2021年10月19日

岳沢の紅葉と岳沢ヒュッテ(10月11日)

 先週の話になりますが、北アルプスに家族で行ってきました。予定では、岳沢から登って、前穂高・奥穂高に登って、 涸沢に降りて帰って来る予定だったんですが、突然台風が現れて、途中から天候が悪化するという天気予報だったので、前穂高の手前で帰ってきました。その前の週では、すごいいい天気だっただけにちょっと残念です。

 緊急事態宣言が解除になって、急にお客さんが入るようになり、土曜日は満室でした。というわけで日曜日の10時のチェックアウトの時間まで接客にいそがしく、11時に出発。大急ぎで車を飛ばして上高地に到着したのが、14時でした。


211010_01.JPG
(上高地のカッパ橋です。ここから岳沢に向かいます)


211010_02.JPG

211010_04.JPG

211010_05.JPG

211010_06.JPG

211010_07.JPG

211010_08.JPG


 17時頃に岳沢ヒュッテに到着。
 新しい小屋できれいでした。
 新型コロナウイルスの感染防止で個室をもらっています。


211010_12.JPG
(山小屋としてはグレードは高いです)

211010_13.JPG
(料理も豪華で美味しかった)

211010_14.JPG
(夕食後は星空の写真を撮る息子)

211010_15.JPG
(岳沢ヒュッテの夜)

211011_001.JPG
(上高地の灯が見える)

211011_002.JPG
(天の川が美しい)

211011_004.JPG
(もう冬の星座が・・・)

 翌朝、前穂高の手前まで散策しました。

211011_005.JPG

211011_006.JPG

211011_007.JPG

211011_008.JPG

 焼岳と乗鞍が美しい。

211011_009.JPG

211011_010.JPG

 もうちょっとで前穂高なのだが、ここで撤退する。
 ちょっと悔しいけれど、安全第一。
 明日は、一日中雨になるらしいが、そのな天気で息子に岩場を下山させられない。

211011_011.JPG

211011_012.JPG

211011_013.JPG

211011_014.JPG

211011_016.JPG

 上高地に到着。

211011_017.JPG

211011_018.JPG

211011_019.JPG

211011_020.JPG

211011_021.JPG

 今回の北アルプスは、超のんびりハイキングでした。
 たまには、こういう登山もいいかもしれない。 



つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 21:43| Comment(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月07日

燕岳の朝

 翌日、御来光と富士山をなが、私たちは燕岳に向かいました。

211017_01.JPG

211017_02.JPG

 燕岳は、北アルプスで最も美しい山で、花崗岩でできています。

211017_03.JPG

211017_04.JPG

 なので、気象条件が厳しく寒暖差がはげしい北アルプスでは、風化も激しくて、それだけに多くの奇岩が目をたのしませてくれます。関西の人なら分かると思いますが、六甲山の蓬莱峡のような風景が楽しめます。たしか六甲山も花崗岩で有名ですよね。御影石があるくらいですから。その中でも面白いのは、イルカ岩。イルカにそっくりです。

211017_06.JPG

 逆に言うと、地面は崩壊した花崗岩の屑ばかりですから土壌に栄養が無く、それゆえにコマクサくらいしか生えてきません。なので花の季節になるとコマクサが目を楽しませてくれるようです。

211017_05.JPG

 コースもなだらかで散歩気分で歩けます。燕山荘には、そういう人たちのためのザック置き場まで用意しているので、みんな手ぶらで燕岳に向かっているようです。で、気になったことは、ドローン公害。こういう国立公園に、やたらとドローンを飛ばすのは、どうなんでしょうかね?

211017_07.JPG

211017_08.JPG

211017_09.JPG

211017_10.JPG

 あと、このルートは展望がいい。このルートにかぎらず、表銀座コースもそうなんですが、本当に展望がいい。私は、穂高・槍・上高地が好きなので、毎年通ってますが、展望に関しては、遠くから槍が望めるこのあたりの方がいい。

211017_11.JPG
(燕岳頂上)

211017_12.JPG

211017_14.JPG

211017_13.JPG

 けっきょく1時間以上かけてのんびり燕岳まで往復しました。
 とっても幸せな一日でした。
 名残惜しいけれど、その後は下山。
 留守番している愛犬コロにエサをあげなければいけないから、早めに帰らなければならない。

211017_15.JPG

 10時頃に登山口まで下山する。
 下山後は、ソフトクリームを食べたけれど美味しかったなあ。

211017_16.JPG

 とても有意義な一日でした。
 こんなに天気が良いと知っていれば、もう1泊予約しておけばよかった。
 残念!

 新型コロナウイルスのせいで、予約無しに山小屋に泊まれなくなっているので、涙をのんで下山するしかないのが悔しい。でも、逆に言うと、山小屋に詰め込まれることが無くなったので、そこは良かったと思います。昔は、トイレ前に寝かされた上に、布団1枚に3人という酷い詰め込みをされたくらいですから。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング







ラベル:燕岳
posted by マネージャー at 23:17| Comment(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2021年10月06日

やはり燕山荘は、日本一の山小屋だった!

 息子も8歳です。8歳くらいになると、大人より体力があります。24リットルザックに、2リットルの水と、非常食・インナーシェラフ・着替え・翌日分の昼食まで入れていても、頂上近くになるとダッシュで走って行き、燕山荘に一番乗りしました。結局、到着したのが16時50分。コースタイムより30分早く到着したわけですが、これは北アルプス3大急登のせいです。急登というのは、時間短縮しやすいのです。体力さえ有れば時間を短縮できるのが急な登りでもあります。


21-10-3-12.JPG
(バックに槍ヶ岳)

21-10-3-11.JPG
(バックに燕岳)


 これが燕山荘(花崗岩の階段が美しい。燕岳は花崗岩の山なのだ!)
21-10-3-13.JPG


 燕山荘は、かって帝国ホテルグループ傘下にあったために、ホスピタリティあふれる接客をすることで有名な山小屋です。と言っても若い人には分からないかもしれませんが、昭和時代の山小屋の御主人には、高圧的で横柄な人が少なからずいて、それでも山小屋に人々が殺到した時代がありました。これは山小屋に限らずユースホステルや国民宿舎にも、そういう横柄なオーナーがいた時期があったのです。そういう時代に令和時代なみの接客をする、まともな山小屋があった。燕山荘です。


21-10-3-14.JPG

21-10-3-15.JPG


 しかも、この燕山荘。最高のロケーションであることで有名です。北アルプスが最も美しく見える位置にあり、しかも10月初旬の夜景と来たら、銀河が槍ヶ岳に落ちることで、その写真撮影に人が殺到することで知られています。そんな小屋は、燕山荘しかありません。おまけに夜明け前の早朝となると、燕山荘の東の空に、黄道光と銀河の二つの光の帯による『巨大なX(エックス)の光の帯』の美しいショーが見られます。


(黄道光と天の川のクロス・巨大なX(エックス)の光の帯)


 それはともかくとして、燕山荘に到着して驚いたことの一つは、8歳の息子のために、表彰してくれたうえに記念品までいただいたことです。うちの息子は、3歳の時に自力で八ヶ岳に登頂して赤岳小屋に泊まりました。4歳の時には槍ヶ岳にも登って肩の小屋に泊まっています。5歳の時には北穂高山荘。6歳で穂高山荘。7歳で再び槍ヶ岳と登っていますが、表彰されたことなど一度もありません。それだけに燕山荘の粋な心意気に感動します。お子さん連れなら絶対に最初に泊まるべき山小屋です。


21-10-3-16.JPG


 おまけに部屋までスタッフが丁寧に案内してくれたうえに、個室まで用意してくれました。その他にも数々のサプライズ。いちいち書きませんけれど「さすがは帝国ホテル系列だ」と感心しました。でも一番驚いたのは、山小屋の設備と清潔さです。ありえないくらいに充実しているし、きれいですし、掃除もいきとどいている。特にトイレがきれい。下界のホテルと何ら変わりない。

 と、言っても山に登らない人には分かりにくいでしょうから解説すると、普通の山小屋のトイレは、臭いのです。ぽっとん便所みたいなもので、おまけにトイレットペーパーを流せない。トイレットペーパーは、ゴミ箱に入れるので、それも臭いし、それの山を眺めてウンチするので気分の良いものではないし、清潔感もない。ましてや新型コロナウイルスの時代になると、なおさら山小屋のトイレを使いたくなくなるのですが、燕山荘のトイレは、下界のホテルと変わらないトイレになっている。どうして、そんなことが可能なのかわからないけれど、そうなっている。おまけにトイレが美しい。トイレ掃除がいきとどいている。宿屋の私の目から見ても手を抜いてないことがわかる。


21-10-3-25.JPG


 おまけに御飯が美味しい。チーズインハンバーグと金目鯛の煮付けが美味しい。新型コロナウイルスのせいで、食事中の会話は、禁止されているけれど、それを補うためにマネージャーの面白い話が聞けるし、アルペンホルンの演奏もしてくれる。標高2700メートルの北アルプスで、マネージャーみずからのアルペンホルンを聞けるなんて夢のようです。もう言うこと無しです。他の山小屋では、食事中の会話禁止だけで、何の芸もなく、黙々と食事するばかりだったので、燕山荘の素晴らしいホスピタリティには、感動しっぱなしです。


21-10-3-26.JPG

21-10-3-27.JPG
(アルペンホルンを演奏するマネージャー)


 おまけに夕日が美しかった。

21-10-3-17.JPG

21-10-3-18.JPG

21-10-3-21.JPG
(槍ヶ岳の夕焼け)

21-10-3-22.JPG
(北アルプスの夕焼け)

21-10-3-23.JPG
(燕山荘の夜)
21-10-3-24.JPG


 夜景がきれいだった。
 星が美しかった。
 特に槍ヶ岳に落ちる天の川が最高だった!


21-10-3-28.JPG
(安曇野の夜景)

21-10-3-29.JPG
(美しい銀河)

IMG_5260.JPG
(槍ヶ岳に落ちる銀河)

 そして、夜明け前に見た黄道光と天の川のクロスが最高だった。
 夢なら冷めないで欲しいと思った。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング








posted by マネージャー at 21:56| Comment(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月17日

槍ヶ岳登山3 山小屋の不思議

 頂上へアタックの後、談話室で時間をつぶして山小屋の食事。
 ご飯と味噌汁を大盛りでおかわりすると、 体調が良くなりました。

IMG_8763.JPG

 計算すると今日1日で、6000カロリー以上を消費したことになりますので、夕方になるとどうしてもガタガタ寒さに震えるようになります。これは気温が低いわけではなくて、カロリーが足りないからなんですよね。なので山小屋では、ご飯を大盛りにしておかわりします。味噌汁もおかわりする理由は、塩分が足りないからです。すると、さっきまで背筋が寒かったのが嘘のように体がポカポカと温まってきます。チョコレートやミックスナッツのような行動食では、このように体がポカポカと温まることはありませんから、ご飯と味噌汁は偉大ですね。

 ところで新型コロナウイルスによって山小屋の常識が、かわりつつあります。昔は、見知らぬ登山家たちが、旧知の友人のごとくお互いに山を語り合ったものですが、新型コロナウイルスによってソーシャルディスタンスをたもつようになり、だれとも会話しなくなりました。酒盛りはもちろんのこと、会話も最小限になり、みんなマスクをして話します。食事も対面でしません。全員、一方方向をむいて食事をします。もちろん外国人も減ってるので、マナーを知らない人たちもいなくなっている。そういう時代になってます。


17-9-10_08.JPG


 ちなみに明日の朝食を取るかわりに、お弁当を頼んでいます。山小屋では、朝食をお弁当に変更することができます。早朝に出発したい登山家たちが多いからです。

 問題はこの後のことです。この事件は、本当ならブログに書くつもりはなかったんですが、本社にメールをしようにもメールアドレスはなく、電話をしても電話が通じなかったので、ここに書くことにします。

 食後しばらくすると、何やらすごい大声が、18時半頃から山小屋の中に響き渡りました。一人の声ではありません。10人以上の人々が宴会騒ぎをしているのです。山小屋では、15時ぐらいから寝ている人がいます。だから良識ある登山家たちならみんな静かにいるんですが、最近は外国からのお客さんも多いために、この一般的なルールが守られないこともある。で、下の写真のように、山小屋の至る所に静かにするように張り紙が貼られています。

IMG_8829.JPG

 しかし、その団体さんは、そんな常識などどこ吹く風で、山小屋中に響き渡るものすごい大声でどんちゃん騒ぎをしまくっていました。これでは眠ることもできない。仕方がないので、しばらくの間、2階の談話室で読書でもすることにしました。20時すぎになれば、いやが応でも消灯になります。非常灯を除いて建物内の全ての電源が落ちてしまいます。そうなれば静かになるだろうと思ったからです。

IMG_8779.JPG

 しかし、どんちゃん騒ぎは20時以降も途絶えることがありません。
 これじゃあ眠れません。
 登山家の常識としてあるまじき行為であることは間違いありません。

 一体どうなってるんだろうと、私はベッドから起き上がり、どんちゃん騒ぎをしている団体さんのいる部屋を探し回りました。すると、探し回っていたのは私だけではなく、何人もの登山家たちが、ぞろぞろと探し回っていたのです。2階に上がって個室のお客さんの部屋を探し回ったり、外に出てテントを設営している所に行ってみたり、談話室に行ってみたり、槍ヶ岳山荘のありとあらゆる所に行ってみたんですが、どこからも声はしません。

「おかしいな、一体どこから声がするんだろう?」

と、 不思議に思いつつ、一番大きく聞こえる場所を探してうろうろするんですが、一番聞こえるのは、1階にある私たちが寝ている相部屋なのですよ。しかし、相部屋でどんちゃん騒ぎしてる人たちは誰もいない。みんな静かに眠っている。静かに眠っているのにどんちゃん騒ぎが聞こえてくる。もちろん相部屋の2階には、個室があるんですが、そこも静かにしている。 だから不思議でならなかった。一体どこから声がするんだろう?

 そうこうするうちに、眠れずにいた相部屋の登山客がぞろぞろぞろぞろ起き出してきました。そして、みんなあちこちを探し回り始めたのです。しかし声の主の姿の正体はさっぱり分からない。
「幽霊なのか?」
「遭難した人が霊になって現れて酒盛りしているのか?」
「いやいやいや・・・・」
と狐につまされること数十分。

「世の中には不思議なこともあるもんだ」
と思いつつ、首をかしげていると、
「ここだよ」
と、声の正体を突き止めるお客さんがいました。

「どこですか?」
「地下の食堂から声がする」
「え?」
「山小屋のスタッフが酒盛りをしてるみたいだ」
「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!」


 多くの登山家たちが寝ている部屋の下に食堂があります。そこで私たちは17時に夕食を食べたのですが、その食事の後片付けを終えたスタッフたちが、酒盛りをしてるらしいのです。しかも、私たちが寝ている真下が厨房だったようで、そこから直に声が丸聞こえだった。その上、食堂に向かう階段にはバリケードがあって、立ち入り禁止になっている。

 どうする?
 どうにもならないな?

 他の登山家たちは、みんな朝食をとっているので、山小屋のスタッフたちに注意するにも注意しにくい状態です。

 それにしても最低なスタッフたちだね。
 こんな山小屋初めてだ。

 こんなことが囁かれている。おまけに私と同室の人たちの中には、高度障害で苦しんで、15時ぐらいからずっと寝込んでいるけど、寝られないで困っている。 そもそも新型コロナウイルスで、登山家の人たちは無口になっている。どんちゃん騒ぎになんか、するわけがない。みんな新型コロナウイルスを怖がっている。


 山小屋の伝統として、見知らぬ人同士でも山を語り合って、すぐに溶け込むのが、登山家たちの文化でもあるのですが、新型コロナウイルス以降は、他人と語らなくなっている。ましてやどんちゃん騒ぎなんてする訳が無い。


 ソーシャルディスタンスを保つために 会話は最小限にしなければいけない。マスクをしてなければ、マスクをしてくださいと注意されるのが今の時代です。現に私もマスクをせずにトイレに入ったために注意されている。そういう時代に、どんちゃん詐欺なんてありえない。ましてや山小屋のスタッフが、お客さんに迷惑をかけて酒盛りなど言語道断です。翌日、気まずい思いをしたくないから注意するにも注意できないからです。

 で、皆さんも困っている中で、私だけが朝食を取ってない。仕方がないので自分が犠牲になることにしました。立ち入り禁止のバリケードを外して下にどんどん降りていった。他のお客さんは、私の後ろからついてきました。で、厨房の方に向かうと、十数人の山小屋スタッフが、日本酒をずらりと並べてマスクもせずに酒盛りをしている。
「マスクもなしかよ」
「クラスターおこしたらどうするんだよ」
と思いつつ

「何やってるんですか、うるさくてお客さんが寝られませんよ。上で寝ている人たちは怒っていますよ」

と注意するわけですが、一人だけが「すいません」 というだけで、 みんな黙りこくっている。と言うかシラケている。いやいや、ここは全員で一斉に謝る所でしょ。お客さんがここまでやってくるというのは、余程のことだと思わないといけないでしょう。どうみても反省の色がない思った私は、と思うと私は頭に血が上って、
「いいかげんにしろ!」
と怒鳴って部屋に引き上げてしまった。

 おまけに、その直後にブレーカーが落ちて非常灯さえも消えてトイレが真っ暗になり、そこから命がけで生還してきた御客さんもいたらしい。まったく危ないたらありゃしない。こっちには7歳の子供がいるというのに。こんなことして、snsに書かれるとか、環境省とか観光協会とか他の諸団体にクレームが行くとは考えられないのかな?と不思議でなりません。

 翌日、下山している時に、うちの嫁さんが
「昨日の夜、非常識な団体さんがいたよね。登山歴30年ぐらいのベテラン登山家に怒られていたのに気がついた?」
と聞いてきました。

「あのどんちゃん騒ぎは、非常識の団体さんだと思ったわけ?」
「うん」

 そうだろうな。 間違えても山小屋のスタッフがやったとは誰も思ってないだろうな。しかし昨日泊まった登山家の人たちにそんな奴はいない。あの悪行が登山家のせいにされているとしたら、昨日泊まった人たちの名誉にも関わることだから、この件は、しっかり記録しとかないといけないなと思って、このブログに記録しておくことにしました。ちなみに嫁さんは、あの声の正体が私だと知って大笑いしていました。 ちなみに私の登山歴は40年ですから。



つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング



posted by マネージャー at 06:53| Comment(2) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月15日

槍ヶ岳登山2 岩登りのコツ

 それにしても、子供というのは、想像以上に成長が早い。
 親が知らないところで、突然何かに目覚めることもある。

3,018.JPG

 今回の槍ヶ岳登山でそれが分かったわけですが、そもそもうちの息子は、三月二十六日生まれということもあって、よそのお子さんに比べて幼すぎると言われていました。同級生ができることが、できなかった。一学年下の子供さんと遊ぶのが丁度いい感じでしたし、その一学年下のお友達と遊んでいる姿も、主導権は年下のお子さんが持っていました。それどころか二学年したのお子さんと遊ぶと丁度いいぐらいだったのです。年長組の息子が、年少さんと遊んで丁度いいぐらいだった。

 とにかくうちの息子は、幼稚園時代から成長が遅いことで有名で、幼稚園の担任の先生から何度も警告を受けて、嬬恋村が行なっているすくすく相談に行くように言われて、そこに通っていました。いわゆる成長の遅い問題児だった。

 運動神経にも問題があったようで、これに関しては今でも、すくすく相談で、作業療法士の先生の指導を受けていますが、その先生がよく言ってたことは、
「運動神経のシナプシスは、ある日突然つながることがあるので、何もできなかったことが、ある日突然できることもあるんです」
ということですが、正直言って半信半疑。というのも、空手教室に連れて行けば、空手の先生に、あまりにも何もできないために
「このままではまずいので、教室の指導中に、お父さんが積極的に教えてあげてください」
と言われて、うちの息子だけは、教室の時間に親がでしゃばることを許されていたし、キックボクシング教室でも、縄跳びをやらされると、ただの一回も縄跳びができなかった。できないどころか、縄跳びのやり方さえも分からなかった。

 幼稚園の担任の先生にも、
「いじめっ子にやられても、やり返すことができない。嬬恋村では中学校になるまで同じクラスが続くので、もっと強くならないと」
と言われており、女の子達としか口をきかない状態でした。小学校一年生の担任の先生にも入学当初は「大丈夫ですかね」と言われ続けていた。だから嬬恋村の作業療法士の先生に
「ある日突然できるようになる」
と言われてもにわかには信じられなかった。

 そうは言っても、コツコツと運動させるしかないわけで、暇を見つけては家族で一緒に近所の山を登山し、毎日コツコツと体を鍛え続けました。それが今回の槍ヶ岳登山での体力の早々に発揮につながったのかもしれません。

 三月末生まれということもあって、息子は決して才能に溢れてるわけではありませんが、コツコツと努力することを嫌がらない性格であることは良かった。昔から早生まれの子供は努力家が多いと言われていますが、これはある意味真実かもしれません。

 早生まれの子供達というのは、小学校低学年のうちはどうしても、他の人たちができることをできないでいるわけですが、そのできないことも、コツコツと努力さえしていれば、ある日突然できるようになる。低学年のうちは、なかなかうまくいかないけれど、学年が上になるにつれて、人並み以上にできるようになる。そんな気がしてきました。

3,019.JPG

 まあそんな話はどうでもいいとして、槍ヶ岳の話です。

 私たち夫婦は、どんどん先に進む息子の後を追いかけるのに必死でした。それでも何とか、追いつけたのは、途中から「槍ヶ岳山荘まで何キロ」と言うペンキが岩や石に書かれてあったからです。息子は、その数字の前でポーズを取ります。そして私たち夫婦を待っているわけですが、そこになんとか追いついた私は、ポーズをとっている息子の写真をとるわけです。


17-9-10_09.JPG
 4歳の時の息子

3,020.JPG
 現在(7歳)の息子 400メートルの表示でポーズをとる



 三年前、四歳の息子を槍ヶ岳に連れて行った時は、今回と立場が全く逆だったので感慨深いものがあります。三年前の槍ヶ岳登山の時は、百メートルおきに書いてあるペンキを目印に、
「あそこまで行ったらおやつをあげる」
とニンジンをぶら下げて、息子の登山意欲を煽ったものですが、今年は人参などなくても、どんどん先に歩いて行く。三年間で、これだけ成長しました。
「男子三日会わざれば刮目して見よ」
とはよく言ったものです。


3,021.JPG


 息子と私が槍ヶ岳山荘に到着したのは、十二時三十分頃。嫁さんの奴は、更に十分ぐらい遅れて到着。元気な息子に対して嫁さんは、ボロボロになっていました。とりあえず、槍ヶ岳山荘にチェックインを済ませ、談話室でしばし休憩しますが、息子の奴は、談話室にあったクライミングボードでクライミングを始めます。
「おいおい休憩しろよ」
どう思った私は、こんなところで体力を使われてはたまったものではないし、変な癖をつけても危険なので、早々に槍ヶ岳の頂上に登ることにしました。


3,030.JPG
 談話室のクライミングボードで遊ぶ息子

3,031.JPG
 フリークライミングと岩登りは基本的に違う作業だったりする
 なので私は息子に、この遊びを止めさせた



 とりあえず、五百円で息子のヘルメットをレンタルし、頂上に向かってロッククライミングを開始。一般的に言って七歳の子供を褒めすぎると、調子に乗って命を落としかねないので、厳しめに指導しています。

「こんな急な岩場、登れると思ってないでしょ」
「うん」
「でも、登れる人には簡単に登れるんだ。どうしてだか分かる?」
「運動ができるから?」
「そうじゃない。登山と運動神経は関係ないんだ。そうじゃなくて、階段がみえるかどうかなんだ?」
「階段?」
「登山ルートの岩場には必ず階段がある。ここ見てごらん、くぼんでるだろ?これが階段なんだよ。整然としている階段ではないけれど、このような階段が、岩場のルートには必ずある。なかった場合は、人工的にドリルで掘って階段を作ってしまったり、鉄の杭を打って人工的な階段を作ってしまったりする。登山ルートの岩場には、そういう人工的な階段が必ずある。問題は、その階段が、見えるかどうかなんだよ」
「ふーん」
「岩登りというのは、体力戦でもなければ、運動神経で登るわけでもない。あえて言うならば頭脳戦。つまり頭で登るのが岩登り。要するに岩場の中に、自分なりの階段が見えるかどうかなんだよ」
「うん」
「階段が見えてれば、2メートルくらいの岩場なんか簡単に登れる。で、2メートル登れるんであれば、200メートルでも300メートルでも登れる。なぜならば、200メートルは、二メートルを10回登るだけだから」
「あ、なるほど」
「そしてもう一つ。足だけで登るのが岩登り。基本的に腕は使わない。腕力を使って登っているんだとしたら、それは下手くそな岩登りで、万が一踏み外したら転落するしかない。万が一のために手は残しておかなければならない。つまり、あくまでも二本足で登る。腕はバランスをとるために、ちょっとだけ岩に乗っけておくだけ。フリークライミングと全く違うから誤解しちゃだめだよ。フリークライミングと、一般的な登山における岩登りは全く違うんだよ。あれは別物だと思った方がいい」
「うん」
「もし、腕力でないと登れないような場所に自分がいるとしたら、それは、自然の階段を間違えている。落ち着いて、正確な階段を見つけなければいけない。そういう意味で、登山は頭でするものなんだよ。分かった?」
「うん」
「よし、登ってみよう」

3,022.JPG

3,023.JPG


 槍ヶ岳山荘から槍ヶ岳の頂上までのルートは、急な岩場で、登る人が多くて北アルプスで最も渋滞するルートです。渋滞する理由は、登る人の人の多さもありますが、たった一人でも、恐怖のあまり硬直して、登れない人がいると、そこでストップしてしまうからです。そうなると、不幸な事件が起きたりします。

 あおりドライバーが社会問題となっていますが、それと同じような人間が、登山家の中にもいます。数は少ないですが、後ろの方で「おせーな」と煽る奴がいる。煽れば煽るほど、恐怖のあまり岩場で硬直してる人は、ますます緊張して前に進めません。こういう時、ベテランの登山家は
「ゆっくり行きなさい」とか
「煽るのは、登山家として最低だから気にするな」
と励ましたりして、救出に向かっていきサポートしてあげたりします。そういう現場を私は何度も見ていたので、ちょっと不安だったのですが、幸いなことにこの日は、台風直後のために、ほぼ無人の状態でした。おかげで私は息子とゆっくり槍ヶ岳にチャレンジすることができました。

 頂上に着いたのが、14時30分。
 画像の通り、すごい眺めです。


3,024.JPG
 槍ヶ岳山頂・三角点

3,025.JPG
 槍ヶ岳山頂・奥の院



 不思議なことに、頂上付近では、どういうわけか、ハエの飛ぶ音が聞こえてきます。こんなところにもハエがいるんだなぁと感心していたら、ハエの飛ぶ音ではなくて、ドローンが飛ぶ音でした。天気が良すぎるのでドローンを飛ばして撮影していたのか、それとも7歳の子供が頂上に向かっていたので、それを撮影していたのか、もしその時の画像があったら見てみたいものです。もし息子を撮影した方が、このブログを読んでいたら、YouTubeか、どこかに公開してもらえないでしょうか?


3,027.JPG

3,029.JPG


 下山後、食事までに時間があったので、私たちは、眼下の槍沢カールを眺めながらおやつを食べることにしました。鍋奉行ならぬ、おやつ奉行の息子は、山小屋の前にあるテーブルに、ずらりとおやつを並べて、父親の分・母親の分・自分の分と分けて、おやつパーティーを開いたわけですが、母親がなかなかやってこないので、息子の奴は母親の分のおやつを全部食べちゃったうえに、私の分も半分ぐらい食べちゃいました。ミックスナッツ・チータラ・チーカマ四本・魚肉ソーセージ二本をペロリと平らげたのには呆れてしまった。その上、二時間後の夕食の時も残さず食べてしまった。すごい食欲です。


IMG_8716.JPG

IMG_8722.JPG


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング



posted by マネージャー at 21:12| Comment(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月14日

槍ヶ岳登山1 誤算

 毎年この時期になると、我が家では北アルプスに登山に行きます 。けれど新型コロナウイルスのせいで、その行事を諦めなければならなくなりました。新型コロナ対策として、クラスター感染を防ぐために、山小屋が、1/5ぐらいに定員数を減らし、完全予約制にしたからです。当然のことながら、紅葉が豊作である今年の山小屋はどこも満室です。 特に北アルプスの山小屋は絶対に宿泊することができません。これは平日でも同じです。年金暮らしの高齢者の登山家に休日も平日もありませんから。なので、今年は北アルプス行きを断念していました。

 ところが、台風がやってきた。
 どの山小屋もキャンセルが続出。
 絶対泊まれないと思っていた、 横尾山荘も槍岳山荘も空室が出た。

 そこで天気図を確認したら、十日間ぐらいずっと雨になると予想しているサイトばかりだった。もちろん逆の予想をしている天気サイトもあったのですが、 気象庁のサイトは最悪の天気予報を出している。

 実はここが重要です。

 高齢者の登山家たちは、気象庁のサイトばかり見て 、それを信じる人が多いのです。 特に今回の台風は、北に向かわずに南東に行くと言うおかしな台風だったので、みんな不安がるのも無理はない。そこがつけめだった。去年の台風19号の時もそうだったんですが、上高地で雨の予報が出ても、頂上に行けば晴れているということはよくあります。もちろん眼下は雲海ですが。

 あと、今回の台風は、とにかく進路が読みにくい異常な動きをしてるので、ひょっとしたら晴れるのではないかと言う自分なりの予測もありました。シベリア方面に大きな高気圧が張り出していたからです。なので日曜日に横尾山荘の予約。月曜日に槍岳山荘の予約を取りました。

 と言っても、我が家も宿屋です。
 土曜日には満室になっています。

 お客様のチェックアウトは10時ですから、それから出発しなければなりません。お客様の忘れ物がなければいいなーと思ったんですが、やはりありました忘れ物。大急ぎで電話をしたんですが、忘れ物をしたお客さんはなかなか出てくれません。 登録した電話番号でないために用心して出ないお客さんが多いんですよね。せめて留守電機能でもあれば、 伝言を残せるんですが、今回はそれもなし。仕方がないので、玄関のそばにある忘れ物ボックスに入れて出発しました。 もし電話がかかってきたら、 忘れ物ボックスにあるので、 勝手に持って帰って下さいと言うつもりでした。

3,001.JPG

 で、出発したのが10時ぴったり。高速道路をすっ飛ばして、沢渡駐車場に到着したのが12時30分。大急ぎでタクシーを拾って上高地に向かって、上高地のバスターミナルに着いたのが13時。そこから3時間かけて歩いて横尾山荘に到着したのが 16時でした。 18時に着けばラッキーだと思っていたので、順調そのものです。

3,002.JPG

3,003.JPG

3,004.JPG

3,005.JPG
 7歳になると連れて行ってもらう意識は無くなる。
 というのは地図が読めるようになるので、自分で位置を確認しないと気が済まない。
 なので、幼稚園時代に比べて面倒くさい作業(説明)が必要になる。



 天気もピーカンとまでいきませんでしたが、かなり良い天気。天気予報を見てみたら台風のやつは南の方に南下して熱帯低気圧になるといいます。私の予測が当たり、万々歳です。


3,012.JPG
 横尾山荘の部屋。
 新型コロナウイルスでも相部屋制度は健在。
 これでいいのか?
 私は、来年からテント泊を検討したい。

3,010.JPG
 客室は減らして、そこが公共スペースになっていた。

3,009.JPG

3,008.JPG

3,006.JPG
 小学生の息子は本を漁って読書。

3,007.JPG
 読んでる本は、登山関係のマンガだった。



 そして翌日。
 やはり晴天でした。
 喜び勇んで横尾山荘を出発したのは6時30分です。
 目標は槍ヶ岳 。

 初心者だと休憩を入れて、9時間くらいのコースタイムです。現に3年前に4歳になる息子を連れてこのコースを登った時にかかった時間は、9時間でした。6時に出発して、槍ヶ岳山荘に着いたのは15時頃でした。 今年は息子も7歳になったので、 少しばかり息子に期待していて、おやつと食料の一部とアミノウォーターを20 L ザックに入れて担がせていました。なので、3年前よりも、親が持つべき荷物が減って、かなり楽になっています。

 息子も、荷物を嫌がるかと思っていたんですが、 逆に荷物を持ちたかってしょうがない。理由は単純で、息子のザックには、普段食べられないような、おやつが大量に入っていて、おやつ係に任命されていたからです。

 まあそのうちザックの重さに音を上げて私が担ぐ事になるんだろうなーとは思っていたんですが、いざ歩き始めてみると、とんでもなかった。大人しく私の後ろを歩いていたのは、急登が始まる槍沢ロッジあたりまでで、それからあとは、私たち親子が息子の後ろを、延々と追いかけるばかり。 とにかく登山する速度が速い。

 幼稚園に通っている時は、私と息子は毎日のように山に登っていました。幼稚園をジャンジャン欠席して、山にばかり登るために担任の先生からよく怒られたものです。仕方がないので、幼稚園が終わってから、登山していました 。だから、息子の体力については完璧に把握していました。

 ところが小学校に通うようになってからは、そういうわけにはいかない。 幼稚園時代と同じように欠席するわけにはいかない。そんなことしたら児童相談所の職員が訪ねてくることになりかねない。だから、息子が小学校に入ってからは、山に登るのは私と嫁さんの二人。息子はあまり山に登ってないので、さぞかし体力が落ちてるだろうなと思っていたんですが、とんでもなかった。落ちてるどころか、ものすごい体力の持ち主になっていた。それが今回の槍ヶ岳登山で、身をもって体験することになってしまったのです。

 どうやら私は、ちょっと自惚れていたようです。小学校なんぞに行かせているうちに、息子の体力は落ちてるんじゃないかと勝手に想像していたわけですが、そうではなかった。小学校は小学校で、子供達の体力作りに貢献していたらしいのです。

 あと、通わせている空手教室やキックボクシング教室。そして小学校のスケート部の活動によって、知らず知らずのうちに息子の体力がアップしていたのかもしれません。とにかく、これは嬉しい誤算でした。


3,016.JPG

3,015.JPG

3,014.JPG


 もちろん悲しい誤算もあります。息子が早く行きすぎるので、登山しながら教えるつもりでいた、 上高地から槍ヶ岳に向かうあいだの植生や地質の講義ができなかったことです。この登山は、近い将来に息子に登山ガイド資格を取らせるための準備勉強のためでもあったからです。ある程度の登山経験がないと登山ガイド資格は取れませんから、そのための槍ヶ岳登山でもありました。

 結局、家族全員が槍ヶ岳山荘に到着したのは、12時30分。 横尾山荘から6時間で到着したことになります。途中休憩したり昼食をとっていますから、実質5時間ぐらいで登ったことになるわけですが、 この速度に私は驚いてしまった。というのも、このコースは、二十歳ぐらいの若者の団体を引き連れて何十回と通っているんですが、6時間で到着どころか、槍ヶ岳山荘に到着することもできていません。 大抵は、その手前の殺生ヒュッテで力尽きるか、前日に横尾山荘ではなくて槍沢ロッジまで行って、槍ヶ岳山荘に到着するかのどちらかです。

 そうしないと、必ずメンバーの中に高度障害(高山病のようなもの)が起きてしまう。楽しい登山が辛い登山になってしまう。症状としては爪の先が紫になったり、唇の端が青くなったりする。これがでると、早ければ数時間後。遅ければ翌朝に高度障害になる。山医者のいうところの、いわゆる『山酔い』である。酒が入ると、その可能性はもっと高くなる。

 だからその症状が出てないか休憩をとりながら、何気ない会話を交わしつつ慎重にひとりひとりを診断して、場合によっては登山計画を変えなければいけないこともある。それを放置したまま、無理やり山を登らせてしまうと、後で必ず後悔することになる。 メンバーが二度と山に登らなくなる。だから団体登山の時は、私がいつも先頭を歩いて、パーティーメンバーの体調を監視しながら山に登っていた。


3,013.JPG


 これも、私の体力はそこそこあったからできた技なんですが、今回はそういうわけにはいかなかった。息子が私を引き離して前進してしまうからである。私も今年で59歳。ただでさえ体力が落ちてる上に、息子の体力がパワーアップされていたために、もうそういうリーダー的な登山は出来なくなった。これも悲しい誤算です。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 23:37| Comment(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月14日

台風19号で被害をうけた嬬恋村 その3 北アルプス奥穂高から帰ってみて

 10月15日。いつもなら紅葉が終わっている時期なのに、
 2019年は、これからピークを迎える時期でした。

19-10-15-19.JPG

 この素晴らしい景色にうっとりしていると、携帯電話に電話がかかってきました。

「はい、北軽井沢ブルーベリーYGHです」
「嬬恋村がとんでもないことになってるとニュースで見まして・・」
「すいません。今、旅行で上高地にいまして」
「え?」
「ニュース見てないんで分からないんですが、とりあえず、うちの宿はなんともなかったので、旅行に出かけている最中なんです」

 さすがに北アルプスの奥穂高に登っている最中とは言えませんでした。
 辛うじて出た単語が「上高地」でした。

「おたくは何とも無かったんですか?」
「はい、うちの宿はなんともなかったです。御近所さんの避難場所になったくらいです。なので予定通りに旅行してます。ただ、村全体のことはよく分からないし、ニュースも見てないので、帰り次第、よく調べた上で、こちらから電話さし上げるめということで、よろしいですか?」
「はい、お願いいたします」
 
 こんな電話が何本かありましたが、宿屋がのんきに旅行していると聞いて安心したのか、相手はすぐに電話を切ってしまいます。そのうち電話もかかってこなくなりました。それにしても凄い紅葉です。2019年は、やたらと台風が多かったので、暖かい空気が日本列島に流れ込み続けた結果、紅葉が2週間くらい遅れているのかもしれません。

19-10-15-20.JPG

19-10-15-21.JPG

 十一時頃、涸沢ヒュッテに到着。
 残念ながら売店は閉まっていました。
 台風19号の猛威を考えて、早めに閉めてしまったらしい。
 それ以前に人間がいない。
 登山客がいない。

19-10-15-22.JPG

19-10-15-23.JPG

 この紅葉シーズンに人がいない。
 涸沢ヒュッテに登山客がいない。
 いったい、どうなっているのだろうか?
 と、首を傾げたものですが、その理由は後でわかります。
 台風19号の猛威によって、ほとんど全ての登山用観光バスが廃止になったらしい。
 つまり交通機関がストップしたとのこと。
 どーりで人がいないわけです。

19-10-15-24.JPG

19-10-15-25.JPG

19-10-15-26.JPG


 まあ、そんなことはどうでもいいとして、私たちは、十年に一回あるかどうかの紅葉の豊作に感動しつつもザイテングラード(岩尾根)を登りました。ザイテングラートとは、涸沢2600メートル付近から奥穂高(3190メートル)にのびるコースで、岩・ハシゴ・鎖場がある危険な尾根です。毎年、落石などで滑落死亡する人が絶えず、登山道なのに遭難する人も多いところで有名です。過去には息子と同じ小学一年生が亡くなっています。なので、慎重に慎重をきして登っていきました。

19-10-15-27.JPG

19-10-15-28.JPG

19-10-15-29.JPG

19-10-15-30.JPG

 三時間かけて穂高岳山荘に到着。
 ピークシーズンにもかかわらず穂高岳山荘の宿泊客は、たったの二十八名。
 例年なら三百名以上のお客さんでごった返している山小屋なのに。

19-10-15-31.JPG

19-10-15-32.JPG

19-10-15-33.JPG

19-10-15-34.JPG
写真をみてわかるとおり、ガラガラの食堂。

 ちなみに宿泊客の半分が外国人で、あとの半分が日本人。日本人は、みんな宿屋などの観光業者だったのには笑いました。みんな私と目的は同じで、長野県にお金を落とすためにやってきたと言う。隣の席に座っていた人は、新潟の宿屋だったし、知り合った人の中には、ゲストハウスのオーナー・旅館のオーナーなどもいました。彼らは、ガラガラの山小屋を支援しよう! と、珈琲やビールを何杯もお代わりしていました。私は酒を控えている身なので、そこには参加しませんでしたが。

19-10-15-35.JPG

19-10-15-38.JPG

 夜、外にでてみると満天の星空。
 しばし、親子で星をみとれていました。

19-10-15-40.JPG

 そして翌日。
 御来光を仰ぎました。

19-10-16-01.JPG

19-10-16-02.JPG

 そして、山小屋の朝食。
 朴葉味噌がでました。

19-10-16-03.JPG

19-10-16-04.JPG

 私たち関東の人間からすると、涸沢・穂高連峰というのは、長野県のイメージがあるのですが、穂高の山小屋は、岐阜県なんですよね。天気予報も岐阜県だし、山小屋の料理も岐阜県。だから朝食に朴葉味噌がでたりする。昔、この山小屋に泊まったとき、山小屋からイメージビデオをプレゼントしてもらい郵送してもらったんですが、その時の宛先は岐阜県でした。私には、北アルプスイコール長野県というイメージがあるんですが、文化圏・天気予報は岐阜県でしたね。

19-10-16-05.JPG

 それはさておき、朝食後に下山開始。本当は、奥穂高・前穂高と縦走し、吊り尾根を経由して岳沢ヒュッテに泊まる予定だったのですが、テレビ局が、嬬恋村のニュースを流したらしく、御客様から携帯電話に台風19号の被害についての問い合わせが、かかってくるので、あと一泊する予定を切り上げて、早々に下山することにしました。

19-10-16-06.JPG

19-10-16-07.JPG

19-10-16-08.JPG

 山で一番事故が起きるのが下山の時です。
 細心の注意を払いながら下山を開始しました。
 一日で下山し、嬬恋村に帰らなければ。
 そして、嬬恋村における台風19号の被害を調べなければ・・・・。

19-10-16-09.JPG

19-10-16-10.JPG

19-10-16-11.JPG

 涸沢への下山。
 やはり紅葉は美しいですね。
 惚れ惚れします。
 これだから涸沢からの山登りはやめられない。
 この紅葉なら縦走を断念する価値は十分にある。

19-10-16-12.JPG

19-10-16-13.JPG

19-10-16-14.JPG

19-10-16-15.JPG

 浅間山のカラ松・四阿山のダケカンバ・白根山のナナカマドも美しいのですが、それとは違う美しさが涸沢にあります。
 あと、北アルプスの山容がいい。
 あの山容にナナカマドの紅葉の取り合わせが良い。

19-10-16-16.JPG

19-10-16-17.JPG

19-10-16-18.JPG

19-10-16-19.JPG

 これらの紅葉に後ろ髪を引かれるように下山しなければならないというのが残念。

19-10-16-20.JPG

19-10-16-21.JPG

19-10-16-22.JPG

 徳沢園でソフトクリームを食べる。最高に美味しい。
 息子は真っ黒に日焼けしていました。
 学校に登校したら先生に突っ込まれるかもしれない。

19-10-16-23.JPG

19-10-16-24.JPG

 結局、16時に上高地バスターミナルに到着。
 タクシーで沢渡駐車場に向かい、夜遅く嬬恋村に到着しました。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 13:56| Comment(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月13日

台風19号で被害をうけた嬬恋村 その2 台風19号直後に上高地に行ってみた

 結果として群馬県は、嬬恋村を除いて台風の被害は、ほとんど無かったのに、軽井沢を含む長野県の被害は酷かった。私は、台風直後に六歳の息子を含む家族で北アルプスの奥穂高に登っているのですが、その時に高速道路からみた長野県の平野部分の大半は水没していました。(嬬恋村以外の)群馬県の被害が大きくなかったので、余計に長野県の悲惨な状況に対してショックを受けました。

 それでも予定通りに家族で北アルプスの奥穂高に登ったのには理由があります。こういう時に一斉に旅行を控えると、観光業を含む地元産業が大打撃をうけるからです。なので少しでも長野県にお金をおとすべく、台風直後の北アルプスに向かい、現地の宿に泊まり、奮発してタクシーを使って上高地に向かいました。ちなみに息子が通う小学校は、休校中です。

19-10-15-01.JPG
沢渡駐車場のそばの宿・温泉付宿なのに素泊まり3000円・外人しか泊まってなかった

19-10-15-03.JPG
すばらしい温泉を独占

19-10-15-04.JPG
タクシーに乗る。お金を落とすのも目的だが、
タクシーからの現地情報を得るのも目的
で、上高地付近の安全を確かめる。



 台風の影響を全く受けなかったにもかかわらず、上高地はガラガラ。
 日本人がいない。
 いるのは外人ばかり。
 日本人は、ほとんど旅行を控えているようだ。
 下手したら日本人は、私たちだけかもしれない・・・。


19-10-15-05.JPG
上高地バスターミナルに日本人がいない

19-10-15-06.JPG
カッパ橋が、まさかの無人

19-10-15-07.JPG
登山道も無人。
注目すべきは梓川の水量。
台風19号直後なのに、いつもより水量が少ない。
タクシーで聞いた情報の裏付けがとれた。
これで安心して登山できると確信する。

19-10-15-08.JPG
上高地から60分。明神が無人。

19-10-15-09.JPG
上高地から2時間。徳沢園にテントは、ほとんどない。
というか人がいない。

19-10-15-10.JPG
人のいない道をひたすら歩き続ける。
やはり梓川の水量は、いつもより少ない。

19-10-15-11.JPG
横尾山荘前。
いつもは、人でごった返しているのに人がいない。
テントがない。
台風19号で人間のいない登山道を涸沢方面に前進。

19-10-15-12.JPG
すると素晴らしい景色が見え始める。

19-10-15-13.JPG

なんと、ナナカマドの紅葉がピークだった。
10月15日。
いつもなら紅葉が終わっている時期なのに、
2019年は、これからピークを迎える時期だった。
「これはすごい!」
「この景色を独占できるのか?」
驚いた私たちは、写真を撮りまくりました。
ナナカマドは、大豊作でした。

19-10-15-17.JPG

19-10-15-14.JPG

19-10-15-15.JPG

19-10-15-16.JPG

19-10-15-18.JPG

19-10-15-19.JPG

 この素晴らしい景色にうっとりしていると、携帯電話に電話がかかってきました。

「はい、北軽井沢ブルーベリーYGHです」
「嬬恋村がとんでもないことになってるとニュースで見まして・・」
「・・・」

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 10:09| Comment(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月18日

嫁を上高地に置いて、一人で北アルプスに登ってきた8

嫁を上高地に置いて、一人で北アルプスに登ってきた8

12-10-9-027.JPG

 穂高から下山して、上高地で嫁さんと合流した。日程では、あと2泊できる。このまま帰っても良いのだが、嘉門次小屋に泊まって安曇族の話を聞いたり、先代の嘉門次さんのことや、上高地の歴史を聞くという選択肢もあった。なにしろ上高地は、もともと神川内(かみこうち)と言われていたところである。上高地ではなく、神川内(かみこうち)なのだ。明神神社の宮司さんにも会いたいし、舟の山車も見たかった。なので、嫁さんに嘉門次小屋のことを聞いてみた。

「すごく良かったよ」
「そうか!」
「囲炉裏のそばで、いい感じで酔っぱらっている人がいたんで『どこから来たんですか?』と聞いたら、『四代目の嘉門次です』と言われてしまった」
「ハハハハ、無知は怖いなあ。いや、怖いもの知らずというやつか」
「でも歌を歌ったりして、嘉門次さんは嬉しそうだったよ。何も仕事せずにひたすら酒を飲んでいたしね」
「え? 仕事しないの?」
「うん、囲炉裏で御客さんと世間話しているだけ」
「仕事はどうしているの?」
「従業員が、7人いる」
「なるほど」
「で、御客さんが7人しかいなかった」
「それなら酒が飲めるな」
「でも、満室でも酒を飲んでいるらしい。嘉門次さんの仕事は、囲炉裏で酒を飲むことらしい。で、時たま従業員を一人一人呼びつけて、酒を振る舞うのが嘉門次さんの仕事なのだそうだ」
「ということは、従業員さんは酒を飲みながら仕事をしているの? すごい山小屋だな」

 私は、ますます嘉門次小屋に泊まりたくなった。
 いや、泊まるつもりになっていた。


12-10-12-15.JPG


「そうそう、五千尺ホテルのせがれさんも来ていて、嘉門次さんと一緒に酒を飲んでいた」
「え?」

 その瞬間、泊まる気まんまんだった私の気が萎えた。

12-10-12-16.JPG

 五千尺ホテルというのは、上高地のナンバーワンほてるです。六本木における六本木ヒルズみたいなものです。当然のことながら財産もあり地方財閥として長野県に強力な影響力ももっている。しかし、このホテルには黒い闇があった。そのために権力で上高地の歴史を抹殺し、塗り替えようとしている。

 しかし、それに待ったをかけたのが、元営林署の職員であった上条武氏であった。彼は、平成8年(1996年)に446ページにのぼる自費出版で驚愕すべき内容の本を出した。しかも大半のページが、第一級史料の紹介の写真によるであり、その真実を疑いようのないものであった。

 もともと五千尺ホテルは、井口良一という画家が建設したものであったが、ある2人によって騙し取られ、しかも、騙し取った本人も、従業員に騙し取られて裁判まで起こしている事実があった。それを資料を紹介しながら淡々と述べている本が、上条武氏が自費出版した本である。

 当然のことながら裁判になった。本は圧力でもって事実上、長野県で発売できなくなっている。そもそも、その本も東京の小規模出版社で自費出版せざるをえなかった本である。五千尺ホテルという上高地の巨大権力に対して一人の老人が、なけなしの貯金をくずしながら孤軍奮闘してきた姿勢には感動さえおぼえる。





上高地 (1) [単行本]
上条 武 (著)
単行本: 466ページ
出版社: 独木書房 (1996/05)
ISBN-10: 4900697516
ISBN-13: 978-4900697515
発売日: 1996/05


 さらに上条武氏は、第2段として、上高地の歴史や自然に関する定説の過ちを徹底的に論証して見せた。それが上高地 (3)である。これによると、環境省のビジーターセンターは、間違いだらけの上高地解説を長年やってきたことになる。その原因は、環境省はまともに自然と歴史を調べてなかったことにある。


12-10-9-025.JPG


 しかし、資料は営林署にたくさんあったのだ。良くも悪くも営林署こそが、戦前から国立公園を保護してきたのだから。環境省が営林署に調べに行けば、各種の届けの記録などは簡単に調べられるし、自然のことも教えてもらえたはずだ。そこには、第一次資料があったのだから。しかし、環境省は、営林署を敵扱いしたのか、そういうことはせずに、郷土史家や五千尺ホテルなどの地元民の証言だけを信じた。そのために歴史が改ざんされたというのである。
 上条武氏は、その改ざんを写真や出版物や公的資料(登記簿など)や、ウエストンの日記などによって一つ一つ間違いを正していった。その作業は厖大なものであり、頭が下がるの一言である。


上条武氏の著書


上高地 (3)
単行本: 373ページ
出版社: 独木書房 (1997/04)
ISBN-10: 4900697834
ISBN-13: 978-4900697836
発売日: 1997/04


12-10-12-14.JPG


 しかし、その改ざんは、訂正されつつある。
 上条武氏の大金を投じての自費出版のおかげである。

 常日頃から上条武氏に感謝している私は、急に嘉門次小屋に泊まりたくなくなって、北軽井沢ブルーベリーYGHに帰ることにした。今にして思えば、ちょっと惜しいことをしたなと思っている。五千尺ホテルのオーナーの息子に会っとけばよかったと思ったが、あとの祭りであった。いつか五千尺ホテルにも泊まってみたいと思う。



つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング







posted by マネージャー at 23:27| Comment(2) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月17日

嫁を上高地に置いて、一人で北アルプスに登ってきた7

嫁を上高地に置いて、一人で北アルプスに登ってきた7

12-10-9-014.JPG

 昔、全国の友人たち30名くらいで、毎年のように、お盆に北アルプス縦走をやっていました。そして上高地で解散して、全国に散っていったわけですが、いつも何人かの人間が、日程にゆとりがあったりして、清里でテントを張ったり、長野県のユースホステルに泊まったりしました。

 20年ほど前、北アルプス縦走の帰りに安曇野ユースホステルに私を含む数人が泊まりました。当然のことながらユースホステルで食事をしたんですが、こっちは団体なので、一人旅の御客さんに気をつかって、あちこちに声をかけていたんです。
 で、たまたま私が声をかけた人が、凄い人だった。
 55日の最短期間で百名山全てを登ろうとしている人だった。

12-10-9-018.JPG

 これがどんなに凄いかというと、百名山の中には、3日かけないと登れない山があったりする。もちろん悪天候でも登れない。なのに55日で百名山を全部登ろうとしている人を発見したので、感動した私は、御客さん全員に紹介した。

 もちろん他の御客様も大感動。
 今まで、誰とも会話しなかった、その人は時の人となった。
 そして彼は、いきなり饒舌に話しを始めた。
 
 で、私は後悔した。
 失敗したなと思った。
 
 55日で百名山を全部登ろうするのは確かに凄いことなんだけれど、その自慢を聞きたいわけでは無い。仲良く世間話をしたかっただけだった。けれど、それによって安曇野ユースホステルが、私の好む雰囲気ではなくなってきたので、私は、みんなから離れた。
 
 で、一人になって安曇野ユースホステルに置いてあった郷土資料を読み始めた。
 暇つぶしであったが、読み始めて愕然とした。
 安曇族について書いてあったからである。
 
12-10-12-03.JPG

 安曇族は、九州は志賀島(博多)を本拠としている海の一族で、後漢の光武帝から授かった「漢倭奴國王」と彫られた金印が出土した地が安曇族の本拠地である。早い話が奴国こそが、安曇族。彼らは日本海沿いに北上し、ついに安曇野(大町から松本までの地域)に来たらしい。しかも、その一族は、穂高に海を祭る神社を作ったという。
 
 その末裔が海野氏。
 つまり真田一族なのである。
 
 なんと壮大な話であろうか!と感動し、私は貪るように安曇野ユースホステルにあった郷土資料を読みあさった。そして、小一時間もたったころ、私のところにM子さんがやってきた。

「何を読んでるんですか?」
「安曇野にやってきた古代人の話しなんだ」
「どういう話なんですか?」
「あれ? みんなと百名山の話をしなくていいの?」
「いや、ちょっと、耐えきれなくて。実は・・・・・・・・・」
「ああ、そうういうことか」
「それより古代人の話を教えてください」
「そうそう、槍ヶ岳の帰りに明神池によって、神社をみたよね」
「はい」
「あの神社は、海の神様を祭る神社で、九州からやってきた古代人が建てたものらしい」
「山なのに海の神様ですか?」
「そうなんだ」

12-10-9-006.JPG

 実は私は、スポーツのように短時間で山に登って、それを競うことにはあまり興味が持てない。もちろん、やろうと思えばできなくはない。現に、毎日のように2時間で浅間山に登っているし、時間があれば、そのあとに2つくらいの山は登ってしまう。
 けれど、本当は、山の中腹で2時間も3時間も昼寝をして楽しみたい口である。でなれけば、地質や植生を調べたり、藪をこいで新ルートを発見するのが私の趣味でもある。しかし、一番の趣味は、郷土資料に、はてしないロマンを感じ、歴史を学んでは感動し、奥の院を調べたりのフィールドワークするほうが、もっと楽しい。
 
「そう思うんだよね」
「いいですね」
「じゃあ、いつか一緒に、そして仲間たちと一緒に明神池の本体と安曇族の正体を解明しよう」
「はい」

 20年前に、こんな約束をした。
 
 しかし、この約束を私は、いつのまにか忘れてしまっていた。今は2児の母親になったM子さんも忘れてしまっていると思う。しかし、今回、久ふりに思い出してしまった。今、私は、インターネットを使って心の旅を続けている。安曇野ユースホステルには、まだ、あの郷土資料は置いてあるのだろうか?
 

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 21:39| Comment(5) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月16日

嫁を上高地に置いて、一人で北アルプスに登ってきた6

 さて、嫁はどうしたのかというと、嘉門次小屋に予約を入れて置いてきた。
 これが嘉門次小屋である。
 イワナを囲炉裏で焼いてくれる、おすすめの宿である。
 ちなみに上高地で一番安い宿でもあり、一泊二食で7350円。

12-10-12-14.JPG

12-10-12-15.JPG

12-10-12-16.JPG

 嘉門次とは、北アルプスの有名なガイドである。明神池に小屋を建て、猟をして生活をしていた。ウェストン夫妻を北アルプスへ案内したことで有名である。明神池に建てた小屋は、のちに嘉門次小屋と呼ばれることになり、それが現代まで続いている。ちなみに現代の嘉門次は、4代目であり、酒に酔うと歌など歌ってみせる。

12-10-12-07.JPG

12-10-12-06.JPG

 さて、明神池であるが、ここには海の神様がまつられている。
 実は、長野県には、海の神様を祭る一族がいる。
 安曇族である。
 本家は、九州の志賀島でうるらしい。
 
12-10-12-05.JPG

12-10-12-04.JPG

 古事記・日本書紀などに登場する安曇族は、製鉄をなりわいとしていた。で、製鉄に必要な水銀を求めて山中をさまよい、ついに明神池にたどりついたという。その時、巨大な山に圧倒されて、稲穂のように高い山。つまり穂高と名付けた。
 
 ちなみに明神池の穂高神社の祭神は、志賀海神社と同じである。中殿に穂高見命、左殿に綿津見命など海神を祀っている。さらに祭になると大きな船形の山車が登場する。そして、そのお祭りは、私たちが入山した日にあったのである。
 
12-10-12-03.JPG

12-10-12-02.JPG

 歴史好きな私は、このお祭りが見たかったのだが、それをふりきって山に登ってしまった。
 で、かわりに嫁さんに見てもらったのだが、あまり興味はなかったみたいだ。
 以下、嫁さんが写した写真である。

12-10-12-10.JPG

12-10-12-11.JPG

12-10-12-12.JPG

12-10-12-08.JPG

12-10-12-09.JPG


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 23:25| Comment(6) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月15日

嫁を上高地に置いて、一人で北アルプスに登ってきた5

嫁を上高地に置いて、一人で北アルプスに登ってきた4

12-10-9-008.JPG

 翌朝、御来光を見たあとに、迷った。
 予定では、穂高岳・北穂高岳に登るつもりだった。
 そのつもりで朝食はとってない。
 
 しかし、嫁を上高地に置いてきたのが気がかりになっていた。私の友人は、みんな高齢出産で帝王切開をしている。順調だったのに胎盤がはがれかかって生死をかけたりしている。帝王切開で早産だと母乳が出なくて苦労していたりする。そういう事例をたくさん知っているので、あんまり待たせると、さんざん上高地を歩き回って体調をくずさないか心配になる。なにしろ紅葉が素晴らしすぎるから。
 
 それに涸沢の紅葉が良すぎるのも迷った理由である。縦走は、いつでもできる。しかし、この紅葉は、今後、滅多に見ることが出来ないかもしれない。そうなると、もう一度、あの素晴らしい紅葉を見ておきたい気もしてきた。登りは、涸沢ヒュッテから穂高山荘までの紅葉をみてきた。となると下りで、穂高山荘から涸沢小屋までの紅葉をみてみたくなる。
 
 迷いに迷ったあげく、下山を決意した。
 紅葉に負けてしまった。
 縦走よりも、紅葉に走ってしまった。
 団子より花に走ってしまった。

12-10-9-009.JPG

12-10-9-010.JPG

12-10-9-011.JPG

12-10-9-012.JPG

 涸沢小屋までのルートは、涸沢ヒュッテまでのルートより、はるかに紅葉が美しかった。
 当たりルートであった。
 
12-10-9-013.JPG

12-10-9-014.JPG

12-10-9-015.JPG

 これが涸沢小屋である。
 評判の良い小屋ではないが、ロケーションは涸沢ヒュッテよりも素晴らしい。

12-10-9-016.JPG

12-10-9-017.JPG

12-10-9-018.JPG

 その後、涸沢ヒュッテでラーメンを食べた。
 これが朝食である。
 穂高山荘のラーメンより美味しく感じてないので塩分がたりているなと実感した。
 ここで、知らない山ガールたちが私の方に挨拶をしている。
 私に女性の知り合いがいるはずはないと思って、後ろを振り向いたら壁しか無かった。
「あれ? 俺なの?」
 聞いたら、昨日、山小屋で一緒に星をみていた人らしい。
 大勢いたんで、こっちは誰なのかわからない。
 全く、目立ったことはするものではない。
 今後は、地味に下山しようと心に誓って、下山していたら途中で
「佐藤さんですか?」
 と別の山ガールに声をかけられた。
 今度は、名指しだったので後ろを振り向かなかった。
「え? 誰?」
「九州のHアです」
「えええええええええええええええええええええええええええ、なんでこんなところに?」
 と言っても、それはお互い様であった。
 彼女は、北穂に行くと言っていた。

12-10-9-019.JPG

 氷壁の宿徳沢園。

12-10-9-020.JPG

 明神岳。
 昔は、穂高といっていた。
 稲の穂のように高いという意味である。
 奥に、奥穂高ができると、明神(神の山)という名前に変えたが、
 本当は、この山が穂高なのである。

12-10-9-021.JPG

 明神館。
 明神とは、神様のやどる場所という意味。
 今でこそ、上高地が入口になっているが、昔は、明神が北アルプスの入口であった。
 そして、横尾が開発され、最後に上高地が開発されている。
 上高地は、一番最近になって開けたところなのである。

12-10-9-022.JPG

 営林署の看板。
 ちなみに国立公園を長いこと保護してきたのは、営林署(旧厚生省)である。
 このことを環境省は、決して言わないけれど、長いこと自然を守ってきたのは営林署だったりする。

12-10-9-023.JPG

 これは環境省のビジターセンター。

12-10-9-025.JPG

 環境省は、自然を守ると言うより、自然教育に重点をおいている。
 自然を熟知しているのは、むしろ営林署の方だったりする。
 なので、このようなビジターセンターで教えている情報は間違いも多かったようで、
 何度も営林署の職員が訂正をもとめていたりする。
 その象徴がカッパ橋と小梨平かもしれない。

12-10-9-026.JPG

12-10-9-024.JPG

12-10-9-027.JPG

12-10-9-028.JPG

 これは大正池。

12-10-9-029.JPG

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 23:59| Comment(11) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月14日

嫁を上高地に置いて、一人で北アルプスに登ってきた4

嫁を上高地に置いて、一人で北アルプスに登ってきた4

12-10-8-029.JPG

日没後、私は星をながめた。
悔しいけれど、穂高からみた星空は、北軽井沢の星空よりよくみえる。
夏の大三角、秋の四角形がくっきりと見えた。
北斗七星だけは、涸沢岳の陰に隠れてみえなかったが。

12-10-8-030.JPG


すると暗闇の中で「こんちわ」と私に声をかけてくる人がいる。
食事のときに同じテーブルにいた人である。

「一杯(酒)やりませんか?」
「いやー飲めないんです」

本当は飲みたいのだが、しばらく岩場で星をみる予定なので、酒は飲まないことにしている。危ないからだ。

「それにしても今夜は星が綺麗ですね」
「あっ、本当だ!」

私は、得意の星の解説をしはじめた。すると、人が、わんさか集まってきた。気がついたら二十人くらいにかこまれている。山屋さんたちは、好奇心が強いのである。このへんは、ユースホステルのホステラーさんたちと、何ら変わりが無い。その人混みの中から、途中まで同行していた少年と再会した。高校を中退して、山登りをしている少年である。

「おう、また会ったな。今日は、穂高山荘に泊まり?」
「はい」

彼とは、1時間ほど一緒に歩いて涸沢ヒュッテで分かれた。お互いに一人だったので、気が合ったのもある。けれど、きっかけは少年が山に無知だったので、多少の常識を教えてあげたのがきっかけとなって1時間ほど一緒に登ることになった。

 最初、少年は、なぜ山で挨拶をするんだ?と怒っていた。
 挨拶がめんどくさいと思っていたのだ。
 これでは怪我をするなと思った私は、信じられないことに、少年に余計なお節介をした。

「君は、山を登るときに足下をみているね」
「ええ」
「そんな時、上から人が、音も無くやってきたら危ないだろ?」
「はい」
「だから山では、2つのルールがある。挨拶をして、人がいることを知らせて相手に危険を察知させる。もう一つは、上をみてない登りの人を優先させる。命にかかわる登山では、この2つは重要なんだよ。とくに岩場の挨拶はね」
「なるほど」
「それに大声での挨拶は、思わぬ得もある」
「どんな?」
「山で知り合いと出会えるんだよ」

 実際、去年も一昨年も、そして今年も、挨拶することによって知り合いと出会う私であった。それは、ともかく、この少年に、星の見方を教えたら、興味をもったらしく、私が寝たあとにも、さかんに星をながめていた。天文の勉強をしようかな?と呟いていた。

12-10-9-001.JPG

 翌朝、朝食はとらなかった。
 5時半の御来光をみるためである。
 そのかいあって、絶景をおがめた。

12-10-9-002.JPG

12-10-9-003.JPG

12-10-9-004.JPG

12-10-9-005.JPG

12-10-9-006.JPG

12-10-9-007.JPG

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 22:44| Comment(2) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月13日

嫁を上高地に置いて、一人で北アルプスに登ってきた3

嫁を上高地に置いて、一人で北アルプスに登ってきた3

12-10-8-021.JPG

11時に山小屋に到着し、チェックインをすませたあとにラーメンを注文した。
妙に美味しかったのは、体内に塩分が不足しているためである。
だから私は、山小屋に着いたらラーメンを注文する。
そして、塩分を補給しつつ、自分の体調を知るのだ。
もしラーメンが美味しすぎたら、危険信号。
塩分が不足している可能性がある。
登山に、塩分不足は、非常に危険であるから、ラーメンはかかせない。

12-10-8-022.JPG

また、異常に寒気を感じていたらカロリー不足である。特に糖分が不足している可能性が高い。空気が少ないところで、糖分が不足していたら脳が危険なので、チョコレートをほおばる。すると体が温かくなる。着込むよりも、よほど体温があがってくる。

12-10-8-023.JPG

で、おちついたら館内を散策し、トイレの数・非常口を確認する。

12-10-8-024.JPG

12-10-8-025.JPG

12-10-8-026.JPG

そのさい、できるだけ山小屋のスタッフに愛想良く挨拶をする。
そして仲良くなって、情報を聞き出すのだ。
もちろん、お土産も持って行った。
ちなみに、ここの山小屋のスタッフは、とても愛想が良い。
どうしてかな?
と思っていたら、混み合ってくると、御客さんの中からアルバイトを急募して、スタッフの数を揃えてしのぐらしい。全く、すごい山小屋であるが、このへんはユースホステルも似たようなものなので、人のことはいえない。山小屋も、ユースホステルと同じで、スタッフと御客さんの垣根が低いのだ。それが証拠に連泊すると二千円も安くなる。

「さっき滑落者がいましたけれど、最近、こういう事故が多いんですか?」
「多いみたいですね、さっきの場合は、山小屋のそばだったから、大勢の人が、すぐに助けに行けましたけれど、人気の少ないところだと命取りですね」
「私の友人は、笛を吹いて救援をよんで、死なずにすみました」
「それは、素晴らしい。最近は、救難用の笛をもってる人も少なくなりましたからね」
「まあ、今は携帯がありますからね」
「それが、その携帯が問題なんですよ」
「え?」
「ソフトバンクを持って登山する人が増えているんです」
「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ?」

 北アルプスでソフトバンクは通じない。
 いや、全国、どの山でも通じないのではないのではないか?
 
 登山家は、ドコモの一択しかない。まあ、AUという手も無いことも無いが、たいていの山小屋では、アンテナは1本しかたたない。ドコモは、3本たつ。ソフトバンクは壊滅的に通じない。だからドコモの一択なのだ。
 どんなにドコモに不満があったとしても、ドコモを選択するしか無いのが現状なのである。これは、少しでも山をかじっている人間の常識である。
 最近は、便利な登山雑誌が発行されるようになり、全国の山小屋の携帯電波状況を掲載されるようになってきたが、それを読んでも、ドコモが圧倒的に強い。
 まれにAUが強いところも無くはないが、ソフトバンクが強いところはゼロ。いや、ソフトバンクの場合は、電波が届いてるのさえ奇跡に近い。だから、ソフトバンクの携帯を持って登山しても意味は無いのである。
 
「トイレをみたんですが、大便器は3つしかないですよね。今日は、三百人くらい泊まっているみたいですが、混み合いませんか?」
「混みますね。でも、混むときは、こういう裏技があります」
「え?」
「テント宿泊用有料トイレを使うんです。あとこには便器が5つあるうえに、これだけ寒いとテントを張る人は少ないですから、あそこはガラガラです。おまけに宿泊者たちは、館内のトイレを使います。外に出てまでトイレに行く人は滅多にいません」
「なーるほど!」

 山小屋スタッフさんには、いつも有意義な情報をいただけるので、彼らとの会話は、本当に楽しい。
 
 夕食は5時からだった。
 御飯は3杯。
 味噌汁は2杯おかわりした。

12-10-8-027.JPG

 食堂で驚いたことは、一人旅が少ないことである。
 みんな団体様ばかりである。
 ガイド会社のツアーも目立っている。
 山ガールたちも多い。

 しかし、ホステラーのはしくれである私は、同じテーブルのみなさんと、おおいに会話を盛り上げて、さっさと去って行った。みんなを盛り上げておけば、みんなは楽しく会話しながら、ゆっくり御飯を食べる。その隙に私は、5時半の日没の写真を撮りに一番良いポイントを確保できるのだ。

「あれ? もう食べちゃったの?」
「まだ十分くらいしかたってないんでないの?」
「早飯なんですよ」
「早飯って、てんこ盛り3杯、おかわりして、おひつの交換までしていたでしょ!」
「あれ? そうだっけ? とにかく失礼しますね」

 とにかく私は、夕日を撮りたいのである。
 みんなは、酒でもりあがってくれ!

12-10-8-028.JPG

 ちなみに、この日は、素晴らしい日没であった。

12-10-8-029.JPG

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 23:15| Comment(5) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月12日

嫁を上高地に置いて、一人で北アルプスに登ってきた2

嫁を上高地に置いて、一人で北アルプスに登ってきた2

12-10-8-001.JPG

 翌日、朝6時に、明神館に嫁さんを残して、涸沢方面へ出発。
 途中、明神岳の朝焼けをみながら前進。
 これは屏風岩。

12-10-8-002.JPG

 ロッククライマーが憧れる岩場である。
 今日は、チャレンジしている人はいなかった。

12-10-8-003.JPG

 登っていく毎に、紅葉の美しさが目立ってくる。

12-10-8-004.JPG

12-10-8-005.JPG

 9時頃に涸沢に到着。ここまでは順調であったが、ここから先は、遅々として進めなかった。あまりに紅葉が美しすぎて、それをカメラで写すのに忙しすぎて前進できないのである。毎年、この時期に北アルプス縦走にきているのだが、ここ十年で一番紅葉が綺麗なのである。もっとも、それは私に限ったことでは無く、ハイカーの大半が、登山を中断して、あちこち写真を撮っていた。今回は、その美しい涸沢の紅葉を紹介したい。

12-10-8-006.JPG

12-10-8-007.JPG

12-10-8-008.JPG

12-10-8-009.JPG

12-10-8-010.JPG

12-10-8-011.JPG

12-10-8-012.JPG

12-10-8-013.JPG

眼下に涸沢ヒュッテ

12-10-8-014.JPG

12-10-8-015.JPG

12-10-8-016.JPG

12-10-8-017.JPG

12-10-8-018.JPG

11時頃、穂高山荘に到着。

12-10-8-019.JPG

ここで事件がおきた。
私の目の前で登山者が滑落したのだ。
もちろん県警のヘリが救援にやってきて、搬送する。

12-10-8-020.JPG

山をなめてはいけない。
こんなにも美しい涸沢だけれど、決して油断してはいけないのだ。
ちなみに、この1日前にも滑落事故があったが、
深夜の10時になっても下山し続けていたのが原因である。
信じられない非常識である。
滑落するに決まっているではないか!


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 22:16| Comment(6) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月11日

嫁を上高地に置いて、一人で北アルプスに登ってきた1

嫁(妊婦)を上高地に置いて、一人で北アルプスに登ってきた1

12-10-8-01.JPG

 私は、毎年、10月連休後に、北アルプスに登って北アルプスの現状を調査し、最近の山情報を仕入れています。なぜ10月連休後かと言いますと、一年で最も晴天率の高い日だからです。10月10日の体育の日は、一年を通して晴れの多い時期とされ、10月10日にオリンピックの開会式が行われたのも、この時期の気候が考慮されてのことです。

 それから、なぜ定期的に北アルプスの調査を行うようになったかと言いますと、私が持っている山の情報が古くなりすぎているからです。だから北アルプスにいってきてヒアリングしてこないといけない。

 10月8日の連休最終日。御客様を全員送り出して、大急ぎで部屋掃除をし、荷造りをし、準備完了したのが昼の11時。水をとめ、火の元をとめ、出発したのが13時頃です。ここから上高地の入口である沢渡まで、車で3時間のコースです。もう何度も行っているので、道は全て記憶している。16時頃には沢渡に到着。ここからシャトルバス(1200円)に乗るのが一般的なのですが、私たちは、登山情報のヒアリングが目的なので、タクシーに乗ります。タクシーは、4000円もしますから交通費はかかりますが、それにみあう情報が得られるので、私たちは必ずタクシーを使います。今回も、貴重な情報が得られました。

「今年は、混んでますか?」
「紅葉が良いですからねえ」
「困ったなあ、宿はとれないかなあ」
「御客さん、予約してないんですか?」
「山小屋なら、なんとかなると思って」
「最近は、高いホテルを避けて山小屋に泊まる一般客の人が増えましたから、明神・徳沢あたりの小屋でも油断ならないですよ」
「ここなら泊まれるという宿はありますか?」
「アルプス山荘かなあ」
「アルプス山荘? 聞いたことが無いなあ」
「旅館山小屋組合に入ってない宿なので、どこにも広告が載ってないんです。値段も上高地のホテルの中で一番安いです。しかも必ず開いている。誰も知らないから」
「場所はどこ?」
「バスターミナルの目の前です。ちょっとよってみましょうか」

 てな具合で、タクシーには貴重な情報が転がっています。結局、希望の宿に泊まれましたからアルプス山荘には泊まりませんでしたが、こういう情報はありがたい。タクシーを下車した私たちは、真っ先に観光案内所に直行。宿を確保するためです。しかし、気むずかしそうな外国人相手に、てんやわんやしている。案内所で宿を手配してもらうと、案内所が手配料をもらうことになっているのだが、外人には、それが納得できないらしい。

「だったら自分で探せよ!」

と言いたくなる。後ろに、私などの人間がつかえているのだから。日没まで、あと1時間しかない。宿(山小屋)の確保は緊急なのだ。しかし、融通のきかない外国人はねばる。

「しかたない、直接、俺たちが宿に電話しよう」

 今回、私たちが泊まりたい宿は、明神池の嘉門次小屋である。でなければ、明神池の「ひだのや」「明神館」のどれかである。まず、嘉門次小屋に電話したら、男一人しか泊まれないという。仕方が無いので、明神館に電話して、やっと部屋を確保した。相部屋一泊二食で8400円だった。
 
 で、外人さんの方は、どうなったかというと、案内所が折れて手配料はとってなかった。そのかわり電話で

「外人さんは、手配料ということを理解しないので、そちらの方で、手配料と宿代の両方を請求してください」
 
 と、ちゃっかり宿側に手配料込みの価格をとるように指導していた。
 まあ、当然と言えば当然のことだと思う。
 逆に、私たちは、このトラブルのおかげで、
 直接、宿に電話することになり、手配料を支払わなくてすんだ。
 で、案内所の人は、不機嫌になったかな?と思いきや、ニコニコしている。
 変だな?と思ったら山屋さんだった。
 私の姿をみて同類がやってきたと思ったらしく、世間話がはずんだ。
 
 こうなってくると、こっちのものである。
 さっそくヒヤリングを開始した。
 
「今年の涸沢は、どんなかんじですか?」
「人だらけだよ」
「へえ」
「ひところ登山人口が減ったと言われていたけれど、戻ってきたね」
「山ガールですか?」
「それもあるけれど、写真だね」
「写真?」
「中高年の写真マニアが紅葉をねらってきている」
「テント場は混んでますか?」
「もう、ぎっしり」
「えええええええええええええええええええええええええええええええええ?」
「昔なら、1テントに5人くらいで寝たものだけれど、今は、一人一テント!」
「一人一テント? テントも個室時代なんですか?」
「そう、テントも個室時代。10人のパーティーがやってきて、10テントを張る。昔なら2テントだったのに」
「アハハハハ、漫画みたいですね」
 
 観光案内所のヒアリングは大成功であった。
 有意義な情報を大量に仕入れて明神池の明神館に向かいました。

12-10-8-02.JPG

 17時30分。明神館に到着。
 まずマネージャーに挨拶して部屋に案内してもらった。
 ここは、従業員よりも、マネージャーの方が愛想が良い。

12-10-8-03.JPG

 部屋は、ユースホステルを思わせる二段ベットであったが、マネージャーの心遣いで個室で使わせてくれた。とても気の良いマネージャーであった。

12-10-8-04.JPG  

12-10-8-05.JPG

12-10-8-06.JPG

山ガールコンテストもやっていた。

12-10-8-07.JPG

食事もなかなかである。

12-10-8-08.JPG

12-10-8-09.JPG

12-10-8-10.JPG

12-10-8-11.JPG

食事の時は、ユースホステルのようにミーティングも行っていた。
歴史について、山について、宗教について、たっぷり1時間は解説してくれたとおもう。

12-10-8-12.JPG

で、私の席の隣に、例の外人さん夫婦がいた。
まさか、この外人さんたちと、次の日も一緒の山小屋に泊まるとは、この時は想像もしてなかった。
しかし、事実は小説より奇なりである。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年10月10日

今年も2泊3日で、北アルプスに登ってきました

今年も2泊3日で、北アルプスに登ってきました。

驚いたことに、今年も、知り合いとバッタリニアミスしたことです。
九州のH崎さんと、涸沢で会ってしまったのには笑いました。

ちなみに今年の涸沢の紅葉は大豊作。
ここ10年で最高に美しい紅葉であったと段下出来ます。
あとで、その美しい紅葉風景をアップしたいと思います。

私が、毎年、北アルプスに遠征している理由は、
最近の登山状況をリサーチするためですが、
驚いたことに今年は、登山者が増えています。
それも若い女性が増えている。
もちろんガイド会社の団体様も多い。

今回は、3つ山小屋の御主人と、観光協会などの窓口などで、いろいろな情報を仕入れてきました。いずれ、ここに書こうかと思っています。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 22:30| Comment(2) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月20日

2011年 通風男の北アルプス縦走記6(最終回)

2011年 通風男の北アルプス縦走記6(最終回)

私が、奥穂高山荘で、重大なミスをして、下山したことは前に述べました。
今年は例年より早く南岳小屋が閉まっていたことに気がついてなかったのです。
となると槍ヶ岳肩の小屋まで10時間の歩行になる。
17時20分日没の10月の気象での大キレットは、危険きわまりない。
おまけに稜線は強風。
で、涸沢岳で下山を決断。
かわりに、涸沢からパノラマ経由で帰ることにしました。
コースタイムは、1時間増えますが、このコースの展望は、北アルプスで一番素晴らしい。
大キレットも、槍ヶ岳も見えるコースなのです。
で、見えてきました。槍ヶ岳が!
大キレットもよく見えます。

11-10-9-5-21.JPG


 槍ヶ岳。
 こんなに尖っている山は、他にありません。
 だから槍ヶ岳という名前なのですが、
 昔、山岳会の若手だった頃は、先輩に氷河によって造られたと習ってました。
 実際、どの登山の本にも、そのように書いてあります。


11-10-9-5-22.JPG


 しかし、今では、否定されています。
 このへんは、2004年に噴火した浅間山麓の住人として、
 槍ヶ岳の地質には、興味津々だったりします。

 実は、槍ヶ岳の穂先は東に傾いています。
 もし槍ヶ岳が、氷河が削ってできたなら、このような非対称にはなりません。


11-10-9-5-23.JPG

11-10-9-5-24.JPG


 それに疑問を感じた信州大学の原山智氏は、槍ヶ岳の柱状節理に注目しました。
 本当なら垂直なはずの柱状節理が東に傾いているのです。
 つまり、地層自体が東に傾いたのです。



柱状節理が東に傾いている
11-10-9-5-25.JPG


 で、調べてみると槍ヶ岳の地下にマグマが入って槍ヶ岳を隆起させていることが分かりました。本来は、槍ヶ岳と、その西側にある笠ヶ岳は、同じ地質なのですが、槍ヶ岳の西側に地下から花崗岩が入ってきて、槍ヶ岳の西側の基盤を押し上げてしまった。そのために西側の方が高くなって、槍ヶ岳は東に傾いてしまったのです。その切れ端が、槍ヶ岳の穂先ということです。つまり、槍の穂先の原形は少なくとも数十万年前にはできており、二万年くらい前の、氷河期の氷河による浸食でできたものではないとのこと。


11-10-9-5-26.JPG


 難しい話は、これで終わりにして、
 下山途中に見知らぬ美人が、
 私の方に声をかけてきた。
 きっと、私の後ろの人に声をかけたのだろうと、
 後ろをふりむいたら、そこには岩しかなかった。


11-10-9-5-27.JPG


「え? 俺? で、あなた誰?」

と思っていたら、昔、北軽井沢ブルーベリーYGHでヘルパーをやっていたニュージーランド娘だった。


xx009.JPG


「あれ? どうしてここに? 沖縄じゃなかったの?」


11-10-9-5-28.JPG


どうやら山が恋しくなって、従兄弟と、お母さんと、涸沢の紅葉をみにきたらしい。
それにしても、偶然というのは恐ろしい。
もし、下山を決意してなかったら、
もし、パノラマ新道を選択してなかったら
彼女には会えなかった。


11-10-9-5-29.JPG

さらに下山。
ナイロンザイル事件の碑。
氷壁のモデルになった、ナイロンザイルの事件は、
この近くの明神岳でおこりました。
合掌。

11-10-9-5-31.JPG

11-10-9-5-32.JPG

11-10-9-5-33.JPG

11-10-9-5-30.JPG




11-10-9-5-34.JPG


徳沢園。
ユースホステルだった時期もありました。
氷壁の宿です。

11-10-9-5-35.JPG

11-10-9-5-36.JPG


明神岳。

11-10-9-5-37.JPG

11-10-9-5-38.JPG

11-10-9-5-39.JPG


上高地のカッパ橋です。
芥川龍之介の「河童」の舞台です。
遠くに見える山は、奥穂高。
昨日の今頃は、あの山のてっぺんにいました。

11-10-9-5-40.JPG


これです。

11-10-9-5-41.JPG

これは、ジャンダルム。
雷鳥がいた岩です。

11-10-9-5-42.JPG


大正池。

11-10-9-5-43.JPG


この後、物足りなくなった私たちは、翌日、四阿山と根古岳を縦走しました。
その記録は、すでにアップしてあります。


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 22:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月18日

2011年 通風男の北アルプス縦走記5

2011年 通風男の北アルプス縦走記5

11-10-11-61.JPG


私が、奥穂高山荘で、重大なミスをしてしまったことは、前にも述べました。
当初の計画では、

上高地−奥穂高−奥穂高山荘泊−涸沢岳−北穂−南岳山荘泊−槍ヶ岳

の予定でした。しかし、南岳山荘はクローズしているとのことを聞いて愕然。
南岳小屋が閉まっているとしたら、大キレットを含めて
槍ヶ岳小屋まで10時間の距離を歩くことになる。
これは、ちょっと難しい。10月は日没が早い。

それに稜線歩きは、上り下りと違ってコースタイムを縮めにくい。
朝、6時半に出たとして、休憩なしで、16時半になる。
しかし日没が、17時20分。
南岳に泊まれない場合、槍ヶ岳までの縦走は、かなり危険をともなう。
槍ヶ岳に行くか?
行かないで下山するか?
悩んだあげく、槍ヶ岳を目指すことにし、まずは北穂まで行くことにしました。


11-10-11-68.JPG


しかし、ここで不安材料がでてきた。
稜線の風が強いのです。
強風になると、岩登りに危険がつきまとう。
で、槍ヶ岳までは、岩の連続。しかも10時間という長丁場。
とりあえず、涸沢岳まで登るには登ったのですが、風はますます強くなってくる。


11-10-11-69.JPG


で、同行の嫁さんの顔をみてみた。
唇が紫になっている。
爪の元の部分が紫になっている。
そして質問してみた。

「山小屋の食事は美味しかった?」
「うん」
「甘いものや、酸っぱいものが、必要以上に味覚を感じることはなかった?」
「うん」

 こいつはヤバイ。
 栄養を完全にとりきれてない。
 知らないうちにダイエット体勢に陥っている。
 そのために、あきらかに免疫力が低下している。

 ダイエットすると免疫力が低下して風邪をききやすくなりますが、これはタンパク質やビタミン不足が原因です。私たち場合は、ダイエットではなく登山なのですが、登山にも同じような症状になることがあります。実は、その予兆は、山小屋で休んでいるときに現れてきていました。ふだんより神経が過敏になって、食事が必要以上に美味しかったり、夕日や朝日が必要以上に美しく見えたりしていたのですね。また、臭いにも敏感になっており、寒さや風にもすぐはんのうし、ハウスダストなどにも敏感になります。

 実は、こういう経験は、登山いがいでも体験したことがあります。三十年くらい前に、麦粥などの粗食で1週間くらい座禅修行したことがあったのですが、その時も、同じような感じになったことがありました。何に対しても敏感になってくるのです。

 山岳会の先輩(医師)は、タンパク質の不足による免疫力の低下で、まれにそういう状態になると教えてくれたことがある。免疫力が低下すると、ふだんなら反応しないことにも、体が反応してしまうのだそうです。免疫力は、イコールタンパク質でもあるので、登山によって疲労が大きくなると、体が敏感になるのですね。

 逆に言うと、それを逆手にとって、宗教家たちは、登山などの業によって、何かをつかみとるのでしょうが、私は、宗教家でも何でもない年寄りなので、この免疫力低下は、深刻な問題です。夫婦で強風の中を三千メートルの稜線を十時間歩けるかというと、ちょっと自信がなくなってきた。

「仕方ない下山しよう」

という訳で、涸沢岳まで登ったところで下山する決意。
もう無謀な登山ができる年齢でもないし、
嫁さんも一緒だし安全な登山をしなければならないんだと自分に言い聞かせて下山開始。


11-10-9-5-01.JPG

11-10-9-5-02.JPG


決断してからの下山は、早かった。
稜線を下ると、強風は、ばったりやみ、
嫁さんの唇の紫色は、徐々に解消していった。


11-10-9-5-03.JPG

11-10-9-5-04.JPG


標高をさげていくと、空気が濃くなっていくのが分かる。
昨日は、一日で3100メートルまで登り、
今日は、一日で3100メートルを下るのです。
体が酸素の量に敏感になっている。


11-10-9-5-05.JPG

11-10-9-5-06.JPG


相変わらず、涸沢は美しい。
何回きても美しい。
穂高連峰は、火砕流。つまり溶結凝灰岩でできているので浸食されやすい。
そのために氷河の餌食となって、涸沢といった巨大カールができたわけです。

逆に槍ヶ岳や、剱岳は、山が堅くて浸食されにくい。
氷河にやられにくいのです。


11-10-9-5-07.JPG

11-10-9-5-08.JPG

11-10-9-5-09.JPG

11-10-9-5-10.JPG


涸沢ヒュッテに到着。
北アルプス有数の山小屋です。
★★★★★の山小屋です。
ここで、ひとまず休憩。
朝日を浴びながらコーヒーをすすりました。
おもえば最高の贅沢だったかもしれません。


11-10-9-5-11.JPG

11-10-9-5-12.JPG

11-10-9-5-13.JPG

11-10-9-5-14.JPG


嫁さんとコーヒーを飲み終えて、下山することにしました。
ルートは、パノラマ新道です。
本当は、横尾経由で涸沢を降りるのが一般的なのですが、
今回は、槍ヶ岳に未練を残しての下山だったので、
槍ヶ岳を望めるパノラマ新道経由で、上高地に向かいました。


11-10-9-5-15.JPG


北穂高が見えています。
頂上には、山小屋(北穂山荘)が見えます。


11-10-9-5-16.JPG


眼下には、横尾に向かう本谷が。


11-10-9-5-17.JPG


で、見えてきました。槍ヶ岳が!
大キレットもよく見えます。


11-10-9-5-18.JPG


本谷から槍ヶ岳の様子がよく見えます。
パノラマ新道を歩くこと、30分くらいのところです。


11-10-9-5-19.JPG


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング<
/FONT>




posted by マネージャー at 01:55| Comment(7) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月17日

2011年 通風男の北アルプス縦走記4

2011年 通風男の北アルプス縦走記4


11-10-11-47.JPG

14時頃、奥穂高山荘に到着。
10月の山は、日照時間が短いので、
最低16時には山小屋に到着してないとまずいです。
なにしろ日没が、17時20分。
夕食開始が、17時ですから、16時では遅いくらいです。
ですから14時チェックインは、決して早すぎるわけではありません。

11-10-11-51.JPG

料金は、こんな感じです。
値段は決して安くはありません。
そのかわり館内の設備は豪華です。

11-10-11-52.JPG

これは、室内。
相部屋(ドミトリー)です。
連休時は、1つの布団に4人で寝たそうです。
今回は、連休が終わっていたので、一人一つの布団を使えました。

11-10-11-53.JPG

これは暖炉。
山小屋の心意気を感じます。
なぜならば、暖炉の薪は、ヘリコプターで運ぶしかないからです。
当然のことながら、石油ストーブより、おかねがかかります。

11-10-11-54.JPG

これは、土間のロビー。

山小屋を利用する人たちの中は、テントの人もいます。そういう人たちが、ストーブのある暖かいところで食事をするのですが、その場所が、ここです。私も若い頃は、テント一筋でした。ですから、この土間には大変おせわになっています。

11-10-11-55.JPG


食事です。
かなり良い線をいっています。
これで1700円は安いですね。

ところで山小屋でくつろいでいると、必ず寒気がおそってきます。
これは、実際に寒いのではなく、エネルギーの使いすぎで糖分が足りてないのが原因です。
だから食事の時に大食いすれば、たいてい寒気は収まります。

もし、収まらなければ、高度障害の可能性があるので、イブプロフェインを飲めば寒気はおさまります。山小屋のボランティア医師たちも、よくイブプロフェインを処方します。イブプロフェインは、薬局で簡単に買えます。ちなみに、このような寒気を放置すると、睡眠が困難になるので気をつけなければなりません。

11-10-11-56.JPG


デザート。
こういうデザートがでるのは、日本中の山小屋で、奥穂高山荘だけです。
疲労回復に、クエン酸の多い生フルーツを出すなんて、
「やるな、おぬし」
という感じですね。こういう点は、北軽井沢ブルーベリーYGHでも見習いたい。
うちの場合は生フルーツ以外に、梅干しなんかあってもよいかなと思いましたね。

11-10-11-57.JPG


前にも言いましたけれど、奥穂高山荘の宿主は、若女将です。

http://www.hotakadakesanso.com/

今田重太郎さんの御子孫にあたる今田恵さんです。
 ↓
http://www.yamakei-online.com/job/koyaban_01-1.php

今回、お会いして、すごく優しそうな人だと思いました。
山小屋も、ところどころに女性ならではの視点が感じられました。
たとえば、トイレが北アルプスで一番きれいだったり、
便座が暖かかったりしています。
このへんは男性視点では、ないですね。
女性視点の山小屋ならではです。




談話室&図書館。
この部屋だけが、妙に暖かいんです。
これも良い考えです。
なかには寒がりの人もいますからね。
そして、ここからの夕日が最高に美しい。

11-10-11-58.JPG


夜は、曇っていたのと満月なので、星はそうそうにあきらめて睡眠につきました。
同室に非常識な親子が、大声で会話したり、携帯で話していたりしましたが、
山小屋の寝室では、携帯の使用は禁止されています。
電車と一緒です。
(もちろん室内にも、そういう張り紙がしてある)
こんなことも分からない非常識な人間は、どこにでもいるんですね。
山小屋のせいではありませんが、非常に不愉快になりました。

逆に言うと、こういう可能性は、北軽井沢ブルーベリーYGHにもあるわけで、
私は、心を鬼にして、非常識な御客さんに注意をしなければならないと思っています。

これは、知り合いのユースホステルのマネージャーから聞いたのですが、
深夜まで酒盛りして、他の御客さんに迷惑をかけた人がいて、
どうにもならなくなって、酒をとりあげたユースホステルもあったとのこと。
私も、深夜(26時)にギターひいてた御客さんからギターをとりあげたことがあります。





まあ、そんなことは、どうでもいいんですが、ここで重大なミスに気がついてしまった。
明日、向かう予定だった槍ヶ岳の途中にある南岳小屋がクローズしているというのだ。

こいつには、参った!

去年は、10月末までやっていた南岳小屋が、今年はもう閉めている。
ああ、失敗した!
南岳小屋が閉まっているとしたら、大キレットを含めて
槍ヶ岳小屋まで10時間の距離を歩くことになる。
これは、ちょっと難しい。
なぜならば、10月は日没が早いからです。
それに稜線歩きは、上り下りと違ってコースタイムを縮めにくい。
朝、6時半に出たとして、休憩なしで、16時半になる。
食事や休憩を入れると、18時までかかる。
しかし日没が、17時20分。
南岳に泊まれない場合、槍ヶ岳までの縦走は、かなり危険をともなうのだ。

だ、断念するしかないのか?

11-10-11-59.JPG


翌朝5時。
さすがに奥穂高山荘の御来光は、感動します。

11-10-11-60.JPG

もう言葉も出ません。

11-10-11-61.JPG

小屋に写った朝日の反射が、すてきすぎました。
写真に撮ったんですが、うーん。

11-10-11-62.JPG

こういう御来光は、写真よりも、実物の方がいいんですよ。
被写体によっては写真の方が、美しい例もありますが、
山の景色の大半は、実物の方が美しい。

11-10-11-63.JPG

御来光のあとは、5時45分からはじまる朝食。

11-10-11-66.JPG

11-10-11-67.JPG

なんと、ほうば味噌がでました。
生卵と一緒に、ほう葉味噌を入れて食べると最高に美味しい。


DSCF31081.jpg

11-10-11-68.JPG


槍ヶ岳に行くか?
行かないで下山するか?
悩んだあげく、北穂まで行くことにしました。
で、出発してみたら、その景色の美しさに感動。

11-10-11-69.JPG

11-10-11-70.JPG

つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 09:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月16日

2011年 通風男の北アルプス縦走記3

2011年 通風男の北アルプス縦走記3


11-10-11-31.JPG


 紀美子平に到着。
 時間があれば、ここから前穂に登るのですが、今回はパス。
 西穂縦走、または槍ヶ岳縦走の体力温存のために、そのまま奥穂高にむかいました。


11-10-11-32.JPG


 奥穂高は、槍ヶ岳とならんで、登山者の人気ナンバーワンの山です。理由は、日本で三番目に高い山であることと、その周りに名山が連なり、眼下に北アルプスで一番美しい涸沢があるからです。上高地のカッパ橋から見える美しい山が、奥穂高と言えば、みなさんも
「ああ、あれか!」
と納得されると思います。

 実際、この山は魅力に満ちています。
 ジャンダルムをはじめとして、ノコギリのようなギザギザの稜線(ナイフリッジ)や
 切り立った岩が至るところにあって、登山家にとってあこがれの山になっています。


11-10-11-33.JPG


 そもそもどうして、このような魅力的な山ができたかと言いますと、一七六万年前に、大噴火によって、深さ三千メートルという巨大なカルデラが生じたためです。穂高は、それを埋めるように堆積した火砕流の堆積物(溶結凝灰岩)で、厚さは千五百メートル以上に達しました。それが百万年くらい前にはじまった北アルプスの隆起活動によりゆっくりと持ち上げられ、浸食により削られて、このような山になったのです。


11-10-11-34.JPG


 重太郎新道から吊り尾根。
 このルートは、見た目より危険であることは、前回のべました。
 岩が逆層になっていて、手のホールドもききにくい。
 よく見と、どの岩にも柱状節理がよく発達しています。
 それが凍結によって、どんどん破壊されてしまい、
 それが浮き石となって危険な状況になっているのです。


 北穂高から大キレットなどは、その典型なのですが、吊り尾根も負けず劣らず危険な岩場を構成しています。それにもかかわらず、登山者が無事に歩行できているのは、穂高に生涯をささげた今田重太郎のおかげです。北アルプスで一番の急登・重太郎新道ができたのは、昭和26年でした。それから多くの登山者が、このルートを利用しています。


11-10-11-35.JPG


 さて、この重太郎新道ですが、すごい難所と思いきや、案外なんともなかった。アミノバイタルとビタミンと糖分の補給さえ、しっかりしていれば、意外に楽に登れることがはっきりしました。むしろ涸沢まわりで奥穂高に行くより足に負担がないかもしれません。体力がある人ならコースタイムを大幅に縮められる可能性もあります。

 ただし、体力がない人には、地獄のコースになることは間違いないです。一気に1500メートル登ってしまうのですから、初心者は避けた方がいいです。しかし、基礎体力のあるベテランハイカーならば、歩数が少ない分、足を痛めにくいこのコースがおすすめです。というのも、なだらかな涸沢まわりより1万歩すくなくてすむからです。コースタイムは、同じくらいですから、歩数が多くてもなだらかな方がいいか、歩数を少なくして急登が良いか、それは、各人の体調次第になります。


 今回、重太郎新道から吊り尾根を歩いてみて思ったことは、重太郎新道は、一般的に言われているよりキツく感じなかったということですね。しかし、楽なはずの吊り尾根は、そうではなかった。空気が薄いために、3割ほど体力が落ちてしまった感じだった。ちょうど、富士山の8合目あたりを歩いてる感じで空気が薄すぎるんです。

 こういう時は、アミノバイタルでは駄目で、チョコレート。それもアーモンドチョコかスニッカーズがパワーを発揮します。なぜアーモンドチョコかと言いますと、アーモンドにビタミンEなどの自然栄養が含まれているのと、糖分の補給を円滑にするためです。ちなみにビタミンEは活性酸素による体細胞や血管の酸化を防ぐ抗酸化作用がある為に登山家には、重要な食物です。昔から山岳会では、アーモンドなどのナッツ類は、山に欠かせない重要な食物でした。

11-10-11-36.JPG


 吊り尾根を半分も進むと、涸沢が見えてきます。
 昔は、
「このカールは氷河が造った」
 と教えられたものですが、最近の学説では否定されつつあります。
 たかだか2万年前の氷河で、こんなになりはしないというのです。

 穂高は、山全体がマグマでできた柱状節理のかたまりなので、
 その凍結崩落と浸食の繰り返しが、100万年単位でおきた結果だといわれています。


11-10-11-39.JPG


 まあ、そう言われてみれば、そんな気がしてきます。
 2万年前の氷河くらいでは、こんなにはなりはしないと。


11-10-11-37.JPG

11-10-11-38.JPG


 奥穂高に近づいてくると、槍ヶ岳が見えてきました。
 さすがに、かっこいい!
 しびれます。惚れます。


11-10-11-40.JPG


 さっきまで、西穂縦走をする気まんまんだったのに
 槍ヶ岳をみてしまうと、槍ヶ岳に行きたくなる。
 槍ヶ岳には、そういう魅力があります。


11-10-11-41.JPG


 しかし、そう思ってた矢先に、奥穂高に到着しました。
 日本で3番目に高い山に到着です。


11-10-11-42.JPG

11-10-11-43.JPG


 いいですね、奥穂高は!
 ジャンダルムも、すぐそばに見えています。
 雷鳥も人をおそれずに、近くを歩いていました。


11-10-11-44.JPG


 ここで、ビバークして、西穂も考えたのですが、
 槍と大キレットが脳裏から離れませんでした。
 というか、奥穂高山荘が気になる。
 宿屋の悲しいサガですね。
 どうしても、奥穂高山荘が気になってしまう。

 重太郎新道を造った重太郎さんが建てた宿である奥穂高山荘。
 そして、山小屋では珍しい二十代の若女将(おかみ)のいる奥穂高山荘。
 やっぱ、ビバークと西穂はやめて、奥穂高山荘にいくべ!
 宿屋の本能が騒ぐのでした。


11-10-11-45.JPG


 というわけで、奥穂高山荘に向かって出発。
 噂の奥穂高山荘は、どんなところなんだろうか?


11-10-11-46.JPG


 奥穂高山荘は、奥穂高から三十分くらい下山したところにありました。
 14時頃に到着です。
 私は奥穂高山荘に、過去に3回泊まったことがありますが、
 その時は、テント泊だったので、よくわかりませんでした。
 はたして、どんな宿なんでしょうか?


11-10-11-47.JPG


つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング<
/FONT>




posted by マネージャー at 19:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月15日

2011年 通風男の北アルプス縦走記2

2011年 通風男の北アルプス縦走記2

 10月10日の連休最終日。御客様を全員送り出して、大急ぎで出発したのが、14時。4年連続で上高地から北アルプスを縦走しているので、上高地のある松本市の中心部までの最短ルート(抜け道)は、完璧にマスターしている。北軽井沢ブルーベリーYGHからなら2時間もかからない。

 ルートは、こうです。

 144号線を使って鳥居峠を経由して上田市を18号バイパスを使って、県道65号線に入る。平井寺トンネル有料道路を使って245号線に出て、三才山トンネル有料道路・松本トンネル有料道路を使って、松本市内に入ります。このルートだと、早ければ1時間30分。遅くても2時間で松本市内に到着できます。そこから上高地の入口・沢渡までなら40分くらいです。

 しかし、すぐに上高地には、入りません。
 国道19号と、国道158号の交差点にあるスーパー銭湯『瑞祥』に立ち寄ります。

http://www4.ocn.ne.jp/~zuisyo/matsumoto.html
瑞祥 松本館
〒390-0841 長野県松本市渚1丁目7番1号なぎさらいふサイト内
TEL 0263-29-2686
FAX 0263-29-2641


mtop2.jpg


 ここは、アルピニスト(登山家)御用達のスーパー銭湯であり、下駄箱にザック置き場があったりします。駐車場も広いし、隣に、スーパー(ツルヤ)・本屋(蔦谷)・電気屋・スターバックス・レストラン・飲み屋もあります。しかも、このスーパー銭湯のレベルが高い。風呂の種類が多いうえに、食事もボリュームがあって、休憩室も広く、24時までオープンしています。2階の休憩室では、仮眠をとることもできますし、貸切部屋(有料)もあります。 登山客のなかには、貸切部屋でパッキングしている人もいます。

 私たちは、ここで、仕事の疲れをとって、隣のスーパーツルヤで食料を調達しました。
 もちろん今回も大量のサプリメントを購入しました。 

 具体的に言うと、
 アミノバイタルゼリーを1日に一人あたり4個。
 アミノバイタルウォーターを1日に一人あたり3本。
 ミネラルビタミン剤を1日必要量の2倍。
 これを飲食しながら15s装備の北アルプス縦走をする予定です。


img_02554.jpg


 実は去年、アミノ酸を合計18000ミリグラムもの大量に補給し、各種のサプリメントも携行し、倍のビタミン&ミネラルを補給することによって、疲労を極端に押さえる実験を行なっています。実験は、大成功でした。1日で上高地から北穂高、または槍ヶ岳に登っても全く平気でした。五十肩にもかかわらず、6時間半で北穂から槍ヶ岳にも行くことができました。全くアミノバイタルプロの力はすごいものがあります。

 アミノ酸を合計18000ミリグラムもの大量にとって大丈夫か?と思われるかもしれませんが、成人男性の蛋白質の一日必要量は、体重1kgあたり1.5gのタンパク質が必要だと言われています。私は90sなので、135グラムのタンパク質が必要なのですが、アミノバイタルをジャンジャン飲んでも一日20グラム以下にしかなりません。山小屋の食事に高タンパクなものを期待できるわけもなく、そんな調子で縦走を続けていても、タコの共食いのように自分の筋肉を食いながら歩くようになります。

 つまりアミノ酸が足りなくなると、自分の筋肉を分解することによって補充されるため、アミノ酸を十分にとらないと筋肉が逆に萎縮してしまうことがあるのです。その結果、足が痛くなって歩行速度が遅くなるのですね。また、免疫の正体はタンパク質であるから当然免疫機能が落ちます。また、活性酸素に対抗して老化を防ぐ役目を負ったタンパク質も作れなくなって当然老化も早まります。だからこそアミノバイタルなのです。

 そして、ここが大切なのですが、アミノバイタルプロのゼリータイプには、クエン酸1200mg。つまり梅干し4個分のクエン酸が入っているのですね。サッカーの長友選手は、試合前に大量の梅干でクエン酸を摂取していますが、酸っぱいものが苦手な私には、できない相談。私はレモンも梅干しも苦手ですから、梅干し4個分のクエン酸が入っているアミノバイタルプロは、頼もしい味方です。あと、クエン酸は、痛風にも効くので、通風もちの人間には、とてもありがたい存在です。


 話がそれました。

 上高地の入り口。
 沢渡手前にある道の駅『風穴の里』に辿り着いたのが20時頃。
 ここで車の中で朝まで仮眠をとりました。

http://www.ktr.mlit.go.jp/honkyoku/road/eki/station/nagano_fuuketsu/index.html
(道の駅『風穴の里』)


 そして翌朝、4時に起床。
 4時30分に沢渡駐車場に車をとめて、
 タクシーに乗って上高地バスターミナルに到着したのが5時30分。
 実は、これより早く上高地に入ることはできません。
 夜間は、釜トンネルが封鎖されてしまうからです。

 釜トンネルがオープンするのが、朝の5時です。
 それ以上、早く、上高地に入るのは物理的に不可能なのですね。
 だから、4時30分に沢渡駐車場に到着するのがベストなんです。

 4時30分に沢渡駐車場に到着すれば、かならず上高地一番乗りを狙っている人がいます
から、タクシーの相乗りができます。4人で相乗りをすれば、バスより安くなりますし、
タクシーの運転手から紅葉の情報なんかを聞き出すことも可能です。

 タクシーに乗って上高地バスターミナルに到着したのが5時40分。
 トイレをすまし、登山届をだし、保険手続きを行い、天気予報を確認。
 出発したのが朝6時30分でした。
 そして、その5分後に河童橋に到着。
 ここは、上高地の象徴でもあります。

11-10-11-01.JPG


 三千メートルの偉容を誇る西穂高岳、奥穂高岳、前穂高岳、明神岳、焼岳が見えます。河童橋の名の由来は、昔ここに河童がすみそうな深い淵があったためだと言われています。芥川龍之介が1927年(昭和2年)に総合雑誌『改造』誌上に発表した小説である「河童」は、この河童橋が舞台となっています。


11-10-11-02.JPG


河童橋から少し木道を歩くと、奥穂高に登る登山道につきます。
河童橋から奥穂高までの標高差は、約1500メートル。
ちなみに日本で3番目に高い山です。
当然のことながら、空気も薄くて必ず高度障害にかかります。


11-10-11-03.JPG

11-10-11-04.JPG

11-10-11-05.JPG


登山道は、丸太をふんだんに使って整備されていました。
あれ?
変だな?
こんなに上高地の木を伐採して登山道を整備して良いのかな?
と、思っていたら、こんな場面に遭遇しました。


11-10-11-07.JPG


おそらく雪崩が原因でしょう。
山の樹という樹がなぎ倒されている。
その樹を使って登山道を整備したのかもしれません。
おかげで、登りやすい登山道になっていました。


11-10-11-08.JPG

11-10-11-09.JPG


2時間ほど急登を登ると、岳沢小屋に到着。
この小屋は、数年前に雪崩で壊滅し、
営業を中止していたのを、槍ヶ岳肩の小屋のオーナーが、
権利を買い取って今年再建スタートをきっています。


11-10-11-10.JPG


ここでトイレ休憩をかねて食事をとりました。
そして、30分後に出発。
ここからが地獄の三丁目。
北アルプスで最もしんどいと言われている重太郎新道です。
垂直なハシゴを登るような登山道ですからね。


11-10-11-11.JPG


しかし、この重太郎新道も、アミノバイタル作戦のおかげで全く疲れなかった。
意外にスイスイ登ってしまった。
正直言ってきつくもなんともなかった。


11-10-11-12.JPG


それより、景色が美しかった。
素晴らしい展望にウットリしてしまって、
疲れる暇もなかったです。
もう、幸せ一杯でしたよ。
やはり、山は良いですね。


11-10-11-13.JPG

11-10-11-14.JPG

11-10-11-15.JPG


登山の疲れというものは、のりで大きく変わりますね。
景色が良いと、全く疲れない。
北アルプス一シンドイ重太郎新道でも全く疲れない。
逆に雨だと、高尾山でもシンドイです。


11-10-11-16.JPG

11-10-11-17.JPG


11-10-11-19.JPG


あと、関係ないですが、このルートは、見た目より危険ですね。
岩が逆層になっている。
濡れていたら滑りやすいし、手のホールドもききにくい。



11-10-11-18.JPG


現に、こういう注意があったりする。


11-10-11-24.JPG


よくみると、岩にも彫った跡がある。
滑らないように、足場を彫ってある。


11-10-11-23.JPG


つまり見かけより危険な山なのです。
雨天時。降雪期には命がけになるルートです。
しかし、この日は、最高の晴天にめぐまれていました。


11-10-11-20.JPG

11-10-11-21.JPG

11-10-11-22.JPG




つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング






posted by マネージャー at 03:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年10月14日

2011年 通風男の北アルプス縦走記1

痛風に苦しむ男が、北アルプス縦走(重太郎新道)をしてみた1

 私は、毎年、10月連休後に、北アルプスに登って北アルプスの現状を調査し、最近の山情報を仕入れています。なぜ10月連休後かと言いますと、一年で最も晴天率の高い日だからです。10月10日の体育の日は、一年を通して晴れの多い時期とされ、10月10日にオリンピックの開会式が行われたのも、この時期の気候が考慮されてのことです。

kara-04.JPG

 それから、なぜ定期的に北アルプスの調査を行うようになったかと言いますと、私が持っている山の情報が古くなりすぎているんですね。ザックにしても、ウエアにしても、すごく古くなっている。だから北アルプスにいってきてヒアリングしてこないといけない。たとえば、去年の調査でわかったことは、みんなユニクロのダウンを着ていたことだった。

 正直言いまして、私は、ユニクロのダウンを小馬鹿にしていました。
 まず、デザインがダサイ。
 いかにも丈夫ではなさそう。
 倒れたら破けそう。
 そうなったら初雪が降るかもしれない山では致命傷になる。
 なより薄くて寒そう。
 やはりダウンならノースフェイスだろう。
 というわけで、私は、ノースフェイスのダウンしか着たことがない。
 しかし、去年、北アルプスに行ってみたら、みんなユニクロのダウンを着ているわけです。

「寒くないですか?」

 と聞いてみるんですが、みんな「これで十分だよ」と言う。私は、半信半疑なんですが、あまりにもユニクロのダウンを着ている人が多いので、自分でも買ってみて試してみたら、これがかなり防寒性能がよい。風を通さない。しかも軽くてかさばらない。使い方によってよっては、ノースフェイスのダウンより便利なのです。デザインがダサイのさえのぞけばですが。

 あと、嫁さんにも買わせて使わせてみたら、嫁さんは女性ならでは意見としてフリースより「軽くて肩がこらない」とのこと。機能重視の山屋としては、これ以上便利なものはないとのこと。最初は、夫婦で小馬鹿にしていたユニクロのダウンが、ノースフェイスのダウンより便利なことがわかってしまった。これは、北アルプスに行って、多くの登山者のギアの調子をヒアリングしてこないと、わからないことなんです。





 それから山ガールファッション。
 これも告白します。
 私は、内心、小馬鹿にしていました。

 4年前、最初、山ガールファッションをみたときは、珍しくてジロジロみていました。そして、心の中で危ないだろうと呟いていましたが、もう今では、若い女性の9割は、山ガールファッションになっていて、オールドファッションの方が少数派になっている。

 で、山ガールファッションは、単なる流行をとおりこえて、かなり実用的になっているのです。防寒も完璧になっているし、機動性も高いし、医学面の効果さえとりいれている。スカートの後部は、座布団のようになっていて、岩に座るとき便利になっているし、タイツは、大昔のニッカボッカスタイルを、改良したようになっていて、機動性がズボンのものより良くて、発汗性・防寒性も改良されている。派手な色合いは、霧の中で目立っていて安全度が高くなっているし、むしろ山ガールファッションの方が、登山に向いているんですね。

 で、気がついたことには、この山ガールファッションは、大昔の登山ファッションというか、登山スタイルに近いのではないかということです。昔は、ニッカボッカにウールのロングソックス。そしてヒザサポーターに、おしりに岩に座るためのカモシカの毛皮をつけていた。偶然なのか必然なのかわかりませんが、一部の山ガールファッションが、これに似たスタイルになっている。





 しかし、気になったところもあります。
 みんな、やたらとストックを持っている。
 岩場の多い北アルプスで、2本ストックで上っている。
 当然のことながら岩場・鎖場・ハシゴでじゃまになる。
 みていて、危なくてしょうがない。
 なのに片づけようとしない。
 これは流行なのか?
 それとも、その方が楽だと思っているのか?


kara-05.JPG


 さて、本題にうつります。いつもの年なら涸沢ヒュッテに泊まって休暇で四方から集まってくる山小屋スタッフたちから最新情報を仕入れるのですが、今年は、それよりも、北アルプス縦走してみることにしました。候補のルートは、3つ。

1.重太郎新道から奥穂高岳から西穂高岳の縦走ルート ★★★★★
2.槍ヶ岳・大キレット・北穂高岳のルート ★★★★
3.重太郎新道から奥穂高岳をたどる各種のルート ★★★★

 この中で1番のルートが一番魅力なのですが、テント泊になってしまう。で、去年は2番のルートを選択したのですが、今年は1番のルートを第一目標にしたうえで、天候と体調によっては、3番のルートに変更することにしました。

 というのも、私の体調が良くなかったからです。痛風とぎっくり腰で、9月末から10月初旬までの2週間の寝込んでしまっていたからです。特に痛風には、参った。1歩も歩けない。北アルプス縦走を目の前にして、どんどん足腰が弱ってくる。準備のための訓練が全くできない。そもそも7月8月9月の夏は、御客さんに追われて、山に登ってないので、6月を最後に、ろくな登山をしてない。

 そもそも今年は、スノーシューさえ、3月以降はやってない。
 3月11日の原発事故のせいです。
 春の登山も控えめにしていた。

 まともに登山したのは、ゴールデンウイーク以降から6月にかけての1ヶ月くらいのものだった。これで体が弱っている上に、9月末に痛風とぎっくり腰をやってしまった。本当なら北アルプス縦走どころではないのだが、こちらには、長年の経験とスキルがある。去年体験した五十肩のハンデよりは、ましなので、天候と条件さえよければ、西穂高縦走も不可能ではないと判断しました。

 というわけで、下の写真をみてください。
 上高地のカッパ橋の写真です。
 バックに美しい山が写っていますね。
 今回は、ここに登ることになりました。


1014-12-36.JPG

kara-01.JPG


 10月10日の連休最終日。
 御客様を全員送り出して、
 大急ぎで部屋掃除をし、
 荷造りをし、準備完了したのが昼の13時。
 水をとめ、火の元をとめ、出発したのが14時頃です。



つづく。

↓ブログ更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング<
/FONT>




posted by マネージャー at 09:44| Comment(5) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月23日

片手(五十肩)だけで北アルプス縦走してみた8 つづき

片手(五十肩)だけで北アルプス縦走してみた8 つづき


4.大食いをしないこと。

 正直言って、これは難しいと思っていました。しかし、アミノバイタルを使用すると空腹にならないのですね。不安ならアミノバイタルにスニッカーズを足しても良い。これで大食いせずにすみます。

 登山をすると空腹になります。しかし、ここで大食いすると疲労が大きくなるのです。そのうえタンパク質は、摂取してから吸収されるまで4時間かかります。4時間後なら登山が終わっている可能性がある。つまり、登山中に肉体に補給できないのです。ということは、昼食は無駄食になってしまう。

 ところがアミノ酸なら30分で吸収できます。

 と言うことは、登山直前にアミノバイタルを飲めば、不足したタンパク質を直ぐに補給できるわけです。つまり、タンパク質が不足しないわけで、免疫機能を維持したまま登山を続けられますし、活性酸素に対する防御を行うタンパク質も製造停止しなくてすみます。もちろん自分の筋肉を分解せずにすむので、筋肉痛もおこりません。


5.コンドロイチン・グルコサミンを多用し、関節の炎症をおさえた。

 コンドロイチンは、嬬恋村のキャベツ農家では有名なサプリメントです。肉体労働で、腰を痛めやすい嬬恋村の農家では、コンドロイチンは離せないサプリメントでした。それを聞いた私も、服用をはじめたら劇的に関節痛が治り、もとのように登山が出来るようになったのです。グルコサミンもしかりです。


6.ビタミン・ミネラルの大量摂取。

 アミノ酸とビタミンとミネラルはセットです。3つはリンクしています。つまりアミノ酸を大量摂取する場合は、ビタミンとミネラルも同時でないと意味がありません。これは、ふだんの登山で気がつきました。アミノバイタルを大量摂取しても、調子が悪いことがあったからです。
「はて? どうしてかなあ?」
と思ってたら、アミノバイタルの中でも、ビタミン入りのものと、アミノ酸だけしか入ってないものがあるのに気がつきました。ビタミン不足の時、ビタミンの入ってないアミノバイタルを飲んでも効き目が薄かったことに気がついたわけです。で、ビタミン入りのアミノバイタルプロ(ゼリータイプ)を飲むようになったわけです。また、大塚のマルチビタミン&ミネラルを補助サプリメントとして使うようになったわけです。今回の北アルプス縦走でも大活躍しました。いつもなら口内炎になって帰ってくることもしばしばでしたが、今回は、全くビタミン不足にはなりませんでした。


7.休憩とアミノバイタルは1時間おき。

 登山中は、身体が戦闘モードになっています。つまり適度なストレスで胃が動いてない。内臓が動いてない。でも、栄養を吸収しないと身体が持たない。で、アミノバイタルウォーターやアミノバイタルゼリーを1時間おきに摂取しました。水はあえて飲みません。すると空腹にならないのです。9時間かけて北穂高小屋に到着しても、腹は減りませんでした。空腹感がでてこないのです。
 しかし、寒気はしたので、実際には、身体はカロリーを欲していたのだと思います。にもかかわらずアミノバイタルを大量に摂取しながら登山をしていると空腹にならない。しかも、身体が山を登る体制になっている。もちろん、そのままではまずいので、スニッカーズやカップ麺を食べていますが、別に空腹感のために食べているわけではありません。義務的に食べているわけです。


8.ユニクロの新兵器

 ユニクロは、安くて便利な製品を開発してくれます。今回も御世話になりました。
 まず990円の、このスボン。
http://store.uniqlo.com/jp/CSaGoods/409098-58
 見た目はジーンズなのですが、機能はジャージそのもので収縮性があり、通気性もあり、そのうえ夜は温かい。これは買いです。ただし嫁さんに、どういう名前なのかを聞いて、えーっと思いましたが、やはり便利な物は便利。

 そしてヒートテック。990円から。
 安くなりましたねえ。
 こいつのおかげで山でも全く寒くなかった。
 そのうえ速乾性があるために汗もかかなかった。
 http://store.uniqlo.com/jp/store/feature/heattech/l3men/

 そして、わずか200グラムのプレミアムダウン。
 こいつは良いです。
 山小屋で会った人は、みんなこれを着ていました。
 薄くてコンパクトになり、そのうえ、たったの5990円です。
 http://store.uniqlo.com/jp/store/feature/down/l3men/index.jsp

 これらの新兵器を使用することにより、35リットルの日帰りザックで北アルプス縦走が可能になりました。ザックを35リットルにすると、登りや岩場が楽になります。さらに30リットルまでに減らせれば、かなり楽な登山になりますが、決して不可能な数字ではありません。ちなみに20年前の私は、同じコースを100リットルザックで通っていますが、その頃は、ずいぶん無駄な荷物を持っていました。


つづく

↓ブログの更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月22日

片手(五十肩)だけで北アルプス縦走してみた6+α

片手(五十肩)だけで北アルプス縦走してみた6+α

みわぼーさん

>もっとも、奥様でさえ、登りが、つらかったというお話

これは割り引いた方がよさそうです。
というのも、最初は私のアドバイスというか、
私の実験を拒否して大量のアミノバイタルを吸収しなかったからです。
けれど途中から吸収するようになって、それから以降は私より元気でした。
五十肩で私が嫌がる槍ヶ岳への登頂も、彼女の強い要求で行っています。

大量のアミノバイタルを飲む前の嫁さんと、
飲んだ後の嫁さんは全く別人です。


1014-13-06.JPG



>登山を完遂する体力がないだろうなぁ…。
>つまり、完全な運動不足ですよね…はぁあぁ…(溜息)

私が運動不足になり、ぶくぶくと太ったのは6年前からです。
6年間に、65キロだった体重が95キロまで太りました。
これには、理由がありました。

 もともと私は、膝の関節炎だったのですが、靱帯を痛めたり、若い頃の無理がたたったりして、膝を壊したのです。それが6年前です。私が太りだしたのは、その頃からです。膝を壊したと言っても、体力が低下したわけではなかったので、登山をしても登りは強かった。けれど、下りが駄目なのです。4人の宿主と佐渡島を縦走したときも、登りでは無敵でしたが、下りで足の悪い武馬さんに追い越されたりした。だから北アルプス縦走も、長い間、諦めていたのです。

 で、ブクブクと太りだしてしまった。
 ダイエットをしてみたが駄目。
 かえって体調を悪くする。

 しかし、登山をするにも限界がある。
 重い荷物を背負って下ると膝を痛める。
 すると3日くらい運動できなくなる。
 こういう原因で、どんどん太りだしたわけです。

 ところが、そんな私に朗報がありました。コンドロイチンで治る可能性があると。1ヶ月の半信半疑で使ってみましたが、これが意外に効きました。痛めた膝が以前より悪化しない。そうなるとグルコサミンとヒアルロン酸も使ってみようと思い、これも使用開始したら、1ヶ月くらいで膝関節の痛みが少なくなりました。

 で、去年の今頃、涸沢まで登山して試してみたのです。結果、膝関節の痛みは皆無になったことが分かり、以後、本格的な登山をはじめたのです。体重は、95キロから83キロまで落ちました。

 けれど、この夏は御客様が多く、運動できなかったためにリバウンドがおき、88キロまで増えましたが、今回の北アルプス縦走をきっかけに、85キロまで減りました。もちろん筋肉もつきました。30キロ装備でもコースタイムの半分で鼻曲山往復できるようになっています。そして、膝は全く正常です。

 この体験によって私は、一つの重大な結論を得ました。「迷信や、根拠無き健康方法や、精神主義は駄目だ」と。サプリメントに対する偏見を捨て、もっと肉体を科学的にみなければ駄目だと。また医者に治せなかった膝をコンドロイチンとグルコサミンといったサプリメントで治したということで、肉体には個人差があるということを思い知らされました。さて、前置きは、さておいて本題です。


j_supersports.jpg


>マネージャーさんご推奨のアミノバイタルの摂取をしていけば、
>私のようなモンでも、北アルプスの槍ヶ岳とまでは言わずとも、
>ある程度の山に登れる持久力を上げられるのでしょうか?

これは、半分イエスです。
確かにアミノバイタルとサプリメントの摂取は、肉体を疲れにくくします。
しかし、それを飲むと肉体が強化されるものではありません。

では、槍ヶ岳に行けないかと言えば、そうではありません。
アミノバイタル無しでも槍ヶ岳に登れます。
義足の人間でさえ登っているからです。
適切な準備と指導があれば、大キレットでも大丈夫です。

この場合の適切な指導とは、楽しく登るということです。
疲れたら休む。
息が切れたらペースを落とす。
1日の歩行時間は、6時間以内とする。
あと、知的登山を行うということも大切です。
適度な歩行は、脳細胞を活性化させます。
そして、その脳細胞の活性化こそが、適切な登山であると言えます。


あと、アミノバイタルの効果についてですが、
これについては、別のところで述べます。
なぜアミノバイタルなのか?
これを書き出すと長くなってしまうので。



>そして、五十肩(又は四十肩)も、やはり、血行の問題なんでしょうかね…?

 正直言ってわかりません。
 私は医者ではないので、よく分からないです。


>これで、完治予定は、開始から最長3ヵ月後を予定している治療だそうです。

 それは早いですね。
 私が五十肩になったのは、6月。
 もう5ヶ月近くかかっています。
 それでも完全には治っていません。

>即効性からしても、荒療治的な今回のような登山の方が効くのでしょうかね?

 これも分かりません。すいません。
 ただ、2時間くらいの登山なら毎日行っています。
 4時間くらいの登山なら週に2回行っています。
 でも、全く治らなかった。

 むしろサウナで調子が良くなったので、登山よりサウナが有効な気がします。

 今回の北アルプス縦走で、五十肩が良くなってきたのは、たまたまなのか? サプリメントのおかげか? アミノ酸の大量摂取が原因か? 9時間歩行を3日間続けたのが原因なのか? よく分からないというのが真相です。これを解明するには、もう一度9時間登山を行うしかないわけで、天候をみて近くの山でチャレンジしてみようかなと思っています。


つづく

↓ブログの更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 23:37| Comment(3) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月21日

片手(五十肩)だけで北アルプス縦走してみた7

手(五十肩)だけで北アルプス縦走してみた7

10-12-12-10.JPG

言い忘れたことがあったので最後に一言。
五十肩の人は、絶対に私の真似はしないでいただきたいです。
とても危険です。
大キレットが安全に歩けるようになったとはいえ危険は危険ですから。
あと槍ヶ岳だって、荷物なしなら足だけで歩ける場所ではありません。
このへんを誤解されたら困ります。
コースタイムも、標準より早いですから参考にはなりません。
あくまでも、北軽井沢で登山ガイドをやってる人間のものですから。

しかし、万人に参考になることもありますから、あげておきます。
中高年の登山の秘訣です。

1014-06-46.JPG


1.荷物を軽くすること。

 具体的に言うと、山小屋で補給しなさいということです。そしていらない物はもっていかないことです。重い物は、水と食料ですから、それを山小屋で手に入れれば、登山が楽になります。


2.酒を飲まないこと。

 酒をのみはじめると、小屋全体で飲みムードができます。すると、小屋にイビキの大合唱がうまれて寝にくくなるのです。これは翌日のツアーに影響します。あと、酒は確実に免疫機能を低下させますし、高度障害を誘発します。


3.アミノ酸とビタミンとミネラルのサプリメントを大量摂取すること。

 大量に補給するところが大切ですが、できるだけセットのものを使用した方がいいです。ミネラルにしても、ビタミンにしても、アミノ酸にしても配合比が重要です。どれか突出しても無駄なだけです。あと、なぜサプリメントかと言いますと、一般の食事で必要量を補給できないからであり、もし仮にできたとしても、カロリーオーバーになってしまい、そのうえ胃腸に負担をかけすぎるからです。若い頃なら、大食いもいいですが、30歳も後半になったらサプリメントを大量摂取した方が、登山中は、身体に負担をかけません。

 まだまだ、ありますが、眠いので、つづきは明日書きます。


1014-05-59.JPG

つづく

↓ブログの更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 23:56| Comment(4) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月20日

片手(五十肩)だけで北アルプス縦走してみた6

手(五十肩)だけで北アルプス縦走してみた6

 深夜、肩の激痛もなく心地よく目が覚め、外に出てみました。
 満天の星空。冬の星座のオンパレード。

 天気予報では、下界は岐阜県が雨、長野県が曇りなのに、槍ヶ岳では満天の星空。そのかわりに下界を雲海が遮っている。この満天の星空は、北アルプスの稜線だけが得られる登山者へのプレゼントなのです。

 そして朝4時30分。
 パッキング開始。
 これは、その時、窓の外を撮影した写真です。


1014-05-14.JPG


 御来光は、5時45分頃ですから、その1時間以上前に、明かりが差しています。
 平地では、こうはいかないでしょう。
 丸い地球の標高3180メートルがもたらした幻灯なのです。

 そして槍ヶ岳肩の小屋から見た槍ヶ岳。

1014-05-21.JPG


 御来光を見てから下山しても良いのですが、それをするのは、山の初心者。何度も槍ヶ岳で御来光を見ている私たちは、少し下山して槍ヶ岳のモルゲンロートを楽しむことにしました。御来光があがる15分前に下山開始。計算なら殺生ヒュッテあたりで、御来光になるはず。

 と思ったらアッという間に殺生ヒュッテを通過。

 殺生ヒュッテは、中房温泉が、喜作に喜作新道を作らせて建設させた山小屋です。槍ヶ岳は、今でこそ上高地から登る人が大半ですが、昔は、中房温泉から登るのがメインルートでした。北アルプスの峰々をつなぐ登山道には「表銀座」「裏銀座」と呼ばれる登山の縦走コースがありますが、この表銀座コース喜作新道を切り開いたのが小林喜作です。この喜作新道ができたのが、大正9年です。この喜作新道が出来るまでは、中房温泉に1泊、大天井小屋に1泊、さらに常念小屋に1泊と、槍ヶ岳まで3〜4日かかっていました。ところが喜作新道によって1〜2日で槍ケ岳に行き着くルートができたのです。そして、喜作新道の終点が殺生ヒュッテなのですね。

 この殺生ヒュッテを少しくだったところで、御来光。
 5時55分。

1014-05-51.JPG

1014-05-55.JPG


 後をふりかえると、見事なまでの槍ヶ岳のモルゲンロート。

1014-05-56.JPG

 涸沢のモルゲンロートも素晴らしいですが、
 槍ヶ岳のモルゲンロートも素晴らしい。

1014-05-57.JPG

 やはり、少し下山してよかった。
 もし、肩の小屋で御来光をみたら
 こんな槍ヶ岳のモルゲンロートを見ることになる。

1014-05-21.JPG


 やはりモルゲンロートは、殺生ヒュッテより下ったあたりが一番美しい。
 これが何度も槍ヶ岳に行ってる人間の感想です。


1014-05-56.JPG

1014-05-58.JPG

1014-05-59.JPG


 播隆上人の修行窟。6時6分。
 播隆上人は、天保五年(1834)に53日間も、
 ここで念仏を唱えたといわれています。


1014-06-06.JPG


 ちなみに念仏行者の播隆上人は、新潟県の人です。上人は、木食でした。木食とは、木の実を食べて生きる僧侶のことで、それによって殺生をしないで生きます。夜は座禅したまま眠りました。人々は、そんな播隆上人を有り難がって、たくさんの御布施をだすのですが、大半は、その場所に置いて人々に分け与えたと言います。そんな播隆上人は、身のこなしは実に軽く、険しい登山道も身軽に登ったと言います。

 この播隆上人が、文政十一年(1829)七月に槍ヶ岳を開山したことは有名な話しです。槍ヶ岳の頂上に槍ケ岳大明神の祠を建立し、本地阿弥陀如来、観世音菩薩など三基を安置し、登山道を造り岩場に鎖まで設置しました。


1014-06-07.JPG


 槍沢カールに、朝日の移動によって、
 山影が移動していくさまは、
 背筋がゾクッとするほど感動します。


1014-06-30.JPG


 あとは、下山することに
 槍沢カールの素晴らしいパノラマが広がります。
 もう絶句。
 美しすぎて言葉にもなりません。

1014-06-43.JPG

1014-06-44.JPG


 桃源郷があるとしたら、
 こんな風景にちがいない。


1014-06-45.JPG

1014-06-46.JPG


 思わず足が止まって写真撮影。
 至福の瞬間とは、この時のことです。


1014-06-52.JPG

1014-07-20.JPG

1014-07-30.JPG

1014-07-37.JPG

1014-07-38.JPG


 旧槍沢小屋跡。
 今はキャンプ場になっています。


1014-07-40.JPG

1014-07-46.JPG

1014-07-47.JPG

1014-08-03.JPG

 9時54分。横尾に到着。
 ここで遅い朝食をとりました。

1014-09-53.JPG

1014-09-54.JPG

 途中、口に入れたのはアミノバイタルのみ。
 なのに全く空腹を感じません。
 だからチーカマ4本とチョコレートを1箱を夫婦で分け合ってたべただけです。
 しかもチョコレートは、食べきれなかった。
 
 10時50分。徳沢園に到着。

1014-10-50.JPG

1014-11-03.JPG

1014-11-21.JPG


 11時48分。明神池に到着。


1014-11-48.JPG


1014-12-27.JPG


 12時27分。上高地ビジターセンターに到着。
 後学のために、ビジターセンターを10分見学。
 大いに参考になりました。
 上高地のビジターセンターには、北軽井沢ブルーベリーYGHでも、
 真似してもいいなあと思うアイデアがいっぱいでした。


1014-12-36.JPG


 12時36分。河童橋に到着。

1014-12-40.JPG

1014-12-46.JPG

 12時40分。バスターミナルに到着。
 上高地名物栗ソフトを食べて、13時のバスに乗り込みました。
 これはバスから見た大正池の写真。


1014-13-06.JPG

 なごり惜しいですが、とっとと帰って、
 週末に泊まりに来る御客様にお出しする食材を仕入れなければ。
 なにせ、北アルプスに出かける前に冷蔵庫を空っぽにしてきていますから。

 今回、いろいろな実験を行いました。
 まだ紹介してない新兵器として、新型のズボンを採用。
 ザックも新タイプを使っています。

 失敗したものもありますが、
 いろいろな新兵器を使って楽な登山を行ってきました。

 一番の収穫は、アミノバイタルとサプリメントの効果を体感できたことですね。アミノバイタルゼリーは、もっと大量に(1日5個)使用してもよかったし、ビタミン・ミネラルなどのサプリメントも、3倍まで使用量を増やしてもよかった。

 ちなみに今回は、酒は一滴も飲んでいません。
 これが体調をよくし、翌日の行動を楽にしました。

 驚いたのは五十肩の症状が緩和されたことです。
 原因は不明です。
 いま、原因を探っているところです。

 あと
「障害をもつ人を、どうやってサポートするか?」
という点について。

 これが今回の最大のテーマだったわけですが、
 おぼろげながら確信を掴みつつあります。
 何が問題なのかが、少しだけわかってきました。
 話せば沢山ありますが、一つだけあげるとすれば
「相手に正確な情報を伝え、準備をさせ、イメージトレーニングさせる」
 ことかもしれません。
 勝利の方程式が、各自に持てるようにしてあげることだと。
 結局『風のたより』時代にやってたことと同じだったりする。

つづく

↓ブログの更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 22:19| Comment(7) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月19日

片手(五十肩)だけで北アルプス縦走してみた5

片手(五十肩)だけで北アルプス縦走してみた5

1013-14-36.JPG

 槍ヶ岳を下山しても15時前でした。ここで睡眠をとっても良かったのですが、せっかくなので槍ヶ岳肩の小屋を探検してみました。

1013-13-14.JPG

 これがフロントとロビー。

1013-16-52.JPG

 廊下と部屋入り口。

1013-16-50.JPG

 食堂です。

1013-16-53.JPG

 山小屋としては、かなり豪華な施設です。しかも傘下に槍ヶ岳山荘グループとして6軒の山小屋と同じ経営になっています。

 槍沢ロッヂ
 南岳小屋
 大天井ヒュッテ
 岳沢小屋
 雷鳥ヒュッテ
 槍ヶ岳山荘。

 これらは、全てグループなんですね。で、気がついた人もいると思いますが、どの山小屋も施設が充実しているかわりにアットホームとはいえない小屋ばかりです。そして槍ヶ岳肩の小屋の収容人数は650人。北アルプスで2番目に大きい山小屋です。ちなみに1番は白馬岳の白馬山荘の1200人。

 この槍ヶ岳肩の小屋ができる前まで、殺生ヒュッテが槍ヶ岳唯一の山小屋でした。猟師が建てた猟師小屋だったため殺生ヒュッテという名の山小屋でしたが、これが唯一の山小屋だったのです。長い間、殺生ヒュッテは、槍ヶ岳登山のベースキャンプ地だったのですね。そこに槍ヶ岳肩の小屋を作ろうと思い立った全くの素人さんが現れて、槍ヶ岳肩の小屋を作ったわけですが、利権争いやら雪崩やらで苦労の連続だったようです。そして、苦労の上に現在の盛況を迎えています。


1013-17-05.JPG

 ちなみに、これが槍ヶ岳肩の小屋の夕食。
 味噌汁と御飯が、おかわり自由でした。
 おひつに無くなると、あいその良い娘さんが別のをもってきます。
 テーブルもゆったりしています。

 食事は、北穂高小屋の方が良かったですね。槍ヶ岳肩の小屋は、食事造りを省力化しています。例えば、ブロッコリーが冷凍なのは仕方ないとしても、せめて湯で解凍して欲しかった。自然解凍というのはなあ。逆に嬉しかったのは、デザートが付いていたこと。皿の後の方に丸い物が写っていると思いますが、これはチーズケーキです。


DSCF7720.JPG


 こういう小屋ですから混雑期は、ものすごく押し込められ、3人で布団一枚なんてこともあるそうです。しかし、そんな混雑期の時でも、ちょっと離れた殺生ヒュッテは、ガラガラだと言います。私は、昔、三十人くらいの仲間と殺生ヒュッテでテントを張ったことがありますが、やはり小屋の方は空いていました。槍ヶ岳肩の小屋の混雑が嘘のようでした。近くのヒュッテ大槍は、混んでても殺生ヒュッテは、いつもがらんとしています。

 ちなみに殺生ヒュッテは、中房温泉が経営しています。中房温泉は、江戸時代から営業している日本最初の民営山小屋でもあります。そして明治時代に中房温泉が、槍ヶ岳登山の入口になりました。そして、中房温泉が、資金を出して小林喜作に槍までの新道を開かせ、喜作新道を作るのですが、その終点が殺生小屋(殺生ヒュッテ)になったわけです。喜作は殺生小屋の経営も任され殺生ヒュッテは大繁盛します。しかし、現在は、槍ヶ岳肩の小屋との競争に敗れて泊まる御客様も、かなり少ないようです。翌日、私たちは、殺生ヒュッテの前を通過したのですが、そもそも人間の気配が無かった。殺生ヒュッテに泊まらなくてよかった。

 食後は、さっさと睡眠。といきたかったけれど、同室の人に話しかけられました。山小屋はユースホステルより、同室どうしの会話がもりあがります。なにせ同じ趣味の集まりですから。相手は、石川県の山岳会の会長らしき人と、その仲間の3人です。で、その時に気がついたのですが

「あれ?」
「あれれれれれれれ?」

 肩が、ほんの少しだけ上がるようになっている。
 五十肩が、ほんの少しだけ上がるようになっている。

「えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええっ」

 まさか?
 たった2日で五十肩が改善したのか?
 劇的に治っているわけでないけれど、
 少しだけ肩が上がるようになっている!
 登山は、肩の血流をよくするのか?

 ちなみに五十肩になると、睡眠がとれません。
 寝返りをうつと、肩の激痛で目が覚めるからです。
 だから深夜に2回か3回、死ぬ思いで目が覚める。
 つまり睡眠不足になる。
 これは、北穂高小屋でもそうでした。
 ろくに寝られたものではない。
 ところが槍ヶ岳肩の小屋では、肩の激痛で目が覚めることは一度もなかった。


1014-05-14.JPG


 深夜、肩の激痛もなく心地よく目が覚め、外に出てみました。
 満天の星空。冬の星座のオンパレード。

 天気予報では、下界は岐阜県が雨、長野県が曇りなのに、槍ヶ岳では満天の星空。そのかわりに下界を雲海が遮っている。この満天の星空は、北アルプスの稜線だけが得られる登山者へのプレゼントなのです。

つづく

↓ブログの更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 18:58| Comment(4) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

片手(五十肩)だけで北アルプス縦走してみた4+α

ささらーさんから質問があったので、ここで回答します。

>スニッカーズは口の中が甘ったるくならないですか?

甘ったるくないですね。
すーっと口に入っていく感じです。
地上では、こうは行かないでしょう。

私はスニッカーズを絶賛しましたが、ぶどう糖でも良いかも知れません。
標高が高いので、脳を守るためにも、ぶどう糖が理想的な気がします。



>夏場は甘いものがとにかくつらくて、塩辛いものばかり欲しましたが、
>アミノバイタルをとっていると違うんだろうか。

確かに山でも塩辛い物が必要なようです。
汗をかいてもないのに、醤油が甘く感じたし、
カップ麺が美味しかったですね。


>水もたくさん飲んでいるんですか?
>それとも、水分もアミノバイタルですか?

水分は、大量にとってません。
というか、大量に必要としていませんでした。

初日は、水を一滴も飲んでません。
3時間おきにアミノバイタルゼリーを飲み、
1時間おきにアミノバイタルウォーターを飲んでます。
これに慣れると、水が飲めなくなります。

2日目は、アミノバイタルウォーターの残量が少なくなってきたので、
3時間おきにアミノバイタルゼリーを飲み、
1時間おきにアミノバイタルウォーターと水を交互に飲んでます。
で、身体は、あきらかにアミノバイタルウォーターを欲しています。
スニッカーズは、アミノバイタルと一緒に昼食に一人一本づつ食べていますが、
とても美味しいと感じています。

ちなみにアミノバイタルゼリーは、100キロカロリー
アミノバイタルウォーターは、65キロカロリーです。
アミノバイタルだけで、600キロカロリーくらい摂取しています。
そのうえで、スニッカーズの260キロカロリーを摂取しています。
あと各種サプリメントが、20キロカロリー。
行動中の摂取カロリーは、880キロカロリーぐらいだと思います。
この他に、山小屋で2000キロカロリーを摂取しています。
合計2880キロカロリーでしょうか?

で、3日間の北アルプス縦走で私の体重は2キロ減りました。
嫁さんの方は、体重の変化無し。


 一般的に言って、アミノバイタルを大量摂取して縦走登山すると、カロリー不足でも体重は減りません。むしろ増えるくらいです。これは筋肉が増加するためだと思われますが、私の場合は、逆に体重が減ったわけですから、今回はカロリー不足、またはアミノ酸不足であったということになります。体重から言っても嫁さんの1.5倍のアミノバイタルを摂取すべきだったのに、夫婦同量を摂取したために、この差となった気がしますね。

 ところで、今現在、毎日、空腹感に襲われています。
 これは基礎代謝が増えたためだと思われますが、
 ここは、じっと我慢ですね。
 我慢できたら痩せられますから。


つづく

↓ブログの更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング




posted by マネージャー at 18:17| Comment(4) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月18日

片手(五十肩)だけで北アルプス縦走してみた4

片手(五十肩)だけで北アルプス縦走してみた4

 2010年10月13日、朝4時に目が覚め、出発の準備を行いました。朝食は5時20分。メニューは、目玉焼きとウインナーソーセージにキャベツの千切り。そして、味噌汁・御飯・漬け物・高野豆腐。御飯と味噌汁は、何杯もおかわりできます。ただし、食堂が狭いので山小屋のスタッフが、おかわりの御飯をよそってくれます。中には、3回も4回もおかわりする人がいます。私は、そんなめんどくさいのは嫌なので
「おかわり御願いします、大盛りで!」
と御願いしました。すると、てんこ盛りで返ってきました。それを2回繰り返して終了。味噌汁も2回おかわりしました。

 てなわけで、10分で食事を食べ終えて、外にでました。
 御来光をみるためです。
 日の出は、朝5時40分。
 食事に手間取っては見られません。


1013-05-32.JPG


 実は、山屋の間では、この北穂高小屋から見る御来光が最高なのことで有名です。槍ヶ岳を染めるモルゲンロートの美しさは、北穂高小屋でしか見られません。槍ヶ岳のそばにある槍ヶ岳肩の小屋から見た槍ヶ岳は、ここほど美しくないからです。むしろ殺生ヒュッテから見た槍ヶ岳のほうが美しいくらいで、やはり一番美しいのが北穂高小屋から見た槍ヶ岳なんですね。あと、涸沢・奥穂高のモルゲンロートも見られます。北アルプスで、一番贅沢な朝が味わえるのが北穂高小屋なのです。


1013-05-52.JPG


 その北穂高小屋を今まで私が使えなかったのは、十数年にわたって団体登山を行ってきたためです。二十人から四十人もの登山初心者を引き連れて山に登るとなると、北穂高小屋は最初から断念せざるをえませんでした。しかし、今回は、夫婦2人の登山であり連休後の閑散期なので北穂高小屋を使えたわけです。


1013-05-54.JPG


 で、素晴らしい御来光を拝めました。
 槍ヶ岳のモルゲンロート。

1013-05-57.JPG

1013-05-58.JPG


 壮大な岩場。
 大キレットのモルゲンロート。
 今日は、この岩場を縦走し、槍ヶ岳まで行く予定です。


1013-05-59.JPG


 差し込む朝日。6時14分。
 素晴らしいですね。
 でも、本物はもっといい。


1013-06-14.JPG


 ちなみに、このブログの画像の名前は、全て撮影時間を名前にしてあります。「1013-06-14.jpg」という名前の画像なら10月13日6時14分です。画像の名前を調べることによってコースタイムが、詳しくわかります。で、6時55分に北穂高小屋を出発しました。これがその時の写真です。遠くに槍ヶ岳が見えてますね。


1013-06-55.JPG


 ちなみに北穂高小屋には、40人くらいの泊まり客がいましたが、このルートを通ったのは、私たちを含めて、たった4人だけでした。そして槍ヶ岳方面からすれ違った登山客は、6人でした。こんなに人に出会わない大キレットも珍しかったですね。おかげでマイペースに行動できたのはよかったですね。


1013-07-00.JPG


 さて、大キレットは、難所として有名な場所ですが、その難所の中でも一番の難所が『飛騨泣き』と言われている場所で、北穂高小屋から降りてすぐのところです。毎年、ここで数人が死んでいます。まず落石がおきやすい。そして、高度差100メートル以上のナイフリッジ。畳のヘリを歩くような際どいルート。二十年前に初心者5名を連れて、そこを通過したときは、さすがに『やばい』と思って、初心者たちにはザックを持たさずに通過させたくらいです。ここを五十肩の人間が、どうやって通過すべきか。


1013-07-10.JPG


 まず、ソロリソロリと這いつくばるように降りました。こんどばかりは
「痛っ!」
とうずくまると確実に死ぬので、どんなに痛くても仁王立ちしなければならない。しかし、五十肩の激痛は、数分間人間の活動を停止するので、慎重にも慎重を重ねて降りていきました。手に体重をかけたら終わりなので、足だけで降りるようにしましたが、大キレットの岩場は、手無しで降りられるようなレベルではありません。膝を使い、腰を深く落とすことによって、なんとか右手だけで降りるようにしました。

「なんで、こんな簡単なことができないんだ」
「なんで、こんな簡単なことができないんだ」
「なんで、こんな簡単なことができないんだ」
「なんで、こんな簡単なことができないんだ」

 五十肩でなければ、何でもない岩場が、すごい難所になっている。
 健康体なら何でもない岩場が、
 何の変哲もない岩場が、五十肩だと超難所として立ちはだかる。

「おちつけ、急がば回れだ! ゆっくりいこう!」

 こうなると頭脳戦です。
 岩と己の身体能力を計算するする。
 今日のコースタイムは、槍ヶ岳までのたったの7時間。
 だから慌てなくていい。
 ゆっくり、確実に、正確な計算を行って岩を降りよう。
 安易な下山は、死を招く。


1013-08-11.JPG

1013-07-12.JPG


 で、問題の飛騨泣きに到着。
 そこは、本当なら腕を使わずには渡れない場所だった。
 五十肩には無理な場所だった。
 だから、北穂高小屋で深夜に渡り方をシュミレーションし、
 何時間もイメージトレーニングで瞑想した。

 しかし、

「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ」

 飛騨泣きの危険箇所には、安全な足場が作られていた。

「なーんじゃコレ!」

 拍子抜け。
 拍子抜けも、拍子抜け。
 と言っても、危険な岩場には違いないのですが、
 北穂高小屋で何時間もイメージトレーニングしたのは無駄だった?

 15年前、この大キレットに25名の初心者と足の不自由な青年を連れて通過したことがある。その時は、この危険箇所に私の足置いて、安全な足場にして自由な青年を通過させた。彼の荷物は私が背負った。20年前には、生まれて初めて山に登る女の子の手を取って通過させた。彼女の荷物は私が背負った。あの苦労は何だったのだ?

「アッ!」

 しかも飛騨泣きにゴミが捨てられていた。
 それも大量のゴミが。
 私は沸々と怒りが湧いてきましたね。

「いったい誰何じゃ!」

 後日、某山小屋で、大キレットにゴミが散乱していたことを訴えったら、

「北アルプスも国際化してきたんですよ」
「・・・・・・」

 そういう事かい!
 そういう国際化はいらんだろう。
 さらに、こんな事も言ってました。

「ガイド会社が増えて、マナーの悪い団体さんが増えたのも事実です。もちろん日本人とは限りません」

 なるほどなあ。
 どうりで珍しい字が印刷してあったゴミが捨ててあったわけだ。
 あえて国名は、明かしませんが、こういう人たちは、
 もう北アルプスに来ないでもらいたいですね。
 話しを戻します。


1013-08-26.JPG

1013-08-27.JPG

1013-08-37.JPG

1013-08-39.JPG


 8時50分。飛騨泣きを通過して最低部に到着。


1013-08-56.JPG

1013-09-08.JPG

 横尾本谷が美しい。
 いつか。ここを降りて屏風岩に行ってみたい。

 ちなみに私は、二十歳頃に山岳会で、この横尾本谷を登ったことがありますが、正直言って全く記憶がありません。やはり連れて行ってもらっては駄目で、自分で右往左往しながら通過しないと印象が薄くなるのでしょうね。


1013-09-11.JPG


 とんがってる岩山は、南岳小屋の山のピーク。
 ここを越えると南岳小屋があります。
 奥にあるなだらかな山が南岳。


1013-09-24.JPG


 こちらは北穂高。
 ここまでやってきました。
 9時24分頃です。


1013-09-43.JPG

1013-09-53.JPG

1013-09-56.JPG


 これが大キレットの稜線。
 こんなところを空中散歩してきました。
 両側の景色は最高です。


1013-10-05.JPG

1013-10-06.JPG


 屏風岩です。
 さすがに美しいですね。


1013-10-14.JPG


 10時15分、南岳小屋に到着。
 予定より、大幅に遅れましたが、
 これは五十肩の激痛でびびって、守りに入った岩登りをしたためでしょう。
 (でも、ジャストコースタイムぴったりだった)


1013-10-15.JPG


 ゴミをヘリで運ぼうとしている。
 荷物に嬬恋村農協のキャベツが!
 嬬恋村のキャベツが、こんなところにも来るのかあ!
 てことは、山小屋の食事には、嬬恋村のキャベセンがでるんだなあ。
 感慨深いですねえ。


1013-10-19.JPG


 とにかく南岳小屋で食事を。
 今日の昼食は、アミノバイタルゼリーと、スニッカーズと各種サプリメント。


sss1021262.jpg


 いろんな行動食を食べてきましたが、激しい縦走スニッカーズが一番だとというのが私の結論です。日帰りは別ですよ。私が行ってるのは2泊以上のケースです。理由は、携帯のしやすさと食べやすさです。しかも、たったの53グラムの重さで、260キロカロリー。タンパク質が4.6グラムもあります。これをおやつで食べようものなら、たちまちデブのできあがり。間違えても、下界では食べてはいけない食品ですが、山では、最高の行動食になります。

 逆に登山に向かないのが、カロリーメイト。こなっぽくて、水なしで食べにくくて、すぐに飽きてしまう。長所としては、バランスがとれているところが良いことは認めますが、これは他の錠剤サプリメントで代用すればいいわけだし、食べてすぐに力が湧いてこないところや、食べにくさや、変形
しやすさを考えると、私はおすすめできません。


 食後、南岳に登頂。
 10時30分。

1013-10-31.JPG


 遠くに槍ヶ岳が見えます。


1013-10-30.JPG


 逆方向には、北穂高が見えます。
 ここが今日の中間線です。


1013-10-32.JPG


 とにかく槍ヶ岳に向かって出発。


1013-11-39.JPG


 11時55分。中岳に到着。
 景色が美しすぎて、早く槍ヶ岳に到着するのがもったいなくなってしまった。
 足取りを、ゆっくりめに、北アルプスの空中散歩を楽しみます。


1013-12-14.JPG


 天狗原。
 美しい。


1013-12-14.JPG



 12時30分。大喰岳。
 ついに、ここまで来てしまった。
 ここまでくると、槍ヶ岳は目の前。


1013-12-39.JPG

1013-12-40.JPG


 普通は、目標が近づくと嬉しくなるものですが、今回は逆です。
 目標が近づくと、何か寂しくなる。
 天候に恵まれ景色が良すぎると、こういう気分になるものです。

 で、槍ヶ岳肩の小屋に到着。
 13時15分頃です。


1013-13-14.JPG


 槍ヶ岳肩の小屋に到着した私たちが真っ先にしたことは、
 カップラーメン(400円)を注文したこと。
 不思議なことに、山で食べるカップラーメンくらい美味しいものはありません。

 その後、チェックインしてベットメイクし、一休みして、槍ヶ岳にチャレンジ。
 本当は私は、五十肩なので登りたくなかったのですが、
 嫁さんが、どうしても登りたいというので、渋々登りました。


1013-14-10.JPG


 槍ヶ岳へは、空荷であがりました。
 荷物を背負ってないためか、
 どんな岩場でも歩いて登れる!

 不思議だ。
 荷物がないと、這いつくばらずに登れる。
 五十肩を全く気にしなくていい。
 これは凄いぞ!
 荷物がないって、素晴らしい!

1013-14-17.JPG


 14時10分から登って、15分後には頂上に着いてしまった。
 夏場だと、渋滞で1時間はかかるのですが、誰も登ってないので早く登れました。
 オフシーズンって、素晴らしい!
 やはり山は、オフシーズンですね。


1013-14-33.JPG


 小槍ヶ岳です。
 こんな歌を歌いました。

『アルプス1万尺、小槍の上で、アルペン踊りを踊りましょ♪
 ラーンラララ、ララララ、
 ラーンラララ、ララララ、
 ラーンラララ、ララララ、ヘイ♪』
 

1013-14-34.JPG

1013-14-36.JPG


 槍沢カールです。
 明日、ここを下って下山し、8時間かけて上高地に向かいます。


つづく

↓ブログの更新を読みたい方は投票を

人気blogランキング





posted by マネージャー at 15:11| Comment(4) | TrackBack(0) | 上高地・北アルプス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする