽井沢を発って碓氷峠を越え、翌一〇日(一八六一年一二月一一日)に横川に宿泊しています。

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つづく

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posted by マネージャー at 19:39| Comment(3) | TrackBack(0) | 横川・妙義山 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月19日

シルマンウオーキング3

シルマンウオーキング3

いよいよ峠ごえです。

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柱状節理。
節理とは、岩体に発達した規則性のある割れ目のうち、両側にずれの見られないものをいいます。マグマが冷却固結する際や地殻変動の際に生じます。岩体が柱状になった節理。六角柱状のものが多いが、五角柱状や四角柱状のものもあります。東尋坊(福井県、国指定天然記念物)、層雲峡(北海道)なんかがそうですね。

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ここは昔、茶屋が4軒あったところです。
今は礎石と墓と井戸が残されているだけですね。

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ここでお昼御飯

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つづく

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2008年05月18日

シルマンウオーキング2

シルマンウオーキング2

横川〜旧軽井沢

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坂本は、中山道の宿場町。昔の風景が。ちなみに五街道で宿場間の距離で一番長いのは中山道の坂本宿-軽井沢宿と和田宿-下諏訪宿の5里半だそうです。どちらも峠越えの難路です。

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坂本宿は、標高は465m。中山道の中でも規模の大きな宿場で、碓氷峠越えの旅人でにぎわったと言います。

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宿場を東西に二分し、十七の橋を架け、宿場を守るため家屋の屋根に斜角を持たせ、軒を接して建てられた計画的な町作りがなされたそうです。

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この道は、アプトの道です。

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さて、山越えスタートです。

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2008年05月17日

シルマンウオーキング1

シルマンウオーキング

横川〜旧軽井沢



まず横川駅に集合。

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レールが再利用されている側溝の蓋

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さて、出発です。

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関所で記念撮影

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つづく

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2008年05月02日

妙義山に登山

今回は、妙義山の頂上にチャレンジしました。
参加メンバーは2人。

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これが妙義山です。
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こんなに長い階段を登って
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こんな岩場をロープで登って
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こんな鎖場を登り、
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スズメバチの巣の隣を忍び足で前進し、
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頂上に到着したとさ!
いい汗かいてますねえ。
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眼下には、満開の桜。
いいですねえ。
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つづく


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2008年04月24日

妙義山の桜2です。

妙義山の桜2です。

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つづく

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2008年04月23日

妙義山の桜

妙義山の桜です。

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つづく


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