長野原−太子線の廃線ウォークです。
心配された天気も良く、
廃線歩きは、みごと成功!
以下、記録写真です。
太子線の全線は約6km。一部通行できないトンネルもありますが保存状態は良く、気軽に廃線や産業遺跡を見学したいという向きにはおすすめの場所です。
太子線は、戦時中に鉄鉱山から鉄鉱石を搬出するために作られた貨物路線です。戦後は旅客輸送も行われましたが1970年に廃線となりました。
鉄道の線路跡と思える道が続きます。
ゴールです!
駅にはホッパー、車止め、トイレなどが残されています。
駅周辺は、きれいに整備されています。
資料
http://sankei.jp.msn.com/region/kanto/gunma/080503/gnm0805030201000-n1.htm群馬の廃線(4)国鉄長野原線(太子線)
2008.5.3 01:59
草津、万座、四万…。全国に名高い温泉地を結ぶJR吾妻線の列車は、川原湯温泉駅の手前で、日本一短いトンネルを通過する。全長わずか7・2メートルの樽沢トンネルだ。名勝吾妻峡のがけをくり抜いた小さな穴には、吾妻線誕生の歴史が隠されている。
吾妻線の前身、国鉄長野原線の渋川−長野原(現長野原草津口)駅間は、戦時中の昭和20年1月、貨物専用の路線として開通した。JR東日本高崎支社などによると、当時、開業を急いだために、吾妻峡のがけに突き出た岩盤を切り崩す方法よりも、工期の短かったトンネル構造で建設されたとみられている。
工期を短縮したのには理由がある。長野原線は、六合村の群馬鉄山で産出された鉄鉱石を運ぶ使命を負った軍需路線だったため、地元青年団らが駆り出され、突貫工事で完成した。
長野原から太子(おおし)までは日本鋼管の貨物線(5・8キロ、通称太子線)で結ばれ、露天掘りで採掘された鉄鉱石は索道で太子駅まで運ばれ、精錬後に貨車に積み込まれた。
「今はすっかりさびしくなったけど、昔は朝から晩まで精錬所の煙突から煙が出て、にぎやかだった」
太子駅前に住む浅見きみさん(80)は、近くを流れる白砂川の水が赤く染まっていたのを覚えている。戦後は岩手県の釜石鉄山に次ぐ鉄鉱山の積み出し基地として活況を呈した。
太子線は27年に国鉄長野原線に移管され、29年から旅客営業も開始。草津温泉や野反湖観光の玄関口としても栄えたシーズンには、バスに乗り換える観光客で駅前はあふれかえったという。
「長野原駅構内の改築工事を行うため、来る11月1日から太子線の営業休止いたすことになりました。手続きをすれば、定期券でバスに乗車できます」
45年10月下旬、太子駅に一枚の「お知らせ」が張られた。利用者は当時、まさかそのまま廃止されるとは思わなかったという。
だが、長野原線延伸に伴う長野原駅構内の工事が46年3月に完成しても、列車が再び太子線を走ることはなく、40年に操業を停止した群馬鉄山の後を追うようにして廃止された。
日本一短いトンネルは、かつて六合村に鉄鉱山があり、この鉄道路線が、鉄鉱石輸送で日本の戦後復興に大きく貢献した歴史を今に伝えている
つづく。
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posted by マネージャー at 06:24|
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六合村
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