岩櫃山ハイキング報告
今回のメンバー。
岩櫃山は標高802.6m。ぐんま百名山の一つで吾妻八景を代表する景勝地として知られています。南面は約200メートルの絶壁。奇岩、怪石からなる切り立った山容は、妙義山そっくりですが、妙義山ほど難易度は高くありません。山頂からの眺望はすばらしく、眼下には東吾妻町や中之条町の市街地、眼前には上州の山々が広がり、晴れた日には遠く富士山も望めます。新緑と紅葉のシーズンには多くのハイカーでにぎわいます。ここには、岩櫃城があり、西は岩櫃山、南は吾妻川へ下る急斜面、北は岩山で天然の要害となっています。
つづく。
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2015年05月12日
2013年05月02日
2012年04月11日
優勝軒 吾妻店
優勝軒 吾妻店
群馬県吾妻郡東吾妻町大字原町965 A-COOP あがつま内
TEL 0279-68-2366
東吾妻町の『優勝軒 吾妻店』に行ってきました。
スープは複雑な醤油味。
けっこうあっさりでした。
この味は、賛否両論でしょう。
私個人としては、
「余計なことをするな!」
と言いたいですね。
工夫し過ぎちゃっている感じです。
もっと基本的な味でもいい。
麺は太め。
チャーシューは、大きくて柔らかい。
つづく。
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群馬県吾妻郡東吾妻町大字原町965 A-COOP あがつま内
TEL 0279-68-2366
東吾妻町の『優勝軒 吾妻店』に行ってきました。
スープは複雑な醤油味。
けっこうあっさりでした。
この味は、賛否両論でしょう。
私個人としては、
「余計なことをするな!」
と言いたいですね。
工夫し過ぎちゃっている感じです。
もっと基本的な味でもいい。
麺は太め。
チャーシューは、大きくて柔らかい。
つづく。
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ラベル:優勝軒 吾妻店
2011年05月02日
岩櫃城温泉「くつろぎの館」
岩櫃城温泉「くつろぎの館」
戦国時代、「武田三堅城」と称された岩櫃城をモチーフに、大浴場やサウナなど各種のお風呂が充実しています。特に自然の木々の緑をしつらえた、露天風呂がお薦めです。泉質は神経痛や筋肉痛・疲労回復に効果があります。JR吾妻線原町駅より徒歩10分の町営施設。露天・サウナ・泡風呂・寝湯。比較的すいていて、外観がお城になっています。レストランもあり、地元産のこんにゃくなども味わえ、大広間、個室(別料金)でも食事ができます。
http://www1.town.higashiagatsuma.gunma.jp/www/contents/1204146416237/index.html
http://map.biglobe.ne.jp/index.php?lat=36.5716045783563&lng=138.820044264795&zm=13&tp=0&gs=&sp=1
群馬県吾妻郡東吾妻町原町1046
0279-68-2601
10:00〜21:00
JR吾妻線群馬原町駅から徒歩10分
駐車場あり(無料)
大人400円、小人・身障者(要証明書)300円00円)
つづく
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戦国時代、「武田三堅城」と称された岩櫃城をモチーフに、大浴場やサウナなど各種のお風呂が充実しています。特に自然の木々の緑をしつらえた、露天風呂がお薦めです。泉質は神経痛や筋肉痛・疲労回復に効果があります。JR吾妻線原町駅より徒歩10分の町営施設。露天・サウナ・泡風呂・寝湯。比較的すいていて、外観がお城になっています。レストランもあり、地元産のこんにゃくなども味わえ、大広間、個室(別料金)でも食事ができます。
http://www1.town.higashiagatsuma.gunma.jp/www/contents/1204146416237/index.html
http://map.biglobe.ne.jp/index.php?lat=36.5716045783563&lng=138.820044264795&zm=13&tp=0&gs=&sp=1
群馬県吾妻郡東吾妻町原町1046
0279-68-2601
10:00〜21:00
JR吾妻線群馬原町駅から徒歩10分
駐車場あり(無料)
大人400円、小人・身障者(要証明書)300円00円)
つづく
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ラベル:岩櫃城温泉「くつろぎの館」
2010年11月22日
吾妻峡温泉 「天狗の湯」 吾妻峡温泉 「天狗の湯」
吾妻峡温泉 「天狗の湯」
この施設は、利根川・荒川水源地域対策基金事業による資金提供を受け建設された温泉です。
■源泉名 吾妻峡温泉 「天狗の湯」
■泉質 カルシウム・ナトリウム−硫酸塩・塩化物温泉(低張性弱アルカリ性高温泉)
■pH値 7.7
■泉温(源泉) 42.1
■効能
※適応症 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、
慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進、動脈硬化症、
きりきず、やけど、慢性皮膚病、虚弱児童、慢性婦人病。
飲用はできません。
※禁忌症 急性疾患(特に熱のある場合)、活動性の結核、悪性腫瘍、重い心臓病、
呼吸不全、腎不全、出血性疾患、高度の貧血、その他一般的に病勢進行中の疾患、
妊娠中(特に初期と末期)
■温泉利用状況
加水していません。
加温の状況 源泉温度が低いので入浴に適した温度に保つため加温しています。
循環・ろ過状況 循環ろ過装置は使用していません。
入浴剤は入れていません。
消毒処理の状況 衛生管理のため、塩素系薬剤を使用しています。
http://www1.town.higashiagatsuma.gunma.jp/www/contents/1271225561594/index.html
●営業 午前10時〜午後9時
●定休 第2火曜日
吾妻峡温泉 「天狗の湯」 群馬県吾妻郡東吾妻町大字三島6441
0279−67−2683
つづく
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この施設は、利根川・荒川水源地域対策基金事業による資金提供を受け建設された温泉です。
■源泉名 吾妻峡温泉 「天狗の湯」
■泉質 カルシウム・ナトリウム−硫酸塩・塩化物温泉(低張性弱アルカリ性高温泉)
■pH値 7.7
■泉温(源泉) 42.1
■効能
※適応症 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、
慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進、動脈硬化症、
きりきず、やけど、慢性皮膚病、虚弱児童、慢性婦人病。
飲用はできません。
※禁忌症 急性疾患(特に熱のある場合)、活動性の結核、悪性腫瘍、重い心臓病、
呼吸不全、腎不全、出血性疾患、高度の貧血、その他一般的に病勢進行中の疾患、
妊娠中(特に初期と末期)
■温泉利用状況
加水していません。
加温の状況 源泉温度が低いので入浴に適した温度に保つため加温しています。
循環・ろ過状況 循環ろ過装置は使用していません。
入浴剤は入れていません。
消毒処理の状況 衛生管理のため、塩素系薬剤を使用しています。
http://www1.town.higashiagatsuma.gunma.jp/www/contents/1271225561594/index.html
●営業 午前10時〜午後9時
●定休 第2火曜日
吾妻峡温泉 「天狗の湯」 群馬県吾妻郡東吾妻町大字三島6441
0279−67−2683
つづく
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ラベル:吾妻峡温泉 「天狗の湯」
2010年06月16日
大柏木の諏訪神社と大場三郎(だいばさぶろう)伝説
大柏木の諏訪神社です。
15本の杉の巨木が参道の両脇にあります。
樹齢三百年といいますから、かなり巨大です。
この大柏木の諏訪神社のあたりにには、
大場三郎(だいばさぶろう)伝説
があります。
それは、こんな伝説です。
昔、京の美しい姫が東に下り大柏木で三郎を生みました。三郎は剣術の達人となって村人を助け、剛勇の名をとどろかせるエピソードが知名と共にかたられます。そして、最後にこうなります。
「ある夜のこと、大きな地響きと雷鳴とともに山伏姿の天狗が現れ、
さすがの三郎も太刀打ちできずにいると
天狗はこう言いました。
『私は、この里に禍をもたらしにきたのではない、おまえに天狗道を教えに来たのだ』
すると三郎の背中に羽が生えており、
『これから天狗道に赴いて生まれ育ったこの村の守りになる』
と村人に叫びながら天狗に導かれて姿を消しました。
それ以来、大柏木の里では穏やかで平和の日々が続いているということです」
その伝説の7ヶ所の地名を総称して「大場七景」と言います。
1.三郎の産湯の水を汲んだ井戸「かじか京」
2.武術の稽古に使ったと言われる「蒔田の松」
3.三郎の母が独経しながら亡くなったと言われる「上臈が平」
4.三郎の乳母を葬ったと伝えられる「お乳が窪」
5.三郎のために衣食足りて礼節を知る運んだと伝えられる
ツバメに似た岩「つばくろ岩」
6.どんな干ばつにも涸れず三郎の暮らしを支えたという
「独りのみの井戸」
7.三郎が倒した盲人の亡霊を祀った石がある「盲目神」
では、大場三郎とは、何者でしょうか?
源平盛衰記によると源頼朝が伊豆を小船で脱出したときに追っ手として出てきたのが東入道50余騎、その後には大場三郎景親1000余騎が続いたとされています。その後、石橋山の戦いで頼朝を撃破。しかし、安房国へ逃れた頼朝が再挙して多くの東国武士に迎えられて鎌倉へ入ると抗する術を失う。頼朝が富士川の戦いで平氏に大勝した後に降伏し、処刑されています。この大場三郎と、大柏木の大場三郎の関連は、まだ明らかにされていません。
つづく
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15本の杉の巨木が参道の両脇にあります。
樹齢三百年といいますから、かなり巨大です。
この大柏木の諏訪神社のあたりにには、
大場三郎(だいばさぶろう)伝説
があります。
それは、こんな伝説です。
昔、京の美しい姫が東に下り大柏木で三郎を生みました。三郎は剣術の達人となって村人を助け、剛勇の名をとどろかせるエピソードが知名と共にかたられます。そして、最後にこうなります。
「ある夜のこと、大きな地響きと雷鳴とともに山伏姿の天狗が現れ、
さすがの三郎も太刀打ちできずにいると
天狗はこう言いました。
『私は、この里に禍をもたらしにきたのではない、おまえに天狗道を教えに来たのだ』
すると三郎の背中に羽が生えており、
『これから天狗道に赴いて生まれ育ったこの村の守りになる』
と村人に叫びながら天狗に導かれて姿を消しました。
それ以来、大柏木の里では穏やかで平和の日々が続いているということです」
その伝説の7ヶ所の地名を総称して「大場七景」と言います。
1.三郎の産湯の水を汲んだ井戸「かじか京」
2.武術の稽古に使ったと言われる「蒔田の松」
3.三郎の母が独経しながら亡くなったと言われる「上臈が平」
4.三郎の乳母を葬ったと伝えられる「お乳が窪」
5.三郎のために衣食足りて礼節を知る運んだと伝えられる
ツバメに似た岩「つばくろ岩」
6.どんな干ばつにも涸れず三郎の暮らしを支えたという
「独りのみの井戸」
7.三郎が倒した盲人の亡霊を祀った石がある「盲目神」
では、大場三郎とは、何者でしょうか?
源平盛衰記によると源頼朝が伊豆を小船で脱出したときに追っ手として出てきたのが東入道50余騎、その後には大場三郎景親1000余騎が続いたとされています。その後、石橋山の戦いで頼朝を撃破。しかし、安房国へ逃れた頼朝が再挙して多くの東国武士に迎えられて鎌倉へ入ると抗する術を失う。頼朝が富士川の戦いで平氏に大勝した後に降伏し、処刑されています。この大場三郎と、大柏木の大場三郎の関連は、まだ明らかにされていません。
つづく
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ラベル:大柏木の諏訪神社
2010年06月15日
大運寺を散策してみた
大運寺を散策してみた
吾妻町大戸に、大運寺という寺があります。江戸時代の富豪・加部安左右衛門をはじめ加部家代々の墓がある寺です。山門には大きなシダレザクラがあり、春には美しい花を咲かせています。
大運寺は天正年間に大戸村寺原から現在地に移りました。
当時、上州の三大尽の一人と言われた富豪で大戸出身の加部安左衛門の寄進によって大運寺は荘厳な寺観となりました。
当時の本堂と庫裡は、平成2年2月に発生した火災によって焼失してしまいました。
現在の本堂は平成6年に再建されたものです。加部家の墓地が大運寺にあります。
群馬県吾妻郡東吾妻町大字大戸371
0279-69-2257
加部安左衛門
上州吾妻郡大戸村に代々、加部安左衛門を名乗る上州一の分限者がいました。
みんなから加部安(かべやす)と呼ばれて親しまれていました。
初代は富沢掃部といって、戦国時代に生きた武士だったようです。
天明三年(1783年)に浅間山が大噴火を起こして、鎌原村をはじめとして吾妻郡の村々は壊滅状態となり、避難民が溢れます。
8代目は財産を惜しまず、避難民の救済に当たります。
翌年の正月、その功績によって、幕府より帯刀を許されます。
天明6年の大洪水の時も、避難民たちを救っています。
11代目は江戸で生まれて、江戸で育ちますが、郷里に戻って、家業の建て直しを図ります。
11代目は国定忠治とも仲がよく、忠治が処刑される時、最期に望んだのが、加部安が造った銘酒「牡丹」でした。
1829(文政12)年、吾妻郡大戸村の豪商の家に生まれた加部嘉重は、1859(安政6)年の横浜開港を契機に横浜弁天通へ大きな店舗を構えて、生糸・麻・呉服・茶・雑貨等を外国人へ売り込み、大きな利益を得ていました。
のち経営を使用人に任せたため、経営不振となり、1864(元治元)年に事業から撤退、横浜の店舗を閉めて郷里の大戸へ戻りました。
1894(明治27)年歿。商売は13代目加部安左衛門となった孝重が1874(明治7)年まで続けていました。
現在、加部安左衛門の生家跡の一部と墓(大運寺)が残されています。
つづく
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吾妻町大戸に、大運寺という寺があります。江戸時代の富豪・加部安左右衛門をはじめ加部家代々の墓がある寺です。山門には大きなシダレザクラがあり、春には美しい花を咲かせています。
大運寺は天正年間に大戸村寺原から現在地に移りました。
当時、上州の三大尽の一人と言われた富豪で大戸出身の加部安左衛門の寄進によって大運寺は荘厳な寺観となりました。
当時の本堂と庫裡は、平成2年2月に発生した火災によって焼失してしまいました。
現在の本堂は平成6年に再建されたものです。加部家の墓地が大運寺にあります。
群馬県吾妻郡東吾妻町大字大戸371
0279-69-2257
加部安左衛門
上州吾妻郡大戸村に代々、加部安左衛門を名乗る上州一の分限者がいました。
みんなから加部安(かべやす)と呼ばれて親しまれていました。
初代は富沢掃部といって、戦国時代に生きた武士だったようです。
天明三年(1783年)に浅間山が大噴火を起こして、鎌原村をはじめとして吾妻郡の村々は壊滅状態となり、避難民が溢れます。
8代目は財産を惜しまず、避難民の救済に当たります。
翌年の正月、その功績によって、幕府より帯刀を許されます。
天明6年の大洪水の時も、避難民たちを救っています。
11代目は江戸で生まれて、江戸で育ちますが、郷里に戻って、家業の建て直しを図ります。
11代目は国定忠治とも仲がよく、忠治が処刑される時、最期に望んだのが、加部安が造った銘酒「牡丹」でした。
1829(文政12)年、吾妻郡大戸村の豪商の家に生まれた加部嘉重は、1859(安政6)年の横浜開港を契機に横浜弁天通へ大きな店舗を構えて、生糸・麻・呉服・茶・雑貨等を外国人へ売り込み、大きな利益を得ていました。
のち経営を使用人に任せたため、経営不振となり、1864(元治元)年に事業から撤退、横浜の店舗を閉めて郷里の大戸へ戻りました。
1894(明治27)年歿。商売は13代目加部安左衛門となった孝重が1874(明治7)年まで続けていました。
現在、加部安左衛門の生家跡の一部と墓(大運寺)が残されています。
つづく
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ラベル:大運寺を散策してみた
仙人窟を探検
仙人窟を探検
大戸関所跡の近くにあり、長い参道を上ると
高さ8m、幅14m、深さ26mの洞窟の中に、
江戸時代の修行僧が作ったとされる石像の
十八羅漢や聖観世音像が安置されています。
県道から200mほど登ったところに大きな洞窟があります。吾妻33所観音の第8番札所ですが、真田ゆかりの地のひとつです。ここに真田勢が北条の大軍を迎え撃つために五百騎の馬を隠し、この坂を一気に駆け下りて撃退したという名所です。
いかにも修験の場らしいところで、奥の院、復窟へと通じます。
つづく
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大戸関所跡の近くにあり、長い参道を上ると
高さ8m、幅14m、深さ26mの洞窟の中に、
江戸時代の修行僧が作ったとされる石像の
十八羅漢や聖観世音像が安置されています。
県道から200mほど登ったところに大きな洞窟があります。吾妻33所観音の第8番札所ですが、真田ゆかりの地のひとつです。ここに真田勢が北条の大軍を迎え撃つために五百騎の馬を隠し、この坂を一気に駆け下りて撃退したという名所です。
いかにも修験の場らしいところで、奥の院、復窟へと通じます。
つづく
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ラベル:仙人窟を探検