2010年11月15日

シルマンウォーク 3.雨川ダム

シルマンウォーク 3.雨川ダム

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雨川ダムは、長野県と群馬県との境近く、田口峠周辺を水源とし千曲川(長野県内における信濃川の別称)に注ぐ雨川に建設された砂防ダムです。昭和49年11月30日に完成。ダム建設に伴い、建設地点の集落13戸が移転しています。千曲川への合流地点から上流7キロメートルの地点にある。長野県佐久市と群馬県南牧村を結ぶ群馬県道・長野県道93号下仁田臼田線がダム付近を通過している。ダム湖畔には不老温泉があり、さらに林道を進むと「日本で海岸線から一番遠い地点」(国土地理院調べ)にたどり着けます。


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エメラルドグリーンの湖面と周囲の山々は心安らぐ風景。
この神秘的な緑青の水色は周囲の山々の地質のためだとか。

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人造湖でありながら、山中の緑に囲まれたエメラルドグリーンの湖面は美しく
別世界に来たような不思議な印象。
秋の紅葉が湖面を覆う様は一見の価値あり。

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つづく

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ラベル:雨川ダム
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あさしな温泉「穂乃香の湯」

あさしな温泉「穂乃香の湯」

 あさしな温泉穂の香乃湯は、佐久市に合併する前の浅科村が平成5年に開湯しました。泉穂の香乃湯は、平成5年に開湯された温泉で、冷え性や婦人病、神経痛、関節痛などに効能があります。佐久市と上田市を結ぶ国道142号線から南に入ってすぐの場所にあります。開放感たっぷりの露天風呂からは、一面に広がる五郎兵衛新田の田園風景や雄大な浅間山が一望でき、湯に浸かりながらのんびりした時間を過ごすことができます。広い屋外のスペースに、豪快な打たせ湯のある露天風呂があり、人気があります。このほかにも、広々とした屋内風呂やサウナ、休憩室や軽食・喫茶コーナー、特産品販売コーナーもあります。

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種類 純日帰り温泉施設
浴場 大浴場、露天風呂、
電気風呂、サウナ
泉質 単純温泉

料金
大人:300円
子供:200円

営業時間10時〜午後9時
定休日 火曜日
電話 0267ー58ー0033

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つづく

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2010年11月14日

シルマンウォーク 2.日本で一番、海から遠いところ

シルマンウォーク 2.日本で一番、海から遠いところ

今回のシルマンウォークは、日本で一番、海から遠いところへハイキングです。

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それは、佐久市の臼田の山奥にあります。

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今回のメンバー。
パワースポットマンも参加しています。
パワースポットマンがいると、女性が多いですね。
でも無縁仏。

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はい到着。

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みんなで記念撮影。

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2010年11月13日

シルマンウォーク 1.佐久臼田の瀬川を食べる

シルマンウォーク 1.佐久臼田の瀬川を食べる


 ここは、佐久市臼田駅前。

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 今回は、鳥のむしりで有名な「瀬川」のむしりを食べてみました。
 それも豪快な食べ方で。


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 それはともかく、今回のシルマンウォークのメンバー。
 パワースポットマンが参加しているので、今回も女性が多いですね。
 さすがは、パワースポットマン!
 

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 ほう葉をひいて、鳥の丸焼きを並べる。


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 それをナイフで切って、
 口にほうります。


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 これが最高に美味しい。
 ハイキングの時は、弁当代わりに食べます。
 北軽井沢ブルーベリーYGHの庭で食べるのも、オッケーですよ!


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2010年05月26日

芦田宿本陣(土屋家住宅)

芦田宿本陣


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 芦田宿は、慶長二年に岩間忠助・土屋右京左衛門によって「芦田宿立駅についての願文」が出され芦田宿ができています。これは、幕府が交通政策にのりだした慶長六年の4年前で、北佐久では一番先に設立されたことになります。

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 土屋家は代々芦田宿本陣を勤める家柄で中山道の開削の際は大きな尽力を尽くしたそうです。江戸時代後期には客殿をはじめ、主屋、問屋場、荷蔵、酒蔵、長屋など多くの建物が軒を連ねていました。

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 現在の建物(旧客殿)は寛政12年(1800)に改築されたもので梁間11間、桁行5間と規模が大きく玄関屋根は唐破風で懸魚や蟇股など格式の高いもので、内部には大名や公家などが泊まった上段の間や広間、小姓部屋、湯殿、雪隠とほぼ原形が残されています。江戸時代後期に建てられた大型で当時の姿を留めている本陣建築として大変貴重な存在で昭和63年に長野県県宝に指定されています。

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 芦田宿にとって最も大規模な通行は、皇女「和宮」の東下り。
 この際、芦田宿を通り本陣で昼食を取ったとされています。

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2010年05月24日

茂田井宿 高札場

茂田井宿 高札場

 高札場は幕府や領主の最も基本的な法令を書き記した木の札(高札)を掲示した施設であり、江戸時代6万を越える全国の村々にありました。多くの人々の目に触れるように、村の中心や主要な街道が交錯する交差点といった人通りの多い場所に設置されることが多かったのですが、茂田井宿では、2つありました。これは非常に珍しいことです。

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たとえば神奈川県の東海道では、9つの宿場にそれぞれ1カ所ずつありました。いずれも江戸から京都に向かって街道の右側に設置されています。ところが、どういうわけか茂田井宿には2つあったわけです。

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文書は、紙ではなく木に書かれました。内容は、親孝行・博奕の禁止・忠孝の奨励・精勤・賛沢の禁止など、町人や農民の生活の規範とするもの、キリシタン、鉄砲、徒党の禁止、新田開発の奨励などです。 基本的なものは正徳元年(1711)に出された親子兄弟札、毒薬札、キリシタン札、火付札、駄賃札などです。

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 文字の読めない人のため、村人に読み聞かせるのも名主など村役人の仕事でもありました。高札の書き換えは、きまりの改正や老中の交替、年号の変わるたびに行われました。余り頻繁にあったため、8代将軍吉宗以後は書き換えず、正徳元年(1711)5月付の高札が幕末まで維持されました。


つづく。

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茂田井宿 一里塚

茂田井宿 一里塚

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茂田井間の宿の急な上り坂(石原坂)を登りきると茂田井の一里塚があります。一里塚について「中国で路の側に一里毎に土を盛り、その崩れ去るのを防いでエンジュの木を植え旅人に木陰をあたえたという」と書かれてあります。

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 一里塚は、大きな道路の側に1里毎に旅行者の目印として設置した塚(土盛り)です。元々は中国起源のもので、塚の側に槐の木を植えたり標識を立てたりしていました。ただし、当時の中国での1里は約500メートルでした。

 日本では、平安時代末期に、奥州藤原氏が白河の関から陸奥湾までの道に里程標を立てたのが最初と言われています。室町時代の一休が「門松は冥土の旅の一里塚 目出度くもあり目出度くもなし」との歌を詠んでいます。

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 一里塚が全国的に整備されるようになったのは江戸時代。慶長9年2月4日、江戸幕府は日本橋を起点として全国の街道に一里塚を設置するよう指令を出しました。一里塚の設置は、大久保長安の指揮の元に行われ、10年ほどで完了しています。また、一里塚には榎などの木が植えられ、木陰で旅人が休息を取れるように配慮されていました。

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現存する一里塚の多くは道の片側にのみ存在するが街道の両側に対で設置されるのが本来の姿です。

つづく。

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2010年05月22日

芦田宿

芦田宿

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 芦田宿(あしだしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十六番目の宿場になります。難所であった笠取峠の東の入口にあたります。長六年(1601)江戸幕府は、大久保十兵衛・彦坂小刑部を中山道に派遣し、道路の整備に併せ次々に「宿駅」を街道の各所に置くように命令したことから、中山道の各所に宿駅が設けられました。

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 芦田宿は、慶長二年に岩間忠助・土屋右京左衛門によって「芦田宿立駅についての願文」が出され芦田宿が設立しています。これは、幕府が交通政策にのりだした慶長六年の4年前にあたり、北佐久では一番先に設立されたことになります。

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 本陣は、芦田宿設置とともに土屋右京左衛門が仰せつかり明治維新まで代々勤めてきました。現在残っているのは寛政十二年に建て替えられた客殿のみで、往時は高札場・問屋場・酒造蔵などがありました。明治維新までは、公家や諸大名の宿泊・休憩などに使われ、諸大名の宿札がたくさん残されています。

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 和宮は孝明天皇の皇妹で、文久元年(1861)公武合体政策の犠牲となり文久二年14代将軍家茂に嫁ぎました。この江戸へ下る際、芦田宿を通り本陣で昼食を取りました。

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ラベル:芦田宿
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2010年05月21日

望月宿

望月宿

これは、望月歴史民俗資料館。

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望月地域の郷土の歴史や文化と暮らしについて学ぶことを目的に、平成3年8月に中山道望月宿の本陣跡地に開館。縄文式土器や石器、日本で初めて発見された石積みのある柄鏡形敷石(えかがみがたしきいし)住居跡の復元住居や平安時代から室町時代まで献上された望月牧の貢馬の様子などを展示。

開館時間午前9時〜午後5時
観覧料 一般300円

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江戸時代には本陣、脇本陣、問屋など29間が軒を並べ賑わったといいます。脇本陣・真山家屋敷(国重要文化財)など宿場の面影を残し、往時の繁栄ぶりを伝えています。


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道祖神というと同じ信州の安曇野が有名ですが、望月町は、140体の道祖神があり、その数は日本一です。その他にも地蔵、庚申塔、観音像や文字碑、祠形( ほこらがた)も合わせると、全部で3千以上もあるといわれています。人口密度ならぬ石仏の密度というものがあるとすれば、日本で2番目に密度が高いでしょう。ちなみに1番は佐渡島だと思います。

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ラベル:望月宿
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2010年05月20日

望月宿 大伴神社

望月宿 大伴神社

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 こんなところに何故、大伴神社なのかと言いますと、真田氏は、大伴氏の流れをくんでいるからです。大伴神社の祭神は、月読命・須佐之男命・大己貴命・少名彦命・天忍日命・天道根命ですが、「天忍日命」は、大伴氏の祖です。「古事記」によれば、天孫邇邇芸命が筑紫日向の高千穂の嶺に天降りたときに、天忍日命、天津久米命の2神が天孫の御前に下がったとされていますが、天忍日命の子孫が大伴氏で、日本武尊東征のときに吉備武彦と共に従軍しています。

http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/keizu.htm

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 「日本書紀」の武烈天皇(499〜506)3年11月条に天皇が大伴室屋大連に「信濃国の男丁を発して、城を水派邑に作れとのたまふ。仍りて城上と日ふ」 とあります。また、日本霊異記に「大伴連忍勝は、信濃国小県郡嬢里の人なりき」ではじまる話があります。

 大伴氏が信濃国に関係していることが分かりますね。この流れに真田氏があるわけですが、大伴氏は、このあたりに牧場をつくり、東北を平定するための馬を生産し、軍事拠点をつくりました。そして、スパイ軍団まで作り上げたのですが、その末裔が真田氏だとも言われています。

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大伴氏の歴史
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/history1.html

つづく。

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2010年05月19日

茂田井宿3 大沢酒造

茂田井宿3 大沢酒造

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 敷地内には民俗資料館、しなの山林美術館、名主の館書道館が併設されており、訪れる旅人の目を楽しませます。創立が元禄という古い家なので、展示公開している宝物も多いです。

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 江戸時代は茂田井の庄屋を勤めていたらしく、酒も古くから造っていて、元禄二年の創業時の日本最古の酒が保存されていました。漆で封じられた古伊万里の壺の栓は昭和43年12月22日朝、東京のNHKスタジオで、醸造微生物学の泰斗坂口謹一郎博士ら立ち会いのもとで開栓された。よい香りが部屋一杯に広がり味はシェリー酒のようであったといわれています。


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純米酒 信濃のかたりべは、おすすめの1本です。米作りから酒造りまで、地元の人や大学のゼミ生など数多くの人の協力の下で造られた限定品です。もちろん試飲も出来ます。

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名主の館 書道館、 大澤酒造民俗資料館、 しなの山林美術館
料金:無料
営業時間:9:00〜4:00
定休日:年末年始
駐車場:大型駐車場有り
試飲:可

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2010年05月18日

茂田井宿2 武重本家酒造

今回のシルマンウォークは、茂田井宿2 武重本家酒造

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 武重本家酒造株式会社は、中山道の宿茂田井宿にあります。きもと造りが特徴で、建物は登録有形文化財となっています。武重本家酒造の裏に映画「たそがれ清兵衛」のオープンセットが作られ撮影が行われました。

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 現在、清酒業界は、規制緩和時代を生き残るために、近代化、省力化をどんどんと進めております。その中で、昔からの道具、技術、文化といったものが失われようとしています。

 この会社でも、米を蒸すための昔ながらの甑(こしき)は連続蒸米機になり、木の槽(ふね:酒を搾る装置) は連続圧搾機になりました。設備を近代化した際に、昔の道具をそのまま保存すればよかったのでしょうが、保存の場所、方法等の問題もあり、ほとんどのものを破棄してしまいました。写真すら残っていないとのこと。

 しかし、その後方針を立てて、残っている道具類を極力保存し、展示するように(といっても、単に並べるだけですが)心がけました。しかし、失われたものは多く、もう取り戻すことはできせん。

 失われつつあるのは、道具といった有形のものばかりでなく、無形物、技術もです。これは、道具より更に保存が難しい。なので昔ながらの「生もと造り」の技術を保存し、いまでも酒造りの中に活かしています。しかし、技術の進歩の名のもとに失われてしまった技術も当然あるそうです。

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 明治末期から大正時代の共進会に始まり、昭和14年、全国清酒品評会での優等賞受賞、長野県首位優勝旗授をはじめ、ほぼ毎年、長野県、関東信越国税局等での品評会に入賞および、幾度か首席優勝してます。

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 幕末のころ、皇女「和宮」さまはこの地を江戸に向下され、当家もその御一行の御宿の一つに選ばれました。今でも当時をしのぶ門前に下げられた「酒林」を見に訪れ、酒を賞でて帰られる方も多くおられます。

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 正面には、酒仙の歌人としてその名も高い若山牧水によるこの地で作り、また御園竹を詠み込んだ、有名な和歌を刻み込んだ石碑があり、訪れる人々の心をつかんでおります。

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つづく。

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2010年05月17日

茂田井宿

今回のシルマンウォークは、茂田井宿。


中山道の望月宿と芦田宿の間にある間の宿です。
古い土蔵などがならぶ昔の面影が色濃く残る宿場です。

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 もともと両隣の望月・芦田宿の助郷として指定されていましたが、その後宿泊業務も行うようになり宿駅となりました。文久元(1861)年和宮下向による2万6,000人もの大行列の際、ここが下宿となり、また元治元(1864)年にいわゆる天狗党と呼ばれた水戸浪士の通過に対する警備のため、小諸藩士500人がここに宿泊しています。

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ラベル:茂田井宿
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2009年09月13日

広川原の洞穴群「最勝洞」



広川原の洞穴群「最勝洞」

佐久病院のある臼田から山奥に1時間ぐらい車を走らせたところに広川原の洞穴群はあります。廃村のような村の中にポツンとあります。

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洞穴群は、同集落の禅昌寺裏山に点在しています。

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名称は本穴、地獄穴、極楽穴、蝙蝠穴、屏風穴、抜穴、奥の院穴など、いくつもあります。洞穴へ向かう山道はよく整備されており、道沿いには100体を越える地蔵が並びます。

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 最も大きい「本穴」には、3つの地下湖があり、弁天池・御渡池・桟織池と呼ばれています。最勝洞と言う名前の洞窟があるわけではなく複数の洞窟群になっています。

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この穴を50メートルほど潜ると、地底湖に到着します。
洞窟は、一人がやっと通れるくらいです。
危険なので、調査は、ここで打ち切りました。
今度は、もっと完璧な装備でチャレンジ。

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つづく。

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2009年09月09日

瀬川

お世辞にも、オシャレとは言えない店。
いや、正直に言うとボロ屋です。
しかし、このボロ屋が超有名なんですね。
佐久で瀬川を知らないのは、モグリなんですよ。
それが、この店。

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店内に入ると、こんな感じ。
軽井沢の『わかどり』とは全く違います。

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有名人の色紙もありました。

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ここは、不定休であり、予約がないと食べられない店なんですが、
偶然にも飛び込みで食べさせてもらうことに。
で、できあがるのを10分ほど待っていると、
次々と注文の電話が鳴ります。
「980円の鳥のむしり10個ね」
という感じで、大量の注文がはいっていました。
そして10分後、
きたー!

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で、でかい。これで980円。

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そしてかぶりつくと、
肉汁が漏れ出す。
皿の底に溜まっている
肉汁をみてください。
美味いですよ!


皮はパリッ。肉はジューシー。

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『瀬川若鳥料理店』
〒 384-0301 長野県佐久市臼田105
TEL: 0267-82-2444

つづく。

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2009年09月01日

次のシルマンウォークの候補!茂田井間

次のシルマンウォークの候補!

いろいろ上がっていますが、前回が、望月だったので
茂田井間の宿
も良いかなと思いました。

茂田井間の宿は、海野宿に匹敵する古い街道宿ですよね。
なにせ、たそがれ清兵衛のロケ地になったくらいですから。

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で、どんな町かと言いますと、
こんな感じです!


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人間が全く写ってないのは、偶然でも何でもなく
本当に人がいないんですよ。
夏休中の撮影なのに。

海野宿クラスの古い町並みなのに、
これは、どういうことなのか?


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望月よりも、古さを感じるのに、
萩・津和野みたんな町なのに、
なぜ観光客がいない?

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まさに穴場!

つづく。

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五稜郭

五稜郭龍岡城

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 龍岡城は長野県佐久市(旧南佐久郡臼田町)にある江戸時代末期の城郭です。五稜郭といいますと、戊辰戦争で榎本武揚や土方歳三が拠点とした箱舘五稜郭(函館)が有名です。けれども信州の山間にもう一つの五稜郭があったことは意外に知られていません。

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場所は、臼田町立田口小学校の場所です。
そこに見学施設があります。
大手門前の休憩所「五稜郭であいの館」です。
運が良ければ龍岡城五稜郭保存会の方々が茶を振舞ってくれます。

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当時の建物は、台所のみです。
事前に連絡すれば見学できます。

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つづく。

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2009年08月30日

星の町、臼田の宇宙空間観測所

臼田宇宙空間観測所に行ってきました。
臼田は、星の町です。

ここには五稜郭があります。
星の形をした城です。
そこで村おこしの一環として、宇宙空間観測所を誘致したんですね。

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この観測所では、惑星や彗星のような天体に接近して観測を行っている深宇宙探査機に向けて動作指令を送信したり、探査機からの観測データを受信しています。

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ここの展示は、天文マニアには、垂涎するほど面白いです。

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ちなみに大型パラボラアンテナの総重量は1980トン。
このような大型アンテナは、海外でもアメリカのNASA、
ヨーロッパのESAとロシアのIKIが保有しているのみです。

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車がないと行けないので、いつかツアーを出してみましょう。


つづく。

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2009年08月16日

シルマンウォーク・望月編2

シルマンウォーク・望月編2

 望月宿(もちづきしゅく)とは、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十五番目の宿場。蓼科山の裾野にあって古くから馬の名産地として知られ、毎年旧暦8月15日の満月の日に馬を朝廷や幕府に献上していたことから「望月」の名が付いたとも言われています。

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 望月宿は、江戸時代には、中仙道の主要な宿場として、本陣、脇本陣、問屋が置かれ、文化元年には二九軒の旅箭が軒を連ねて、行き交う旅人たちで賑ったという望月。二階が一階より前にせり出している「出桁造りの家」やうだつ(防火用の壁)を残す家、京風の格子戸など、今もなお、町のあちらこちらに往時の面影をひっそりと残しています。

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古い町並み。

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 本陣は、江戸時代、街道の宿場で大名、宮家、公家、公用の幕府役人など、身分の高い人および特権者のためにもうけられた宿舎のことです。参勤交代の制によって発達しました。門、玄関、上段の間などをそなえた立派な建物で、多くは書院造でした。本陣の主人は苗字帯刀をゆるされ、宿場名主をかねる有力者でした。

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 本陣には宿泊者から謝礼が支払われましたが、それは謝礼であり、必ずしも十分なものではありませんでした。そのため、本陣の指定に伴い苗字帯刀、門や玄関、上段の間を設けることができるなどの特権が認められました。そのために出費がかさんだことで没落する家もあったそうです。

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つづく。

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2009年08月15日

シルマンウォーク・望月編

シルマンウォーク・望月編です!


望月宿(もちづきしゅく)は、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十五番目の宿場です。蓼科山の裾野にあって古くから馬の名産地として知られ、毎年旧暦8月15日の満月の日に馬を朝廷や幕府に献上していたことから「望月」の名が付いたとも言われています。また、望月は、日本で最も石仏の多い町でもあります。その望月に突入です。安曇野より多いんじゃないかな?

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沿道は石仏だらけ。

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町並みが古いですね。

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これでもかと石仏。

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望月には道祖神140基、馬頭観世音445基、聖観世音菩薩180基など3000基以上あると言われています。屋敷や墓地内のものも含めるとさらに多くなります。 人間の人口に匹敵しますね。

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 中でも道祖神は140体も確認されています。男女二神が気を付けの姿勢で神妙に願いを聞いている姿や烏帽子をかぶり、宮中の法衣をまとって酒を酌み交わしている、高貴で優美な姿の道祖神などさまざまな様子が像となって石に刻まれています。

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 望月地区には『日本でもまれな道祖神』が二つあります。その一つは、布施の熊の神社参道にある『片手合掌道祖神』で、頭には三角烏帽子を乗せ、 衣は仏教の僧衣を身にまとい、男女とも片手拝みをしています。烏帽子は神道系、僧衣や片手拝みは仏教系で、神仏が集合した形ですが、どちらかといえば仏教系の影響の強い道祖神です。この片手合掌の道祖神は、今のところ類例がないのではといわれています。

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 もう一つは『辻立神』と石に刻んである文字碑の道祖神です。道祖神はもともと村の入り口に立てて、疫病や悪霊が村に侵入しないように遮るための塞神でありました。時代を経るにしたがって、生産の神となったり、また 生まれた子どもの成長を願う信仰へと変化していきますが、基本的にはいつも村への岐路に安置して信仰されていました。この置かれている姿を文字で表現したのが協和にある『辻立神』道祖神です。

つづく。

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2009年06月27日

八幡宿・シルマンウォーク3

八幡宿・シルマンウォーク3

街道に養蜂箱が?

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養蜂が盛んと言うことは、花が多い証拠。

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というわけで、次回は望月です。

つづく

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八幡宿・シルマンウォーク2

八幡宿・シルマンウォーク2

八幡宿は本陣1、脇本陣1、旅籠3軒。

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これは本陣跡です。

本陣とは、 江戸時代に大名や旗本などの宿泊所として指定された宿のことです。原則として一般の者を泊めることは許されておらず、村役人の名主などの居宅が指定されることが多かったようです。

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 本陣には宿泊者から謝礼が支払われましたが、金額は少なかったようです。そのかわりに主人には苗字帯刀、門や玄関、上段の間を設けることができるなどの特権が認められました。

 その一方で、出費がかさんだことで没落する家もありました。特に江戸時代後期になりますと、藩財政の悪化に伴う謝礼の減額や本陣である問屋や庄屋としての家業の不振による経営難によって破綻する例もありました。そのため、時期によって本陣が指定変えされたケースも少なくありません。

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つづく

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2009年06月24日

八幡宿・シルマンウォーク1

八幡宿・シルマンウォーク

八幡宿は、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十四番目の宿場。現在の長野県佐久市八幡。千曲川の西岸にあたり、対岸の塩名田宿との距離は1里もないが、川止めになったときの待機地として、また千曲川沿いの米の集散地として江戸時代初期の慶長年間に整備された。


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つづく

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2009年06月23日

塩名田・シルマンウォーク3

塩名田・シルマンウォーク3

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つづく

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2009年06月22日

塩名田・シルマンウォーク2

塩名田・シルマンウォーク2

塩名田は、街道と千曲川が交わる唯一の宿です。
渡し場として栄えました。
保14年(1843)で人口574名、
総家数116軒、本陣2軒、脇本陣1軒、旅籠7軒。
けっこう大きな街です。

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 塩名田と御馬寄の間を千曲川が流れています。江戸時代には、これを渡るのはたいへんなことでした。橋を架けても、洪水でじきに流されてしまったからです。しかし、橋が流されたからといって、いつまでも放置しておくわけにはいきません。このため地元塩名田宿・御馬寄村をはじめとして、この地方の人々は、渡川を確保するためにたいへんな苦労をしています。

 そこでつくられたのが船橋会社で、この会社によって明治六年(1873)に船橋(九艘の舟をつないで、そのうえに板をかけわたして橋としたもの)が架けられ、渡川が確保されました。舟つなぎ石は、その船橋をつなぎとめたもので、だから上部に穴があけられているのです。その後、明治二十五年に県によって木橋が架けられ、船橋の役割は終わりました。

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こんな変わった東屋も、
のぞいてみると

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錦鯉が!

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このあたりは、木造三階建ての家が多いです。

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つづく

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2009年06月21日

塩名田・シルマンウォーク1

今回のシルマンウォークは、塩名田。
天気予報が外れて、快晴でした。

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塩名田宿(しおなだしゅく)は、中山道六十九次のうち江戸から数えて二十三番目の宿場です。暴れ川であった千曲川の東岸にあり、旅籠が10軒以下の小さな宿場にも拘らず、本陣と脇本陣が合わせて3軒もありました。橋も掛けられたが洪水の度に流失し、船や徒歩で渡るのが専らでした。この辺りは各宿駅間の距離が短く、大名行列等大通行の折には分宿も行われていたといいます。


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 江戸期の通行量の増加は、宿場を密に設置しても人出は慢性的に不足で、助郷制度と呼ばれる近隣農村からの応援部隊で宿の業務をやり繰りしていました。この二ヶ宿の助郷は、延享3年(18世紀中盤)の時点で28ヶ村にも及んでいます。

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 塩名田宿は川止めの際に大いに賑っていました。本陣二軒のうち一つは名残を留めていませんが、新左衛門家(現丸山家)が残ります。県道沿いにはその他に袖うだつを両脇に張り出させた旧家など、旧宿場町らしい姿を伝えていました。往時は市が立ち商家も多かったといいます。

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つづく

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